Wed.

抜き身のナイフその1  

「……悪魔、か。化けモンって言われなかっただけ、マシなのかな」

抜き身のナイフ

 迷宮の魔神・アポクリファを倒した後に、自分の正体を知ったシシリーの彼の存在を拒む言葉から、テーゼンは旗を掲げる爪のパーティを離脱していた。
 ≪狼の隠れ家≫にも帰らず、交易都市リューンを出て中央行路から外れ、まったく知らない街を訪れている……訪れる、と行ってもいいのか。
 彼に当て所はなかった。
 テアがついて来るのかどうか、彼に確信はない。
 何しろ両者のうち、どちらかと言えば片方にひっついて来ていたのは、彼のほうである。
 テアが数十年暮らしてきた家から追い払われ、僅かな財産とともに放浪するうち、人間の住むこの世界で行き倒れていた悪魔を拾ったのは、そう昔の話ではない。
 拾った悪魔に食事(何しろ上級悪魔のように魂を食べるなんて高等技術は出来ない)をさせ身なりを整えさせ、彼のために歌ってくれた老婆に、お礼のつもりで伝えた事柄が原因となって、彼女が取引を持ちかけてきたのである。
 ――すなわち、彼女が死んだら地獄に連れて行くこと。
 でもこの分だと、その取引もご破算になりかねなかった。

「ついてくるんじゃねえよ」

 彼を拾ってくれた老婆の姿は無いのに、一番諍いの絶えない相手は彼の後ろからついて来る。
 振り返らなくても分かる。
 テーゼンが相手を目線でとらえて、逃げ出したから。
 ほんの一瞬のことだが、彼が”白髪男”と呼んでからかっている相手の顔が、妙に脳裏に焼きついた。
 悪魔の心臓をざらりと舐め上げる、あの目。
 テーゼンはあの目が嫌いで、逃げ出した。
 それからずっと、彼の後を追いかける足音が続いているから、きっとついてきているのだろう。
 呆れた体力だ――脳みそ筋肉と罵倒したが、あながち的外れでもなかったらしい。
 人間のくせに。
 そう――彼を否定して見せた、人間のくせに。

「なんだってんだよ……ついてくんな!」

 飛んで逃げてしまえばそれで済むのに、翼はなぜか動いてくれなかった。
 生まれた時から生えている器官で、一度たりとも思い通りにならなかったことなんてないのに、どうしてなのかただの二足歩行生物と同じように、歩くしかあの男との距離を稼ぐ手段が無い。
 いよいよ疲れてきて、テーゼンが歩みを止めると背後の足音はゆるやかになり、石畳に暗い影が落ちた。
 影は肩を上下に動かしている――さすがの奴の体力でも、ちょっとは疲労させられたのだろうか。
 上下にゆっくりと。
 石畳に映った影が揺れている。
 呼吸。ゆっくりとした呼吸を繰り返している。
 テーゼンは、追いかけてきたのは白髪男だけのようだと確信した。
 はっ、と吐く息の余韻――声にならない声の息遣いは、あの男一人のものである。

(なんで……そんなことまでわかっちまったんだ。チッ)

 テーゼンは心の中で舌打ちした。
 普段からともに過ごしていなければ分からないようなことで、自分を追いかけてきたのはあの男だったと確信を得てしまった、その事実に。
 渋々と美貌の青年は、尽きない体力に任せて彼を追ってきた相手へと向き直った。
 案の定、そこにロンドがいた。
 テーゼンはロンドの顔を見つめる。
 鈍感そうで、きかん気でとっつき難い印象を強く与える見慣れた顔である。

抜き身のナイフ1

「――…本当に。お前は抜き身のナイフみたいなやつだ」

 ……リューンから離れ、緑の都と言われるヴィスマールから歩くこと数日。
 灰霧の街と呼ばれているグレイウォルドで、彼らは足を止めていた。
 本来ならば、もっとリューンから離れたところに行くつもりが、つい先日、この近辺で起こった突風で運悪くも通ろうと思っていた街道へ大木が倒れてしまった。
 やむを得ず人力で大木が撤去されるまでの間、テーゼンも彼に追いついてきたロンドも、この街にとどまることにした。
 この街は、夜はちょっと冷えるが、それを抜かせば過ごしやすい、いい街である。
 テーゼンはこの街に留まっている間、よくチッピング通りの一角にある公園に足を運んでいた。
 なぜなら、可愛らしい黒猫がここに住み着いているからだ。

抜き身のナイフ2

(猫はいいもんだ。いつでも僕にべたべたしねぇ)

 今は昼下がり――この美貌の悪魔は、人気の少ない公園にきて、この野良猫と戯れることがちょっとした楽しみになっていた。

(かわいい)

 猫は腹を空かせているようで、甘い声でテーゼンに鳴いてくる。
 この猫は、機嫌がいいと彼の前でごらんと転がってみせる。
 撫でたければ撫でろといわれているようなその無防備さに思わず笑みがこぼれた。
 しかし、気乗りしなければ何処かへ歩き去ってしまう。

(気ままでいいなぁ、猫ってのは。……本来の僕も、そんなものだったはずなのに)

