Fri.
芋虫男と墓場の犬その1 
その日は朝から霧の濃い一日であった。
教会の鐘が夕暮れを知らせる頃になっても、石畳はぐっしょりと湿っていた。
背後にはリューンの聖北教会がそびえたっており、こちらを見下ろしている。
シシリーは、革靴を履いて滑りやすい石畳にこびり付いたコケを避けながら歩いていた。

教会の鐘が夕暮れを知らせる頃になっても、石畳はぐっしょりと湿っていた。
背後にはリューンの聖北教会がそびえたっており、こちらを見下ろしている。
シシリーは、革靴を履いて滑りやすい石畳にこびり付いたコケを避けながら歩いていた。

迷宮の魔神を討伐してからはや三日、テーゼンが旗を掲げる爪からあのまま離脱してしまって以来、彼女は誰とも口を利いていなかった。
家族に等しい個人仲間の一人であるロンドは、なぜかテーゼンを追って宿から姿を消している。
あの悪魔と最も親しくしていたテアは――どういうわけか、彼を追って出る気配が無い。
途中でテーゼンの正体に気づいたアンジェやかの老婆と同じ部屋にいるのが苦しく、シシリーは宿の亭主に懇願して、あのウィルバーが篭った屋根裏部屋で一人寝起きするようになっていた。
とにかく旗を掲げる爪は、メンバー2人が不在でリーダー役の少女がまったく仲間達と顔を合わせようとしない(向こうも躊躇っている)ので、ほぼ解散同然といったところであった。
仕事を請けることもできないのだが、それをどう考えたのか、宿の亭主はシシリーに一人部屋を提供した代わりにと、自分の用事を押し付けたのである。
それが、このたびの葬儀出席であった。
黒い鉄の柵で覆われた市営墓地に着いた。
ところどころ錆にやられて、柵の形になっていないとこもある。
シシリーは、門番に身分証を見せ、門を開けて墓地の中へ入っていった。
門を潜ると「憩いの地」と呼ばれている、あまり手入れされていない芝の埋まる貧相な中庭に入ることになる。
聖北の教義上、憩いの地を境に、生者と死者の境界を作ることになっている。
信仰に厚いシシリーには、ごく自然な解釈に思えた。
(……これから、私たちは一体どうしたらいいんだろう)
重いため息をつく。
何よりも彼女の心にかかっていたのは、テーゼンが悪魔だったということもそうだが、自分だけがその正体を知ってショックを受けていることだった。
元から知り合いだった老婆はともかくとして、自分から察したウィルバーとアンジェはシシリーに近しい人間であるのに、まったくそのことを教えてくれなかった。
そして、同じ年のロンドはといえば――まったく、欠片も、あの青年に対する態度を変えなかった。
(私だけが、気づくことも、態度を変えることもできなかった。私は彼らのリーダーなのに…)
テーゼンを受け入れられるのだろうか?
