Thu.

宿の地下の怪その2  

「やれやれ、結局ネズミ退治をすることになっちまった」

 捜索の済んだ部屋の中を見渡して、テーゼンが愚痴った。
 あれほど翼を齧られつつもネズミが出てこないよう頑張って、やっと状況を打破できそうな仲間に攻撃魔法を使ってもらった(しかもギリギリで自分が避けた)というのに。
 愚痴の一つや二つ、出ようというものである。
 しかも、ネズミを一掃した後で毛生え薬の瓶を捜してみたのだが、やはりここにもないようである。
 踏み出した足がずるりと滑り、慌てて彼は足を避けた。

「ああ、食料庫がネズミの毛やら血やらでめちゃくちゃになっちまった」
「肝心の食料を齧られなかっただけ十分マシよ」
「とはいえ、さすがにこのままは不衛生過ぎますよ。……せめて、樽をニ、三個移して、空いたスペースに寄せておきません?」
「……上からモップ貰ってくるわ」

 1人、食料庫から出たシシリーの胸に、疑問が過ぎる。

(――本当に毛生え薬などあるのかしら?……まさか、考えすぎ、よね)

 自分の考えを振り切ったシシリーは、ネズミの事情をリジーに説明し、バケツとモップのセットを貰って再び地下へと移動した。
 微妙に慣れた手つきで黙々と床を掃除した3人は、後の始末を娘さんに任せることにして、毛生え薬と仲間の探索を再開した。
 ムルに手伝って貰い、翼が化膿しないよう自作の塗り薬を塗布し終わったテーゼンが、顎に手をやって残りのドアを睨む。

「残りは……ワインセラーと、物置部屋と、娘さんもよく知らない開かずの間かあ……」
「開かずの間、というくらいですから、そこに物を置くのは考えづらいのですがね」
「まあ、ねえ……物置部屋から行ってみましょうか。あそこはある程度整理されてるから、もの探しするのなら楽よ」
「トラブルがそこで起こってなければ、の話ですよね」
「……いやなこと言わないでよ」

 くるんと輪を描くように飛んでいるムルに突っ込まれ、シシリーは眉根を寄せた。
 やや用心しながら、そっとドアを開ける。
 上で待っているリジーの話からすると、ここにはロンドが入っているはずらしい。
 そのため、シシリーがロンドの名を呼ばわったが、返ってきたのは沈黙だけであった。
 声だけではない。

宿の地下3

 毛生え薬を捜しているはずのロンドの姿はそこになく、ぼんやりとした『穴』のみが無人の物置部屋に佇んでいた。

「なんでしょうか、これ……?」

 首を捻りながら羽ばたくムルの声に応えたのは、魔術師である男だった。

「これは空間転移門(ゲート)です。ロンドはこれに呑み込まれたのかもしれません」
「ゲート!?一体どこに繋がってやがるんだ?」
「繋がり先は分かりませんね……。ただ、これをこのままにしておくのはまずいでしょう」
「ロンドがこの先にいるなら、救助しなきゃいけないものね」
「ついでに毛生え薬もな」

 金の髪の娘と黒い髪の青年は、何となく揃ってウィルバーの頭部を見た。
 彼がこちらの視線に気づかないうちに、サッと目をそらす。
 とにかく、到着地点がどこになるのかは知っておいたほうが良さそうである。
 やむを得ないと決心したシシリーが、用心しいしい穴に頭を突っ込んだ。
 彼女の目の前には、落葉樹林が広がっている――どうやら、林の中に通じていたらしい。
 首をゆっくり巡らすも、周囲に取り立てて変わったものは見られない。
 いたって普通の、寒い地方に見られる林だ。
 問題はゲートの位置にあった。
 さほど長い時間をかけずに頭を戻したシシリーへ、

「どうでした?」

とウィルバーが問う。

「ゲートの先は上空だったわ。空への移動手段がないと、戻ってくることは難しそう」
「僕なら上空へも飛び上がれる。帰りの足の心配はねぇよ」
「ええ、そこは心配していないのですが……」

 ウィルバーが落ち着かない様子で、杖を魔法の手袋を嵌めた掌に打ちつける。

「ロンドがゲートの先にいると仮定して考えましょう。恐らく、彼は宿側に戻りたくても戻れない状態に陥っています」
「白髪頭が?」
「そこそこ利用頻度があるはずの物置部屋にゲートですよ。真っ先にやるべきことは、宿の住人への報告です。それが行なわれていないのは、ゲートの先から戻れないから。そう考えるのが自然でしょう」
「単に、あいつが飛べないからって理由じゃねえの?」

 テーゼンの意見に、シシリーが首をゆっくりと横に振った。

「ううん。それくらいで諦めるような、そんな聞き分けのいい人じゃないわ。飛べないなら飛べないなりに、代替手段を無理矢理探し出すようなやつよ」
「ええ、詳しい理由までは分かりませんが……私たちも、ロンドの二の舞になる可能性は決して低くはないでしょうね」

