Sat.
赤い花は三度咲くその6 
室内にいたのは、男とキメラが1人と一匹。
そしてウィルバーにとっても、他の者たちに取っても既知である動く鎧。
男はキメラを膝に抱き、その頭をあやすように撫でていた。
「ようこそ、冒険者諸君。大広間での実験、まことに実入りのあるものだった。感謝するよ」
「うちの魔術師殿をずいぶんといたぶってくれたわ。覚悟はできているわよね」
しゃり、と≪Beginning≫を鞘から引き抜く音がする。
そしてウィルバーにとっても、他の者たちに取っても既知である動く鎧。
男はキメラを膝に抱き、その頭をあやすように撫でていた。
「ようこそ、冒険者諸君。大広間での実験、まことに実入りのあるものだった。感謝するよ」
「うちの魔術師殿をずいぶんといたぶってくれたわ。覚悟はできているわよね」
しゃり、と≪Beginning≫を鞘から引き抜く音がする。
シシリーは涙を流したあの合成獣の額を断ち割った時のように、正眼に剣を構えていた。
「くく……。そう急くこともあるまい。少し話をしようではないか」
男は歯をむき出しにし、大仰な芝居めいた仕草で膝上の化け物を賞賛する。
「見たまえ、このキメラを。ここまで人に近づけた私の苦労は並大抵のものではなかった。様々なものを犠牲にした。頭部は人間そのものだ。美しいだろう」
男が高説を垂れている合間に、アンジェは≪早足の靴≫の効果で音もなく立ち位置を変えていた。
本当ならもっと死角に入った上で接近するし、そうできるだけの家具や用途の分からない器具などが部屋にはあったのだが、これ以上迂闊に近づくと、例のキメラか動く鎧が反応しそうで、どうしても踏み出せなかったのである。
どんぐり眼が椅子の格子越しに、男が朗々と話す姿を観察している。
「知られているキメラは言葉どおり、合成獣といった代物だった。だが、人の腹にいる頃にキメラを仕込む技術を使えば、限りなく人に近いものが作れる。それは正しかった」
「それが……。そんな技術で一体どうするというんじゃ……戦争でもする気か!?」
「争いか。それも悪くはない。だが争いは目的ではない」
コランダムは両手を天にかざすようにし、陶然となって自らの目的を宣言した。

「知識!その奥に潜む深淵!それが!それこそが私の目的そのもの!」
「………フン。手前勝手な言い分じゃな……」
「全ての学問は魔術へと通じている。それを認めた時の私の興奮。医学、算術、占星術、錬金術。そして死霊術までも!それら学問を芸術とさらにさらに昇華せよ!それこそが私の命題なのだ!」
「ああ、そうかよ」
ひゅいん、と空気を切ったものがある。
ロンドの長い腕からそのまま生えたかのように構えられたのは、炎を上げるスコップであった。
結構な重量があるはずなのに、スコップを掴む腕はコランダムに先を向けたまま、微動だにしない。
「学問がどうとか知ったことじゃないんだよ。仲間を傷つけた。……傷つけさせた」
ぎろりと迫力に満ちた目が敵を睨んだ。
「お前をぶっ倒すには、それだけの理由で十分すぎるんだよ!」
「芸術を分かってはくれなかったか。仕方あるまい!」
コランダムが、先ほどアンジェが遺灰から見つけたのと同じような石を掲げた。
魔力を内包したそれは、焼却場にあったのとは違い、ひび割れている様子もない。
恐らくはそれでウィルバーの≪魔力の腕輪≫に干渉しようというつもりだったのだろうが――。
「……!!」
石が輝こうとする寸前、同時に、ウィルバーが遺灰を空に向けてばら撒く。
「何ッ……!?」
コランダムは手の中の≪魔力の石≫に溜め込まれた魔力が、行き場をなくしたかのように力を散じていることに気づいて狼狽した。
「上手く作用できん……!?なんだ、この灰は……!」
「どうせ前の助手も死なせたのでしょう……!焼却場の灰から、この腕輪に残っていた魔力と同質のものを感じましたからね!」
傍らに控えていたリビングメイルが、何かに気づいたように身じろぎした。
「この灰は……彼女の腕の……」
「あたりが似たような魔力で曖昧になれば、魔力を辿り難くなる。その人の魂は、灰になってもこちらに味方したようですね!」
≪海の呼び声≫の先端についた宝玉が、ウィルバーの操る死霊術の微かな動きに反応して瞬くのを魅入られたように眺めながら、ぽつりと鎧は呟く。
「……魂」
その己の言葉にどう反応したものか――それまで、後方で慎ましやかに佇んでいたリビングメイルが、剣を振り上げてコランダムの持つ石を打ち砕いた。
「なっ……ナイト、貴様!!」
魔力の元を破壊されたコランダムが激昂し、動く鎧へと魔法を放つ。
怒りのあまりにやや拡散した【魔力の矢】は、それでも黒いつや消しされたような鎧を壁まで吹き飛ばすのに十分な威力を有していた。
「グッ……。冒険者よ!石なき今だ、討て!」
「やるわよ、みんな!」
長剣を指揮棒のように振るったシシリーに頷くと、仲間たちはそれぞれに戦いの体勢を取った。

ロンドが無数の掌打を叩き込み、キメラとコランダムの両方を木のベンチへと吹き飛ばす。
「きっ、き、貴様……!」
「おおっと、こっちも忘れて貰っちゃ困るんだよね~」
「全てを浄化する聖なる炎よ!我が刃に宿り、敵を討て!」
アンジェは椅子の後ろから跳び上がると、腕輪から鋼糸を引き出してコランダムを拘束した。
