Fri.
新人と私その4 
山中の獣道は、確かに心得のない人間にとって、道案内をしてくれる相手がいなければすぐ見失ってしまうようなものであった。
だが、妖精のムルによって森や山の歩き方を習い、多々ある植物の判別が容易につくようになってきているミカにとっては、あまり困難な道ではない。
(だから……出来れば、断りたかったんですけど……。)
やはり自分だけでも良かったか、とミカは気が重くなった。
だが、妖精のムルによって森や山の歩き方を習い、多々ある植物の判別が容易につくようになってきているミカにとっては、あまり困難な道ではない。
(だから……出来れば、断りたかったんですけど……。)
やはり自分だけでも良かったか、とミカは気が重くなった。
ゲイラとカイトの2人は、余所者に冷たい村人の例にもれず、ミカにほとんどと言っていいほど話しかけようとしない。
(こんな往路になるのなら、私は1人でも良いのに。)
重苦しい道中に、若者2人に気づかれぬようため息が出る。
楡や楢など、比較的見慣れた木々が視界を覆うようにして生えている中を、ひたすら歩く。
一番前を進むゲイラが、不意に太い幹と茂みへ隠れるようにしてしゃがみ込んだ。
彼女の前方に開けた風景には、お城の石垣のように石を積み上げて作られた洞穴と、その前に立つ見張りの姿が出現した。
ゲイラの手招きで同じようにしゃがんだカイトと、彼女の仕草に注意を払っていたため既に手近な茂みに隠れているミカは、黙って見張りを観察した。
退屈なのだろう、欠伸をしたり、鼻歌を歌ったりしている。
見た限りでは、こちらには全く気付く気配もない。
ゲイラは弓をミカに示し、小声で告げてきた。
「ミカさん、私に任せてくれませんか?自慢の弓で必ずしとめてみせます」
「それはそれで、頼もしいことなんですが……」
ミカは静かに首を横に振った。
そして反論の隙も与えずに、≪喜びの緑≫と名付けられている指輪に魔力を集中させ、桜の花弁を見張りの背後に展開する。

そのまま力ある言葉――【微睡の桜】の呪文を口にすると、花弁からあふれ出した桜の香気が男の嗅覚に届き、たちまち眠りの世界へと引き込まれていく。
「う…………」
見張りの体がへたり込んだ後、ずるずると地面へ力なく横たわる。
あっという間の出来事であり、水際立った手口であった。
初めて見る術の発動に、しばし呆気に取られていたカイトとゲイラだったが、やがて見張りが無力化されたことを理解すると、口々に彼女を「なかなかやるな」「お見事です!」などと褒め出す。
「シッ。ここで喜んでる場合じゃないんです。あの見張りが寝てる内に口轡をして、邪魔にならないよう転がしておかないと」
ミカはテキパキと手ぬぐいを懐から取り出し、それで見張りの口を塞いだ。
冒険者の当たり前の装備であるロープを荷物袋から出し、手際よくぐるぐる巻きにして茂みの奥へと連れて行くため、カイトの手を借りる。
優男のような外見ながら、それでもさすがに男性だと言うべきか、カイトはよろけることもなく見張りを運んでくれた。
後顧の憂いをなくして、アジトへ足を踏み入れようと、小走りに入り口へ近寄った。
落ち着いて改めると、確かに何かの祠らしき彫刻の残骸が、あちこちに見受けられる。
特別な力はどうしても感じ取れないが、トラップを作ってある様子もないし、このまま進んで大丈夫だろうとミカは判断した。
いよいよ侵入しようと、一歩足を踏み出した瞬間。
「うわあぁあああっ!?」
出し抜けに、後ろからついてきていたカイトが大きな驚きの声を上げた。
びくりと肩を震わせたミカが、咎めるように彼へ目をやった。
「………!?」
「ちょ、ちょっと!カイト、なんなのよ!!」
