Mon.
丘の上の洋館前編 1 
とある日の≪狼の隠れ家≫にて――。
「今日はずいぶんと外が賑やかだと思わない?」
看板娘がお盆を抱えたまま振り返り、宿の親父さんに訊ねる。
「そりゃ、お前。今日が何の日かわかっての質問だろうな?」
「ああ、そっか!今日は・・・」
自分で答えを思い出した娘さんの台詞は、無骨なブーツの音にかき消された。
目じりに眠気による涙を残したまま、ギルが現れる。

「ふぁー・・・・・・よく寝た。親父、娘さん。おはよう」
「おはよう、ギル」
「何が、おはようだ。今何時だと思ってる。もう昼はとっくに過ぎてるぞ」
「いいじゃん、たまには昼寝しても。俺たち、昨日やっとリューンに帰ってきたんだぜ?」
ギルをリーダーとする”金狼の牙”たちは、先の依頼――元冒険者のモルヴァンがもたらした、満腹食堂への護衛を無事済ませて帰ってきたばかりであった。
「本当にとんでもなく大変な依頼だったんだから。親父には想像できないくらいな」
何しろ、インプに騙された挙句に、国一つを滅ぼす力のある魔族と戦って帰ってきたのである。
「帰ってきて、店の酒を半分以上タダ飲みしといてずいぶんと偉い口をたたけるな、お前」
「だってモルヴァンのおごりだったし」
「ち・・・。残りのやつらは二階で、二日酔いってところだろ」
「まあね。アウロラとミナスにまで無理やりジーニが飲ませてたからな」
親父さんはしばらく腕組みをして考え込んでいたが、「なら」と切り出してきた。
「さっそく仕事を頼みたい」
「仕事?・・・・・・待ってよ、親父さん。俺、疲れてるんだけど」
「なるほど、いい度胸だ。昨日の酒代はモルヴァン請求じゃなく、ツケにざっと足して・・・」
「うおおおお、何てこと言うんだ!鬼か親父さん!」
「さあ、大人しくお使いに行ってきてもらおうか」
ツケの件を持ち出されると非常に弱い。ギルはうつむいて「・・・・・・はい」と受け入れるしかなかった。
さすがに気の毒に思ったらしい娘さんが、
「ごくろうさま、ギル」
と声をかけて朝食を置いてくれる。
くるみ入りパンと野菜の細切りの入ったスープをさっそく腹に収めて満足したギルは、改めて親父さんの顔を見た。
「それで、仕事ってのは?」
「隣の≪プラの樹≫まで行って≪月姫の酒≫を買って来てくれ」

「『ツキヒメのサケ』?」
「そう。今日は『月姫の祭』だからな」
「あのさ・・・『月姫』って、誰?」
ギルはさっぱり分からないという顔である。
親父さんの説明によると、『月姫の祭』とは今から百年ほど前にリューンで起こった事件が発端らしい。
恐ろしい魔物に襲われたリューンを救うため、月姫と呼ばれる女性が戦い、勝利を収めたのだという。
その偉業を称えて行なわれるのが、今日の『月姫の祭』ということである。
「へえー、へえー、へえー。まあ、あんまり役に立つ知識じゃないわな」
親父さんの拳骨がギルの脳天に飛び、かなりいい音を立てた。
・・・・・・彼が現役を離れてどのくらい経つのか、正確に知る者は皆無に近いが、おさおさ今の冒険者達に劣らぬ素早い拳である。
「いてぇ!!・・・・・・何しやがるこのクソ親父!」
「さっさと行って来い。≪月姫の酒≫を五本だぞ。そら、代金だ」
なんと銀貨5000枚の入った重たい皮袋を寄越してきた。
皮袋をわざわざ開けて確かめたギルが目を瞠り、驚きの声を出す。
「5000sp・・・・・・!?超高級品じゃん!」
「そうだ。もし割ったらどうなるかわかるな?」
「・・・・・・わかったよ」
文句を諦めたギルは椅子から立ち上がると、その皮袋を抱え込んで出入り口に向かった。
「いってらっしゃい」と食器を片付けてくれる娘さんから挨拶を貰い、ギルは賑やかな通りへと出る。
常にない華やかで明るい音楽に満ちている。どこか近くの通りで、楽団が演奏しながら行進しているらしい。
