Wed.
In the mirrorその3 
「おっと……」
老いているために他の者よりも動作が遅く、最後に鏡へ飛び込んだテアの視界に入ったのは、なんとも異様な景色だった。
(目に痛いのう、この年でこんなものを見るのは)
彼女が心中でそう愚痴るのも仕方がないだろう。
粉々に砕いたガラスの破片を無理矢理くっつけて並べたような光景が、冒険者たちを覆うように広がっていたのである。
シシリーのベルトポーチに大人しく待機しているランプさんやスピカが出てきたら、たちまち増幅された瞬光に視神経を焼かれてしまうだろう。
そんな空想がちらりと老婆の頭を過ぎった。
老いているために他の者よりも動作が遅く、最後に鏡へ飛び込んだテアの視界に入ったのは、なんとも異様な景色だった。
(目に痛いのう、この年でこんなものを見るのは)
彼女が心中でそう愚痴るのも仕方がないだろう。
粉々に砕いたガラスの破片を無理矢理くっつけて並べたような光景が、冒険者たちを覆うように広がっていたのである。
シシリーのベルトポーチに大人しく待機しているランプさんやスピカが出てきたら、たちまち増幅された瞬光に視神経を焼かれてしまうだろう。
そんな空想がちらりと老婆の頭を過ぎった。
「……誰だい?」
「……!」
冒険者たちの身動きくらいしか音のなかった空間に、さらさらと掠れた男の声が響く。
槍を突き出すようにして身構えるテーゼンの前に現れたのは、輪郭の定まらない黒い影であった。
目を凝らして注視すると、それはローブを纏う人の姿をしている。

「もしかして君たち、アレを追ってきたのかな?」
「あれ、ですか?」
「この鏡の中にいる魔物だよ。面に映った相手に成り代わる……たちの悪い化け物さ」
静かな人影の声に、どこか吐き捨てるような調子が混ざる。
アンジェは気遣わしげに朧な影へと訊ねた。
「君は……被害者なの?」
「………」
影の輪郭が一瞬だけ、周りに溶け込むほど薄くなった。
「あれは、この先に進んでいったよ」
そう言って指示した先にシシリーは視線を向けた。
「……あ、」
春の海と同じ色の碧眼の前には、自分たちが飛び込んできたものと思しき鏡が、支えも何もない中空に設えられていた。
ただ決定的に違うところとして、鏡面はひび割れが奔り、いくつか破片が失せてしまっている。
人影がぼそりと言った。
「あれを追いかけようというなら、鏡を直さないといけないよ」
「直すじゃと?どうやってかね?」
「飛び散った破片を集めるのさ」
返答を受けた冒険者たちが鏡の周りを見渡してみるも、それらしき欠片は一つも見つけられない。
ぷっくりと不満げに頬を膨らませたアンジェに顔(と思しき辺り)を向けた影は、静かに告げた。
「……隙間に落ちていったのさ」
「隙間?」
「そう。今までこの鏡の映した景色が継ぎ接ぎになって押し込められた、隙間にね」
朧な影は、アンジェの背後を見やったように思われる。
察したアンジェが体を捻ると、彼の言う継ぎ接ぎの一部が霧状に溶けているのを発見した。
ひくり、とホビット娘の口の端が引きつる。
「……あそこに入って、戻れる保証はあるの?」
「……そうだね、見つけた鏡の破片に自分たちを映してみるといい。なんとかなるだろうよ」
「そっか。じゃあさっさと行こうよ、姉ちゃん!」
自分たちの世界とはまったく違う異様な空間ではあるが、魔法の掛けられた品物から別の空間を冒険するのは、何もこれが初めてではない。
怖気づく気持ちを押さえ込み、アンジェは自らを励ますようにシシリーへ前進を宣言した。
影もその意見に首肯したようだ。
「早く行った方がいい……探せば探すほど、見つかる可能性は高くなる。運さえ良ければ、すぐにでも」