沈着な態度を崩さないゲイラも、これにはさすがにビックリしたようで、顔色を変えて彼を責めている。
カイトは気まずそうに頬を掻きながら言った。
「いや、その…目の前の岩に、僕が嫌いな蛇がいるかと思ったら、ただの蔦だったよ…はは」
あれだけ偉そうに他人を評しておきながら、自分はただの蔦で悲鳴を上げるという醜態は、当人にとっては、ただ恥ずかしくいたたまれないだけのものだろうが……ここは、山賊のアジトの前である。
ミカは怒りと言う感情を既に通り越し、呆れて物の一言すら言えなかった。
ゲイラも自分たちがどこにいるかを思い出したのだろう、
「あんたって本当に馬鹿ね…。と言うか、中にいる山賊に気取られたらどうするのよ……」
と説教している。
痛恨の一事だったが、済んでしまったことを今さらここで咎めても仕方ない。
「…とりあえず、私が中を確認してみましょう」
ミカは揉める2人に声をかけ、そっと中の方を窺ってみた。
誰かが出てくる様子もなく、中が騒がしかったりもしていない。
どことなく引っかかるものを覚えながらも、ミカは音を立てずに引き返してきた。
不安げな表情を見せる若者たちに、小さく――いささか苦味を帯びてはいたが――微笑みかける。
「見た感じでは、気付かれていないと思うのですが、油断は出来ないでしょうね。…ところで、ここの祠の作りは一直線なのですか?」
ゲイラが一拍置いたあと、素直に首肯した。
「…ええ。一本通路の奥に、精霊様を祀った部屋があるのみです。その前に木製ですが、大きな扉がありますよ」
「…なるほど、ありがとうございます」
「カイト、ミカさんにちゃんと謝りなさいよ」
「…………悪かったな」
ゆるく首を横に振ったミカは、
「済んだ事はもういいですよ」
と一言だけ言い、二人に背を向けてアジト内へと足を踏み入れて行った。
祠は確かに一本道だった。
元々は精霊が祀られていただけあり、どこか神々しさを備えている。
ミカの見たところ、内部はあまり広くないため、罠なども仕掛けてはいないようである。
彼女が忍び足で進んでいくと、目の前に頑丈そうな木製の扉が現れた。
ゲイラの言っていた扉だろうと、ミカは中腰になって屈み込み、扉を詳細に調べた。
木製でもかなり重量があるようで、隙間も見当たらない。
罠もなければ、ドアノブの感じからすると、鍵も掛かっていないようである。
(………そう、隙間もないんですか。……”隙間もない”?)
ハッとなって考え込む。
山賊の規模は10人ほどであり、山と積まれた岩に囲まれた地形で、隙もない扉の奥に待機していることを考慮すると、長時間、その状態を維持できるはずはない。
だとしたら、この扉は普段”開けられた”状態であると考えるのが妥当だ。
これが閉まったのは、ではいつなのだろうか?
(ひょっとして……カイトさんが、大声を出した時……でしょうか。)
どう考えてもあれしか考えられない。
…しかし、奴らはなぜ遊撃ではなく篭城を選んだのであろう。
山賊たちの方が明らかに人数が多く、どこで戦っても有利だからか?
そしてミカが突入せず、ここから逃げてしまう可能性は考えていないのだろうか?
(…まさか…”別な意図”が…?)
ミカは、現在自分が直面しているこの出来事が、ただの山賊退治なんかではないような気がしてきた。
そもそもアントゥルの村に入る前に、シシリーを慕う精霊の一体であるスピカが、レイに気づかれぬよう普通の鳥を装ってこちらへ警戒を呼びかけてきてから、なるべく周囲に注意を払っていた。
その注意に引っかかった些細な出来事が、今さらになって彼女の脳を刺激し始めている。
依頼主たるティルア・ライン――続けて読むと、テルアライ(嘘をつく)という名前になる冷たい感じの女性。
彼女はなぜ、「報酬は後日に払う」と言ったのだろう?
