≪のんびり柘榴亭≫の女主人であるエセルは、以前に店の経営を任される前、この仕事のイロハを教えてくれた光り輝く――特に頭が――師匠から言われていたことがある。

「いいか、宿にはたまに、食材をありきたりの道具や調味料で暗黒物質に変えてしまう、恐ろしい人材が所属することがある。そういう人材を台所に入れるのは、自殺行為に等しい。宿の冒険者たちや自分の身が惜しいのなら、決して彼らを入れてはいけないよ」

 そういう人はデスコックという称号を持ち、周囲をとんでもない恐怖に陥れるという。
 話を聞いた時は、気をつけようと思う一方で、表現方法が大袈裟だとも思っていたのだが。

「誇張でも何でもなかった……」

 今現在、彼女の目の前で弱々しい呻き声を上げるネバネバのスライムのようなものは、たった1時間前まで林檎だったはずの存在である。作った当人も、あれ?という顔になっているが、一体どうして林檎の甘煮を作るだけで、未知の生物が出来上がるのだろう。

「……食べれないかな」
「いやいやいや、無理だろ」

 思い切り首を横に振っているのは、そばかすの浮いた顔がまだ幼さを感じさせる少年である。フレッドという名前の彼は、この宿に所属してからすでに3ヶ月が過ぎようとしているが、初めて会った時よりは幾分か、リラックスした表情が見られるようになっていた。宿の主として心配していたエセルにとっては喜ばしいことである。前の冒険で少し金銭の余裕ができたため、メイン武器の大斧の他に、手斧を腰の後ろに装備するようになった。
 彼の視線の先で遊んでいるのか真剣なのか、フォークでスライムのようなものを突いては、

「ふおおお……」

と感心しているのは、フレッドの相棒のリュミエールである。
 何しろ種族がフェアリーなもので、どうにも好奇心旺盛だし楽観的だし、自分の遊びに流され易いきらいがあるものの、それがかえって、重荷を背負ったフレッドには相性が良かったようだ。最近、風の流れをよく読んで【風に舞う】ようになってきたのだが、今はテーブル上での戦いに甘んじている。

「おい、リュミ。その粘性物体にあんまり近づくなよ」
「はーい」
「粘性物体じゃない。林檎を煮たんだ」
「あれのどこが元・果物に見えるんだ。林檎は呻いたりしねえ!」
「おかしい……。どこでこうなったんだろう」

 未だに穴の開いた鍋を見て納得できない顔をしているのは、リュミエールと同じく異種族であるハーフエルフのカノンである。
 決断力があり、皮肉っぽい言動もするが基本的に面倒見がいい彼は、努力家の魔術師でもある。現に、新たに会得した仲間たちの素早さを向上する術のほか、異なる言語での交渉や、遺跡における古代文明文字の解読ができるようにと、【言語学】を修めたほどだった。
 ただし、その努力の方向性が料理と結びつくと、途端に不毛な結果になるのは何故だろう。
 エセルはどうしても分からず、首を静かに横に振った。
 仲間の三者三様の有様を、何となく生温かい目で見守りつつ羊皮紙を捲るのは、だいぶ刀の扱い方に習熟してきたフタバで、自分たちのパーティ名を≪太陽を送る者たち≫と発案した、和国出身の年若き魔法剣士だ。
 彼女が単独で座っている机の上には、2本のワンド(棒杖)が乗っている。片方が2本の蛇が巻きついた銀色のもの、もう片方は黒い山羊のような頭に、目のような切れ目のある太陽石がはめ込まれていた。
 これまでの冒険で、遺失した特別な魔法が必要になる場面が多かったため、近所に開業したばかりの棒杖のお店にかけあって、依頼された4つの術を探してくる代わりに、優先的に買わせてもらったものだ。 それぞれ、【魔力感知】【生命感知】の魔法が込められており、合言葉で発動する。込められた魔力には限りがあるものの、これを販売した店へ持ち込めば魔力の再充填が可能という優れものだ。
 持ち帰った薬草やコカの葉も、エセルの知り合いの魔術師に頼んで、それぞれ傷薬や解毒剤に加工してもらっており、駆け出し冒険者として出発した頃よりも、遥かに物資が豊かになった。
 それもこれも、前回の依頼で思いがけない臨時収入が入ったおかげなのだが……。

「いくらなんでも、そろそろ依頼を受けなきゃね」
「そうして頂けると助かります。幾つかお仕事来てるので」
「新しい技術や魔法を会得するのに、時間掛かっちゃってごめんなさいね。こっちも、葡萄酒2本と傷薬2本しか買えないほど、お財布の中身が減ってるから真面目にやらないと。でも砂漠は勘弁だわ……」

 ほっそりした指が、ぺらりと一枚の羊皮紙を捲り留まる。

「あら、これ……」
「受けられそうな依頼がありました?」

 エセルが近寄ると、フタバは黙ってある依頼書を差し出した。
 そこには、

『私の偉大な発明品をうっかり落としてしまった。捜索してくれる冒険者急募…』

とある。偉大な発明品とやらがどんな物かはともかく、これといって夢中になる要素は見当たらない。
 戸惑った様子の宿の女主人に、フタバは報酬欄の備考を見るよう促した。
 銀貨700枚の下には、温泉つきと書かれている。