「ありがとう。行ってみるわ」
シシリーは謝意を短く告げると、アンジェの見つけた霧状のあたりへ思い切り良く飛び込んだ。
その霧は、恐ろしいほど無造作に空間と空間を繋げていた。
最初に飛び込んだのが薔薇の咲き誇る庭なら、続いて現れたのは空恐ろしくなるほど綺麗な蒼を湛えた水の中であり、そこに辿り着けばそれは森の中に変わった。
暗い洞窟の中にも、陰になって葉が黒にしか見えない茂みの中にも鏡の破片を見つけられなかった冒険者たちの胸に、段々と焦りが広がる。
何回目のことか、今度は青い薔薇の茂るどこかの庭に迷い込むと、ふとテーゼンの黒瞳の端に映りこむ光があった。
「ちょ、待ってくれみんな!……これじゃないか?」
彼が薔薇の花びらが重なるあたりに手を突っ込み、引き出したものがある。

それはまるで、アンジェが最初に飛び込んだ際に散った飛沫を、そのまま固体化したかのような欠片であった。
日の光に透かせば、とろりと溶けてしまうのではないかと思うほど滑らかな鏡の破片は、焦燥に満ちていたパーティの心を、つかの間落ち着かせてくれた。
「……大丈夫だよね、兄ちゃん。無事だよね?」
ぽつりと零したアンジェの不安を、テアが力強く肩を叩きながら払拭しようと努める。
「無論じゃ。ロンド殿の頭の回転は速いと言えんが、それでもあのかぼちゃ屋敷で1人きりになりながら、ちゃんとわしらを助けてくれたじゃろ?」
「そうですよ、アンジェ。あれだけの数のハーピィに殴られながら、しぶとく生き残っていたじゃないですか。それが、こんなことで命を落とすわけがないんです」
「…うん。うん、あたし、兄ちゃんを信じてる」
ぐい、と袖口で自分の目元を拭うアンジェを見守る年長組みを他所に、シシリーは厳しい目つきで辺りを睥睨している。
テーゼンがどうしたと問うた。
「……いえ。亡者が関係しているとは思えないけど、なんだか良くない予感がして……」
「ああ。生半な魔力じゃない。これを形成した黒幕は……相当、強いぜ」
油断大敵はいつものことだが、それに加えて自分たちの中では一番の戦士であるロンドを封じ込めた実力を鑑みると、決して進退を誤ることのないようにしなければならない。
シシリーはいつにない重責を背に感じた。
それを他の者に悟られないよう押し殺し、更なる”鏡の破片”の収集を始めるために声を掛ける。
「行きましょう。あの鏡にあったひび割れからすると、もっと破片があるはずよ」
「ええ、シシリーの言うとおりだと思います。まだいくらか、移動が必要でしょう」
何しろ、朧な影が言っていたではないか。
『探せば探すほど、見つかる可能性は高くなる。運さえ良ければ、すぐにでも』
と。
あれは、破片が複数あることを示していたのである。
とにかく、移動を繰り返して探すことが先決だと――彼らは一所懸命、目を皿のように広げて欠片を捜し求めた。
やがて、急に変わる景色にも慣れた頃、破片の数が4つに増えたところで、荷物袋に入れたはずの”鏡の破片”が袋の口から飛び出す。
辺りの風景が急に収束し、眩しい白が周囲に広がった――と感じる間もなく、彼らは気づくとまた朧な人影の前に立っていた。
ゆらり、と影が動く。
「どうやらちゃんと、破片が集まったみたいだね。……見てみなよ」
男の声に促された先で、集めてきた破片が鏡面を埋め、なおかつ無数に走っていた線も薄れていくのが見えた。
二度ほど光が瞬き、あっという間に割れていたのが幻と思えるほど美しい鏡面が現れる。
それを確認した影はウィルバーの方を向き、
「気をつけなよ。あれは氷鏡の化け物、使う手は選んだ方がいい」
と忠告してくる。
ウィルバーはそっと≪万象の司≫を握り締め、己の氷の術を控えることを決意した。