慌てて男は身をよじるも、聖なる力を宿した長剣によって、右太ももから胸の辺りを焼きながら切り上げられる。
「うおおおおッ!?」
肉の焦げる匂いが辺りを漂った。
テアは落ち着いた挙措で【赫灼の砂塵】をバイオリンで奏でる。
ふわりと熱い風がバイオリンの弓から吹き始めた刹那、演奏者の敵を見定めた風がキメラと人間の肉体を引き裂いた。
キメラは綺麗な女の顔を歪め、空中に飛び上がって冒険者たちの攻撃を逃れようとする。
しかし、彼女は知らなかったのだ――旗を掲げる爪にも、空中戦を得意とする男がいることを。
≪ダリの愛槍≫を目にも止まらぬ速さで突き出したテーゼンは、追放された魔術師の手で作られた美しいグラデーションの身体を天井に縫い止めた。
その個体に、すでに息はない。
コランダムが憤怒の表情で旗を掲げる爪を睨みつけるも、アンジェの作った鋼糸の束縛からは逃れる術はなかった。
粗雑にすら思えるロンドの肘打ちがコランダムの額に決まり、続けざまに振り下ろされたスコップが彼の胸に突き刺さった。
「グアアアアアアア!!ばかな、私が死ぬ……!?そんなことが……!」
彼は必死で空を掻いている。
「認めんぞ、認め……この砦ごと……!道連れにしてくれる……ッ!」」
スコップを引き抜かれたコランダムは、倒れ際に壁に掛けてある鏡を落とし、それを抱きしめるようにして沈黙した。
たちまちあたりが揺れ始める。
「揺れてる……!?」
「砦を崩すつもりです!逃げましょう!」
「………」
リーダーであるシシリーや、冷静さを取り戻したウィルバーの言葉が飛交う中、アンジェのどんぐり眼がじっと死体に注がれている。
その背中をぽんと叩いて、ロンドが言った。
「アンジェ!行くぞ!」
「……うん」
「すまんのう、テーゼン」
「いいってことさ。今度、一杯奢ってくれ」
テーゼンはさっさとテアを抱き上げ、俊足を生かして仲間に追いつく。
開いている扉を見つけたウィルバーが誘導するのに従い、全員が前へ前へと走る。
邪魔な障害物は、気合の声をあげながらロンドがぶち破った。
砦を出ても、崩れてくる石材に身体をうちつける危険性が高いため、冒険者たちはそのまま走り続けた。
村の外れにある花畑の一つに辿り着いた時……。
「ずいぶん走ったけど、大丈夫か?」
後ろを振り返るようにして呟いたロンドのセリフを機に、テア以外の全員が足を止めた。
「大丈夫ですよ。近くに村や街はあるのでしょうか」
「近くに村があるの。まずはそこに――」
「待った!」
アンジェが片腕を上げて制止した。
前方に誰かの影が見える。
季節外れの赤いヒガンバナの波をかき分けるようにしてこちらに近づいてきたのは、
「お前……確かナイトって呼ばれてた……」
というロンドの言葉どおり、あのリビングメイルであった。
黒いつや消しを施されたような鎧は、この赤い花の波の中にあって異様としか言えない。
ウィルバーが杖を構えつつ、目を珍しく険しくて問いかける。
「リビングメイルが、主を失ってなぜ動けるのですか」
「私に設置された魔力の石、その魔力でまだ動いてはいるが、それも時間の問題だろう。これは私の最後の力だ」
「もしかして……」
ハッと気づいたシシリーが問いかける。
「ここに続く扉を開けておいてくれたのもあなた?」
鎧ががしゃりと鳴った。たぶん、頷いたのだろう。
「本当か?どうして主を裏切って俺たちを助ける?」
「私の主はコランダムではない。奴は忘れていたのだろうが、私は奴の命令を聞けという命は受けていない。私の主は、ここから去った。コランダムの前の助手である女性だ」
パーティ全員の目が見開かれた。
それはロンドたちにとってはあの非業の最期を遂げた人物であり、ウィルバーにとっては遺してくれた灰で自らの手助けをしてくれた魔術師である。
「私は、彼女がここで初めて成した魔術。以来、彼女の下僕として過ごしてきた」
「彼女は、もう……」
言葉尻を濁したシシリーの気遣いを感じたのか、リビングメイルは同意するように身体を揺すった。
「主が死したのは、感じている。魔力を注力する者も亡き今、この身体もじき限界を迎えるだろう。だが、その前に……」
動く鎧――ナイトが抜剣した。
その切っ先は迷いなく、すっと柔らかいものをなぞるかのごとくロンドへ向けられている。
「……俺、かい?」
「貴様。腕の立つ戦士と見受ける。私と戦ってはくれないか」
「ロンドっ!受けることはありません!」
ウィルバーが叫ぶも、当の本人は微かに笑いを浮かべて、ナイトの話を聞く体勢に入っている。
「卑しきリビングメイルの身なれど、剣を繰る者だ。笑い話と思われるかも知れんが、私もこの剣で魂をぶつけてみたい……貴様のような、戦士の魂を持つ者と。命をかけて、ぶつかりあいたい」
「……俺でいいのなら、かまわないぜ。戦士の死合い、同じ魂を持つ者として受けよう」
「ロンド……」
「自分の理由のために戦うのが戦士ってやつだからな。……震えるじゃないか」
歓喜、興奮、戦意、それらの高揚が、ロンドの全身を瘧の様に震えさせた。
赤い花の咲き乱れる中で、仲間達を庇うでもなく、何かを質に取られているでもなく、ただただ、一個の戦士として戦う。
とんでもなく贅沢な話だ、とロンドは思った。
「感謝する……」
「いざ」
「名前は、なんというのだ?」
「ロンドだ。それ以外の名は、全て捨て去った」
スコップを構えて腰を落としたロンドは、ふと最初に会った時のことを思い出した。
