命を失くした話 1
木枯らしが吹き付ける。空気も乾燥してきた。もう雪の季節も近いのだろう。
それはそうと――毎度の事ながら――この階段は昇り降りが辛い、とエセルは思う。
エセルの生まれた村ではこのような階段が所々に見られた。
「うわん!」
「わ!?きゃあッー!」
犬に吠えられてバランスを崩してしまった。エセルは昔からこの野良犬に対しては、苦い思い出しかない。
その華奢な身体をがっしと支えた人影があった。
「エセル!」

「あ・・・」
「大丈夫か?」
エセルは彼――ギルバート――に抱きかかえられる形になっていた。
ギルバートはずば抜けた長身というほどでもないが、触れてみるとかなり逞しい体躯をしている。
エセルは神速で顔を真っ赤にすると、光に負けない速さで体勢を立て直した。
「ご、ごめんね。ありがとう・・・」
「いや、礼には及ばない。困った時はお互い様だ」
ギルバートは一週間ほど前にこの村にやってきた旅人だ。
年は19歳。黒い髪と双眸をした、やんちゃさがよく滲み出た感じの青年である。
何でも、南の方の大都市であるリューンから来たと言っていた。
彼はここが気に入ったらしい。
普段なら同じ場所に5日もいると飽きが来るが今回は特別長く滞在しているな、と子供っぽい笑顔で話していた。
この村にいる間、ギルバートはエセルの家に泊まっている。
年頃の娘がいるのになんと配慮の無い父親だろうかと呆れたこともあったが・・・。
エセルは短い時間で、この男に対する警戒心が溶けていくのを感じていた。
「ちゃんと足元に気をつけろよ」
ギルバートはゆっくりとエセルを振り仰ぐ。
その無邪気といっていい顔を見ながら、エセルは昨日の父とギルバートの様子を思い出した。
(昨日、嫁にやるだの何だのと言ってた気がする・・・。)
エセルの父はギルバートをベタ褒めしていた。
母や祖母がいれば、そういう婚姻のことを同性として相談も出来るのだが、エセルの祖母は既に亡く、母は生まれた時に亡くなった。
それどころか――この村で、女性はエセルしかいない。
村長はエセルがギルバートと一緒にいるのを好ましく思っていない。
村で唯一の女性だからこその不安から来るものだと思われた。
「ほら、エセル。荷物持ってやるから。早く家に帰ろう」
ギルバートは私が抱えていたじゃがいもが沢山入った籠を持つと歩き出した。
西の山の裾にまるで逃げ込むように沈む太陽は、夜の訪れを告げる・・・。
二人の辿り着いたエセルの家は、簡素であるが暖かい家庭を毎日楽しむことが出来る。
生まれ育ったそこは、父親が築いてくれた大事な空間だった。
その父といえば、夜から村長宅で月に一度の会合があるとエセルに言っていた。
ゆえに、夕食はエセルとギルバートの二人分を作ればいいらしい。
「さぁさ、座って座って」
エセルの勧めに、ギルバートはきしみをあげる簡素な椅子に腰をおろした。
「今日はエセル特製、じゃがいものシチューだよ。少し、待っててね」
「ああ、よろしく」
彼は少しだけ笑った。
彼女の言うエセル特製、というのはただ単にじゃがいもを大量に使っただけのシチューのことを指すのである。
ギルバートがこの村に来た晩にこの料理を振舞ったが、そのとき彼は、あまりのじゃがいもの多さに驚きを隠せないようだった。
(好きなんだから仕方ないじゃない・・・)
エセルは呆れたように笑ったギルバートを思い出し、心の中でそう呟いた。
本気で呆れたわけではなく、その後ですぐに「まあ、じゃがいもは美味いよな。俺も好きだよ」と言ってくれたので、エセルも怒らずにいられたのだが。
食事は和やかに進んだ。主に喋っていたのはエセルだったが――。
「・・・でね、大変だったんだから。ハリス君は泣いちゃうし、お兄さんも大慌てでね」
「それで持ってたじゃがいもをぶつけて追い返しちゃったのか。そりゃ野犬も災難だったな」
「それからかな、じゃがいもが大好きになって犬が苦手になったのって・・・」
「へぇ・・・」
他愛の無い話である。
十数年間の思い出を一気に語ってしまった気がするエセルは、白湯を飲んで咽喉の渇きを癒した。
ギルバートはいつもエセルの話をうんうんと頷いて聞いていた。
エセルはそれが嬉しくて、つい話してばっかりだということに気が付いた。

「あ、あのさ、ギルバートさん」
「何?」
「もし、明日もこの村にいるのなら・・・ちょっと私に付き合ってくれない?」
お下げの髪を揺らしながらエセルは懇願する。
「見せたいものがあるの・・・」
暫しの沈黙――エセルは自分自身が異常に緊張しているのが分かった。
ギルバートは不思議な・・・今までの子供っぽさが鳴りを潜めたような真剣な表情で、静かに告げた。
「悪い・・・。俺、明日にはこの村を出発しようと考えてる」
「あ、そ、そうなんだ・・・。それもそうだよね。いつまでもこの村にいるわけにもいかないしね・・・」
「ごめんな、エセル・・・この村にエセルという女の子がいたこと、俺は決して忘れない・・・」
「え、あ、ありがと・・・お、おやすみなさいっ!」
エセルはだんだんと頬が熱くなってきたのを感じ、逃げるように自分の部屋へ向かった。
背後から苦笑しているであろうギルバートからおやすみ、と返ってきた。
ばたん、というエセルのドアを閉める音が聞こえてきて、ギルバートは深く溜息をついた。
「さて・・・」
それはそうと――毎度の事ながら――この階段は昇り降りが辛い、とエセルは思う。
エセルの生まれた村ではこのような階段が所々に見られた。
「うわん!」
「わ!?きゃあッー!」
犬に吠えられてバランスを崩してしまった。エセルは昔からこの野良犬に対しては、苦い思い出しかない。
その華奢な身体をがっしと支えた人影があった。
「エセル!」