ただ単に忙しいのなら、依頼終了の確認が取れてから、狼の隠れ家の亭主を経由してミカに報酬を渡すという選択肢もあったはずだ。
(もしかして、最初から報酬を出すつもりがなかった、としたら。でも、その場合は木箱の運搬依頼そのものが偽物であるということになります。……あるいは、それが正解なら、)
正解、なのだとしたら。
アントゥルの村についてから、村長の家を示す”新しい”看板があった。
冒険者を嫌うようになったのは2年前からの話だと言うのに、なぜ新たな案内板を余所者のために作ってあるのか。
(それに……あの時の女の子。)
ミカの脳裏に、村を訪れてすぐに出会った、蝶を追いかけている幼女の姿が浮かぶ。
アンジェのようなお団子頭に髪を結ったその子どもは、村長の家の所在を確認しようとしたミカが話しかけると、目を輝かせて返答してくれた。
まだ警戒心も持たない子どもだから懐いてきた、ということも考えられるが、その後で気色ばんで我が子を追いかけてきた母親が、

「話しては駄目と言ったはずでしょう!」
とヒステリックに注意していた。
これではまるで、”昨日にでも注意したばかり”のような叱責である。
(そして……村長の話の、矛盾。)
オルゴールの鍵を村長が所有しているかどうかに関して、ティルアは「もしかしたら持っているかも」と言う曖昧な表現を使用していた。
つまり、あの親子は連絡を取り合っていないはずなのに、村長ははっきりと「連絡をもらって鍵を探した」と言っていた。
(これはあまりにも辻褄が合っていない…。それに、山賊が襲ってきたタイミングもおかしいと言えます。私がちょうど、あの部屋を出ようとした時に、だなんて……。普通なら、冒険者のような厄介な存在が立ち去るのを待つはずなのに、彼らはそうしなかった。それは……私に用があったから……?)
ただ1人だけ訪れた冒険者に対してアクションを起こすべく、彼らが送られた合図を機に部屋へ飛び込んできたとするなら、合図を出した人物こそが、今回の件の黒幕なはずだ。
ミカはたった一つだけ、山賊が動くチャンスだと知り得ただろう出来事を目撃していた。
徹頭徹尾、冒険者を監視するための役目を担っていた人。
これまで積み上げてきた矛盾が、集約していくただ1人の人物。
大人しそうな性格と物腰をしていると思っていたのに、急に普通の人とも思えない非常識さを表した女性。
「……レイ、が……?」
ミカはぞくりと身を震わせて呟いた。
人に騙されるのは初めてとは言わないが、その悪意の篭った用意周到さに、さすがに不安が雨雲のように垂れ込めてくる。
(ですが、もし首謀者がレイだとしても素直に白状するかどうかは…。…ここは一つ、カマをかけてみるしかありません)
深呼吸をして気を落ち着かせると、ミカは原初の森からつれて来た木霊を【喜びの緑】から呼び出し、マントの影に潜ませた。
そして、勇気を奮い起こし……木製の扉を、彼女の華奢な手が思い切って開けた。
奥の部屋にいた全員が、彼女を視線の槍で突き刺す。
目を見開いた山賊の頭領が、鋭く舌打ちする。
「てめえは冒険者っ!?あの村長め、こいつを雇うとは…!」
「ミカさん!来て下さるって信じていました!助けてください!」
「てめぇは黙っていやがれ!」
蛇のように素早く伸びた頭領の腕が、レイのほっそりした首に絡み、容赦なく締め上げようとしている。
「ぅ、ぅぅぅぅ…ミカ…さ…んっ……!」
ミカの常緑樹の色をした双眸が、何の感情も浮かべずにそれを映している。
一歩。そして、もう一歩を、踏み出す。
「う、ぅぅ……?」
「お、おいっ」
また一歩、ゆっくりと……制止する声も聞かずに、ミカはレイに向かってゆっくりと歩み寄って行く。
「て、てめえ!これ以上近づいたら、この女の命はないぞ!!!」
「………」
山賊頭領の脅しにたじろぐこともなく、ミカはまた一歩ゆっくりと踏み込む…!
