Wed.

Through the holeその1  

 重々しい音が響いた。
 固い木材と――金属に覆われた重量が叩きつけられる、音。
 ロンドは今しがた痛めた肩を武骨な手で覆いながら、目の前のドアを睨み付けた。
 彼が現在いるのは、いつもと同じ宿――リューン市内でも老舗に分類されている≪狼の隠れ家≫の一室、テーゼンやウィルバーと一緒に使っている三人部屋なのだが。

「畜生……何だって開かないんだ?」

 ドアに鍵は掛かっていない。
 日の出と共に起きて身支度を整え、簡素な鍵を開けてからノブを捻ったのだから、施錠されていないのは当たり前だというのに、開く扉が今回に限って開かなかった。

地下水道
 どれだけ鍵を確かめても、どれだけノブを捻っても、扉が開かないのだ。
 充分に体重を乗せてドアを壊してしまおうとタックルしたが、びくともしない。
 さすが老舗、かなり建具を頑丈に作ってあるのか――そう無理矢理に結論付けた彼は、扉を諦めて窓に向かったものの、難なく開けられるはずの窓までが、まるで接着されてでもいるかのごとく頑として動いてくれなかった。
 ここにきていい加減イライラが募ってしまい、ついに弁償覚悟でガラスをぶち破ろうとスコップを振りかぶった。
 敵を蹴散らす時の要領でもって腰をスイングさせ、金属部を叩きつけたのだが――恐ろしいことに、ひび一つ入っていない。

「嘘だろ、オイ…」

 およそ、”物を壊す”という行為に秀でて、躊躇いもなければ容赦もしない怪力の彼にとって、彼ですら壊せない”いつもの宿の部屋”というのは、ありえない異常な空間である。
 どんな戦いでも恐怖することの無い勇士の身体から、すうっと血の引く音がする。
 背筋に冷たい蟻走感を感じつつ、スコップを片手に分厚い掌をドアに叩きつけた。

「オイ!誰かいないのか!?シリー、アン!ウィルバーさん!」

 ばしん、ばしんと強い音が響くが、まるで扉の向こうに虚無が広がっているのかのように、まったくここで出している音に応えはない。
 それはそうかもしれない。
 もし誰か聞きつける者がいるのならば、最初にロンドがドアへ身体をぶつけた時に相当に大きな音が宿でしているはずなのだ。
 それでも諦めきれず、続けて仲間を呼ばわる。

「テア婆さん!黒蝙蝠!ここを開けてくれ、頼む!!」

地下水道1

 ざらついた声は恥も外聞もなく助けを求めたが、外からの反応は一切返って来なかった。

「どうし、て」

 開かないのか?誰もここで叫ぶ自分に反応しないのか?全くもって分からない。
 この部屋だけが、もしかしたら世界の全てと切り離されてしまったのではないだろうか――そんな想像がふっと頭の隅を掠め、その昔孤児として引き取られた時の、父親に見放された絶望感が甦る。
 滅多に顔を見せない父の、すまなそうな表情とともに差し出された手は、孤児院で離してからついに彼へ再び触れることは無かった。
 途轍もない恐怖と不安に肝は潰れないまでも、かなり揺れる。

「ッ!!!」

 ドクン、と鼓動が胸を叩いた。
 落ち着かないやぶ睨みの視線が、辺りに散らばって定まらなくなる。
 気がつくと、耳に届く自分の呼吸音が酷く荒れていたので、ロンドは必死に深呼吸をして己を取り戻さんと試みた。
 この状況を打破できるもの、この部屋から脱出するためのものを、扉に背を預けた状態できょろきょろと捜し求める。
 握り締めたスコップの感触が、辛うじて彼を現実に繋ぎとめていた。
 ≪狼の隠れ家≫は今の宿の亭主が一代で築き上げた、数十年は経つ代物だ――とは、先輩冒険者から何度か聞いたことがある。
 養女である給仕娘のリジーが時折ぼやくように、しょっちゅう変化し続ける地下室や、置いても置いても満杯にならない宿の物置など、どうにもこの世の法則と合わないような解せない現象があるのは確かだが、こんな風に閉じ込められる冒険者の話は聞いたことがなかった。
 だが、そんな宿であれば自分もまだ知らない抜け道が部屋にあるのかも、と思ったロンドは、目を皿のようにして部屋中を徘徊する。
 少ない着替えを放り込んであるクローゼットを開いて、奥を確かめる。
 当面は冒険に持って行かない小物や思い出の品、かつての依頼人からの手紙などを仕舞いこんだチェストを横にずらしてみる。
 丈夫が取り得の木材を張った床を、這いずって開く箇所がないかを調査する。
 そんな事を繰り返していると――ごと、という音がした。
 素早く振り返ると、昔の冒険で買い求めた蛇酒の瓶がベッドサイドのテーブルの上で倒れている。
 思い出を懐かしんでウィルバーが晩酌していた名残りだが、引きずっていたスコップの先が、どうやらテーブルの足に当たっていたらしい。
 その衝撃で瓶が倒れてしまったのだろう――そこまでは、いい。
 問題は、そのテーブルの背景になっている石壁にぽっかりと開いている穴だった。
 こんな穴は無かったと、断言できる。
 だが、確かにそれはそこにあった。