 若き魔王の軍勢に属していながらも、あまりにもお気楽極楽過ぎて役に立たないと、森での斥候以外にはほとんど放置されていた立場である。
 気ままに森の中で過ごし、召集のある時にだけディアーゼの(といっても直接会ったことすらないのだが)元へいく日々を過ごしていた。
 それが魔王同士の勢力争いが頻繁になってきたなぁ、とのんびり思っていたら、ディアーゼが人間の冒険者によって倒され、他の魔王の軍勢によって領地を分捕られた。
 魔王ディアーゼには、腹心の女戦士であるフレッシュゴーレムや、身長3メートルを超える狼男、女好きのヴァンパイヤロードなどの部下がいたのだが、幹部と目される彼らの誰一人として戻ってはこなかった。
 そんな中、彼はまだ呑気に魔界の森へ潜伏していたのだが、ある悪魔に嵌められて人間界へと追いやられてしまったのである。

(ま、それで良かったんだろう。あっちに残っていても、生き残れていたか自信はないし)

 そもそも、下っ端過ぎて固有の名前すらなかったのである。
 みんな”森閑の悪魔”と――森の閑人という蔑称を込めて呼んでいた。
 今つけられている”テーゼン”という名前は、テアが彼に与えたものだ。
 そんなこともあって、彼は目の前の猫に名前をつけたことはなかった。
 そしてこの猫に食べ物を与えたこともない。
 そろそろそれに感づかれて、この猫は彼に愛想を尽かすかも知れない。

(それでもいい。どうせこの都市は、旅路の通過点なんだから)

 たまたま倒木で足止めされているから留まっているのであって、普段はここに立ち寄ったりなどしない。
 仮にテーゼンが猫に名前をつけたところで、どうせすぐに立ち去る予定なのである。 

(それなら名前をつけるだけ損だ。それに餌を与えて懐かれても――ただ、困る。僕が困る)

 テーゼンは白い優美な手で猫を一撫でした。
 猫は尻尾を振って喜んでいるようである。
 テーゼンはそれに満足すると、また別の場所へとふらつき始めた。
 ……数時間後、この街には≪弾むフライパン亭≫という手ごろな値段で味のいいレストランがあり、テーゼンはそこで食事を済ませて宿屋に帰ってきた。
 もうすっかり外は暗い。
 扉は閉まっている。
 だがあの男の部屋であると同時にテーゼンの部屋でもあるのだから、ノックは不要であろう。
 彼はドアノブに手をかけ、ゆっくりと部屋に入っていった。

「……」

 宿泊客が多かったため、他にどうしようもなく2人部屋になったのだが、≪狼の隠れ家≫では気にならなかった同室者も、ここで見ると異質だ。
 つい苦い顔になったテーゼンだったが、ロンドは窓の外を見ていたために、その表情は見ていなかった。
 気配とドアの音で気づいたのだろう、けして良いとは言えない目つきだが、存外険のない双眸でテーゼンのほうへと視線を移した。
 ……悪魔はすぐさま真顔を繕う。

「おかえり」
「…」

 テーゼンはただいまとは言わず、軽く会釈をする。
 そしてかなり大柄な少年をじっと見つめた。

「よそよそしいなぁ」

という苦笑いをしたのは、少年のほうだった。

(こいつは、よくつっかかってきやがる)

 我知らず、美貌が歪む。

(うざってぇ)

 その顔の意味することを気づいたのか、気づいていて無視したのか。
 普段と変わらない様子でロンドは話しかけた。

「あのさ」
「……んだよ」
「何か俺に用でもあるのか?」

 突然何を言い出すんだ、自意識過剰はよしてくれ、ついて来たのは――そっちじゃないか!
 と思わず言いそうになるが、この言葉遣いだと仲裁役がいない今、朝まで延々と喧嘩をする羽目になる。

「は?別に何もねぇよ。悪かったな、じっと見て」
「ふぅん……」

 腑に落ちていない顔で言って、また外を見始める。
 一体なぜ、ロンドはそんなに外を見ているのだろう。

(……そんなこと、気にすることはない。僕はまた明日、僕のしたいことをする)

 だって、猫のように気ままな悪魔なんだから。

(僕はそれだけを考えて、毎日を過ごせばいい)

 そう、テーゼンは会った時からロンドが苦手である。
 なぜかと言われても分からない――お気楽極楽な呑気者よと侮られ、人の世界においてもあまり人付き合いに苦労した覚えはないのに、こいつだけは妙に馬が合わなかった。
 とにかく、ロンドは心をざわつかせるのである。
 猫の舌のようにざらざらした舌で、私の心臓をざらり、ざらりと舐められているかのような気持ち悪さ。
 そういった独特の不快感を、ただの人間の少年の分際で悪魔に与えてくるのだ。
 それ以上の思考が嫌になり、テーゼンは素早くベッドに入って目を閉じた。
 ロンドは横目でその様子を眺めていた。
 無言の語り掛けであろう。
 もう寝るのか、随分早いな、と。

(そうだ、もう寝るんだ)

 テーゼンは心の中で彼の目が語る言葉を突っぱねた。

2016/03/16 12:30 [edit]

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