「だ、だから…てめえ!」
「……本当にレイの命を奪えるのですか?」
「……な、なんだと!?」
「出来ないんでしょう?…やっぱりそうですよね。あなたたち、グルですから…」
「―――!」
山賊頭領の顔から明らかに血の気が引き、全身の力が抜けていった。
彼とは裏腹に、レイの美少女然として整った顔が、見る見るうちに凶悪な表情を浮かべていく。
「ったく、使えねえ野郎だ!たかだかこんなバカの脅しに乗るなんてよ!…しかし、俺が情報収集して判断した以上に利口じゃねえか、ミカさんよ…?」
今までのレイとは思えないほど、野太く、低い声がその可憐な唇から発せられた。
そして、「俺」と言う男の一人称…。
レイは唐突に上着を全て脱いで上半身を露わにし、自らの性別が男性であることを無言のうちに明かした。

「俺の名前はレイド…レイド・クラウン。…裏通りでね、”旗を掲げる爪”の暗殺依頼が出ていてね…。あんた、お尋ね者なんだよ…裏じゃね…くくく」
「!!」
ミカがさすがに顔色を変えると、それを愉快そうに眺めた後、レイドはすっと指を折って話を続けた。
「1匹殺せば銀貨十万枚。2匹殺せば銀貨二十万枚…。割の良い仕事だろ?世の中、英雄様になると、どういう人間から恨みを買うか分からないもんだねェ…くくく」
「レイド・クラウン…」
ミカは、ナイトとコンビを組んでいた時分に、その名前を聞いた覚えがあった。
”白き夢魔”と並び称される、非情かつ残忍なことで知られる暗殺者。
その男の顔を見たものは皆無で、今まで何人が彼に殺されてきたか…。
(治安隊もレイドの捜索を続けていたはずですが、決して彼を見つけることはなかった。見つからないわけですよ。このように女顔で、しかも女装して行動しているなら……!)
ぎり、とミカは奥歯を噛み締めた。
「ま、さすがにただの人間を殺すのとは違うからな、大舞台を用意してやったんだぜ?さらに…お前を殺す為に、報酬金の一部を皆に撒かなくてはならないんだよ…大変なんだぞ」
「参考までに、どちらにまで支払いの義務があるのか伺いたいものですね」
存外、落ち着いた彼女の声音に、さすがに訝しいものを感じたレイドだったが、ミカのことを調べ尽くし、彼女が接近戦に向いた人材ではないことを理解しているために、フンと鼻を鳴らすようにしてリクエストに応えた。
「裏にいる山賊役のこいつらももちろん、アントゥルの村にも、そしてあの女にもな…」
「あの女…まさか…依頼人の…!」
「くくく、その通り…」
その時、あるはずの無い声が響いた。
「あら、あたしを呼んだ?」
(こんな往路になるのなら、私は1人でも良いのに。)
重苦しい道中に、若者2人に気づかれぬようため息が出る。
楡や楢など、比較的見慣れた木々が視界を覆うようにして生えている中を、ひたすら歩く。
一番前を進むゲイラが、不意に太い幹と茂みへ隠れるようにしてしゃがみ込んだ。
彼女の前方に開けた風景には、お城の石垣のように石を積み上げて作られた洞穴と、その前に立つ見張りの姿が出現した。
ゲイラの手招きで同じようにしゃがんだカイトと、彼女の仕草に注意を払っていたため既に手近な茂みに隠れているミカは、黙って見張りを観察した。
退屈なのだろう、欠伸をしたり、鼻歌を歌ったりしている。
見た限りでは、こちらには全く気付く気配もない。
ゲイラは弓をミカに示し、小声で告げてきた。
「ミカさん、私に任せてくれませんか?自慢の弓で必ずしとめてみせます」
「それはそれで、頼もしいことなんですが……」
ミカは静かに首を横に振った。
そして反論の隙も与えずに、≪喜びの緑≫と名付けられている指輪に魔力を集中させ、桜の花弁を見張りの背後に展開する。

そのまま力ある言葉――【微睡の桜】の呪文を口にすると、花弁からあふれ出した桜の香気が男の嗅覚に届き、たちまち眠りの世界へと引き込まれていく。
「う…………」
見張りの体がへたり込んだ後、ずるずると地面へ力なく横たわる。
あっという間の出来事であり、水際立った手口であった。
