Wed.
不在の遺跡調査その3 

「惜しい話じゃの。これだけ苦労しておるのだから、あれぐらいの役得はあっても良さそうなものなんじゃがのう」
「おっしゃることはごもっともなんですが、うちのリーダーじゃ黙って中身を失敬する、なんて真似はどうあってもできませんからねえ」
ウィルバーは首を傾げた。
「はて…この遺跡は、一体どういうものなんでしょうね?宝物を置いているというのに、守りはアンデッドだけ。別に邪教に身を捧げた民族のようにも思えないんですが…」
彼には机上で習い覚えたものとは言え、一通りの民族知識がある。
依頼主が小屋に置いていたメモの民族の判明した文化からすると、クドラや他の邪教徒がいたずらに死霊を操るのとは違うように思えるのだが……だが、そんな彼の思考を断ち切るように、ホビットの娘が明るい声を出した。
「見て、地下があるよ!曰くあり気だね、兄ちゃん!」
「おお、なんかワクワクするな!」
状況の変化を嬉しがっている2人に水を差すように、テーゼンがぽそっと呟く。
「おい……その下、たぶんやばいのがいるぞ。そんな気配がする」
「ということは、ここで体勢を整えろってことね」
シシリーが彼の忠告に頷くと、テアとウィルバーが味方を支援する呪歌や魔法を掛け始めた。
特に軽傷を負っているアンジェには、【飛翼の術】による魔法の羽も与えている。
仲間たちの用意が済むと、リーダーの少女はさっと手を地下に向けた。
地下へ続く階段は、始めは真っ直ぐ下りるだけのものと思っていたのだが、途中で変な風に折れ曲がり、螺旋のようになり出した。
地下に一切の明かりがないことに気づいたシシリーが声を発する。
「ランプさん、スピカ。松明ぐらいの感じで足元を照らして。何か前方にいる様子だったら、スピカが先行して照らしてちょうだい」
「……♪」
「分かりました、ご主人様!」
今までベルトポーチに隠れていた二種の光精は、それぞれに返事をすると辺りを不便のないよう明かりを灯し始めた。
互いの足を踏まないように注意しながら、そっと進む。
やがて奥で何者かが蠢いているのが分かると、魔女のような三角帽を被ったフォウがさっと上空に舞い上がり、真下の蠢く相手を照らした。
「……!」
アンジェが≪早足の靴≫を履いた足を後退する。
そこにいたのは、トロールであった。
本来ならオランウータンのようにごつごつした独特の容貌に、岩と同じ色をした肌を持つはずであったが、その肌は青黒く変色しており、濁った白い目からはどうも生気が感じられない。
ロンドが前に進み出ながら、不審そうな目で相手を観察した。

「まさか…こいつもアンデッド?」
よく見ると、変色した皮膚はいたるところからグズグズと腐敗し、剥がれ落ちているようである。
ただ、トロールでもっとも脅威とされる回復力は生前のままなのか、剥がれ落ちた皮膚の下からはすでに新しい皮膚が顔を覗かせている。
ただ、その新たな肌すらすでに腐敗し始めており、再生能力はあまり意味を成しているようには思われなかった。
まだこちらにトロールが気づいている様子がなかったため、さてどうしようかとウィルバーが顎に手を当てて考えようとした、その時だった。
ズズズ…ズズズズ……。
妙な音がする。
冒険者たちは周囲を見渡してみた。
部屋の端に目を向けると、そこでは驚くべきことが起こっていた。
剥がれ落ちたトロールの皮膚が這い回り、ひとつの場所へ集まっていく。
「なんなの、これ……」
剣を抜きつつ眉をひそめたシシリーが見つめる中、皮膚は一箇所へ集まるとだんだん形を成して、やがて人の形をとってみせた。
それは――紛れもなく、ゾンビであった。
「なっ…」
彼女が息を呑む中、見る見るうちに皮膚がアンデッドへと姿を変えてゆく。
信じがたい光景ではあるが、これが遺跡に湧いたアンデッドの原因であろう。
鈍いながらも、やっと天井で輝く鳥に気づいたのか、トロールが大きな唸り声を上げた。
猛スピードで近づいてくるトロールに対し、冒険者たちは武器を思い思いに構えた。
「グオオオオオ!」
トロールがその巨大な腕を振るい、シシリーの若木のような体を吹き飛ばす。
とっさに剣を立てて後ろに飛ぶことで、辛うじて攻撃の勢いを逸らした。
「シリー!」
「大丈夫…!前を向いてて!」
ロンドに無事を告げると、光の精霊が照らす天井のギリギリまで飛びあがったテーゼンが、新たな槍の技――傭兵都市ペリンスキーで習い覚えた【地霊咆雷陣】によって、皮膚から生まれた不死者たちを、生みの親であるトロールごと雷撃で負傷させる。
すぐに他より体力の劣るゾンビが2体、活動を停止した。
「よっしゃ!」
「よくやった黒蝙蝠!」
「黙れ白髪男、さっさと仕事しろ!」
すでに痛覚はないだろうが、トロールが電撃の衝撃によって身を震わせた隙を縫い、体勢を立て直したシシリーが【十字斬り】を、そのすぐ後を追うようにロンドがスコップによる渾身の一撃を食らわす。
「グアアアア!ゴオオオオ…」
「グルルル……」
「おっと、こちらに来るかね!」
トロールの意味を解しかねる唸り声に答えるように、盾をかざしていた老婆にグールが襲い掛かるも、辛うじて軽傷で済み、毒を含んだ爪による麻痺も免れた。
いよいよ勢いづいてきた冒険者たちの中、続けて飛び出したアンジェが、腕輪から奔らせた鋼糸に魔力を通し、【黄金の矢】による攻撃をトロールに与える。
何とか今まで攻撃を耐え忍んでいたトロールだったが、才能ある魔術師が【魔法の矢】を発展・改良した魔法からなる技術により、巨木のような体躯が崩れ落ちる。
周りを囲っていたアンデッドたちも、みるみる泥のように崩れてしまった。
「しかし、どうしてトロールがアンデッドに…?」
テーゼンが薬草で簡易的な手当てを施している中、テアは不思議そうに首を傾げた。
アンジェもそれに迎合するように頷きながら、
「そもそも、なんでこんなところにトロールがいたんだろうね?」
と疑問を呈している。
気になった一行は、部屋の中を調査してみることにした。
見つけたのはアンジェであった。
「うん?」
「どうしました、アンジェ?」
「これ……」
ホビットの娘は、床に奇妙な粉末が散らばっているのを発見した。
見慣れない変な色をしており、明らかに砂糖や小麦粉の類ではありえない。
死霊術には詳しくない(使っているのは一名いるが専門家ではない)ので、これがあるいはアンデッド発生の原因という可能性があるだろうと見当がつくだけではあったが、旗を掲げる爪はその粉末を集めてハンカチに包み、持っていくことにした。
依頼主の小屋に戻り、依頼を達成したことをメモに書き加えてから杖を元の場所に戻すと、遺跡の地下で発見した粉末を机の上に置いた。
アンジェが皆に問う。
「これで一件落着……でいいのかな?」
「とりえあず、僕らにできることは全部出来たと思うぜ。宿に帰ろうや」
テーゼンの促しに応え、≪狼の隠れ家≫に戻った冒険者たちは、宿の亭主がメモを残してくれた依頼主と友人であったことを知らされ、それで無理矢理にでも仕事を受けさせようとしたのかと合点がいった。
宿の亭主は仕事の成功に喜び、いつもより品数の多い食事を出し、追加報酬で貰ったジーベック銀行券の換金を行った。
魚の香草焼きを摘みつつ、シシリーが首を傾げる。
「それにしても、結局、あのトロールと奇妙な粉はなんだったのかしら?」
「そうですね。それについては、後日委員会から教えてもらえると思いますよ……なにせ、親父さんのご友人だそうですから、情報くらいはすぐ入るでしょう」
ウィルバーの予言どおり、遺跡調査委員会によって、アンデッドが現れた原因が明らかとなった。
遺跡地下に落ちていた謎の粉末はゾンビパウダー……死体をゾンビとして蘇らせ、パウダーの作成者の言いなりにするという物質であったそうである。
つまり、この事態の裏にはゾンビパウダーを使用した何らかの人間が関与しているということだ。
しかし、その人物の正体が明らかになることは、今のところなさそうだ。
依頼達成の礼とともにもたらされた調査報告書を折り畳み、シシリーは深いため息をついた。
※収入:報酬799sp、【渦巻斬り】、≪葡萄酒≫×2
※支出:武具「夕日の鉄撃」(SIG様作)にて≪カイトシールド≫、見習いの研究室(罪深い赤薔薇の人様作)にて≪銀のブローチ≫、≪銀の薔薇≫、≪銀の蛙≫、風渡り(焼きフォウ描いた人様作)にて【麦食らい】、裏路地の達人達(黒豚和牛様作)にて【鉄山靠】【霍打頂肘】を購入。
※その他:SARUO様の水の都アクエリアにて”第七層””第十二層””第十八層””第二十五層””第三十三層””第四十二層””第四十五層””第四十九層””第五十層”をクリアし、報酬6000sp、≪セントクワイエス≫≪カメのスープ≫≪ダリの愛槍≫≪海の呼び声≫を獲得。焼きフォウ描いた人様の城館の街セレネフィアにて”大鴉退治”をクリアし、報酬1100spを獲得。
※ミマス様作、不在の遺跡調査クリア!
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■後書きまたは言い訳
26回目のお仕事は、最近、次々と気楽に遊べる面白い冒険を作ってくれている、ミマス様の不在の遺跡調査でした。
100KB祭りで出品なさっている作品も面白かったのですが、新しい技能も色々増えたので、やはりここはアンデッド相手に戦うものにしてみようかとこちらを選びました。
リードミーには、黒幕の人間がこのシナリオで出てこなかったので真相解明編を作ろうかとあり、どんな悪い魔術師や神官が出てくるのだろうと今からワクワクしております。
シナリオ自体は謎解きありのダンジョンで、実は宝箱の中身は持って行くこともできるそうです。実を言うと、まだLeeffesやったことがないのですが…。
ゾンビパウダーを使われたトロールと、そこから生まれるアンデッドという設定は、なかなかぞくっとさせられる不気味さがありますね!やっていて結構怖いものがありました。
ゾンビパウダー自体は墓守の苦悩(Ask様作)が初出のアイテムですが、これって直接イラスト(というか素材?)が出てきたことはなかったですね。
なので、これこれこういうものです、という描写が出来ずに曖昧な感じになってしまいました。
このシナリオで本棚から回収した【渦巻斬り】は、同作者様の作っている「静寂の都市フィルト」でも販売されているスキルです。
「静寂の都市フィルト」はAsk絵でお馴染みの16色スキル&アイテムが色々と揃えられるので、そっちの絵柄で技能を統一したい!という方にはオススメです。
【渦巻斬り】、結構面白いので持たせようかと悩んだのですが…剣技を使うシシリーと適性(筋力+狡猾)がどうしても折り合わず、残念ながら今回は見送らせていただきました。
ですが、もし他宿でリプレイをなさっている作者様がいらっしゃったら、≪狼の隠れ家≫から横流し品として出しても面白いのではないかと……げふげふ。
そろそろ防具を買い始めてもいいかな、と思うので、アクエリアに行く前にちょっとお店シナリオを色々と出入りさせていただこうと思います。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/30 11:59 [edit]
category: 不在の遺跡調査
Wed.
不在の遺跡調査その2 
ロンドが最後のゾンビをスコップで横殴りにすると、腐肉の垂れ下がった不死者は壁に叩きつけられたまま動かなくなった。
シシリーが刃についた汚物を拭い、剣を収めて目の前の扉を見つめる。
それでも油断は禁物と自らに言い聞かせていると、ドアの点検を終えたアンジェが大丈夫のサインを出すのが見えたので、ノブを回して開ける。
そこはがらんとした部屋で、唯一の装飾と言えるものは、奥にある本棚くらいであった。
「収められている本は、ほとんど風化してるんじゃないかしら」
「いえ、ちょっと待ってください。ここのはまだ、いくらか読めるかも」
シシリーはざっと背表紙を見ただけで眉をひそめたのだが、もう少し細心に観察していたウィルバーが≪万象の司≫を握っているのと、反対側の腕を棚へ伸ばす。
試しに開いてみると、ほとんどがリューンやキーレで学ぶことの出来る剣術ばかりが書かれた武術書であったのだが、中にひとつだけ聞いた事のない剣術が紛れており、彼はシシリーを呼んだ。
「何か変わった剣術があるようなのですが…あなたなら分かりませんか、シシリー?」
「どんなのかしら」
内容を詳しく読んでいくと、剣を旋回させて斬りつけることで、どこから剣先が襲い掛かるか分からないようにした撹乱攻撃らしい。
物理的な攻撃であるために霊体には効かず、剣を回すことで生まれる空気抵抗から命中率もあまり高いとは言えないものではあるが、今まで聞いたこともない技術である為に、どこかそういう技術交流を尊ぶ場所でもあれば高く売れるかもしれない。
ウィルバーはシシリーから頼まれ、耐久力のなさそうな原本をこれ以上破損せぬよう、別紙に書き写したのちに本棚に戻そうとしたのだが、あいにくと年月の経った羊皮紙はすでにボロボロであり、空中分解した上に読めなくなるほど崩れてしまった。

