月は悠然と空にかかっている。
 常宿の部屋から忽然とロンドが姿を消した事件から、3日ほど経ったある日の夜だった。
 早寝早起きの習慣がついているシシリーにしては珍しく、夜が更ける時刻になっても目が冴えているために自室に戻ることをせず、未だ1階の酒場に留まっている。
 給仕娘のリジーはとうに寝床に入っており、あてどなくエールの杯を傾ける彼女の相手は宿の亭主が勤めていたが、彼も他の客を放っておくわけにはいかず、カウンターから離れる見慣れたハゲ頭を見つめながら揚げじゃがを摘んだ。
 ちびりちびりと木製のジョッキからエールを舐める。
 ふと窓の外から入り込む月光に気付き、とろりとした蜂蜜色の姿に見入った。

永遠そして
 そのうち、普段であれば届かないようなところまで、思考の手が差し伸べられた。

(私たち……。このままずっと、パーティを続けていけるのかしら)

 すでに竜を退治し、邪神を二柱も退けるほどの実力が身についた旗を掲げる爪である。
 まだまだ先輩冒険者たちに及ばないといえども、西部諸国周辺で有数のパーティであることに違いなかった。 
 ただ、物事に”絶対”や”永遠”はあり得ない。
 それが分かっているだけに、こんな風に何の斟酌もなく考え事に耽る時間がある際には、埒もなく自分たちの未来について思い及んでいくのだ。
 明るい白昼には信じがたい言葉ではあるが、こんな夜の気配の濃い時には、このまま朝が来なくなるような――己の望む時間が続いていくような錯覚を起こしてしまう。
 おまけに、気のせいや勘違いでなければ――もしかすればもしかすると、黒い翼のあの青年は、シシリーを特別だと思っている節がある。
 思いを寄せられることに嫌な気持ちはしないものの、彼は悪魔であり、シシリー自身は聖北の神に仕える者である。
 自分たちの気持ちを恋の方面に盛り上げていくには、あまりにも相容れない立場だ。

(大事にされることは嬉しいし、嫌じゃないけれど。どうしたって、彼に応えようと思うのならば、私は今のままでいられない。そもそも、彼が悪魔としての振る舞いを行なった際には私の手で止めようと……そう思って、旗を掲げる爪を維持してきたのに。ロンドみたいに、悪魔だとしても一個人として態度を変えずに彼を扱うことはできない。アンジェみたいに、見て見ぬふりを続けることもできない)

 苦味の強いエールの滴が、口内に留まり続けている。
 まるで、シシリー自身の心の中にある戸惑いのように。

(嫌いじゃない、けれど……彼に惹かれてしまったら、冒険者稼業もリーダーの立場も辞するつもりはないのに、もしこのことで私が変わってしまったら……)

 旗を掲げる爪を、いつか自分のせいで窮地に陥れることがあるかもしれない。
 シシリーは、自分の中にある感情を恋だと思いたくなかった。
 仕事と私情が混ざってしまうことを恐れているのか、仕事にかこつけて私情を制御しようとしているのか、己でもまったく分かっていない。
 ただ、不変でありたかった。
 それは昔、見世物小屋で歌を披露していた青年の言葉が頭を過ぎる。

「俺は気づいたんだ。君に敬愛の情を持ったことを。君を信仰しようとしたことを」
「天使か、天使じゃないかなんて、そんなもの人に決められたくないんだ。俺が決める」

 シシリーの血をもって身体を完成させた彼は、他の誰でもない彼女を選んだ。
 しかし、彼が”異形の人間”である間に会った時、シシリーは彼よりも他種族であるはずのテーゼンに対して近しさを感じていたのだ。
 それは――見かけのことだけではない、それまでに培ってきた冒険の日々で交わした心の交流のせいではなかったのだろうか?
 ひょっとするとその時から、テーゼンへ無意識に思いを寄せていたのではないだろうか?
 サクリ、と思いを断ち切るように揚げじゃがを噛み砕く。
 彼女の憂いを含んだ表情が気になったのだろうか、店内にいた他の冒険者パーティから多少の酔いを含んだ野太い声が上がった。

