Fri.
L'avenir ou la Mortその3 
「これは――いい景色ですね」
「はい。上から見ると、街はあんな風なんですね……まるで精巧な箱庭みたい……」
オーガが拳で真っ二つにした大岩から抜け出ると、そこは山の頂上へ続く道になっていた。
あの大岩で出口を塞いだのはオーガの仕業だろうが、何故彼らがそんなことをしたのかは不明である。
ただ、大変な目に遭った洞窟から、一刻も早く距離を置きたいナディの心情は、ミカには手に取るように分かったので、促されるまま上り坂を上がっていき、無事に頂まで辿り着いたのである。
「はい。上から見ると、街はあんな風なんですね……まるで精巧な箱庭みたい……」
オーガが拳で真っ二つにした大岩から抜け出ると、そこは山の頂上へ続く道になっていた。
あの大岩で出口を塞いだのはオーガの仕業だろうが、何故彼らがそんなことをしたのかは不明である。
ただ、大変な目に遭った洞窟から、一刻も早く距離を置きたいナディの心情は、ミカには手に取るように分かったので、促されるまま上り坂を上がっていき、無事に頂まで辿り着いたのである。
-- 続きを読む --
麓の街の風景はおろか、登山の途中で世話になったせせらぎの本流も見える。
2人は眺望に目を細めて一息ついていたが、比較的負担の少ない魔法だけ唱えていたからか、あるいは単純に若いからか、先に呼吸を整えたナディが立ち上がった。
ある場所へ向かおうとするのに、慌ててミカがついていく。
「あなた、いったいどこへ――?」
「アステル先生へプレゼントを」
答えながらも、少女の脚は前へ前へ進んでいく。
山頂にほど近い斜面には、ピンクや黄色などの様々な花が咲き乱れていた。
どうやら、ナディの目的地はそこのようだ。
獣やモンスターの潜む様子はとりあえず感じられず、ミカは黙ってナディのしたいようにさせることにした。

「……賢者の塔では、数年前から修了試験の時に花を摘んできて、それを墓地にお供えするというしきたりがあるんです。最初にやり始めたのは、アステル先生に師事していた私の姉弟子でした」
今でも亡くなった魔術師を慕う弟子たちや、その最期を聞いて悼む者たちが、最初に供えられた花に続き――アステルとは違う死者たちにも、次第に捧げられるようになったのだろう。
しかし、ナディが摘もうとしているのは、ただ一人のために送られるべき物であり、【感謝】の花言葉をもつ白い釣鐘草だった。
「……無事にリューンに帰って、お墓に報告しましょうね」
「はい。それでは、日の暮れないうちに山を下りましょう!」
”修了試験”で連れとなった魔術師と魔術師見習いは、他愛無い話に盛り上がりながら、下山道を移動することなった。
2人とも内向的な性格ではあったが、かえって、それが親しみを生む結果になったのかもしれない――はたから見れば、今日が初対面だということも、ナディがかなりの人見知りだということも分からないだろう。
そして、ようやく中腹の川を越え、あと半刻程で麓までたどり着けそうな時だった。
一際強く生温い風が通り抜け、2人の女性の髪を乱す。
天候の変わりやすい山の中、先ほどまで青かった空が、突如として灰色の雲に覆われて暗くなり始め、冷たい雫がぽつりと頬に落ちる。
「雨だわ、急がないと」
「山の天気って、本当にあっという間に変わるんですね…」
「麓まではもうそんなに遠くありません。行きましょう」
はぐれないようナディの手を引いて、ミカは登山口へと向かった。
あまりに視界が悪い時なら、下手に動かず一箇所に留まるのが賢いやり方だが、幸いそこまで見えないわけではない。
滑り落ちる危険性を避けて、川沿いからは身を離して進む。
マントの裾がさすがに泥だらけになり、降る雨に身体が冷え切っていたが、2人は不快感以上のものには煩わされず麓へ――そのはずだった。
雷かと思うような轟きが響いた。
しかし、一向に閃光が満ちる様子はなく、不審に思ったミカが立ち止まった時、視界に映り込むものがあった。
最初は、山の一部が動いたのかと思った。
だが、黒い塊のように見えるそれから、くねるように尖ったものがあると見て取った瞬間、ミカはナディの手を離し、少女に注意を促した。
「ミノタウロス!」
ミカの目が捉えたのは、牛頭人身の怪物の角だったのだ!
「……あいつなんです」
「ナディ……」
「あの化け物なんです。先生を、生徒を庇ったアステル先生を殺したのは……お願いです、ミカさん。私に力を貸してください!」
ナディの鋭い観察眼には、ミノタウロスの腕に突き刺さり、食い込んだままになっている鎖の一部が見えた。
見覚えのあるそれは、亡くなった師匠が服に仕込んでいたものだ――間違いない、この個体こそが、2年前の犯人なのだろう。
どちらにしろ、目の前の怪物をやっつけなければ、麓に下りることもできない。
ミカは小さく頷くと、単体の目標へ向けて桜の花弁の矢を撃ち込んだ。
無力な獲物だと思っていた相手から思わぬ痛打を受け、ミノタウロスは怒りの咆哮を放った。
続けざまに炎の弾丸をナディが放ったが、まだミカとは違い見習いである彼女の魔力では、分厚い皮膚の表面を焦がすことしかできない。
自分の無力さに地団駄を踏まんばかりの表情になったナディに、ミカは毒花の魔力を集めつつ声をかけた。
「もっと頭を使いましょう、ナディ。空は雨雲が広がり、相手には金属が刺さっているのですよ!」
その言葉にハッとなったナディが、洞窟でも唱えた呪文を紡ぎ出す。
小さな稲妻を放つ魔法だ。
怪物が不愉快な毒の花の臭気に気をとられている間に完成した術が、紫電となって逞しい腕へ――正確には、破損したまま刺さっている鎖へ命中する。
続けて、目を開けていられないほどの閃光と轟音が、辺りを支配した。
「――っゥ!!」
ミノタウロスは恐らく、断末魔を叫んだのだろうが――全ては炭に変わったのかもしれない。
ナディの稲妻が呼び水となり、魔術師アステルの遺した鎖へ自然の雷が落ちたのだ。
これには、いかにタフさを誇るモンスターも抵抗のしようがなかったようだ。
強烈なエネルギーの奔流を、当たらなかったとはいえ近くで感じてへなへなとへたり込んだナディが、ようやく聴覚の欠片を取り戻した時――。
ミカがため息を吐いた後に呟いた。
「妙ですね――ミノタウロスは一体だけですか?」
依頼主からの話では、複数いたように思ったのだが……。
ミカが訝しく眉をひそめた時、がしゃん、という音が響いた。
ぎょっとしたナディが杖を音の主に向け、魔力を集めようとすると、それを遮るように親しげなミカの声が彼女の動きを停止した。
「まあ。ナイト、わざわざ迎えに来たんですか?」
「迎えに来たといえばそうだが、今は、この辺りに出るようになったミノタウロスを片付けていた。ここに出るのがいると、宿の他のパーティが教えてくれてな」
「あら……噂になっていたんですね」
「複数の内、一体を討ち洩らして追ってきたのだが……」
ナイトの兜が、かつてモンスターだった黒焦げの塊に向いた。
「主が処理してくれたとは」
「いえ、私ではありませんよ。こちらの私の同行者です」
「――そうか」
黒いつや消しの鎧が、騎士が貴婦人に礼をとるような動きをしてみせた。
「若き魔術師殿、お初にお目にかかる。私はナイト。この人の従者だ」
「じゅ、従者……リビングメイルの……?」
「ええ、ナディ。私の信頼する相棒です」
にっこり笑ったミカは、呆然と鎧を見やるナディと、堅苦しく礼を取ったままのナイトを促し、賢者の搭へ向かうことにした。
――この後。三人に増えた彼らは、ナディが亡師の墓前へ花を供えに行くのに付き合った。
彼女は花を手向けると、ミカへひとつ質問をした。
「……ミカさん。夢って、ありますか?」
「そうですね……私は立派な魔術師になりたいです。みんなに誇れるほどの。そして……」
ミカは静かに目を閉じた。
閉じた瞼の中に、プレーンウォーカーと呼ばれる異次元から来た魔女の最期や、身体を望まない変異に晒されたロバート・ライリーとの別れの場面が浮かぶ。
どれだけ優秀な魔術師でも、どれだけ強力な魔力を持っていても、あっけない終わりや恐ろしい未来が待っている時がある。