「まったく。祭だってのになんでお使いなんか・・・・・・」
途中で近所の奥さん連や、宿の常連である役人とすれ違う。
「あら、ギルバート。おはよう、今日もいい天気ね。最高の祭日和だと思わない?」
そう声をかけてくれたのは、最近結婚したばかりのシアンという若い女性だ。
今日は旦那のためにご馳走を作るらしく、両手に荷物を抱えている。
「おはよう、シアン。随分たくさん荷物持ってるな」
「なんていったって、今日は月姫の命日100周年だもの。あなたもこれから買い物?」
「ああ。親父さんにパシられた」
「今日は、≪月姫の酒≫を飲まずに一日を過ごせないからね。必ず飲みなさいよ」
彼女はそう念を押すと、しっかりとした足取りで近くにある自宅へと帰っていった。
ギルは彼女と分かれると、隣にある≪プラの樹≫の扉を潜る。
≪プラの樹≫は雑貨屋で主に珍しい酒の販売をしており、≪狼の隠れ家≫との冒険者とも懇意にしている店である。
店に入ると、他に誰も客はいなかった。
カウンターの向こう側で、店員のキリルが帳簿を書いていた。

「あら、ギルバート。いらっしゃい。ずいぶん久しぶりじゃない?」
「やあキリル、おはよう。リューンを離れてて、昨日帰ってきたばかりなんだ」
「まあ、そうだったの。見ない間にちょっとやつれたんじゃない?」
そういって、キリルは心配そうに近くにたったギルの顔に手を伸ばした。
「そりゃ、あのクソ親父のせいだな」
ぼそっといった言葉をキリルが聞き返すが、ギルは何でもないと誤魔化すと≪月姫の酒≫を買いに来たことを彼女に話した。
「在庫はあるかな?」
「ああ、うん。今日は一番売れてるわ。なにせ『月姫の祭』だもんね」
ここでギルは首をかしげながら質問した。
「なあなあ、その月姫ってのはそんなに有名で偉いのか?」
北方の小村から、母親との同居をきっかけにリューンに越してきて数年経つが、ギルの知識にはそんな祭や姫のことはなかった。初耳である。
「そりゃあ、偉大な人よ。月姫の話はリューンでもかなり有名な伝説なんだから」
「どういう話?俺、元々リューンの出身じゃねえんだよ」
「まあ、それじゃ知らないのも無理ないのかしらね」
そう言って、キリルは帳簿を畳んでから説明を始めた。
「今から100年前のこと。リューンには強大な魔力を持った月姫っていう子がいたの。月姫は悪魔祓いや怪我の治療・・・・・・最高の神官として、リューンのために全力を注いでいたらしいわ」
「へえ・・・」
ギルは感心の声をもらした。神官、ということならあるいはアウロラなら詳しく知っているのかもしれない。
「でもある日、恐ろしい赤い魔物がリューンにやって来てね。月姫はその魔物を倒してリューンを救ったらしいわ。――命と引き換えにね」
今日は、先程もシアンが通りで言っていたように、命日からちょうど100年が経つ。それでこれだけの大騒ぎになっているのだという。
「≪月姫の酒≫は月姫の好きだった薔薇を入れたお酒なのよ。命日だけこのお酒を飲む習慣があるの」
キリルはそこで悪戯っぽく舌を出して、「まあ実際は、めでたい事がある度によくのまれるんだけどね」と付け加えた。
首肯したギルは、「なるほど、よくわかったよ」と礼を言って≪狼の隠れ家≫の注文を申し出た。
「五本だそうだ」
「わかったわ。ちょっと待ってて。取ってくるから」
キリルは奥の倉庫に酒を取りに行った。
あんな華奢な彼女に五本も持たせるのは気が引けるな、とギルはそわそわした。
手伝いを申し出た方がいいのかもしれない――そう考えたギルがキリルを手伝おうと、倉庫の方に向かおうとした時だった。
軽やかなベルの音が店内に響く。
「ん?客か?」
振り返ると、幼い金髪の少女がこっちを向いて立っていた。
