Thu.

霧を抱く…その8  

「やあ、待っていたヨ」

 そのセリフは変わった抑揚がついていたものの、理解できないような発音ではない。
 緑色の肌に、妙に人懐こい笑みを浮かべた13、4歳ほどの少年。
 300年前の戦いにおいて太古の悪霊をまとめあげ、組織的な戦いを行って人間達を苦しめた、極めて聡明で冷酷な軍師の姿であった。
 彼の声にエコーが少し掛かっているのは、ここが”霊剣・空牙”を発見したあの鉱山の最奥だからである。

「おぬしが軍師か」
「君達は、僕のことをそう呼んでいるみたいだネ」

 老婆の呼びかけに、ふっと軍師は口を歪めて笑った。
 青白い灯火がゆらりとロンドのマントから離れ、くるりと円を描いて聖妖精バールの姿をとる。

「ハッ! 久しぶりじゃねぇかよ。相変わらず嫌味っぽいやつだな」
「やあ、バール。久しぶりだね。君達と会話するのに言葉は要らないから、封印されている間、君とはずいぶん議論を戦わせたヨネ」
「ほほう。バール殿、そうだったのかえ?」
「ああ、まあな。だが、こんな性悪野郎と意見が合ったことなんてないぜ」
「存在の意義、破壊の意味、そして誕生とは何か……。あれは充実した日々だったヨ」

 その時、テアの抱えていたバイオリンケースからも柔らかな灯火が離れ、たちまちルーラの姿をとってこの会話に口を挟んだ。

「そんなことはどうでもいいわ。早く本題に入ってちょうだい」
「やれやれ、ルーラは相変わらず性急だネ。久しぶりの友人との再会を、もっと楽しませてくれてもいいじゃないか」
「バ~カ! お前みたいにひねくれた野郎を友達だと思ったことは、一度もねぇよ」
「気が合うじゃないか、バール。僕も君のこと、嫌いだからネ。さて、それじゃあ、ルーラの言う通り、本題に入ろうカナ…まず、話し合いに応じてくれたことに、お礼を言うヨ。あの古城の図書室で、必死に君達の言葉を覚えたことが無駄にならなかったからネ」

 一見したところ友好的な挨拶にしか聞こえない彼のセリフに、太い腕を組んだロンドがそれに左右されることなく用件を促した。

霧19

「それで、俺達とどういう話がしたいんだ?茶飲み話に付き合ってほしいわけではないだろ?」
「やれやれ、厳しいネ。それじゃあ、僕達の目的と要求を言うネ」
「……」

 黙って成り行きを眺めているウィルバーの目が、きらりと光る。

「僕達はただ、帰りたいんだ。僕達の世界へネ」
「だったら、さっさと帰ればいいじゃん」
「帰れるものなら帰っているヨ」

 ぷっくり片方の頬を膨らませて文句を言ったアンジェに、軍師は肩を竦めて話を続けた。

「君達に分かるかい?自分の存在そのものを否定される気分が。この世界では僕達は本来ならば、存在できないんだ。僕達の世界とは根本的に全てが違うからネ。突然、この世界につれてこられて、わけの分からないままここに閉じ込められて……。ようやく外に出れて食事をとれば、君達の同胞が大挙して攻め寄せてくるし」
「そんなこたぁ、誰よりもよく分かってる」

 口を挟んだ有翼の青年の横槍に、かすかに眉根を寄せた軍師は、しばし人形の如く整いすぎた顔に憮然とした子どものような雰囲気を漂わせた姿を見つめた。

「これは驚いタ!彼は『こっち側』の種族じゃあないか。何だって人間に従ってルの?」
「従ってるわけじゃねぇ。この世界に流れてきた後、人へ契約を持ちかけたのは僕の方だ。正確には、テメェらは僕よりも古い血族の魔になるんだろうな。人の魂を常食にしている種だ」
「魂…!?じゃあ、彼らが300年前にレンドルを襲って、大量殺人を引き起こしたのは…」
「そうだヨ。食事だヨ。僕達は、君達人間の魂を食べるんだ。君達が動物を狩って、その肉を食べるのと同じようにネ。ここに誘拐された後、連れてきた者が人の魂を食べる僕達の習慣を知って、この鉱山に閉じ込めた……」
「よくある話だぜ。魔法に長けた者が、己の願いを適えてもらうために魔族を召喚し、取引をする。ただ、呼び出した魔族が強い力やあまりにも残酷と思われる性質を持っていると、それをどうにかコントロールしようと足掻く」
「多くの僕達の同胞が餓死したヨ。だからようやく外に出られた時、久しぶりの食事をした。僕達だって死にたくなかったからネ。責められる謂れはないヨ」