初めて見る術の発動に、しばし呆気に取られていたカイトとゲイラだったが、やがて見張りが無力化されたことを理解すると、口々に彼女を「なかなかやるな」「お見事です!」などと褒め出す。
「シッ。ここで喜んでる場合じゃないんです。あの見張りが寝てる内に口轡をして、邪魔にならないよう転がしておかないと」
ミカはテキパキと手ぬぐいを懐から取り出し、それで見張りの口を塞いだ。
冒険者の当たり前の装備であるロープを荷物袋から出し、手際よくぐるぐる巻きにして茂みの奥へと連れて行くため、カイトの手を借りる。
優男のような外見ながら、それでもさすがに男性だと言うべきか、カイトはよろけることもなく見張りを運んでくれた。
後顧の憂いをなくして、アジトへ足を踏み入れようと、小走りに入り口へ近寄った。
落ち着いて改めると、確かに何かの祠らしき彫刻の残骸が、あちこちに見受けられる。
特別な力はどうしても感じ取れないが、トラップを作ってある様子もないし、このまま進んで大丈夫だろうとミカは判断した。
いよいよ侵入しようと、一歩足を踏み出した瞬間。
「うわあぁあああっ!?」
出し抜けに、後ろからついてきていたカイトが大きな驚きの声を上げた。
びくりと肩を震わせたミカが、咎めるように彼へ目をやった。
「………!?」
「ちょ、ちょっと!カイト、なんなのよ!!」
沈着な態度を崩さないゲイラも、これにはさすがにビックリしたようで、顔色を変えて彼を責めている。
カイトは気まずそうに頬を掻きながら言った。
「いや、その…目の前の岩に、僕が嫌いな蛇がいるかと思ったら、ただの蔦だったよ…はは」
あれだけ偉そうに他人を評しておきながら、自分はただの蔦で悲鳴を上げるという醜態は、当人にとっては、ただ恥ずかしくいたたまれないだけのものだろうが……ここは、山賊のアジトの前である。
ミカは怒りと言う感情を既に通り越し、呆れて物の一言すら言えなかった。
ゲイラも自分たちがどこにいるかを思い出したのだろう、
「あんたって本当に馬鹿ね…。と言うか、中にいる山賊に気取られたらどうするのよ……」
と説教している。
痛恨の一事だったが、済んでしまったことを今さらここで咎めても仕方ない。
「…とりあえず、私が中を確認してみましょう」
ミカは揉める2人に声をかけ、そっと中の方を窺ってみた。
誰かが出てくる様子もなく、中が騒がしかったりもしていない。
どことなく引っかかるものを覚えながらも、ミカは音を立てずに引き返してきた。
不安げな表情を見せる若者たちに、小さく――いささか苦味を帯びてはいたが――微笑みかける。
「見た感じでは、気付かれていないと思うのですが、油断は出来ないでしょうね。…ところで、ここの祠の作りは一直線なのですか?」
ゲイラが一拍置いたあと、素直に首肯した。
「…ええ。一本通路の奥に、精霊様を祀った部屋があるのみです。その前に木製ですが、大きな扉がありますよ」
「…なるほど、ありがとうございます」
「カイト、ミカさんにちゃんと謝りなさいよ」
「…………悪かったな」
ゆるく首を横に振ったミカは、
「済んだ事はもういいですよ」
と一言だけ言い、二人に背を向けてアジト内へと足を踏み入れて行った。
祠は確かに一本道だった。
元々は精霊が祀られていただけあり、どこか神々しさを備えている。
ミカの見たところ、内部はあまり広くないため、罠なども仕掛けてはいないようである。
彼女が忍び足で進んでいくと、目の前に頑丈そうな木製の扉が現れた。
ゲイラの言っていた扉だろうと、ミカは中腰になって屈み込み、扉を詳細に調べた。
木製でもかなり重量があるようで、隙間も見当たらない。
罠もなければ、ドアノブの感じからすると、鍵も掛かっていないようである。
(………そう、隙間もないんですか。……”隙間もない”?)
ハッとなって考え込む。
山賊の規模は10人ほどであり、山と積まれた岩に囲まれた地形で、隙もない扉の奥に待機していることを考慮すると、長時間、その状態を維持できるはずはない。
だとしたら、この扉は普段”開けられた”状態であると考えるのが妥当だ。
これが閉まったのは、ではいつなのだろうか?