しかし、彼女の信仰する聖北教会において、人間を堕落の道に誘う悪魔は敵であり、シシリーにとって容易にその認識を改めることはできそうにない。
暗い色の碧眼で市営墓地を眺める。
あまり大きくはなく――冒険者の宿4件分くらいの広さだ――様々な様式で、十字の墓石が仲良く並ぶ。
その中央辺りに、四方を黒いカーテンで囲まれた施設があった。
黒い布をかけられた木棺が運び込まれようとしているところだ。
この時、後ろから……すなわち先ほど通ってきた入り口の門からになるが、男のすがる声と怒鳴る声が聞こえた。
「お願いですよ、知人の葬儀です。お祈りをするだけでもいいんです」
ふっと、そちらの方を見やる。
「ダメだ。あんた達、見るからによそモンじゃねえか、怪しいな。市の土地に入れるワケねえだろ」
「団長さん、やめよう。俺たちみたいな旅芸人に差別する人間に、何を言っても無駄だよ」
「アァ?怪しいモンは入れるなっていわれてるだけだけど?誰が差別してるなんて言ったよ?」
門番は木の棒を振り上げながら、旅芸人らしい2人の男を追い払おうとしている。
男たちは草臥れた麻のローブを被っている。
団長と呼ばれた男は、目が鋭い中年男性。
もう一人は亜麻色の髪がのぞく華奢な若者だ。
しかし、若い男の様子は異様とも言えた。
団長の男が曳いている荷車の中に、すっぽり収まっているのだ。
(なんだろう、あの格好。まるで――)
赤ん坊を荷車に乗せている様子と全く同じだ。
ただ、その車から見えているのは男の首と胴だけだった。
門番がことさらに気味悪がっているのは、この奇妙な若者と、それを曳いているか細い団長の組み合わせ所以だろうか。
団長と呼ばれている男が拝むように言う。
「なあ頼みますよ、本当に大事な友人だったのです。一番後ろに居るだけでも」
「ああうるさいなあ!あんまり騒ぐと自警団を呼ぶぞ!」
双方とも一切譲る気を見せないようだ。
このままではいずれ暴動になってしまうかもしれない。
シシリーは完全に向き直って、男達を見た。
「おや、来られないと思ったらこんなところに居たんですね。知り合いを通して下さい」
「お、あ、あんたは冒険者の…」
旗を掲げる爪と言えば、治安隊からの依頼を三回も成功させており、しかも至近の仕事は詰め所の地下牢に魔神が出たのを退治している。
また、ロレス王国の外交官からの拉致団討伐や、遡ってはアルエス近辺の砦の妖魔退治にも関わっていたとあって、現状の心許なさとは裏腹に、市井では名を上げるようになっていたのである。
市営墓地の門番もそのことを知っており、
「ちっ、運が良かったな」
とそれ以上の問答を避ける姿勢を見せた。
大分不服そうな顔は隠せていなかったが、きちんと門を開く。
奇妙な男たちがそこを潜ってこちらにやってきた。
「いやあ、参った。さあ行こう」
いかにも知り合いといった様子で話を合わせてきた団長は、こそりと彼女だけに届く声で囁く。
(ありがとうございます)
シシリーは門番にそれと分からぬよう首肯した。
(どういたしまして)

急ぐ男達を見送り、シシリーはとぼとぼとぬかるんだ墓地を進む。
彼女は黒いカーテンを捲り、式典の人々から少し離れて、司祭の祈りの言葉を聞いていた。
向かい側の後列を見やると、先ほどの奇妙な2人組みも見える。
共通の知人というわけだ。
独特の、鼻をくすぐる香油の匂いがカーテンの中をぐるぐると渦巻き、悲しみを充填させて一体を包囲している。
棺が埋められると、やがて誰もいなくなった。
シシリーも持ってきた花を手向け、市営墓地の門を潜った。
視界の端に動く影を捉えると、それは犬であった。
困った顔で辺りをぐるぐると走り回っている。
「迷い犬……」
観察したところ、どうも誰かに飼われていたこともある様子の犬だった。
人間の姿を見ても怯えるでも吠えるでもなく、ただ哀しげな様子の目をこちらに向けるばかりである。
とても子供とは言えない年の犬だが、行儀が悪いようには思えないので、もし口利きをしたら、犬を好んで飼う人に世話を頼めるかもしれない。
(犬………そういえば、ロンドが苦手なのよね。だから孤児院では一度も飼ったことなかったけど…)
