何度目かの――今日はすでに五日目に突入してる――こと、街の住民をまたもや送り届け城に戻る道すがら、テアが首を傾げる。

「しかし、人に戻る魔物と、そのまま溶けて消える魔物の違いはなんじゃろうの?」
「まさか……時間切れ、とか?」

 言っていて自分で蒼くなったシシリーだったが、テーゼンが優しくその肩を叩いて落ち着かせた。

「いや、人が変化した魔物はごく一部で、残りはそのコピーか何かだと思うぜ。あれだけの数を近隣からみんな攫ってきたなら、さすがに国が対処に動くだろうよ」
「なるほど、コピーね……でも、なんでそんなことするのかしら?」
「さてね。他の悪魔の思惑までは、分からねぇよ。中には自分の狂った規範で動く奴もいるから、あまりまともに考えない方がいい」

 第一、聞いたところで答えはしないだろうとテーゼンは心中で呟いた。
 湖城に巣食う悪魔たちは低級ではないものの、黒幕の使い魔に過ぎないことを彼は見極めていた。
 まだ姿を見せていない黒幕――恐らくは、湖城にいた召喚師に支配されたことを未だに恨んでいるのであろう悪魔は、冒険者たちのこのたびの動きを非常に警戒している。
 悪魔エリゴス・悪魔キュルソンを破り、今また悪魔バティンをも退治した彼らは、城の奥から吹いてくる冷たい風に身を縮こませた。

凍える湖城4

「指先がかじかむ…。これ、長時間の探査は辛いなぁ。睫毛まで凍りそう」
「ううん、気のせいでしょうか。大吹雪の日は、城の中もいつもより寒い気がします」
「氷で造られたかのような状態じゃから、外気温につられてどんどん室温を下げておるのかもな」

 老婆のセリフに、ぶるりとアンジェが身を震わせた。

「何かで気を紛らわそう。えーと古今東西、今したいこと!」
「暖炉にあたる」

 すっぱりと一番皆が望んでいることを言って、古今東西をあっさり終わらせたのはシシリーである。
 聖北教会修道士として、今までそれなりに厳しい修行もこなしてきたはずの彼女なのだが、この寒さにはさすがにお手上げらしい。
 すっぽりと自分の翼をコートのようにして体を覆っているテーゼンを見て、羨ましそうにしている。

「いいなあ、温かそう…」
「はっ、え、ああ、これ?」

 黒い翼をゆっくりと動かして、テーゼンがもごもごと口を動かしていたものの、素早く2回瞬きしてからシシリーを羽で覆った。

「わっ」
「あ、えーと、ちっとは温けえかと…どうだ?」
「わー、本当に温かい。羽って飛ぶだけじゃなく凄いのね」

 チリリ、と彼のうなじに鳥肌が立つ。
 翼で触れる若木のような肢体から伝わる体温が、テーゼンの鼓動を不自然なほど早めた。
 金髪から柔く香る匂いはいつもと同じなのに、非常に好ましくて、思わず顔を近づけたくなる。
 これで第三者がいなければ、立派に男が女を口説くシーンに移行するのだろうが――彼らは、パーティとして来ている立派な冒険者一行なのである。
 だから横槍が入るのも当然のことだった。

「いいなあ、姉ちゃん。ねえ、羽の兄ちゃん、あたしもモフモフさせてよ!」

 2人の様子を眺めていたアンジェが、不意にそんな抗議をし始める。
 夢心地だったテーゼンが一気に現実へ引き戻され、ぎょっとした表情になった。

「……な、何だって?」
「いいじゃん、姉ちゃんばっかりずるい!あたしも抱っこ!」
「!?い、いやだ!なんか嫌だ!!」
「そんなこと言わないでよ!絶対優しくするから!ちょこっとだけ! ね! ね!」
「わーっ、止めろ!」

 テーゼンは好ましい身体から泣く泣く己を引き剥がして、すばしこいホビットから逃げ始めた。
 ウィルバーは半笑いの顔のまま、テアに問いかける。

「……あの邪魔は無自覚ですか?」
「多分のう」

 置いてけぼりにされたシシリーが目を瞠って悪魔とホビットの追いかけっこを眺めていると、ロンドが無言で自分のマフラーを双子のような存在の少女へ巻いた。

「……ありがとう」
「皆、お前がリーダー頑張ってるの知ってるからな。労わりたいんだよ。…宿屋で作ったカレーは失敗したけど」
「ああ、あれ……私、何か悪いことしたのかと思っちゃった」