「お前、裏口で俺たちの正体に気づいて見逃しただろう」
肯定の代わりに、ナイトは愉快そうに肩を揺らした。
そして抜いていた剣をゆっくりと構えた。
切っ先の向こうには、変わった武器を構えた大きな体躯が満身に闘志を漲らせている。
「ゆくぞ!」
「うおおおおお!」
ロンドのスコップが鎧を穿つのが、少しだけ早かった。
振り下ろされたナイトの長剣が、一瞬前にはロンドが立っていた場所を抉っている。
「これが刃鳴らす死合い!ロンド!ロンド!!感謝するぞ……!!」
「おー、おー、嬉しそうで何よりだ。俺も……あんたと戦えて、楽しいぜッ!」
戦闘は長く続いた。
ナイトの長剣がロンドの頬をかすめ、燃えるスコップが鎧に凹みを作る。
フェイントを交えて切り下ろしてきた刃が肩から血の華を咲かせ、巨躯の重量を生かした体当たりが鎧を地面へ弾き飛ばす。
戦いの技術――所詮は人殺しのための手段だと言われればそれまでだが、それも目の前の彼らが繰り広げるレベルに達していれば、芸術の域にまで達しているのかもしれない。
目まぐるしい攻防と、武器と武器の噛み合う響きが辺り一帯を支配する。
卓越した剣士と豪腕を誇る重戦車の戦いは、行く末を見守る者達にとってあるいは数時間も続いたかのように感じられた。
だが――相手の剣をかいくぐったロンドが、スコップの平面を鎧の頭部に叩きつけた瞬間、勝負はついに決した。
「ぐうっ!!」
凶悪なまでの力技に、ナイトが膝をついた。
「……ふふ、愉しかった、愉しかったぞ、ロンド……。これが、私のずっと望み続けた魂の鍔迫り合いか」
がしゃりと鎧が赤い花の海に横たわり、感想を呟き続ける。
「よいものだな……。貴様とはこのような卑しい身ではなく、生身でぶつかりたかった」
「そうかい。俺はあんたが生身だろうとそうじゃなかろうと、その心を持って死合いしたいってんなら、気にしないけどな」
ロンドの言葉に、しばしナイトは言葉を失った。
この戦士は正気なのか――だが、確かに彼は心の底から相手の種族などはまったく気にしていないことが分かり、ナイトはまた心地良さげな笑い声をあげたのだった。
「ありがとう、ロンド、冒険者たちよ」
そのセリフを最期に、鎧が結合するだけの魔力も失い、バラバラに崩れ落ちていく。
「……リビングメイルの、騎士か。見事なものね……」
「そうじゃのう」
「…帰りましょう。依頼人に報告しないとね」
「ちょっと待ってください」
「ウィルバー?」
「このままお別れするのは、あまりにも忍びないのでね……」
………数十分後。
貸し切った乗り合い馬車で、今までの疲労により皆が眠る中、ロンドはボンヤリとわずかに見える外を眺めていた。
隣に座り込んで眠っているウィルバーを見やると――よく眠っている。
ロンドはそっと目を閉じる。
(彼が、腕を失わなくて良かった)
吐息をついた彼は、再び馬車の揺れに身体を預け、開いた眼を隅に向けた。
視線の先には、旗を掲げる爪全員で回収した、つや消しの黒い鎧がある。
ウィルバーの話によると、彼が『核』となる媒体に魔力を再注入すれば、ナイトは以前の記憶を保持したまま、また稼動するようになるらしい。
そうなれば、ロンドや他の者の戦闘訓練に付き合ってくれるかもしれない。
ナイトが自ら護りたいと思えるような誰かに、出会うこともできるかもしれない。
だが意識を取り戻したら、あんな見事な戦いで本懐を遂げたのにと、まず文句から言われるだろうな――ロンドは微かな笑い声を漏らした。
(その時は、その時だ)
賢者の搭で待つ依頼人に達成の報告をし終わった冒険者たちは、結局かの鎧については沈黙を保った。
その代わり……と言ってはなんだが、カルサイトが報酬を渡し終わった後に頼んできた後始末については、優先的に受けるようにした。
ゆえに、事件の5日後にアンジェが受けた遺品の魔道具の回収という追加依頼についても、嫌がる様子も見せずに彼女はついてきたのである。
崩れ落ちている砦のあちらこちらを見渡しながら、カルサイトは暗い記憶を掘り起こした。
「……私も幼い頃、父によって密室で魔法生物と殺し合いをさせられました。今でも夢に出ます。血まみれの手で地下室の鉄の扉を叩いて助けてと叫ぶ……。そんな悪夢です」
ガラッと転がった小さな破片に血がついているのを蹴飛ばして、彼はため息をついた。
「きっとここではそれ以上のことが行なわれていたのでしょうね」
「生命の危機に瀕すればこそ目覚める力もそりゃ、あるかも知れないけどね」
「ところですいませんね。こんな後々になって追加依頼を受けてもらって」
「ん、別にいいよ。うちの魔術師様はかなり身体に負担が掛かっていたから、今のところ彼が必要とされる依頼は受けられないし、砦がどうなったのか気になったし」
「ありがとうございます。報酬はちゃんと支払いますよ」
実を言うと、ウィルバーが外出しないのはナイトの『核』に魔力を最大放出して篭めたのと、リビングメイルである彼に、人の社会の規範について教えているからなのだが――それはおくびにも出さない。
2人は転ばぬように気を配りながら、砦の基礎部分にまで移動してきた。
「わたしは向こう側を見てきます。じき部下も来ますので、アンジェさんは無理のない範囲でどうぞ」
「了解。めぼしいものがないか見ておくよ」