ロンドの犬嫌いは、どういうわけか、本気で犬限定でダメなのである。
狼だったり、あるいは頭部が犬であるコボルトだったりは全く平気で退治できるくせに、相手がたとえ小型でも犬となると、たちまち体が竦むのだ。
「狼やコボルトはいいんだ。あれははなから敵だって分かってるから。犬は愛玩動物の振りして、いきなりこっち襲ってきたりするから嫌なんだ」
というのが彼の言い分である。
そもそもロンドが孤児院にやってきたのは、大体6歳くらいの時である。
ある夏の日に孤児院の門の前に置き去りにされていた。
それくらいの年にもなれば、自分が今までどんな暮らしを送っていたかは分かりそうなものだが、詮索好きな大人の追及に対して、彼がそれを語ったことはなかった。
どうも、富裕な階級の生まれではあったようなのだが、ある種、異様な髪の色だったのを嫌った親か誰かがロンドを捨ててしまったようだと、これは心を許したらしい院長へポツポツとロンドが告げた事情からの推察である。
もしかしたら、その富裕な家にいた時分に、彼にとって犬がトラウマになるような出来事でもあったのかもしれない。
だから自分で飼おうという気はなかったが、シシリーはその犬のために声をかけることにした。
すると迷い犬は力なく尾を振りながら寄ってきた。
頭をいきなり撫でるのは嫌がるので、耳の後ろを掻いてやると大人しく身を任せている。
「おいで。お前のためにちょっと相談しに行こう」
と言って歩き出すと、ちゃんと横に立って彼女についてきた。
そのまま墓地の隣にある教会へ相談しに行く。
出てきた司祭は落ち着いた50歳過ぎの男性で、彼は犬のことを見やると優しく微笑んだ。
引き取ってくれるというので、安心して教会を離れる。
リューン市街地の公園前を通り過ぎる頃、すっかり日は落ちていた。
「わあっ……!!」
「?」
公園内から歓声が響くのが聞こえる。
日頃は静かな場所であるので、いったい何が起きているのだろうと不思議に思ってそちらに近寄る。
どうやら広場に見世物小屋が来ているらしい。
見世物小屋のテントの幕をあげて中を見ると、20人くらいだろうか、小ぶりのテントの中は人だかりとなっている。
入場料を集めに来る小間使いがいない。
(見世物に応じておひねりを投げ入れてください、ってことなのかしら?)
さすがに戸惑って辺りを見回していると、
『サア、サア。今宵はお集まり頂き誠に感謝』
と、壇上に光が浴びせられ、口笛や拍手が湧いた――客は常連なのか。
『今夜、お見せ致しますのは【異形の者達】でございます』
ぴくり、とシシリーの肩が揺れた。
『世界各地で見つけた彼らは決して妖魔ではございません。まさに人間でございます』
会場の中は純粋な驚きと期待感にどよめいているが、シシリーは段々と呼吸が苦しくなってきた。
『サア、サア。ご覧アレ!まずは南方に住まう人魚だよ!』
幕のかかった檻を曳いて現れたのは、なんと今日、市営墓地に来ていた団長と呼ばれた男だった。
団長が幕を派手な演出で取り去る。
中から現れたのは、上半身が人間で四肢の先が魚の形をした男だった。
観客からはどよめきと、悲鳴が混じった驚喜の歓声があがっている。
拍手と同時に銀貨がバラバラと宙を舞う。
「……」

檻の中の人魚は尻尾を振り上げ、鍛え上げられた体の曲線美を艶めかしく見せつけた。
シシリーは、それが美しいものなのか、歪んだ醜悪なものなのか判断できかねた。
(でも……彼は人間なんだわ。あんなに違う形なのに)
シシリーの心の奥にある、冷たく硬い塊がごとりと音を立てた。
かなり不快な感触がした。
「さあ、人魚見物はここまで。お次に現れますのはなんと『岩喰い』です」
再び布の幕が下ろされた檻と入れ替わり現れたのは、口をおどろおどろしいマスクで覆った大女だ。
マスクに似合わない流行りのドレスを着た女が恭しく礼をして、恥じらいながらマスクを取り外すと、観客からどよめきの声が再びあがる。
その口は、耳まで避けていた。
並びの悪い歯が、むき出しになって見える。
(歯の数は人間の数と同じなのね。大きさが違うみたいだけれど)