「なるほど…。アドバイス、感謝いたします」
「いいや。もう行くんだろう?」
ゆるゆると道を空ける男に対して、シシリーが声を掛けた。
「一緒に来る?」
「……いや、やめておくよ。ほら、もうお行き」
ローブの陰で、男が朧な笑みを浮かべる……そんな気がした。
シシリーが指先で鏡面に触れる。
その面は水のようにさざめき、細かな光の粒を放った。
「健闘を祈るよ。……さようなら」
男の優しい声が耳に届いた一瞬後、彼らは次なる世界へと吸い込まれていた。
「……!」
冒険者たちの身動きくらいしか音のなかった空間に、さらさらと掠れた男の声が響く。
槍を突き出すようにして身構えるテーゼンの前に現れたのは、輪郭の定まらない黒い影であった。
目を凝らして注視すると、それはローブを纏う人の姿をしている。

「もしかして君たち、アレを追ってきたのかな?」
「あれ、ですか?」
「この鏡の中にいる魔物だよ。面に映った相手に成り代わる……たちの悪い化け物さ」
静かな人影の声に、どこか吐き捨てるような調子が混ざる。
アンジェは気遣わしげに朧な影へと訊ねた。
「君は……被害者なの?」
「………」
影の輪郭が一瞬だけ、周りに溶け込むほど薄くなった。
「あれは、この先に進んでいったよ」
そう言って指示した先にシシリーは視線を向けた。
「……あ、」
春の海と同じ色の碧眼の前には、自分たちが飛び込んできたものと思しき鏡が、支えも何もない中空に設えられていた。
ただ決定的に違うところとして、鏡面はひび割れが奔り、いくつか破片が失せてしまっている。
人影がぼそりと言った。
「あれを追いかけようというなら、鏡を直さないといけないよ」
「直すじゃと?どうやってかね?」
「飛び散った破片を集めるのさ」
返答を受けた冒険者たちが鏡の周りを見渡してみるも、それらしき欠片は一つも見つけられない。
ぷっくりと不満げに頬を膨らませたアンジェに顔(と思しき辺り)を向けた影は、静かに告げた。
「……隙間に落ちていったのさ」
「隙間?」
「そう。今までこの鏡の映した景色が継ぎ接ぎになって押し込められた、隙間にね」
朧な影は、アンジェの背後を見やったように思われる。
察したアンジェが体を捻ると、彼の言う継ぎ接ぎの一部が霧状に溶けているのを発見した。
ひくり、とホビット娘の口の端が引きつる。
「……あそこに入って、戻れる保証はあるの?」
「……そうだね、見つけた鏡の破片に自分たちを映してみるといい。なんとかなるだろうよ」
「そっか。じゃあさっさと行こうよ、姉ちゃん!」
自分たちの世界とはまったく違う異様な空間ではあるが、魔法の掛けられた品物から別の空間を冒険するのは、何もこれが初めてではない。
怖気づく気持ちを押さえ込み、アンジェは自らを励ますようにシシリーへ前進を宣言した。
影もその意見に首肯したようだ。
「早く行った方がいい……探せば探すほど、見つかる可能性は高くなる。運さえ良ければ、すぐにでも」
「ありがとう。行ってみるわ」
シシリーは謝意を短く告げると、アンジェの見つけた霧状のあたりへ思い切り良く飛び込んだ。
その霧は、恐ろしいほど無造作に空間と空間を繋げていた。
最初に飛び込んだのが薔薇の咲き誇る庭なら、続いて現れたのは空恐ろしくなるほど綺麗な蒼を湛えた水の中であり、そこに辿り着けばそれは森の中に変わった。
暗い洞窟の中にも、陰になって葉が黒にしか見えない茂みの中にも鏡の破片を見つけられなかった冒険者たちの胸に、段々と焦りが広がる。
何回目のことか、今度は青い薔薇の茂るどこかの庭に迷い込むと、ふとテーゼンの黒瞳の端に映りこむ光があった。
「ちょ、待ってくれみんな!……これじゃないか?」
彼が薔薇の花びらが重なるあたりに手を突っ込み、引き出したものがある。