「今日はずいぶんと外が賑やかだと思わない?」
看板娘がお盆を抱えたまま振り返り、宿の親父さんに訊ねる。
「そりゃ、お前。今日が何の日かわかっての質問だろうな?」
「ああ、そっか!今日は・・・」
自分で答えを思い出した娘さんの台詞は、無骨なブーツの音にかき消された。
目じりに眠気による涙を残したまま、ギルが現れる。

「ふぁー・・・・・・よく寝た。親父、娘さん。おはよう」
「おはよう、ギル」
「何が、おはようだ。今何時だと思ってる。もう昼はとっくに過ぎてるぞ」
「いいじゃん、たまには昼寝しても。俺たち、昨日やっとリューンに帰ってきたんだぜ?」
ギルをリーダーとする”金狼の牙”たちは、先の依頼――元冒険者のモルヴァンがもたらした、満腹食堂への護衛を無事済ませて帰ってきたばかりであった。
「本当にとんでもなく大変な依頼だったんだから。親父には想像できないくらいな」
何しろ、インプに騙された挙句に、国一つを滅ぼす力のある魔族と戦って帰ってきたのである。
「帰ってきて、店の酒を半分以上タダ飲みしといてずいぶんと偉い口をたたけるな、お前」
「だってモルヴァンのおごりだったし」
「ち・・・。残りのやつらは二階で、二日酔いってところだろ」
「まあね。アウロラとミナスにまで無理やりジーニが飲ませてたからな」
親父さんはしばらく腕組みをして考え込んでいたが、「なら」と切り出してきた。
「さっそく仕事を頼みたい」
「仕事?・・・・・・待ってよ、親父さん。俺、疲れてるんだけど」
「なるほど、いい度胸だ。昨日の酒代はモルヴァン請求じゃなく、ツケにざっと足して・・・」
「うおおおお、何てこと言うんだ!鬼か親父さん!」
「さあ、大人しくお使いに行ってきてもらおうか」
ツケの件を持ち出されると非常に弱い。ギルはうつむいて「・・・・・・はい」と受け入れるしかなかった。
さすがに気の毒に思ったらしい娘さんが、
「ごくろうさま、ギル」
と声をかけて朝食を置いてくれる。
くるみ入りパンと野菜の細切りの入ったスープをさっそく腹に収めて満足したギルは、改めて親父さんの顔を見た。
「それで、仕事ってのは?」
「隣の≪プラの樹≫まで行って≪月姫の酒≫を買って来てくれ」

「『ツキヒメのサケ』?」
「そう。今日は『月姫の祭』だからな」
「あのさ・・・『月姫』って、誰?」
ギルはさっぱり分からないという顔である。
親父さんの説明によると、『月姫の祭』とは今から百年ほど前にリューンで起こった事件が発端らしい。
恐ろしい魔物に襲われたリューンを救うため、月姫と呼ばれる女性が戦い、勝利を収めたのだという。
その偉業を称えて行なわれるのが、今日の『月姫の祭』ということである。
「へえー、へえー、へえー。まあ、あんまり役に立つ知識じゃないわな」
親父さんの拳骨がギルの脳天に飛び、かなりいい音を立てた。
・・・・・・彼が現役を離れてどのくらい経つのか、正確に知る者は皆無に近いが、おさおさ今の冒険者達に劣らぬ素早い拳である。
「いてぇ!!・・・・・・何しやがるこのクソ親父!」
「さっさと行って来い。≪月姫の酒≫を五本だぞ。そら、代金だ」
なんと銀貨5000枚の入った重たい皮袋を寄越してきた。
皮袋をわざわざ開けて確かめたギルが目を瞠り、驚きの声を出す。
「5000sp・・・・・・!?超高級品じゃん!」
「そうだ。もし割ったらどうなるかわかるな?」
「・・・・・・わかったよ」
文句を諦めたギルは椅子から立ち上がると、その皮袋を抱え込んで出入り口に向かった。
「いってらっしゃい」と食器を片付けてくれる娘さんから挨拶を貰い、ギルは賑やかな通りへと出る。
常にない華やかで明るい音楽に満ちている。どこか近くの通りで、楽団が演奏しながら行進しているらしい。
「まったく。祭だってのになんでお使いなんか・・・・・・」