思わずしげしげと観察をしているうちに、大女の頭と同じくらいの大きさの岩が運ばれてきた。
男たちの力をもってしても、持ち上げるのすら大変そうだ。
「ご覧アレ!これが『岩喰い』たる所以だ!」
大女は、気合の篭った大声を上げると、両手で岩を持ち上げて観客たちに対し横を向き、そしてがりがりと大きな音を立てながら岩に齧りついた。
みるみるうちに堅固な岩が削れて萎縮する。
観客たちは小さくなる岩に反比例するように歓声を大きくしていった。
食べ終わると銀貨が舞い上がった。
女は再び礼をして、舞台袖へはけてゆく。
同時に会場内は明かりが落ち、暗くなる。
静まり返った会場内を、温かなテノールの歌声がこだまする。
また壇上に明かりが灯されると、そのテノールの正体に会場が息を呑んだ。
「……~~♪」
「奇跡の歌声を持てる男も、すべてを持つことはできなかった」
団長は歌の邪魔にならないよう、淡々と観客へ訴えかける。
「この声と、天性の歌唱力に敬意を表しながらも、彼はいつもこう呼ばれている。『芋虫男』と…」
壇上の小さな机の上に乗っていたのは、四肢をすべて持たない男だった。
やせぎすの体に亜麻色の豊かな髪。
(団長と一緒に墓場に来ていた人ね。荷車に収まっていたのはこういうわけだったのか)
会場の中はどよめきではなく、同情めいたしんみりとした空気に包まれた。
それは彼の見た目がそうさせたのではない。
彼の憂いを帯びた歌唱力からくるものだった。
奇跡のテノールが歌を終えると、明かりもゆっくりと暗く落ちていく。
会場は沸いた。
ぼうとした頭ではしかと覚えていないが、最も銀貨が飛んだのはこの時だったように思う。
それからも火を噴く手品などが披露されていたようだが、シシリーにとって衝撃だったのは最初の三名であったので、あまり記憶していない。
人でありながら、シシリーにも見慣れぬ【異形の姿】を持つ者たち――悪魔でありながら、ほぼ人と変わらぬ姿と態度を保ち続けたテーゼン――。
頭の中が凍りついたようになった。
逃げるように、見世物小屋から去る。
(神よ……聖北の神よ。なぜ、彼らに会わせたのですか?私に何か仰りたいのですか?)
天啓は未だ彼女にない。
家族に等しい個人仲間の一人であるロンドは、なぜかテーゼンを追って宿から姿を消している。
あの悪魔と最も親しくしていたテアは――どういうわけか、彼を追って出る気配が無い。
途中でテーゼンの正体に気づいたアンジェやかの老婆と同じ部屋にいるのが苦しく、シシリーは宿の亭主に懇願して、あのウィルバーが篭った屋根裏部屋で一人寝起きするようになっていた。
とにかく旗を掲げる爪は、メンバー2人が不在でリーダー役の少女がまったく仲間達と顔を合わせようとしない(向こうも躊躇っている)ので、ほぼ解散同然といったところであった。
仕事を請けることもできないのだが、それをどう考えたのか、宿の亭主はシシリーに一人部屋を提供した代わりにと、自分の用事を押し付けたのである。
それが、このたびの葬儀出席であった。
黒い鉄の柵で覆われた市営墓地に着いた。
ところどころ錆にやられて、柵の形になっていないとこもある。
シシリーは、門番に身分証を見せ、門を開けて墓地の中へ入っていった。
門を潜ると「憩いの地」と呼ばれている、あまり手入れされていない芝の埋まる貧相な中庭に入ることになる。
聖北の教義上、憩いの地を境に、生者と死者の境界を作ることになっている。
信仰に厚いシシリーには、ごく自然な解釈に思えた。
(……これから、私たちは一体どうしたらいいんだろう)
重いため息をつく。
何よりも彼女の心にかかっていたのは、テーゼンが悪魔だったということもそうだが、自分だけがその正体を知ってショックを受けていることだった。
元から知り合いだった老婆はともかくとして、自分から察したウィルバーとアンジェはシシリーに近しい人間であるのに、まったくそのことを教えてくれなかった。
そして、同じ年のロンドはといえば――まったく、欠片も、あの青年に対する態度を変えなかった。
(私だけが、気づくことも、態度を変えることもできなかった。私は彼らのリーダーなのに…)
テーゼンを受け入れられるのだろうか?
