肉体的ダメージはさほどじゃないものの、精神的ダメージに多大な影響を受けたフタバは、目が明らかに死んでいた。ハイライトをどこかに置き忘れている。
 横を飛んでいるリュミエールが、気の毒に……と言わんばかりの顔になっているが、とてもここでフタバへ声を掛ける度胸はない。粛々とついて行くほかなかった。
 たまにヘドロの塊を発見し、鼻を摘まみながら武器の鞘などで掻き分けるも、未だに目的のものは見つからない。暗い通路の中で、松明の明かりにより、伸びた影法師たちがゆらゆら揺れている。

「こうなると、なるべく早く、例の指輪を見つけるほかありませんね。僕もここにずっとはいたくないですよ」
「全く同意見です。しかし、指輪はどこに行ってしまったのでしょう」
「単純に、下水に流されたと思っていたんだが……もしかしたら、違うのかもな」
「カノン殿?」

 カノンはちらりとフタバを見やり、心なしか声を潜めて説明した。

「さっきの虫のほかに、こういう下水道には付き物のがいるだろう」
「……ああ、あれですか」
「これまで通った道やヘドロ溜まりになかったのなら……あれに持っていかれたのかも」
「あれって何だよ?」

 ちゅーぢゅぢゅぢゅっ。
 フレッドが呑気そうに尋ねた直後、カノンやモイラの脳裡に浮かんでいた”あれ”が鳴いた。
 思わず冒険者たちの身体が構えを取った。だが、そんな委細に構わず、彼らの視界の隅に入っていた本日3度目のヘドロの塊から這い出したやけに大きな鼠が、凄まじいスピードであっという間に≪太陽を送る者たち≫の脇をすり抜けていく。
 あまりにも俊敏であったため、咄嗟の対応が遅れてしまったが、今飛び出した汚らしい灰色の毛皮の主の鼻面に、何か光るものがあったのは全員が目撃した。

「カノン師、あれ!」
「間違いなさそうだ、追うぞ!」

 懸命に後を追いかけた彼らの目の前で、鼠は角を曲がり、どこかの建物の排水管らしき穴にすかさず飛び込んでいった。この排水管は博士の家のものと違い、割と緩やかな傾斜で流れ落ちてくる形になっているようなので、手足を突っ張れば登って行くことも容易だと考えられる。
 それでも、途中から管が垂直になるのを警戒した一行は、飛行可能であるリュミエールがまず先行することにした。
 幸いにも管は緩やかなカーブを描いたまま、何処かの室内に繋がっている様子だ。ヘドロとは違う匂いのする、温かな空気の流れを感じる。
 何とか出口まで登りきると、そこが民家の台所の排水溝であることが判明した。白いタイル張りの壁にはフックが設置されていて、≪のんびり柘榴亭≫のエセルも愛用しているミルクパンや木べら、パスタを掬う用のフォークなどが掛けられている。ひどく家庭的な雰囲気だ。
 竈の鍋には、豚の臓物の煮込みがあった。まだ火を通している最中であり、あと15分もすれば、味を染みこませるために火から外すのだろう。

「ほら見なさいよ、カノンさん。臓物と果物の違いはあるけど、あれが正しい煮込みよ」
「……俺もああやった筈なんだがな」

 愚痴った後で周囲を見渡してみると、部屋の隅っこの方に先ほどの鼠がおり、そして台所の主であろうオバチャンがお玉を片手に、竈前に陣取っている。今の冒険者たちは鼠サイズであるため、ごく当たり前のどこにでもいるオバチャンは、現在トロール(岩巨人)の王にも等しい存在だ。
 そして大事なのは、今の≪太陽を送る者たち≫は、彼女にとって台所に侵入した鼠に過ぎないということだ。もし彼女に見つかってしまったら、命が危険に晒されるだろう。
 くれぐれも慎重に行動しなくてはならない。
 鼠の動きを観察すると、周囲を警戒するようにキョロキョロと辺りを見回している。
 ミハイルが言った。

「ここはもう、あれでしょう」
「妖精のあれか」
「寝かせたらいいの?」

 すっかり指示代名詞だけで話すようになってしまった大人たちの意向を正確に汲み取り、リュミエールがリクエストに応えようと蔓薔薇で出来た小さな竪琴を取り出すと、それにべたりとヘドロがくっ付いていることに気づき、ぽよぽよした眉を顰めた。洗い場の縁に掛けられているこの家の手ぬぐいを見つけ、竪琴の汚れをそれで拭う。

