シシリーは、”親”というものを持たない子どもだった。
 ロンドのように幼い頃親から連れて来られたわけでも、アンジェのように旅の途中だった親から院長へ預けられたわけでもなく、ただぽつんと孤児院の門前に、いつの間にか捨てられた子どもであった。
 だから、”親”がどういうものなのか思い出すこともなければ、他者から親の話を聞くこともなかったのである。
 自分のルーツを持たない彼女が、家族を孤児院の仲間たちへ、そして今はパーティを組んでいる冒険者たちへ見出したのも無理はなかった。
 本人は気付いていないのだが、愛情や恋情によって他者と家族になる関係を、後から理屈をつけながら忌避している一因はここにある。
 もし自分で家族を新たに作ってしまったら――血の繋がりのない、今まで家族”同然”だった孤児院の仲間たちと、離れてしまうのではないかという懸念である。
 ロンドやアンジェたちと離れ、また新たに家族となった異性とも結局別れてしまうようなことがあったら――そこまで考えが及ぶ時には、シシリーを包むのは必ず虚無であった。
 虚ろで、何も持たず、ただただ、内を吹き抜ける風の音だけが響く。
 あの幽霊列車の中で死霊術師の双眸を覗き込んだ時の恐怖は、まさしく彼女のこういった思いに起因するものであった。

(変わりたくない。永遠にこのままでいたいの……)

 シシリーは頬を濡らす冷たい水の感触と、自分が天井を見上げていることに気付いた。

(どれくらい眠っていたのかしら――吐き気がするわ…)

 瞼を開けるのすら億劫だった。
 とても静かだ、鳥の声さえ聞こえない。
 この分だと、朝はまだ先だろうと思われた。
 ただ、鼻をくすぐる微かな香りが……。

(麝香の――麝香……?)

 そこまで思考が進むと、急速に目が覚めた。
 起き上がってまず己の衣類を確かめると、まったく異常は見られない。
 ほっと安堵の息をつこうとして、そもそもこんな心配をしなければならなくなった原因を思い出し、文句を言ってやろうと男の姿を捜し求める。
 彼はシシリーが案内した寝台の上にいた。
 半裸で、死んでいる。

永遠そして3

(……ちょっと、冗談でしょ)

 冷たいものが背中を伝った。
 気を失う前とは別の理由で力の入らない脚を叱咤し、辺りを散らかさないよう配慮しながら慎重に死体に近づく。
 男はだらりと開いた口から血を吐いていた。

(脈……いや……どう見ても死んでる。硬直したこの顔……)

 心臓が早鐘を打ち始めた。
 人間の死体そのものは、仕事上、嫌というほど見慣れている。
 見慣れたくもなかったが、だからこの動揺はそれが原因ではなく――。
 頭が状況を整理するより前に、この先にどうしようもなく最悪の事態が待ち構えていることに気付いてしまったのだ。

(何故なの、病気?いやなんにしろ、この状況、私が殺したようにしか)

 酔った男女が一つの部屋に入った。
 女は「すぐに戻る」と言い置いておきながら、戻ってこなかった。
 男は死んだ。
 これが客観的に起こった彼女たちの出来事である。
 その死に、女は無関係だと言って、どれほどの人が信じるだろうか。

(親父さんは信じてくれるだろうけど、私がこの男を連れて行くところは、あの場にいた全員に見られてるはずよ。彼の身元次第では大した騒ぎにならないにしても――。冒険者を続けるのは難しくなる。少なくともリューンでは)

 己の考えに対して己で反証を挙げたかったが、リューンにおける冒険者界隈の横のつながりを知るシシリーには困難だった。
 そこでは理由のない殺人は許されない。
 治安隊に捕まった場合に下されるような懲罰が存在するわけではない。
 もっと道義的な、暗黙の足枷だ。
 だからこそ厄介だとも言える……ましてや一般人が相手では。
 冷や汗で服が身体に張り付いている。
 気持ちが悪い。

(気持ちが悪い!)