カルサイトは、よろしくお願いしますと頭を軽く下げてから、自分の見回る場所へ歩いていった。
アンジェの見渡す視界の中では、爆発のせいで砕けた、調度品や実験器具の欠片が転がっている。
消し炭と化した書物の類も見つけていた。
「…………」

しばらく辺りを捜索すると、見たことのある鏡が目に入った。
鏡は曇っている上空を映している。
アンジェはまるでそれが生き物であるかのように、鏡面に自分の姿を映さないよう気を配って、姿を隠しながら近づいた。
『おのれ、おのれェェェェ……冒険者風情が、私の、私の芸術の邪魔をするとは……』
造作なく聞き耳できるアンジェの聴覚には、鏡から洩れている呪詛のような声が届いている。
『魔力ある者が近くにいるな…その身体を操り、ここから移動してくれる。あの冒険者どもめ……ッ!!』
もう大丈夫だろう、依頼人は既に遠くへ行ったようだ――そう判断したアンジェは、聞くことも聞いたからと、ひょこと頭を覗かせた。
「その冒険者だよ。こんにちわ」
『はぁぁぁぁぁぁぁっ!?きっ、きっ、貴様!あの六人のうちの一人!!?』
「あの最期の時、おかしいと思ったんだよね。死に際にわざわざ鏡抱えちゃって。なるほどね、こういうことだったんだぁ」
『わ。分かったところで何ができるッ!?この鏡は強化魔術が掛かっている!爆発にも耐えうるものだ!壊すことなどできん!』
つまり、【魔法の鍵】が掛かった砦の扉が丈夫になったように、この鏡にも似たような作用をする物体強化の魔法が掛けられているのだろう。
そのことに喋りながら気づいたコランダムの魂は、気を大きくして言い募った。
『魔力ある者がこの鏡に触れれば、その身体は私のものだ!奪った身体を使い、私は再び理想への道を往くッ!』
「へえー、へえー。ご高説ありがとう……ところで、これなーんだ?」
わざとらしく頷いてみせたアンジェが、背負った荷物袋からおもむろに取り出したのは、あの甘味好きなシュツガルドの遺跡で発掘した、金の文字の装丁がある魔法の書物だった。
ロンドがウィルバーに投げつけ、ウィルバーの誘拐後にまたロンドが拾い上げてからこっち、ずっと出番がないまま袋の中で眠っていたものだ。
『はは、なんだそれは。二束三文にもならなそうな低級の魔術書……――おい、待て。まさか』
「おやま、ご名答」
アンジェは魔術書の表紙に気軽な調子で口付ける。
「うちのおっちゃんによると、これは読むためのものではなくて、見習い魔術師が魔法生物への護身用に持つ鈍器――本自体に打撃の魔術が掛かってるんだって」
アンジェがにっこりと可愛らしく笑う――が、その目だけは、まったく笑っていなかった。
「つまりこの本で叩くだけで、その鏡みたいな魔術に守られた品だってぶち壊せる。……そうだね?」
『やめろ……やめろ!!よせ!!!』
「君を見逃したらまた脅威になるもんね。ここで確実に、死んで貰う」
『ヤメロオオオオオオオオオ!!!』
アンジェの得意は、短剣や鋼糸などの器用さを要求される武器であり、鈍器はその範囲内にはなかった。
しかし、この本で鏡を打ち砕くだけなら――それは、当たり前の子どもにだって可能である。
だから、彼女は容赦しなかった。
「バイバイ」
※収入:報酬1800sp、≪魔力の腕輪≫≪魔法の雫≫≪遺灰≫≪ヘアピン≫×8
※支出:
※ひなた様作、赤い花は三度咲くクリア!
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■後書きまたは言い訳
44回目のお仕事は、ひなた様の赤い花は三度咲くです。
初めてこのシナリオをやった時は、内容の濃さと面白さに、終わってからしばらく脱力していました。
何しろ、盗賊の追加依頼まであるとは思わなかったもので…特に、本がラストで出てきた辺りは、「うおおお、このための伏線だったのか!?」と興奮致しました。
シナリオでは珍しく魔術師が攫われる役となっており、本来ならこれ、男女だったり親友同士で楽しんだりするものなんだろうな~と思いつつも、旗を掲げる爪では孤児院組みであるロンドと、保護者であるはずのウィルバーでチャレンジです。
プレイしてみると、案外とこの組み合わせで心情の変化が楽しめたというか、ウィルバーに、今まで庇護してきたつもりの相手がちゃんと成長していて、むしろ冒険に同行している自分が至らないのではないか――という考えが発生することに。
この人、結構きちんと保護者だったんですね……私も初めて知りました。
シナリオ上では喧嘩の原因を山賊退治としていたのですが、前の依頼(平江明様の地下二階の役立たず)での出来事を上手く話に組み込めそうだったので、そっちでリプレイを書いてみました。
また、最後のナイトと戦士役のタイマンについては、もう少し戦士の反応が違うんですが……どう考えてもロンドにやらせるとウキウキしながら承諾一択だろうと、あんな風になっております。
ひなた様、シナリオの意図と違っていたら大変申し訳ございません。
そして今回も、これまでプレイしてきた作品を色々とリプレイに入れています。
ナブル・ラウーランの件=平江明様の地下二階の役立たず
手配犯グェス・ゲェス=なろ様の魔術師
かぼちゃ屋敷で1人だけ変身させられず奔走=島兎様のかぼちゃ屋敷の夢
シシリーに連れられ本の中の世界に飛び込む=吹雪様の迷宮のアポクリファ
鉱山に住まうオーク退治=River様のえんまの領域
