Thu.

霧を抱く…その1  

 旗を掲げる爪のリーダーである少女は、きりりと眦を上げて前方を睨み付ける。
 白く渦を巻く、蠢いている『それ』は霧であった。
 この商業都市レンドルに着いた直後、仲間の一人が、

「『霧に覆われている』というより、『白い闇に覆われている』と表現したくなるような濃霧」

と話していたが、だとすれば目前の敵はまさに白い闇から生まれた怪物と言えただろう。
 吹きつけてくる強い敵意を前に、冒険者たちは言葉を飲み込んでいる。
 ……この仕事は、そもそも商業都市レンドルにおける多数の行方不明事件が発端であった。
 レンドルの聖北教会における、聖騎士隊という組織。
 大昔の宗教戦争から生まれた教会の戦士団は、都市の治安隊とは完全な別働隊であり、独自の判断によりリューンの老舗の冒険者の宿――すなわち≪狼の隠れ家≫――へ、行方不明事件の解決に協力してくれる人材を求めたのである。
 それに応募したのが、いい加減、鉱精ユークレースに他の都市を見せたかった旗を掲げる爪の面々だったのだが…。

霧

 春の海の色をした双眸の目前で、唐突に深紅の雫が散った。
 常であれば甘い響きを残す柔らかな声が、仲間の危機を察して鋭く尖った。

「ロンド!!」
「動くなよ、シリー。俺は……大丈夫、だ」

 それが強がりであることは、脇腹から溢れ出ている紅い流れを見ればよく分かる。
 ごつごつした印象の拭えない顔に、苦痛による脂汗が滲んでいた。

霧1

 今まで散々強敵と戦ってきたし、二度ほど死神とも呼ばれる恐るべき悪霊――レイスによって【死の接触】を食らった場面もあった。
 だが、ここまで――こちらが一方的に殺戮されそうになっている経験はない。

「3ヶ月間で失踪した人々は、恐らくこいつに食われたのでしょうね…」

 額から血を流しているウィルバーが、油断なく霧の動きに目を配りながら言った。
 直前に霧によって『喰われた』男の死体は、すでにこの世に存在していない。
 白い霧を掻き分けるようにして出て来た男の左半身は、まるで何かに食い千切られたように無くなっていたのだが、霧から差し伸べられた触手が絡みついたかと思うと、包まれた男の服が、皮膚が、肉が、そして骨までもが風化していくかのように消えてしまったのだ。
 恋人を自分の両親に紹介しようとしていた若き娘。
 もうすぐ赤ん坊が生まれる予定だった装飾品の加工技師。
 レンドルに住居を移す息子夫婦と同居予定だった初老の女性。

霧2

 そういった霧の漂う日を境に失踪していた市民たちは、ほぼ間違いなく霧そのもの――目の前の怪物によって、同じように血痕すら残らず『喰われて』しまったのだろう。
 依頼書を出した当人であり、聖騎士団の副隊長でもあるハウザーが、ひゅ、と空気を切って首筋を狙ってきた攻撃を、思い切りのけぞる事で回避する。
 顎に生えている髭が数本、宙を舞ったが、どうにかロンドのような深手を負う事はなかった。
 体勢を立て直し、絶望的な目で自分の獲物を見下ろす。

「相手は霧だ…!剣が通用するはずもない」

 先ほどから、ギリギリで不可視の刃による致命傷を避けているテーゼンが唸る。

「らしいな。ウィルの魔法も通じねえ。ムル、下がってろ!お前の弓でもダメだ!」
「うう、悔しいです…」
「ここはいったん退くのじゃ、皆の衆!無策で戦い続けられる相手ではないぞ!」
「姉ちゃん、先にそっちの路地から出て!あたしと羽の兄ちゃんが攻撃を引きつけるから!」