魔術や法術に関しての書もあったのだが、こちらは大都市で習得が可能な呪文ばかりであり、今の彼らには無用の長物でしかない。
調査の終了した部屋を出て、暗い廊下から彷徨い出てくるワイトやグールを退治するうち、少しだか腐臭が薄れてきたように思われた。
「ひょっとして、減ったのかな?」
「かもしれんぞ、おちびちゃん。かなり連戦してきとるからの」
旗を掲げた爪にとって、今のところ手に負えない敵というわけではない。
これまでの負傷も軽度で、シシリーが【癒身の法】を2回使うだけで済んでいる。
ただ、これで一昼夜戦い続けるのも面倒ではあるので、出来ればアンデッド発生に関する謎も解いておきたいところであった。
冒険者稼業にとって辛いことに、いくつかの扉の向こうは宝箱だけが置かれていたということが数度あり、開けて中身を確かめてみたいロンドとアンジェなどはウズウズして落ち着きがない。
「こっちの小部屋は何にもないね」
最後の部屋の中を確かめたアンジェがそういうと、一行はその場で車座になって相談を始めることにした。
「本棚には大して参考になる文献は残ってませんでしたね…」
「ここと、ここ。あとここも宝箱置いてた部屋ね。ただし、罠も変な仕掛けもなし…あたしが調査した限りではだけど」
「ここは確か行き止まりだったな。同じ壁に面している部屋がいくつかあったから、ここもドアがあるんだろうと思っていたのになかったはずだ」
「気になるのは…ここじゃのう」
老婆の皺の寄った指が、ある一点を示した。
遺跡に入ってすぐ左手の道を直進した先にあった部屋である。
そこには見慣れない言語による文字が彫られた石碑が、ぽつんと佇んでいるだけであった。
魚人語辞書を持っているシシリーも、数々の伝承を調べるうちに精霊語や妖精語を習得したテアも、読解が出来なかった文字である。
あいにくと【解読】の可能なアイテムも技術も持っていない一行は、しばらく思い思いの仕草を取りながら考え込んだ。
ふと、テーゼンが顔を上げて言った。
「そうだ。依頼主の人間は、ここの遺跡について研究してるんだろ?この遺跡を残した民族が使ってた言語の辞書、持ってねえのかな?」
「それ、それですよテーゼン!いい考えです」
喜色を露にウィルバーが同意する。
アンデッドとのエンカウント率はまた上昇してしまうだろうが、これから小屋で休憩を取るのであれば、旗を掲げる爪側の疲労は回復する。
こちらが回復できるのなら何とかなるだろう、ということになり、彼らは小屋に引き返した。
しばらく無人の小屋の中を漁っていた冒険者たちだったが、妙なところで目ざといロンドが机の中からはみ出している紙切れの端が気になり、それを引っぱり出す。
「なあ、ウィルバーさん。これって…」
「おお!やるじゃないですか、ロンド。スクロールですよ、中に解読の魔法が封じられていますね」
使い捨てのスクロールは貴重なマジックアイテムのひとつで、封じられている魔法によっては宝石よりも高い価値を持っていることがある。
その点、【解読】は一般的に売られている魔法の中ではポピュラーではないものの、ある程度は普及しているだけあって、使用しても依頼主から怒られることはないだろうと彼らは推測した。
しばらく小屋の中で休憩を取り、英気を養った冒険者たちは、再び遺跡の中へと挑んだ。
依頼主の忠告どおり、またもやアンデッドたちの出現する率が高まっているようである。
「しかもワイトが二回も出てくるとか…」
テーゼンはげんなりした顔になった。
ワイトはゾンビやスケルトンに比べると格段に厄介なアンデッドのひとつで、その身体を取り巻く黄色い光には生者の心を凍てつかせる邪な力が秘められており、触れられるとその場で精神力を枯渇させてしまうのである。
精神力が枯渇してしまうと、魔法や武器の技術などを繰り出すことができなくなってしまうので、アンデッド対策をそちらだけで用意しているパーティなどには鬼門のモンスターであった。
「とりあえず倒したし、今のところ被害もないだろ。ほら、行こうぜ」
「……てめぇ、本当に脳みそまで筋肉なんだな……」
気軽にスコップを担いだロンドに嫌悪の目を向けたテーゼンだったが、進むことには肯定を返す。
一行はもう一度、石碑のあった部屋まで戻っていった。
アンデッドが途中で部屋に侵入してきたりしないよう、アンジェが楔でドアを固定する。
安全を確保すると、ウィルバーがスクロールを広げて合言葉を唱える。
今まで意味不明だった刻まれた言語が、たちまち分かる言葉となって彼の眼に映った。

「『グラノア神殿』…あと、『神を奉らんと欲するもの、我が許に聖なる力を捧げよ』とあります」
「聖なる力?そのフレーズ、前に聞いたことあるよね」
アンジェが呟くと、ああと思い当たったようにテーゼンが吐息を漏らした。
「あれだ、六角沼の遺跡。ヒドラを焼く聖なる火を灯すために、祭壇に捧げた…」
「ということは、リーダーにまた頑張ってもらう必要がありそうじゃの」
老婆の眇められた目が、シシリーと彼女の腰に佩いた剣に向けられる。
彼女の促しに気づくと、すらりと≪Beginning≫を抜いたシシリーが、癒しの法術を使うときのように集中し始めた。
神聖なエネルギーにより、白銀色の光を帯び始めた刀身を石碑にピタリとつける。
敵を叩き斬るときとは違い、そっとした動作であったのだが、石碑は剣と接触した部分から白銀色の光のひびがあっという間に走り、まるで硝子のように砕け散った。
以前の祭壇と同じだと一同が注意を払っていると、遺跡内のどこかで魔法的な作動音が響いた。
何かの仕掛けが解除された証かもしれないので、旗を掲げる爪はまた遺跡の探索を開始した。
2016/03/30 11:57 [edit]
category: 不在の遺跡調査
Wed.
不在の遺跡調査その1 
そんな時にウィルバーが持ってきたのが、この貼り紙であった。

「遺跡に大量のアンデッド発生……?」
「グラノ村か。聞いたことがないな」
「っていうか、あたしたちで遺跡の冒険って珍しいね」
口々に言う孤児院組みの3名の言葉を小耳に挟んで、くるりと宿の亭主が彼ら一行を振り返った。
「おや、あんたたち、その依頼に興味があるんだな?」
「いや、そういう訳では…」
まだ検討中なんだ、と続くはずだったテーゼンを遮って亭主は言う。
「それはグラノ村近辺の遺跡調査の依頼でな。中にアンデッドが巣食っているから、退治してほしいらしい」
「ああ、なんだ。いつもと同じ討伐系統の仕事なんだね」
「そういうことです。それなら、まあ慣れていると言ってはちょっとアレですが、他の仕事よりは手早く済ませられるかと思いまして」
「ただし、遺跡内の宝箱などには手を触れないで欲しいそうだ」

