Thu.

宿の地下の怪その1  

 その日、漁師町のシーサイドベッドから戻った旗を掲げる爪のリーダー、シシリーが一番遅くに起きたのはただの偶然だった。
 同室のアンジェとテアはとっくに起きた後のようで、ベッドの上の寝具は綺麗に畳まれている。
 いつにない遅れに多少の気恥ずかしさを感じながら、シシリーもいつもの通りに寝台を整え、顔を備え付けの洗面道具で洗った。
 塩で歯を磨きながら、外の天気を窓から確認する。
 晴天とも曇天とも言いかねる、微妙な天気だ――今日はあまり外出したくないな、とシシリーは思った。

宿の地下
 口を濯いで、さて今日の朝食のメニューはなんだろうとワクワクしつつ階下に向かう。

「ふわぁ…おはようございます、マスター」
「おはようございます、シシリーさん!お父さん!シシリーさんが起きてきたわよ!」
「――!!遅いじゃないか、シシリー!」

 ぱちぱちと瞬きを2回。
 シシリーは不審そうに宿の亭主へ問うた。

「一体どうしたの。私が何かしました?」
「頼む!!わしの髪の毛を救ってくれ!!!」
「……は?」

 もし、その場にロンドがいたらたじろぐほどに、冷たく乾いた「は?」であった。
 だが、さすが熟練冒険者たちを仕切る百戦錬磨の亭主。
 このまま見捨てられてなるものかと、それ以上の前置きはせずに、いきなり早口で事態の説明を始めた。
 よほどに焦っているのだろう、珍しいほどとっ散らかった説明になってしまい、横から給仕娘が口を挟むことで、どうにかシシリーは話を理解した。

「……つまり話をまとめると、数年前に引退した冒険者がツケの支払い代わりに置いていった怪しい薬が、毛生え薬だと判明した。宿の地下室のどこかに仕舞って、数年間放置していたいはずのその薬を見つけて欲しいと……これで、合ってます?」
「合ってます」

 給仕のリジーが小動物のような動きで首肯する。

「……だけど。シシリーさん以外の人にも、お父さんは同じ頼みごとをとっくにしてるのよ」
「あら?アンジェやテアにも?」

 シシリーの疑問に、再び激しく頷いた彼女は深刻そうな顔で続けた。

宿の地下1

「で、その人たち、みんなね……宿の地下に行ったっきり戻ってきてないの。数時間」
「……」

 思わずシシリーは無言になった。
 暴走しがちなロンドならともかく、盗賊の仕事にプライドを持っているリアリストのアンジェや、危険なものに対しての勘が鋭いテーゼン、知恵の豊富なテアや魔術師として様々な魔法を操るウィルバーが、誰も戻ってこないというのは尋常な事態ではない。
 リジーもかなり戸惑った様子で、

「本当なら私が地下に行って探して来れればいいんだけど、お父さんが……」

と、宿の亭主の方へ視線を走らせる。
 彼は現在「髪の毛……髪の毛ェ……」などと同じ言葉しか口にせず、呆然とした様子でカウンター席に座り込んでいる。
 その様を見て、軽くため息をついた後にリジーは言った。

「……ご覧の調子だから、私が代わりに宿を仕切らないと」
「大変ね……」
「とりあえず薬を見つけてくれたら、金銭的な報酬は出せないけど、地下に転がってるガラクタのうち、冒険に使えそうなものを一個二個持ち出しても…」
「いいの、あなたが約束しちゃって?」
「ちゃんと管理してないからこそ、今お父さんがこんなことになっちゃってるんだし大丈夫よ」
「分かったわ。薬についてなんだけど、どんな外見をしているの?」
「確か『ミノキツジノレ』って瓶のラベルに書いてあったわ。茶色いこのくらいの大きさのやつ。地下に仕舞いこむ前に何の薬だか分かっていれば、今頃ハゲチャビンとは無縁のナイスミドルになってたのにねぇ」「……っていうか、今思ったんだけど、ウィルバー『も』探しに行ったのよね……?」
「ええ、ウィルバーさんは結構乗り気になって探しに……はっ!?」

 2人の若い娘は、正面から顔を見合わせた。
 2人とも、ウィルバーが薄毛を気にしていること(それが彼女と別れる原因になったくらいである)を知っている。

「もしかして……早めに見つけないと、ウィルバーが先に使ってるなんてことも……」
「ああ、大変!さすがにそっちは思いつかなかったわ。シシリーさん、何とかしてくれない?さすがにお父さんがこのままになっちゃったら、宿の経営が大変だもの」
「とにかく、即行で地下に行かないとダメってことね。彼が瓶を使う前に、私が見つけなきゃ」