だが、傍らにある従者や、今まで一緒に戦ってくれた仲間たちといる限り、『立派な魔術師になりたい』というこの夢が、立ち消えることはないだろう。
「あなたの先生のように、誰かを守り通し多くの人から慕われる、そんな人になりたいです」
「――!」
驚いたナディは、つり上がり気味の目を丸く見開いていたが、やがて頬を上気させてこくこくと頷いた。
「私もです!いつかは、亡きアステル先生のように、周りから尊敬されるような魔術師になりたいと思っています」
「同じ目標ですね――負けませんよ」
「――はいっ!」
ナディは、夢を語る後輩としてではなく、同じ夢を掲げる同志としてミカが握手を求めてくれたのだと理解した。
「もし私に相談したいことがあれば、≪狼の隠れ家≫にいらっしゃい。いつでも歓迎しますよ」
「≪狼の隠れ家≫――覚えておきますね。本当に、ありがとうございました。ミカさんとこうして冒険できて、とても楽しかったです」
”一緒に冒険できて、とても楽しかった。”
ナディのその台詞が、かつてミカ自身も今のリーダーに向けたものだと気づいた時、ミカの顔に、懐かしいような、誇らしげな微笑みが浮かんだ。
そう、どんな見習いだって、いつかは成長するものなのだ。
依頼主から銀貨1050枚と、報酬のおまけまで受け取り、主従はすっかり暗くなった街中を常宿の方角へ歩き始めた。
※収入:報酬1050sp+100sp(樽の中)、≪魔道士の杖≫
※支出:
※その他:
※シレイユ様のL'avenir ou la Mortクリア!
--------------------------------------------------------
71回目のお仕事はソロシナリオから、シレイユ様のL'avenir ou la Mortです。
前からのメンバーはすでに10レベルに達しているのですが、中途採用組……取り分けミカはまだちょっとだけ経験点が低いので、それを補うためにひとりで頑張って貰うことにしました。
リプレイ中では心配性の従者が迎えに来ておりますが、これは本筋にはありません。
本当に2人きりの魔法使いたちに、複数相手の連戦が待ち受けるシナリオですので、これから初めて遊ぶ方には、よくよく手札を考えてトライしていただきたいと思います。のんびり毒を仕込むより、攻撃したほうが早かった(笑)。
ただひとつ注意したいのは、私が今回プレイしたバージョンは公開時のものであり、シレイユさんが完成させたバージョンではないということです。
設定や難易度の調整などのご都合により、最新版では最終的なラスボスが変更となっております。
どんなボスが出てきてくれるのかは……シレイユさんの現在公開してらっしゃる正式版を遊んでみて下さい。楽しいよ。
それ以外にも今回のリプレイは、ちょくちょくシナリオ本編との相違点があります。
ナディは別にアステル先生の直弟子ではなかったのですが、筆を進めるにあたり、ナディの意気込みや最後の場面の握手に繋ぐまでに、どうしてもその方が良かったので、作者であるシレイユ様に伺って設定を変えました。
シレイユ様、お忙しい中でご返答と変更の許可をいただき、真にありがとうございました。
人見知りはするけど、健気で夢に向かって確実な一歩を進もうとしているナディは、連れ込みが可能なNPCです。
数値的には、どちらかというと生命力が高めなので、健康的でアウトドアにも適応できる女の子として描写しております。
報酬のおまけにもらった杖を渡して、彼女に合うような魔法を店フォルダの束から探すのも楽しいかも。
シナリオ上では先生がどんな最期を迎え、どんな魔法を得意としたかの描写がなかったので、色々想像して描いています。
こっちの方はもしかしたらシレイユ様の本来の設定と違うかと思いますが、各自、アステル先生がどんな方だったかは、作者様によるイメージに沿って下さい。
リプレイで私が勝手に語っている、アステル先生が生徒用に開発した魔法のイメージは、リューン旧街道の魔術です。
文章にある術が実際に置いてあるのですが、現在は残念ながらSIGさんのシナリオがあるベクターからは消されているようで、非常に残念です。銃とかも置いてあって、そのカード絵がまた格好いいのに…。
付け加えた想像部分などのために、また、ない筈のクロスオーバーをしています。
レイド・クラウンという暗殺者=机庭球様の新人と私
ロバート・ライリーという搭所属の魔術師=mahipipa様の永遠なる花盗人
旧街道の一角=SIG様のリューン旧街道
プレーンウォーカーと呼ばれる異次元から来た魔女=吹雪様のくろがねのファンタズマ
でもまあ、プレイしたキャラであるミカ自身が連れ込みなので、クロスになるのは既に仕方ないというか……彼女のリプレイ内での言動や考え方もまた、吹雪様の想定から外れている可能性は高いのですけどね。
でも、ひどい目に遭ってきたからこそ希望を失わない、そんな強さをミカには持っていて欲しいと思います。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2人は眺望に目を細めて一息ついていたが、比較的負担の少ない魔法だけ唱えていたからか、あるいは単純に若いからか、先に呼吸を整えたナディが立ち上がった。
ある場所へ向かおうとするのに、慌ててミカがついていく。
「あなた、いったいどこへ――?」
「アステル先生へプレゼントを」
答えながらも、少女の脚は前へ前へ進んでいく。
山頂にほど近い斜面には、ピンクや黄色などの様々な花が咲き乱れていた。
どうやら、ナディの目的地はそこのようだ。
獣やモンスターの潜む様子はとりあえず感じられず、ミカは黙ってナディのしたいようにさせることにした。

「……賢者の塔では、数年前から修了試験の時に花を摘んできて、それを墓地にお供えするというしきたりがあるんです。最初にやり始めたのは、アステル先生に師事していた私の姉弟子でした」
今でも亡くなった魔術師を慕う弟子たちや、その最期を聞いて悼む者たちが、最初に供えられた花に続き――アステルとは違う死者たちにも、次第に捧げられるようになったのだろう。
しかし、ナディが摘もうとしているのは、ただ一人のために送られるべき物であり、【感謝】の花言葉をもつ白い釣鐘草だった。
「……無事にリューンに帰って、お墓に報告しましょうね」
「はい。それでは、日の暮れないうちに山を下りましょう!」
”修了試験”で連れとなった魔術師と魔術師見習いは、他愛無い話に盛り上がりながら、下山道を移動することなった。
2人とも内向的な性格ではあったが、かえって、それが親しみを生む結果になったのかもしれない――はたから見れば、今日が初対面だということも、ナディがかなりの人見知りだということも分からないだろう。
そして、ようやく中腹の川を越え、あと半刻程で麓までたどり着けそうな時だった。
一際強く生温い風が通り抜け、2人の女性の髪を乱す。
天候の変わりやすい山の中、先ほどまで青かった空が、突如として灰色の雲に覆われて暗くなり始め、冷たい雫がぽつりと頬に落ちる。
「雨だわ、急がないと」
「山の天気って、本当にあっという間に変わるんですね…」
「麓まではもうそんなに遠くありません。行きましょう」
はぐれないようナディの手を引いて、ミカは登山口へと向かった。
あまりに視界が悪い時なら、下手に動かず一箇所に留まるのが賢いやり方だが、幸いそこまで見えないわけではない。
滑り落ちる危険性を避けて、川沿いからは身を離して進む。
マントの裾がさすがに泥だらけになり、降る雨に身体が冷え切っていたが、2人は不快感以上のものには煩わされず麓へ――そのはずだった。
雷かと思うような轟きが響いた。
しかし、一向に閃光が満ちる様子はなく、不審に思ったミカが立ち止まった時、視界に映り込むものがあった。
最初は、山の一部が動いたのかと思った。
だが、黒い塊のように見えるそれから、くねるように尖ったものがあると見て取った瞬間、ミカはナディの手を離し、少女に注意を促した。
「ミノタウロス!」
ミカの目が捉えたのは、牛頭人身の怪物の角だったのだ!