 真珠色の渦の向こうに見えた道を指差したアンジェは、自分が履いている魔法の靴の性能を信じて賭けてみることにしたらしい。
 一瞬反論しようとしたシシリーだったが、怪我を負ったロンドを支えて逃げるのなら、確かにホビットの娘の意見に従う方が生き延びる確率は高い。
 ここにシシリーが残っても攻撃を回避できる可能性は彼女より低く、アンジェを先に逃がすとしても重たいロンドの身体をこの小柄な娘が支えきれるはずはないからだ。
 ギリリ、と歯を噛み締めて悔しい思いを押し殺すと、シシリーは叫ぶように言った。

「――死なないでよ、アンジェ、テーゼン!どんな怪我したって生きてれば、私がちゃんと治してみせるから!」
「任せてよ、姉ちゃん」
「見損なうなよ。避けるのなら大得意だぜ!」

 年不相応な巨躯を、シシリーとウィルバーの2人がかりで肩を貸して抱え上げる。
 その後ろにテアと依頼主であるハウザーが続き、よろよろと前を行く仲間を励ましながら路地の向こうへと向かった。
 何度目の攻撃のことか、ザックリ腕を切られながらも辛うじて致命傷は避けたテーゼンが、そろそろ自分たちも退散しようと、アンジェへアイコンタクトを送る。

「――、――!?」

 その合図に一瞬だけ――ほんの些細な一瞬だけ気を取られたホビットの体が、肩と首筋の中間から血を噴き上げて倒れる。
 紙一重で急所を持っていかれるのは避けたが、このまま放置していい怪我では決してない。
 サッと飛んで近寄った悪魔は、あらかじめ精製しておいた薬草を傷口に当て、ぎろりと加害者をねめつけた。

「くそっ、テメェ!!!」
『…………』

 目の前の霧は言葉を発しないのは、恐らくはそんな知能がないせいなのだろう。
 だが――テーゼンは、その霧の触手が、こちらへ伸びてくるのを躊躇したように感じられた。
 するすると何かに吸い込まれるように、白い霧の怪物は背後へと下がっていく。

(コイツ――ひょっとして、今の感じは魔族かっ!?)

 悪魔である割りに大した魔力を持たないテーゼンにとって、気配を殺した同族を感知することは非常に困難である。
 だが、こうして大した頭も持たないはずの剥き出しの姿を見せている霧が、なぜすぐに魔族であると判断できなかったのか――彼にはどうしても分からなかった。

(だが…古い。百年やそこらを過ごしてきた魔族の匂いじゃねえ。ずっと古い起源を持つヤツだ)

 もしかしたら、自分の主人であった若き魔王よりも強大な力を持っているのかも――。
 問答無用で脇腹を抉られたロンドを思い出しながら、彼は深く息を吐いた。
 後ろから、

「テーゼン!」

という声が響き、路地から顔を出したシシリーが見えた。
 戻ってくるのが遅いからと、様子を見に来てくれたらしい。

「すぐアンジェを治療しなきゃならねえ。一度戻ろう」
「アンジェ……!」

 黒い服に包まれた腕の中で、ぐったりと力を抜いて倒れている仲間の姿を見て、シシリーが呼吸を飲み込んで蒼白となった。
 テーゼンは慌てるな、と制してから続ける。

「応急処置は終わってる。だが、もっとしっかり血止めしてから治療の術を施さないと」
「分かったわ、行きましょう。ロンドはウィルバーとハウザーさんが運んでくれてるから」

 ハウザーは治安隊から聖騎士団に所属を変えただけあって、かなり逞しい身体をしている。
 ロンドのごつい体躯を預けられても、うろたえる様子はなかった。
 2人はレンドルの広場に位置する、ハウザーが所属している聖北教会へと急いだ。
 教会内の寮の一室を貸してもらい、手持ちの傷薬やシシリーの法術を用いて怪我人を治療する。
 ロンドやアンジェの顔色に血の気が戻り、呼吸が安定したのを確認した他の者たちは、ようやく息をついて思い思いの場所に腰を下ろした。
 テアが眉をひそめながら言う。