しかし、彼女の信仰する聖北教会において、人間を堕落の道に誘う悪魔は敵であり、シシリーにとって容易にその認識を改めることはできそうにない。
暗い色の碧眼で市営墓地を眺める。
あまり大きくはなく――冒険者の宿4件分くらいの広さだ――様々な様式で、十字の墓石が仲良く並ぶ。
その中央辺りに、四方を黒いカーテンで囲まれた施設があった。
黒い布をかけられた木棺が運び込まれようとしているところだ。
この時、後ろから……すなわち先ほど通ってきた入り口の門からになるが、男のすがる声と怒鳴る声が聞こえた。
「お願いですよ、知人の葬儀です。お祈りをするだけでもいいんです」
ふっと、そちらの方を見やる。
「ダメだ。あんた達、見るからによそモンじゃねえか、怪しいな。市の土地に入れるワケねえだろ」
「団長さん、やめよう。俺たちみたいな旅芸人に差別する人間に、何を言っても無駄だよ」
「アァ?怪しいモンは入れるなっていわれてるだけだけど?誰が差別してるなんて言ったよ?」
門番は木の棒を振り上げながら、旅芸人らしい2人の男を追い払おうとしている。
男たちは草臥れた麻のローブを被っている。
団長と呼ばれた男は、目が鋭い中年男性。
もう一人は亜麻色の髪がのぞく華奢な若者だ。
しかし、若い男の様子は異様とも言えた。
団長の男が曳いている荷車の中に、すっぽり収まっているのだ。
(なんだろう、あの格好。まるで――)
赤ん坊を荷車に乗せている様子と全く同じだ。
ただ、その車から見えているのは男の首と胴だけだった。
門番がことさらに気味悪がっているのは、この奇妙な若者と、それを曳いているか細い団長の組み合わせ所以だろうか。
団長と呼ばれている男が拝むように言う。
「なあ頼みますよ、本当に大事な友人だったのです。一番後ろに居るだけでも」
「ああうるさいなあ!あんまり騒ぐと自警団を呼ぶぞ!」
双方とも一切譲る気を見せないようだ。
このままではいずれ暴動になってしまうかもしれない。
シシリーは完全に向き直って、男達を見た。
「おや、来られないと思ったらこんなところに居たんですね。知り合いを通して下さい」
「お、あ、あんたは冒険者の…」
旗を掲げる爪と言えば、治安隊からの依頼を三回も成功させており、しかも至近の仕事は詰め所の地下牢に魔神が出たのを退治している。
また、ロレス王国の外交官からの拉致団討伐や、遡ってはアルエス近辺の砦の妖魔退治にも関わっていたとあって、現状の心許なさとは裏腹に、市井では名を上げるようになっていたのである。
市営墓地の門番もそのことを知っており、
「ちっ、運が良かったな」
とそれ以上の問答を避ける姿勢を見せた。
大分不服そうな顔は隠せていなかったが、きちんと門を開く。
奇妙な男たちがそこを潜ってこちらにやってきた。
「いやあ、参った。さあ行こう」
いかにも知り合いといった様子で話を合わせてきた団長は、こそりと彼女だけに届く声で囁く。
(ありがとうございます)
シシリーは門番にそれと分からぬよう首肯した。
(どういたしまして)

急ぐ男達を見送り、シシリーはとぼとぼとぬかるんだ墓地を進む。
彼女は黒いカーテンを捲り、式典の人々から少し離れて、司祭の祈りの言葉を聞いていた。
