Fri.
緊急の依頼にてその3 
レイスに似たローブ姿の生物が新月刀で斬りかかって来るのを、小柄な肢体が俊敏な蜂のように回避し続ける。
死霊かと最初勘違いしたのだが実体はあるようで、アンジェの振るう糸や短剣は確実に相手へダメージを及ぼしていた。
先ほど、Cブロックで奮闘している研究員からの援護要請に引き続き、悲鳴も聞こえてきていたのだが――今では、不気味なほど沈黙を保っている。
さらにアンジェへ追いすがろうとした敵を、ロンドがスコップの一閃で吹き飛ばす。
死霊かと最初勘違いしたのだが実体はあるようで、アンジェの振るう糸や短剣は確実に相手へダメージを及ぼしていた。
先ほど、Cブロックで奮闘している研究員からの援護要請に引き続き、悲鳴も聞こえてきていたのだが――今では、不気味なほど沈黙を保っている。
さらにアンジェへ追いすがろうとした敵を、ロンドがスコップの一閃で吹き飛ばす。
敵の半壊した死体を慌てて避けたウィルバーが、
「気をつけてください!」
と文句を言った。
Aブロックにひしめいていた15体の敵の姿も、パーティの奮闘により確実にその数を減じており、最後の一人をウィルバーが【凍て付く月】による氷雪の発動で始末した。

「ふう…。これで終わりですね」
「それにしても――研究員たち、息があるだろうか?」
「シッ、ナイト。それは禁句だよ。…ま、あたしも、ちょっと怪しいなと思っているけど」
仲間を窘めながら、Cブロックに続くと目される扉を手際よく調べていく。
「よし、鍵も罠もないね。このままいけるよ」
「ナイト、開けてくれますか?」
「もちろんだ」
この施設で一体何を研究していたのか、ひとつひとつのドアはかなり大きめに設置されており、廊下も人間3人が楽に手を広げて歩けるほどのスペースが取られている。
当然、今しがたアンジェが調査したドアもちょっとした重量があり、ナイトは進んで開いた。
月明かりに蒼く染まった廊下は、魔法エネルギーによるバリアが展開された状態で、外の光景が見えるようになっている。
「…ここからの依頼を成し遂げれば、自然と冒険者としての名声も上がるんでしょうけど…」
「姉ちゃんが言いたいこと、分かるよ」
アンジェは短く同意した。
「この施設、普通じゃないよ。後ろめたいことやってるのは確かだろうね」
「もう一つのパーティはどうなってるかな。どれ、確かめてみよう」
ロンドはシシリーから≪リングパール≫を受け取ると、青い球に向かって問いかけた。
「こちらロンド。聞こえてるか?」
『ああ。だがこっちは、まだ少し時間が掛かる。あと残り30はいる…』
『そっちの調子はどうなの?』
「こっちは片付いた。今、Cブロックに向かっている」
『先に頼むわね。こっちも片付き次第、すぐそっちに向かうわ!』
「了解した。急いでいらん怪我をこさえるなよ」
そう言うと、向こうからエレンの笑っている声が聞こえた。
「向こうのエリアの方が、敵は多かったようだな。ま、あれなら大丈夫そうだが」
「ええ。それに、今さら作戦を変更するわけにはいきません……よね」
ミカは左手の中指に嵌めた≪喜びの緑≫の魔力を感じつつ、前方の闇を睨みつけていた。
視線の先には、黒いローブに身を包んだ人間と思われる姿がある。
しかし、その全身から発せられる殺気と――おぞましいほどの瘴気。
「もう援護の冒険者が到着してしまうとは、なかなかの手際の良さ…感心したぞ」
「あなたが今回の襲撃者の親玉といったところか」
そう言いながら、ナイトはくいっと剣を肩に乗せる。
「ふっ、好きに判断すればよい。そなた達が真に私と戦うに値する存在かどうか…示してもらおうか」
「奥へ逃げるつもりか。簡単に行かせるつもりはない」
「なら、止めてみせるがいい、鎧人形よ」
相手が何かの詠唱のような仕草を始めた。
