Sun.
くろがねのファンタズマその3 
客室にわだかまっていた悪霊たちを、神聖な光を放つ聖印の力で怯ませて振り切った冒険者たちは、貨物車の中で聖水や火晶石、鉄道会社が乗務員に支給する身分保証のカードなどを見つけた。
聖水の瓶をお手玉のようにひょいっと投げ、危なげなく受け止めたアンジェがにやりと笑う。
「結構良い物あったね」
「だよなー。何とかこれで、僕らがレオランまで来た交通費くらいは元が取れる……はずだ」
「このカード……IDカード、だっけ?どこかで使えるのかしらね」
「持っておいて損はないと思いますよ。乗客側では出入りできない所に私たちが入り込む時などがあれば、これが鍵になってくれるはずです」
亡霊列車にいるというのに、賑やかな一行である。
聖水の瓶をお手玉のようにひょいっと投げ、危なげなく受け止めたアンジェがにやりと笑う。
「結構良い物あったね」
「だよなー。何とかこれで、僕らがレオランまで来た交通費くらいは元が取れる……はずだ」
「このカード……IDカード、だっけ?どこかで使えるのかしらね」
「持っておいて損はないと思いますよ。乗客側では出入りできない所に私たちが入り込む時などがあれば、これが鍵になってくれるはずです」
亡霊列車にいるというのに、賑やかな一行である。
通路に差し掛かると、壁にはこの大隧道のものだろうか、路線図のようなものが掛けられている。
聖水をポケットに隠したアンジェのどんぐり眼が、路線図の下方にある文字を読み上げる。

「モノクローナル号。この列車の名前か――」
路線図の説明によると、この列車はモノクローナル世界の技術供与により運行を開始し、レオラン=パラッサ間を38時間で結んでいるそうだ。
古代王国の列車がなぜ今になって復活したのか。冒険者たちは首を傾げた。
そして何より――。
「モノクローナル世界ってさ……あそこのことだよね?」
≪狼の隠れ家≫には、先輩冒険者がどこからか持ってきた水晶が地下に設置されている。
その水晶は、3日間日光に当ててから、同じ日数だけ地下に保管して触れると、異次元への移動をするゲートとなり得るのである。
白と黒の色しかない異世界の住人は、色を持った来訪者に対して非常に好意的に接してくれた。
≪狼の隠れ家≫に来て間もない頃、うっかりその水晶に触って移動したことのある(しかも技術まで習ってきた)アンジェにとって、あのモノクロの世界は視覚的に慣れないながらも、居心地の決して悪くない場所であった。
「あそこと同じ場所の技術なら、そうそう怖いことはないと思うんだけど…」
「それは早計かも知れんぞ、おちびちゃん」
諭したのは、最年長の仲間であった。
「技術と言うものは、それがどのような目的で作られたものであれ、良くも悪くも使われる可能性があるものじゃ。この列車とて、かつては便利にありがたく使っていたに違いない。それを――あの蜘蛛女が、好きに利用しとるんじゃろう」
「おっと……ばあ様、ちょっと止まって」
テーゼンが次の車両とのドアを開ける。
見たところ、ここも無人の客車のようである。
また奥の方に、前方車両へ続く出口を見つけたシシリーは、何の疑問も持たずに歩を進めようとした。
「当たり前かもしれないけど、誰の姿も見当たらないわ」
「待って!姉ちゃん、部屋に入らないで――!」
「えっ?」
シシリーの腕をぐいと掴み、アンジェが制止する。
「客室の床を見て――全面に、奴らがいる!」
生気に満ちた碧眼の前で、今まで客車の床に落ちていた影だと思っていた闇が、ぼこぼこと泡だって蠢動を始めた。
ひときわ大きく膨れた泡から、出来損ないの人の形が持ち上がる。
ゾッとしたシシリーは、一歩飛び退って柄に手をかけた。
「っ……!床が、全て――悪霊と同化している……」
客車の床は、獲物を求める漆黒の亡霊に埋め尽くされていた。
この上を通り抜けていくのは至難の業だろう。
これはもしかして、自分たちを軌条の上で束縛したあれらと同じものでは――と冒険者たちは考えた。
だとしたら、いったん捕まったら抜けようがない。
呻くようにテーゼンが言う。