 ゆえに、ゲートに飛びこむつもりがあるのなら、何があっても良い様に用意すべきだ――年長の男の言葉に、シシリーとテーゼンは頷いた。
 必要と思われる道具を厳選してベルトポーチなどに入れると、彼らはテーゼンにしがみ付くようにして、ゲートへと飛び込んだ。
 受け身なしに落下すればかなりの衝撃を受けるであろう高さを、テーゼンは黒い翼を力強く動かして、なるべく支障のないスピードで下りていく。
 1人ならともかく、2人を抱えて飛びまわるのは出来ないが、落下速度を落とすくらいなら何とかなる――テーゼンはどうにか仲間を地面に下ろすと、ほっと息をついた。
 礼を言って、一歩踏み出そうとしたウィルバーが、足元の感触に首を捻った。

「落葉や枯れ枝が、ここにだけ集められていますね。クッション代わりでしょうか?」
「それより……ウィル。あれ」
「はい?」

 テーゼンが指し示す方へ首をめぐらすと、赤い屋根の一軒家が目に入った。
 そばには小さな畑と、畜舎と思しき建物から牛の声がしている。

「誰かが近くにいるのかも」
「よく、すぐ気づいたわね、テーゼン。……あら?」

 ワン、という声がした。
 少し離れたところからシシリーに向かって吠えているそれは、間違いなく犬であった。
 そのそばに倒れているのは。

「ロンド!」

 よりにもよって、犬嫌いのロンドを守るかのように黒い大型犬が控えている。
 口元やお腹の辺りだけが茶色い、ぴんと立った耳が特徴的な犬種である。
 何の警戒もなく起きて犬を目にしたら、きっととんでもない騒ぎになる――シシリーは慌ててロンドに駆け寄ろうとしたが、やけに己が身軽になっていることに気づいた。

「……あれ?な……ない!荷物袋がなくなってる!?」
「転移するときになくしたか、宿に置いて来てしまったのか……後者ならいいのですが」
「……アンタ、冷静だな」
「褒め言葉ですね」

 さらっとテーゼンに答えたウィルバーは、ロンドの様子を近寄って確かめた。
 彼の場合、うっかり上空から落下してしまったのだろう。
 さすがハーピィの猛攻を耐え切る生命力の高さはモンスター並みらしく、落下したくせに命に別状はなさそうだが、意識もない。

「大丈夫。【癒身の法】などで治療してやれば、すぐに気がつきそうです」
「私の出番ね」

 シシリーは十字を切って祈ると、掌に感じる暖かい光を押し出すようにして、ロンドの胸に置いた。
 ぴくりとも動かなかった瞼が微かに震え、唇がそっとわななく。

「……ん……はっ!?」
「ロンド!」

 シシリーが初めて【癒身の法】を使える様になったあの日と、奇しくも同じ体勢だったが、そんな感慨に耽ることもせずに、ロンドは泡を食ったように話し始めた。

「た、大変だ!何もないところにいきなり落とし穴が……!」
「……知っていますから、一度深呼吸なさい」
「……へ?」

 ぽんぽん、と労わるように年上から肩を叩かれたロンドが目を丸くする。
 その隙にと、賢そうな目をした犬にもうちょっと離れるよう、テーゼンとムルが必死で指示を出した。

「……なるほど。俺と毛生え薬を捜して、わざわざゲートに飛び込んだと」
「まあ、そういうことです…毛生え薬は?」
「俺は見つけていない。物置部屋になかったのか、探し切れてないのかはともかく」

 ウィルバーからこれまでの事情について説明を受けたロンドは、申し訳なさそうな顔をして仲間の顔を見やった。
 ついでに、自分からそう遠くない所にいる犬を見つけて、じりじりと後退りしている。

「何とかして宿に戻って、薬探しの続きをしないとね……」
「……それにしても、あの家……何か、気になるんだよな」

 テーゼンの視線は、自分が見つけた一軒家に向かっていた。
 誰がいるのか確認してみよう――そう思って一歩踏み出したテーゼンの前に、素早く犬が回りこんだ。
 この犬種は主に軍用や番犬として用いられることが多いのだが、これもそうだったらしい。
 まるでこちらに警告するように、一声吠えた。

「あの家には近づくな……そういうことなの?」

 元芋虫男の事件によって、犬の扱いは他よりも長けているシシリーが、犬の様子を見極めて訊ねる。
 果たして犬は、肯定するようにもう一度「ワンッ」と吠えた。

「この子の言うとおりにしましょう。何か理由があるんだと思うわ」
「……妙な感じするんだけどなー」
「お前が行って犬に噛まれるなら、俺たちを巻き込まないようやってくれ」