禍神と戦い時を止められた巫女を解放=たつの(旧・龍乃)様の時の囚われ人
どれも楽しいシナリオばかりで、ワクワクしつつ遊ばせて貰いました。
経験がこうして積み上がっていくのって、本当面白いものだと思います。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
「くく……。そう急くこともあるまい。少し話をしようではないか」
男は歯をむき出しにし、大仰な芝居めいた仕草で膝上の化け物を賞賛する。
「見たまえ、このキメラを。ここまで人に近づけた私の苦労は並大抵のものではなかった。様々なものを犠牲にした。頭部は人間そのものだ。美しいだろう」
男が高説を垂れている合間に、アンジェは≪早足の靴≫の効果で音もなく立ち位置を変えていた。
本当ならもっと死角に入った上で接近するし、そうできるだけの家具や用途の分からない器具などが部屋にはあったのだが、これ以上迂闊に近づくと、例のキメラか動く鎧が反応しそうで、どうしても踏み出せなかったのである。
どんぐり眼が椅子の格子越しに、男が朗々と話す姿を観察している。
「知られているキメラは言葉どおり、合成獣といった代物だった。だが、人の腹にいる頃にキメラを仕込む技術を使えば、限りなく人に近いものが作れる。それは正しかった」
「それが……。そんな技術で一体どうするというんじゃ……戦争でもする気か!?」
「争いか。それも悪くはない。だが争いは目的ではない」
コランダムは両手を天にかざすようにし、陶然となって自らの目的を宣言した。

「知識!その奥に潜む深淵!それが!それこそが私の目的そのもの!」
「………フン。手前勝手な言い分じゃな……」
「全ての学問は魔術へと通じている。それを認めた時の私の興奮。医学、算術、占星術、錬金術。そして死霊術までも!それら学問を芸術とさらにさらに昇華せよ!それこそが私の命題なのだ!」
「ああ、そうかよ」
ひゅいん、と空気を切ったものがある。
ロンドの長い腕からそのまま生えたかのように構えられたのは、炎を上げるスコップであった。
結構な重量があるはずなのに、スコップを掴む腕はコランダムに先を向けたまま、微動だにしない。
「学問がどうとか知ったことじゃないんだよ。仲間を傷つけた。……傷つけさせた」
ぎろりと迫力に満ちた目が敵を睨んだ。
「お前をぶっ倒すには、それだけの理由で十分すぎるんだよ!」
「芸術を分かってはくれなかったか。仕方あるまい!」
コランダムが、先ほどアンジェが遺灰から見つけたのと同じような石を掲げた。
魔力を内包したそれは、焼却場にあったのとは違い、ひび割れている様子もない。
恐らくはそれでウィルバーの≪魔力の腕輪≫に干渉しようというつもりだったのだろうが――。
「……!!」
石が輝こうとする寸前、同時に、ウィルバーが遺灰を空に向けてばら撒く。
「何ッ……!?」
コランダムは手の中の≪魔力の石≫に溜め込まれた魔力が、行き場をなくしたかのように力を散じていることに気づいて狼狽した。
「上手く作用できん……!?なんだ、この灰は……!」
「どうせ前の助手も死なせたのでしょう……!焼却場の灰から、この腕輪に残っていた魔力と同質のものを感じましたからね!」
傍らに控えていたリビングメイルが、何かに気づいたように身じろぎした。
「この灰は……彼女の腕の……」
「あたりが似たような魔力で曖昧になれば、魔力を辿り難くなる。その人の魂は、灰になってもこちらに味方したようですね!」
≪海の呼び声≫の先端についた宝玉が、ウィルバーの操る死霊術の微かな動きに反応して瞬くのを魅入られたように眺めながら、ぽつりと鎧は呟く。
「……魂」
その己の言葉にどう反応したものか――それまで、後方で慎ましやかに佇んでいたリビングメイルが、剣を振り上げてコランダムの持つ石を打ち砕いた。
「なっ……ナイト、貴様!!」
魔力の元を破壊されたコランダムが激昂し、動く鎧へと魔法を放つ。
怒りのあまりにやや拡散した【魔力の矢】は、それでも黒いつや消しされたような鎧を壁まで吹き飛ばすのに十分な威力を有していた。
「グッ……。冒険者よ!石なき今だ、討て!」
「やるわよ、みんな!」
長剣を指揮棒のように振るったシシリーに頷くと、仲間たちはそれぞれに戦いの体勢を取った。

ロンドが無数の掌打を叩き込み、キメラとコランダムの両方を木のベンチへと吹き飛ばす。
「きっ、き、貴様……!」
「おおっと、こっちも忘れて貰っちゃ困るんだよね~」
「全てを浄化する聖なる炎よ!我が刃に宿り、敵を討て!」
アンジェは椅子の後ろから跳び上がると、腕輪から鋼糸を引き出してコランダムを拘束した。
慌てて男は身をよじるも、聖なる力を宿した長剣によって、右太ももから胸の辺りを焼きながら切り上げられる。
「うおおおおッ!?」
肉の焦げる匂いが辺りを漂った。
テアは落ち着いた挙措で【赫灼の砂塵】をバイオリンで奏でる。
ふわりと熱い風がバイオリンの弓から吹き始めた刹那、演奏者の敵を見定めた風がキメラと人間の肉体を引き裂いた。
キメラは綺麗な女の顔を歪め、空中に飛び上がって冒険者たちの攻撃を逃れようとする。
しかし、彼女は知らなかったのだ――旗を掲げる爪にも、空中戦を得意とする男がいることを。