ぐりん、と全員の首が亭主の方へ向けられる。
一斉に不満の声が上がった。
「なんだそりゃ!?冒険者に遺跡へ潜らせて、宝箱に触るなって!?」
「ずいぶんと殺生な話じゃの……」
「…僕、この依頼のやる気なくなってきたぜ…」
「むむっ、そんな依頼だったとは……いけません、その条件は想像の外でした」
「いや、想像しておこうよ、おっちゃん。だって調査機関からの依頼なら、アンデッド追っ払った後に自分たちで探索したいんでしょ」
「アンジェの言うとおりだ」
宿の亭主が重々しく頷いた。
遺跡調査委員会というこの仕事の依頼主は、貴重な遺跡の調査・探索・保護を目的に動いている組織なのだが、遺跡における罠やモンスターに対して専門家――すなわち、冒険者たちほど技に秀でているわけではなく、あくまで知的活動として歴史的遺物である遺跡に対している。
つまり、何らかのトラブルがあるごとに、適当と思われる冒険者を雇うようにしているが、遺跡自体は自分たちで調べたいということらしい。
「また遺跡の近くには休憩用の小屋があるそうだから、休みながらアンデッドと戦えば比較的楽に依頼を進められるだろう」
「ふむ。この依頼、面倒そうじゃが受けるか?」
「そうね……」
シシリーはちょっと苦笑したが、宿の他のパーティを見渡すと、慌てて皆が目を逸らしている。
そんな美味しいところのなさそうな依頼は、興味がないということなのだろう。
いつまでも放って置かれる依頼が出てしまうと、結局、仲介料を貰っているであろう宿の亭主が困ることになる。
あまり食指の動く仕事ではなさそうだったが、現金でもらえる報酬もそこそこということで、シシリーは一応頷くことにした。
「今から地図を渡すから、少し待ってな」
やっとこの仕事が片付きそうだと思った亭主は、破顔していそいそと彼らに必要なものを渡し始めた。
地図の他、葡萄酒も二本付けてくれる。
テーゼンがしばらく地図とにらめっこした結果、到着までに半日は掛かるだろう、ということだった。
「この依頼は直接現地に向かうの?それとも…」
「依頼人は休憩用の小屋で待っているそうだ。向かったら先に話をしておけよ」
と亭主がシシリーの疑問に答えた。
あまりやる気は見られないが、旗を掲げる爪はやむを得ず出発することにした。
まだ雪の多い道を、転ばぬように注意を払いながら、体力の少ない者を気遣って休み休み進む。
「それにしても……宝箱、あっても開けられないのかー」
道中で未練たっぷりに零しているのは、ロンドである。
以前に探検したかぼちゃ屋敷でもそうだったが、彼は宝探しという単語にとてつもなく浪漫を感じるらしく、今回も亭主にその夢を打ち砕かれるまでワクワクしっぱなしだったのだ。
その背中を慰めるように老婆が叩いた。
「世の中、こういう依頼もあるということじゃな。引き受けた以上は、一応完遂させんと」
「テア婆さんの言うとおりだろうけどさ…うーん」
「兄ちゃんはまだいいよ、戦士なんだから」
と口を挟んだのは、さっきからわざと凍っているところを選んでは滑っているアンジェである。
「盗賊が宝箱目の前にして、手を出しちゃいけないんだよ?ストレス溜まっちゃうよ!」
「……いや、その、あんな依頼とは思わず、すいません…」
持病の胃痛が若干襲ってきたものか、胃の辺りを押さえつつ大人が謝る。
「報酬も適性の範囲内だったし、そう遠くもなければ、拘束期間も短いようだったので、悪い条件ではないと思ってまして……」
「だけど、そもそもダラダラと過ごしてた僕らが容易に見つけられた時点で、怪しかったんだろうな」
魔術師の精神的傷口に塩を塗りこめると、テーゼンは翼を羽ばたかせて上空へと浮いた。
しばし旋回すると、さっと下りてきてシシリーに告げる。
「見つけた。たぶん、問題の遺跡だと思うぜ」
「アンデッドが出てきている様子はある?」
「僕が見れた範囲内では、ないみたいだな。あと、入り口の近くに山小屋っぽいのもあった」
「きっとそこが依頼主のいる小屋ね…。もう少しで着くから、みんな頑張って」
シシリーは全員に声を掛けると、先頭に立ってふかふかの雪道を踏みしめ、後ろから通る者たちが少しでも楽に通れるようにと工夫した。
ほどなく到着した小屋の近くまで行くと、直近にある遺跡から微かな腐臭が漂ってくる。
何人かが、腐肉のついたアンデッド特有の匂いに眉をひそめた。
「あれ?何か貼ってるな…」
テーゼンが小屋の前に張られた紙に近づいた。
遺跡調査の前に説明しておきたいことがあるので、先に小屋に入って欲しいとある。
出迎えもなしか、とぶつぶつ文句を言ったテーゼンだったが、とりあえずノブを回し、小屋の中へ踏み込んだ。
寝台がひとつ、机がひとつ、大きくて頑丈そうな本棚がひとつ――生活空間としては、少々問題のあるだろう小屋の中は冷え切っていた。
「誰もいないね」
テーゼンの後から続いて入ってきたアンジェが、きょろきょろと見回して言う。

机の上にメモが乗ってあり、ぴらりとウィルバーが取り上げる。
それには、遺跡について、アンデッドの特徴についてなど、様々なことが書かれていた。
このメモを残したのは遺跡調査委員会のもので、彼は普段、グラノ村で暮らしているとある。
道理で、この小屋の物が異様に少ないわけだ。
彼はこの小屋で冒険者たちと対面し、遺跡について色々と伝えるつもりであったようだが、急用が出来てしまった為に、メモを残したそうである。
お詫びの追加報酬を置いておくともあり、アンジェは銀貨100枚分の価値があるジーベック銀行券を
メモの裏に発見した。
「ふむ……この遺跡、数週間前の土砂崩れで偶然発見されたとありますね」
「いつの時代のものなのかしら?」
「今から数百年前に造られたものであるのは間違いないようです……独特の習慣を持った民族の手になる遺跡であるため、学術的に貴重ということらしいですよ」
「アンデッドについての詳細はあるかの?」
「三種類いるとあります。でも…何の変哲もないもの、っていうのはゾンビなんでしょうかね?」
首を傾げたウィルバーが、メモの続きを読み上げる。
「あとは触ると痺れる爪を持つもの、再生能力を持つもの……」
「ほう。グールやワイトの類のようじゃな」
テアは数々の伝承や伝説を知っているだけあって、そういう話に出てきたモンスターにも詳しい。
ウィルバーの読み上げた特徴から、近いと思われる不死者の種類をあげてみせた。
おそらくそんなところだろう、と同意の頷きを返したウィルバーだったが、メモの下端に書いてある走り書きを見て、難しい顔に変わった。
「倒していくと数が減り、いくらか出会いにくくなる…が、しばらくするとまた数が増える?」
「妙な話だな」
と言って、テーゼンが首を傾げた。
彼の知る限り、村の中など人の集落でのアンデッド発生ならともかく、遺跡という閉鎖空間におけるアンデッドが、速いペースで増え続けるということはあまり例がない。
なぜなら、ゾンビやワイト、あるいは吸血鬼などは、”人を襲う”ことで数を増やすからである。
人のいない遺跡の中で、一度数を減らしたはずのアンデッドが何故また増えるのか?
意外と今回の依頼は、思っていたより難しいものなのかもしれない。
黙り込んでしまった仲間たちに代わり、しばし考え込んでいたシシリーが口を開いた。
「ひょっとしたら、そういう死霊術による発生装置みたいなものが、遺跡にあるのかも知れないわね」
「だとすると、そういうものをどうにかするのも仕事のうちになるでしょうね」
リーダーの立てた予測に魔術師が相槌を打つ。
そして彼は最後の数行を読み上げた。
「ああ、遺跡から出ることがなければアンデッドは増えない、とあります。生命感知の魔法かそれに類するものが、遺跡のどこかにあるのかもしれません。それに引っかかると、アンデッドを一定数まで召喚する……」
ウィルバーはそこまで考えつつ喋った後、机の脇に立てかけてあった杖を手に取った。
依頼主がアンデッド対策に置いていったアイテムだと、メモにあった品だ。
聖なる力の篭った杖は、何度も使うと力が切れてしまうものの、安全なところで魔力を込めなおしたら再度の使用が可能となるらしい。
「杖ですか……私は≪万象の司≫があるので、出来れば他の方にお持ちいただきたいのですが」
「その杖、長すぎてあたしじゃ邪魔になっちゃうよ」
「僕も槍があるから、それ持ってると動きづれえんだよな」
ウィルバーの要請に、たちまち及び腰になる者が二名。
シシリーも困った顔になって杖を見つめている。
「私も剣で戦うし、ロンドだって敵が見えたら、まずスコップ構えちゃうでしょう?」
「ああ。そだ、テア婆さん使ったら?」
効果を聞きはしたものの、そんな大した品物だとは思っていないロンドが、ごく自然な手つきでテアに杖を渡した。
歩行補助に使えば?ということらしい。
さすがにちょっと絶句したテアだったものの、確かにあれば便利であることは間違いないので、ありがたく使わせてもらうことにした。
遺跡に潜る前に改めて装備を確認し、納得が行くと、一行は遺跡へと向かうことにした。
2016/03/30 11:52 [edit]
category: 不在の遺跡調査
Fri.
プレゼントは私その2 
種類も種族も分からない、洞窟に住み着いたモンスターというのは、鉱山でも出会ったことのあるオークであった。
集団生活を好むこいつらは、その腕力や生命力よりも恐ろしいのがその悪臭である。
生来、嗅覚に優れている犬にとってはたまらないことだろう。
現にビルギットも、懸命にロンドについては来ているが、鼻が利かないとしょんぼりしている。