 顔色を変えて眉を吊り上げたシシリーの肩を、ポンとテアが叩いた。
 老婆は人が食事と言われたことに対しても、人間の愚行に関しても平静さを保っている。
 彼女は――悪魔と取引をした当人である老婆は、はっきりと言った。

「ここにこやつ等を招き入れたのが人間なら、食事として喰われたのも人間じゃ。だが、数百年以上も昔の出来事をわしらが忖度する立場にはない」
「………」
「わしらがここにおるのは、ただひたすら、旗を掲げる爪として依頼を引き受けたから、レンドルの人々を今回の事件から解放するためではないかえ?」
「ふーん、そっちの老人は案外と話の分かる人みたいだネ」
「買い被りもいいところじゃ。わしとしては、お前さんたちが自主的にいなくなってくれるのを望んでおるんじゃからの」

 テーゼンが片方の翼をバサッと広げる。
 槍を構えるでもなく、ただ腰に手を当てただけの立ち姿なのだが――辺りを威風で払うような、妙な貫禄があった。

「要求は、なんだ?」
「僕はただ、自分達の世界に帰りたいだけなんだ。ただそれだけを願っているし、そのためだけに行動している。僕達は君達がリリアと呼ぶ少女が欲しい」
「なぜ、彼女なのです?」

 ウィルバーの質問に、軍師が唇の端を上げた。

「とぼけなくてもいいヨ。彼女の身辺警護を厳しくしたってことは、彼女が僕達にとって特別な存在ということに気が付いたからなんでしょ?」
「まさか…………」

 軽く目を見開いたテーゼンだったが、一瞬の後に思い当たった単語を口にする。

「彼女は、”扉”なのか!?」
「ご名答」
「……黒蝙蝠。”扉”ってなんだ。どういうことだ?」
「……全く性質の違う異次元へ渡る専用の空間転移扉(ゲート)ってことだ。お前、一回≪狼の隠れ家≫の地下室で落っこちたろう。あれの人間版ってことだ」
「は?リリアさんにドアノブも蝶番もついてないぞ」
「お前が落ちた空間転移扉(ゲート)だって、そんなもん付いてなかったろーが!!」
「……あの、白熱してるところ申し訳ないが、二人ともお黙りなさい」

 ウィルバーは言葉だけで2人を黙らせると、すっと目線をシシリーに移して尋ねた。

「……推測ですが、”扉”として使われた人間は死あるのみかと。空間転移扉(ゲート)自体も、実際に人が出入りできるように開くのは非常に魔力を使うものなのです。だとすれば、媒介として使われるのか、彼女自身を術で”扉”に変化させるのかまでは分かりませんが、リリアさんが持っている生命エネルギーは恐らく、異界渡りに関して使われてしまうことは間違いないでしょう」

 ここまでを淡々と語ると、さて、とウィルバーは再び口を開いた。

「あなたは、どうします?彼らはリリアさんを手に入れられれば、もう人を襲う必要はない……軍師、そうでしょう?」

霧20

「ああ、そうだネ。彼女は僕達が僕達の世界に帰るのに必要な“扉”で、それ以外の準備は全て整ってるんだ。後は彼女だけ」
「シシリー。彼女1人の犠牲で、他の複数の人間を救いますか?」

 酷なことを聞いていることは、嫌というほど自覚している。
 しかし、この件は――1人の犠牲で多数を救うのか、多数の犠牲が出る可能性をそのままに1人を救うのか――委ねられているこれから、目をそむけることは出来ない。
 彼女が英雄でも王様でもない、ただの冒険者なら――それならリリアを救うことを選んだとしても、責められることはない。
 だが、シシリーは。

(彼女の中に根付いている聖北の信仰……それが、今回は裏目に出るかもしれない)

 ウィルバーは、この仕事を引き受けるのではなかったかも……と、目の前のリーダーの少女の逡巡する顔を見守りつつ、心中密かに呟いた。
 震える可憐な唇が言葉を紡ごうとして――そのまま固まっている。
 そんな少女の葛藤を見かねて、ついに老婆が口を挟んだ。

「我々だけでは即答しかねる。時間が欲しいのじゃ」
「いいヨ。最初から即答してもらえるとは思っていないからネ…」
「どのくらい猶予を貰えるかの?」
「一日だけ待つヨ。それまでにこの場所にリリアをつれてこなかったら、交渉は決裂したと見て、本気で攻撃にかかるからネ」
「そちらの要求は分かった。ただ、こちらからの要求にも応じてもらおうぞ」
「……どうぞ」