≪ダリの愛槍≫を目にも止まらぬ速さで突き出したテーゼンは、追放された魔術師の手で作られた美しいグラデーションの身体を天井に縫い止めた。
その個体に、すでに息はない。
コランダムが憤怒の表情で旗を掲げる爪を睨みつけるも、アンジェの作った鋼糸の束縛からは逃れる術はなかった。
粗雑にすら思えるロンドの肘打ちがコランダムの額に決まり、続けざまに振り下ろされたスコップが彼の胸に突き刺さった。
「グアアアアアアア!!ばかな、私が死ぬ……!?そんなことが……!」
彼は必死で空を掻いている。
「認めんぞ、認め……この砦ごと……!道連れにしてくれる……ッ!」」
スコップを引き抜かれたコランダムは、倒れ際に壁に掛けてある鏡を落とし、それを抱きしめるようにして沈黙した。
たちまちあたりが揺れ始める。
「揺れてる……!?」
「砦を崩すつもりです!逃げましょう!」
「………」
リーダーであるシシリーや、冷静さを取り戻したウィルバーの言葉が飛交う中、アンジェのどんぐり眼がじっと死体に注がれている。
その背中をぽんと叩いて、ロンドが言った。
「アンジェ!行くぞ!」
「……うん」
「すまんのう、テーゼン」
「いいってことさ。今度、一杯奢ってくれ」
テーゼンはさっさとテアを抱き上げ、俊足を生かして仲間に追いつく。
開いている扉を見つけたウィルバーが誘導するのに従い、全員が前へ前へと走る。
邪魔な障害物は、気合の声をあげながらロンドがぶち破った。
砦を出ても、崩れてくる石材に身体をうちつける危険性が高いため、冒険者たちはそのまま走り続けた。
村の外れにある花畑の一つに辿り着いた時……。
「ずいぶん走ったけど、大丈夫か?」
後ろを振り返るようにして呟いたロンドのセリフを機に、テア以外の全員が足を止めた。
「大丈夫ですよ。近くに村や街はあるのでしょうか」
「近くに村があるの。まずはそこに――」
「待った!」
アンジェが片腕を上げて制止した。
前方に誰かの影が見える。
季節外れの赤いヒガンバナの波をかき分けるようにしてこちらに近づいてきたのは、
「お前……確かナイトって呼ばれてた……」
というロンドの言葉どおり、あのリビングメイルであった。
黒いつや消しを施されたような鎧は、この赤い花の波の中にあって異様としか言えない。
ウィルバーが杖を構えつつ、目を珍しく険しくて問いかける。
「リビングメイルが、主を失ってなぜ動けるのですか」
「私に設置された魔力の石、その魔力でまだ動いてはいるが、それも時間の問題だろう。これは私の最後の力だ」
「もしかして……」
ハッと気づいたシシリーが問いかける。
「ここに続く扉を開けておいてくれたのもあなた?」
鎧ががしゃりと鳴った。たぶん、頷いたのだろう。
「本当か?どうして主を裏切って俺たちを助ける?」
「私の主はコランダムではない。奴は忘れていたのだろうが、私は奴の命令を聞けという命は受けていない。私の主は、ここから去った。コランダムの前の助手である女性だ」
パーティ全員の目が見開かれた。
それはロンドたちにとってはあの非業の最期を遂げた人物であり、ウィルバーにとっては遺してくれた灰で自らの手助けをしてくれた魔術師である。
「私は、彼女がここで初めて成した魔術。以来、彼女の下僕として過ごしてきた」
「彼女は、もう……」
言葉尻を濁したシシリーの気遣いを感じたのか、リビングメイルは同意するように身体を揺すった。
「主が死したのは、感じている。魔力を注力する者も亡き今、この身体もじき限界を迎えるだろう。だが、その前に……」
動く鎧――ナイトが抜剣した。
その切っ先は迷いなく、すっと柔らかいものをなぞるかのごとくロンドへ向けられている。
「……俺、かい?」
「貴様。腕の立つ戦士と見受ける。私と戦ってはくれないか」
「ロンドっ!受けることはありません!」
ウィルバーが叫ぶも、当の本人は微かに笑いを浮かべて、ナイトの話を聞く体勢に入っている。
「卑しきリビングメイルの身なれど、剣を繰る者だ。笑い話と思われるかも知れんが、私もこの剣で魂をぶつけてみたい……貴様のような、戦士の魂を持つ者と。命をかけて、ぶつかりあいたい」
「……俺でいいのなら、かまわないぜ。戦士の死合い、同じ魂を持つ者として受けよう」
「ロンド……」
「自分の理由のために戦うのが戦士ってやつだからな。……震えるじゃないか」
歓喜、興奮、戦意、それらの高揚が、ロンドの全身を瘧の様に震えさせた。
赤い花の咲き乱れる中で、仲間達を庇うでもなく、何かを質に取られているでもなく、ただただ、一個の戦士として戦う。
とんでもなく贅沢な話だ、とロンドは思った。
「感謝する……」
「いざ」
「名前は、なんというのだ?」
「ロンドだ。それ以外の名は、全て捨て去った」
スコップを構えて腰を落としたロンドは、ふと最初に会った時のことを思い出した。
「お前、裏口で俺たちの正体に気づいて見逃しただろう」
肯定の代わりに、ナイトは愉快そうに肩を揺らした。
そして抜いていた剣をゆっくりと構えた。
切っ先の向こうには、変わった武器を構えた大きな体躯が満身に闘志を漲らせている。
「ゆくぞ!」
「うおおおおお!」
ロンドのスコップが鎧を穿つのが、少しだけ早かった。
振り下ろされたナイトの長剣が、一瞬前にはロンドが立っていた場所を抉っている。
「これが刃鳴らす死合い!ロンド!ロンド!!感謝するぞ……!!」