永遠そして1

「シシリー、他の奴らはどうしたんだよ?こっちに入るか?」

 こちらを気遣ってくれたらしい黒髪の参謀役の言葉に、ハッと己を取り戻したシシリーは、慌てて笑顔を取り繕って応じた。

「ううん、私ももうすぐ上がるから。そっちは仕事の打ち上げでしょ?おつかれさま」

 依頼人の気前が良かったらしく、「特別報酬をもらった」と浮かれている彼らは先ほど依頼から帰ってきたばかりだ。
 気のいいパーティとして宿で知られており、同じ宿の仲間として心配してくれたのだろう。
 春の海と同じ色の瞳が視線を転じると、店内には他に、見慣れない黒いローブの男や若い商人風の男が杯を手にしている。
 見るとはなしに眺めていると、静かに飲んでいた商人風の男がカウンターの向こうにいる宿の亭主へ向かい、もったりと口を開いた。

「亭主。葡萄酒を、もう少し……」

 ふと。
 男のアルコールの影響で赤くなっていた顔が、微かに歪んだ。
 ぐらり、と形のいい頭部が揺れたかと思うと、中肉中背の肢体がずるずる椅子から崩れ落ち、そのまま床へと横たわる。

「!」

 考えるよりも先に体が動いた。
 商人風の男のそばに膝をつき、その身体を抱き起こす。

「大丈夫ですか?」
「……う……」
「どうした!」

 亭主も慌てた様子でカウンターから飛び出してくる。
 彼はカウンターで磨いていたスプーンを、慎重な手つきで口や鼻の前にかざした。
 銀色のスプーンが曇ったのを確認して、シシリーも亭主もほっと息をつく。
 その間に首で脈を測っていたシシリーは、脈拍の速度や強弱に異常性が見られないと判断した。

「……うん。呼吸も脈も問題ないわね。悪い酔い方をしたんでしょう」
「やれやれ、人騒がせな……」
「親父さん、知ってるお客?」
「いや、初顔だ」

 首を横に振った亭主は、この地に≪狼の隠れ家≫を建ててから数十年、経営を続けており、宿に所属しているパーティはもちろん、常連と一見さんを見分けるだけの能力は持っている。
 その彼が否定するからには、間違いなく正体を失っているこの酔客は、ふらりと酒のために立ち寄っただけの人間だったのだろう。
 逞しい腕を組んで亭主が唸る。

「まいったな、もう店じまいなんだが……」

 見慣れぬ男の、閉じられた薄いまぶたが震えている。
 行き倒れであった、下手なバイオリニストのルージュ・ポワゾンですら保護した店である。
 堅気らしい酒場の客を、この状態で店から放り出すわけにもいかないだろう。

「今、空いてる部屋は…なかったわよね」
「うむ。…あ、いや、屋根裏部屋はある。お前が篭ってたあの部屋だ」
「また懐かしい話を……」

 先ほど回想していた見世物小屋の青年との交流があった際に、パーティメンバーと顔を合わせたくないシシリーが、単独で寝起きしていた部屋である。
 4階にある≪狼の隠れ家≫の屋根裏部屋は、冒険者が発見して改造したという地下室の一部と同じで半ば物置と化しているものの、数々のパーティが宿置きにしたアイテムから何とか場所を確保した寝台が置いてある。

「いいわ。私が屋根裏の寝台に寝かせてくる」
「すまんな、シシリー。一応言っとくが、変なことにならんように気をつけろよ」
「どういう意味よ。私はすぐ降りてきます。ここで夜明かしするわ」

 宿の亭主の太い眉がゆっくりと上がった。

「部屋に戻らんのか?」
「夜半を過ぎても戻らない時は鍵を閉めるから、とテアに言われているのよ。老人や子どもがいる部屋なんだから当然の用心だと言われれば、私に反論のしようはないわ」
「ははぁ、お前が酒場でこんなに長く粘らないよう、早く戻れと遠まわしに言ったのか」
「そうなんでしょうね。もっとも、長くなるようならそれこそ、地下か屋根裏を利用させてもらうことを考えてはいたんだけど……」

 よもや、そこに一面識もない男性を放り込むことになるとは思わなかっただけだ。
 肩をそびやかした亭主は、酒場で夜を明かす決意をしたシシリーに向かって言った。

「まあ、ここで朝を待つというならそうしてくれ。万一のことがあって、誰かさんに問い詰められたら敵わんからな」
「……知ってたの?」
「宿を開いてどれだけ経ってると思うんだ。これだけ人間関係を色々見てりゃ、嫌でも分かってくるに決まってるだろう」
「そう……でも、私たち何もないのよ?」
「ああ。男の方が意外と純情だったのもあるし、お前が簡単に応じないってこともあるんだろう。それが悪いとは言わないが……」

