男は傍らの少女を見つめていた。
 もうすぐ、新年を知らせる聖北教会の鐘が鳴ろうという時刻、男と少女を照らす明かりはひどく小さいもので、第三者がここにいればもっと暖炉へ薪をくべて、ランプの油を継ぎ足したことだろう。
 だが、薄暗い方がかえって落ち着くのは、少女はともかくとして、男には忌々しい出来事があったからであった。
 彼は、汚れを洗い落としたはずの手へと視線を移した。
 骨ばった硬い指先に存在する爪の内側には、黒いものがこびり付いていた――血液だ。
 今日の昼間、男は知人を殺した。
 
(他にどうしようもなかった。ユハは裏切り者だった。俺たちを――俺とマルガレッタを、聖北教会に売ろうとしたんだから。)

 そう自分に言い聞かせていないと、気の緩んだ瞬間に叫びだしてしまいそうだった。
 彼は生来の人殺しではない、ただの野鍛冶である。
 人を殺し得る道具を鍛えたことはあったが、それを人に用いたのは、今日が初めての経験だった。
 リューンという大都市を訪れ、ずっとユハを殺す機会を窺っていたが、なかなかチャンスがない。
 やっと昼間、人の途絶えた路地の暗がりで、そっと懐から取り出した自分の短刀で背中を突いた。
 ユハは一突きでは死ななかったので、声をあげられないよう口を慌てて塞ぎ、何度も何度も、その見知った背中を反応がなくなるまで刺し続けた。

(ずっと、許せないと唱え続けて短刀を振るった。そうじゃなきゃ、成し遂げられなかったろう。)

ダーフィットの日記2

 男の知る限り、路地に他の者の姿はなかったが、殺害の瞬間を見咎められたような気がして仕方ない。
 ぶるり、と身を震わせる。

「……寒いの?」

 男の姪であるマルガレッタは、気遣わしげに彼に尋ねた。

「冬だからな。いや、薪は足さなくていい。どうせもうすぐ寝るんだから」

 それより、と男は言葉を続ける。

「もう少しランプに顔を近づけてみてくれ」
「うん。……こう?」
「……ああ、だいぶ、顔色が良くなった」

 血を舐めたからだ、ということは口に出さなかった。
 返り血をずいぶんと浴びた状態で帰ってきた男は、ぎょっとした様子のマルガレッタに、凶器や上着についた血液を舐めるよう強要したのである。
 マルガレッタはかなり逡巡していたが、半月前に母親と死に別れて以来、自分の栄養となる赤いものを摂取してこなかったため、男が取り乱すほどに衰弱していた。
 だから、彼の持ち込んできた血の甘い香りに、どうしても抵抗できなかった――。
 叔父ができるだけのことをマルガレッタにしてやろうと思っているのは、分かっていた。
 半吸血鬼である自分を追い出しもせず、太陽の光から逃れるようにして布を引っ被っていたところへ、温かいスープを持ってきたくれたのも叔父である。
 スープに混ざった叔父の血は、哀しい味がして、どうしても飲むことが出来なかった。
 そして血液を摂取できず、日に日に立ち上がる力のなくなるマルガレッタを心配し過ぎた叔父が、自分の住んでいた町の医者に相談に行ったのがきっかけで、結局リューンへ逃げる羽目になった。
 幼いなりに、これまでのことにマルガレッタは責任を感じている。
 しかし、まだ子どもでしかない自分が、叔父に頼らなければ生きていけないことも分かっていた。
 それゆえ、叔父が誰かを――生きている人間を殺したことを察知しても、マルガレッタには彼を責めることも、ましてや止めることも出来ない。

「もう、寝よう。火を消してくれ」

 頷いたマルガレッタは、暖炉へ灰を被せて、テーブルの上のランプのガラスケースを開けて、ふっと息を吹きかけた。
 ぎしぎしと軋む安宿のベッドに、叔父とともに潜り込む。

(…………”お父さん”。)

 本当の父親でない事は理解している。
 だが、自分を排斥せず、世話をし、守ってくれるものは、彼女にとって話にしか聞いたことのない父親像そのものであった。
 青緑色のつぶらな瞳を開いて、暗闇をものともせず、彼女はひたすらに自分を包むように抱いてくれる男の姿を見つめていた。
 忌々しい”きょうかい”の甲高い鐘の音が、もうすぐ冴えた冬の空気の中で、少女の鼓膜を振るわせるだろう。
 ほぼ同時刻――≪狼の隠れ家≫では。