「……」

 その大きさは、ちょうど装備をつけたままのロンドが、ぎりぎり潜り込めるほどには大きかった。
 先の見えない真っ暗加減に、彼はなぜここに、光の精霊であるランプさんやスピカが居ないのか――と、見たことの無い穴の怪しさに眉をひそめながら考えた。
 しかし、この部屋に残り続けるだけの気力は残っていない。
 そんな事を選択すれば、遠からず発狂してしまうだろう。
 何しろ、日常と何一つ変わらないはずの部屋で異常事態になっているのである。
 何度かまた深呼吸を繰り返すと、意を決したロンドはサイドテーブルをずらした。
 頼りになるスコップを背に担ぎ直し、ついでに酒瓶を自分の荷物袋に放り込んでから、這いずるようにして潜り込む。

「……………」

 真っ暗闇の穴の中を、手探りで進んでいく。
 ふと思いついて周りを撫でてみると、内側の手触りは意外と滑らかであることが分かった。
 これならば穴のどこかに引っ掛けて、怪我をする心配だけはしなくていい。
 ずりずりと、頭の中でミミズを連想しながら匍匐前進を続ける。
 どれほどの時間が経過しているのか――まったく検討がつかなくなってくる。

「上を目指してるんだか、下へ向かっているんだか…」

 それすらも分からない。
 自分の這う時に出す音と呼吸音だけが、聴覚に感じ取れる全てである。
 そんなはずはないのだが、どんどん息苦しくなるような気がしてくる。
 ロンドはともすれば笑い出そうな自身を必死に抑制しつつ、ひたすら前進した。
 まるで犬みたいだな、と思い、いや、犬の方がこんなに無様ではないな、と即座に打ち消す。
 そういえば、冒犬者と名乗っていたへちゃむくれのビルギットは今どうしているだろう。きちんとあの家で可愛がられているのだろうか?――そんな埒のない事を考えながら動いていたのが悪かったのだろうか。
 ス、と手が這うべき石材の床を感じずに空を掻く。
 不審に思うよりも前に、ロンドの重量級の身体がごろりと前に転がり、咄嗟に彼はでんぐり返しをしつつ受け身を取った。
 固い場所に身体を打ちつける痛い音が響き、最小限に抑えた衝撃に呻く。

「何だってンだよ…」

 仰向けの体勢のまま瞬きを繰り返していると、少しずつ暗闇に目が慣れていった。
 どうも、穴を抜け出して広い場所に出たようだ。
 手足を捻ったり折ったりはしてないことを確認して、そろそろと上体を起こしてみると、視界の端に鉄製の扉が映った。
 周囲に敵がいないことは感じ取っている。
 敵がいれば、当面やることができるのに――と忌々しく思いながらも、立ち上がって周囲を軽く調べてみることにした。
 この部屋はどうやら、隙間無く石が積まれて出来ているらしい。
 ロンドは鍵穴の見当たらぬ鉄製の扉を認めると、舌打ちしてそれを蹴飛ばした。
 部屋の造りに覚えがある――リューンの自警団の建物を思い出した。
 続いて、かつてパーティが一時解散する元となった、魔神を閉じ込めていた部屋が脳裏を過ぎる。
 一瞬で頭に血の昇ったロンドが怒鳴る。

「牢屋じゃないか!」

 長い匍匐前進と、判明した信じたくない事実のせいで、脱力したくなる疲労感が襲ってきた。
 何て場所に出てしまったんだろう、自室の方がまだマシだろうか――そう思って振り返る。
 彼の視界に入るはずの穴が無い。
 今度こそ肝を潰したロンドは、ぶわ、と頭部の毛穴が一気に開いたような気がした。
 暗いままの中、視覚と触覚、両者を丹念に使って探るも、潜り抜けてきたはずの穴が見つからない。
 急に膝から力が抜けてしまい、思わずその場にへたり込む。
 続けて大の字に寝そべりながら、仲間たちの顔を思い浮かべた。
 一番付き合いの長いシリーはさぞ心配しっぱなしだろうが、テア婆さん辺りが宥めてくれるだろう。
 あのいけ好かない黒い翼の悪魔は、戻ってきたらどう文句をつけてやろうと手ぐすねを引きながら、ロンドの立ち寄りそうな場所を飛び回るだろう。
 前にロンドの異常に気づいたことのあるアンは、今度も何か手がかりを見つけてくれるだろうか。
 それとも、ウィルバーさんが魔法で何とかしてくれるんじゃないだろうか。
 そこまで考えが及んだ時、ふと彼の頭に小熊を模したぬいぐるみが浮かんだ。
 さて、どうしてこんな物を思い出したんだろう――自分自身を不思議に思っていると、続けて縋るような瞳をした年端も行かない女の子の顔も付いてきた。