 口を手で抑えたその時、ノックとともに聞こえてきたのは、テーゼンの声だった。

「オイ、シシリー?」
「――!!」
 
 テーゼンも他の仲間も、自室で先に寝たはずだったのだが。

「親父に言われて様子を見にきた。開けていいか?」
「ま――」

 隣にいるのは死体だが、半裸の男だ。
 そんな相手とともにいる所を、よりにもよってテーゼンに見られるのは嫌だった。
 しかし、止める間もなくドアが開いてしまう。

「――――!」

 扉を開けた瞬間、鼻をしかめたテーゼンは寝台に鋭い視線を向けた。
 そのまま、無粋な音を立てないよう慎重に扉を閉める。
 その後のテーゼンの行動は素早かった。
 駆け出して窓を開け放つと、寝台の傍まで歩み寄り、男の下肢に申し訳程度に絡まっていた服を、躊躇いもなく脱がせ始めた。
 瞬間、シシリーの顔が真っ赤に染まる。

「ちょ、ちょっと。テーゼン!」
「話は後だ。邪魔だ、ちょっとそっちにズレろ」

 シシリーを寝台の端に追いやると、テーゼンは男の衣服を完全に剥ぎとった。
 あらわになった肢体をあらため、彼は腰に手を当てて溜め息をつく。

「嵌められやがったな」
「……え」
「これ」

 テーゼンが指差した男の右の太腿に、金貨を模した意匠の刺青があった。
 シシリーにも見覚えがある――かつて、クドラ教の邪神に関わる事件で御堂騎士から依頼を受け、組織の者から情報を色々得た時に見かけていた。

「これは……盗賊ギルドの」
「そう、盗賊ギルドの工作員。捨て駒じゃねぇかな。この状況自体が仕組まれてたのさ」

 テーゼンの手には、いつの間にか小瓶が二つあった。
 一つは緑色、一つは茶色のガラス製のもので、それを見せつけるように揺らめかせる。

「ちょっと待って、じゃあ……男が自害したっていうの。私を陥れるために?」
「さあ、自害なのか、知らずに自害させられたのかは、分かんねぇけど。外傷はねぇし、そう考えると死因は毒だろうな」

 テーゼンはすとんと彼女の横に腰を下ろし、まだ頬に残っていた水分を拭ってやった。
 秀麗な顔が、真剣な色を帯びてシシリーに向けられる。

「最近、盗賊ギルドと何か事を構えたか?」
「最近もなにも……そんな怖いことやってないし、この先もやるつもりないわ」
「そうだろうな」

 テーゼンは男の刺青を見つめたまま頷く。

「アンタに毒を飲ませれば殺せただろうに、男に飲ませることで立場的に苦しめようとするあたり、なんていうか本来なら盗賊ギルドっぽくねぇ手口だ」

 がりがりと黒髪の頭部を掻く仕草に、シシリーは黙って見入った。

「回りくどい上に、そんな手間をかけるメリットが想像つかねぇ」
「じゃあ……盗賊ギルドに、誰かが依頼した?」
「そうだな……盗賊ギルドが構成員を一人失ってもいいと思うぐらいの、金が動いたか、圧力がかかったか。身に覚えは?」
「……うーん」
「胸に手を当ててよっく考えろよ?」
「うん」

 肯定の意を返したシシリーは、程なくある記憶を手繰り寄せた。

「……あ。もしかしたら、だけど」

 鉱石の精霊・ユークレースと出会うきっかけとなった仕事の際、依頼主であるルチルを都市へ送り届けた後に1人で巻き込まれたトラブルで、故買屋の大きな取引をひとつ潰している。
 特に隠密行動をとっている訳ではなかったから、調べれば自分が関わっていたことは簡単に割れるだろう。
 その話をテーゼンに伝えると、暗闇のなかで形のいい口元がうっとりするような微笑みを浮かべてみせた。

「そ、金のほうか。なんとでもなるな」
「なんとでもって……ん」

 寝台から身を起こそうとすると、くらりとした。
 今更だが、この眠気も仕込まれたものか。

(……香水のせい、みたいね)

 再び霞む視界のなかで、己の得物を確認するテーゼンの姿が映る。
 どこへ行くのかと問いただした……つもりが、舌がもつれてうまく言葉にならなかった。

永遠そして4

「おやすみ、シシリー。目を覚ました時には、すべて終わってるぜ。いい夢を」
「……テー、ゼン……」

 まどろんだ彼女の意識が再び夢の中へ落ち、また現実に帰って来た時には、こちらを無邪気な様子で覗きこんでいる人形めいた美貌が眼前にあった。

「テーゼン!どこに……あの男性は?」
「ああ。とりあえず身体を洗ってこいよ。そんなに眠りの効果は残ってねぇけど、念のためな」
「話を逸らさないで。今すぐ教えてよ」

 はぐらかすテーゼンを何度も問い詰めたところ、盗賊ギルドではなく――ギルドに伝手のあるアンジェが寝ていたのだから仕方ないのだが――なんと、直接故買屋と話をつけてくれたらしい。
 どのように交渉したのかは詳しく教えてはくれなかったが、