「それにしても…あれは一体なんじゃ…?」

 己も、ウィルバーですら正体の分からなかった相手である。
 答えを期待したわけではなかったのだが、はたしてこれに応じた声があった。

「恐らく…蘇った太古の悪霊だな」
「太古の悪霊…ですか?」

 ハウザーはウィルバーへ頷くと、

「実は、昨日分かった事なんだがな…」

と話を続けた。
 レンドルには数百年前、聖北教会におけるアントルー派とティナス派という二つの派閥間で、大きな諍いの起きた歴史がある。
 これが後世に宗教戦争と呼ばれたものだ。
 その戦争が終結した原因こそ、レンドルを襲った脅威の悪霊たちであった。
 共通の敵を得た当時の教会勢力は、内輪の争いを止め一丸となってこれに抵抗する。
 聖騎士や異端審問官の垣根を越えて芽生えた連帯感は容易に崩れることがなく、当時の異端審問官や冒険者達の多くが犠牲になった末、ついに悪霊たちを封印することに成功した。
 だが……。

「この街の教会の最高責任者であるファリス司教は、封印の監視役でもある。その司教様が『嫌な胸騒ぎがする』と調べてみたら、悪霊の封印が解かれていたという訳だ」
「それが今度の事件の…?」
「あの光景から考えれば、行方不明者のほとんどが、あの霧に『喰われた』とするのが妥当だな」
「異常な霧…太古の悪霊と呼ばれる存在の復活…複数人の行方不明事件…全てが繋がっていたというわけですね…」
「しかし、恐ろしいのはあんなのがあと2体もいることだ。それに霧に対抗する手段も思い付かん」
「ちょっと待って下さい、悪霊は3体いるってことですか!?」

 ぎょっとして声を上げたのはウィルバーだったが、他の者たちも顔色が優れない。

「そうだ。伝承にある太古の悪霊は全部で3体。あの気味悪い霧以外に2体いるはずだ。……ま、とりあえず、行方不明事件の原因は分かったわけだ。つまり、君達にしてみれば依頼完了だ」
「……そうかもしれないけど」
「とりあえず、報酬を支払っておこう」

 シシリーは眉根を寄せて依頼主から差し出された皮の小袋を受け取った。
 銀貨500枚相当の宝石が中に入っている。
 それを確かめ終わった冒険者たちに、ハウザーが「ここで」と切り出した。

「君達へさらに依頼を出したい」

 ウィルバーの目がきらりと光った。

「……太古の悪霊の退治…ということですね?」
「その通りだ。これは相当に危険な仕事になる。無論、俺達聖騎士も全力で動くが、経験豊富な冒険者が手伝ってくれると非常にありがたい。無理強いするつもりは無いから、良く考えて決めてくれ」
「……シシリー」

 数々の魔術を操る冷静な魔術師は、リーダー役を担う年若い娘へ呼びかける。
 彼女の碧眼は、ベッドに横たえられた家族同然に育ってきた二人へ向けられていた。
 強大な力を持った敵だ――危うく、彼らを失いかけてしまった。
 途方もない喪失感……あんなものを再び味わうのはごめんだったが、敗北を喫したまま、何も出来ずに去るのも嫌だった。
 何より、この2人が目覚めれば、ほぼ間違いなく雪辱戦を主張するのは目に見えている。

(負けず嫌いなのよね、この2人……でも、それはきっと私もなんだわ)

 シシリー自身も、聖北教徒の一人として、また冒険者パーティのリーダーとして、このまま多くの人々の命を奪った霧を放置して、レンドルから去るのは不承知であった。
 暗い光に彩られていたはずの碧眼は、澄んだ決意を湛えて依頼主を見据えた。

「このまま去りたくはありません。どこまでできるか分かりませんが、協力します」
「ありがとう……頼もしいな」

 ハウザーはこれから、被害者の家族たちに探し人の死亡を伝えに行くという。
 黒い髪を背の半ばにまで伸ばしたジーアという名前の女性聖騎士隊長が、残念な結果になったことと嫌な役目を務めなければならないことに対し、気遣わしげにハウザーへ声を掛けたが、彼はこの役を他の者に任せるつもりはないようだ。
 結局、負傷者たちの看護はシシリーに任せ、年長者組とテーゼンはハウザーと同行することにした。

2016/06/16 13:11 [edit]

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