「この数では、聖水も、神聖な力も気休めにしかならないだろうぜ…」
「まるで、海のように波打って――どうしてこんなに」
驚きのあまり強く打つ心臓を押さえるように、胸に手を当てたミカが呟く。
シシリーは彼女の言葉に何か引っかかるものを覚え、じっと動く床を見つめた。
(…海のように?はっ…まさか――)
蠢く床の一部が、上空を飛ぶランプさんの真下で激しく脈打っている。
自分の思いつきに確信を得たシシリーは、光の精霊たちに向かって叫んだ。
「ランプさん、スピカ!ベルトポーチに戻って!こいつら、光に反応して脈打ってる――!」
「え…?本当、姉ちゃん?」
いつもと同じ表情ながら、どことなく焦っている様子で引き返してきたランプさんを眺めやりながら、アンジェが彼らの代わりに訊ねる。
「ええ、間違いない。この亡霊たちは、はっきりとした視覚がないのよ。漠然と明るい方向に移動しているだけ」
「なるほど、そういうことかよ。なら、光を囮にして、誘導できるかもしれねえな…」
「じゃあ…姉ちゃん、どうするの?」
「……実体がないランプさんに囮を頼むわ」
彼女はそう言うなり、ポーチに帰ってきたばかりのランプさんを掬い上げるように取り出して、じっと虚ろな目を自分の双眸と合わせて頼み込んだ。
「いい、ランプさん。私の合図で、あの悪霊たちを右側の座席の方へ集めるよう、発光して欲しいの。あなたが奴らを惹きつけている間に、空いた通路を私たちが駆け抜けるわ。殿の私が手を振るのが見えたら、猛スピードでこっちに追いついてきて。分かった?」
「だが、シリー。ランプさんが俺たちに追いついてきたら、悪霊どもも追って来るんじゃないか?」
「それを防ぐ道具はあるわ――聖水よ」
シシリーの目が、アンジェの方を見た。
「聖水を通路と客車の間に撒いて、結界を張るわ。そうしてからランプさんを戻す合図をすればいい。ランプさんは精霊だから、悪霊除けの結界に弾かれることはないもの」
「結構、ギリギリの作戦かもしれませんが……無策よりはマシかもしれませんね」
「一気に走らねばならんのなら、テーゼン。わしを運んでくれるか」
「ああ、ばあ様。揺れるだろうが我慢してくれよ」
「ミカ、お前は俺が手を繋いで一緒に走るからな。途中で転んだりするなよ」
「はい……」
方針を決めた旗を掲げる爪は、シシリーがランプさんに合図したのを機に、一気に黒く波打つ客車の通路を走り出した。
「あ、あのっ、シシリーしゃ…いえ、シシリーさん」
「どうしたの!?気をつけなきゃ、舌噛むわよっ」
「冒険者って、いつもこんな感じなんですか?」
ミカの疑問に答えたのは、当人ではなく老婆を俵抱きにした美貌の悪魔である。
「大体こんな感じだぜ。シシリーが無茶を通そうとすると、もっと酷い」
「ちょっ!白紙の後輩に、嘘教えないでよ!?」
ミカは、どこか眩しそうに背後のランプさんの光を振り返り、自分の手を取るロンドの歩調に遅れないよう必死で続いた。
ガス灯が寂しく瞬く通路に飛び込むと、アンジェがポンとシシリーに聖水を放る。
それを両手でキャッチしたシシリーは、栓を開けて聖水を通路と後方車両の合間に振り撒き、自分の法力をそこに込めた。
撒かれた聖水が仄かな光を放つが、すぐに消えたために悪霊の注意を惹きつけることはない。
見事に結界を張り終わったシシリーは、大きく手を振ってランプさんを呼び戻した。
「はー……結構、危なかったね。あたしちょっと疲れた」
「でも、まだまだ車両は続きそうだ。ここで休んでる暇はないんじゃないか」
「ロンドの言うとおりかもしれませんね」
結界の向こうでがちがちと悔しげに歯を噛み鳴らす悪霊たちを冷たく見やった後、ウィルバーは振り返ってそう言った。
「夜明けまでの時間をいたずらに潰すわけにはいきません。進みましょう」
「はーい」
それ以上の我侭を言わずに1人先行したアンジェだったが、「お!?」という声を発して、急いで仲間を呼びに戻ってきた。
「ねえねえ、次は客車じゃないよ。面白そうだから、皆早くおいでよ」
「だから時間があまり無いと言ってるでしょうが……やれやれ」
「まあまあ、お若いの。違う部屋なら部屋なりに、何かこの事態を打破するものでもあるかもしれん。じっくり見ておこうぞ」