(ひょっとして……カイトさんが、大声を出した時……でしょうか。)
どう考えてもあれしか考えられない。
…しかし、奴らはなぜ遊撃ではなく篭城を選んだのであろう。
山賊たちの方が明らかに人数が多く、どこで戦っても有利だからか?
そしてミカが突入せず、ここから逃げてしまう可能性は考えていないのだろうか?
(…まさか…”別な意図”が…?)
ミカは、現在自分が直面しているこの出来事が、ただの山賊退治なんかではないような気がしてきた。
そもそもアントゥルの村に入る前に、シシリーを慕う精霊の一体であるスピカが、レイに気づかれぬよう普通の鳥を装ってこちらへ警戒を呼びかけてきてから、なるべく周囲に注意を払っていた。
その注意に引っかかった些細な出来事が、今さらになって彼女の脳を刺激し始めている。
依頼主たるティルア・ライン――続けて読むと、テルアライ(嘘をつく)という名前になる冷たい感じの女性。
彼女はなぜ、「報酬は後日に払う」と言ったのだろう?
ただ単に忙しいのなら、依頼終了の確認が取れてから、狼の隠れ家の亭主を経由してミカに報酬を渡すという選択肢もあったはずだ。
(もしかして、最初から報酬を出すつもりがなかった、としたら。でも、その場合は木箱の運搬依頼そのものが偽物であるということになります。……あるいは、それが正解なら、)
正解、なのだとしたら。
アントゥルの村についてから、村長の家を示す”新しい”看板があった。
冒険者を嫌うようになったのは2年前からの話だと言うのに、なぜ新たな案内板を余所者のために作ってあるのか。
(それに……あの時の女の子。)
ミカの脳裏に、村を訪れてすぐに出会った、蝶を追いかけている幼女の姿が浮かぶ。
アンジェのようなお団子頭に髪を結ったその子どもは、村長の家の所在を確認しようとしたミカが話しかけると、目を輝かせて返答してくれた。
まだ警戒心も持たない子どもだから懐いてきた、ということも考えられるが、その後で気色ばんで我が子を追いかけてきた母親が、

「話しては駄目と言ったはずでしょう!」
とヒステリックに注意していた。
これではまるで、”昨日にでも注意したばかり”のような叱責である。
(そして……村長の話の、矛盾。)
オルゴールの鍵を村長が所有しているかどうかに関して、ティルアは「もしかしたら持っているかも」と言う曖昧な表現を使用していた。
つまり、あの親子は連絡を取り合っていないはずなのに、村長ははっきりと「連絡をもらって鍵を探した」と言っていた。
(これはあまりにも辻褄が合っていない…。それに、山賊が襲ってきたタイミングもおかしいと言えます。私がちょうど、あの部屋を出ようとした時に、だなんて……。普通なら、冒険者のような厄介な存在が立ち去るのを待つはずなのに、彼らはそうしなかった。それは……私に用があったから……?)