 真顔でロンドがそう言った時である。
 女中の服装をした1人の少女が、急いだ様子で家から走り出てきた。
 黒い上質な生地のエプロンドレスに、同じく黒のストラップパンプス。
 栗色にオレンジを混ぜたような絶妙な色合いの髪を、白いレースのヘッドドレスでまとめている。
 生き生きとした仕草が、俊敏な小鹿のような印象を与えた。

「はぁ、はぁ……あ、あなたたちは?」
「え、ええと……」

 口篭っているシシリーの後ろで、犬からまだ距離を取ろうと後退りをしていたロンドを見た少女は、安心したように胸に手を当てて歎息した。

「空から落ちてこられた方のお仲間……でしょうか?ああ、よかった……」
「アンタが白髪頭を助けてくれたのか?」
「はい」

と彼女は頷いた。

「主人が留守の間は、勝手に家に客人を招きいれることも出来ず、どうしたものかと困っていたのですよ」

 シシリーやテーゼンたちに笑顔を向ける少女だが――その瞳は、明らかに警戒の色を宿している。
 それを気付かれたと判断したのかどうか、スカートの端を摘んだ少女は、余裕を持って優雅に一礼してみせた。

「……申し遅れました。私、アイレルと申します。あそこのお化け屋敷の女中です」
「お化け屋敷…ですって?」
「はい。家の主人がそう呼んでおります」
「女性たちのお話中に申し訳ないのですが……彼を見つけた時の状況を伺っても?」

 にっこりと微笑んだウィルバーに向き直り、アイレルと名乗った少女はすらすらと説明し始めた。

「バーズアイ……この番犬がやたら吠えていたので来てみたら、そこの方が倒れられていまして。どこからいらっしゃったのかと周囲を確かめてみたら……あのゲートが開いておりました」
「ああ、落ちた現場をご覧になったわけではなかったのですね」
「はい。バーズアイを見張りに残して、応急処置のための道具と……帰還手段を取りに行ってました」

 女中は懐から一枚の巻物を取り出した。
 冒険の中ではよく見慣れているスクロール(呪文書)である。

「上空に開いたゲートまで届く長さの梯子は屋敷にはありません。けれど、魔術で空には浮かべます。なので、この浮遊の呪文書を……と思いましたけど、どうやら自力であのゲートまで辿り着けそうですね」

 アイレルはチラッとテーゼンの黒い翼に目をやった。

「そもそもなんですが……ここは一体、どこなんでしょうか?」
「主人が次元の狭間に作った隠れ家……みたいなものです」
「次元の狭間?」

宿の地下4

「私も詳しくは存じないのですが、リューンなどが存在する世界と、他の世界との境界を間借りして、小規模な領域を構成しているとか。なので、基本的に徒歩では外にも出られませんし、外から入ることも出来ません」

 彼女の細い指が、上空のゲートを指差す。

「そう、あのようなゲートを用いない限りは」

 つまり、ここは昔に旗を掲げる爪がチャレンジしたトトゥーリア遺跡のあの空間と、似たような構成をしているということである。
 禍神を封じるような技術を、己の隠れ家のために使うとは――すっかり感心したような口調でウィルバーが呟いた。

「次元の狭間に半恒久的な領域か。ここの主とやらは相当な魔術師か、人ならざる存在のようですね」
「まあその……ただの変人ですよ。そも、この隠れ家を作った理由に『面倒ごとを避ける』が含まれているくらいですので」

 ここで今まで黙って成り行きを眺めていたテーゼンが、ぼそっと口を開いた。

「人じゃないのを拾うのが趣味か?」
「……さて。中には人間社会から魔物扱いされる者もおりますが、皆でひっそり暮らしているだけですよ」

 テーゼンとアイレルはしばし微笑を浮かべたまま顔を見合わせたが、やがてふいっとテーゼンから視線を外して、彼は上空を見上げた。

「もういいだろう、シシリー。親父さんたちも待ち焦がれてる、帰ろうぜ」
「え、ええ……あなたがそう言うのなら」

 テーゼンには分かっていた。
 見るからに真面目な聖北教徒と分かるシシリーを、アイレルが一番警戒していたことが。
 それと一軒家から感じる気配――彼が親しくしている錆色の魔女が発しているのと似たようなもの――を合わせて考えると、彼女を家の住民に会わせるのは得策ではないと彼は考えた。
 そのため、帰還を促すために彼女の同意を引き出したのである。
 ウィルバーがロンドと自分に【飛翼の術】を唱え、シシリーをテーゼンが抱えあげると、冒険者たちは一路、宙に開いているゲート目指して飛んだ。
 豆粒のような大きさになった犬が、しきりに送り出すよう吠えたのが印象的だった。

2016/05/12 12:26 [edit]

category: 宿の地下の怪

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