おまけに洞窟はオークが作ったらしい罠があり、さっそく落とし穴で怪我を負ったロンドは憮然とした表情になっていた。
せめてテーゼンやアンジェのように周囲を調べることが出来ればと思うが、彼にそんな技術はない。
ある一定の地点まで訪れた時、急にビルギットは自分の鼻を前足で押さえ、蹲ってしまった。
「ここら辺、くちゃいよ…。他のところの倍ぐらいくちゃいよ…。うう、あた…ま…痛いよぅ…」
「ビルギット、大丈夫か?…匂いが酷いとなると、ここら辺に多くオークが…?」
「はやく、ぬけよう…」
「ちょっと待ってろ、いいもんあるから」
ロンドもだんだん強くなる匂いに頭がくらくらしてきたが、荷物袋から白い花を一輪取り出し、ブルドッグのつぶれた鼻へ差し出した。
かなり初期の冒険で、変なテンションの人骨から貰った百合だ。
嗅ぐとなんとなく勇気の湧いてくる枯れない花は、少しだけだがオークの悪臭を和らげてくれた。
さぞ多くのオークが待ち構えているだろう、と覚悟をして道へ飛び込んだ1人と1匹は…。
「やった!出口だわ!これでアイリスちゃんに会える!くちゃいのともお別れ!」
「いや…」
外の光が燦々と差し込んでくる洞窟の出口と、
「ちっ、最後の最後で数が多い。ビルギット、隙を作るから駆け抜けてしまえ。豚は俺に任せろ」
とスコップを片手にロンドが唸ったように、オークロードが手下を従えて立ちはだかる姿を確認した。

「やだ!ブルドッグは納得できないことは…聞かないの!私も少しなら戦えるもん!」
「ええい、お前が足元でちょろちょろしてる方が俺は怖いんだって!踏み砕きそうで!」
目前のオークより足元の犬に悲鳴を上げたロンドは、小さく付け加えた。
「…まったく…悪い子だ。良い子だと親父が言ってたのは嘘だったみたいだな」
「悪い子でいいですよぅだ!宿に帰るまでが冒険だもん。ロンドが帰れなかったら、私、やだもん」
「仕方ない…共に抜けるぞ、ビルギット!」
「うん!頭痛いけどがんばる!」
5対2というあからさまに不利と思われたロンドたちだったが、ロンドが血まみれになりながらもスコップを縦横無尽に振り回し、どうにか最後の一匹まで駆逐した。
最後のスコップの一撃を食らい、
「ぶひぃ!?」
と鳴いたオークが倒れる。
額から流れる血を乱暴に拭いつつ、ロンドは足元の犬へ話し掛けた。
「よし。これで通り抜けられる。これならば、間に合うはずだ」
「うん…今度こそ…アイリスちゃ…んの家に…」
「ビルギット?」
ロンドは頼りなげなビルギットの声に不審そうな声をあげた。
とさり。
小さな犬の体がその場に横たわる。
「ビルギット!?」
「あたま…いたい…」
「ああ、もう言わんこっちゃない!おい、しっかりしろ!ビルギット、おい!」
少年は自分が怪我をしていることも忘れて狼狽した。
今はシシリーもテアもテーゼンもいない。
魔法や薬草の技術で、彼女を治すことが自分には出来ないのだ。
ブルドックの体を前に右往左往していたロンドだったが、その場で匂いを我慢して深呼吸し己を取り戻すと、震える腕でビルギットを抱き上げた。
(これは犬じゃないこれは犬じゃないこれは犬じゃないこれは犬じゃないこれは犬じゃない…)
必死に自分へ言い聞かせ、小さな体を揺らさないように抱えて洞窟を出る。
ビルギットは何か夢を見ている(ロンドは犬が夢を見ると初めて知った)らしく、何か呟いている……ロンドは、それを聞かなかったことにした。
どれだけ経っただろうか――ふるりと身震いした犬は、黒々とした丸い目を開けて辺りを見回した。
「起きたか。…お前、気絶したんだよ。犬にあそこは辛かっただろ」
「…なんか…夢…みた…の。……あれ、なんか…暗い?」
「洞窟からここまで運んでくるのは、別にどうってことないんだけどな。…動かして大丈夫なものか、分からなくてよ」
仲間内から、筋肉馬鹿だの脳みそ筋肉だの言われ放題のロンドである。
体力的な問題は皆無だったのだが、問題は精神面の方であり、今でも鎖帷子や衣服に覆われた下の皮膚は粟立っていた。
しかしそれをおくびにも出さず、ビルギットに具合を尋ねる。
「そんなの!平気よ、ありがとう…」
ビルギットは、そこで何かに気づいたようにハッとなる。
時間の経過――パーティの期限は?
黙りこんだままのロンドに、もう猶予がないことを察した。
「い、急ごう。私のせいで、ごめんね……がんばって、歩こう」
「……ああ」
間に合わないかもしれない――意識を取り戻したブルドックは必死に歩いているが、ペースも格段と落ちており息苦しそうである。
体力の限界が近いのだ、ということは、容易に見て取れた。
「終わっちゃう…間に合わない…間に合わないよぅ。…どうしよう、どうしよう…」
「……」
「…はっ…はっ…。…ぐすっ…ひっく…。…アマリア…」
ついにはへたり込んでしまったビルギットが、悲しげな泣き声と鳴き声をあげた。
「犬畜生にしては…お前はがんばった。よくやった。…だから、休め」
「…まだ…まだ、頑張れる…。少し、休んだら…!まだ、歩くもん…!」
「呼吸は整ってきたようだが、お前の足では間に合わない…残念だが、無理だ」
「…間に合わない…なんて…。…うえ…ぐす…。アマリア、ごめんよぅ…。ごめんよぅ…!!」
「……」
ロンドは意を決して彼女に宣言した。
「…ビルギット。リボンをつけるぞ」
「……え?」
有無を言わせず、不器用なごつい手がシフォンでできたリボンを、ビルギットの細…くもない首に結んだ。
「ロンド!?わ、私、重たいよ!?20キロあるよ!?」
「お前ぐらい軽いもんだ!お前の足で間に合わんのならば、こうするしかないんだよ!」
再び粟立つ肌を意識して気にしないようにしながら、彼は言った。
「しっかり捕まれよ!依頼を引き受けたからには絶対にやり遂げる。それが冒険者の誇りなんだぜ!必ず、期限までに送り届けてみせる!」
「……うん!」
1人と1匹は、いよいよ雪のちらついてきた中を懸命に進んだ。
道はまだ伸びており、彼らの足元は氷が侵蝕しつつある。
でも。止まることだけはしない。
「…ロンド。プレゼント、喜んでもらえるかな?」
「喜ぶに決まってるだろ!」
「アイリスちゃん…好きになってくれるかな?私のことなでなでしてくれるかな?」
「めちゃくちゃ撫でまわすに決まってるっての!絶対に!」
ずるり、と左足が滑りそうになって、慌てて踏み止まる。
……実は失血のせいでロンドの体調も万全とは言えないのだが、そんな事を気づかせるわけにはいかない。
「…でも…不安なんだ…。私、鼻ペチャワンコだし…子犬でも、ないし…。おっさん面、だし…」

「犬嫌いの俺が抱えて走れるくらい、お前はクソ可愛い犬だよ!自信を持てよ…!!」
「……うん!ロンド、大好き!ありがとう!!」
「俺は、犬は嫌いだがな!いい加減、黙ってろ!舌を噛むぞ!」
街に辿りつく――ここからさらに、目当ての家を探さなければいけない。
だが、諦めたりなんて、できない。
ここ!と声をあげたのは、腕の中のビルギットの方だった。
小さなレンガ造りの、居心地の良さそうな家であった。
ビルギットの鼻には、柔らかなスープの名残りの匂いや、まだ暖炉で弾けている薪の焼ける匂い、清潔そうな布団の匂いなどが届いている。
彼女の耳が我知らず、緊張で揺れていた。
「…まだ、起きていてくれるといいんだが…」
コンコン、とこの少年にしては穏やかな音でノックをする。
程なく女性の軽い足音が聞こえ、ドアが開かれた。
「はーい!夜遅くにどちら様かしら…?」
「あ、お母さ…ん…!わ、わた、私!あの、えっと、たんじょうびの…!」
母性を感じさせる優しい笑みを見せた女性に、ビルギットが慌てて声をあげるが、なかなか意味のある言葉にならない。
「アマリアさんからアイリスさんへ、誕生日プレゼントのお届けです。アイリスさんは…いらっしゃいますか?」
「ああ…!そのリボン!ビルギットちゃん…!ビルギットちゃんでしょう!」
「なんだ、よかった。親父から連絡が行ってたか。…そうだ、この子がビルギットだ」
「やっぱり…!アマリアからの手紙には、いつも必ずね、貴方の事が書いてあったのよ…!アマリアの最高の相棒だって…!」
もっとよく顔を見せるように、と言われたビルギットはおずおずと女性の方へと寄っていく。
その様子に微笑んだアマリアの母は、苦労して来たらしい2人を奥へと誘った。
彼女の言によると、馬車が動いてないからビルギットが来れないと、アイリスが泣きっ放しであったという。
それを聞いたビルギットは、慌ててぐるぐる回りだした。
「泣いて!?な、泣かしちゃったの、私!?どうしよう、ロンド!嫌われちゃうかも!?」
「そんなわけ…」
ないだろ、と続けようとした声は、幼い歓声によって遮られた。
「わんわんのこえ!ビルギットちゃん!?ビルギットちゃんがきたの!?」
慌ててがちゃがちゃとノブを回す音と、開いたドアから勢いよく転げるように走ってくる、子供の足音。
もう、耳に届く音だけで、ビルギットが幸せに迎え入れられるだろうことが、ロンドには理解できた。
「び、ビルギットちゃん!」
「は、はい!」
「お前にプレゼントだ。この子はずっと、お前に会いたがってたんだぜ…ほら、ビルギット」
「ビルギットちゃん…。あいたかった…!!」
「うん…!私も、会いたかった!アマリアの大事な、アイリスちゃんに!」
そんなに勢いよく尻尾を振ってると千切れるぞ、と茶化したロンドは、アイリスの母が持ってきてくれたスープと葡萄酒を、礼を言って受け取った。
温かな暖炉のそば、彼は星のそばで見守っているであろう、あの世のアマリアに――気絶していた際のビルギットが、夢の中で助けたくても助けられなかった亡き一人の冒険者にに――杯を掲げた。
※収入:報酬500sp、≪レッドブル≫、≪傷薬≫
※支出:
※ユメピリカ様作、プレゼントは私クリア!
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■後書きまたは言い訳
25回目のお仕事は、ユメピリカ様のプレゼントは私でした。
先に謝罪から入ります……ユメピリカ様、ごめんなさい!
実はこちらのシナリオ、本当はクリスマス用の作品なのです。
ただ、それだとパーティの初期の冒険がハロウィンであった旗を掲げる爪が、とんでもない密度で冒険を繰り広げていることになってしまい…途中で解散の危機もあったので、クリスマスよりもうちょっと後の出来事にするしかなかったのです。
どうしてもこれをリプレイにしたかったのですが、時期だけをずらさせていただいております。
ユメピリカ様本当にすいませんでした。
ビルギットの可愛らしさにほっこりする作品で……プレイヤーは犬が好きなんですが、犬嫌いのロンドだとこういう反応なんですね。
犬嫌いPCで今までプレイしたことがなかったので、途中で色々笑ってしまいました。
お前、そんなに犬が怖いのか!
ロンドがなぜ犬を嫌っているのか、という設定は一応作ってあるのですが、まさかここまで根深いとは…敵対する相手が犬を飼ってたら、この人きっと動けませんね。
ユメピリカ様の作品は、どこかビターな深い味わいがあるものが多いのですが、今回もそうです。
リプレイに書き起こしてはおりませんが、エンディングなど「あああ」とプレイヤーが呻きたくなってしまいました…親父の優しさプライスレス。
ビルギットの心の傷を、アイリスがゆっくり癒してあげられることを祈らずにいられません。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/25 13:12 [edit]
category: プレゼントは私
Fri.
プレゼントは私その1 
宿の亭主がロンドにそう切り出したのは、旗を掲げる爪が鉱山に巣食ったオークやオーガたちを退治してから5日後のことであった。
最近は宿の掲示板に貼られる仕事の数も多く、ほとんどの所属冒険者が出払っている。
ロンドの仲間達も、新しい技術の習得や、知り合いからの要請などで不在になることが多い。