これが依頼主の言っていた”高度な魔法”であることは間違いないだろう――冒険者たちは、そうはさせじと一気に彼我の距離を詰めようと走る。
立ちはだかるレイスもどきの生物たちを、邪魔だの一言で払いのけ、部屋の隅へと吹き飛ばした。
あと一息というところ、まさに数十センチの差で、アンジェの鋼糸やナイトの剣よりも早く、相手の呪文が完成する。

「HMAYMHNMYΨXHALMWDΨMHY……ΨMF!!」
「な……何ですか、あの呪文!?」
「構えてください、ミカ!」
そう警告したウィルバーは、自身も発動体である≪海の呼び声≫をギュッと握り直し、風を集めて味方たちの足に絡むよう短い詠唱をした。
たちまち俊敏に動けるようになったパーティは、さらに追従するように唱えられたミカとナイトの支援魔法によって、二重三重の加護を得る。
そんな彼らの前に現れたのは、今まで見たこともない異形の怪物たちであった。
鋼の骨格に覆われた人間大の化け物が1ダース、その他にびっしりと生えた牙を持つ頭がふたつある大きな獣と、東方の”刀”で構成されたような外見を持つ獣と同じ大きさの昆虫が、冒険者たちの前に立ち塞がっている。
それを見届けた首謀者は、燕のごとく身を翻して奥のエリアへと消えていった。
ミカが白い額に冷や汗を滲ませて呟く。
「複数召喚!そんな馬鹿な……」
「あの召喚師、恐らくは魔族です。昔、霧の立ち込める街レンドルで、似たような詠唱を聞いたことがあります」
「おいおい、ウィルバーさん。相手がなんだろうと、やることは一つだろ」
すかさず前に踏み込み、躊躇いなく生臭い息を吐く獣に向かってスコップを突き立てる。
咆哮がCブロックに響き渡った。
シシリーが愛剣を水平に構えて吐息をついた。
「ユイノたち、まだみたいね」
「自分たちにちょっとした運があるなら、戦いの途中でまみえることもあるだろう」
がしゃん、とつや消しの黒い鎧が鳴り、ナイトの構える剣の刃から翡翠色の炎が噴き上がる。
それと同時に影が魔法陣と化して、雪で構成された馬が現れる。
馬に飛び乗ると、ナイトの周囲に風の乙女達が防護壁を作り始めた。
「何なら、彼らが駆けつける前に我々で片付けてしまえばいい」
「ずいぶん強気な発言だけど、悪くないね」
現実的だし、と付け加えたアンジェが腕輪から糸を引き出す。
「みんな、いくよ!」
昆虫のような敵の動きをシシリーが抑え、大きな獣をロンドとアンジェが、他の雑魚たちをミカとナイトがそれぞれの技や魔法で打ち払う。
一番後ろの位置についたウィルバーは、強敵に備えて宿の物置から買い上げた攻撃魔法【エル・レナル】の長い詠唱に集中し始めた。
強力な魔力の篭った弾丸は、賢者の搭で教える【魔法の矢】を遥かに凌ぐ攻撃力と速度で術者の敵に襲い掛かるが、扱い慣れない分だけ準備に時間がかかるのである。
魔法使いのぎこちない動きを察知したか、2体の巨体が、まるで息を合わせたかのように、同時に冒険者たちへ突進してきた。
「っ!みんな、避けて!」
シシリーの叫びに、近接攻撃を担当している者たちは即座に反応できたが、やはりウィルバーと、同じく【花嵐の宴】で雑魚を狙っていたミカが回避行動に後れを取る。
跳ね飛ばされ、3メートルは吹っ飛んだウィルバーが呻き声を上げた。
「くっ……。連携攻撃までするなんて…皆さん、気を付けて下さい!」
「おっちゃん、大丈夫!?」
慌てて後ろを振り返ったアンジェは、比較的素早く彼が立ち上がったことに安堵した。
彼女が余所見した隙に、鋼の骨格に覆われた兵士たちが鉤爪で襲い掛かってくるのを、≪早足の靴≫や【風の鎧】の加護で残像すら残しながら避けていく。
双頭の獣が振り回した尾が、雪の馬に騎乗しているナイトを横殴りし、彼は慌てて馬にしがみ付いた。
「厄介な攻撃だな…」
ナイトは身体に反動をつけると、再び馬に跨り、愛剣の長い刃に聖なる力の波動を集めて一気に敵陣へと解き放った。