向かい側の後列を見やると、先ほどの奇妙な2人組みも見える。
共通の知人というわけだ。
独特の、鼻をくすぐる香油の匂いがカーテンの中をぐるぐると渦巻き、悲しみを充填させて一体を包囲している。
棺が埋められると、やがて誰もいなくなった。
シシリーも持ってきた花を手向け、市営墓地の門を潜った。
視界の端に動く影を捉えると、それは犬であった。
困った顔で辺りをぐるぐると走り回っている。
「迷い犬……」
観察したところ、どうも誰かに飼われていたこともある様子の犬だった。
人間の姿を見ても怯えるでも吠えるでもなく、ただ哀しげな様子の目をこちらに向けるばかりである。
とても子供とは言えない年の犬だが、行儀が悪いようには思えないので、もし口利きをしたら、犬を好んで飼う人に世話を頼めるかもしれない。
(犬………そういえば、ロンドが苦手なのよね。だから孤児院では一度も飼ったことなかったけど…)
ロンドの犬嫌いは、どういうわけか、本気で犬限定でダメなのである。
狼だったり、あるいは頭部が犬であるコボルトだったりは全く平気で退治できるくせに、相手がたとえ小型でも犬となると、たちまち体が竦むのだ。
「狼やコボルトはいいんだ。あれははなから敵だって分かってるから。犬は愛玩動物の振りして、いきなりこっち襲ってきたりするから嫌なんだ」
というのが彼の言い分である。
そもそもロンドが孤児院にやってきたのは、大体6歳くらいの時である。
ある夏の日に孤児院の門の前に置き去りにされていた。
それくらいの年にもなれば、自分が今までどんな暮らしを送っていたかは分かりそうなものだが、詮索好きな大人の追及に対して、彼がそれを語ったことはなかった。
どうも、富裕な階級の生まれではあったようなのだが、ある種、異様な髪の色だったのを嫌った親か誰かがロンドを捨ててしまったようだと、これは心を許したらしい院長へポツポツとロンドが告げた事情からの推察である。
もしかしたら、その富裕な家にいた時分に、彼にとって犬がトラウマになるような出来事でもあったのかもしれない。
だから自分で飼おうという気はなかったが、シシリーはその犬のために声をかけることにした。
すると迷い犬は力なく尾を振りながら寄ってきた。
頭をいきなり撫でるのは嫌がるので、耳の後ろを掻いてやると大人しく身を任せている。
「おいで。お前のためにちょっと相談しに行こう」
と言って歩き出すと、ちゃんと横に立って彼女についてきた。
そのまま墓地の隣にある教会へ相談しに行く。
出てきた司祭は落ち着いた50歳過ぎの男性で、彼は犬のことを見やると優しく微笑んだ。
引き取ってくれるというので、安心して教会を離れる。
リューン市街地の公園前を通り過ぎる頃、すっかり日は落ちていた。
「わあっ……!!」
「?」
公園内から歓声が響くのが聞こえる。
日頃は静かな場所であるので、いったい何が起きているのだろうと不思議に思ってそちらに近寄る。
どうやら広場に見世物小屋が来ているらしい。
見世物小屋のテントの幕をあげて中を見ると、20人くらいだろうか、小ぶりのテントの中は人だかりとなっている。
入場料を集めに来る小間使いがいない。
(見世物に応じておひねりを投げ入れてください、ってことなのかしら?)