 亭主はここで自分の顎を撫でた。
 言おうかどうかしばし躊躇した挙句、ため息をつくようにして言葉を吐き出す。

「悔いのないようにしろよ」
「はいはい」

 亭主の言葉に軽い調子で――そこに含まれる成分はけして軽くはなかったが――返事を返したシシリーは、男に肩を貸して歩き出した。
 娘としては中背よりも上で、それなりに剣を使うため鍛えてあるせいか、さほど苦労もせず4階までの階段を上がっていく。
 あの見世物小屋の青年を担いで、指定された場所に運んでやったこともあるくらいだ。
 商人風の男性は、一応意識をまったく失ったわけではないらしく、体重はシシリーにかけてくるものの、その足は促しに応じて動かし続けている。
 むしろ大変だったのは屋根裏部屋の扉を開ける時で、だらしなく崩れそうになってしまう男の身体をどうにか支えつつ、ドアノブを回して開くのに四苦八苦した。

「ごめんなさい、あまり綺麗なとこじゃないけど……朝まで我慢してね」
「……シシリー」

 意外なほどしっかりした声で、名前を呼ばれた。
 碧眼が瞬く。

「私のことを、知っているの?」
「隣のテーブルから聞こえてきた。君の噂が。優秀で――仕事の正確な、評判の――冒険者。そうだろう」

 男の口角が上がっている。
 彼が微かに身じろぎすると、麝香の香りが立ち昇ってきた。

(さっきからこんな匂いをさせていたかしら……?)

 濃い薫香は、男の嗜みとして身に付けているものなのかもしれないが、シシリーにはあまり馴染みがない以上に戸惑う代物であった。
 心なしか、息が苦しい。

「怪物退治はもちろん、もっとややこしい案件だって、片付けてきたって言っていたよ」
「……そう」
「誰もが君に依頼したいと思うよ。僕でもそうするだろう」
「一緒にやってる仲間が優秀なだけよ」
「……ねえ」

 男は子どものような仕草で首を傾げた。

「冒険者をやっているって、恐ろしくはないのかい?命を奪うのは怖いよ。たとえ相手が、害虫のような怪物相手であっても」
「人が思うほど、汚いものでも綺麗なものでもないわ、冒険者は」

 シシリーはいつの間にか掴まれていた腕を強く引いた。
 どういう意図でつかんだものにしろ、これはかなり――不快だ。

「手を……離して」

永遠そして2

「待ってくれ!頼むよ」

 その意味あり気に送られた流し目に、さらに不快感が増大する。
 皮膚が嫌な気分にあわ立つ。
 もう開き直って、いっそ鼻骨を折る勢いで殴ってやろうか、とシシリーは思った。

「……分かるだろう?冒険者でもない、うだつのあがらない商人でしかない僕が、こんな時間まで1人で飲む理由なんて……」
「あなたの事情に興味はないわ。曲がりなりにも聖職者相手に、何を期待したのかは知らないけど、単純に休ませるために連れてきただけよ」

 肩に回そうしていた手を勢いよく振りほどきながら言うと、男は恨めしげに目を細めた。

「私は下に戻るから。……嫌なことは、寝て忘れてしまえばいい」

 男からできるだけ距離を取り、振り返る。

「何かあったら、下に――」

 くらり、と頭の中が揺れた気がした。
 いや、気のせいではない。めまいが――彼女を襲っている。

(飲み過ぎていた?酔いが遅れて身体を襲ってきたの?)

 男の身体から立ち昇る香水の強い匂いが、気分の悪さに拍車をかけている。
 膝に力が入らない――小鹿のように震えて自由にならない脚を必死に踏ん張ろうと試みたものの、その瞬間、シシリーは四つんばいに倒れこんだ。
 打った膝は痛いが、それ以上にこのまま崩れてしまいそうな状況が怖い。

(これは――普通じゃない。一体、なんなの――やだ、ここで倒れたくない、テーゼン、皆――)

 怖い。

「ふ、ふ」

 囁くような笑い声を聞いたのを最後に、意識が途切れた。

2016/09/15 11:45 [edit]

category: 永遠そして朝まだき後の山賊駆除

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