かつては伝説の聖剣にのみ可能とされていた技――【極光の斬撃】は、雑魚敵の半分を巻き込み、さらに大きな双頭の獣や昆虫に似た怪物にも深い傷を刻み込んだ。

「大分減ってきたわね……あと少しよ、みんな!」
「おう!」
「まっかせといて!」
景気よく応えたロンドとアンジェの波状攻撃が、たちまち相手の体力を削っていく。
シシリーが噛まれ毒を受けたものの、すぐに鉱精が癒し、さらに追撃しようとした相手には、ロンドの頭上を旋回しながら弓を準備していた妖精ムルが、白い光に包まれた矢を射込んで邪魔する。
さらに体勢を立て直したミカが、二度の【花嵐の宴】でナイトが打ち漏らしていた敵を、的確に花弁の刃で切り刻んだ。
絶え間ない冒険者たちの攻撃に、先に辟易したのは刃の生えた昆虫の方だった。
「~~~~~!!」
決して人では表せぬ怒りの咆哮を発し、長大な剣に相当する腕をシシリーに振り下ろす。
彼女はそれを辛うじて≪Beginning≫で防いだ。
ガァィイン!という響きの後に、耳障りな雑音を立ててふたつの刃が噛み合う。
昆虫の腕が、武器ごと破壊せんとシシリーの頭部へ刃の距離を狭める。
「く……うう…」
「姉ちゃん!」
全力を込めようとしていたために身動き取れぬ奇怪な虫を、咄嗟に刃の峰の部分に飛び乗ったアンジェが、大妖魔も仕留めた毒ナイフで刺した。
たちまち昆虫の全身に麻痺毒が回り出す。
巨体を部屋のあちこちにぶつけ、断末魔と目前の死を乱暴に表現しようとしたが、希少な蛇から抽出した毒は、敵にそんな暇を与えることすらしなかった。
たちまち轟音と共に倒れた相手を、とうの昔に宙返りしてその身体から下りていた加害者が、にやりと笑って見下ろした。
ほぼ同時に、ロンドも獣の懐近くまで入り込み、その牙を掻い潜りながらスコップを突き上げる。
「お前の墓はここだ、獣!」
双頭の獣――バルバラスという名を冠していた幻の魔獣は、喉に刺さった人間の武器が、赤とオレンジに彩られた魔法の炎を噴き上げたことに気付いたが、既にそれに耐える体力もなかった。
「あんたら、さすがだな」
後ろから聞き覚えのある声がした。
聴覚には自信を持つアンジェは、血を拭った鋼糸を腕輪に巻き戻しながら、先ほど≪リングパール≫で通信した相手に文句をつける。
「見てたんだったら、少しは手伝ってもいいと思うけど」
「遅れてごめんなさいね。ちょうど今来たところなのです」
背に負った瓢箪の位置を微妙に直しつつ、ユイノが律儀に応えた。
もとより、本気で怒っていたわけではない。
アンジェは一つ肩を竦めると、昆虫に刺したままの短剣を回収しに行った。
その様子を黙って見守っていたエレンが、今度はシシリーやナイトに向き直って話を続ける。
「手間をかけさせたわね。それにしても……≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪。噂に違わないわ」
「私たちは名前くらいしか名乗っていないが。こちらを知っていたのか?」
「まぁな。この辺りの冒険者では、あんたたち有名だからな」
「有名……ね。悪名じゃなきゃいいんだけど」
「謙遜はいらないわ」
シシリーの言葉に、エレンが真面目な顔で諭す。
これだけの美貌の持ち主が真剣な表情になると、迫力が倍増して落ち着かない気分にさせられるものだが、シシリーは怯む色もなく麗人を見返した。
「噂は結構聞いていたけど、これほどのものだとは……ね。正直、驚いたわ」
「そう……ですか?」

「あれほどの強敵2体を、たったこれだけの人数で倒すんだから」
深沈たる黒い双眸が、あちこちが砕けている部屋の中や、半分以上黒焦げになっている魔獣の死体に残っている傷跡などをしげしげと眺めてから、彼女は再び口を開いた。
「最果ての魔女や黄昏の森の大妖魔を倒したというのも、なるほど納得できるわね」