 シシリーの脳裏に、黒とも紫ともつかない謎の光沢を放つ物体が過ぎった。
 あの物体を『カレー』として出された瞬間、何か含むものでもあったのかと顔色を変えてしまったものである。
 さすがにこれを食べさせるのは気の毒だと、こっそりテアがちゃんとしたカレーを作っておいてくれなかったら、シシリーは胃薬を片手にそれを食べる羽目になっていただろう。
 そんな事を思いながら異種族2人組を見守っていると、ある床を踏み抜いたテーゼンの足元が、がたんと沈んだ。
 とっさに飛び退り、罠を警戒した一行だったが……。

「……あ、これってもしかして……」

 何かに思い当たったアンジェが、氷に覆われている調度品の中から、一際美しく大きな彫像の台座にしゃがみ込んで何やら覗き込んでいる。

「やっぱり。兄ちゃん、羽の兄ちゃん、この彫像動かして!さっきの床、多分これのストッパーだったんだよ。もしかしたら、これが最後の悪魔の部屋に通じてるのかも」
「街の人が言ってた、『空を飛ぶ猫』みたいな奴か」
「どれ、そうと分かれば……」

 ロンドとテーゼンは、力を合わせて彫像を横へとスライドさせた。
 台座の下に隠されていた下り階段からは、今までの冷風など比べ物にならないほど強い寒気が吹き上がり、覗き込んできた冒険者たちの顔の皮膚をちくちくと刺してくる。
 シシリーがきゅっとマフラーをかき寄せるようにして言った。

「いるわね…」
「間違いなく、ですね。隊列を作っていきましょう」

 罠を用心してアンジェとテーゼンが、すぐ飛びだせる位置にシシリーとロンドが続き、テアとウィルバーが殿につく。
 シシリーがベルトポーチから解放してあるランプさんと賢いフォウのスピカが、ひらりひらりとアンジェの頭上の少し前を照らすように舞い上がった。
 気を抜くとすぐ滑ってしまいそうになる階段を、互いに支えあい、気をつけながら下りる。

「おっとっと…」
「ひっ。ちょっと、テア大丈夫なの?見てるだけでも怖い」
「そうは言ってものう。さすがにボスクラスが待ち構えてる時に、わしを背負ってくれとは言えんじゃろう?」
「手をお貸しするのは構わないのですが…。この足元では、私の方が転びそうで、っと!」
「あぶねっ。ウィルバーさん、転んで頭打たないようにしてくれよ」
「……皆、苦労してるね」
「いいから僕らも前向こうぜ。多分、あと少しだ」

 黒い翼に突き刺さる冷気が、いっそうその厳しさを増したのに気付いて彼は眼を細めた。
 湖城の街サセルカに襲い掛かった悪魔は、目撃証言では4種。
 そのうち3種まではすでに撃退している旗を掲げる爪だったが、最後の『空を飛ぶ猫』とは……どのような相手なのか疑問だった彼らの目の前に、骨でできたような異様な翼が広がっていた。

「でかい……」

 感歎しているかのようなロンドの声音だったが、その目は強い敵を前にした興奮に輝いている。
 彼らが今、氷柱のぶら下がる闘技場のような場所で見下ろしているのは、体長3メートルはあろうかという猫科の生き物だった。
 黄金色に近い金茶の毛皮に微かに見受けられる斑点を見ると、まるで豹のようにも思われたが、その前足に生えている鋭い鉤爪がそれを否定している。
 何より、力感溢れる生き物の背から生えた、血のところどころこびり付いて黒ずんでいる骨の翼。

「氷の属性を持った魔族だな。あんまり長くはヤツと戦えねぇぞ…人間の身体がもたねえ」

 テーゼンの指摘通り、脅威の悪魔は白々とした牙の見える口から吹雪のような息を吐き出していた。
 シシリーがゆっくりと神への祈りを捧げる。

『天に座する我が主よ、かの魔族の正確な姿を我が目に映したまえ…!』

 【御使の目】を発動させたシシリーは、人にあらざる視覚により、フルーレティと呼ばれる猫の形の悪魔が強力な魔法を使いこなす存在であり、炎の力に弱いことを見通した。

「必要なのは火だわ。行くわよ、ロンド!」
「おう、任せろ!」

 飛び出した2人につられるように、アンジェとテーゼンも別のルートから悪魔へと近づいていく。
 死角になるような位置に陣取ったテアが、バイオリンの弓を走らせた。

「氷に属するというのなら…これなら、どうです!?」

 ウィルバーの握る≪海の呼び声≫の宝玉から溢れた光が、空中に召喚の陣を描き出す。
 そこから飛び出した毒を持つ鼠の群れが、フルーレティの凍れる吐息を引き裂くようにして、真っ直ぐその巨体へ襲い掛かった。

