Wed.

バリアントの洞窟その1  

 小高い丘の上で一息ついたそばかすのある少年は、木を伐採するのに使った斧を逆さに立てて寄りかかり、ぼんやりと眼下に広がる光景を見ていた。
 森の異なる色調の緑が重なるその向こう、細くたなびく雲が幾層にも空に漂い、青い影を互いに落としこんでいる。虹等とは違い、特別に美しい現象でもないのだが、ふとした時に見惚れてしまうような魅力があった。
 少し前の地震で、重い家具を妙な体勢のまま支えようとして腰を捻った父に代わり、ここ5日間は少年が1人で木を切っている。
 その合間にできた新しい小さな友人は、まだ彼の元へ来る様子がなかった。
 ずいぶん遅いな、と彼は首を傾げた。
 何しろ木こりの作業が珍しいからと、早い時には彼よりも先に、朝靄漂う中、この辺りへ姿を現していることもある相手である。
 深い緑の髪を微風に靡かせ、淡く透ける白い羽を持つ妖精――フェアリーと俗に呼ばれる種族に当たる彼女は、名前をリュミエールといった。
 木を切り倒す木こりと森に棲むフェアリーでは、全く相性が悪いと思われがちだが、それは無制限な伐採を行なう者との間柄であって、本来の木こりの遣りようは違う。
 増え過ぎたり密集し過ぎたりした樹木を見定め、それを適度に間引くことで、森に充分な陽光を与え、土の中の養分が尽きないよう上手く育むのだ。
 当のリュミエールも初めて接触する人間に興味津々といったていで、端から少年を怒ろうなどという様子は見られなかった。
 第一声は、

「ねえ、それ楽しい?」

である。
 自己の愉しみではなく、木が増えすぎて森が駄目にならないようやっているんだと説明を受けた彼女は、まだ理解し切っていないながらも、少年が害のある存在ではないと判断したようで、自己紹介し合った翌日からも、ちょくちょく少年の元に来ていた。
 森で見つけた匂いの良い花の話や、とびきり甘い蜜を貯め込んでいる蜜蜂の話や、妖精にとってはご馳走である毒キノコの話などを好き勝手に口にし、少年の気の良い相槌を聞いては満足して帰って行くのである。
 それにしても――と、少年は訝った。
 今日は妙に、鳥の囀る声が聞こえない。先程から耳を擽るのは、木々の葉が擦れ合う、うねるようなざわめきばかりである。
 この世に少年が生まれてから15年間、特に大きな変事があったこともない身には、これこそがまさに変事の前兆である等と気付くはずもないが、

「フレッドおおおおおー!!」

と、少年の名を叫びながら、こちらへ必死の形相で飛礫のごとく飛んでくる妖精の姿には、さすがに背筋を伸ばして駆け寄った。

「リュミ、一体どうしたってんだよ」
「は、は、は」

 妖精はあらん限りの速度で飛行してきたらしく、荒い息を懸命に整え喋ろうとしている。
 フレッドは母に持たされた水筒のキャップを素早く開け、中の水を少量、無花果の葉に垂らして飲むように勧めた。
 小さな手が透明な溜りから自分の飲む分を掬い上げ、やっと水分を口にする。
 ごくりと喉を鳴らした後、リュミエールは、今までに見たことのない顔で少年を見上げた。

「ここから逃げよう、フレッド」
「え……はっ?」
「危ないよ、早く逃げなきゃ!」

 ジャイアントスラッグの群れが大移動してる、と焦ったフェアリーは友人に言った。
 今までフレッドの村やこの森が、ジャイアントスラッグに襲われたことはなかったのだが、こないだの地震により棲家を追われたのか何なのか、とにかく大きなナメクジの群れが向かって来るのを、上空から見つけたのだという。

「ケット・シー(猫妖精)のお兄ちゃんも、シルフィード(風の精霊)さんも、ぬめぬめにやられたくなきゃ早く逃げろって」
「っ、村に向かってくるのか!?」
「そう言ってるじゃない!」

 自分の言を疑うのかと咎めるようなリュミエールの声だったが、彼女が肝を潰したことに、フレッドはそばかすの浮いた顔を驚愕に歪めた後、口を引き結んで、逃げるべき己の村へ走り出したのである。

「な、なんで!?」

 リュミエールはフレッドの気が触れたのかと思い、彼を引き戻さんと、先を急ぐ少年の頭部まで飛ぶ高度を調整して後を追った。
 逃げる方向が違うと注意する小さな友人へ一瞥をくれると、

「親父とおふくろが、まだ家にいるんだ!」

と返したフレッドは、さらに勢いよく腕や脚の振りを大きくして村に急いだ。
 あ~だのう~だの、しばし迷う様子を見せたフェアリーだったが、意を決したように頷くと、勇気を奮い起こして彼についていく。
 木を切り出していた場所から村まで、大人の足でも一時間は掛かる距離を、2人は心臓の鼓動が割れ鐘の様になってしまうまで懸命に駆けた。
 尖った枝に掻き切られた腕や頬から流れた血を拭おうともせず、とにかく村に辿り着くことを優先したフレッドだったが――努力が必ず報われる、等という美しい話が、そう都合良く転がっているわけもなく。
 彼が震える膝を叱咤して脚を進めたのは、すでに壊滅し、あちこちがナメクジのいやらしい粘液に覆われてしまった跡地に過ぎなかった。
 ひゅう、と息を呑む。
 体中の水分が汗となり出尽くしたせいか、からからの口中は血の味しかしない。
 その苦さを感じられないほど、彼の目の前に広がる光景は酷かった。