「僕もあなたたちには驚かされましたよ。全く…大したものです」
レナードは貴重な眼鏡の曇りをハンカチで拭い、そっと繊細な手つきで掛け直した。
彼の声音は、作戦を打ち合わせたいた時と同じくらい平静であったが、底流にはほとほと感心したといった感情が感じ取れる。
人懐こい笑みを浮かべたラファエロが、赤毛の魔術師に向かってウィンクをした。
「そうだな…この依頼が終わったら、今夜はミカたちの宿で呑み決定だな。あとでゆっくり、お互いのことを語るとしよう」
「え、ええっ!?」
「あっちはからかってるだけだ、動揺するなよ」
分厚い掌をポンとミカの頭頂部に置いたロンドが、色白な顔を赤く染めた仲間に忠告する。
そして、やぶ睨みの目が、案外と柔らかな様子でラファエロを捕らえた。
「ま、ミカを口説くのはあんたの勝手だがな。その前にちゃんと『生き残って』くれよ」
「俺たちとあんたたちがいれば、ちょっとやそっとじゃやられないだろ?」
「だといいのですけど、ね」
ウィルバーがそっと息を吐いた。
今回の首謀者は、魔族が使うような特殊な詠唱で、異様な複数召喚を成し遂げた。
とてもじゃないが、舐めてかかれるような相手じゃないと察しているのである。
恐らくは、奥の手の一つや二つは隠し持っていてもおかしくないだろう。
ラファエロたちも加わった一行は、ここで依頼主より貰っていた回復アイテム≪活力の霊薬≫を焚いて傷を癒すことにした。
これは無差別に香りが周囲へ広がるため、戦闘時などに使用すると敵まで回復してしまうのである。
首謀者との決戦前に使用すべきだろう、というウィルバーの指摘に逆らう者はいなかった。
爽やかで清々しい初夏の高原のような香りが辺りに満ちて、旗を掲げる爪やラファエロたちの身体に刻まれている戦いの痕を、ゆっくりと消し去っていく。
ウィルバーは試しに己の杖である≪海の呼び声≫に魔力を集中させてみて、先ほど【エル・レナル】のような上級の魔法で使ってしまった力が、また自分の中で渦巻いているのを感じ取った。
「……そろそろいいでしょう。次へ進みませんか?」
「つまり、この事態の首謀者にお目にかかるってことね。いいわよ」
エレンが薄毛の魔術師の促しに首肯して、槍を手に取った。
他の仲間たちも、各々の得物を手にして立ち上がる。
「気をつけてください!」
と文句を言った。
Aブロックにひしめいていた15体の敵の姿も、パーティの奮闘により確実にその数を減じており、最後の一人をウィルバーが【凍て付く月】による氷雪の発動で始末した。

「ふう…。これで終わりですね」
「それにしても――研究員たち、息があるだろうか?」
「シッ、ナイト。それは禁句だよ。…ま、あたしも、ちょっと怪しいなと思っているけど」
仲間を窘めながら、Cブロックに続くと目される扉を手際よく調べていく。
「よし、鍵も罠もないね。このままいけるよ」
「ナイト、開けてくれますか?」
「もちろんだ」
この施設で一体何を研究していたのか、ひとつひとつのドアはかなり大きめに設置されており、廊下も人間3人が楽に手を広げて歩けるほどのスペースが取られている。
当然、今しがたアンジェが調査したドアもちょっとした重量があり、ナイトは進んで開いた。
月明かりに蒼く染まった廊下は、魔法エネルギーによるバリアが展開された状態で、外の光景が見えるようになっている。
「…ここからの依頼を成し遂げれば、自然と冒険者としての名声も上がるんでしょうけど…」
「姉ちゃんが言いたいこと、分かるよ」
アンジェは短く同意した。
「この施設、普通じゃないよ。後ろめたいことやってるのは確かだろうね」
「もう一つのパーティはどうなってるかな。どれ、確かめてみよう」
ロンドはシシリーから≪リングパール≫を受け取ると、青い球に向かって問いかけた。
「こちらロンド。聞こえてるか?」