「おい、リュミ。早くしろよ」
「分かってるってっば。……いくよ~」

 眠らせた隙に指輪を取り戻せばいい。そんな目論見でリュミエールの【夕月夜】が奏でられたが、博士の指輪の力だろうか。何かが干渉するようで、うまく効果が発動しない。

「うーん、駄目っぽい。上手く掛からないよ」
「仕方ないわよ、リュミちゃん。次はどうしたものかしらね……」

 フタバが次の手を考えようとしていると、急に地面が揺れた。
 一行は、もうひとつ重要な存在があることをすっかり忘れていたようだ。

「しまっ………!」
「ギャー!ネズミよー!!しかも、こんなに沢山!」

 そう、オバチャンだ。このエリアを支配する主は君たちの存在に気づいてしまったようだ。大量の鼠がいると思い込んだ彼女は、少し前のフタバに匹敵するほどすっかり錯乱し、お玉を振り回して辺りを薙ぎ払ってくる。桁外れの巨人が暴れているようなものだ、絶体絶命のピンチだと言えよう。

「拙いな、あの時の巨大ゴブリン以上に勝てる相手じゃない」
「それ以前に、魔物ではなく庶民でしょう。ここで剣は振るえませんよ。逃げましょう」

 のんびりした会話のように思われるが、調味棚から落ちてくるハーブの瓶や芥子の小瓶を避けながらの出来事である。かなりぎりぎりなのだ。
 辛うじて塩入れのスプーンを避けたフレッドが、緊張した顔で叫ぶ。

「逃げるたって…どこへだよ!?」

 そう言ったフレッドの若草色の目が、猛ダッシュしていく鼠の姿を捉える。
 鼠は怒れる巨人…もといオバチャンの殺気に恐れを成したと見え、最初に会した時よりも一層凄まじい勢いで、もと来た排水口へと駆け込んでいった。
 冒険者たちの目的はあの鼠から指輪を取り戻すことだ。となれば、逃げ込む先は決まった。一行も鼠の後を追い、排水口へと駆け込む。
 滑り台を下りる要領で管を滑り落ちていくと、指輪を奪ったと思われる鼠の姿が既に見当たらない。

「ちいぃっ、逃がしちまった!」
「しぃ、フレッド。静かに」

 リュミエールが相棒を宥め、壁にぴたりと耳をつけた。
 壁の振動を通して、鼠のものらしいバタバタした足音と、ぢゅぢゅぢゅー!という興奮したようなくぐもった鳴き声が聞こえてくる。

「こっちだよ、急いで!」
「ありがたい。リュミエール殿、よくやった!」

 フェアリーの指示する通路に飛び込むと、袋小路のどん詰まりに大量の鼠がいた。そして、その中央に他より大きな鼠がいるのがわかる。

「……ねえ、あの鼠、大きくなってない……?」
「まさか指輪の影響じゃないだろうな」

 指輪は当初、鼠の口に咥えられていたのだろう。巣に物を溜め込む習性があるからだ。
 それが鼠のサイズが変わるにつれ、鼻面にぴったり嵌まるようになり、今は鼠を倒して解体しなければ無理だろうほどに、鼻の肉へ食い込み出している。
 鼠も逃げられないことを悟ったか――はたまた、単純にきつく嵌った指輪による苦痛のためか、武器を抜いた≪太陽を送る者たち≫へ、狂ったように襲い掛かってきた。

「ぢゅぢゅーっ!!」
「ふんぬっ!」

 口が使えないからだろう、鼠に不似合いな伸びた爪で引っ掻こうとするのを、フレッドが大斧を横に翳してどうにか防ぐ。横合いから親分の加勢に来たらしい溝鼠の一匹を、モイラがばっさり斬り捨てた。
 鼠の毛皮が厚いわけがないのだが、今の冒険者たちの攻撃は、元の威力からすれば、かなりささやかなものになっている。それでもモイラの技の熟練度と、剣本体の切れ味が合わさって、灰色と泥色の合いの子のような色彩の毛皮は、炭化しながら引き裂かれたようだった。