「お前の同業者の護衛がメインだ。隣町まで送ってやって欲しい。期限は××日までに…」
「…後、2日か。隣町ならば馬車で1日だったから、悪い仕事ではないな」
「それがな…」
亭主は厳つい顔を沈痛な面持ちに変えて告げた。
「馬車の組合がストライキ中で、運行がストップしているんだ」
「つまり、歩きで2日。…不可能だ」
「正規ルートを通れば3日はかかるからな。…だが、抜け道がある」
「あ?」
本人にそんなつもりはないのだが、ロンドの場合、生返事をすると妙に迫力があるというか、他人を威圧する感じになってしまう。
ここ半年近くの付き合いの中でそれを分かっている亭主は、たじろぐこともせずに悠然と目の前の少年(ただしガタイは並の大人よりごつい)に対してひとつの案を出した。
「整備されてない道を…しかも、モンスターの住処を突っ切るルートを取れば、ギリギリだが…間に合うはずだ。…やってくれないか?」
「……冒険者は横の付き合いも大事だって、先輩が言ってたしな。暇なのが俺くらいしかいないってんなら、構わないよ」
「そうか!」
宿の亭主は喜色を露に身を乗り出した――よほどその同業者に貸しでもあるのだろうか?
「すまんな、感謝する。じゃあ、依頼人を紹介しよう」
「ワン!」
「………えっ?」
宿の中で聞こえた鳴き声に、浅黒いロンドの肌が見る見るうちに青ざめていく。
ほどなく亭主が招いた相手は、この世でもっとも彼の嫌う存在だった。

「冒犬者のビルギットだ!よろしく頼んだぞ!」
「どうみても犬。しかも…ぶちゃいく犬」
さり気なく後退しながら呟いたロンドへ、昂然と言い返す声があった。
「ひどい!失礼しちゃうわ!親父さんはかわいいって言ってくれるもん!」
「しゃ…しゃべったあああああああああ!?」
実はロンド、以前にかぼちゃ屋敷でしゃべる犬(中身ウィルバー)に出会っているのだが、あれはお化けによる特別な魔法の仕業であった為に、犬が人語を話す現実に動揺しまくりであった。
可愛らしい小さなブルドッグは、きょとんとした(犬でもそういう顔はある)表情でロンドを見返している。
「しゃべるのが変なの?親父さん、私、変…?」
「冒犬者は喋るものだろう。何言ってるんだ、お前は。…もしかして、犬嫌いか?」
「犬は大嫌い!って、そういう問題じゃ…」
「はうっ」
ビルギットはショックを受けたのか、さっきまで元気よく揺れていた尻尾が、しょんぼりと動かなくなった。
「お前、本人を前にして大嫌いって…。デリカシーなさすぎだろう」
「なんだろうな、この理不尽さ!」
ロンドは白髪の頭を抱え、オーバーリアクションで呻いている。
だがこのままでは話が終わらないと、必死で気を取り直して質問を始めた。
ちなみに、ビルギットからさり気なく距離を取ることも忘れない。
「依頼について聞かせてくれるか」
「なんでも聞いて!私、何でも答えるよ!」
「あー…そうだな。依頼の詳細を教えてくれ」
「えっとね、隣町のアイリスちゃんのお家に行きたいの。お誕生日までに!」
「1つ質問がある。なぜ危険を冒してまで、誕生日に拘るんだ?」
「だって、誕生日プレゼントは誕生日までに届くはずでしょ?違う?違うの?」
「なんだ、プレゼントを届けに行くのか」
アンジェよりもあどけない子供を相手にしているようで落ち着かなかったが、説明されたことは納得のいくものであったため、ロンドはゆっくりと頷いた。
ところが。
「うん!プレゼントになるの!ほら、おリボンだってちゃんとあるんだよ!」
淡い紫色のシフォンでできたリボンを、すかさず亭主につけて貰い、誇らしげに犬はポーズを取った。
「よーしよし。かわいいぞー!似合ってるぞー!」
「…親父さん…アンタ、親馬鹿つーか犬馬鹿だったのか……」
宿の亭主にほめられたことが嬉しかったのだろう、ビルギットは尻尾をブンブンと振っている。
非常に嬉しそうだ……だが、そこで水を差すのがこの男である。
「自分がプレゼント…なのか。おっさん面の犬にリボンは似合わんと思うがな」
またちょっとショックを受けたらしく、尻尾があからさまに彼女の反応を伝えている。
犬は嫌いだが悪いことをしたな、と思ったロンドは、それ以上余計な質問をせずに、依頼を行なう前の確認事項を訊ねることにした。
このビルギットという犬は、アマリアという人間の少女とコンビを組んで仕事をしていたらしいのだが、彼女の実家に贈るプレゼントが金欠で用意できないからと、相棒であるはずのビルギットをプレゼントと偽って送ることにしたらしい。
これを聞いたロンドは、あまりにもしょうもない理由に、アマリアに対して一言言ってやりたくなったのだが、あいにくとビルギットによれば、彼女は教会に行っていて不在だそうだ。
道中についてだが、さすがに犬であるためか、目的地までの道順は良く分かっていないそうである。
ここら辺は、人間であるロンドがしっかりサポートしなければならないということだろう。
ただ、自前の牙で戦うと意気込んでいるが…正直、近くで戦われるくらいなら、ちょっとくらい傷が増えても独りで戦闘したいと、ロンドは密かに思った。
断りたくはある。
よりにもよって、犬嫌いの自分に持ってくる依頼ではないだろう、とは思うのだが、この宿の中で現在暇を持て余してる冒険者の中で、種類も種族も不明のモンスターの巣と化した洞窟を、突破する実力があるのは確かにロンドだけである。
これ以上ないというくらい苦々しい顔で、目的地に向かうことを宿の亭主に告げた。
「すまんな…。じゃあ、これを渡しておこう」
地図とか弁当とかだろうか、というロンドの期待は一瞬にして砕かれた。
「これがビルギットのベッド代わりの籠で、これがお気に入りのおもちゃ。後、ご飯はこれで、おやつは…」
「…地図などではなく、犬のお世話セット…!?アンタ、本気でいい加減にしろ!」
「やー、冒険者なんだから、これくらいの荷物どーってことないよな?」
「荷物の重さ的には大したことはないんだが…」
「お前ならビルギット乗せたままでも運べそうだもんな」
「楽勝だけど勘弁してくれ!犬とそんなに接触したくない!」
すでに鳥肌がうっすら立っている腕を擦りながら、彼は懇願の入り混じった口調で叫んだ。
亭主はそんな彼の言い分を半分聞き流す。
「ご飯を食べた後は顔の皺など綺麗な布で拭いてやってくれ。後、フンの始末はキチンとだな」
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!」
「…そんなに犬が苦手なのか…。だが、受けたからにはやって貰うがな!」
「この…!嵌めやがって!だから、同業者としか書かなかったんだろう!」
「安心しろ、ビルギットは大人しい良い子だ。勝手にどっかに行くことはない」
「……行ってくれていいよもう…」
「それと、ビルギットはワンコだ。体力は人間よりずっと少ない。ペース配分に気をつけてくれ」
休憩を適宜入れるように、と亭主はアドバイスした。
「…自分から辛いなどとは、決して言わないだろうからな」
「…親父さん…。今までお世話になりました!…行ってきます!!」
「ああ…!達者でな。うおおおおおん!」
亭主とビルギットは、別れを惜しんでいる。
「…親父、そのツラで泣くの怖い。行ってくる」
「うおおおん、ビルギットのこと、頼んだぞぅ!」
彼らを見送る宿の亭主の泣き声をBGMに、一人と一匹は山道へのルートをまず辿る事にした。
もう冬の最中――人の行き交う道の中でも、頻繁に使われているところは一応黒い地面が覗いているものの、そうじゃない道や端っこなどは、真っ白な雪に覆われている。
下手な吹き溜まりに突っ込んだら、あっという間に埋もれてしまいそうな子犬は、
「この道を行けばアイリスちゃんに会えるのね!私、がんばって歩く!」
と、元気に走っていた。
何しろ一歩が非常に短いので、ちょこまかちょこまかと四肢が忙しなく動いている。
「ロンド!はやく、はやくー!」