さすがに戸惑って辺りを見回していると、
『サア、サア。今宵はお集まり頂き誠に感謝』
と、壇上に光が浴びせられ、口笛や拍手が湧いた――客は常連なのか。
『今夜、お見せ致しますのは【異形の者達】でございます』
ぴくり、とシシリーの肩が揺れた。
『世界各地で見つけた彼らは決して妖魔ではございません。まさに人間でございます』
会場の中は純粋な驚きと期待感にどよめいているが、シシリーは段々と呼吸が苦しくなってきた。
『サア、サア。ご覧アレ!まずは南方に住まう人魚だよ!』
幕のかかった檻を曳いて現れたのは、なんと今日、市営墓地に来ていた団長と呼ばれた男だった。
団長が幕を派手な演出で取り去る。
中から現れたのは、上半身が人間で四肢の先が魚の形をした男だった。
観客からはどよめきと、悲鳴が混じった驚喜の歓声があがっている。
拍手と同時に銀貨がバラバラと宙を舞う。
「……」

檻の中の人魚は尻尾を振り上げ、鍛え上げられた体の曲線美を艶めかしく見せつけた。
シシリーは、それが美しいものなのか、歪んだ醜悪なものなのか判断できかねた。
(でも……彼は人間なんだわ。あんなに違う形なのに)
シシリーの心の奥にある、冷たく硬い塊がごとりと音を立てた。
かなり不快な感触がした。
「さあ、人魚見物はここまで。お次に現れますのはなんと『岩喰い』です」
再び布の幕が下ろされた檻と入れ替わり現れたのは、口をおどろおどろしいマスクで覆った大女だ。
マスクに似合わない流行りのドレスを着た女が恭しく礼をして、恥じらいながらマスクを取り外すと、観客からどよめきの声が再びあがる。
その口は、耳まで避けていた。
並びの悪い歯が、むき出しになって見える。
(歯の数は人間の数と同じなのね。大きさが違うみたいだけれど)
思わずしげしげと観察をしているうちに、大女の頭と同じくらいの大きさの岩が運ばれてきた。
男たちの力をもってしても、持ち上げるのすら大変そうだ。
「ご覧アレ!これが『岩喰い』たる所以だ!」
大女は、気合の篭った大声を上げると、両手で岩を持ち上げて観客たちに対し横を向き、そしてがりがりと大きな音を立てながら岩に齧りついた。
みるみるうちに堅固な岩が削れて萎縮する。
観客たちは小さくなる岩に反比例するように歓声を大きくしていった。
食べ終わると銀貨が舞い上がった。
女は再び礼をして、舞台袖へはけてゆく。
同時に会場内は明かりが落ち、暗くなる。
静まり返った会場内を、温かなテノールの歌声がこだまする。
また壇上に明かりが灯されると、そのテノールの正体に会場が息を呑んだ。
「……~~♪」
「奇跡の歌声を持てる男も、すべてを持つことはできなかった」
団長は歌の邪魔にならないよう、淡々と観客へ訴えかける。
「この声と、天性の歌唱力に敬意を表しながらも、彼はいつもこう呼ばれている。『芋虫男』と…」
壇上の小さな机の上に乗っていたのは、四肢をすべて持たない男だった。
やせぎすの体に亜麻色の豊かな髪。
(団長と一緒に墓場に来ていた人ね。荷車に収まっていたのはこういうわけだったのか)
会場の中はどよめきではなく、同情めいたしんみりとした空気に包まれた。
それは彼の見た目がそうさせたのではない。
彼の憂いを帯びた歌唱力からくるものだった。
奇跡のテノールが歌を終えると、明かりもゆっくりと暗く落ちていく。
会場は沸いた。
ぼうとした頭ではしかと覚えていないが、最も銀貨が飛んだのはこの時だったように思う。
それからも火を噴く手品などが披露されていたようだが、シシリーにとって衝撃だったのは最初の三名であったので、あまり記憶していない。
人でありながら、シシリーにも見慣れぬ【異形の姿】を持つ者たち――悪魔でありながら、ほぼ人と変わらぬ姿と態度を保ち続けたテーゼン――。
頭の中が凍りついたようになった。
逃げるように、見世物小屋から去る。
(神よ……聖北の神よ。なぜ、彼らに会わせたのですか?私に何か仰りたいのですか?)
天啓は未だ彼女にない。
2016/03/18 12:28 [edit]
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