「……あいつなんです」
「ナディ……」
「あの化け物なんです。先生を、生徒を庇ったアステル先生を殺したのは……お願いです、ミカさん。私に力を貸してください!」
ナディの鋭い観察眼には、ミノタウロスの腕に突き刺さり、食い込んだままになっている鎖の一部が見えた。
見覚えのあるそれは、亡くなった師匠が服に仕込んでいたものだ――間違いない、この個体こそが、2年前の犯人なのだろう。
どちらにしろ、目の前の怪物をやっつけなければ、麓に下りることもできない。
ミカは小さく頷くと、単体の目標へ向けて桜の花弁の矢を撃ち込んだ。
無力な獲物だと思っていた相手から思わぬ痛打を受け、ミノタウロスは怒りの咆哮を放った。
続けざまに炎の弾丸をナディが放ったが、まだミカとは違い見習いである彼女の魔力では、分厚い皮膚の表面を焦がすことしかできない。
自分の無力さに地団駄を踏まんばかりの表情になったナディに、ミカは毒花の魔力を集めつつ声をかけた。
「もっと頭を使いましょう、ナディ。空は雨雲が広がり、相手には金属が刺さっているのですよ!」
その言葉にハッとなったナディが、洞窟でも唱えた呪文を紡ぎ出す。
小さな稲妻を放つ魔法だ。
怪物が不愉快な毒の花の臭気に気をとられている間に完成した術が、紫電となって逞しい腕へ――正確には、破損したまま刺さっている鎖へ命中する。
続けて、目を開けていられないほどの閃光と轟音が、辺りを支配した。
「――っゥ!!」
ミノタウロスは恐らく、断末魔を叫んだのだろうが――全ては炭に変わったのかもしれない。
ナディの稲妻が呼び水となり、魔術師アステルの遺した鎖へ自然の雷が落ちたのだ。
これには、いかにタフさを誇るモンスターも抵抗のしようがなかったようだ。
強烈なエネルギーの奔流を、当たらなかったとはいえ近くで感じてへなへなとへたり込んだナディが、ようやく聴覚の欠片を取り戻した時――。
ミカがため息を吐いた後に呟いた。
「妙ですね――ミノタウロスは一体だけですか?」
依頼主からの話では、複数いたように思ったのだが……。
ミカが訝しく眉をひそめた時、がしゃん、という音が響いた。
ぎょっとしたナディが杖を音の主に向け、魔力を集めようとすると、それを遮るように親しげなミカの声が彼女の動きを停止した。
「まあ。ナイト、わざわざ迎えに来たんですか?」
「迎えに来たといえばそうだが、今は、この辺りに出るようになったミノタウロスを片付けていた。ここに出るのがいると、宿の他のパーティが教えてくれてな」
「あら……噂になっていたんですね」
「複数の内、一体を討ち洩らして追ってきたのだが……」
ナイトの兜が、かつてモンスターだった黒焦げの塊に向いた。
「主が処理してくれたとは」
「いえ、私ではありませんよ。こちらの私の同行者です」
「――そうか」
黒いつや消しの鎧が、騎士が貴婦人に礼をとるような動きをしてみせた。
「若き魔術師殿、お初にお目にかかる。私はナイト。この人の従者だ」
「じゅ、従者……リビングメイルの……?」
「ええ、ナディ。私の信頼する相棒です」
にっこり笑ったミカは、呆然と鎧を見やるナディと、堅苦しく礼を取ったままのナイトを促し、賢者の搭へ向かうことにした。
――この後。三人に増えた彼らは、ナディが亡師の墓前へ花を供えに行くのに付き合った。
彼女は花を手向けると、ミカへひとつ質問をした。
「……ミカさん。夢って、ありますか?」
「そうですね……私は立派な魔術師になりたいです。みんなに誇れるほどの。そして……」
ミカは静かに目を閉じた。
閉じた瞼の中に、プレーンウォーカーと呼ばれる異次元から来た魔女の最期や、身体を望まない変異に晒されたロバート・ライリーとの別れの場面が浮かぶ。
どれだけ優秀な魔術師でも、どれだけ強力な魔力を持っていても、あっけない終わりや恐ろしい未来が待っている時がある。
だが、傍らにある従者や、今まで一緒に戦ってくれた仲間たちといる限り、『立派な魔術師になりたい』というこの夢が、立ち消えることはないだろう。
「あなたの先生のように、誰かを守り通し多くの人から慕われる、そんな人になりたいです」
「――!」
驚いたナディは、つり上がり気味の目を丸く見開いていたが、やがて頬を上気させてこくこくと頷いた。
「私もです!いつかは、亡きアステル先生のように、周りから尊敬されるような魔術師になりたいと思っています」
「同じ目標ですね――負けませんよ」
「――はいっ!」
ナディは、夢を語る後輩としてではなく、同じ夢を掲げる同志としてミカが握手を求めてくれたのだと理解した。
「もし私に相談したいことがあれば、≪狼の隠れ家≫にいらっしゃい。いつでも歓迎しますよ」
「≪狼の隠れ家≫――覚えておきますね。本当に、ありがとうございました。ミカさんとこうして冒険できて、とても楽しかったです」
”一緒に冒険できて、とても楽しかった。”
ナディのその台詞が、かつてミカ自身も今のリーダーに向けたものだと気づいた時、ミカの顔に、懐かしいような、誇らしげな微笑みが浮かんだ。
そう、どんな見習いだって、いつかは成長するものなのだ。
依頼主から銀貨1050枚と、報酬のおまけまで受け取り、主従はすっかり暗くなった街中を常宿の方角へ歩き始めた。
※収入:報酬1050sp+100sp(樽の中)、≪魔道士の杖≫
※支出:
※その他:
※シレイユ様のL'avenir ou la Mortクリア!