「ったく、キャンキャンうるせぇ。わかったから、もうちょっと離れて歩け」
「ロンド…もしかして、わんこのこと…怖いの?噛まないよ、私」
「怖いんじゃない!やなんだ!」
「きっと昔、悪いわんこに噛まれたりしたのねぇ…」
しみじみとビルギットが言う。
それが正解かどうかは、ロンドには分からない。
彼にも、犬が嫌いな理由はしかと分からないからだ。
ただ、昔、ロンドが孤児院に来る前――もう本人はほとんど覚えていないのだが――に、恐らく何か犬にまつわるトラブルがあったんだろうと、これは院長が言っていた話である。
そのため、ロンドはともかく、と言って話を切り替えた。
「まずは1日目だな。山小屋まで辿り着くぞ。真っ直ぐ行けば夕刻までには着くはずだ」
「うん!がんばって歩きます!…あ、その前に1つだけ約束して欲しいの…」
「なんだ?」
「冒険は帰るまでが冒険だから、ちゃんと宿に帰るって約束。それで親父さんになでなでしてもらうの」
「なんじゃ、そりゃ。冒険は遠足じゃないんだぞ。しかも、なでなで…って…。…考えただけでも寒気が…」
自分が宿の亭主に頭を撫でられている図を想像しかけ、慌てて頭を振って追い出す。
年齢的にはあり得なくもないのだが……傍から見ると、やはりおかしな姿になるのは誰も否定しようがないだろう。
「なでなでは却下だが、帰還の約束は承知した。…ほれ、行くぞ」
「だめだよぅ、なでなでもセットだよぅ。ロンドは、恥ずかしがり屋さんなのね」
「もう否定するのすらめんどくさい……」
しばらく黙って、敷かれてから300年以上経っている古い街道を歩く。
肉球から直に伝わってくる雪の冷たさに、ビルギットはふるりと身を震わせた。
「うー…。やっぱり歩いていると寒いね。足が冷たいわ。ロンドは平気?」
「確かに寒いが…。犬ってのは雪が降れば庭を駆け回ると聞いたぞ。お前は猫みたいだな」
「暑いのより寒い方が好きよ?でも、雪とか踏むと肉球が冷たくなって嫌いなの。すごく嫌な思い出、思い出すし!」
「ほう、それは良いことを聞いた。どれ。雪合戦でもするか」
「動物虐待反対!」
「まぁ、良い。滑らないよう歩くんだぞ」
「はーい!」
軽口を叩きながら、雪で濡れたぬかるむ地面に注意を払いつつ、ただひたすらに足を動かす。
そうして、どのくらい経っただろうか――。
「…あ」
ロンドの横をちょこちょこと一生懸命歩いていたビルギットが、突然ピタリと止まった。
垂れた小さな耳をちょこんと立てて、しきりに首を動かしている。
(犬嫌いのため)見慣れない仕草に不審を覚え、ロンドは尋ねてみることにした。
「どうした?」
「女の人の悲鳴、聞こえたの。たぶん、道の横にある森の真ん中くらいだと思う、距離」
「俺には聞こえないが。空耳ではないのか?」
「すごくちっちゃい声だったから、人間には聞こえないと思う。ワンコは耳がいいんだよ」
と答えたビルギットは、悲しげに鼻を鳴らして尻尾を震わせている。
「助けてあげたい、でも…。私の体力じゃあ、あそこまで行ったら山小屋まで辿り着けない…」
「……」
「冒犬者として依頼を優先するべき。…でも困ってる人を…見捨てるなんて…辛いよぅ…。……アマリア……」
相棒からの大事な依頼を取るか、人と生きる犬としての矜持を取るか、小さな体で懸命に考えて迷っているらしいことは明らかだった。
ロンドの次のセリフは、非常に短かった。
「おすわり」
ビルギットは思わず、ちょこんとその場にお尻をつけた。
ロンドを不思議そうに見上げている様子は、どうして今お座りをさせたのかを問うているらしい。
「その体勢で『まて』だぞ。別行動を取るからな」
「別行動?」
「どのみち、そろそろ休憩を取らなければならなかったからな。お前は休憩を取ってろ」
スコップを片手に、ぽきぽきと肩を鳴らして両腕を天に伸ばす。
これから、ちょっとした準備運動が始まるのだから、体はほぐしておかなければならない。
「俺はちょっくら散歩だ。森の中でも探検してくるわ。広い森ではなさそうだしな」
「ロンド!!…でも、気をつけてね。…無理だけはしないでね?」
「ああ、わかってる。俺の留守中に何かあったら、遠吠えするんだぞ。では、行ってくる」
「…うん!ちゃんと『まて』してる!いってらっしゃい!!」
ビルギットは山のように思われる大柄な少年の方へ、可愛らしいエールを送った――後。
悲鳴をあげていた女性を救い、山小屋に着いた1人と1匹は、食料を分け合いまったりと休んでいた。
明日からの道程が本番であることを理解しているビルギットは、間に合うかどうかを非常に気にしている。
洞窟を抜けるのさえ手間取らなければ、さして困難な道ではないとロンドは考えている。
じゃっかん少年にとっては悔しいことではあるが、宿の亭主が保証したように、ビルギットは幼い言動とは裏腹に賢く、こちらの言う事に従ってくれるので、そうそう不測の事態は起こらないだろう。
「おい。気力の方は持ちそうか?」
「気力って…がんばるって気持ちだよね?その気持ちだけはいっぱいあるよ!」
そう宣言すると、ビルギットは籠に頭を突っ込み始めた。
「お、お?どうした?」
「ほら、これみて!読んで!これみてるとがんばってアイリスちゃんに会うんだって思うの!」
籠から手紙を咥えて差し出してきたブルドッグは、自慢げな顔でロンドを見つめている。
「犬畜生のくせに生意気にもドヤ顔してよ。まったく、しょうがないやつめ…どれどれ」
それは幼い文字で綴られた、誕生日パーティへの招待状だった。
教会の神父に教わった、犬用の美味しいスープを作って待っているとある。

手紙の文章によると、冒険者のアマリアの妹が、これを書いているアイリスということらしい。
「…確かに、自慢したくなるな」
手紙をじっと見つめながら、短い尻尾をブンブン振っている様子は、彼女にとってこの手紙が元気の出る魔法の品と等しいことを明らかにしている。
胴体を撫でることこそしなかったが、手紙をそっと籠の奥の方へ戻してやると、もう寝るようにビルギットへ促した。
良い子の返事をしたビルギットは、そのまま上手く寝た――わけではなかった。
しばらく籠の中からもぞもぞ動く音がする。
「…ねぇ、ロンド」
「なんだ?はやく寝るべきだぞ、お前」
持ってきた毛布を小屋にあった藁の上に敷き、マントを上に引っかぶったロンドは、ブーツの紐を緩めて体を横にしようとしているところだった。
重い音を立てながら体を横たえる。
上等な寝床とはとても言えないが、もっと酷いところで眠った経験もある。
「…ロンドは…。誰かと会うことが…すごく怖いって思うことある?」
「お前…。もしかして、アイリスちゃんと会うのが怖いのか?」
「うん…。…ほんのちょっぴりだけど」
「なぜ、そんな事を聞いたんだ?お前のキャラではないと思ったんだが」
「……ワンコはね」
また籠がもぞもぞしている。
「人に比べて生が短いから、自分が置いていく側なんだってこと自覚して行動してるの。…アイリスちゃんと一緒に入れる時間はすごく短いもん」
「ああ…」
なるほど、と思った。
寿命の違いというのは、異種族のいる冒険者一行にも、ままある問題である。
例えば獣人の一部は他よりも短命だったり、エルフやドワーフなどは人よりも長い寿命を持っていることで知られている。
自分のところにも2人ほどいるが、あまりそこについて考えたことがなかったロンドは、置いていかなければならない者のジレンマというものを初めて感じた。
「…だから、本当は…迷ってる。私が行って、いいのかなって。…置いていかれるのは辛いよ」
「別れが嫌だから、出会わなければ良い。そう、言ってるのか?」
「そんなことないよ。出会いがなければ…物語が始まらないもの」
「…俺にはそう聞こえたがな。俺は仲間といつか別れるとしても、出会えたことに感謝しているよ」
何しろ、家族同然とは言え、何の血のつながりもない仲間なのである。
アンジェが成長して恋人を見つけるかもしれないし、テアが寿命で逝くこともあるかもしれない。
ウィルバーが何処かの村の女性と結婚を決意するかもしれないし、シシリーが出世して冒険者を辞めるかもしれない。
だが、いつか別れるとしても、それまでの想い出がなくなるわけじゃない。
「…それが答えでは駄目か?」
「……うん。私も感謝してる。アマリアに出会えたこと。ロンドに出会えたこと」
ありがとう、と真っ直ぐに言われた感謝の言葉が、ロンドの心の中に温かなスープのように広がった。
2016/03/25 13:06 [edit]
category: プレゼントは私
Fri.
死神と幼き者その1 
いつもなら仕事にあぶれた冒険者たちが、宿の亭主の作った食事をかき込みつつたむろしている≪狼の隠れ家≫だが、最近は宿の掲示板に貼られる仕事の数も多く、ほとんどの所属冒険者が出払っていた。
ぽつり、ぽつりとしか客の居ない中で、この宿の経営者がどっかりと腰を下ろしているのは、人形のように整った顔をした、黒い翼の青年の向かいである。

