Sat.

迷宮のアポクリファその1  

「暗いな」

とぼそりと囁いたのは誰であったか。
 冒険者たちは闇に身を伏せていた。
 一行のリーダー役を務めているシシリーが、小声で懸念を口にする。

「相手にエルフや吸血鬼…夜目の効く連中がいたらやっかいなことになるわ」
「どうでしょうか。治安隊の話では――」

 落ち着いた声音で応じたのは、≪万象の司≫を握り締めたウィルバーである。

アポクリファ


「”終末の空色”教団は、過激さで急拡大したカルト集団らしいのですが、吸血鬼や人外はほとんどいないと聞いています」
「……。聞いてた話がその通りだったってことってなぜか少ないのよね」
「問題ない。僕には見えるし、アンタだって切り札が二つもあるだろ」

 そう口を挟んだのはテーゼンである。
 彼自身は(パーティの一部には内緒だが)悪魔で暗視が効くし、シシリーにはそういう素養があるのか、光の精霊二体に取り憑かれている。
 今は大人しく専用のウェストポーチの中に隠れているとは言え、光源が必要となれば、すぐその中から飛び出してくるだろう。

「野伏は暗闇に強いんだ。何か出てきたらきっちり皆の”目”になってやるよ」
「こういう時は、頼りにしてるね。テーゼン」

 ここは下水道の側道で、現在の旗を掲げる爪は、治安隊斥候の合図を待っていた。
 ≪赤い一夜≫事件からまるひと月近く、交易都市は盗賊団の被害からは抜け出たものの、今度は他所から移ってきたというカルト集団の台頭に悩まされている。
 そんな中、治安隊と協力体制を二度も作ったことのある彼らに、知り合いとなったある隊員から、地下水道内にある”終末の空色”教団の強制捜査について持ちかけられたのである。
 リューンの下水道というものは冒険者ならば周知のことだが、古代文明の遺跡を転用した広大な迷路だ。
 居住地帯よりもさらに外側まで広がっているため、意外に汚水が少ない場所もあり、パーティが今待機しているのも、そんな場所のひとつだった。
 広大な地下下水道内は天然の隠れ家である。
 治安隊といえど、教団拠点に踏み込んだ後、信者の逃亡を許せば――遺跡に長けた冒険者に頼るしかなくなるだろう。
 最も望ましいのは、この最初の突入で教団を一網打尽にできることである。

「こっちの役割は逃亡阻止だから、戦いよりも周囲を見るほうが大事そうね」

 静けさに耐え切れず呟いたシシリーにあくまで応じるように、アンジェが伸び上がってランタンのシャッターを上げる合図を待ち受けながら言った。

「”終末の空色”教団か。だいたい説明は聞いたけど、ホントのところ――どういうものなんだろ?」
「下調べがとれる時間もなかったですしね……」

 治安隊に聞いた以上のことは噂しか知らないが、と前置きしたウィルバーが彼女に教える。
 この十数年で勢力を拡大した新興宗教で、中央行路の商業都市で治安当局を悩ませている頭痛の種。
 その教義は厭世的というかなんというか、『人間は創造主の作った入れ物であり、自由意志に意味はない』であり、死霊術や召喚術に手を染め、現状に不満を持っている若者たちを取り込んでいる。
 当然、聖北教会の勢力圏においては到底許容されない教えであり、新たな火種として騒がれているそうだ。

「彼らの主張はこうです。言葉を持つ生き物は創造主が何かを為すため作った容器、自分とか、自由意志なんてものはない。それに気づいた人間は、世界を変えるだけに十分な力を手に入れられる――と」
「正直、何を言ってるのか分からないよ。酒場の酔っ払いなの?」
「近いですね。本当に世界を変えられると信じて、人を殺して回るんじゃなければ、ですが」

 2人のやり取りを聞くともなしに耳に入っていたロンドが、

「それにしても、”終末の空色教団”って名前――わけがわからんな」

と首を捻った。

「空、っていうのは、東方では存在しない、自分がない、という意味でもあります」
「ああ、それで空色……」

 息を潜め、囁き交わしていた冒険者たちの前で、暗闇に小さな光が浮かび上がった。

「来たな――」

 ロンドの反応と同時に仲間達も武器や愛用の得物を持ち、迷宮の闇へと身を躍らせた。
 すでに彼らの身には、ウィルバーやテアによる目に見えない援護の力がかけられている。

