Sat.

旧き沼の大蛇その2  


 旗を掲げる爪は、六角沼の奥へと向かい逃走した。 
 それはもう、傍で見ていれば見事なほどの”すたこらさっさ”ぶりである。
 十五分ほども走り続けただろうか、息を切らしながら後ろを窺うと、いつの間にかヒドラを引き離したようであった。

「はぁ、はぁ…」

 ふわり、と1メートルほど宙を浮いたテーゼンが後方を確認する。
「大丈夫だ…もう追ってきてない」

 仲間の言葉に安堵し、くたりと膝を折りかけたアンジェだったが、そこが先程よりもぬかるんでいる地面であることに気づき、舌打ちしてロンドの脚に寄りかかった。
 シシリーが孤児院の院長に聞いた話では、ヒドラを倒した後に傷口を炎で焼けば首の再生を防ぐことができるということだったのだが、ロンドの燃えるスコップを用いたはずなのに、ヒドラは首を増やして再生してきてしまった。
 ということは、普通の炎ではヒドラに効き目がないのだろう。
 すっかり困り果ててしまった一行は、その場でこれからどうするかを話し合った。
 確実とはいえん話じゃが、とテアは断った上で口火を切る。

「あのヒドラはここの主だったのじゃろ?」
「うん、あの依頼人の話からするとそうだと思うけど…それがどうしたの?」
「今までは休眠状態じゃったが、間違いなく活動していた時期もあったはずじゃ」
「なるほど、道理だね」

 アンジェとテーゼンがうんうんと頷く。

「わしが若い頃に吟遊詩人仲間から聞いた話では、六角沼の辺りに古代王国時代の人間や人ならざる存在の集落があったそうじゃ。そういった集落の跡地でも見つかれば、活動期のヒドラの対処法…倒すまではいかぬまでも、休眠状態に戻すか、弱らせる方法くらいは残されているかもしれん」
「それはあり得る話ですね」

 古代王国時代の話と聞き、ウィルバーが口を挟む。

「あの時代、色々な魔法が不可能を可能にしていました。魔獣をコントロールする法など、今では魔獣使いの一部にしか口伝で伝わっていませんが、昔の技術には皆に分かるような形であったのかもしれません」
「可能性があるというだけでの話じゃが、無策でヒドラに突っ込むよりはましじゃろうて」
「となると…この辺の遺跡を探すってこと?」

 実はこのパーティ、まったく古代王国期の遺跡と言うものに潜ったことがない。
 俄然勢いづいたシシリーの様子に微笑み、テアは改めてどうするかと彼女に問うた。 
 答えは聞くまでもない、すでに感受性豊かなリーダーの碧眼は遺跡への期待に輝いていた。
 瓦礫の多い足場に気をつけつつ、冒険者たちは目を皿のように見開いて周囲を注視している。
 独特の地形に合わせた角ばった歩道を、弾むような足取りで歩いていたアンジェが、何度目かの曲がり角で小さな声を上げて指差した。

「ねえ、何か瓦礫の塊があるよ。あれって人工物じゃない?」

旧き沼の大蛇3

 あれこそが目指していた遺跡かもしれないと思った旗を掲げる爪は、ともすると転びそうになる体を互いに支えながら瓦礫の方へと近づいていった。
 すっかり朽ち果てて灰色というより白くなった瓦礫の山の一角に、僅かながら遺跡と思われる建物の原型を留めた箇所がある。
 テアが首を縦に振りながら口を開いた。

「ほとんど崩れてしまっておるが、元は大きな建物だったようじゃの。神殿かのう…」
「周辺を調べてみましょう。入れる所がまだあるかもしれません」

 パーティの頭脳の言葉に、他の全員が一斉に遺跡の周りを調べ始める。
 カラン、とシシリーが手を置いた箇所が崩れ、彼女は慌てて身を引いた。
 その横では、ロンドがアンジェの的確な指示の元、崩れると危ない瓦礫を持ち上げて除けている。
 少しだが不要な瓦礫が減り、テーゼンとアンジェがさらに詳しく捜索すると、黒曜石のつぶらな視線の先に気になる場所が映った。
 壁の一部が崩れて、その向こうに階段が見える。

「ん…あそこ、入り口みたいだな。あそこから中に入れるんじゃねえか?」

とテーゼンは指摘した。
 元々は玄関だったらしいその場所を示され、仲間たちは光精の賢者を肩に乗せたアンジェを筆頭に、ゆっくりと中へ入っていった。
 遺跡の中は思っていたよりかび臭くはなかったが、それはボロボロに崩れて、あちこちから外気が取り入れられているせいであった。
 崩れ落ちた壁や朽ちた大理石の柱の酷い痛みようが、何百年もの間、この遺跡が顧みられなかったことを雄弁に物語っている。
 ただ、今までふにゃふにゃだった地面の踏み心地は、細かな文様の描かれたしっかりとした石畳に変わっており、それだけが救いと言えば救いであった。
 所々でわき道らしきものはあったのだが、崩壊した柱や壁の瓦礫に遮られ、それ以上の侵入を拒んでいる。
 結局、真っ直ぐ道なりに進んでいくしか手がなく、彼らはそのまま歩み続けた。

「それにしても長い廊下だよね、姉ちゃん」
「そうね…昔の人たちって、こんな広い遺跡で道に迷ったりしなかったのかしら?」
「どうなんだろうなぁ。途中で案内図とかあったのかも……って、あ」
「あ?」