「ギャアァアアア!?」

 金茶色の大きな体躯が、思わぬ苦悶にのた打ち回る。
 鼠に襲われる猫の身体に、今度は炎を纏ったスコップが振り下ろされた。

「グオオオォォオン!」

 苦鳴を上げながらも、敵はこのまま倒れるものかと仲間を呼ぶため咆哮した。
 ぐちゃり、ぐちゃりと天井から滴った泥濘がわだかまり、この数日で冒険者たちが見慣れた魔物たちが次々と姿を現す。

「そうは……させないんだから!」

 アンジェが操る繭糸傀儡が妖艶な女性の横顔を作り出し、魔力を含んだ哄笑を発生させる。
 たちまち、フルーレティを守らんと生まれたはずの魔物たちが、その攻撃によってダメージと混乱を食らった。
 続けて祈りを宿した剣をかざした剣舞を披露したシシリーの後退した背後で、テアの演奏が死の砂漠に吹き荒れる熱風を生み出し、敵対する者たちを薙ぎ倒す。
 ――一度弱点を心得てしまえば、すでにフルーレティは冒険者たちにとっての敵ではなかった。

「ふう……」

 シシリーは≪Beginning≫の刀身についた血を振り落とし、布の端切れで丁寧に拭った。

「姉ちゃんのおかげで、あまり苦戦せずに済んだね」
「しかし、この部屋はなんだろうな。まるでリューンの闘技場みたいだ」

 ロンドはまるで子ども(まあ半分は子どもだが)のように辺りを興味深そうに見回していたが、その視点があるところでピタリと止まった。
 そして、何も言わずにガタガタ震えだす。
 室温とは関係なしに、血の気がその顔から失せていた。

「どうしたんじゃ、ロンド?」

 怪訝そうに声をかけた老婆は、彼の視線の先にある物体に気付いた。
 鏡、だ。
 金の意匠を凝らした枠を持つ、美しい鏡。
 それが部屋の隅に置かれていた。

「…なるほど、おぬしにとっては全くありがたくないアイテムじゃの」
「なんだ、あの鏡……妙な気配がするぜ」

 テーゼンは仲間達を後ろに下がらせると、用心しいしい忍び足をしながら鏡へ近寄った。
 一見したところ、何の変哲もない鏡のようである。
 だが、黒く輝く双眸が見つめるうち、その鏡面が微かにミルク色を帯びてきた。
 ハッとなって≪ダリの愛槍≫を構えたテーゼンの前で、鏡面に映っているテーゼンがニヤリと悪魔に相応しい笑いを浮かべて……。

凍える湖城5

「……!あ、あれは僕……!?」

 魔界の所属していた軍の中で、小突かれ、打たれ、斥候という名の捨て駒にされるはずだった小さな悪魔。
 主の失脚により思いがけず自由になり、唯一の居場所であった森の中で年月を忘れる日々を送っていたのに、やがてその安住の地でさえ、魔王の勢力争いのいざこざで炎に包まれていく……。

「止めろ、僕からそこを奪うな!」
「テーゼン、おぬしどうしたんじゃ!?」

 鏡に向かって必死で叫び始めた青年を、テアは後ろから腕を掴んで正気に戻そうとする。
 だが、恐慌状態と化した彼の瞳は、全く仲間を認識しようとしなかった。
 進み出たシシリーが、