呑気な言い分にがっくり肩を落としていた魔術師は、老婆の取り成しによって、気を取り直しアンジェの呼ぶ部屋に移動した。
「ここは……」
シシリーはぐるりと首を巡らせた。
上質な空間は広々としていて、玉突き台や、小説を収めた本棚、カードゲームを楽しむテーブルが置かれている。
これまでと全く雰囲気の違う部屋だ。
「ね、凄いでしょ?娯楽室か、談話室ってところじゃないかな。ちょっとしたお屋敷みたいだよ」
鑑定に慣れたどんぐり眼が、ちろりと机上に置かれたカードを見やった。
「怪しげな敵に狙われてなければ、カードででも遊びたいよね」
「気を抜いておると、カードの負け分を自分の命で支払う羽目になるぞ?」
ピシャリと保護者の代わりに釘を刺したテアは、カードゲーム用のテーブルの奥に、用途の分からない美しい金属の箱を見つけた。
「はて――これは何じゃろうの?」
老婆が首を捻る間に、ウィルバーの鋭い目が壁に設置された本棚に並ぶ背表紙をチェックしている。
旅行案内に料理本。流行の服飾本。ゲームの指南書、恋愛小説、歴史小説などなど…。
他にも子供向け絵本や、美しい挿絵のついた幻想生物事典なども見られるが、あの蜘蛛の主に繋がるような書物はここに置いている様子がなかった。
ため息をつきながら仲間を振り返ると、アンジェが遊戯用のテーブルの上から、象牙や魔晶石の多面体ダイスを掻き分けて、古いコインを摘み上げたところだった。
「そいつはなんだ?」
「多分なんだけどさ、兄ちゃん。お婆ちゃんの前に、綺麗な箱あるじゃない?」
ピイィン、と古いコインを親指で弾く。
「あれって、古代王国で作られた旅の記念品を販売する機械みたいなんだよね」
箱の前面に、ちょうどコインが入りそうな溝を見つけたアンジェは、手の中のそれを躊躇わずに入れた。
綺麗な箱の中でコインが落ち、中の機構が動くような音がして――。
『販売中――旅のメモリ・キューブ。貴方の旅の思い出を光のキューブに刻印します』
金属の板がカシャカシャと下りて、箱の表面に文字が浮かび上がった。
箱の中に、きらきらと輝くサイコロ大の立方体が回転しているのが見える。
さらに金属板に新たな文字が浮かぶ。
『貴方の旅の記憶を、幻像魔術の作用でキューブの中に封じ込めます。現在、ご提供可能なメモリ・キューブは――』
水晶で出来た鈴をふるかのような、微妙で美しい音が鳴り響く。
「きゃ――」
シシリーたちは、背中をくすぐられているような奇妙な感覚を覚えた。
『以下の色彩です。刻印するメモリ・キューブをお選びください――』
聖水をポケットに隠したアンジェのどんぐり眼が、路線図の下方にある文字を読み上げる。

「モノクローナル号。この列車の名前か――」
路線図の説明によると、この列車はモノクローナル世界の技術供与により運行を開始し、レオラン=パラッサ間を38時間で結んでいるそうだ。
古代王国の列車がなぜ今になって復活したのか。冒険者たちは首を傾げた。
そして何より――。
「モノクローナル世界ってさ……あそこのことだよね?」
≪狼の隠れ家≫には、先輩冒険者がどこからか持ってきた水晶が地下に設置されている。
その水晶は、3日間日光に当ててから、同じ日数だけ地下に保管して触れると、異次元への移動をするゲートとなり得るのである。
白と黒の色しかない異世界の住人は、色を持った来訪者に対して非常に好意的に接してくれた。
≪狼の隠れ家≫に来て間もない頃、うっかりその水晶に触って移動したことのある(しかも技術まで習ってきた)アンジェにとって、あのモノクロの世界は視覚的に慣れないながらも、居心地の決して悪くない場所であった。
「あそこと同じ場所の技術なら、そうそう怖いことはないと思うんだけど…」
「それは早計かも知れんぞ、おちびちゃん」
諭したのは、最年長の仲間であった。
「技術と言うものは、それがどのような目的で作られたものであれ、良くも悪くも使われる可能性があるものじゃ。この列車とて、かつては便利にありがたく使っていたに違いない。それを――あの蜘蛛女が、好きに利用しとるんじゃろう」