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71回目のお仕事はソロシナリオから、シレイユ様のL'avenir ou la Mortです。
前からのメンバーはすでに10レベルに達しているのですが、中途採用組……取り分けミカはまだちょっとだけ経験点が低いので、それを補うためにひとりで頑張って貰うことにしました。
リプレイ中では心配性の従者が迎えに来ておりますが、これは本筋にはありません。
本当に2人きりの魔法使いたちに、複数相手の連戦が待ち受けるシナリオですので、これから初めて遊ぶ方には、よくよく手札を考えてトライしていただきたいと思います。のんびり毒を仕込むより、攻撃したほうが早かった(笑)。
ただひとつ注意したいのは、私が今回プレイしたバージョンは公開時のものであり、シレイユさんが完成させたバージョンではないということです。
設定や難易度の調整などのご都合により、最新版では最終的なラスボスが変更となっております。
どんなボスが出てきてくれるのかは……シレイユさんの現在公開してらっしゃる正式版を遊んでみて下さい。楽しいよ。
それ以外にも今回のリプレイは、ちょくちょくシナリオ本編との相違点があります。
ナディは別にアステル先生の直弟子ではなかったのですが、筆を進めるにあたり、ナディの意気込みや最後の場面の握手に繋ぐまでに、どうしてもその方が良かったので、作者であるシレイユ様に伺って設定を変えました。
シレイユ様、お忙しい中でご返答と変更の許可をいただき、真にありがとうございました。
人見知りはするけど、健気で夢に向かって確実な一歩を進もうとしているナディは、連れ込みが可能なNPCです。
数値的には、どちらかというと生命力が高めなので、健康的でアウトドアにも適応できる女の子として描写しております。
報酬のおまけにもらった杖を渡して、彼女に合うような魔法を店フォルダの束から探すのも楽しいかも。
シナリオ上では先生がどんな最期を迎え、どんな魔法を得意としたかの描写がなかったので、色々想像して描いています。
こっちの方はもしかしたらシレイユ様の本来の設定と違うかと思いますが、各自、アステル先生がどんな方だったかは、作者様によるイメージに沿って下さい。
リプレイで私が勝手に語っている、アステル先生が生徒用に開発した魔法のイメージは、リューン旧街道の魔術です。
文章にある術が実際に置いてあるのですが、現在は残念ながらSIGさんのシナリオがあるベクターからは消されているようで、非常に残念です。銃とかも置いてあって、そのカード絵がまた格好いいのに…。
付け加えた想像部分などのために、また、ない筈のクロスオーバーをしています。
レイド・クラウンという暗殺者=机庭球様の新人と私
ロバート・ライリーという搭所属の魔術師=mahipipa様の永遠なる花盗人
旧街道の一角=SIG様のリューン旧街道
プレーンウォーカーと呼ばれる異次元から来た魔女=吹雪様のくろがねのファンタズマ
でもまあ、プレイしたキャラであるミカ自身が連れ込みなので、クロスになるのは既に仕方ないというか……彼女のリプレイ内での言動や考え方もまた、吹雪様の想定から外れている可能性は高いのですけどね。
でも、ひどい目に遭ってきたからこそ希望を失わない、そんな強さをミカには持っていて欲しいと思います。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2018/05/11 14:05 [edit]
category: L'avenir ou la Mort
tb: -- cm: 0
Fri.
L'avenir ou la Mortその2 
下生えはよく生い茂り、細い先端でこちらの足首を突いてきたが、山に立ち入ることを鑑みて足ごしらえした両者には、さほどの苦痛にはならない。
それでも、石畳で整備された街中を歩く感覚とはかなり違うため、ミカは事あるごとに同行者の様子を窺い、疲労が溜まり過ぎていないかを確認していた。
それでも、石畳で整備された街中を歩く感覚とはかなり違うため、ミカは事あるごとに同行者の様子を窺い、疲労が溜まり過ぎていないかを確認していた。
-- 続きを読む --
そんな彼女が、一際明るい若草色の葉をつける樹木の前で立ち止まったのを見て、ナディは訝しい顔で見やる。
ほっそりした女性らしい手が上がり、枝を撓らせるほどたわわに実る果実の一つへ触れた。
「ああ、残念。枇杷に似ていると思ったのですが……」
「それはなんですか?」

「これは確か、ルトゥの実。食べられることは食べられますが、とても酸っぱいですよ」
ミカとしては、こういうフィールドワークでしか教えられないことを、ありったけ彼女に伝えようという意図があって口にしたことだ。
以前に、似たような状況下で暗殺者と、それと知らずに旅をした経験があり、ミカにとっては忘れられないトラウマのひとつで、今もまだ、ナディを自らが指導することに不安を覚えないでもない。
年若い彼女が、確かに賢者の搭所属の魔術師見習いだと分かっていなければ、こんな風に歩いていくのも辛いだろうし、何より――将来彼女が何かの判断を下す時に、自分の”間違った”主観が、若き魔術師の去就を誤らせるのではないかと疑っているのだ。
だが、ナディはまったくべつの観点から、その果実を図っていたらしい。
思慮深い猫のような双眸を瞬かせて、ぼそりと呟いた。
「……敵の目にぶつけて、混乱させられるかもしれません」
与えられた情報を鵜呑みにして終わるのではなく、自分なりに噛み砕いて利用法を考え出す――ナディの思いがけない、知能の高さだけではない賢さに、ミカは少し心が軽くなった。
年下の同行者の意見を受け入れ、淡いオレンジの実をもぐ。
(こういった素質があるのなら、この子は私の指導の後でも、自らの道を違えたりしないかもしれませんね。)
この後も、襲ってきたウィードを個別に叩き伏せ――魔法がもったいないので、ナディは杖で、ミカは護身用にと携えている≪守護の短剣≫でやった――道を失わないよう、周りに注意しながら緑の色彩の中を進んでいくと、不意に開けた場所に出た。
石造りの大きな洞穴が、ぽっかりと口を開けて存在を主張している。
「ランタンの用意が必要そうですね」
「魔法の灯では駄目なんですか?」
「駄目とは言いませんが……」
ミカはやや口篭った後、冒険者としての立場から意見を述べた。
「依頼主から、ここはオーガやトードが徘徊していると聞きました。出来れば、そういった便利系の魔法については道具を用いて対処し、私たちは食人鬼相手にも通じる魔法を準備した方が、この先の出来事には応じやすいと思います」
仲間の戦士に任せられる時などはその限りではないが、と付け加えた。
ナディは感心したように頷いている。
未熟な魔術師だった頃とは雲泥の素早い手つきで、ちゃんと煤を拭ってある角灯に火口箱から移した明かりをつけると、ミカはそれを≪喜びの緑≫が嵌まっているのとは反対の手で掲げ持った。
