Sun.

くろがねのファンタズマその2  

 シシリーは一角に現れた虫を注視していた。
 記憶がなくなったはずのミカが、何を感知したのか唇をわななかせて一方を見た時、そこから空間を掻き分けるようにして現れた蜘蛛である。
 ウィルバーは油断なく杖を構えながら、竜の牙の焦点具の波動を感じ取った。

「いいえ。ただの蜘蛛ではない。魔力を纏っていますね――これは“使い魔”です…!」

 ミカを除いて全員に緊張が走る。
 使い魔の傍には常に、強力な魔術師が存在することを、彼らはこれまでの経験で学んでいた。
 腕輪から頼りになる鋼糸を引き出しつつ、アンジェが問いかけた。

「……この状況を仕組んだ奴が、近くにいるってこと?」
「………」

 ウィルバーに返答の余裕はなく、その細い目は蜘蛛の動きを追っている。

くろがね3

『あら……。ずいぶん騒がしい鼠が糸にかかったわね』

 蜘蛛が天井に渡した糸を震わせて、若い女の声がする。 
 涼しげというよりは、むしろ人間味の薄い透明な声音のように思われた。

『使い魔を見破るとは冒険者のようね』
「やっぱり、魔術師!」
『貴方たちのような凡百の徒に、わたしの業が分かるとは思わないけれど…それでも、この陣の中で儀式の贄になるくらいの用は成せそうね』

 その時、ひゅうっと空気が動いた。
 天井に張った蜘蛛の糸――それらを切り裂いて、もう一つの糸が蜘蛛へ奔ったのである。
 だが、その武器は蜘蛛本体に刺さる前に、その場を飛び退った蜘蛛が吐き出した大量の新たな糸に遮られて、勢いが止まってしまった。

「ちぇ。外したよ」

 残念そうに呟いたのは、右手の人差し指と中指の間に糸を挟んでいたアンジェである。

『あまり、無礼な真似は許さないわよ。下賤のものどもが…』

 ホビットの攻撃を防御してみせた蜘蛛は、侮蔑の混じった声音で話し続ける。

『夜明けになれば、儀式も完成する。それまで、魔列車を汚されたくはないわ――』
「儀式………?」

 ピクリとアンジェの眉が動いた。
 それに気付くこともなく、蜘蛛からの声は己の優位を疑わぬ口調のまま、

『列車内に放った影どもに、貴方たちの肉体を食べ尽くさせておくべきね…』

と言い、そのまま天井の暗闇に吸い込まれるように姿を消した。
 ずっと何気なく剣の柄にかけていた手を外し、シシリーは頬に手を当てて考え込んだ。

「夜明けに儀式の完成……あの蜘蛛の主。あれが、の状況の糸を引いている奴かしら?」
「ほぼ間違いないでしょうね。この陣とか、儀式の贄とか言っていた以上は」

 ウィルバーは目を閉じ、何かを探るように、≪海の呼び声≫の先端に輝く宝玉を床に押し付ける。

「この列車そのものが術の触媒。あの魔術師の罠に落ちたというわけですか」
「だけど、奴はいったい何の目的でこんなことを?」

 シシリーの問いに、ウィルバーは静かにかぶりを振った。
 今の時点では皆目見当もつかない、ということなのだろう。

「一つだけ言えるのは、時間があまりない、ということです。存在するだけで、空間が歪むほどの力……この列車では、相当危険な術が進行している」
「それに、“夜明けに儀式が完成する”という言葉――早く脱出の手がかりを掴まぬと、隧道の悪霊たちと同じ運命を辿ることになるやもしれぬ」

 年長者たちの言葉によって、冒険者たちへ沈黙が舞い降りた。
 それは、朧げな断片が一つに繋がり始めた、不吉な予感を孕んだ静寂であった。
 しばらく全員の顔を見渡していたシシリーの視線が、繊弱な印象のあるミカの顔の上で止まる。
 彼女を助けなければ――今の自分たちの目的は、年長者たちの言うとおり、自分たちを罠にはめた敵の正体を突き止め、悪意が満たされたこの列車から脱出することだ。
 だが元の依頼は、レオランの大隧道に向かい、ミカを捜索すること――生きているなら、ともに≪狼の隠れ家≫へ帰ること。
 シシリーはそれらを改めて心に刻み、不自然な静けさを断ち切るように発言した。