「煌めく星の光よ、集いて矢となり敵を貫け!」
「猫よ、猫よ、燃ゆ街を見て何想う!」

 続けざまに魔法使い2人の術が炸裂し、2匹の溝鼠が奥へ吹っ飛ぶ。
 残る3匹の溝鼠も、リュミエールの【夕月夜】が――指輪の影響のある巨大鼠と違い――効いたおかげで、中央部を守らんと動いていたのが、その場に崩れ落ちた。
 後はもう、本命の敵へ一直線である。
 鼠の爪を柄で撥ね上げ、空いた胴部分に思い切りフレッドが斧の刃を叩き込むと、まだ息のある鼠をフタバの【蜘蛛の糸】が捕らえ。
 狙い済ませたモイラの一撃が、存分に鼠の身体を断ち割った。
 眠っていた溝鼠も始末し、やれやれと彼らはしゃがみ込んだ。

「死んでも縮まないですね、鼠さん」
「魔法の指輪ではないという割に、ずいぶん影響の及ぶ品だな。どう作っているんだか……」
「問題はそこじゃないでしょ、お2人さん」

 フタバは自分の得物の刀身を見つめてから、ものすごく嫌そうに鼠の骸を見下ろした。

「解体するならマグロに限って欲しいわね。鼠じゃ病原体を貰いそうだわ」
「びょうげん……?まあ兎に角、依頼人の指輪に損害を与えるわけにはいきませんから、地道にやるしかないでしょう」
「あー……くっそ、鼠の血が口に入らないようにしねえと」

 モイラが疑問を持ったように、病原体という概念自体は一般的ではないものの、鼠が病気を運ぶことで、古来より数多くの街を死滅させているのは明らかになっている。当然、鼠の血なども身体に入らないよう警戒するのが、冒険者の常識であった。
 どうにもグロテスクな作業であったが、どうにかそれを完遂させた一行は、博士が最初に見せてくれたのと似たようなデザインの指輪を抱え、黒光りする虫を避けながら博士の家まで帰ってきた。
 刺繍糸によるロープが引き上げられた先には、きらきらした目をした博士が、

「いやー、君たちご苦労だった!」

と両手を合わせて喜んでいる。

「実にグレイト!サンクスギビングだよ!!少々待っていろ。指輪を洗ってくるからな」
「さんくす……何だろ?」
「多分だけど、ありがとうってお礼よ」

 色々常識から外れている博士も、さすがにヘドロまみれの鼠の血まみれな指輪をそのまま使う気にはなれないのだろう。≪太陽を送る者たち≫から指輪を渡されると、洗い場の方へと向かった。
 ヘドロに注意していた冒険者たちも最後の戦闘や解体作業で、すっかり全身が汚れてしまっている。
 出来れば先に何とかしたいのだが、まあこれくらいは待つか……などとまったりし始めた。
 すると突然、

「オゥ、ノー!なんてこった!!」

と頭を抱え叫びだした。嫌な予感が一行に走る。

「何だよ!?まさか、また落としたとか……!!」
「ふふっ、な・ん・て・ね。驚いたかな安心したまえ、指輪はここにある」
「ふざんけんな、この!依頼人じゃなかったら、女でも手加減してねえぞ!」
「荒れてるなあ、少年」
「もー。びっくりさせないでよね。早く元に戻してちょうだい」
「ちょっとしたお茶目だ。大目に見てくれ、ハゲるぞ。さあ、指輪もピッカピカだ!」

 博士が趣味の悪い指輪の装飾をフェアリーを除く面子に向け、スイッチオンの台詞と一緒にちょいちょいと操作すると、そこから緑色の光線が放たれる。すると、出発の時とは逆に、体が見る見るうちに元の大きさに戻った。

「やった! 戻りました、おお主よ!!」
「ホント疲れたわ。もう下水と指輪は当分見たくないわよ」

 口々に感想を漏らす冒険者たちの中で、カノンだけがしばし口を噤んでいたが、やがて博士に硬質の美貌を向け、

「その指輪、今の俺たちに使えばどうなる?」

と問うた。
 博士は感に堪えかねたような表情でカノンを見つめ、彼の疑問に答えた。

「君は本当に鋭いな。イエス、これは光線を当てた対象を大きくする効果を持つアイテムだ」

 つまり、今の≪太陽を送る者たち≫に光を当てたら、突然巨人が現れて今いる依頼人の家があっけなく壊れてしまうことになる。
 かなり危ない代物であることが判明したのだが、博士はあっさり笑った。

