Sat.

迷宮のアポクリファその3  

 シシリーは昨夜、ほとんど眠らずに屋根裏部屋に残されたままの”経典”の翻訳メモを、自分なりにまとめて写しを作ってみていた。
 翻訳の作業というのは魚人語でやってみたことがあったものの、本来は専門外であり、焦燥感や募る不安によって苦痛にも感じられたが、仲間たちの集うテーブルに翻訳メモを広げた時には、常とはまったく別の種類の達成感を味わった。

「……ん?姉ちゃん、これは?」
「みんなに、相談したいことがあるの」

 リーダー役を務めている少女は、昨日までの出来事をつぶさに話した。

「じゃ、これが経典の一部ってこと?」
「確かに、何か危険な感じがするな」

 メモをしげしげと眺めているアンジェの横から、槍を使っているにも関わらず、なまじの女性よりも優美な白い指が出てきてメモのある箇所を指した。

「邪悪な儀式について書いたような――」
「おっちゃんがどういうつもりかわかんないけど、これの解読に必死になる理由が思いつかないよ」
「まあ、のう。らしくないのう」
「だよね。治安隊の仕事に首突っ込んで、仲間にも何も言わない。変だよ」
「いえ――治安隊のためではなく、自分のためですらないとしたら?」
「それは……どういう?」

 訊ねてきた老婆の瞳を見つめ返し、シシリーはある紙の束を卓に置いた。
 創作ノート(部外秘)とある。
 さすがに顔を赤らめたロンドだったが、

「きのう、ロンドの話を聞いてて思ったんだけど」

とシシリーから切り出され、動揺した表情になった。

「兄ちゃん、話の流れ的に、兄ちゃんに才能があるって方向じゃないから動揺しないで」
「それだけじゃなくて、写すのメモを作っての仮説、なんだけど」
「で?」

 紙の束を、剣の胼胝が目立つ左手で押さえる。

「物語によく出てくるよね?抜くと呪いに支配される魔剣。邪な意思に取り付かれる宝物」
「ウィルバーさんが持って帰ったあの経典が、呪われたアイテムだっていうのか?」
「そうじゃないかと思うの。人の心を、操作するような魔法の品かも」

 冷静にあらんと自制して語る少女の横顔を、テーゼンは無言で見つめている。

「世界には、この世の法則とは違う文法で書かれた本もあって、そういうのは、読み進めていくだけで正気でいられなくなるって聞いたこともあるわ」
「話を聞いてると、むしろおっちゃんが言い出しそうなことだよね……」
「推測だから、裏づけが必要なの。それで相談なんだけど――親父さんの知り合いに、信用できる魔術師がいるんですって。魔術の品にも通じている」

 その魔術師に助言をもらおうと思っている、というシシリーの姿に、仲間達が特に異論を唱える様子はなかった。
 魔術師の名前はバンディッシュと言い、≪狼の隠れ家≫からはちょっと離れたところに居住している。
 彼は昼に寝ているため、邂逅は夜となる。

「了解」

 冒険者たちは頷きあって解散した。
 各々の準備を済ませて数刻後――旗を掲げる爪は、酒場の隅のいつもとは違うテーブルに再び集まり直し、魔術師を待っていた。

「――来た」

 金茶色の髪を後ろで一つにまとめた華奢な感のある男が、≪狼の隠れ家≫の扉を押して入ってくる。
 辺りを見回してから宿の亭主の下へ近寄り、しばらく話した後に旗を掲げる爪のいるテーブルへ移動してきた。
 互いの自己紹介を済ませた冒険者たちは、やってきた魔術師を二階の屋根裏部屋へ案内した。
 数々のアイテムが置かれている部屋の具合に、魔術師は目を丸くしている。

「うーん。これは。想像以上にむさくるしい場所だ」

 魔術師バンデッィシュは、いったん解散した後に彼の住居を訪れたシシリーから事情を聴くと、最初はかなり面倒そうな顔をしていたが、シシリーが作った写しに目を通すうち、にわかに心惹かれた様子で実物の”経典”を見せてほしいと言った。
 かくして、この魔術師は≪狼の隠れ家≫まで押しかけてきたわけである。

「ウィルバー、まだ帰ってきてないのね……」
「ふむ」

 バンディッシュは顎に手を当てて、辺りを見回した。
 シシリーはウィルバーが使っていた蝋燭に火を灯した横、火が燃え移らないような少し離れた位置に、青い表紙の”経典”が置かれているのを指し示す。

「これがその、話して聞かせた問題の本よ」

 冒険者たちが見守る中、魔術師は経典を持ち上げたり、明かりにかざしてみたり、注意深く指で触れてみたりした。
 その後、「ほうほう」とか、「なるほど」とか言いながら、胸ポケットから鋳掛眼鏡を取り出すと、