「…じゃ、探索を始めましょ。ミカ、あなたも一緒に来て。もしかしたら、記憶の手がかりでもあるかもしれないわ」

 せっかく艶のある金髪を肩の辺りで断ち切っている少女の言葉に、おずおずと彼女は口を開く。

「……蜘蛛が、言っていたぼうけんしゃ…。それが、貴方たちなのですか」
「ええ。それに、ミカもね」
「冒険者――。ミカ、も……」

 ぎゅ、と細い両手を組んで力を込めると、長く息を吐いた。
 気分を取り戻すための仕草だったのだろう、キッと上げた顔は少し弱さを払拭したように思われる。
 ロンドが武骨な手を差し出し、その片手を掴んだ。

「行こう。グズグズしてる暇がないってことは分かったから」
「はい……」

 ロンドが振り向くと、背後には久遠の闇に続く白銀の軌条が流れていく。
 ここが最後尾の車両、ということなのだろう。
 一行はアンジェとテーゼンを先頭に立たせ、車両同士を繋ぐ通路を通過した。
 ミカと手を繋いでいるロンドが彼ら2人のすぐ後に続いているのは、前方に敵が登場した際に、すぐ後ろのウィルバーにミカを押しやり、戦闘に参加することが出来る位置に陣取っているからだ。
 殿はシシリーとテアが務めている。
 前方車両に続く出口の他、特に目につくものは見当たらない。
 先行したアンジェがどんぐり眼をさっと走らせた。

「次は無人の客車だよ。たぶん、何もないと思う」

 彼女の言を信じ、他の者たちも次の車両へと足を踏み入れた。
 前方車両へ続く出口が見える。
 座席に動くものの姿はなく、夜の光だけが照らしている。

「………あれは?」

 春の海と同色の瞳に映りこんだものを、シシリーは静かに見つめた。
 列車には不似合いな小さな風船――移動遊園地やサーカスなどで配られる子供用の玩具――が、ふよふよと前方から漂ってきた。
 それは、車内に流れる微かな風に乗って、パーティの頭上を通り過ぎ――そのまま後ろの車両へと流れて消えていった。

「ちょい待ち。アンジェ、あれ捕まえて来い」

 驚くべき発言をしたのは、テーゼンである。

「えっ、なんでさ。別に欲しくないよ」
「違う、アンタ用のオモチャじゃなくてさ。あれ、何かおかしい。想いが注がれてる」
「想い――?」

 訝しげに反復したアンジェの代わりに、テアが声を発した。

「この列車内にいる亡者の遺した想い、ということかえ?」
「そう、それ。持っていれば、或いはこの列車に捕らえられた亡霊を解放できるかも」

 列車内の亡霊の解放――それは、あの蜘蛛の主の思惑を妨害することに繋がる。
 喜色をあらわにしたアンジェが、

「そうと分かれば!ちょっと待っててね!」

と脱兎よろしく走り去り、程なく彼女は仲間の元へと帰ってきた。

「最後部の車両でふよふよ浮いていたから、取って来たよ」
「よし、僕の荷物袋に入れておこう」

 猫のような耳がついた風船を割れないよう押し込み、一行は再び前進を開始した。
 また、車両同士をくっつけている通路がある。
 今度は天井に網棚が巡らされているが、見渡せる範囲に役立ちそうなものは何もない。
 それを通り過ぎて3番目の車両に入ると、また無人の客車が現れた。
 ただし、ここには――。

「ヴ……ゥゥヴヴヴ」

くろがね4

 座席の陰に、揺らめく昏い霊体が見える。

「この列車の瘴気に、引き寄せられた悪霊たちかな…」
「夜明けまであまり時間がないわ。できれば戦わずにやりすごしたいけど――」

 同じ孤児院で育った仲間たちのセリフに、ミカの手を離して身柄をウィルバーに預けたロンドが、スコップを掴み直して言った。

「小細工は却って時間がかかる。押しとおった方が早いと思うがな」

 殺気立っている若者に構わず、亡霊の様子を窺っていたテアが目を光らせて呟く。

「もしや【亡者退散】のような攻撃ができれば、霊を怯ませて駆け抜けられるかも知れぬのう――」
「聖印ならあるわよ」

 けろっと言ってみせたシシリーにウィルバーが首を横に振る。

「あなたがいつものお祈りに使っている品では、アンデッドの退散は出来ないはずですよ」
「いいえ、そっちではなくて。忘れちゃった?」

 彼女が荷物袋のポケットから取り出したのは、確かに聖北教会がアンデッドの駆逐に使っている、高位の司祭の法力が込められた銀製の十字であった。
 昔、ヴィスマールで行方知れずになった冒険者仲間を助けに行った時に、お礼代わりに貰った物だ。

「これは……確かに、そんなものもありましたね」
「なるほどな、それがあったか。やっちまえよ、シリー」
「じゃあ、これで隙を作りましょう。皆、タイミング合わせて走るのよ……3、2、1!」

2016/05/15 12:37 [edit]

category: くろがねのファンタズマ

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