背後に気をつけるようナディに声をかけると、自ら先頭に立って洞窟へ踏み出す。
洞窟の中は、これまでミカが仲間たちと探索してきた遺跡群に比べると、人工的な痕跡の少ないものであった。
レンガや石組みとは違う、むき出しの岩壁が彼女の持つ明かりに照らされ、影法師が踊るように揺れる。
鼻には地面から立ち昇る湿った土特有の匂いが届いており、なるほど、蛙が好みそうな場所だとミカは思った。
じゃり、と魔力を秘める赤いブーツが足元を踏みしめる。
道は真っ直ぐではなく、途中で何度か直角に近い角度に曲がっているのだが、分岐が見られないので、迷うという心配はせずに済むだろう。
むしろ困るのは、角の向こうにモンスターが待ち構えているのではないかということで、実際、三回目の角では3匹のトードが2人を出迎えた。
リューン近辺に棲息する種類のこの大型の蛙は、背中に不恰好といえるほど多くの瘤が生えており、そこに毒液を溜め込んでいる。
迂闊に触れると皮膚にひどい炎症が起きるので、子どもはおろか、大人でもあまり近づきたくない対象だった。
ナディはあからさまに顔を歪めると、蛙から距離を取って、愛用の杖を振りかざし呪文を唱えた。
ミカの常緑樹の色をした双眸に、杖の無色の宝玉が、編まれていく魔力回路により青く染まっていくのが映る。
「青く漂う魔法の氷気よ、集いてここに飛礫となれ――リオート!」
たちまち、大気中に含まれる僅かな水分が、魔法の言葉によって無数の氷片へと変質して蛙に放たれる。
ミカは己も呪文を紡ぎつつ観察していたのだが、ナディの滑らかな詠唱と、敵が急激な温度変化に弱いことを見抜いた上での呪文の選択に、唸りたいほど感心した。
まだまだ初級の呪文しか知らないようだが、彼女の詠唱している魔術言語への理解度を考えると、もう少し上のレベルの魔法も発動させられそうである。
ミカの唱えた眠りの術で転がったトードは、毒液を浴びない箇所へ短剣を刺して始末をつけた。
短剣についた体液をボロ布で拭って落とすと、
「さて――どうも、ここから先は一本道ではないようですね」
「分岐ですか。こういう時、冒険者はどの道を行こうと判断するんですか?」
「私たちの本来の任務は、この洞窟を抜けた先にありますからね。盗賊がいれば、足跡などを探ってくれるんですが、私にその心得はありません」
だから、とミカは続けた。
「空気の動きを読もうと思ったんですが……妙ですね。風が吹いていない……」
掲げているランタンは、照明という役割だけに使っているのではなく、あえて四方を囲むガラス戸を開けて微かな空気の流れなどを探るのにも利用しているのだが、洞穴の出口から吹くだろう風の様子がない。
心許ない表情になったナディは、無言のままミカを見上げている。
少女を不安にさせたままでは修了試験に差し支えるだろうと、ミカは彼女の肩をぽんぽん、と軽く叩いた。
「下手に曲がるよりは、今の道に沿って行きましょう。正解が違う道だとしても、ここまでならマッピングなしで帰ってこれるでしょうし」
「はい……そうですね」
案ずるより産むが易しとは言うもので、確かにミカの選んだ道で正しかったようだ――ほどなく暗闇から浮かび上がってきたのは、2人の望んでいたものである。
肝心の洞穴の出口らしきものが、大岩で塞がれていなければ。
「え……何、これ……」

「――ミカさん、危ない!!」
眉をひそめて岩に近づこうとしたミカを、ワンテンポ遅れてナディが突き飛ばした。
「きゃっ……」
無様に転がった魔術師たちの傍らを、とんでもない風圧とともに、何かが振り下ろされた。
ドコォ!という轟音で大岩を真ん中から割ったものの正体に気付くと、ミカはナディと助け合って起き上がりながら、気を引き締めて睨みつけた。
「オーガ……3体も!?」
人肉を好む大型の鬼族は、森や荒野で単独で生息し、集団で行動することが少ない豪腕の怪物である。
それが3体も群れていたのだから、ミカの驚きももっともだと言えよう。
「それだけじゃないです、ミカさん」
通り過ぎてきた分岐の奥から、見覚えのある蛙たちが騒音につられてやって来ようとしているのを、ナディの猫のような目が捉えていた。
すかさず、今度は一条の稲妻で足止めを施す術をナディが唱えたのだが、
「数が、多い……!!」
と焦り始めた。
一匹をまんまと足止めできても、その隙を縫うように、他の蛙たちが威嚇しながらやって来る。
本来は臆病な性質を持つトードだが、繁殖に向いた洞窟の環境を変えるような温度変化が気に入らなかったのか、仲間の鳴き声をたよりにどんどん集まりだす。
続けて氷の術を用意しようとした彼女へ向けて、細いながら凛とした声音が言った。
「ナディ。一気にいきます、下がりなさい」
明らかな魔力の増幅に気付いたナディが見やると、エメラルド色に輝く指輪から、紅のビロードと見紛うような花弁が溢れ始めている。
護衛対象の少女が自分の背後に隠れるようにしたのを確認し、ミカは自分の手持ちの術の中で、一番凶悪な魔法を発動させた。
「赤き花よ、嵐となりて血の祝宴を展開せよ……!」

深紅の薔薇の花びらが、ガラスの破片よりも鋭くオーガや蛙を刻んでいった。
オーガの一体が、急所である喉を深く裂かれ、呆気なく倒れる。
ナディが手こずっていた蛙の群れなど、ひとたまりもない。
辛うじて二体のオーガが立ってはいたけれど、体中に刻まれた血の華は、鬼族の持ち前の生命力を粗方削っているようだ。
そんな生き残りも、ナディが稲妻の魔法で再び足止めする間に、充分に魔力を練り上げたミカの毒の華で、止めを刺されたのであった。
ほっそりした女性らしい手が上がり、枝を撓らせるほどたわわに実る果実の一つへ触れた。
「ああ、残念。枇杷に似ていると思ったのですが……」
「それはなんですか?」

「これは確か、ルトゥの実。食べられることは食べられますが、とても酸っぱいですよ」
ミカとしては、こういうフィールドワークでしか教えられないことを、ありったけ彼女に伝えようという意図があって口にしたことだ。
以前に、似たような状況下で暗殺者と、それと知らずに旅をした経験があり、ミカにとっては忘れられないトラウマのひとつで、今もまだ、ナディを自らが指導することに不安を覚えないでもない。
年若い彼女が、確かに賢者の搭所属の魔術師見習いだと分かっていなければ、こんな風に歩いていくのも辛いだろうし、何より――将来彼女が何かの判断を下す時に、自分の”間違った”主観が、若き魔術師の去就を誤らせるのではないかと疑っているのだ。
だが、ナディはまったくべつの観点から、その果実を図っていたらしい。
思慮深い猫のような双眸を瞬かせて、ぼそりと呟いた。
「……敵の目にぶつけて、混乱させられるかもしれません」
与えられた情報を鵜呑みにして終わるのではなく、自分なりに噛み砕いて利用法を考え出す――ナディの思いがけない、知能の高さだけではない賢さに、ミカは少し心が軽くなった。
年下の同行者の意見を受け入れ、淡いオレンジの実をもぐ。