「得体の知れない魔物~?」
「ああ、そうだ。村近くの洞窟に住み着いたことは分かっている。家畜が襲われたり、猟の対象になる動物が食い殺されたりしているらしい。これじゃ、村として生計が立たないそうなんだ」
「それを僕一人で受けろって?魔物の詳細も分からないのに、無茶言うぜ」
「とは言ってもなあ……」
とぼやきながら、宿の亭主は腕組みをした。
「シシリーは新しく天啓を得た法術の修行に夢中だし、アンジェはそっちの手伝いに掛かりきりになってるだろ?剣技の方でも協力してるらしいからな」
「ばあ様とウィルは?」
「テアは編纂中の、今までの冒険の歌についての相談に行ってるし、ウィルバーはあれで顔が広いからな。賢者の搭の関係者に頼られて、呪文書の解析を手伝ってる」
「白髪男は…」
「ロンドならわしの頼んだ別件の依頼に出てもらってる。2~3日くらいですぐ帰ってくるとは思うが、こっちの依頼主たちも急を要してるみたいだからな」
「はーん。じゃ、本当に暇なのは僕だけか……」
「お前さんは翼もついてるし、一人で行ってくるなら随分早く着くだろう。どうだ?」
やれやれと思いながら渡された貼り紙を見直すと、報酬は銀貨1000枚とある。
今のテーゼンにとっては、非常に魅力的な数値のように思えた。
新しい槍の技を習得するのに、パーティに金を出させてしまった負い目もあり、テーゼンは貼り紙にあるリューク村の場所を亭主から詳しく聞き取った。
「受けてくれるのか?」
「面倒だけど、親父の顔も立てておこうと思ってね」
「ありがたい話だ。よしっ、気をつけていって来い。こっちで何かあったら、リューク村の手前にある街まで郵便で知らせを書くからな」
「ヘイヘイ」
軽口を叩きながら地図を取り出し、リューンから1週間はかかるという聞いたこともない村へ、乗り合い馬車に乗って向かうルートを確かめる。
勿論、翼がある以上は馬車に乗るつもりはないが、不測の事態ということもありえる。
地図を広げた卓上に、前金を入れた皮袋が置かれた。
銀貨200枚が入っている。
それを懐に入れて、彼は遠い村へと思いを馳せた。
(リューク村……か)
……彼がそこに辿り着いた時には、すでに全てが終わっていた。
村に入る前から、尋常ではない血臭と、それを覆わんばかりの死の香りが漂っていた。
テーゼンは翼にピリピリした緊張感を感じながら、用心して村の中を歩んでいく。
「死体の山か…来るのが遅すぎたみてえだな」

臭いがした時から半ば予想していたことではあったが、リューク村の人々は”食われて”いた。
狩猟を主な産業としている平凡な村の光景は、悪夢のように変わり果てている。
西方諸国独特の赤い葺き屋根は崩れ、中にいるだろう人間を引きずり出すためか、丈夫な壁も叩き壊されている。
そんな中を、ポツリポツリと”食べ残し”らしき人間の四肢や頭などが落ちていて、テーゼンはここに他の仲間達が来ていなくて良かったと思っていた。
この行為を行なった犯人は、もうリューク村から出ているようで、生き物の気配は見られない。
村の様子からすると、満足しきった怪物は、依頼書にあった村近くの洞窟にでも引っ込んだのだろう。
死体のひとつに近づき、歯形や特別な痕跡が残っていないかを調べてみる。
森で過ごす時間の多かったテーゼンは、森の魔獣が縄張りを主張する爪痕や、食べ残しとして落ちていた死体を見ることが多く、それらを判別することに長けていた。
亡くなった村人たちには、喉元を一息に食われていたり、逃げていかないように足を折ってから引き裂いた痕跡などが見られる。
牙の具合や口の大きさ、そしてこの常人には及びもつかない怪力から判断すると……。
「……オーガ…いや、このサイズならトロールの仕業だろうな」
ちっ、と小さな舌打ちが続いた。
トロールはオランウータンのようにごつごつした独特の容貌に、岩と同じ色をした肌を持つ巨人族のモンスターである。
主に荒野に棲息しているはずのそれが、こんな人里にまで出没している理由は分からないが、トロールは巨人族の中でも比較的知力がある方で、巨体と侮れないほど俊敏である。
そして何よりも……。
(回復が厄介だ)
彼らトロール族は、驚異的な回復能力を持ち――細胞を再生し、せっかく厚い皮膚を抉って刻んだ傷口をも、時間をかければ塞いでしまうのだ。
一人で相手取るのは、負けはしないが狩るまで時間がかかるだろう。
せめて、炎に弱いという弱点をつけばもう少し楽になるのだろうが、あいにくと彼が得た新しい槍の技は、電撃を敵陣へばら撒くものであった。
ぼやきながら集落の奥へと進んでいくと、だんだん四肢をちゃんと具えた死体が多くなってくる。
腹を満たしながらも、逃げ惑う彼らを弄ぶのが面白くなって、殺し尽していったのだろうか?
「最悪だな…」
ふと、黒曜石のような双眸が一点を見つめる。
眇められた彼の目は、次の瞬間、驚きによって大きく見開かれた。
(あの子供……生きてる!?)
100メートルはあった距離を、飛行によって一気に詰める。
音もなく静かに着陸し、そっと小さな体に近づいていく。
子供の手前には、彼を庇ったらしき村人が肩から腕を引きちぎられており、近くの家の崩壊した壁には、まるで幼児が飽きた玩具を放ったように、夫婦と思われる2人の死体が引っかかっていた。
「……。生き残り、か」
だが、もう命の灯火は消える寸前であることが、悪魔であるテーゼンにはいやと言うほど分かった。
冒険者仲間であるアンジェと、年の頃はあまり変わらないだろう。
面白づくで折られたらしい右腕と左足は妙な方向に折れ曲がり、地面へ力任せに叩きつけられたのだろう、胸骨が飛び出て肺を刺しているようだ。
少々珍しい苔のような色の瞳は、常であれば生き生きとした光を湛えているのだろうが、今はただ、自分の目前に迫ってきている『死』を感じ取って絶望に満ちていた。
「……死神さん。自分を……殺しに、来たの……?」
「………………」
ひゅー、ひゅー、と喉を鳴らしながらやっと絞り出した声は、酷く掠れていた。
己を死神と勘違いするとは――とおかしくなったが、まあ確かに、当たらずといえども遠からずといったところではある。
「殺しに来たのは違いねぇ。ただ、テメェでなくテメェらをこうした魔物をな」
話しながら、白く優美な手が子供の体に触れて検める。
傷を薬草や、シシリーの使う【癒身の法】で治そうとしても、もう助からないことがはっきりした。
(けど、この様子ならあるいは――いや、人間がそれを望むとは思えない)
テーゼンは小さく頭を振る。
自分では見えないが、もしかしたら沈んだ顔になっているのかもしれない――随分と人間ぽく振る舞うようになったんだな、とやや自嘲気味に思った。
死に向かっている小さな子供は、必死に言葉を紡ごうとしている。
「……死神、さん……」
「……死神じゃねぇ。僕は魔物退治の依頼を受けた野伏テーゼンだ」
テーゼンはそっと子供の頭を撫でた。
「少しでも情報が欲しい。テメェをこうしたヤツについて知ってることを、教えてくれ」
「……」
今のセリフで、テーゼンが魔物を退治するために村で雇った冒険者であったことを推察したようだ。
何かを必死に訴えるような目になるが、彼の口からは言葉が出てこない。
「……」
「何も覚えていないならそれでいい。後は僕に任せて……ゆっくり、眠れ」
ぴちゃん、と血の雫が落ちた。
微かな動きではあったが、子供は首を横に振っている。
小刻みに震える冷たい手で、そっとテーゼンの白い手を掴んだ。
白が朱に染まる――。
「――独りで逝くのが、怖いのか?」
「…………」
違うらしい。首は横に振られた。

「……。――死にたく、ないと」
「……」
今度の子供の首が振られたのは、縦方向であった。
人形のように整った美貌を動かさず、冷厳とした口調で子供に告げる。
「……悪ぃがそれは無理だ。テメェの傷は【癒身の法】や傷薬で治せるような、軽いモンじゃねぇ。高度な医療や治癒の奇跡を受けられる街に行くにしても……この村からでは、遠すぎる」
宿の亭主が連絡に使うと言っていた街は、ここから歩いて2日もかかる。
テーゼンの翼ならあるいはもっと早く着くかもしれないが、子供の命は今にも尽きようとしていた。
とてもじゃないが、彼の生命を繋ぎとめられる距離ではないだろう。
彼は命に関して気休めを言っても仕方ないということを、野伏であるがゆえに嫌と言うほど分かっていた。
「……」
「……死を恐れる理由は?」
死ぬのが怖い、だけではないように思える。
テーゼンには、この小さな体の中には、もっと強い未練が潜んでいるように感じられた。
「何も、出来ないまま……。……死にたく、ない……」
よく見ると、彼の傍には微かに血のついた小刀が落ちている。
てっきりテーゼンは、彼を庇ったらしい村人がトロールに反撃したのだと思っていたのだが、この様子だと攻撃を行なったのは子供のほうであったらしい。
だが、しょせんは子供の力で、しかも得物がこんな小さな刃物では、たちまちトロールの傷も持ち前の再生能力で塞がってしまったに違いない。
「……魔物をその手で討ちたい。それが、テメェの心残りか」
ぱちぱちと瞬かれた苔色の瞳は、肯定の印であった。
子供の魂を代償に、彼を生きながらえさせトロールを討ち取らせる――とんでもないアイデアが彼の頭を過ぎったのは、その時である。
悪魔としては何でもないことである。
トロール自体は、面倒ではあるが自分独りでも退治できる対象なのだから、取引をして人間に力を貸すことで、かの巨人族のモンスターを討つくらいは可能だろう。
だが、これは旗を掲げる爪に彼が入って以来、まったく示さなかった悪魔としての能力を発動させることであり、
(これを行なったことが知られたら、またパーティを離れることになるんじゃねえかな……)
としばし考えた。
子供の命は今にも尽きようとしている。
あの怪物を討つ――その未練に引きずられてしまえば、下手をすると、この子供の魂が現世に迷うかもしれない。
それくらいなら、いっそ。
今、自分だけがここにいる巡り合わせは、そういうことなのではないか?
「その願い。叶えてやれなくもねぇ」
我ながら悪魔のような声だ――と思い、つい笑ってしまった。
「フフッ、僕は魔族だ。定命の者……つまり人間に力を貸すことが出来る。……その代償に、僕はテメェの魂を貰うことになる。両親と同じ場所には逝けん」
「…………」
「心残りを晴らせたとしても、その後に待ってるのは……死より残酷な日々だ」
どうする?と訊ねてみた。
選択権は、あくまでこの子供自身にしかない。
子供の目の焦点がだんだんぼやけているのは、もう本当に視界が霞んでしまっているからだろう。
猶予がないのは明らかだったが、果たして子供は頷いた。
「……分かったぜ。少し痛いかもしれんが、我慢してくれよ」
「……――」
テーゼンは魔の者としての能力を解放し、人の魂を担保に”契約”を行なった。
子供の小さな体が震え、黒と紫のオーラに覆われていく。
たぶん、これはかなり辛い衝撃だろうな、と他人事のように思った。
――数時間後、近くにある洞窟に潜んでいたトロールを、あの小刀で何度も貫いて絶命させた子供――”契約”の際に確認したが、ルヴァというらしい――へ、テーゼンは訊ねてみた。