「うーんおいしい!丸焼きチキンなんて、普段はぜんぜん食べられないもんねっ」

 にこにこ顔で丸焼きチキンを頬張っているアンジェに、ミカが相槌を打つ。

「本当ですね……あちっ!」
「大丈夫、ミカ?」
「に、肉汁がちょっと垂れちゃって……でも、美味しい」
「主、これを使ってくれ」

 気の利くリビングメイルは、ミカへカウンターから取ってきた布巾を差し出した。

「あ、ありがとうございます」
「ナイトはさー。食べれないし飲めないけど、ここいてつまんなくない?平気?」
「むしろ、宿の亭主からいてくれと頼まれている」
「あら、そうなんですか?」
「意識のない酔っ払いを部屋へ運ぶのに、人手が必要らしい」
「ああ……」
「ナイトなら適任だもんね……」

 なるほど、とアンジェとミカは顔を見交わして頷きあった。
 ウィルバーはといえば、他のパーティの冒険者と言葉を交わしている。

年末の冒険者達1

「いやー、今年もお互い無事に年越し出来そうで何より!いよっ、おめっとさん!」
「そうですね、おめでとうございます」

 その言葉にやや苦い成分が混じっていたのは、仕方のないことではあった。
 旗を掲げる爪は”全員”が無事に年末を迎えたわけではない――しかし、目の前の若い冒険者はそれを知らずに声をかけてきたのだから、ここで角の立つ返事をするのは大人気ないというものだ。
 だが、若者と同じパーティの盗賊担当の少年が、さすがに職業上彼らのことは耳にしていたのだろう、やや早口になり割って入ってきた。

「あー、やっぱ宿で親父の揚げじゃが食ってる時が、一番幸せだよな。お前もそう思うだろ?」
「……そうですね。帰ってきて一杯のエールと親父さんの料理を食べると、やっぱりほっとします」
「だよなっ!やっぱ親父の揚げじゃがは最高だぜ!」
「うちのパーティで同意見の男が、あそこで串じゃが食べてますよ。ほら」

 ウィルバーの指し示す先には、ロンドがトマトソースのパスタを確保しつつ、熱々の串じゃがに齧り付いていた。
 やや甘めの小麦粉の衣をつけて、丸ごと揚げたジャガイモは、太目の串に三つ刺さっている。
 それを横から齧っていたのが悪かったのだろうか、ぼとっと音を立てて、歯型のついたほくほくのジャガイモが落ちる。

「ああっ、俺の串じゃがが!?」
「変な食べ方してるからよ」

 ロンドはジャガイモを悲哀の篭った目で見下ろした。
 それを呆れたように眺めたシシリーが、短く「大変」と言って、エールの入った杯を持つ。
 彼女の耳に届いたのは、今日まで散々手伝ってきた教会の聞きなれた鐘の音であった。

「親父さん、今の鐘は年明けのじゃないの!?」
「なんだと!?おーい、全員、こっちに注目してくれ!!」

 慌てた宿の亭主が呼びかけると、すでに酔っ払い済みの一部を除いて、全員が店主へ視線を向けた。
 ちなみに、この時に≪ビホルアブス≫という珍しい銘柄を飲み干し、すっかり出来上がったために言うことを聞かなかった何名かは、宿の亭主による木刀の粛清で、瞬時に沈没した。

「おおう……バイオレンスだな、親父……」
「さすが親父さんだよね。何もなかったような顔になってるよ、ほら」

 アンジェが顎で示した向こうでは、ぶっ倒れた人体をなかったことにして、亭主は高々と杯を掲げている。

「新たな年も、いい依頼が入ることを祈って!お前らの明日へ、乾杯!」
「かんぱーい!!」

 後はもう、無礼講というものである。
 談笑するのはもちろんのこと、きらきらしい笑顔で皿を投げ始める者や、興に乗ってうっかり水の都アクエリアで教えてくれる【誘いの歌】を歌い始めて周りの眠りに引き込んだ者、挙句の果てには謎の飴(筋肉隆々の男の絵が描かれた缶に入っている)を寝ている間に口に入れられ息も絶え絶えになってしまった者などが続出し、あちこちで騒ぎになっている。

年末の冒険者達2

(みんなと一緒に、来年もこうやって騒ぎたい……。)

 この先、何があっても。
 こうして馬鹿騒ぎを繰り返す、そのためだけに生き延びようと思うのは――悪いことじゃない。
 聖北教会の鳴らす鐘の音が余韻を残す中、危険に飛び込んで生きる金を得る者たちの宴は、ますます盛り上がっていくようであった。

2017/01/12 12:22 [edit]

category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)

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