(こういった素質があるのなら、この子は私の指導の後でも、自らの道を違えたりしないかもしれませんね。)
この後も、襲ってきたウィードを個別に叩き伏せ――魔法がもったいないので、ナディは杖で、ミカは護身用にと携えている≪守護の短剣≫でやった――道を失わないよう、周りに注意しながら緑の色彩の中を進んでいくと、不意に開けた場所に出た。
石造りの大きな洞穴が、ぽっかりと口を開けて存在を主張している。
「ランタンの用意が必要そうですね」
「魔法の灯では駄目なんですか?」
「駄目とは言いませんが……」
ミカはやや口篭った後、冒険者としての立場から意見を述べた。
「依頼主から、ここはオーガやトードが徘徊していると聞きました。出来れば、そういった便利系の魔法については道具を用いて対処し、私たちは食人鬼相手にも通じる魔法を準備した方が、この先の出来事には応じやすいと思います」
仲間の戦士に任せられる時などはその限りではないが、と付け加えた。
ナディは感心したように頷いている。
未熟な魔術師だった頃とは雲泥の素早い手つきで、ちゃんと煤を拭ってある角灯に火口箱から移した明かりをつけると、ミカはそれを≪喜びの緑≫が嵌まっているのとは反対の手で掲げ持った。
背後に気をつけるようナディに声をかけると、自ら先頭に立って洞窟へ踏み出す。
洞窟の中は、これまでミカが仲間たちと探索してきた遺跡群に比べると、人工的な痕跡の少ないものであった。
レンガや石組みとは違う、むき出しの岩壁が彼女の持つ明かりに照らされ、影法師が踊るように揺れる。
鼻には地面から立ち昇る湿った土特有の匂いが届いており、なるほど、蛙が好みそうな場所だとミカは思った。
じゃり、と魔力を秘める赤いブーツが足元を踏みしめる。
道は真っ直ぐではなく、途中で何度か直角に近い角度に曲がっているのだが、分岐が見られないので、迷うという心配はせずに済むだろう。
むしろ困るのは、角の向こうにモンスターが待ち構えているのではないかということで、実際、三回目の角では3匹のトードが2人を出迎えた。
リューン近辺に棲息する種類のこの大型の蛙は、背中に不恰好といえるほど多くの瘤が生えており、そこに毒液を溜め込んでいる。
迂闊に触れると皮膚にひどい炎症が起きるので、子どもはおろか、大人でもあまり近づきたくない対象だった。
ナディはあからさまに顔を歪めると、蛙から距離を取って、愛用の杖を振りかざし呪文を唱えた。
ミカの常緑樹の色をした双眸に、杖の無色の宝玉が、編まれていく魔力回路により青く染まっていくのが映る。
「青く漂う魔法の氷気よ、集いてここに飛礫となれ――リオート!」
たちまち、大気中に含まれる僅かな水分が、魔法の言葉によって無数の氷片へと変質して蛙に放たれる。
ミカは己も呪文を紡ぎつつ観察していたのだが、ナディの滑らかな詠唱と、敵が急激な温度変化に弱いことを見抜いた上での呪文の選択に、唸りたいほど感心した。
まだまだ初級の呪文しか知らないようだが、彼女の詠唱している魔術言語への理解度を考えると、もう少し上のレベルの魔法も発動させられそうである。
ミカの唱えた眠りの術で転がったトードは、毒液を浴びない箇所へ短剣を刺して始末をつけた。
短剣についた体液をボロ布で拭って落とすと、
「さて――どうも、ここから先は一本道ではないようですね」
「分岐ですか。こういう時、冒険者はどの道を行こうと判断するんですか?」
「私たちの本来の任務は、この洞窟を抜けた先にありますからね。盗賊がいれば、足跡などを探ってくれるんですが、私にその心得はありません」
だから、とミカは続けた。
「空気の動きを読もうと思ったんですが……妙ですね。風が吹いていない……」
掲げているランタンは、照明という役割だけに使っているのではなく、あえて四方を囲むガラス戸を開けて微かな空気の流れなどを探るのにも利用しているのだが、洞穴の出口から吹くだろう風の様子がない。
心許ない表情になったナディは、無言のままミカを見上げている。
少女を不安にさせたままでは修了試験に差し支えるだろうと、ミカは彼女の肩をぽんぽん、と軽く叩いた。
「下手に曲がるよりは、今の道に沿って行きましょう。正解が違う道だとしても、ここまでならマッピングなしで帰ってこれるでしょうし」
「はい……そうですね」
案ずるより産むが易しとは言うもので、確かにミカの選んだ道で正しかったようだ――ほどなく暗闇から浮かび上がってきたのは、2人の望んでいたものである。
肝心の洞穴の出口らしきものが、大岩で塞がれていなければ。
「え……何、これ……」

「――ミカさん、危ない!!」
眉をひそめて岩に近づこうとしたミカを、ワンテンポ遅れてナディが突き飛ばした。
「きゃっ……」
無様に転がった魔術師たちの傍らを、とんでもない風圧とともに、何かが振り下ろされた。
ドコォ!という轟音で大岩を真ん中から割ったものの正体に気付くと、ミカはナディと助け合って起き上がりながら、気を引き締めて睨みつけた。
「オーガ……3体も!?」
人肉を好む大型の鬼族は、森や荒野で単独で生息し、集団で行動することが少ない豪腕の怪物である。
それが3体も群れていたのだから、ミカの驚きももっともだと言えよう。
「それだけじゃないです、ミカさん」
通り過ぎてきた分岐の奥から、見覚えのある蛙たちが騒音につられてやって来ようとしているのを、ナディの猫のような目が捉えていた。
すかさず、今度は一条の稲妻で足止めを施す術をナディが唱えたのだが、
「数が、多い……!!」
と焦り始めた。
一匹をまんまと足止めできても、その隙を縫うように、他の蛙たちが威嚇しながらやって来る。
本来は臆病な性質を持つトードだが、繁殖に向いた洞窟の環境を変えるような温度変化が気に入らなかったのか、仲間の鳴き声をたよりにどんどん集まりだす。
続けて氷の術を用意しようとした彼女へ向けて、細いながら凛とした声音が言った。
「ナディ。一気にいきます、下がりなさい」
明らかな魔力の増幅に気付いたナディが見やると、エメラルド色に輝く指輪から、紅のビロードと見紛うような花弁が溢れ始めている。
護衛対象の少女が自分の背後に隠れるようにしたのを確認し、ミカは自分の手持ちの術の中で、一番凶悪な魔法を発動させた。
「赤き花よ、嵐となりて血の祝宴を展開せよ……!」

深紅の薔薇の花びらが、ガラスの破片よりも鋭くオーガや蛙を刻んでいった。
オーガの一体が、急所である喉を深く裂かれ、呆気なく倒れる。
ナディが手こずっていた蛙の群れなど、ひとたまりもない。
辛うじて二体のオーガが立ってはいたけれど、体中に刻まれた血の華は、鬼族の持ち前の生命力を粗方削っているようだ。
そんな生き残りも、ナディが稲妻の魔法で再び足止めする間に、充分に魔力を練り上げたミカの毒の華で、止めを刺されたのであった。
2018/05/11 14:02 [edit]
category: L'avenir ou la Mort
tb: -- cm: 0
Fri.
