「……出てくる気配はありませんか?」
「ない、みたい」

 階段をとぼとぼ下りてきたアンジェは、いささか曖昧な表現で頭髪の薄い魔術師に応えた。
 彼女の腕には胡桃材で作られたお盆が抱えられており、そこにはまったく手をつけられた様子のない、具沢山のスープやパンなどが乗っていた。
 冷え切った食事を運んでいるホビット自身も、あまり顔色が優れているとは言えない。
 それでも、職業意識と現実主義の二つの観点から彼女が必要最低限のご飯を食べていることは、一緒に食事を取っているために知っている。

(この子よりも、問題は屋根裏の主ですね……)

 長らくパーティを組んだ仲間であるテアが、シシリー自身の見せてしまった隙によって吸血鬼に噛まれそうになったのを庇ってくれたこと。
 それによって人間から吸血鬼に変異したテアが、パーティを離脱する意志を明らかにしたこと。
 恐らくはシシリーと男女の淡い情を交わし合ったのであろうテーゼンが、老婆に巻き込まれる形で冒険者を辞め、黄泉路の案内人としての役割を果たそうと別れを告げたこと。
 どれ一つを取ってみても、あの生真面目な聖北教徒の「私のせいで……」という自責の念を大いに刺激してしまうのには充分だったろう。
 聖北教会の修行にはさまざまなものがあり、中には断食も含まれている地方がある。
 シシリーも、聖北の神官戦士だったウィルバーの兄の話では、そういった修行の経験がある、ということだから(もっとも孤児院の食糧事情にかこつけて行なっていた節も見られるが)、ただの一般人がいきなり食を断つのよりは身体を損なう可能性は少ないだろうが、ものには限度というものがある。
 すでに屋根裏の部屋に閉じこもって二日。
 アンジェが、暗い顔で上方を見あげるのも無理はないだろう。

「いっそ扉をぶち開けて、無理矢理口にオートミールでも突っ込もうか?」

 ウィルバーが最終手段として胸に抱いていた策を、あっさりと隣のロンドが口にした。
 彼は先ほどから、椅子が壊れやしないか気を配りつつ座っている。
 彼だけは体型も変わらず、仕事のない今の時期にも筋力を落とさぬよう、庭で先輩冒険者たちを相手にトレーニングに励んでいる。
 ただ、彼の場合は表面には表われていないだけで、

「あいつなー。顔には出てないし、態度が悪いと言うモンでもないが、ちょっと気配が剣呑過ぎて……腹を空かせた虎の前にいるみたいだ」

とトレーニング相手から密かに耳打ちされたことは、ウィルバーの記憶に新しい。
 彼は彼なりに老婆に尊敬の念を抱いていたようだし、何よりも、口を開けば悪態の応酬になるような相手が急にいなくなった、というのは……。

(思ったよりも、堪えているのでしょうね……ですが、それは私も同じことです)

 ウィルバーは内心で大きくため息をつきながら、お盆を給仕娘に返し終わった仲間へ、自分の右隣に座るよう手で指示した。
 いつも使わせてもらっているテーブル席に、空きが多過ぎるのを何とか意識の外に出し、おもむろに口を開く。

「さて……お2人とも理解しているとは思いますが、今や旗を掲げる爪は4名。このまま冒険者の仕事を受け続けるのは、到底難しいでしょう。特にテアさんには、私が習得していない眠りの効果をもたらす呪歌や、仲間たちの身体能力を能動的に上げる呪曲などを担当して貰っていましたからね。今から残った面子で補い合うことも考えましたが、あまり現実的ではない。そこで、増員を考えました」
「……ちょっと待ってよ、おっちゃん。あたしたちのリーダーは姉ちゃんで、おっちゃんじゃないんだよ!?」

 アンジェは、バシン!と手の平のサイズには不似合いな大きな音を立てて、宿の亭主が日々磨いているカウンターを叩いた。

「その姉ちゃんが立ち直ってもいないのに、いきなり仲間を増やす話なんて……!」
「ではアンジェ、どうするのが最適解だと思うんです?」

 自分が意図していたのよりも多く険を含んだ声が出る。
 だが、ウィルバーの言葉は止まらなかった。

「あなたは私にどうしろと言うんです!?テアさんの人生経験と積み上げてきた知恵に、どれだけ世間知らずの私が助けられたと思っているんですか!テーゼンだってそうです!彼が誰よりも早く敵陣に飛びこむと分かっているからこそ、こちらの有利になる戦術を練ることもできたんです!それが2人いっぺんにいなくなって、これからは私が年下のあなた方を、誰に頼ることもなく守らなければならない!」

 自分の言い分を母に叫ぶ子どものように顔を歪め、一心に苦しさをぶつけて来るウィルバーに、アンジェはびくりと肩を震わせた。
 この魔術師とて、怜悧な資質を持ってはいても、実際に市井で生きる上での強かさや、魔の世界に生きる生物への知識を持ち合わせるには至っていない。
 今までそれは、仲間である他者から与えられてきたのだ。
 だが――これからは、それを期待するわけにはいかない。
 その重責が、今や一番の年上となった彼の両肩に圧し掛かっているのである。