それはまるで、アンジェが最初に飛び込んだ際に散った飛沫を、そのまま固体化したかのような欠片であった。
日の光に透かせば、とろりと溶けてしまうのではないかと思うほど滑らかな鏡の破片は、焦燥に満ちていたパーティの心を、つかの間落ち着かせてくれた。
「……大丈夫だよね、兄ちゃん。無事だよね?」
ぽつりと零したアンジェの不安を、テアが力強く肩を叩きながら払拭しようと努める。
「無論じゃ。ロンド殿の頭の回転は速いと言えんが、それでもあのかぼちゃ屋敷で1人きりになりながら、ちゃんとわしらを助けてくれたじゃろ?」
「そうですよ、アンジェ。あれだけの数のハーピィに殴られながら、しぶとく生き残っていたじゃないですか。それが、こんなことで命を落とすわけがないんです」
「…うん。うん、あたし、兄ちゃんを信じてる」
ぐい、と袖口で自分の目元を拭うアンジェを見守る年長組みを他所に、シシリーは厳しい目つきで辺りを睥睨している。
テーゼンがどうしたと問うた。
「……いえ。亡者が関係しているとは思えないけど、なんだか良くない予感がして……」
「ああ。生半な魔力じゃない。これを形成した黒幕は……相当、強いぜ」
油断大敵はいつものことだが、それに加えて自分たちの中では一番の戦士であるロンドを封じ込めた実力を鑑みると、決して進退を誤ることのないようにしなければならない。
シシリーはいつにない重責を背に感じた。
それを他の者に悟られないよう押し殺し、更なる”鏡の破片”の収集を始めるために声を掛ける。
「行きましょう。あの鏡にあったひび割れからすると、もっと破片があるはずよ」
「ええ、シシリーの言うとおりだと思います。まだいくらか、移動が必要でしょう」
何しろ、朧な影が言っていたではないか。
『探せば探すほど、見つかる可能性は高くなる。運さえ良ければ、すぐにでも』
と。
あれは、破片が複数あることを示していたのである。
とにかく、移動を繰り返して探すことが先決だと――彼らは一所懸命、目を皿のように広げて欠片を捜し求めた。
やがて、急に変わる景色にも慣れた頃、破片の数が4つに増えたところで、荷物袋に入れたはずの”鏡の破片”が袋の口から飛び出す。
辺りの風景が急に収束し、眩しい白が周囲に広がった――と感じる間もなく、彼らは気づくとまた朧な人影の前に立っていた。
ゆらり、と影が動く。
「どうやらちゃんと、破片が集まったみたいだね。……見てみなよ」
男の声に促された先で、集めてきた破片が鏡面を埋め、なおかつ無数に走っていた線も薄れていくのが見えた。
二度ほど光が瞬き、あっという間に割れていたのが幻と思えるほど美しい鏡面が現れる。
それを確認した影はウィルバーの方を向き、
「気をつけなよ。あれは氷鏡の化け物、使う手は選んだ方がいい」
と忠告してくる。
ウィルバーはそっと≪万象の司≫を握り締め、己の氷の術を控えることを決意した。
「なるほど…。アドバイス、感謝いたします」
「いいや。もう行くんだろう?」
ゆるゆると道を空ける男に対して、シシリーが声を掛けた。
「一緒に来る?」
「……いや、やめておくよ。ほら、もうお行き」
ローブの陰で、男が朧な笑みを浮かべる……そんな気がした。
シシリーが指先で鏡面に触れる。
その面は水のようにさざめき、細かな光の粒を放った。
「健闘を祈るよ。……さようなら」
男の優しい声が耳に届いた一瞬後、彼らは次なる世界へと吸い込まれていた。
2016/04/20 11:46 [edit]
category: In the mirror
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