「おー、おー、嬉しそうで何よりだ。俺も……あんたと戦えて、楽しいぜッ!」
戦闘は長く続いた。
ナイトの長剣がロンドの頬をかすめ、燃えるスコップが鎧に凹みを作る。
フェイントを交えて切り下ろしてきた刃が肩から血の華を咲かせ、巨躯の重量を生かした体当たりが鎧を地面へ弾き飛ばす。
戦いの技術――所詮は人殺しのための手段だと言われればそれまでだが、それも目の前の彼らが繰り広げるレベルに達していれば、芸術の域にまで達しているのかもしれない。
目まぐるしい攻防と、武器と武器の噛み合う響きが辺り一帯を支配する。
卓越した剣士と豪腕を誇る重戦車の戦いは、行く末を見守る者達にとってあるいは数時間も続いたかのように感じられた。
だが――相手の剣をかいくぐったロンドが、スコップの平面を鎧の頭部に叩きつけた瞬間、勝負はついに決した。
「ぐうっ!!」
凶悪なまでの力技に、ナイトが膝をついた。
「……ふふ、愉しかった、愉しかったぞ、ロンド……。これが、私のずっと望み続けた魂の鍔迫り合いか」
がしゃりと鎧が赤い花の海に横たわり、感想を呟き続ける。
「よいものだな……。貴様とはこのような卑しい身ではなく、生身でぶつかりたかった」
「そうかい。俺はあんたが生身だろうとそうじゃなかろうと、その心を持って死合いしたいってんなら、気にしないけどな」
ロンドの言葉に、しばしナイトは言葉を失った。
この戦士は正気なのか――だが、確かに彼は心の底から相手の種族などはまったく気にしていないことが分かり、ナイトはまた心地良さげな笑い声をあげたのだった。
「ありがとう、ロンド、冒険者たちよ」
そのセリフを最期に、鎧が結合するだけの魔力も失い、バラバラに崩れ落ちていく。
「……リビングメイルの、騎士か。見事なものね……」
「そうじゃのう」
「…帰りましょう。依頼人に報告しないとね」
「ちょっと待ってください」
「ウィルバー?」
「このままお別れするのは、あまりにも忍びないのでね……」
………数十分後。
貸し切った乗り合い馬車で、今までの疲労により皆が眠る中、ロンドはボンヤリとわずかに見える外を眺めていた。
隣に座り込んで眠っているウィルバーを見やると――よく眠っている。
ロンドはそっと目を閉じる。
(彼が、腕を失わなくて良かった)
吐息をついた彼は、再び馬車の揺れに身体を預け、開いた眼を隅に向けた。
視線の先には、旗を掲げる爪全員で回収した、つや消しの黒い鎧がある。
ウィルバーの話によると、彼が『核』となる媒体に魔力を再注入すれば、ナイトは以前の記憶を保持したまま、また稼動するようになるらしい。
そうなれば、ロンドや他の者の戦闘訓練に付き合ってくれるかもしれない。
ナイトが自ら護りたいと思えるような誰かに、出会うこともできるかもしれない。
だが意識を取り戻したら、あんな見事な戦いで本懐を遂げたのにと、まず文句から言われるだろうな――ロンドは微かな笑い声を漏らした。
(その時は、その時だ)
賢者の搭で待つ依頼人に達成の報告をし終わった冒険者たちは、結局かの鎧については沈黙を保った。
その代わり……と言ってはなんだが、カルサイトが報酬を渡し終わった後に頼んできた後始末については、優先的に受けるようにした。
ゆえに、事件の5日後にアンジェが受けた遺品の魔道具の回収という追加依頼についても、嫌がる様子も見せずに彼女はついてきたのである。
崩れ落ちている砦のあちらこちらを見渡しながら、カルサイトは暗い記憶を掘り起こした。
「……私も幼い頃、父によって密室で魔法生物と殺し合いをさせられました。今でも夢に出ます。血まみれの手で地下室の鉄の扉を叩いて助けてと叫ぶ……。そんな悪夢です」
ガラッと転がった小さな破片に血がついているのを蹴飛ばして、彼はため息をついた。
「きっとここではそれ以上のことが行なわれていたのでしょうね」
「生命の危機に瀕すればこそ目覚める力もそりゃ、あるかも知れないけどね」
「ところですいませんね。こんな後々になって追加依頼を受けてもらって」
「ん、別にいいよ。うちの魔術師様はかなり身体に負担が掛かっていたから、今のところ彼が必要とされる依頼は受けられないし、砦がどうなったのか気になったし」
「ありがとうございます。報酬はちゃんと支払いますよ」
実を言うと、ウィルバーが外出しないのはナイトの『核』に魔力を最大放出して篭めたのと、リビングメイルである彼に、人の社会の規範について教えているからなのだが――それはおくびにも出さない。
2人は転ばぬように気を配りながら、砦の基礎部分にまで移動してきた。
「わたしは向こう側を見てきます。じき部下も来ますので、アンジェさんは無理のない範囲でどうぞ」
「了解。めぼしいものがないか見ておくよ」
カルサイトは、よろしくお願いしますと頭を軽く下げてから、自分の見回る場所へ歩いていった。
アンジェの見渡す視界の中では、爆発のせいで砕けた、調度品や実験器具の欠片が転がっている。
消し炭と化した書物の類も見つけていた。
「…………」

しばらく辺りを捜索すると、見たことのある鏡が目に入った。
鏡は曇っている上空を映している。
アンジェはまるでそれが生き物であるかのように、鏡面に自分の姿を映さないよう気を配って、姿を隠しながら近づいた。
『おのれ、おのれェェェェ……冒険者風情が、私の、私の芸術の邪魔をするとは……』
