「慈悲深き聖北の神よ、癒しの御業を現したまえ…」
「ううおぉ……気持ち良い……」

 目の詰まった毛織物のズボンを引き裂くようにあった傷口が、ミハイルの【癒身の法】による効果でみるみるうちに塞がっていく。
 法術をかけられているのは、赤いスカーフを頭と首元に巻いている、秀でた額に少しだけ鷲鼻気味の四十路前後の男である。小柄で痩せぎすの身体は敏捷そうで、彼が何とかこの洞窟まで逃げた理由をありありと物語っていた。
 彼は交易都市を中心に近郊を往復する行商人の1人で、トトリスにてリューンから仕入れた品物を売り切り、あちらの特産品を積んで戻るところだった。街道を馬車で走っていたら茂みから矢を射掛けられ、賊が10人近くで襲い掛かってきたそうである。彼の身体が竦んでいる間に、強引に馬の手綱を引っ張られて馬車ごと脇道に連れ込また。足に斬りつけられたものの、御者台からわざと転がり落ちて、茂みに紛れ込んで撒き、馬車を捨てて一生懸命に逃げた。
 そして森の中を彷徨う内、幸運にもこの洞窟を探し当てて逃げ込んだのである。
 彼にとって第二の幸運は、足の傷からすっかり血が流れ出てしまわぬ間に、癒しの術を心得た冒険者が血の痕跡を頼りにここまで訪れたことだろう。何しろ行商人自身には、ヒヨス草どころか、コカの葉一枚すら持ち合わせが無かったのだから。
 もっとも、その冒険者たちを最初は賊の仲間だと勘違いし、野盗呼ばわりして睨みつけながら罵ったりしたのだが。
 仲間の癒しの様子を見守りながら、フレッドがぼやいた。

「まったく、『おのれ野盗どもめ、好きにするがいい!』とか言われた時は、よっぽど助けるのやめてやろうかと思ったぜ。こちとら、その野盗をやっつけて、わざわざここまで来たのによ」
「はは、すまないね。てっきり奴らだとばかり思ったものだから」

 行商人の顔色は、壁際に蹲り傷口を押さえていた頃から比べると、随分と赤みが増してきた。
 傷が塞がったことのみならず、精神的にも余裕を取り戻したからだろう。彼の誤解を解いて落ち着かせたのは、ロザリオを見せて己が神に仕える身である事を示したミハイルである。
 彼は率先して傷の具合を確かめ、毒などを受けていないことを判別すると、おもむろに聖句を唱えて行商人の治療を開始したのだった。

「……よし、血は止まりましたよ。後は念のために、あなたのそのスカーフを巻いておきましょう。これで動いても支障はありません」

 首のスカーフを受け取り、テキパキと手を動かすミハイルに、行商人は感謝の篭った目を向けた。

「これなら歩いて逃げられそうだ。……ありがとう、お坊様」
「それにしても……あんたに襲い掛かった時、魔法を使った奴はいなかったのか?」

 カノンの疑問は、追尾性を持つ攻撃魔法を会得した者がいれば、賊の獲物と化した商人がここまで逃げてくることはなかったのでは……と考えたからである。何より、敵の戦力を詳細に把握しておくのは、戦う上で非常に大事なことだ。
 行商人は少し考え込むような顔つきになって、慎重に言った。

「少なくとも、自分の時には魔法を掛けられた覚えはないが……。そう言われてみると賊の後ろの方に、杖を持ったローブ姿の老人がいたような気がする」
「ふ……ん。となるとその老人、もしかしたら攻撃魔法ではなく、搦め手で使う幻覚や精神操作の術を覚えているのかもしれないな。あれは目標を定めるのに、慣れていないと手間が掛かるから」
「へー、そんなもんなのか?」
「賢者の搭で教えてる【眠りの雲】みたいなのなら、そんなに難しくはないがな。魅了と睡眠で構成されるような遺失魔法になると、複雑で唱える者の隙が多くなるから、手っ取り早くそういった効果を持つ魔法の義眼を、手術で自分の目をくり抜いてから埋め込む奴もいる」
「うげえっ、何それ。気持ち悪いな」

 仲間の魔法使いの説明に対して、フレッドは舌を出して感想を漏らした。
 行商人は彼らの様子を見て微笑ましいと感じ笑顔を浮かべたが、ほどなくそれを消すと、意を決したように立ち上がった。フタバがすかさず声を掛ける。