「総員、突入!三班は通路を封鎖!」

という治安隊隊員の声が聞こえる。

「――冒険者!」
「ええ!」

 隊員への応えを上げたシシリーは、仲間達を引き連れ示された奥への通路へ走っていった。
 治安隊の突入は成功したようだ。
 不意をつかれ、拠点にいた教団の信者たちは慌てふためいている。
 その中で、妙に落ち着いたまま武器を振るう人間もいる。
 治安隊や冒険者たちが思っていた以上に、戦力となり得る若者が揃っているようだ。

「奇襲の効果も長くないですね。……急ぎましょう」

 ウィルバーに促され、まるで神殿かと見紛うような円形の柱が立ち並ぶ中を駆けると、ふと何かに気づいたテーゼンが声を上げた。

「……!あれを!」

 闇をものともしない彼の目は、驚くほど色鮮やかな空色の瞳をした女性――服装からして恐らくは女司祭――が、古ぼけた木製の扉の前に立っているのを見通した。

「下水への脱出口か――!夜目の効かない人間の足で、この暗闇を逃げようなんて、甘いぜっ」」
「………!あなた達は――」

 脱出しようとしていた女性が振り返り、誰何する。

「わずかな報酬とちょっぴりの正義感によって立ちはだかることになった、その辺の冒険者だよ」

 皮肉げに返事をしたアンジェは、油断なく目を配りながらじりじりと近づいている。

アポクリファ1

「……そう、ですか。選ばれし次の”入れ物”というわけではないのですね。残念ながら――」
「”入れ物”――?」
「――明かりは足元に落として!行きます!」

 シシリーの疑問に答える声はなく、ウィルバーは、女司祭や後ろから追いついてきた教団員がこちらに向けてきた敵意に気づき警告する。
 教団の信者の一人にテアの放った投げナイフが刺さり、シシリーの≪光の鉄剣≫の鮮やかな軌跡が左肩からザックリと斬り下げる。
 仲間の戦う合間を縫って、走り寄ってきたロンドが素早くスコップを突き出し、女司祭の右腕を傷つけた。
 人形のように整った女の顔が、一瞬苦痛に歪むが、

「【光輝の領域】――」

と涼しげな声で古代の魔術師が遺したと言われている呪文の一つを唱え、己や教団の信者たちの士気を向上させる。

「ち、面倒な!」
「問題ない、シシリーも走れ!僕が道を作るッ!」
「はい!」

 テーゼンの振り回した槍が信者たちの足をすくい、倒れた一人の喉笛をアンジェの短剣がかき切った。
 猛然と抵抗する”終末の空色”教団だったが、負傷した一人に再び手繰って突き出された【龍牙】の槍が刺さり、女司祭をシシリーとロンドの2人で気絶まで追い込むと、もうそれ以上の戦いは彼らもできなかったようだ。
 こちら側の負傷は、槍を突き出した際に反撃されたテーゼンの腿の怪我くらいである。
 ちょうど、治安隊の救援も駆けつけてくる。

「旗を掲げる爪!いるか!」
「こっちよ、隊長さん!教団のリーダーらしき女を捕まえた!」
「いいぞ、手柄だな!一班続け!目標はここだ!」

 事態が収束した頃に、女司祭が気絶から回復したようだが、すでに彼女の武装は剥ぎ取られ拘束は完了しており、治安隊隊員の厳しい監視の下、逃亡は出来そうにない。
 まだ年若い少女のように見える青い衣装を纏った彼女は、黙って床にひざまずいていた。
 カツカツ、と硬い足音を立てて治安隊の隊長が近寄り、司祭へ罪状を言い渡した。

「”終末の空色”教団。ペルージュでの貴族殺害。アルエス城塞都市での殺人教唆、禁呪密売、人身売買への関与――その他、多数の容疑で信者全員の身柄を拘束する!」」
「……… です」
「んっ?女、今なんと?」
「瞳を持ちながら、世界の本当の姿を見ない方は不幸だ――と、申し上げました」

 隊長は一顧だにしない。

「一班、容疑者を連行。簡単に死なせたりなどするなよ」
「――撤収!」

 女司祭は2人の隊員が両側から持ち上げたことによって立たされ、そのまま近くの地上へ続く階段に、半ば引きずられるようにして連れて行かれる。
 その際、冒険者とすれ違い、女はシシリーにうすく笑ってみせた。
 邪気のない、少女のような微笑みだった。
 一体何のつもりだったのかと、眉根を寄せて彼らの退場を見送ったシシリーを他所に、大好物を見つけたウィルバーがやや浮かれた声をあげた。