造作なく聞き耳できるアンジェの聴覚には、鏡から洩れている呪詛のような声が届いている。
『魔力ある者が近くにいるな…その身体を操り、ここから移動してくれる。あの冒険者どもめ……ッ!!』
もう大丈夫だろう、依頼人は既に遠くへ行ったようだ――そう判断したアンジェは、聞くことも聞いたからと、ひょこと頭を覗かせた。
「その冒険者だよ。こんにちわ」
『はぁぁぁぁぁぁぁっ!?きっ、きっ、貴様!あの六人のうちの一人!!?』
「あの最期の時、おかしいと思ったんだよね。死に際にわざわざ鏡抱えちゃって。なるほどね、こういうことだったんだぁ」
『わ。分かったところで何ができるッ!?この鏡は強化魔術が掛かっている!爆発にも耐えうるものだ!壊すことなどできん!』
つまり、【魔法の鍵】が掛かった砦の扉が丈夫になったように、この鏡にも似たような作用をする物体強化の魔法が掛けられているのだろう。
そのことに喋りながら気づいたコランダムの魂は、気を大きくして言い募った。
『魔力ある者がこの鏡に触れれば、その身体は私のものだ!奪った身体を使い、私は再び理想への道を往くッ!』
「へえー、へえー。ご高説ありがとう……ところで、これなーんだ?」
わざとらしく頷いてみせたアンジェが、背負った荷物袋からおもむろに取り出したのは、あの甘味好きなシュツガルドの遺跡で発掘した、金の文字の装丁がある魔法の書物だった。
ロンドがウィルバーに投げつけ、ウィルバーの誘拐後にまたロンドが拾い上げてからこっち、ずっと出番がないまま袋の中で眠っていたものだ。
『はは、なんだそれは。二束三文にもならなそうな低級の魔術書……――おい、待て。まさか』
「おやま、ご名答」
アンジェは魔術書の表紙に気軽な調子で口付ける。
「うちのおっちゃんによると、これは読むためのものではなくて、見習い魔術師が魔法生物への護身用に持つ鈍器――本自体に打撃の魔術が掛かってるんだって」
アンジェがにっこりと可愛らしく笑う――が、その目だけは、まったく笑っていなかった。
「つまりこの本で叩くだけで、その鏡みたいな魔術に守られた品だってぶち壊せる。……そうだね?」
『やめろ……やめろ!!よせ!!!』
「君を見逃したらまた脅威になるもんね。ここで確実に、死んで貰う」
『ヤメロオオオオオオオオオ!!!』
アンジェの得意は、短剣や鋼糸などの器用さを要求される武器であり、鈍器はその範囲内にはなかった。
しかし、この本で鏡を打ち砕くだけなら――それは、当たり前の子どもにだって可能である。
だから、彼女は容赦しなかった。
「バイバイ」
※収入:報酬1800sp、≪魔力の腕輪≫≪魔法の雫≫≪遺灰≫≪ヘアピン≫×8
※支出:
※ひなた様作、赤い花は三度咲くクリア!
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■後書きまたは言い訳
44回目のお仕事は、ひなた様の赤い花は三度咲くです。
初めてこのシナリオをやった時は、内容の濃さと面白さに、終わってからしばらく脱力していました。
何しろ、盗賊の追加依頼まであるとは思わなかったもので…特に、本がラストで出てきた辺りは、「うおおお、このための伏線だったのか!?」と興奮致しました。
シナリオでは珍しく魔術師が攫われる役となっており、本来ならこれ、男女だったり親友同士で楽しんだりするものなんだろうな~と思いつつも、旗を掲げる爪では孤児院組みであるロンドと、保護者であるはずのウィルバーでチャレンジです。
プレイしてみると、案外とこの組み合わせで心情の変化が楽しめたというか、ウィルバーに、今まで庇護してきたつもりの相手がちゃんと成長していて、むしろ冒険に同行している自分が至らないのではないか――という考えが発生することに。
この人、結構きちんと保護者だったんですね……私も初めて知りました。
シナリオ上では喧嘩の原因を山賊退治としていたのですが、前の依頼(平江明様の地下二階の役立たず)での出来事を上手く話に組み込めそうだったので、そっちでリプレイを書いてみました。
また、最後のナイトと戦士役のタイマンについては、もう少し戦士の反応が違うんですが……どう考えてもロンドにやらせるとウキウキしながら承諾一択だろうと、あんな風になっております。
ひなた様、シナリオの意図と違っていたら大変申し訳ございません。
そして今回も、これまでプレイしてきた作品を色々とリプレイに入れています。
ナブル・ラウーランの件=平江明様の地下二階の役立たず
手配犯グェス・ゲェス=なろ様の魔術師
かぼちゃ屋敷で1人だけ変身させられず奔走=島兎様のかぼちゃ屋敷の夢
シシリーに連れられ本の中の世界に飛び込む=吹雪様の迷宮のアポクリファ
鉱山に住まうオーク退治=River様のえんまの領域
禍神と戦い時を止められた巫女を解放=たつの(旧・龍乃)様の時の囚われ人
どれも楽しいシナリオばかりで、ワクワクしつつ遊ばせて貰いました。
経験がこうして積み上がっていくのって、本当面白いものだと思います。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/05/07 12:07 [edit]
category: 赤い花は三度咲く
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