「おっと……ばあ様、ちょっと止まって」
テーゼンが次の車両とのドアを開ける。
見たところ、ここも無人の客車のようである。
また奥の方に、前方車両へ続く出口を見つけたシシリーは、何の疑問も持たずに歩を進めようとした。
「当たり前かもしれないけど、誰の姿も見当たらないわ」
「待って!姉ちゃん、部屋に入らないで――!」
「えっ?」
シシリーの腕をぐいと掴み、アンジェが制止する。
「客室の床を見て――全面に、奴らがいる!」
生気に満ちた碧眼の前で、今まで客車の床に落ちていた影だと思っていた闇が、ぼこぼこと泡だって蠢動を始めた。
ひときわ大きく膨れた泡から、出来損ないの人の形が持ち上がる。
ゾッとしたシシリーは、一歩飛び退って柄に手をかけた。
「っ……!床が、全て――悪霊と同化している……」
客車の床は、獲物を求める漆黒の亡霊に埋め尽くされていた。
この上を通り抜けていくのは至難の業だろう。
これはもしかして、自分たちを軌条の上で束縛したあれらと同じものでは――と冒険者たちは考えた。
だとしたら、いったん捕まったら抜けようがない。
呻くようにテーゼンが言う。
「この数では、聖水も、神聖な力も気休めにしかならないだろうぜ…」
「まるで、海のように波打って――どうしてこんなに」
驚きのあまり強く打つ心臓を押さえるように、胸に手を当てたミカが呟く。
シシリーは彼女の言葉に何か引っかかるものを覚え、じっと動く床を見つめた。
(…海のように?はっ…まさか――)
蠢く床の一部が、上空を飛ぶランプさんの真下で激しく脈打っている。
自分の思いつきに確信を得たシシリーは、光の精霊たちに向かって叫んだ。
「ランプさん、スピカ!ベルトポーチに戻って!こいつら、光に反応して脈打ってる――!」
「え…?本当、姉ちゃん?」
いつもと同じ表情ながら、どことなく焦っている様子で引き返してきたランプさんを眺めやりながら、アンジェが彼らの代わりに訊ねる。
「ええ、間違いない。この亡霊たちは、はっきりとした視覚がないのよ。漠然と明るい方向に移動しているだけ」
「なるほど、そういうことかよ。なら、光を囮にして、誘導できるかもしれねえな…」
「じゃあ…姉ちゃん、どうするの?」
「……実体がないランプさんに囮を頼むわ」
彼女はそう言うなり、ポーチに帰ってきたばかりのランプさんを掬い上げるように取り出して、じっと虚ろな目を自分の双眸と合わせて頼み込んだ。
「いい、ランプさん。私の合図で、あの悪霊たちを右側の座席の方へ集めるよう、発光して欲しいの。あなたが奴らを惹きつけている間に、空いた通路を私たちが駆け抜けるわ。殿の私が手を振るのが見えたら、猛スピードでこっちに追いついてきて。分かった?」
「だが、シリー。ランプさんが俺たちに追いついてきたら、悪霊どもも追って来るんじゃないか?」
「それを防ぐ道具はあるわ――聖水よ」
シシリーの目が、アンジェの方を見た。
「聖水を通路と客車の間に撒いて、結界を張るわ。そうしてからランプさんを戻す合図をすればいい。ランプさんは精霊だから、悪霊除けの結界に弾かれることはないもの」
「結構、ギリギリの作戦かもしれませんが……無策よりはマシかもしれませんね」
「一気に走らねばならんのなら、テーゼン。わしを運んでくれるか」
「ああ、ばあ様。揺れるだろうが我慢してくれよ」
「ミカ、お前は俺が手を繋いで一緒に走るからな。途中で転んだりするなよ」
「はい……」
方針を決めた旗を掲げる爪は、シシリーがランプさんに合図したのを機に、一気に黒く波打つ客車の通路を走り出した。
「あ、あのっ、シシリーしゃ…いえ、シシリーさん」
「どうしたの!?気をつけなきゃ、舌噛むわよっ」
「冒険者って、いつもこんな感じなんですか?」
ミカの疑問に答えたのは、当人ではなく老婆を俵抱きにした美貌の悪魔である。
「大体こんな感じだぜ。シシリーが無茶を通そうとすると、もっと酷い」
「ちょっ!白紙の後輩に、嘘教えないでよ!?」
ミカは、どこか眩しそうに背後のランプさんの光を振り返り、自分の手を取るロンドの歩調に遅れないよう必死で続いた。