「ああ、アルコーブに本棚があります。かなりの蔵書ですね」
「うーん、相変わらずよく見てるね、おっちゃん。ここから先は、治安隊の仕事じゃない?」

 ウィルバーは、仲間の言葉など耳に入らぬように本棚の蔵書を吟味し始めている。
 これはちょっとやそっとじゃ終わらないだろう、と判断した仲間達も、渋々時間つぶしに本棚の本を漁ってみる。
 アンジェは自分の身長で楽に届く範囲にあった本の背表紙を、順番に読み上げている。

「こっちにあるのは神秘学の書物だね。人狼、吸血鬼、竜……異種族の、生命力の秘密を解明し、人間の役に立てようってことみたい」

 中の一つを手に取り、それが読める言語で書かれていることに気をよくした彼女は、意気揚々と目を通し始めたのだが、ほどなく眉間に深い皺を寄せて吐き捨てるように言った。

「獣人や吸血鬼の子供を浚ってきたと書かれてる。そして――……酷い」
「どうした?」

 訊ねてきたロンドに向かって、無言で本を渡す。
 彼がそれを開くと、そこには非道な実験や交配を行なった旨を、描写細かく書き連ねてあった。
 色々な体験をしてきた冒険者の心胆をすら、寒からしめる陰惨な内容である。

「酷い。殺された者たちの恨みは深いだろうな」
「嫌なもんじゃのう。おちびちゃん、こっちにおいで。そんな書物は読まなくていいだろうよ」

 呼ばわったテアの灰色のスカートに、アンジェがしがみつくように甘える。
 隣にあった本棚の本に目を通していたシシリーも、まともな医者の技術とは思えない人体の腑分けについての医学書に、軽蔑するような視線を注いでいる。
 恐らくは、攫ってきた人材を実験台にしていたのだろう。
 そんな中、静かに魔術書を読んでいたテーゼンが、珍しく鼻で笑うように言い捨てた。

「まったく、力を追い求める人間というのは、こうも熱っぽく愛しいものか」
「……」

 その言い様に正体の分からない不安を覚えたシシリーが彼を見つめるが、美貌の青年はそれに取り合わず、他の書物へと手を伸ばす。

アポクリファ2

「他には……教団には重要なアーティファクトを保管するとも書いてある」
「あーてぃふぁくとぉ?」
「……強力な魔法の品のことだよ、白髪男。ちょっとはその脳みそに知識ってもんを入れておけよ」
「うっせえ、黒蝙蝠!余計なことばっかり知ってやがって」
「今役に立ってるだろ。記述から見るに、魔神に関連した祭器のように思えるが」
「……そのアーティファクトはどうなったんだろう。他の拠点に隠れされているのかしら」

 シシリーの質問に答えられる者はいない。
 一応、その件に関しても治安隊の隊長に話しておこう……と意見が纏まったところで、かなり没頭しているらしいウィルバーへ声をかけ、現実に戻って貰うことにする。

「あの、ウィルバー。何か気になるものでもありそう?」
「……少し待ってください。っと……」

 ぱらり、とページを捲る音がする。
 手にしているのは、見たこともない素材の青い表紙をした本であった。

「なるほど……これは――」
「何か見つかった?」
「これは、教団の経典のようなのですが…どうも奇妙なのです」

 愛用の竪琴を撫でていたテアが聞き返す。

「どういうことじゃ?」
「”終末の空色”はけして歴史のある教団じゃないと思います。むしろ新しい」
「うむ、そういう話じゃったの」
「なのに、この経典は書かれてから、百年はゆうに経っていて…しかも、魔術師すら難しい古代語で、暗号化されている部分もある」
「……つまり?」

 すっかり焦れてしまったせいか、シシリーが勢い込んで尋ねたが、ウィルバーは軽く肩を竦めてそっけなく言っただけだった。

「分かりません。詳しく調べてみる価値はありそうですね」

 魔術師の手が素早く動き、治安隊の目を盗んで経典を荷物袋に忍ばせる。
 目を丸くしてテアが注意した。

「おい、それはさすがに不味いぞ、ウィルバー殿」
「しっ。操作上有用な情報があれば、上手く治安隊に流しますよ――」
「……いいのかなあ」

 若干不満げなアンジェの視線もなんのその、彼は先に立って下水道の出口へ歩き始め、慌てて他の面子も彼の後を追う。
 宿へ帰る前に、隊員の一人から依頼を果たしてくれた報酬として、銀貨800枚(危険手当含む)を渡された。
 真夜中近くの出動であったにも関わらず、翌日の起床はまだ午前中の早い時間で、いつもはパーティでも早く目覚める方であるシシリーが起き上がった時には、同室のアンジェやテアの姿はもうなかった。