「ああ、ちょっと本を開いて、持っていてくれ」
「はい、はい」

 渡されたロンドが、ちょうど良さそうな高さに本を掲げる。
 バンディッシュはおもむろに中身を検分した。
 しばしの時間が流れ、じれったくなったシシリーが何か分かったか問いかける。

「しっ。息を吹きかけないように。うーむ…驚いた。君達の言うとおり、これは強力な魔法の品だよ」
「これだけで、どういうものなのか分かったのか?」

 テーゼンの質問に魔術師はしばらく考え込んでいた。
 おそらくこれは、魔術の門外漢にどう説明すればいいか、言葉を選んでいるようだ。

「簡単に言うと、この本には魔法で”空間”が括りつけられている」
「魔術における空間転位の移送――」
「そう、君はよく知ってたね」
「なんだそりゃ……黒蝙蝠、何で分かった?」

 まったく訳が分からない顔つきになっているロンドを見て、バンディッシュは彼でも理解できるようにとゆっくり話し始めた。

「引き出しに、様々なものを隠すように、この本には……そうだな…大きな城ひとつ分ほどの魔法的な空間が封じ込められているのだ」
「そんで、こいつは引き出しだから、中に固定された空間は誰かや何かを”こちら側”から仕舞うことができても、”あちら側”から開けることはかなわない…ってことだ。分かったか、白髪男」
「まあ……なんとなく?」
「まさに、本の中に作られた牢獄だよ」
「城ひとつが本の中に?そんなことがありえるの?」
「古い魔法は、時に想像を絶するのだ。私の専門分野だから間違いはない」

 さらりと自画自賛すると、彼はひらりと家事とは無縁な手を振ってみせた。

「さて、さらに興味深いのは君たちが唱えていた説。この本に、人を操るような効果があるか、だが……結論から言うと、分からないな」
「役に立たない結論だね」

 この本の秘密を解き明かすには魔術師の協力は不可欠なのだが、バンディッシュはすっかりこの”経典”に興味を持っている様子なので、多少のからかいは見過ごされるであろう、とう現実的な計算がアンジェにそう言わせていた。
 ホビットの娘の言葉にぴくりとこめかみが動いたものの、魔術師は言葉を続ける。

「だが、本の中の空間には大きな魔力を感じる。真相を知るには――」
「知るには?なんじゃ?」
「この書物の中に入り込んで調査する以外にないだろうね」
「入り込むって、そんなことができるの?」
「できるとも。言わなかったか?この辺は、私の専門分野なのだ……どうする?冒険者。この本の世界に入ってみるかね――?」

 旗を掲げる爪は顔を見合わせた。
 予想外の展開ではあったが、想像以上の手がかりだ。
 仲間たちの意を受けて、シシリーが申し出る。

「分かったわ。中を調べてみたい。どうすればいい?」
「単純な魔法で、入り口は開ける。君たちを送り込むのも簡単だ」

 バンディッシュは”経典”を手近な箱の上に置くと、

「さあ、では、この本の上に手を置いて」

と指示した。
 いささかの疑わしさはあるものの、大人しく全員が青い表紙の上へそれぞれの利き手を乗せる。

「呼吸を楽にして――さん、に、いち……」

 そして、彼らの視界は闇に閉ざされた。

「……………っ」
「こ――これは――」

 傍らでテーゼンが息を呑んだ気配を感じながら、シシリーがどうにか言葉を押し出す。
 冒険者たちの辿り着いた先は、空が立ち込めた雲で閉ざされ、足元はといえば切り立つ崖になっていた。
 崖の底は、白く流れる霧で覆い隠されている。
 いくら見渡しても、宿の屋根裏部屋やあの書物、魔術師の華奢な姿は見当たらなかった。

「姉ちゃん、あれ――」

 アンジェの導きによって目を凝らすと、色あせた影絵のような世界の先に、

「あれは――搭?」

アポクリファ4

 五つ――いや、六つの古い搭がそびえているのが見えた。
 その高い搭はそれぞれ、ミルク色をした霧の海の上で、細い空中回廊によって繋がれている。
 感に堪えないような声音でロンドが言った。

「すごい……言われたとおりだ。”本の中の牢獄”」
「何が待っているのか……でも、進むしかないな」

 美貌の青年は先に立って歩き始める。
 それに釣られるように、他の仲間達も注意深く霧の中を進んでいった。
 最も近くにそびえる搭の下へと到着する。
 搭は青く冷たい、見たことのない石で組み上げられている。
 貼られている石版を見ると、そこには『召喚術師カナーリォが造りし七搭の迷宮』とある。
 その下には若干小さめの文字で、『四つの色を、虚ろなる空に取り戻せ』と刻まれていた。
 アンジェが承服しかねるような顔で呟く。

「七搭の迷宮……」
「ここに来るとき見た搭は六つだけじゃったが……」

 入り口で考え込んでいても仕方ない。
 辺りをアンジェがざっと調査したが、何も変わったものがないことが分かり、一行は搭の中へと踏み出していった。

2016/03/12 11:56 [edit]

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