『ああ。だがこっちは、まだ少し時間が掛かる。あと残り30はいる…』
『そっちの調子はどうなの?』
「こっちは片付いた。今、Cブロックに向かっている」
『先に頼むわね。こっちも片付き次第、すぐそっちに向かうわ!』
「了解した。急いでいらん怪我をこさえるなよ」
そう言うと、向こうからエレンの笑っている声が聞こえた。
「向こうのエリアの方が、敵は多かったようだな。ま、あれなら大丈夫そうだが」
「ええ。それに、今さら作戦を変更するわけにはいきません……よね」
ミカは左手の中指に嵌めた≪喜びの緑≫の魔力を感じつつ、前方の闇を睨みつけていた。
視線の先には、黒いローブに身を包んだ人間と思われる姿がある。
しかし、その全身から発せられる殺気と――おぞましいほどの瘴気。
「もう援護の冒険者が到着してしまうとは、なかなかの手際の良さ…感心したぞ」
「あなたが今回の襲撃者の親玉といったところか」
そう言いながら、ナイトはくいっと剣を肩に乗せる。
「ふっ、好きに判断すればよい。そなた達が真に私と戦うに値する存在かどうか…示してもらおうか」
「奥へ逃げるつもりか。簡単に行かせるつもりはない」
「なら、止めてみせるがいい、鎧人形よ」
相手が何かの詠唱のような仕草を始めた。
これが依頼主の言っていた”高度な魔法”であることは間違いないだろう――冒険者たちは、そうはさせじと一気に彼我の距離を詰めようと走る。
立ちはだかるレイスもどきの生物たちを、邪魔だの一言で払いのけ、部屋の隅へと吹き飛ばした。
あと一息というところ、まさに数十センチの差で、アンジェの鋼糸やナイトの剣よりも早く、相手の呪文が完成する。

「HMAYMHNMYΨXHALMWDΨMHY……ΨMF!!」
「な……何ですか、あの呪文!?」
「構えてください、ミカ!」
そう警告したウィルバーは、自身も発動体である≪海の呼び声≫をギュッと握り直し、風を集めて味方たちの足に絡むよう短い詠唱をした。
たちまち俊敏に動けるようになったパーティは、さらに追従するように唱えられたミカとナイトの支援魔法によって、二重三重の加護を得る。
そんな彼らの前に現れたのは、今まで見たこともない異形の怪物たちであった。
鋼の骨格に覆われた人間大の化け物が1ダース、その他にびっしりと生えた牙を持つ頭がふたつある大きな獣と、東方の”刀”で構成されたような外見を持つ獣と同じ大きさの昆虫が、冒険者たちの前に立ち塞がっている。
それを見届けた首謀者は、燕のごとく身を翻して奥のエリアへと消えていった。
ミカが白い額に冷や汗を滲ませて呟く。
「複数召喚!そんな馬鹿な……」
「あの召喚師、恐らくは魔族です。昔、霧の立ち込める街レンドルで、似たような詠唱を聞いたことがあります」
「おいおい、ウィルバーさん。相手がなんだろうと、やることは一つだろ」
すかさず前に踏み込み、躊躇いなく生臭い息を吐く獣に向かってスコップを突き立てる。
咆哮がCブロックに響き渡った。
シシリーが愛剣を水平に構えて吐息をついた。
「ユイノたち、まだみたいね」
「自分たちにちょっとした運があるなら、戦いの途中でまみえることもあるだろう」
がしゃん、とつや消しの黒い鎧が鳴り、ナイトの構える剣の刃から翡翠色の炎が噴き上がる。
それと同時に影が魔法陣と化して、雪で構成された馬が現れる。
馬に飛び乗ると、ナイトの周囲に風の乙女達が防護壁を作り始めた。
「何なら、彼らが駆けつける前に我々で片付けてしまえばいい」
「ずいぶん強気な発言だけど、悪くないね」
現実的だし、と付け加えたアンジェが腕輪から糸を引き出す。
「みんな、いくよ!」
昆虫のような敵の動きをシシリーが抑え、大きな獣をロンドとアンジェが、他の雑魚たちをミカとナイトがそれぞれの技や魔法で打ち払う。