「あ、」

 そう、昨日、≪狼の隠れ家≫の前で頼まれごとをされたのである。
 カリオペの音楽祭の護衛の往復で減った、保存食の買い足しをした帰りだった。
 女の子は傍から見ても落ち着かなさげな様子で、狼のシルエットが掘り込まれた木製の看板の前を、行ったり来たりしていた。
 見るからに柄の悪そうな、厳ついロンドが話しかけた時こそびくりと肩を震わせたものの、案外とのんびりしたその口調に気を許したのか、たちまち懸命な顔で言い募った。

「あ、あのね、さっきね、ここの扉からでて来た人が、これ落としてったの!」

という言葉とともに差し出されたのが、件の小熊だったのである。
 若干の興奮状態に引き摺られて受け取ってしまったが、何の変哲もない綿と布の塊は、少しばかり古ぼけているだけで、持ち主に繋がりそうな手掛かりは一切持たなかった。
 忙しい時分であれば、一も二もなく断っていただろう。
 しかし。

「あたしね、ずっとここで待ってたの!でもこなくて、あたしかえんなきゃで!だからね、えっとね!えっと……」

 もう帰らなければならないか己の代わりに持ち主へ返してくれないかという女の子に、まぁこれぐらいならばと彼女の頼みを引き受け、給仕のリジーにぬいぐるみを渡してあったのだ。
 もし取りに来る人物がいなければ、そのままアンにプレゼントしてもいいかも知れないと、つらつら考えていた。
 そのアンのことを思っていたために、連想して記憶が引き出されたのだろう。
 しかし、このままこの牢屋に入りっぱなしになってしまっては、持ち主が引き取りに来た瞬間には立ち会えそうも無い。
 それはごめんだった。

「早くこいよ、アン、シリー…」

 ぐう、とお腹が自然現象に逆らえず鳴く。
 ほとほと情けない気分で、彼は腹を抱えこんで目を閉じた。
 空腹と疲労で、いつ夢の世界に引き込まれていったのか、本人にもしかとは分からない。
 ロンドの夢の意識は、暗い空間にあった。
 ……ぼんやりとした意識の中、フードの陰に隠れがちな眼をすうっと細めた男が立っているのを眺めていた。
 数多くある薬瓶の中身を鉤バサミでつまみ出しては、一抱えほどもない眼前の鍋の中へと放り込んでいく様を、ロンドは黙って見ていた。
 鉤バサミに捕らえられたそれらは、決して見ていて快いものではない。
 ぐにゅりとした柔らかいもの、ぶつぶつとした塊が寄せ集まったもの、半ば以上溶け始めている謎の物体……すでに鍋から溢れるほどの量が放り込まれている筈なのだが、鍋の中身が零れることはない。
 ものが鍋の表面に出てくることも、ない。

(もしかしたら、この鍋の中身は、投げ込まれるものを己の意思で飲み込んでいるのだろうか…)

 ロンドは大きな気泡が鍋の表面に一つだけ弾けるのを見て、まるで満足した肥満男のげっぷのようだなと下品なことを連想した。
 夢だからであろうか、ロンドは何故か、ローブを着たその男が考えていることがある程度まで理解できていた。
 彼は、焦っている。
 計画に必要なもの。
 目的を果たすために必要なもの。
 立っている男は、それについて思いを馳せていた。
 彼の目標は昼夜問わず、あの”搭”の中にいる。
 追われた身である男が会いに行っても門前払いされるのが関の山だし、目標へ届け物と偽った荷物を送り込んでも、受付の厳しいチェックを逃れることはできそうにない。
 だからこそ、ローブの男は考えに考え抜いた。
 いかにもの善人に見せかけた目標が訪問を拒まないであろう、もっとも低くありながら貴重なもの。
 それを彼に送りつける段取りをつけられるのなら――あるいは――。

「用意してあげましょうか?」
「ッ!!」

 いるはずのない己以外に声をかけられ、心臓を跳ねさせながら振り向いた男は、其処に一人の女を見た。

地下水道2

「誰だ!!??」
「用意してあげましょうか?」

 同時に、その声にまどろんでいたはずのロンドの意識も、一気に緊張が増していく。 
 暗がりと異臭の立ち込める部屋の隅。
 昏い火明かりが届いていないにも関わらず、女の着物の裾の解れまで男と夢の中のロンドはくっきりと認識することができた。
 返答を待っているのか、女は静かに笑っている――哂っている?

「貴様、は……」

 唇に乗せられた薄紅がくっきりと弧を描くのに、ロンドは嫌というほど見覚えがあった。
 以前、氷鏡の化け物にとって変わられた時の事件。
 その折にロンドへ鏡を売りつけた、あの女と同じ微笑みだった――。

2016/09/07 11:39 [edit]

category: Through the hole

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