 急いで部屋から武装を持ってきたシシリーは、さっそく地下への階段に潜ることにした。
 ≪狼の隠れ家≫の地下室は何度も改造を重ねており、その全貌をはっきり知る者は少ない。
 シシリーたちでも、特別な依頼の話をするための個室や、バイオリン演奏家のルージュ・ポワゾンが一時期泊まらせてもらってた粗末な客室、食料庫があるのを見たくらいである。
 ただ、ワインセラーや物置部屋、開かずの間もあるとリジーから貰ったメモにあり、旗を掲げる爪の仲間たちはそこへバラバラに赴いて、何らかのトラブルに遭っているのではないか……と推測できた。

「さて……どの部屋から回ろうかな」

 地下に下りたシシリーは、光の精霊の一種であるランプさんに灯してもらいながら、きょろきょろと辺りを見渡した。
 暗い通路の中、幾つかの似たようなドアが並んでいる。
 その中の一つは、春頃に旗を掲げる爪へ依頼をしてきた、ど下手な演奏家の泊まっていた部屋だ。
 彼はやっと骨折した脚が治ったとかで、2階の一番狭い部屋を借りている。
 そのため、現在ここは空き部屋になっていたはずである。
 とりあえずここから見てみるか、とシシリーはドアノブを回して中を覗いてみた。

「……?」

 部屋には娘さんの心づくしの寝台や、宴会中に破損して修繕したテーブルなどが並べてあり、その机上には蝋燭が一つだけ灯してある。
 そんな仄かな蝋燭の灯を遮るように、行ったり来たりしている人影は……。

「くく……あはははは……」
「ウィルバーじゃないの。……まさか、瓶を先に見つけたんじゃないでしょうね」

 目当てのものを発見して、嬉しさのあまり狂気に取り付かれたということだろうか。
 それにしては、いささか動きが心許ないというか、ぎこちないというか。
 疑問に思ったシシリーがよく目を凝らすと、狂ったように笑うウィルバーの手に握られたアミュレットの紅い宝石が、怪しい光を放っている。

「魔法が篭められた品ね!呪われでもしたのかしら……?『天に座する偉大な主よ、いと高き処の視界を我にも与えたまえ』」

 十字を切って祈りながら唱えたのは、神のおわす高みから、己のいる世界を違う視点で見渡す法術の【御使の目】である。
 その特殊な視界で感知する限り、さほど強力な支配力を持った代物というわけではないらしい。
 恐らくは何らかの手段で精神状態を戻せばどうにかなるだろうと、シシリーは荷物袋を漁った。
 錯乱した相手や恐怖に竦んでいる相手には、≪葡萄酒≫を使うのが一番手っ取り早いのだが、ストックが少ないので別の手段を用いたい。
 何かないかと底まで探してみたところ、彼女の春の海の色の瞳に一冊の本が映りこんだ。

「これって確か……」

 テーゼンの正体が悪魔だと知れる前に、何をとち狂ったのかロンドが発表して仲間からこき下ろされた、14歳あたりが妄想をこじらせたような≪創作ノート≫である。
 あまりの発想のベタさに正気に戻るんじゃないだろうか、と判断したシシリーは、嫌々ながらそれを開いて朗読し始めた。
 やった本人すらもあまり期待してはいなかったのだが、なんと本当にそれでウィルバーは正気を取り戻したようで、垂れ気味の黒い目の焦点がぶれていたのが、徐々にしっかりとしてきた。
 だらしなく開いて不気味な笑い声をあげていた口が閉まり、ニ、三度金魚のごとくパクパクと開いたり閉じたりした後、

「……は、あれ?私、一体何を……?」

というセリフが飛び出してくる。
 同時に、ウィルバーが握っていたアミュレットが音を立てて床に落ちた。

宿の地下2

 ≪創作ノート≫を閉じたシシリーが、油断なく床のそれを見張りながら問いかける。

「ウィルバー、このアミュレットは一体どうしたの?」
「毛生え薬を探している時に、偶然見つけたんです……。拾ったら、目の前が暗くなって」
「魔術師がこんなアイテムに引っかからないでよ……」