「あ・・・」
「大丈夫か?」
エセルは彼――ギルバート――に抱きかかえられる形になっていた。
ギルバートはずば抜けた長身というほどでもないが、触れてみるとかなり逞しい体躯をしている。
エセルは神速で顔を真っ赤にすると、光に負けない速さで体勢を立て直した。
「ご、ごめんね。ありがとう・・・」
「いや、礼には及ばない。困った時はお互い様だ」
ギルバートは一週間ほど前にこの村にやってきた旅人だ。
年は19歳。黒い髪と双眸をした、やんちゃさがよく滲み出た感じの青年である。
何でも、南の方の大都市であるリューンから来たと言っていた。
彼はここが気に入ったらしい。
普段なら同じ場所に5日もいると飽きが来るが今回は特別長く滞在しているな、と子供っぽい笑顔で話していた。
この村にいる間、ギルバートはエセルの家に泊まっている。
年頃の娘がいるのになんと配慮の無い父親だろうかと呆れたこともあったが・・・。
エセルは短い時間で、この男に対する警戒心が溶けていくのを感じていた。
「ちゃんと足元に気をつけろよ」
ギルバートはゆっくりとエセルを振り仰ぐ。
その無邪気といっていい顔を見ながら、エセルは昨日の父とギルバートの様子を思い出した。
(昨日、嫁にやるだの何だのと言ってた気がする・・・。)
エセルの父はギルバートをベタ褒めしていた。
母や祖母がいれば、そういう婚姻のことを同性として相談も出来るのだが、エセルの祖母は既に亡く、母は生まれた時に亡くなった。
それどころか――この村で、女性はエセルしかいない。
村長はエセルがギルバートと一緒にいるのを好ましく思っていない。
村で唯一の女性だからこその不安から来るものだと思われた。
「ほら、エセル。荷物持ってやるから。早く家に帰ろう」
ギルバートは私が抱えていたじゃがいもが沢山入った籠を持つと歩き出した。
西の山の裾にまるで逃げ込むように沈む太陽は、夜の訪れを告げる・・・。
二人の辿り着いたエセルの家は、簡素であるが暖かい家庭を毎日楽しむことが出来る。
生まれ育ったそこは、父親が築いてくれた大事な空間だった。
その父といえば、夜から村長宅で月に一度の会合があるとエセルに言っていた。
ゆえに、夕食はエセルとギルバートの二人分を作ればいいらしい。
「さぁさ、座って座って」
エセルの勧めに、ギルバートはきしみをあげる簡素な椅子に腰をおろした。
「今日はエセル特製、じゃがいものシチューだよ。少し、待っててね」
「ああ、よろしく」
彼は少しだけ笑った。
彼女の言うエセル特製、というのはただ単にじゃがいもを大量に使っただけのシチューのことを指すのである。
ギルバートがこの村に来た晩にこの料理を振舞ったが、そのとき彼は、あまりのじゃがいもの多さに驚きを隠せないようだった。
(好きなんだから仕方ないじゃない・・・)
エセルは呆れたように笑ったギルバートを思い出し、心の中でそう呟いた。
本気で呆れたわけではなく、その後ですぐに「まあ、じゃがいもは美味いよな。俺も好きだよ」と言ってくれたので、エセルも怒らずにいられたのだが。
食事は和やかに進んだ。主に喋っていたのはエセルだったが――。
「・・・でね、大変だったんだから。ハリス君は泣いちゃうし、お兄さんも大慌てでね」
「それで持ってたじゃがいもをぶつけて追い返しちゃったのか。そりゃ野犬も災難だったな」
「それからかな、じゃがいもが大好きになって犬が苦手になったのって・・・」
「へぇ・・・」
他愛の無い話である。
十数年間の思い出を一気に語ってしまった気がするエセルは、白湯を飲んで咽喉の渇きを癒した。
ギルバートはいつもエセルの話をうんうんと頷いて聞いていた。
エセルはそれが嬉しくて、つい話してばっかりだということに気が付いた。

「あ、あのさ、ギルバートさん」
「何?」
「もし、明日もこの村にいるのなら・・・ちょっと私に付き合ってくれない?」
お下げの髪を揺らしながらエセルは懇願する。
「見せたいものがあるの・・・」
暫しの沈黙――エセルは自分自身が異常に緊張しているのが分かった。
ギルバートは不思議な・・・今までの子供っぽさが鳴りを潜めたような真剣な表情で、静かに告げた。
「悪い・・・。俺、明日にはこの村を出発しようと考えてる」
「あ、そ、そうなんだ・・・。それもそうだよね。いつまでもこの村にいるわけにもいかないしね・・・」
「ごめんな、エセル・・・この村にエセルという女の子がいたこと、俺は決して忘れない・・・」
「え、あ、ありがと・・・お、おやすみなさいっ!」
エセルはだんだんと頬が熱くなってきたのを感じ、逃げるように自分の部屋へ向かった。
背後から苦笑しているであろうギルバートからおやすみ、と返ってきた。
ばたん、というエセルのドアを閉める音が聞こえてきて、ギルバートは深く溜息をついた。
「さて・・・」