L'avenir ou la Mortその1 
ミカは目前に座る老年の男を、じっと見つめた。
とは言っても、まったく艶めいた話ではなく、ただ単に依頼について聞きに来ただけだ――ミカひとりで。
前にレイド・クラウンという暗殺者によって、嘘の依頼に嵌められそうになったこともある彼女が、単独の仕事に行かないよう、従者たるナイトが説得していたのだが、今回の頼みごとについては、賢者の搭の知り合いから持ち込まれたものである。
曰く、『賢者の搭で学んだ子どもたちの”修了試験”に、同伴する冒険者を募っている。あなたも参加して欲しい。』と。
ミカはリューンとは違う地方都市で魔術のいくつかを学び、修了試験に該当するものを受ける前に、冒険者として一人立ちした経緯がある。

とは言っても、まったく艶めいた話ではなく、ただ単に依頼について聞きに来ただけだ――ミカひとりで。
前にレイド・クラウンという暗殺者によって、嘘の依頼に嵌められそうになったこともある彼女が、単独の仕事に行かないよう、従者たるナイトが説得していたのだが、今回の頼みごとについては、賢者の搭の知り合いから持ち込まれたものである。
曰く、『賢者の搭で学んだ子どもたちの”修了試験”に、同伴する冒険者を募っている。あなたも参加して欲しい。』と。
ミカはリューンとは違う地方都市で魔術のいくつかを学び、修了試験に該当するものを受ける前に、冒険者として一人立ちした経緯がある。

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未熟な魔法使いとして依頼を受けるうち、命を落とすに等しい経験を経て、もう一度、今度は己の適性に向いた植物操作の魔術を、ロバート・ライリーという搭所属の魔術師に学んでいたのである。
ロバート氏については、その後のある探索指令で搭から離れる結果となったのだが、師がいなくなった後でも、賢者の搭への出入りが許されるよう取り計らってくれたのは、他ならぬ目の前の彼――ロバート氏の知り合い――だった。
そういった恩があるため、この依頼を蹴るわけにはいかなかったのである。
また、リューンの賢者の搭であれば、むしろ縁が深いのはウィルバーの方である筈なのだが、この”修了試験”の詳細をよく知っている(昔自分で合格したので)ために、公平さに欠けるだろうと声が掛からなかったものらしい。

「あの……それは、本来なら教え手の仕事ではないでしょうか」
「はい。確かに数年前までは、我々も生徒達に同行していました。しかし、2年前――」
彼は遠い目になり、沈痛な意味を込めたため息を吐いた。
「ふぅ……試験後の下山途中でした。ミノタウロスの襲撃があり、生徒をかばった教師が亡くなってしまったのです」
「……ひょっとして、その方はあなたの――」
「はい、知人で同期でした。痛ましいことです……彼が亡くなるとは……」
指先に集中した魔力を炎の矢に変えて放ったり、袖口に仕込んだ細い鎖を魔力強化して非実体の複数対象を捕らえたり、リューンの一般的な窓口で販売している品とは、また別系統の魔法を研究していた御仁だったらしい。
彼の開発した魔法については、旧街道の一角で販売していると依頼主は語った。
そして、そういった手練が殺されるような事態を重く見た搭の上層部は、教師陣の同伴を禁じ、以降の修了試験では冒険者を募るように規則を変えたのである。
試験場所であるムゲット山は、リューンから3時間ほど南のところにある山だ。
さほど勾配はきつくないものの、登頂するには岩壁を登るか、洞窟を通り抜ける必要がある。
依頼主の言では、生徒および冒険者双方のリスクを考慮した上で、洞窟を選択してもらうよう勧めているそうだ。
「ただし、洞窟内にはトードやオーガなどが徘徊しています。万全の準備を怠らないようにお願いします」
「分かりました。報酬はいかほどでしょう?」
「基本的な料金としましては、生徒が無事であれば銀貨八百枚を予定しております。ただし、不測の事態……予想外に強いモンスターや、何らかの試験を阻む大きな障害があり、被害を被った場合が認められれば、銀貨二百五十枚を追加しましょう」
また、金銭以外にも渡せる魔法の品があれば、それを追加報酬として供出するよう上に掛け合ってくれると言う。
「なるほど…結構な条件ですね…」
「ミカさんに連れて行って欲しいのは、私の弟子に当たるナディという少女です。内気ですが、勉強を怠らない謙虚ないい子です。どうか、よろしくお願いします」
「お引き受けいたしましょう。本日ナディさんは……」
「こちらに」
彼が樫のドアを開いて続き部屋へミカを通すと、その部屋の窓際に置かれていた椅子に、背筋を綺麗に伸ばして座っていた少女が、こちらを振り返って、ばね仕掛けのごとくぴょこんと立ち上がった。
色々な人種が行き交うリューンでも珍しい蒼髪をボブカットより短くした、びっくりしたような猫目の印象が強い子である。
見習い魔術師がよく羽織っている地味な紺色のケープは、魔法使いという言葉から連想されるひ弱さとは無縁の、健康そうな体を包んでいた。背の高さは、ミカよりも頭半分ほど低いだろう。
あまり表情を動かすことはないようで、こちらへの会釈も愛想から程遠い顔で行なわれたのだが、それはミカを不快に思っているからではなく、単に人見知りをしているからだということが、依頼主に説明されるまでもなく理解できた。
何しろこの子、先ほどから緊張のあまり、互いの自己紹介の合間に何度も唾を飲み込んでいるのである。
(まずは緊張を解くために、少しずつ仲良くなれたら良いのだけど……。)
自身も内向的な性向があるミカは、どう上手く彼女に接したらいいのか、すぐに思いつく事が出来ない。
出発前に確認してみると、すでに山へ立ち入るための装備は整えているそうだ。
「ではこれ以上、準備に時間をかける必要はないようですね。私がここに持ってきたのも、冒険用の装備ですし……そろそろ、出発いたします」
「はい、2人が無事に戻られるよう祈っております。ナディ、この方の言うことをよく聞いて、励むのですよ」
「はい、先生……」
ムゲット山への道は、何度も見習いたちが行き来したからか、ある程度は整備されている。
案外と少女が健脚であるために、麓に辿り着くまで、そう時間はかからなそうだ。
「ナディは、初めからあの先生に師事してもらっているのですか?」
ミカがそう疑問を持ったのは、依頼主が、本来は中級以上の魔術研究に情熱を傾けている人材だと承知しているからである。
だからこそ、何故に見習いの手ほどきを彼が行なっているのかが、不思議でならなかった。
「いえ、その……先生からお聞き及びではないのです、か?」
「彼とは、他の魔術師よりも交流は深いですが、ナディのことについては、今回の依頼を受けるまで存じませんでした」
「……」
しばし黙り込んでいたナディだったが、澄んだミカの双眸を見返して、思い切ったように口を開いた。
「最初に私を教えてくださっていたのは、アステル先生でした。先生は、指先に魔力を上手く集められない私のために、杖の宝玉に魔力回路を作るやり方を教えてくれたんです」
先生自身は杖に頼らずとも、指先に集約した魔力で光を灯したり、火を飛ばしたりが出来ていたらしい。魔力への親和性が、特に高い種族の血を引いていたのかもしれない。
しかし、そんな素養のない教え子にも、工夫次第で魔法の力を引き出せるのだと、色んな事を教え、実地で試してくれたのだという。
「アステル先生は、なかなか魔力を別の物体に変換できない子のためにと、鎖や剣などの道具に、魔力強化を施す術も開発なさいました。その結果、強化された鎖で呪縛を行なったり、魔力を帯びた剣を敵に振るうことで、戦士にも劣らない打撃を生み出すことが可能になったんです」
「教えるのが上手で、かなり研究熱心な方だったんですね……」
「はいっ。私以外の生徒も受け持っておられましたが、みんな、先生のことが好きでした。だけど……2年前に……」
2年前。覚えのある符号である。
「ひょっとして、ミノタウロスから生徒を守ったのは……」
「はい……アステル先生です」
「そうだったのですか……」
ナディの先輩に当たる生徒の”修了試験”の時だった。
生徒が無事に安全圏まで逃げられるよう、彼は少しでも時間を稼ごうと、すっかり扱いに慣れた鎖で目前の敵を封じ、背後から迫ってきた相手に魔法を立て続けに打ち込んだ。
だが、ミノタウロスは幽霊をも封じる特別な鎖を、豪腕でぶち割ってしまったのである。
そして、前方に気を取られているアステル教師に、巨大な斧を振り上げ――。
命からがら逃げ出した生徒の語る最期は、教え子たちに壮絶な悲嘆をもたらした。