 話し相手を務めていたシシリーが妹分の急に途切れた声に首を傾げると、当の妹分は小さな帽子を被ったフォウとともに先のほうへと駆け出している。
 止める間もない出来事だったが、彼女たちが無様に罠に掛かることもなく、その仄かな明かりに照らされた姿は、ある空間の中で止まった。
 そこは大きなホールのような場所であった。
 広大な空間に負けないほど装飾の多い柱があちらこちらに残っており、場所自体は荒涼としているが、軽口を叩けないほど神聖な雰囲気が漂っている。
 もしかしたら祈りの場だったのではないか、とテアは思った。
 かろうじて残っている正面の壁に、文字の刻まれた四枚の石版がはめ込まれている。
 その手前には、腰ほどの高さの祭壇らしき石造りの台が置かれている。

「材質が違うのかな…?石版と祭壇はまるで朽ちた様子がねぇぜ」

 テーゼンはこの場所に来るまでの廊下の荒廃具合との違いに、柱の一つを槍の穂先で突付きながら感心したように言った。
 屋根が軋むような音が響き、瞬時に6人ともそれぞれの得物を構えたものの、それ以上何か起こる様子はない。
 短剣と鋼糸をそれぞれの手に持ったアンジェが、

「何の音だったのかしら…?」

と短剣の方だけを仕舞いこんで疑問を発する。
 だが、その問いに答えられる者はいなかったので、まず目前の石版を調査することにした。
 騎士がよく持っている盾ほどの大きさをした、分厚いものである。
 複雑な形をした文字は一切風化した様子はなく、はっきり刻まれていた。

「これ…旧文明の文字じゃないわ」

 シシリーが刻まれた文字を指でなぞりながら発言した。

旧き沼の大蛇4

「多分、魚人…マーマン族の言葉よ」
「マーマンって…あの海に生息している半魚人か?」

 マーマンとは南方の海に生息していると言われる魚人族だ。
 魚に似た上半身に人間の手足を持つという異形の種族だが、実はロンドや他の仲間たちは半魚人を見たこともあれば、戦ったこともある。
 その時は、水の都で海の地区を守っているマリナー(海辺の民)という種族に同行し、とある大事な槍を取り戻す為の依頼で動いていたのだが…。

「ええ。魚人族の文字は、こないだアクエリアで冒険していた時に、マリナー警備隊の一人に教えてもらったの。ちょっと待って…何とか読む事が出来そうね」

 石版に記された魚人族の歴史について、シシリーは時間をかけて解読していった。
 魚人たちは何世代にも渡り、この地で暮らしてきたが、その生活は決して平穏なものではなかったようだ。
 この地には強暴な魔獣ヒドラも数多く棲息し、しばしば魚人族の集落は彼らの襲撃を受けた。
 ヒドラとの抗争で失われた命は数え切れないそうだが、両者の争いは誰一人予想し得ない形で唐突に終了した。
 両者とも、姿を消したのである。
 …原因は地殻変動による海岸線の移動だった。
 魚人族は海を追って南へと移住し、ヒドラたちは急激な生態系の変化により絶滅した。

「ふむ、その辺りがわしの聞き及んだ伝承のことなのじゃろうな」
「多分そうだと思うわ。ヒドラと魚人族の抗争についても書いてあるわね。集落を襲ったヒドラを撃退……うん、撃退したってある。それから戦士を連れて狩りをしたって」
「狩りぃ?え、魚人ってその時から強かったわけか?」

 ロンドは驚いた声を上げた。
 確かに彼らと同行して戦ったマリナーたちは非常に勇敢で、女性とも思えないほど優秀な戦士の多い種族ではあったが、ヒドラのタフさも先ほど戦って本能的に察知しているロンドには、中々受け入れがたい話であったようだ。
 2枚目の石版の文字に指を走らせ、再生能力について当時でも手を焼いていたことを確認したシシリーは、ヒドラの再生能力に限界があることを知った。
 根気強く、蘇るたびに打ち倒せばいずれは死亡する。
 しかし、この戦法は極めて危険が多く、聖なる火の知識を得るまでは多くの同胞が犠牲になったとある。

「聖なる火…」
「ええ。こっちの石版には、聖なる火の発見の経緯が記述されてるわ。きっと、その火があったから魚人族もヒドラに襲われる側から、狩り立てる立場へと一変したのでしょうね。東方から来た賢者が、魚人族の苦難を知って聖なる火の製法を伝授したのよ」
「賢者って、この子みたいな?」

 アンジェの視線に、シシリーはふるふると首を横に振って否定した。

「いや、フォウじゃなくて……毛深き異形のものって記されてるけど、これは人間のことを言っているのかしら?」
「十中八九そうなのでしょう。ヒドラの再生能力を衰えさせる技となれば、それなりの地位にあった魔法使いだったのではないでしょうか?コミュニケーションが取れていたということは、その賢者も魚人語を解したので間違いないでしょうし…」
「それでシシリー殿。聖なる火の製法とやらは、記してあるかね?」
「多分、四枚目の石版にあるのがそうでしょうね。ええっと…」

 最後の石版に刻まれている文字を読み解こうと必死になったが、彼女は白旗を振るしかなかった。

「駄目…知らない単語が多すぎて解読できないわ…」
「そんな、ここまで来て!」

 叫ぶようなアンジェの言葉に、一同は暗澹となった。
 もうヒドラと真正面から戦いを挑み、蘇るたびに討ち果たすしか方法は残っていないのだろうか…?
 いや、とテアは考えた。

 彼女すら知っていた六角沼の古代民族の伝承を、他に承知している者がいなかったとは考えられない。
 少なくとも、依頼人のアントンは沼の最奥部にあるこの遺跡のことを、知っていたのではあるまいか。
 彼の態度からすれば聖なる火のことは知らないにせよ、そうとは自分でも気づかないまま、何らかの手がかりを握っている可能性はまだ残っている。
 テアはがっくり肩を落とすリーダーに、ある提案をしてみた。

2016/03/05 12:54 [edit]

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