「ですが、私1人の努力はどうしたって全員を支えきれない!……だからこそ、テアとテーゼンを忘れるのではなく、彼らが我々と共に戦ってくれたことを”覚えている”人に、旗を掲げる爪の人員として来て貰いたいのです」
「……”覚えている”人?」

 怪訝な顔つきになったロンドに頷くと、ウィルバーは無駄のない仕草で、酒場の隅に座っていた二人組みにこちらへ来るよう手で招いた。
 ウィルバーの怒鳴り声が聞こえた辺りから、このテーブルを心配そうに見守っていた人物が、胸に細い手を当てながら立ち上がる。
 アンジェのどんぐり眼が、限界まで丸く見開かれた。

「ミカ!ナイトも!?」
「立ち聞きみたいになってしまって、ごめんなさい……」
「我らも、そちらの事情については聞き及んでいる」

 がしゃん、と黒いつや消しの施されたような鎧が音を立てた。
 一見、厳つい全身鎧を着た騎士のように見える相手だが、ナイトと呼ばれている彼の中身は空であり、その正体は魔力で作動しているリビングメイルである。
 賢者の搭から追放された合成獣使いの魔術師の事件で、旗を掲げる爪と出会った。
 そんな彼も、同じく旗を掲げる爪の冒険に絡んだミカ・ノーストリリアという相棒を得て、主従の契約を正式に結んでいる。
 彼女たちは今や2人組みの冒険者として、この≪狼の隠れ家≫に持ち込まれる少人数向けの依頼や、もう少し人数が多めの中堅どころに宛がうつもりだった依頼などをこなして、それなりに実力をつけてきていると聞いている。
 ミカが淡紅色の唇をそっと開いた。

「それで、私たちからウィルバーさんへ申し出たのです。私とナイトさんを、仲間に加えてくれないかと」
「ミカ」

 ややざらついた声で、ロンドがじろりと線の細い可憐な面をねめつける。

「お前、いいのか?」
「それが、『”旗を掲げる爪”に途中加入するのでいいのか?』という意味でしたら……」
「違う。お前、アイツが冒険者を続けるべきだと、続けるよう説得できると思うのか?」

 ロンドは待っていたのだ。
 妹とも姉ともつかぬ、家族同然の娘が己で自責の念から立ち直ってくれることを。
 だが、それが難しいことも彼には理解できている。
 そこで出てきたのが、この申し出で――ロンドは賭けてみていいのかと、お前(ミカ)にアイツ(シリー)が説得できるのかと問うているのである。
 さすがにそれは失礼な言い草じゃないかと、兄代わりを窘めようとしたアンジェだったが、ナイトがガシャリと音を立てながら篭手の部分を彼女の前に突き出した。
 アンジェが見あげると、リビングメイルは微かに顔を頷かせた。
 黙って見守ってくれ、という意味であるらしい。
 どんぐり眼が見やると、かつて”旗を掲げる爪”が幽霊列車の中で出会い、死霊術師からその命をオモチャのように扱われていた魔術師見習いは、いつの間に身に付けたものか、しなやかな強さを湛えてロンドの厳しい視線を受け止めている。
 ガラスや水晶で出来たかのようなか細さはすっかり影を潜め、背筋を伸ばして対峙する様子ときたら、太い茎から華やかな花を咲かせるアマリリスのようだ。
 撓んだ意志を常緑の瞳に込めて見返してくる娘に、フッとロンドは口を僅かに綻ばせた。

「分かった。行くぞ」
「はい!」

 非常に逞しい身体つきの少年は、ごつい手で椅子に立てかけられていたスコップを握り締めると、ミカを後ろに従えてずんずんと階段を上がっていく。
 慌ててアンジェが2人を追っていくと、殿をナイトとウィルバーがついて来た。
 誰に邪魔されることもなく屋根裏部屋の前まで辿り着くと――ロンドは意外と礼儀正しく、樫で出来たドアをノックした。
 返事はない。
 それに構うことなく、少年が声をかける。

「出て来い、シリー」
「………………」
「お前が自分を責めるのはお前の勝手だ。だがな――お前は、俺たちの大将なんだぞ」

 スコップを肩に担ぎ直したロンドは、これまでにアンジェが聞いたこともない厳めしい声で彼らの家族に話している。

「”旗を掲げる爪”はな、全員、大将であるお前の決定に命を預けてるんだ。そいつをおっぽり出してこんな所に篭る権利は、お前にはない」
「に、兄ちゃん……」
「下がってろ、アン。いいか、シリー。どうしても出てこないってんなら……力ずくでやるぞ」

 この少年は、そもそも必要と断じたことに対して躊躇う性質ではない。
 そして今回は、何がどうでも自分たちのリーダーを、篭っている部屋から引きずり出してやろうと決意していた。
 ゆえに――宣言してから10を数える前に、魔法の力を秘めたスコップで、硬い木材のはずのドアを粉々に打ち砕いていたのである。

2016/11/02 12:08 [edit]

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