「一度、故買屋のために仕事をすることになる。……ああ。汚い仕事じゃねぇよ。ただ、単純に向こうが折れるだけじゃ面子が立たねぇって言うんでな」
「それで……大丈夫だった、の?」
「ん。彼のために仕事をする。それで全部チャラ。そういう体裁が必要だったんだ」
「あの男性は?」
「盗賊ギルドの軒下にポイしてもらった。故買屋から連絡が行くから、ギルドのほうは心配ねぇよ。金で動いてただけだからな」
「……ごめん、なさい。まさか、こんなことになるとは」
「別に。気をつけていたって、どっから恨みを買うか分かんねぇ仕事だし。事故みたいなもんだろ」

 ただなぁ、と続けたテーゼンが軽くシシリーの白い額にでこピンをした。
 痛いと顔をしかめる彼女に向かい、呆れたような視線を送った後に口を開く。

「アンタの落ち度は、言うまでもねぇけど、他人と密室で二人きりになったことだ。正直、そこんとこだけはどうにも気に入らねえが……」
「う……」
「反省するのは、そこだけでいいぜ」
「酔ってた……っていうのは、言い訳にならないわよね」
「なると思ってンのか。ならねえよ」

 擁護を求めていたわけではないのだが、即座に切り捨てられ、ため息が漏れる。
 依頼の最中や、リューンを離れてよその土地にいる時には、気を抜いた記憶はなかった。
 寝入っていても、すぐに異変に気づくことができた。
 リューンの街中で仲間とともにいてさえ、最後の拠り所になる緊張の糸を意識の底に張っていた、と思う。
 それが、≪狼の隠れ家≫ではこの始末である。

(気が緩んでるわね……自信からくる慢心?反省しよう……)

 テーゼンはシシリーから視線を逸らし、窓の外を眺めやった。

「もっとも……」

 言いよどむ気配があった。

「ここがアンタにとって居心地のいい場所になってるっていうことの表れでは、あるよな」
「え……」
「だからよ。自宅って感覚になってるんだろってこと。うまく言えねぇけど、それは悪い気はしねぇよ」
「テーゼン……」

 そう、確かに実家と言うものが存在しない彼女にとって、宿は我が家同然の場所である。
 それを理解し、指摘してくれたテーゼンに感謝の念を向けた。
 しかし程なく、ずずっと人並み外れて端整な顔が近づいてきて、シシリーは思わず寝台の上でのけぞるように後退した。

「あのさ、シシリー。僕のこと、思い出したか?」

 彼が何を言わんとしているのか理解しきれず、碧眼を瞬かせる。

「男の死の咎を負うことになるって思った、あの時。僕の顔は、浮かんだか?」

 見つめてくるテーゼンの瞳は、真剣そのものであり――さながら抜き身のサーベルのごとく、危険でありながら鑑賞者を魅了する美しさを伴っていた。
 目を――離すことが、できない。

「僕がいるのに。優秀な仲間たちがついてんのに。もっと頼ってくれていいのに、アンタはどこか、自分は自分って思ってるような気がする。迷惑だなんて……思わねぇのに」
「あ、あの、私が怖いのは……私のために、あなたが傷つくことなの」
「大事な時に頼られない方が、よっぽど傷つくぜ」
「……」
「だって今回、下手したら死んでたかもしれねぇんだぞ」
「……向こうの思惑次第では、やられてたわね」
「ゾッとする。シシリーが生きていて良かった」
「テーゼン。全部私の失態なのに、ごめんなさい。……怖い思いをさせたことも」
「……目の届く範囲にいる限りは、何かあっても、なんとかする。失いたくねぇんだ」

 男の顔が近づき――啄ばむようなキスが唇に落とされた。

永遠そして5

「だから……近くにいてくれ。そしてもう少し、信用してくれ」

 テーゼンの黒曜石の瞳が柔らかく笑んでいた。
 その色を見つめていると、ふっとあの言葉が降ってくる。永遠。
 実際には弓弦の引き絞られているそのわずかな間に立ち会っているだけで、すべては矢のように過ぎ行くのだろう。
 テーゼンといること、仲間といること、この宿でこうして暮らしていること。すべて。
 それでもまだ、矢を放つ音は聞こえてこない――このキスは、一瞬で過ぎ行く永遠である。
 だからこそ、耐え難いほど愛しい。

(ついに掴まってしまった……)

 でもそれも悪くないと思うのは、あまりにも現金なのだろうか?
 シシリーには分からない。
 ただ、自分を覗き込む大事なものに向かって小さく微笑み返した。

2016/09/15 11:48 [edit]

category: 永遠そして朝まだき後の山賊駆除

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