 仲間に苦言を呈した後、しげしげとついている宝石(恐らくは上物のガーネット)や細かな彫刻の具合を鑑定した。

「厄介な能力はついていたけど、金目の物には違いないわね……報酬代わりに貰っていきましょ」
「取り扱い注意!」
「あなたに言われたくないわよ!」

と言い合いをしながら、≪Beginning≫の鞘に引っ掛けて、ぽいっと荷物袋に放り込む。
 とりあえず肝心の瓶を見つけたわけではなかったので、2人はこの空き部屋(たまに客室)を調査してみることにした。

「それにしても、こんな代物を空き部屋に放り込んで放置だなんて、親父さんは一体何を考えてらっしゃるのでしょう?」
「とりあえず金目の物とあらば、ツケの支払い代わりに巻き上げてるだけとか?……あ、でも……」

 シシリーはチラッと荷物袋に目をやった。

「ここって、前にルージュ・ポワゾンがいたところでしょ。彼の落し物だったりして」
「まさか。呪いつきと言えどもあんないい物があったのなら、とっくに売り飛ばして金にするでしょう」
「まあ、それは言えてるわね……何もないわね」
「ええ。どうやら、この部屋はハズレだったようですね……」
「仕方がないわ。他の地下室を捜しましょう」

 蝋燭はウィルバーが探索のためにつけたものだったそうで、火事にならないようきちんと蝋燭消しで消火すると、2人はいったん通路に出た。
 知っているところから開けるのなら、次は食料庫ということになる。
 
「ここに薬保管とか、ちょっと嫌なんだけど……」
「そうですねえ。でも、確認はしておかないとなりませんから」
「まあね。さて、ここはどうなってるかしら……」

 ノブを回してそっと覗く。
 すると……。

「シシリー!」
「……あの、一体何してるの、テーゼン」
「しかもこんな暗い中、明かりも点けずに。いえ、あなたは悪魔だから暗視あるんでしょうけど」

 真っ暗な部屋の中で、テーゼンがたまに「痛い!」と叫びながら壁に張り付いている。
 ドン!と、何やら大きな音がその向こうから聞こえていた。
 テーゼンの周りをくるくる回っていた妖精のムルが、

「シシリーさん、ウィルバーさん!良かった、いいところに!」

と言って、こちらにパタパタ飛んでくる。
 わけも分からず説明を促す目を青年に向けると、彼はどこかばつが悪そうに言った。

「毛生え薬を探してたら、壁に大きな穴が空いているのを見つけちまって……中から大量に……いてっ、また噛まれた!……ネズミが……!」
「……ネズミ!?」

 シシリーとウィルバーはぎょっとした顔になった。
 必死に壁に翼を押し付けながら――どうも翼でぴっちり穴を塞いでるらしい――テーゼンが首を激しく縦に振る。

「仮にもここ食料庫だろ?ネズミに蹂躙されたら、大変なことになっちまう!氷を操る技なんかがあれば、一時的でも穴を塞いで時間稼ぎできるかと……」
「話は分かりました。任せなさい、テーゼン!タイミングをよく読んで避けてください」
「よろしく頼むぜ、ウィル!」
「『凍える魔力よ、蒼き軌跡を描く帯よ…!』」

 ウィルバーは悪魔の青年の希望通り【蒼の軌跡】の呪文を唱え、≪海の呼び声≫と呼ばれるマリナーの秘宝をかざすと、そこから真っ直ぐに伸びた氷の帯が壁の穴を完全に塞いだ。
 一瞬早く穴から飛んで魔法を避けたテーゼンが、優美にシシリーの横に舞い降りて額の汗を拭う。

「ふぅっ……。ありがとな。やっと穴を押さえなくて済……」

 その刹那――パリィン!と、何か脆いものが砕ける音が響いた。

「――えっ!?」

 慌てて音のしたほうを見やると、なんと灰色のネズミ達が、【蒼の軌跡】でできた氷塊を齧りながらまろび出てきたところだった。
 テーゼンが常より低い声で呻く。

「あれを破ってくるかぁ!?何なんだ、このネズミ!!」
「とにかく、食料庫をこいつらに蹂躙させるわけにはいかないわ!」

 そんな事になれば、向こう一週間は宿の食卓が悲惨なことになる。
 ここには上等のチーズは言うに及ばず、自家製の燻製ベーコンや塩漬けの鹿などの肉、オイル漬けの魚や干した海老、デザート用の干した果物や揚げじゃが用のじゃが芋までもが転がっているのだ。

「片付けるわよ、テーゼン、ウィルバー!ムルも手伝って!」
「おうよ!」
「勿論です!」
「はい、頑張ります!」

2016/05/12 12:21 [edit]

category: 宿の地下の怪

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