一番後ろの位置についたウィルバーは、強敵に備えて宿の物置から買い上げた攻撃魔法【エル・レナル】の長い詠唱に集中し始めた。
強力な魔力の篭った弾丸は、賢者の搭で教える【魔法の矢】を遥かに凌ぐ攻撃力と速度で術者の敵に襲い掛かるが、扱い慣れない分だけ準備に時間がかかるのである。
魔法使いのぎこちない動きを察知したか、2体の巨体が、まるで息を合わせたかのように、同時に冒険者たちへ突進してきた。
「っ!みんな、避けて!」
シシリーの叫びに、近接攻撃を担当している者たちは即座に反応できたが、やはりウィルバーと、同じく【花嵐の宴】で雑魚を狙っていたミカが回避行動に後れを取る。
跳ね飛ばされ、3メートルは吹っ飛んだウィルバーが呻き声を上げた。
「くっ……。連携攻撃までするなんて…皆さん、気を付けて下さい!」
「おっちゃん、大丈夫!?」
慌てて後ろを振り返ったアンジェは、比較的素早く彼が立ち上がったことに安堵した。
彼女が余所見した隙に、鋼の骨格に覆われた兵士たちが鉤爪で襲い掛かってくるのを、≪早足の靴≫や【風の鎧】の加護で残像すら残しながら避けていく。
双頭の獣が振り回した尾が、雪の馬に騎乗しているナイトを横殴りし、彼は慌てて馬にしがみ付いた。
「厄介な攻撃だな…」
ナイトは身体に反動をつけると、再び馬に跨り、愛剣の長い刃に聖なる力の波動を集めて一気に敵陣へと解き放った。
かつては伝説の聖剣にのみ可能とされていた技――【極光の斬撃】は、雑魚敵の半分を巻き込み、さらに大きな双頭の獣や昆虫に似た怪物にも深い傷を刻み込んだ。

「大分減ってきたわね……あと少しよ、みんな!」
「おう!」
「まっかせといて!」
景気よく応えたロンドとアンジェの波状攻撃が、たちまち相手の体力を削っていく。
シシリーが噛まれ毒を受けたものの、すぐに鉱精が癒し、さらに追撃しようとした相手には、ロンドの頭上を旋回しながら弓を準備していた妖精ムルが、白い光に包まれた矢を射込んで邪魔する。
さらに体勢を立て直したミカが、二度の【花嵐の宴】でナイトが打ち漏らしていた敵を、的確に花弁の刃で切り刻んだ。
絶え間ない冒険者たちの攻撃に、先に辟易したのは刃の生えた昆虫の方だった。
「~~~~~!!」
決して人では表せぬ怒りの咆哮を発し、長大な剣に相当する腕をシシリーに振り下ろす。
彼女はそれを辛うじて≪Beginning≫で防いだ。
ガァィイン!という響きの後に、耳障りな雑音を立ててふたつの刃が噛み合う。
昆虫の腕が、武器ごと破壊せんとシシリーの頭部へ刃の距離を狭める。
「く……うう…」
「姉ちゃん!」
全力を込めようとしていたために身動き取れぬ奇怪な虫を、咄嗟に刃の峰の部分に飛び乗ったアンジェが、大妖魔も仕留めた毒ナイフで刺した。
たちまち昆虫の全身に麻痺毒が回り出す。
巨体を部屋のあちこちにぶつけ、断末魔と目前の死を乱暴に表現しようとしたが、希少な蛇から抽出した毒は、敵にそんな暇を与えることすらしなかった。
たちまち轟音と共に倒れた相手を、とうの昔に宙返りしてその身体から下りていた加害者が、にやりと笑って見下ろした。
ほぼ同時に、ロンドも獣の懐近くまで入り込み、その牙を掻い潜りながらスコップを突き上げる。
「お前の墓はここだ、獣!」
双頭の獣――バルバラスという名を冠していた幻の魔獣は、喉に刺さった人間の武器が、赤とオレンジに彩られた魔法の炎を噴き上げたことに気付いたが、既にそれに耐える体力もなかった。
「あんたら、さすがだな」
後ろから聞き覚えのある声がした。
聴覚には自信を持つアンジェは、血を拭った鋼糸を腕輪に巻き戻しながら、先ほど≪リングパール≫で通信した相手に文句をつける。
「見てたんだったら、少しは手伝ってもいいと思うけど」
「遅れてごめんなさいね。ちょうど今来たところなのです」
背に負った瓢箪の位置を微妙に直しつつ、ユイノが律儀に応えた。