「ふぁ…ぁ。朝か」

 あまりいい寝覚めではなかった。
 地下下水道の冷気が体をすっかり冷やしたのか、空色教団の所業が夢見を悪くしたのかは分からない。
 惰眠を貪る習慣はないので、部屋に備え付けられた洗面器で顔を手早く洗い、口を塩で磨いてゆすぐと、彼女は階下の酒場へと向かった。
 いつものテーブルにつき、中を見回す。
 おおよそ、いつもの面々が朝食を前に談笑したり何やら準備をしたり、貼り紙を眺めていたりした。

「おう、シシリー。おはよう」
「おはよう、親父さん」

 目ざとく彼女を見つけて挨拶した宿の亭主の声が耳に入ったのか、違うテーブルで先輩冒険者たちに今までの冒険譚を聞いていた仲間達が振り返る。
 アンジェの顔がぱっと花開いた。

「あ、姉ちゃん。おはよう!」
「おはよう、アンジェ。皆」

 旗を掲げる爪がわらわらといつもの席へ移動を始めた中、宿の亭主がハーブティを運んでくる。
 後ろのカウンターには、大鉢に入ったスープや目玉焼き、まだ温もりを残したパンが乗っており、これが今日の朝食ということらしい。

「皆もそうだが、お前さんも、早く起きてきたじゃないか。昨日は治安隊の仕事できったはったがあった、というから疲れてるのかと思っていたぞ…」
「それはそうなんだけど、なんだか眠りが浅くて」

 シシリーが、カップから立ち昇る独特の芳香と湯気を顎に受けながら苦笑すると、亭主は太い眉を上げて
唸った。

「いつもと違うと感じる時は、ことさら気をつけたほうがいい。些細な差が、致命的な状況を呼ぶことだってあるからな」
「……。いつもと違う」

 ロンドが呟く。

「ん??」
「親父さんの真面目なノリが」
「ばかもん。茶化すんじゃない。それと、準備が出来ていたら朝飯を食ってしまわんか」

 はーい、と気の抜けたような返事をして、皆思い思いにテーブルへ順番に並べられていくご飯へ手を伸ばす。
 
「みんな早いね」
「うーん、それがね、姉ちゃん。冒険の依頼って波があるでしょ。昨日までろくな依頼がなかったのに、次の日から美味しい仕事が次々来るとか」
「うん、たまにそういう日もあるよね」
「昨日までがろくなのなかったから、今日あたり、波が変わっていい依頼が貼り出されるかと思って……」
「なるほど。で、早起きの結果は?」
「全滅」

 アンジェによると、下水道掃除に銀貨200枚からのゴブリン退治、新薬の実験台になってくれという依頼など、嫌な予感のするものしか貼ってなかったらしい。
 スープに沈んでいた野菜をスプーンで掬っていたテーゼンが横槍を入れる。

「今日は午後から雨だ。下手に外に出るよりは、宿にいる方がマシかもしれねえぜ」

 生気に溢れた碧眼が、やや曇ったガラス窓の向こうに広がる空を見やる。

「今は晴れてるけど、分かるの?」
「虫の動き、鳥の声、木々の様子……自然観察が教えてくれることは少なくない」

 シシリーはため息をついた。
 彼の感覚はよく当たる。
 どんな仕事を受けても、今日は雨に祟られるということだ。
 それを聞いていた仲間たちにも、今日はあまり仕事にかかりたくない空気が漂い始めている。

「すぐ銀貨に困るということもないし、今日は宿で過ごす?」
「そうねえ…あ、この目玉焼きはベーコンエッグだったの。気づかなかったわ」
「三週間熟成だぞ。高級品だ」
「熟成品かぁ。一度、旅で出会った料理を再現して、親父さんに食べて貰うのも悪くないわね」
「……わしも命は惜しい。テーゼンの料理はまだ食いたくないぞ」
「うん、俺も食べたくない」
「え、なんで!?」
「お前、≪赤い一夜≫事件の差し入れを再現したいとスープを作ろうとして、何でスライムみたいなべとべとが出来上がるんだ!?」
「僕にだってわかんねえよ、そんなの!?」
「いや、分かれよ黒蝙蝠!試食頼まれたこっちは地獄を見たわ!」

 喧しくなり始めた宿の亭主とロンドとテーゼンの言い争いを見て、ふとシシリーが気づいた。
 いつも適当な辺りで止めてくれる人材がいない。

「そういえば……ウィルバー、まだ起きてきてないのね」
「え、確かおっちゃん、起きてるよ。えーと、どこ行ったっけ」
「うむ。ウィルバーなら、屋根裏部屋を貸してくれとか言って、本を持って篭っていたな」
「本を……?」