ただ1人だけ訪れた冒険者に対してアクションを起こすべく、彼らが送られた合図を機に部屋へ飛び込んできたとするなら、合図を出した人物こそが、今回の件の黒幕なはずだ。
ミカはたった一つだけ、山賊が動くチャンスだと知り得ただろう出来事を目撃していた。
徹頭徹尾、冒険者を監視するための役目を担っていた人。
これまで積み上げてきた矛盾が、集約していくただ1人の人物。
大人しそうな性格と物腰をしていると思っていたのに、急に普通の人とも思えない非常識さを表した女性。
「……レイ、が……?」
ミカはぞくりと身を震わせて呟いた。
人に騙されるのは初めてとは言わないが、その悪意の篭った用意周到さに、さすがに不安が雨雲のように垂れ込めてくる。
(ですが、もし首謀者がレイだとしても素直に白状するかどうかは…。…ここは一つ、カマをかけてみるしかありません)
深呼吸をして気を落ち着かせると、ミカは原初の森からつれて来た木霊を【喜びの緑】から呼び出し、マントの影に潜ませた。
そして、勇気を奮い起こし……木製の扉を、彼女の華奢な手が思い切って開けた。
奥の部屋にいた全員が、彼女を視線の槍で突き刺す。
目を見開いた山賊の頭領が、鋭く舌打ちする。
「てめえは冒険者っ!?あの村長め、こいつを雇うとは…!」
「ミカさん!来て下さるって信じていました!助けてください!」
「てめぇは黙っていやがれ!」
蛇のように素早く伸びた頭領の腕が、レイのほっそりした首に絡み、容赦なく締め上げようとしている。
「ぅ、ぅぅぅぅ…ミカ…さ…んっ……!」
ミカの常緑樹の色をした双眸が、何の感情も浮かべずにそれを映している。
一歩。そして、もう一歩を、踏み出す。
「う、ぅぅ……?」
「お、おいっ」
また一歩、ゆっくりと……制止する声も聞かずに、ミカはレイに向かってゆっくりと歩み寄って行く。
「て、てめえ!これ以上近づいたら、この女の命はないぞ!!!」
「………」
山賊頭領の脅しにたじろぐこともなく、ミカはまた一歩ゆっくりと踏み込む…!
「だ、だから…てめえ!」
「……本当にレイの命を奪えるのですか?」
「……な、なんだと!?」
「出来ないんでしょう?…やっぱりそうですよね。あなたたち、グルですから…」
「―――!」
山賊頭領の顔から明らかに血の気が引き、全身の力が抜けていった。
彼とは裏腹に、レイの美少女然として整った顔が、見る見るうちに凶悪な表情を浮かべていく。
「ったく、使えねえ野郎だ!たかだかこんなバカの脅しに乗るなんてよ!…しかし、俺が情報収集して判断した以上に利口じゃねえか、ミカさんよ…?」
今までのレイとは思えないほど、野太く、低い声がその可憐な唇から発せられた。
そして、「俺」と言う男の一人称…。
レイは唐突に上着を全て脱いで上半身を露わにし、自らの性別が男性であることを無言のうちに明かした。

「俺の名前はレイド…レイド・クラウン。…裏通りでね、”旗を掲げる爪”の暗殺依頼が出ていてね…。あんた、お尋ね者なんだよ…裏じゃね…くくく」
「!!」
ミカがさすがに顔色を変えると、それを愉快そうに眺めた後、レイドはすっと指を折って話を続けた。
「1匹殺せば銀貨十万枚。2匹殺せば銀貨二十万枚…。割の良い仕事だろ?世の中、英雄様になると、どういう人間から恨みを買うか分からないもんだねェ…くくく」
「レイド・クラウン…」
ミカは、ナイトとコンビを組んでいた時分に、その名前を聞いた覚えがあった。
”白き夢魔”と並び称される、非情かつ残忍なことで知られる暗殺者。
その男の顔を見たものは皆無で、今まで何人が彼に殺されてきたか…。
(治安隊もレイドの捜索を続けていたはずですが、決して彼を見つけることはなかった。見つからないわけですよ。このように女顔で、しかも女装して行動しているなら……!)
ぎり、とミカは奥歯を噛み締めた。
「ま、さすがにただの人間を殺すのとは違うからな、大舞台を用意してやったんだぜ?さらに…お前を殺す為に、報酬金の一部を皆に撒かなくてはならないんだよ…大変なんだぞ」
「参考までに、どちらにまで支払いの義務があるのか伺いたいものですね」
存外、落ち着いた彼女の声音に、さすがに訝しいものを感じたレイドだったが、ミカのことを調べ尽くし、彼女が接近戦に向いた人材ではないことを理解しているために、フンと鼻を鳴らすようにしてリクエストに応えた。
「裏にいる山賊役のこいつらももちろん、アントゥルの村にも、そしてあの女にもな…」
「あの女…まさか…依頼人の…!」
「くくく、その通り…」
その時、あるはずの無い声が響いた。
「あら、あたしを呼んだ?」
2017/04/28 19:21 [edit]
category: 新人と私
tb: -- cm: 0
コメント
コメントの投稿
| h o m e |