 人懐こいはずの笑みが、形はそのままに酷薄なものに変わる――。
 僅かに細められた目が、鼠を弄う猫のように見えた。

「一つ目は、交渉が成立するか否かがはっきりするまで、人間を食べないこと。二つ目は、お前達の黒幕の正体と狙いを教えること。そして三つ目は、軍師。おぬしの能力を教えることじゃよ」
「一つ目はOKだヨ。最初からそのつもりだったからネ。三つ目は絶対に応じられないネ。交渉が成立すれば、君達だって知る必要はないでしょ?」
「……まあのぅ。そう上手くいくとも思ってなかったが」
「そんな決裂することを前提にした質問には、答えられないヨ」
「二つ目は、どうです?」
「応じたくても応じられないヨ。僕達には黒幕なんていないからネ。考えてもみなヨ。僕達から見れば、君達人間はただの食料なんだから」
「それじゃあさ、”空牙”の封印からあんたたちを解き放った人間は……?」

 小首を傾げたホビットに、ひらひらと片手を広げて振ってみせた軍師は、

「万が一、僕達が敗れて封印された時に備えて、打っておいた手だヨ。フフフ、僕の能力を知る上でヒントになるかもしれないヨ」

と言って背後を振り返った。

「そうそう、僕達を解放したのが誰か知りたいヨネ?紹介してあげるヨ。さ、おいで」

 鉱山とは言え、街中の石畳と違ってほぼ自然洞穴に近い床を歩くのは、暗闇が多いことやそこかしこで出っ張りがあることを考えると、そうスムーズに出来るものではない。
 だが、軍師の促しに応じてこちらへ歩いてきた足音は、危なげなく前進していた。
 やがて軍師が用意していた魔法の明かりに、闇から現れた面差しが――。

「まさか!」
「何でジーアさんが!!」

 背の半ばまで伸ばした癖のない黒髪。
 優美なカーブを描く眉。
 気の強そうな凛とした面差しと、微笑みを浮かべれば思いのほか女性らしさを花咲かせる唇。
 レンドルの聖騎士隊隊長であるジーアの姿であった。

「そんなの嘘だよ、憑依に操られて…」

 首を左右に振って否定しようとしたアンジェに、ウィルバーが告げる。

「……操られているわけではないでしょう。憑依は軍師の隣にずっといましたから」
「じゃあ、ウィルバーは本当にジーアさんが裏切り者だったと言うの!?」
「……少なくとも、我々の行動の全てを知っていて、これほど内通者に向いた立場の人はいないのではありませんか……?」

 ジーアはただ黙ってそこに佇んでいる。
 焦れたロンドは、思わず叫んだ。

「何とか言ってくれ、ジーアさん!」
「……」
「さ、話し合いは終わりだヨ。太陽があと2回沈むまでここで待っているから、僕達の要求に応じるんだったら、それまでにリリアをつれてきてネ」

 冒険者たちは、ジーアから何事も聞き出せないままに、レンドルへ帰るしかなかった。
 誰もが悄然と肩を落とす帰り道で、こっそりとテアがテーゼンに問う。

「おぬし……いいのかえ?」
「何がさ、ばあ様」
「魔の者の世界への移送……おぬしのいた世界への帰り方が、やっと分かったんじゃ。冒険者の生活の中で見つければ良い、とわしが言ったものが判明したのじゃぞ。リリアを聖北教会と太古の悪霊の交渉テーブルに、テーゼンは乗せておいて見守るだけかえ?」
「……僕は今、仕事の途中なんだぜ。ほったらかしにして帰っちゃってもね。それに…」

 テーゼンは自分より低い位置にある老婆の顔を見つめた。

「まだ、ばあ様は生きてるだろ。魂を貰う予定でいる僕が、帰るべき時じゃない」
「おぬしもまあ、甚だ律儀な男じゃのう」

 テアは低く笑った後、キッと顔を引き締めた。

「テーゼン。シシリー殿は、己の信仰する教義と目の前の現実の間で迷っておる。じゃが、解決するのに手を貸してはならんぞ」
「……なんでさ?」
「悪魔であるおぬしが手を貸すこと自体が、彼女の信仰を捨てさせる要因になりうるからじゃ。悪魔の甘言に乗った、と自分を後で責めるようなことになっては何の意味もない。それを知った上で――おぬしもよく考えよ。人を好きになる、ということを――」

 老婆の言葉に、彼は一言も言い返すことはできなかった。

2016/06/16 13:37 [edit]

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