「う」

 赤剥けた身体を横たえているのは、向かいに住んでいるハンナ小母さんだった。首に巻かれたスカーフは、酸を浴びたようにボロボロになっているが、辛うじて残っている若草色に覚えがある。
 体中の骨が複雑に折れ曲がっているのは、ナメクジの下敷きにされたらしい太っちょのポグル。
 納屋ごと押し潰されて内臓が口からはみ出ているのは、こないだ10歳の誕生日を迎えたばかりのジル坊や。
 さらにその向こうにあるのは……。

「う、お、うぇえええ、ぶへっ、おええええ!」

 フレッドが伐採に出かける前、のんびり挨拶や言葉を交わした人たちだった。
 今はもう、どれだけ話しかけても、そこで腐り果てていくだけの肉塊に過ぎない。
 父と母も。
 恐らくは、腰が痛む父を母が支えながら、どこかへ逃げようとしていたのだろう。
 2人は、どこまでが父で、どこからが母なのか、区別がつかないような肉片の澱みになっており――彼らの着ていた衣服がどうにか、その正体を非情にも息子に訴えている。
 胃の内容物の全てを吐き出しても、フレッドはえづいた。
 ジャイアントスラッグは、通常のナメクジのように炎や塩分に弱いものの、厄介なことに酸を吐いたり粘液で生物を足止めする習性を持つ。
 もっと早くにことが分かっていれば、とにかく村に来る前に逃げることだけはできたのだろうが、ナメクジは足音もなければ、鳴き声をあげもしない。 人間が逃げるのに回り込むことも出来ないほど、圧倒的な質量をもって急に現れ、村を文字通りすり潰したのだろう。
 やっと友達に追いついたリュミエールが、ぞっとしたように辺りを見回した後、四つん這いになって胃液を吐くフレッドに気の毒そうな顔を向ける。
 やがて、大きく肩を上下させながらも、唾液や涙でぐちゃぐちゃに醜く歪んだ顔をフレッドが上げた時、太陽は大きく傾きかけていた。

「フレッド……?」

 フェアリーの気遣わしげな震える声に、フレッドは彼女を怖がらせまいと、袖口で乱暴に顔を拭ってから向き合った。
 だって、ここでリュミエールにまで見捨てられたら、フレッドは本当にこの世で独りぼっちになってしまう。それは絶望でしかない。
 フレッドのそんな怯えを嗅ぎ取っているのか定かではないが、彼女は再び、彼の名を呼んだ。

「フレッド」

 歌うたいでもあるリュミエールの独特の声は、いつでもフレッドの耳にはすんなりと届く。

「フレッドってば」

 呼ばわる己の名前に若干の苛立ちを感じた時、フレッドの過去を夢という形で彷徨っていた意識は、いつの間にか現在へ浮上していた。
 フレッドのつんと上を向いた鼻の先を、紫水晶の双眸で彼を覗きこむリュミエールの小さい手が、遠慮なしに幾度も叩いている。

「もう起きたらどう。いい天気だよ」
「………おう」
「すごーく汗掻いてるから、着替える前に拭うと良いよ」

 淡い白の羽を動かし、友人の顔の上から寝台のフレームに立つ場所を移したフェアリーは、何の夢を見たのと無邪気に問うた。
 フレッドは肩を竦めた。

「覚えてねえよ」

 嘘だ。はっきり覚えているし、忘れられるはずもない。
 あの後、リュミエールは自分自身を責めたのだ。人間に姿を見せるリスクを負っても、フレッドに報せる前に村に向かい、巨大ナメクジのことを教えたら良かったと。
 妖精族はおしなべて、多くの人間の前に姿を現すことをよしとはしない。
 人間などというのは強欲で卑怯な種族だと断じ、人除けの結界で覆った自分たちの王国から、けして出ない妖精族もいるくらいである。
 だのに、リュミエールは人命を助けるために人間たちとの接触も止むなしだと――しなかったことを自ら悔いていたのだ。
 それだけ、フレッドの村に転がっていた人間のなれの果てに、衝撃を受けたのだろう。
 フレッド自身は、友人を責める気持ちがどこかになかったとは言わないが、彼女が容易にその選択を出来ないわけも分かっていたので、特にそれを口に出したことはない。
 ことに、孤児となり腑抜けとなっていた元・木こりを匿い立ち直らせ、リューンへ出て冒険者になるという道を示してくれたとあっては。
 ここはフレッドの村のあった緑の都ではなく、西方諸国でも交易都市と名高いリューンの一角。
 まだ年若い女主人が取り仕切る新しい冒険者の宿、≪のんびり柘榴亭≫の部屋のひとつである。
 エセルという名前の宿の主は、旦那が他の宿に属する英雄級の冒険者なのだ。その他の宿の経営者が、老舗への伝手がないために登録が出来ない新米たちが安心して加われる宿をと考え、実際に立ち上げたのがこの店なのだという。
 エセルは宿の給仕をやっていたのだが、才能を見込んだ経営者が支店ともいうべきこの新たな店の責任者として、彼女を送り込んだわけである。
 まだパーティらしいパーティは一組しかおらず、あぶれたフレッドとリュミエールは、自分たちと同じくらいの力量を持つ気の合う新米が≪のんびり柘榴亭≫に現れてくれることを望み、ここ3日待ち続けている状態なのだった。

2019/09/11 12:46 [edit]

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