途中で近所の奥さん連や、宿の常連である役人とすれ違う。
「あら、ギルバート。おはよう、今日もいい天気ね。最高の祭日和だと思わない?」
そう声をかけてくれたのは、最近結婚したばかりのシアンという若い女性だ。
今日は旦那のためにご馳走を作るらしく、両手に荷物を抱えている。
「おはよう、シアン。随分たくさん荷物持ってるな」
「なんていったって、今日は月姫の命日100周年だもの。あなたもこれから買い物?」
「ああ。親父さんにパシられた」
「今日は、≪月姫の酒≫を飲まずに一日を過ごせないからね。必ず飲みなさいよ」
彼女はそう念を押すと、しっかりとした足取りで近くにある自宅へと帰っていった。
ギルは彼女と分かれると、隣にある≪プラの樹≫の扉を潜る。
≪プラの樹≫は雑貨屋で主に珍しい酒の販売をしており、≪狼の隠れ家≫との冒険者とも懇意にしている店である。
店に入ると、他に誰も客はいなかった。
カウンターの向こう側で、店員のキリルが帳簿を書いていた。

「あら、ギルバート。いらっしゃい。ずいぶん久しぶりじゃない?」
「やあキリル、おはよう。リューンを離れてて、昨日帰ってきたばかりなんだ」
「まあ、そうだったの。見ない間にちょっとやつれたんじゃない?」
そういって、キリルは心配そうに近くにたったギルの顔に手を伸ばした。
「そりゃ、あのクソ親父のせいだな」
ぼそっといった言葉をキリルが聞き返すが、ギルは何でもないと誤魔化すと≪月姫の酒≫を買いに来たことを彼女に話した。
「在庫はあるかな?」
「ああ、うん。今日は一番売れてるわ。なにせ『月姫の祭』だもんね」
ここでギルは首をかしげながら質問した。
「なあなあ、その月姫ってのはそんなに有名で偉いのか?」
北方の小村から、母親との同居をきっかけにリューンに越してきて数年経つが、ギルの知識にはそんな祭や姫のことはなかった。初耳である。
「そりゃあ、偉大な人よ。月姫の話はリューンでもかなり有名な伝説なんだから」
「どういう話?俺、元々リューンの出身じゃねえんだよ」
「まあ、それじゃ知らないのも無理ないのかしらね」
そう言って、キリルは帳簿を畳んでから説明を始めた。
「今から100年前のこと。リューンには強大な魔力を持った月姫っていう子がいたの。月姫は悪魔祓いや怪我の治療・・・・・・最高の神官として、リューンのために全力を注いでいたらしいわ」
「へえ・・・」
ギルは感心の声をもらした。神官、ということならあるいはアウロラなら詳しく知っているのかもしれない。
「でもある日、恐ろしい赤い魔物がリューンにやって来てね。月姫はその魔物を倒してリューンを救ったらしいわ。――命と引き換えにね」
今日は、先程もシアンが通りで言っていたように、命日からちょうど100年が経つ。それでこれだけの大騒ぎになっているのだという。
「≪月姫の酒≫は月姫の好きだった薔薇を入れたお酒なのよ。命日だけこのお酒を飲む習慣があるの」
キリルはそこで悪戯っぽく舌を出して、「まあ実際は、めでたい事がある度によくのまれるんだけどね」と付け加えた。
首肯したギルは、「なるほど、よくわかったよ」と礼を言って≪狼の隠れ家≫の注文を申し出た。
「五本だそうだ」
「わかったわ。ちょっと待ってて。取ってくるから」
キリルは奥の倉庫に酒を取りに行った。
あんな華奢な彼女に五本も持たせるのは気が引けるな、とギルはそわそわした。
手伝いを申し出た方がいいのかもしれない――そう考えたギルがキリルを手伝おうと、倉庫の方に向かおうとした時だった。
軽やかなベルの音が店内に響く。
「ん?客か?」
振り返ると、幼い金髪の少女がこっちを向いて立っていた。
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