「仕事の中身じゃなく、報酬のこれ目当てですか……」
「和国出身として、悪いけど温泉は見逃せないわ!風呂上りは牛乳飲むのよ!」

 可愛らしい下膨れ気味の顔を紅潮させ、鼻息荒く断言したフタバに、他の仲間たちもどれどれと集まってくる。

「私も詳しいことは分からないんです。他の宿から、報酬が不満で回された依頼なので。ただ、アズールの町は小さいながらも、温泉で観光客を呼んで賑わい始めているそうですよ。報酬のオマケに温泉の入浴券でもつけてくれるんじゃないでしょうか?」
「フタバちゃん、おんせんってなあに?」
「温泉、スパ、ホットスプリング。ちょうどいい温度の美容や健康に良い成分が入ったお湯に浸かって、心も身体も癒される重要スポットよ!」
「……にゃおーん」

 フタバの使い魔である陶器の黒猫・ホムラは、呆れたような顔になった。猫の呆れた表情(しかもゴーレム)というのはかなり珍しいだろう。猫は元々同じ造物主に作られた従業員のリノの足元へ行き、動力源である魔力クズを貰った。この先どこに行くとしても、エネルギーの充填は怠らないあたり、ホムラもプロ根性が出てきたのかもしれない。
 エセルが依頼書の表面を人差し指で撫でながら言う。

「このご依頼にある『発明品』というのがどんな物かは、行かないと分かりません。ただ、仕事のついでに温泉を楽しむのも良いでしょうね」
「依頼人は博士か。アズールの知識層は学連では聞かないな。在野の学者だろうか」
「ふーん。温泉とやらがそんなにいいもんなら、俺も行ってみたいな」
「特に反対がないなら、荷物の支度をしておくか。坊さんと従者さんは、もうすぐ戻るんだろう?」
「ああ。ミハイルが新たな奇跡を授かったとかで、教会に報告に行ってる。モイラ姐さんは護衛」
「……あの従者さんも、新港都市で汎用性の強そうな技を会得してたな。これで非実体の敵さんも、結構相手しやすくなったが」
「どこで探し物を落っことしたのか、書いてねえもんな。普通に家の中なら、冒険者は雇わずに自分で探すだろうし」

 森の中や遺跡ならともかく、墓地などの可能性もあるわけだ。カノンたちがそちら方面の敵を警戒する理由である。
 あれこれ当てのない推測を並べ立てているうちに、呻くスライムどもきは焦げたジャムと化して即行で片付けられた。改めてリノの淹れたアップルティを飲んでいると、

「ただいま戻りました。遅れてすいません」
「私たちの分の昼食を、軽くでいいのでいただけますか?」

という声とともに、ラーデック出身の2人組が宿に入ってきた。
 ミハイルが艶やかな紫の髪を胸のあたりで切り揃えているのは、彼のご先祖様が元々ラーデックよりも北方の民族であったことの名残りだ。敬虔な聖職者の家系で、ラーデックに腰を据えたのも100年や200年の話ではきかない筈だが、頭髪を伸ばすことで寒さに抗する習慣が未だに続いているのだろう。
 端正な面持ちで好青年ではあるのだが、大声の癖があるのは少々残念である。
 主と同じくらいの長さに癖のない金髪を伸ばしているモイラの場合は、寒さがどうこうと言うより、首への攻撃を少しでも和らげるためだろう。絞殺や蹴りなどの打撃に対してなら、確かに効果はある。古来から勇猛な戦士を輩出する所には、そういう理由で長髪を選ぶ者も多い。
 とはいえ、そんな戦いに身を投じるような女性に一見見えない所が、彼女の一番怖いところかもしれない。
 冴え冴えとした白皙といい、丁寧な物腰といい、ドレスを着込めば案外似合うようにも思えるのだが、当人は肩幅が誤魔化せませんと真顔で反論する性格である。
 この主従が並んでいると、いかにも育ちの良い家の出だと分かる。
 そんな2人も、温泉のある町は初めて聞く土地だったらしい。
 エセルお得意のハーブソルトを塗した粉吹き芋に、チーズと、バジルの葉を練りこんだパンを添えて出されると、品良くお腹を満たし始めたが、フタバの選んだ依頼書の説明にもちゃんと耳を傾けた。

「アズールですか。リューン近郊の町のことは、それなりに父から話を聞いていたつもりでしたが、まだ勉強不足だったようですね」
「そんな観光地があるんですね。ちょっと僕も楽しみになってきました」
「じゃ、2人が昼食を食べ終わってから出発しましょ。途中は野宿になるけれど、リューンの城壁からさほど離れていない場所になるだろうから、かえって安全かもしれないわ」

 モイラのチーズをちょろまかして齧っている妖精が、机の下に寄ってきた仲間に話しかける。

「お出かけするんだねー。ホムラちゃんも嬉しい?」
「ふにゃら」

 黒猫はやや欠伸交じりに、フェアリーへ返事をした。行くのはいいが準備はしろ、という忠告の入った応えであったが、どこまでこの妖精に通じたものかは分からない。
 冒険者たちは、あれこれ荷造りのやり方に意見を戦わせ始めたからだ。

「やれやれ、どこでも賑やかな人たちですね」

 執事の経験を生かし、宿の収支について計算していたリノが苦笑交じりに言うと、もう1人の従業員であるシエテが、食料庫に入れる荷物を片付けながら、茫洋とした紫陽花色の瞳でリノを見つめてぼそりと呟いた。

「これからの依頼で、どんな大変なことがあるか分からないからね」
「え……」

 人間は強いよ、と彼は言う。
 互いを思いあって笑うだけで力が湧くんだから。
 リノはシエテの言葉を噛み締めるように考えると、やがてこくりと頷いた。
 己はアンドロイド、シエテは夢魔、両方人間とは異なる生き物だ。だからこそ、彼らが愛しい。
 リノは短く≪太陽を送る者たち≫の旅の無事を祈った。造られた命でも、祈りを聞いてくれる先くらいはあるはずだ。

2019/09/26 12:45 [edit]

category: 小さいことはいいことだ?

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