ガス灯が寂しく瞬く通路に飛び込むと、アンジェがポンとシシリーに聖水を放る。
それを両手でキャッチしたシシリーは、栓を開けて聖水を通路と後方車両の合間に振り撒き、自分の法力をそこに込めた。
撒かれた聖水が仄かな光を放つが、すぐに消えたために悪霊の注意を惹きつけることはない。
見事に結界を張り終わったシシリーは、大きく手を振ってランプさんを呼び戻した。
「はー……結構、危なかったね。あたしちょっと疲れた」
「でも、まだまだ車両は続きそうだ。ここで休んでる暇はないんじゃないか」
「ロンドの言うとおりかもしれませんね」
結界の向こうでがちがちと悔しげに歯を噛み鳴らす悪霊たちを冷たく見やった後、ウィルバーは振り返ってそう言った。
「夜明けまでの時間をいたずらに潰すわけにはいきません。進みましょう」
「はーい」
それ以上の我侭を言わずに1人先行したアンジェだったが、「お!?」という声を発して、急いで仲間を呼びに戻ってきた。
「ねえねえ、次は客車じゃないよ。面白そうだから、皆早くおいでよ」
「だから時間があまり無いと言ってるでしょうが……やれやれ」
「まあまあ、お若いの。違う部屋なら部屋なりに、何かこの事態を打破するものでもあるかもしれん。じっくり見ておこうぞ」
呑気な言い分にがっくり肩を落としていた魔術師は、老婆の取り成しによって、気を取り直しアンジェの呼ぶ部屋に移動した。
「ここは……」
シシリーはぐるりと首を巡らせた。
上質な空間は広々としていて、玉突き台や、小説を収めた本棚、カードゲームを楽しむテーブルが置かれている。
これまでと全く雰囲気の違う部屋だ。
「ね、凄いでしょ?娯楽室か、談話室ってところじゃないかな。ちょっとしたお屋敷みたいだよ」
鑑定に慣れたどんぐり眼が、ちろりと机上に置かれたカードを見やった。
「怪しげな敵に狙われてなければ、カードででも遊びたいよね」
「気を抜いておると、カードの負け分を自分の命で支払う羽目になるぞ?」
ピシャリと保護者の代わりに釘を刺したテアは、カードゲーム用のテーブルの奥に、用途の分からない美しい金属の箱を見つけた。
「はて――これは何じゃろうの?」
老婆が首を捻る間に、ウィルバーの鋭い目が壁に設置された本棚に並ぶ背表紙をチェックしている。
旅行案内に料理本。流行の服飾本。ゲームの指南書、恋愛小説、歴史小説などなど…。
他にも子供向け絵本や、美しい挿絵のついた幻想生物事典なども見られるが、あの蜘蛛の主に繋がるような書物はここに置いている様子がなかった。
ため息をつきながら仲間を振り返ると、アンジェが遊戯用のテーブルの上から、象牙や魔晶石の多面体ダイスを掻き分けて、古いコインを摘み上げたところだった。
「そいつはなんだ?」
「多分なんだけどさ、兄ちゃん。お婆ちゃんの前に、綺麗な箱あるじゃない?」
ピイィン、と古いコインを親指で弾く。
「あれって、古代王国で作られた旅の記念品を販売する機械みたいなんだよね」
箱の前面に、ちょうどコインが入りそうな溝を見つけたアンジェは、手の中のそれを躊躇わずに入れた。
綺麗な箱の中でコインが落ち、中の機構が動くような音がして――。
『販売中――旅のメモリ・キューブ。貴方の旅の思い出を光のキューブに刻印します』
金属の板がカシャカシャと下りて、箱の表面に文字が浮かび上がった。
箱の中に、きらきらと輝くサイコロ大の立方体が回転しているのが見える。
さらに金属板に新たな文字が浮かぶ。
『貴方の旅の記憶を、幻像魔術の作用でキューブの中に封じ込めます。現在、ご提供可能なメモリ・キューブは――』
水晶で出来た鈴をふるかのような、微妙で美しい音が鳴り響く。
「きゃ――」
シシリーたちは、背中をくすぐられているような奇妙な感覚を覚えた。
『以下の色彩です。刻印するメモリ・キューブをお選びください――』
2016/05/15 12:40 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
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