遺された彼らたちは散り散りに、他の教師たちや、教えの担当ではないが現在弟子を受け持っていない者などに、緊急に割り振られたのである。
「だから私――この試験は、どうしても合格したいんです」
「……分かりました。私も出来る限り力添えします」
ミカは強すぎる思いは視野を狭める事を知っていたが、ナディがそれに凝り固まっていないと見てとった。
その上で、志半ばで斃れたのであろう教師の代わりに、自分の精いっぱいできることを彼女に伝えたいと考えていた。
ロープなどが入った荷物袋を背負い直し、真っ直ぐに前を向く。

「では、行きましょう。ナディ」
2人の視線の先には、異なる緑の色彩が重なるムゲット山が聳えている。
小鳥が近づく人間を警戒してか、枝からパッと飛び去った。
ロバート氏については、その後のある探索指令で搭から離れる結果となったのだが、師がいなくなった後でも、賢者の搭への出入りが許されるよう取り計らってくれたのは、他ならぬ目の前の彼――ロバート氏の知り合い――だった。
そういった恩があるため、この依頼を蹴るわけにはいかなかったのである。
また、リューンの賢者の搭であれば、むしろ縁が深いのはウィルバーの方である筈なのだが、この”修了試験”の詳細をよく知っている(昔自分で合格したので)ために、公平さに欠けるだろうと声が掛からなかったものらしい。

「あの……それは、本来なら教え手の仕事ではないでしょうか」
「はい。確かに数年前までは、我々も生徒達に同行していました。しかし、2年前――」
彼は遠い目になり、沈痛な意味を込めたため息を吐いた。
「ふぅ……試験後の下山途中でした。ミノタウロスの襲撃があり、生徒をかばった教師が亡くなってしまったのです」
「……ひょっとして、その方はあなたの――」
「はい、知人で同期でした。痛ましいことです……彼が亡くなるとは……」
指先に集中した魔力を炎の矢に変えて放ったり、袖口に仕込んだ細い鎖を魔力強化して非実体の複数対象を捕らえたり、リューンの一般的な窓口で販売している品とは、また別系統の魔法を研究していた御仁だったらしい。
彼の開発した魔法については、旧街道の一角で販売していると依頼主は語った。
そして、そういった手練が殺されるような事態を重く見た搭の上層部は、教師陣の同伴を禁じ、以降の修了試験では冒険者を募るように規則を変えたのである。
試験場所であるムゲット山は、リューンから3時間ほど南のところにある山だ。
さほど勾配はきつくないものの、登頂するには岩壁を登るか、洞窟を通り抜ける必要がある。
依頼主の言では、生徒および冒険者双方のリスクを考慮した上で、洞窟を選択してもらうよう勧めているそうだ。
「ただし、洞窟内にはトードやオーガなどが徘徊しています。万全の準備を怠らないようにお願いします」
「分かりました。報酬はいかほどでしょう?」
「基本的な料金としましては、生徒が無事であれば銀貨八百枚を予定しております。ただし、不測の事態……予想外に強いモンスターや、何らかの試験を阻む大きな障害があり、被害を被った場合が認められれば、銀貨二百五十枚を追加しましょう」
また、金銭以外にも渡せる魔法の品があれば、それを追加報酬として供出するよう上に掛け合ってくれると言う。
「なるほど…結構な条件ですね…」
「ミカさんに連れて行って欲しいのは、私の弟子に当たるナディという少女です。内気ですが、勉強を怠らない謙虚ないい子です。どうか、よろしくお願いします」
「お引き受けいたしましょう。本日ナディさんは……」
「こちらに」
彼が樫のドアを開いて続き部屋へミカを通すと、その部屋の窓際に置かれていた椅子に、背筋を綺麗に伸ばして座っていた少女が、こちらを振り返って、ばね仕掛けのごとくぴょこんと立ち上がった。
色々な人種が行き交うリューンでも珍しい蒼髪をボブカットより短くした、びっくりしたような猫目の印象が強い子である。
見習い魔術師がよく羽織っている地味な紺色のケープは、魔法使いという言葉から連想されるひ弱さとは無縁の、健康そうな体を包んでいた。背の高さは、ミカよりも頭半分ほど低いだろう。
あまり表情を動かすことはないようで、こちらへの会釈も愛想から程遠い顔で行なわれたのだが、それはミカを不快に思っているからではなく、単に人見知りをしているからだということが、依頼主に説明されるまでもなく理解できた。
何しろこの子、先ほどから緊張のあまり、互いの自己紹介の合間に何度も唾を飲み込んでいるのである。
(まずは緊張を解くために、少しずつ仲良くなれたら良いのだけど……。)
自身も内向的な性向があるミカは、どう上手く彼女に接したらいいのか、すぐに思いつく事が出来ない。
出発前に確認してみると、すでに山へ立ち入るための装備は整えているそうだ。
「ではこれ以上、準備に時間をかける必要はないようですね。私がここに持ってきたのも、冒険用の装備ですし……そろそろ、出発いたします」
「はい、2人が無事に戻られるよう祈っております。ナディ、この方の言うことをよく聞いて、励むのですよ」
「はい、先生……」
ムゲット山への道は、何度も見習いたちが行き来したからか、ある程度は整備されている。
案外と少女が健脚であるために、麓に辿り着くまで、そう時間はかからなそうだ。
「ナディは、初めからあの先生に師事してもらっているのですか?」
ミカがそう疑問を持ったのは、依頼主が、本来は中級以上の魔術研究に情熱を傾けている人材だと承知しているからである。
だからこそ、何故に見習いの手ほどきを彼が行なっているのかが、不思議でならなかった。
「いえ、その……先生からお聞き及びではないのです、か?」
「彼とは、他の魔術師よりも交流は深いですが、ナディのことについては、今回の依頼を受けるまで存じませんでした」
「……」
しばし黙り込んでいたナディだったが、澄んだミカの双眸を見返して、思い切ったように口を開いた。
「最初に私を教えてくださっていたのは、アステル先生でした。先生は、指先に魔力を上手く集められない私のために、杖の宝玉に魔力回路を作るやり方を教えてくれたんです」
先生自身は杖に頼らずとも、指先に集約した魔力で光を灯したり、火を飛ばしたりが出来ていたらしい。魔力への親和性が、特に高い種族の血を引いていたのかもしれない。
しかし、そんな素養のない教え子にも、工夫次第で魔法の力を引き出せるのだと、色んな事を教え、実地で試してくれたのだという。
「アステル先生は、なかなか魔力を別の物体に変換できない子のためにと、鎖や剣などの道具に、魔力強化を施す術も開発なさいました。その結果、強化された鎖で呪縛を行なったり、魔力を帯びた剣を敵に振るうことで、戦士にも劣らない打撃を生み出すことが可能になったんです」
「教えるのが上手で、かなり研究熱心な方だったんですね……」
「はいっ。私以外の生徒も受け持っておられましたが、みんな、先生のことが好きでした。だけど……2年前に……」
2年前。覚えのある符号である。
「ひょっとして、ミノタウロスから生徒を守ったのは……」
「はい……アステル先生です」
「そうだったのですか……」
ナディの先輩に当たる生徒の”修了試験”の時だった。
生徒が無事に安全圏まで逃げられるよう、彼は少しでも時間を稼ごうと、すっかり扱いに慣れた鎖で目前の敵を封じ、背後から迫ってきた相手に魔法を立て続けに打ち込んだ。
だが、ミノタウロスは幽霊をも封じる特別な鎖を、豪腕でぶち割ってしまったのである。
そして、前方に気を取られているアステル教師に、巨大な斧を振り上げ――。
命からがら逃げ出した生徒の語る最期は、教え子たちに壮絶な悲嘆をもたらした。
遺された彼らたちは散り散りに、他の教師たちや、教えの担当ではないが現在弟子を受け持っていない者などに、緊急に割り振られたのである。
「だから私――この試験は、どうしても合格したいんです」
「……分かりました。私も出来る限り力添えします」
ミカは強すぎる思いは視野を狭める事を知っていたが、ナディがそれに凝り固まっていないと見てとった。
その上で、志半ばで斃れたのであろう教師の代わりに、自分の精いっぱいできることを彼女に伝えたいと考えていた。
ロープなどが入った荷物袋を背負い直し、真っ直ぐに前を向く。

「では、行きましょう。ナディ」
2人の視線の先には、異なる緑の色彩が重なるムゲット山が聳えている。
小鳥が近づく人間を警戒してか、枝からパッと飛び去った。
2018/05/11 13:55 [edit]
category: L'avenir ou la Mort
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