「魔法に頼らず、このような物を作ってしまった私は天才というわけだ。アッハッハ!しかし、完成してから考えたのだ」

 この存在が世の中に知れてしまったらどうなるだろう?と……。
 世の中には善人ばかりではなく、悪人も相当数いる。そういう人間は、例え何でもない便利な道具ですら、何かの悪巧みに利用しようと知恵を巡らすものだ。
 ましてや、難しい魔法の素養などいらないアイテムひとつで、魔法と同等以上の効果を得られると分かれば、必ずその悪用を企む者が出てくるのは避けられないだろう。
 それは犯罪者だけではない、国家という大きなものも、己の国の利益に関わるとなれば、どうにでも名目をつけて入手しようと働きかけるに違いない。何しろ、碌な手柄を上げたことのない一兵士でも、トロール真っ青の巨人に変わるのだ。戦争でどれだけ有利になるか、分からないはずはない。

「つまりだ。未だ、このようなものを手にするほど人間は成熟していないのさ。だからこそ、なんとしても私の手に戻す必要があったんだ。元はと言えば私のミスだがな……私は、自分が作った物で世の中が悪くなるのを見たくはない」
「俺たちは将来起こりうる大きな事件を防いだと言ってもいいわけだ」
「そうだとも、胸を張るんだ! それにしても…」

 一行を見ながら語りを止め、にわかに顔を顰める博士を見て、冒険者たちは全てを察した。
 ぴしっと真っ直ぐ挙手したモイラが、真顔で博士に頼み込む。

「申し訳ないんですが、水かお湯をお借りできませんでしょうか?」
「というより、今こそあの温泉の入浴券の出番じゃないの?」
「臭さはもう鼻が慣れちゃったから、あたしたちは気にしないんだけどね」
「ああ、券を持って行くといい。ひどい臭いだね!」

 ヘドロの靴痕を見下ろして逡巡しているミハイルに、彼女は追い払うように手を軽く振った。

「部屋の床なら私が綺麗にしておくよ。ああ、服は…温泉で頼めば洗濯してくれる。鎧なんかはここに置いていってくれ。私の発明にいい洗浄液があるんだ」
「洗浄は構わねえが、変形はさせないでくれ」
「フレッドは肩の筋肉が大きく発達してるから、寸法合わせるの大変だったもんね」
「それと、まあ、なんだ」

 博士は頬を掻いたのち、やや上気しながら微笑んだ。

「今回は本当にありがとう。君たちは英雄だよ。ヘドロまみれのな!アッハッハッハ!!」

※収入:報酬700sp
※支出:
※その他:
※ハカセ様の小さいことはいいことだ?クリア!
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七回目のお仕事は、ハカセ様のコミカルなシナリオ、小さいことはいいことだ?でした。
ハカセ様のほかの作品には、「魔女・二人…」というかなり傾向の違う作品があり、私は別パーティでそちらをプレイして、得たアイテムをリュミエールに持たせているのですが、どちらも面白いことは間違いなしです。未プレイの方がいらっしゃるのでしたら、ぜひ両方プレイされることをお勧めします。
愉快な上になんだか奥の深い(かもしれない)依頼人の博士さんでしたが、帰り際にまた遊びにおいでってお手紙を下さるので、もしかしたら同じアズールからの依頼がこれからできるのかもしれません。楽しみです。
本編中では特に言及がなかったのですが、一応、自分たちの照明を使った描写になっております。ただ、下水だからメタンガス発生しそうな場所なので、松明じゃ本当は危ないですよね。松明ではなく、ランタンを購入してからプレイしようかと思ったのですが…冒頭でフタバが述べたとおり、ちょっとばかり懐具合が自信ないもので、そのまま押し進めました。すいません。
何しろ、Y2つ様の「棒杖のお店」で【魔力感知】【生命感知】を揃えるために、一度すっからかんになっております。依頼されたスキルを届けたので、収支としてはちゃんと儲かっている(Y2つ様ありがとうございます!)のですが、あの0spの真っ赤な潔さ、癖になりそうです。楽しい。

最近、ゴブス●を読んだおかげで、下水道の冒険って駆け出し冒険者の仕事みたいに思っていましたが、よくよく考えると、Askシナリオである「奇塊」は中堅レベル帯の依頼なんですよね。ラスボスが●●●●ーだからこそだと思うのですが、下水道冒険、意外とレベルの幅は広いのかもしれません。

当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。

2019/09/26 13:38 [edit]

category: 小さいことはいいことだ?

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