「どいて、テア!」

と叫び、法力を神に捧げて祈る。

『我が主よ、天に座す偉大なる方よ。汝の名を讃える使徒に、さらなる勇気を生み出す力を…!』

 聖句と共に、淡く輝く掌を翼の生えた背中に当て、彼の精神状態を法力で無理やり正常に戻す。

「……あ?」
「テーゼン、鏡から離れて!」

 長剣をぶれもせずに振るい続ける力に任せて、ぐいと彼をその場から引き離す。
 すると、鏡が白い光を放ち――そこからまろび出た人影が、ゆらりと立ち上がった。

「いつまで鏡と見つめ合ってるつもりなの?敵の襲撃よ」
「あ、ああ…悪い。ちょっとトんでた…」

 未だに鏡の中に見たトラウマの光景に驚いていたテーゼンが、びくりと敵に顔を強張らせた。
 彼の――テーゼンの視界に映るそれは、間違いなくテーゼンの美貌を備えていた。
 だというのに、ロンドの鏡の事件で味方の偽者に過敏な反応をするはずの仲間たちが、一向にそれに反応する様子がない。

「な、何で……あれは、僕じゃないか?」
「……おぬし、本当に大丈夫か?いくらなんでも、おぬしとアレを見間違いようはないぞ」
「あたし、冒険で鏡見たら、まず戦えって経験則になっちゃいそう」
「俺はすでになっている」

 妙に目の据わった様子のアンジェとロンドが、それぞれ愛用の武器を構える。
 落ち着いた挙措でウィルバーやシシリーも戦闘態勢を整えたので、テーゼンもつられるように槍を構えはしたものの、その心から動揺は消えなかった。

(まさか…こいつらには見えていない!?一体どうなっている…!?)

 テーゼンの美貌を備えているはずのそれは、特に強い魔法や技を操ったわけではなかった。
 だが、今まで倒した使い魔たちと同じ能力を持つ、泥濘から生まれた魔物たちが現れ、シシリーやウィルバー目掛けて、一際強い寒さによる束縛や、格闘による打撃の麻痺などが放たれる。
 主人であるシシリーが動けなくなったために、狼狽したスピカがチィチィと鳴声を上げつつ上空を舞った。

「くっそ、僕が動くのが遅かったせいだ……!」

 仲間たちに魔法へ抗する力を付与しつつ、テーゼンが槍に気合を込める。
 アンジェは≪早足の靴≫の助けにより壁を走り天井へ跳び上がるなどして、キュルソンの拳を紙一重でかわし続けた。
 僅かに避け損ねた拳が、危うくホビットの耳を掠める。

「あぶなっ。おばあちゃん、お願い早く…!」
「そう年寄りを急かすでないよ」

 テアの演奏による【安らぎの歌】が、辛うじて冒険者たちの身体にできた傷を塞いでくれたが、完治には程遠い。
 ロンドがスコップ片手に一人で奮闘してはいるものの、彼の大柄な身体にも魔法によるダメージが蓄積し始めていた。
 ぐい、と鏡のテーゼンが腕を地面と平行に伸ばすと、それが餅のように伸長してぐるりとシシリーの肢体を締め付ける。
 激昂した本物のテーゼンが斬りつけるも、腕が離れる様子はない。

「テメェ…!」

 素早く渦を描くように回転したテーゼンの身体から、穂先がまるで流星の如く幾度も突き出され、風どころか空気を巻き込むように偽者を穿つ。
 多少の傷は使い魔の魔法で癒していた偽者だったが、その使い魔ですら呪文を使う暇もないほどの傷が無数に刻まれていった。
 とどめの槍が貫くと、鏡から生まれたはずのその姿が宙に溶けるように消え去り、金の枠にはめ込まれた鏡にいつの間にか亀裂が走っている。

「こいつが本体だったのか……!」

 呻くように言った悪魔の青年の眼前で、亀裂はすでに修復不可能ほどに鏡面を覆い尽くし――やがて、儚い音を響かせて割れ落ちていった。
 鏡にいい思い出のないロンドが、首筋の冷や汗を拭って息をつく。

凍える湖城6

「はあ…もう動かないな?なんだか妙に疲れる相手だった…」
「…………」
「本当にどうしたんだ、黒蝙蝠?さっきから、俺以上に様子がおかしいけど」
「いや何でもない。……何でもねーんだ」

 テーゼンは震えている己の利き手を、もう片方の手で押さえた。
 もうこれ以上、おかしな鏡に苦しめられる事はない。
 彼は先ほどの鏡が最後の湖城の悪魔だったのだろうと説明すると、仲間達を促してサルセカへ戻ろうと告げた。

2016/05/31 11:55 [edit]

category: 凍える湖城後の20の命を持つ黒龍

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