「一人で大丈夫かしら?」
「ああ、馬車まで行ければあとは帰れる。ありがとうな」

 彼は軽く手を上げ謝意を示すと、存外にしっかりした足取りで避難場所から出ていった。
 洞窟の中にいるのが彼らだけになると、さっそくリュミエールが仲間たちに尋ねる。

「それで、これからどうするの?」
「今の話からすると、賊のアジトは、多分ここの近くにあるんじゃないかと思うわ。ただ、獣の巣穴と賊のアジトはどう見分けたものかしら」
「…妖精。お前、10人前後の出入りがある場所なら、見分ける自信はあるか?」
「出来ると思うよ」

 フェアリーは円らな目を瞬かせ、事も無げにカノンへ答えた。

「それだけ人間が出入りしてるなら、すっかり出入口の地面は踏み固められてるんじゃない?それを見つければ良いだけの話だもん、出来なくはないよ」
「なら、方針は決まったな。この洞窟の近くを探索して賊の拠点を見つけ、強襲する」
「よっしゃ、街道の安全確保のために働くか!」
「……あ、なるほど」

 1人マイペースに考え事をしていたミハイルが、気合いを入れたフレッドと対照的に、呑気そうにぽんと手を打ち合わせる。

「どうかなさいましたか」
「先ほど通過した宿屋ですよ。臨時休業してたのは、この辺りに野盗が出現して危険視したからじゃないでしょうか。或いは、賊によって利用者が減ったからかもしれませんが」
「ああ、なるほど。確かにそうかもしれないわね」
「それって、野盗退治し終わったら宿屋から礼金は……出ねえだろうなあ……」
「賞金首でもなさそうだからな。あまり期待はするなよ、少年」

 苦笑したカノンは、仲間を労わるように彼の背中を叩いた。
 やがて冒険者の一行は装備の点検をし直し、問題ないと分かると再び森の中へ入り込んだ。
 獣道をしばらく進んでいたが、途中から道が少しだけ行き来しやすくなるよう、辺りの丈の高い草などが刈り込まれている。ただ、野外で過ごす知識がない者には分かりづらいよう、カモフラージュもされているので、これは『野外活動を多少なりと知っている』者の仕業だ。
 さてはこれこそがと、パーティは目を皿のように瞠って周囲を観察した。
 一番先に、道の先の崖に大きな穴が穿たれているのを発見したのは、木こりをやっていたおかげで森の中での作業に慣れたフレッドであった。
 彼の人差し指が示す向こうには、黒々とした闇が口を開いている。 

「……リュミ、頼む」
「あいあいさー」

 気軽に引き受けたフェアリーは、言葉とは裏腹に隙の少ない動きで洞窟前の地面を調べ始めた。彼女ほど体躯が小さければ、たとえ洞窟の中から出入口方向を見た者がいたとしても、草に紛れて小動物と勘違いされるだろう。
 調査を終えて仲間たちの方に帰ってきたリュミエールは、

「地面がずいぶん踏み固められていたよー。たぶん、あそこで合ってる」

と報告した。
 斧を担ぎ直したフレッドが不敵に笑う。

「そんじゃ、野盗の巣穴にお邪魔するとしようかい」

 穴の外側に見張りがいなかったことを訝しく思っていた一行だったが、洞窟の入り口から一本道の窪みに、椅子に腰掛けた人影があった。なるほど、ここから出入口を見張っているのならば、外に歩哨を立たせる手間は要らないだろう。また、この一本道を賊に見つからずすり抜けるのは、不可能に近い。
 先にそれを見つけたリュミエールが、仲間たちへ行進を中断するよう警告を発したが、よくよく耳をすませると気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
 見張りのはずの盗賊は、椅子の上で眠りこけていた。
 目を交わしたフレッドとモイラが各々の武器を抜き、

「せーの!」

の掛け声でそいつの急所に叩きつけ、或いは刺した。ひとたまりもなく、野盗が絶命する。
 今の動作で、奥の方にいるだろう賊たちに存在がばれた様子はない。
 パーティはさらに洞窟を進むことにした。

2019/09/13 13:04 [edit]

category: トトリスからリューンまで

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