 亭主の口添えに何か言い知れぬ不安を覚えたシシリーの脳裏に、先ほど宿の亭主が彼女に伝えた一言が浮かび上がった。

『いつもと違うと感じる時は、ことさら気をつけたほうがいい』

 いつもなら、他のメンバーが魔法の品を見つけても慎重に扱うように釘を刺すのが、ウィルバーの役回りのはずだ。
 酒場に顔も出さず、書物を持って部屋に篭る――些細なことだが、違和感を感じる。

「ちょっと様子見てくる」
「ああ、屋根裏に上がるんなら、ウィルバーの朝食も持って行ってやれ。洗い物が片付かん」
「わかった」

 熱いからこれに載せていけ、と胡桃材のお盆を渡される。
 礼を言って屋根裏部屋――四階へと上がる。
 ≪狼の隠れ家≫の屋根裏部屋は、冒険者が発見して改造したという地下室の一部と同じで、物置と化している。
 違いは食料品かどうかというあたりだろうか。
 屋根裏に置かれているもののほとんどは、宿に所属している冒険者たちが普段旅に持っていかない予備の武器や、仕事で入手したものの使わなかったアイテムなどである。
 シシリーが使っている≪光の鉄剣≫やロンドの≪マスタースコップ≫なども、本来はこの部屋に放り込まれていた予備武器で、それらを依頼で手に入れた先輩冒険者から許可を貰って使っている。
 もし資金が貯まったら買い取って自分の所有としても構わない、と言われているので、ロンドなどはパーティの財政に余裕が出来たら、速攻で愛用の品と成り果てているスコップを買い取るつもりでいる。
 ただ、≪光の鉄剣≫は旧時代の量産品であり使い減りしてしまうので、もし何かの機会があれば、シシリーも武器を変えなければと考えているのだが……。
 そんな事を思いながら階段を上がりきり、シシリーは屋根裏部屋の扉をノックした。

「ウィルバー。親父さんから朝食もらってきたわ」
「ああ。入ってください」

 応えはすぐあり、やや安堵したシシリーが入室する。
 ごたごたした部屋の中、蝋燭を一本灯した状態でウィルバーが本を読んでいる。

「そこに置いておいてください。後でいただきます」

 彼の周りには、メモや辞書が散乱していた。

「ウィルバー」
「………」

 彼は手元の書物に没頭し、答えを返さない。

「『空なるものに満たされるは……』これは、”器”と訳すべきか」
「ウィルバー!聞いてるの。昨日からずっとやってたの?」

 ウィルバーは大声を出されて、初めて彼女に気づいたように目を瞬かせる。

「……ああ、まあ。二時間くらいは眠ったかも」
「その本――経典だっけ。いったい何なの?」
「難しいですね。詩のようでもあるし、歴史のようでもある。長い魔法儀式のようにも思える」
「…危険なものじゃないの?治安隊か、賢者の搭に預けた方がいいような――」
「いえ…もう少し訳してみないと、危険かどうかは分かりません」

 普段なら何気ない、ウィルバーの返答。
 だが――それが、強い拒絶のように聞こえた。
 内心のもやもやを閉じ込めるように拳を握り、シシリーが叫ぶ。

「あの場所から無断で持ち出した、しかもあんな危険な教団の書物なのよ!聖北教会内の過激派にでも知られたら、下手すれば――」

 続く言葉をとっさに飲み込む。
 シシリーは、やはりおかしいと思った。
 いつもであればこんなこと、むしろウィルバーが言いそうなセリフである。

「………そうですね。気をつけることにします」

 2人の間に、これまで感じたことのない気まずい沈黙が続く。
 先に口を開いたのはウィルバーのほうだった。

「でも、あと少しで概要に手が届きそうなのです。少しだけここに置かせて下さい」
「どこに行くの?」

と問うたのは、本を床に置いたウィルバーが立ち上がり、≪万象の司≫を手に、ドアの方へと歩き始めたからである。

「雨が来ないうちに、治安隊の詰め所へ。確かめたいことがあります」
「食事は?」
「食欲がないのです。すいません」

 パタン、と扉が閉まる。
 シシリーは空しく湯気を立てている朝食用の盆の横に置かれた経典を手に取り、ページをめくってみた。
 狂気を感じさせるほど細かい文字。
 どこか異世界の気配をたたえた数々の挿絵、図――そして何より、手にしたその表紙の不気味な手触りが、シシリーの背にうすら寒いものを呼び起こした。
 まるでそれは、魔物の肌に触れてしまったかのような、湿った、纏わりつく感触だった。

2016/03/12 11:52 [edit]

category: 迷宮のアポクリファ

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