もとより、本気で怒っていたわけではない。
アンジェは一つ肩を竦めると、昆虫に刺したままの短剣を回収しに行った。
その様子を黙って見守っていたエレンが、今度はシシリーやナイトに向き直って話を続ける。
「手間をかけさせたわね。それにしても……≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪。噂に違わないわ」
「私たちは名前くらいしか名乗っていないが。こちらを知っていたのか?」
「まぁな。この辺りの冒険者では、あんたたち有名だからな」
「有名……ね。悪名じゃなきゃいいんだけど」
「謙遜はいらないわ」
シシリーの言葉に、エレンが真面目な顔で諭す。
これだけの美貌の持ち主が真剣な表情になると、迫力が倍増して落ち着かない気分にさせられるものだが、シシリーは怯む色もなく麗人を見返した。
「噂は結構聞いていたけど、これほどのものだとは……ね。正直、驚いたわ」
「そう……ですか?」

「あれほどの強敵2体を、たったこれだけの人数で倒すんだから」
深沈たる黒い双眸が、あちこちが砕けている部屋の中や、半分以上黒焦げになっている魔獣の死体に残っている傷跡などをしげしげと眺めてから、彼女は再び口を開いた。
「最果ての魔女や黄昏の森の大妖魔を倒したというのも、なるほど納得できるわね」
「僕もあなたたちには驚かされましたよ。全く…大したものです」
レナードは貴重な眼鏡の曇りをハンカチで拭い、そっと繊細な手つきで掛け直した。
彼の声音は、作戦を打ち合わせたいた時と同じくらい平静であったが、底流にはほとほと感心したといった感情が感じ取れる。
人懐こい笑みを浮かべたラファエロが、赤毛の魔術師に向かってウィンクをした。
「そうだな…この依頼が終わったら、今夜はミカたちの宿で呑み決定だな。あとでゆっくり、お互いのことを語るとしよう」
「え、ええっ!?」
「あっちはからかってるだけだ、動揺するなよ」
分厚い掌をポンとミカの頭頂部に置いたロンドが、色白な顔を赤く染めた仲間に忠告する。
そして、やぶ睨みの目が、案外と柔らかな様子でラファエロを捕らえた。
「ま、ミカを口説くのはあんたの勝手だがな。その前にちゃんと『生き残って』くれよ」
「俺たちとあんたたちがいれば、ちょっとやそっとじゃやられないだろ?」
「だといいのですけど、ね」
ウィルバーがそっと息を吐いた。
今回の首謀者は、魔族が使うような特殊な詠唱で、異様な複数召喚を成し遂げた。
とてもじゃないが、舐めてかかれるような相手じゃないと察しているのである。
恐らくは、奥の手の一つや二つは隠し持っていてもおかしくないだろう。
ラファエロたちも加わった一行は、ここで依頼主より貰っていた回復アイテム≪活力の霊薬≫を焚いて傷を癒すことにした。
これは無差別に香りが周囲へ広がるため、戦闘時などに使用すると敵まで回復してしまうのである。
首謀者との決戦前に使用すべきだろう、というウィルバーの指摘に逆らう者はいなかった。
爽やかで清々しい初夏の高原のような香りが辺りに満ちて、旗を掲げる爪やラファエロたちの身体に刻まれている戦いの痕を、ゆっくりと消し去っていく。
ウィルバーは試しに己の杖である≪海の呼び声≫に魔力を集中させてみて、先ほど【エル・レナル】のような上級の魔法で使ってしまった力が、また自分の中で渦巻いているのを感じ取った。
「……そろそろいいでしょう。次へ進みませんか?」
「つまり、この事態の首謀者にお目にかかるってことね。いいわよ」
エレンが薄毛の魔術師の促しに首肯して、槍を手に取った。
他の仲間たちも、各々の得物を手にして立ち上がる。
2017/04/14 12:51 [edit]
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