「――満ち足りたか?」
「……」
虚脱したような笑い顔で、ルヴァは首肯した。
その後、2人で村中の死体をかき集め、墓地を作った。
墓標は木の枝を組んだ十字という簡素極まりないものだが、それでもないよりはマシだろう。
「……父さん、母さん。……みんな……」
「……別れは済んだか?」
「あの……」
「これからの予定か?」
テーゼンが確かめると、ルヴァはこくりと頷いた。
「そうだな……ここから南にあるラーデックまでいったん移動する。宿から何か伝言が届いていないか、確認を入れておくからな。そこで何もなければ、真っ直ぐリューンに帰るさ」

「……自分も一緒に?」
「勿論。テメェは僕の所有物なんだぜ」
(一時の欲望に身を委ね、魔族に魂を売った人間――)
「そういう奴が辿る末路を、これから教えてやるからな?」
「……。分かった、覚悟する!」
「何でそんな元気なんだよ」
ルヴァに応じつつ、テーゼンは己の身を死神と変わらないな、と自嘲した。
目の前にいる子供の人としての生を終わらせ、これから地獄へ導かんとするのだから。
そして――どうやれば、テアの魂を地獄へ連れて行くかということも分かった今、間違いなく彼はあの醜いが温かい心を持った老婆を、亡き夫と同じ場所へと送り込めるだろう。
暗い結末を思いながら、夜が明ける前にと、黒い翼の青年と幼き魂は街道を南へ下っていく――。
※収入:報酬200sp、虜囚の末路(召喚獣:魂)→テーゼン所有
※支出:
※ほしみ様作、死神と幼き者クリア!
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■後書きまたは言い訳
24回目のお仕事は、ほしみさんの100KB祭り用のシナリオで死神と幼き者でした。
ちょっと特殊な作品で…読み物シナリオなんですが、持っている種族や職業のクーポン次第で、一人用トロール退治が今回のシナリオのように違う展開となります。
リプレイよりも前に、某死霊術師の女の子使ってプレイした時なんて、めちゃくちゃストーリーにキャラクターが嵌まってくれて、こっちのテンションが一日中上がりっぱなしでしたひゃっほう。
テーゼンが悪魔だったのでルヴァが召喚獣となっておりますが、クーポン次第では連れ込みNPCとなり得ますので、この幼くも勇気あるNPCが気に入った方は、是非連れ込みにチャレンジしてみてください。
水底の棺(春野りこ様)の辺りでは、どうやって地獄に魂連れて行くのかまだやり方が分からなかったテーゼンでしたが、このシナリオにおいてばっちりやり方を習得致しました。こうなってくると、地獄まで待ったなしじゃないかという気もするんですが、さすがに寿命尽きた後に行くことになってますので、まだテア婆ちゃんは無事です。一応。
……でも、シシリーといいテーゼンといい、結構ダークな面が前に出てきちゃってるんだけど、大丈夫なんだろうかこの人たち。
なお、シナリオはクロスオーバーしてなかったんですが、前回の魔術師(なろ様)において別件の仕事がこのリプレイに当たりますので、テーゼンは宗教都市ラーデックの猫の額亭で伝言を受け取った後、あの村に向かうことになります。
ラーデックってどこ?というプレイヤーさん(まずいないと思うけど)は、教会の妖姫(Askの斎藤洋様)をプレイされるとお分かり頂けるかと。
次回はこれと同じ時間軸やっていたロンドの冒険を…。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/25 13:02 [edit]
category: 死神と幼き者
Tue.
魔術師その3 
素早く音も立てずに扉へ近寄ったアンジェは、ホビット特有の器用さと身の軽さで調べ始めた。
「扉の先に魔術師がいるに違いないわ。皆、出来るだけの用意をしてから行きましょう」
アンジェの報告を受けて、シシリーが他の一同へそう指示を飛ばすと、すかさずいつもの援護魔法が味方の体へと掛けられていく。
何しろ、今回の敵は人を殺すことに何の禁忌も持たない魔法使いである。
魔法に対する対策は、立てておくに越したことはない。
幸い、ウィルバーの扱う【飛翼の術】で作られる魔力の羽は、回避だけに役立つのではなく、魔法への抵抗力も向上させてくれる効果がある。
ウィルバーは生命力が豊富で心配のないロンドと、すでに光の精霊の守りが多すぎて魔力の羽が入る余地のないシシリーを外して、他の仲間たちに【飛翼の術】をかけた。
自身にも護りは欲しかったのだが、それよりも敵の抵抗を早く鎮圧する為に、【理矢の法】を選択して魔力の矢を準備した。
扉に手をかけたテーゼンは、仲間を振り返って告げた。

「この扉を開けたら後戻りは出来ねえぞ、シシリー。準備はいいか?」
「ええ。行きましょう」
美貌の青年が扉を開ける――その向こうにあるはずの部屋の中は真っ暗だった。
ベルトポーチに潜んでいる光の精霊たちが、闇の気配に動こうとするが、シシリーの手にそっと押さえられてとりあえず大人しくなる。
全員が、神経を尖らせてこの中にいるであろう魔術師の気配を探る。
ほんの僅かな光源のすぐそばに、目的の人物はいた。
宿の屋根裏部屋で魔法の本を読んでいたウィルバーのように、蝋燭の明かりらしきものを頼りに、冒険者たちへ背を向けた状態で何か呟いている。
(気がついていないんだわ…)
目が暗闇に慣れてきた頃合を見計らって、シシリーは全員に素早く合図を出す。
旗を掲げる爪は音を立てずに忍び寄って、全員で奴を包囲する形を作った。
「おい」
静まり返った室内の中、男性としてはやや高いテーゼンの声は、妙に響いた。
悪魔である彼の双眸には、暗闇を苦とすることもなく狼狽した魔術師の顔が映っている。
「…!?な、なんだお前等!?」
「それを知る必要はねえぜ。グェス・ゲェス」
「な、なんで僕の名前をッ…!?」
アンジェの短剣がちゃきり、と音を立てた。
「問答無用!」
決着は、しごくあっさりしたものだった。
槍をしならせて足元を攻撃したテーゼンに続き、すでに逆手に短剣を構えていたアンジェが彼の胸を突き刺したのだ。
「ま、待って、頼む…殺さないで!許してくれ……!」
自らの赤に染まった敵が、顔を歪めて命乞いを始める。
醜いな、とテーゼンは思った。
彼の感じた美醜とは、単なる顔の造作ではなく――己の振る舞いによって、周りと自分にどういう影響を与えるのかということのようだ。
目の前の男は、耐え難い嫌悪感を彼に与え続けている。

「そうやって命乞いする時間さえ与えずに、何人殺してきやがった?」
「ま、まって…」
「あの世で悔いるこった」
「安心して。私たちもいずれそっちに行くことになるから」
淡々と付け加えたのは、長剣を引っさげたシシリーである。
その表情の無さに悪寒を感じて、彼は後退した。
「ヒ…ッ」
赤子が這いずるように逃げようとした魔術師の背中から、長剣が躊躇いなく振り下ろされる。
「ふう」
と息をついたシシリーは、これまでの彼女とは何か変わったようにアンジェに思われた。
部屋の片隅にあったチェストから、銀貨200枚を見つけて徴収していた盗賊の娘は、急に不安になって声を掛ける。
「姉ちゃん、帰ろうよ!」
「ええ、そうね」
ホビットの妹の呼びかけに振り返った彼女は、いつもの彼女であった。
その横を、魔術師の死体へと近寄った男がいる。
生活用品である折り畳みの小さなナイフを取り出したウィルバーは、死体の髪を少量切り取った。
「何してんだ、ウィル」
「少し…こいつの髪を…ですね。よし、もう終わりです。帰りましょう」
面白ずくで人を殺していた魔術師の住処を出た旗を掲げる爪は、帰路の途中で立ち寄った自警団でヨンドネ村と魔術師について話をしておいた。
しかし、この後に村へ人々が戻ったのか、あの村が再興されたのかどうか、冒険者たちはこの後に情報を仕入れたことはない。
ただ、ウィルバーは予め死体から採取しておいた髪を、賢者の搭に提出して事情を詳しく説明しておいたので、グェス・ゲェスの元関係者から謝礼と、あるいは口止め料も込みで銀貨300枚を追加で貰った。
彼のおかげで搭の研究成果が散逸しなかったこともあったのだろう。
ありがたく金の入った小袋を懐に収めた後、≪狼の隠れ家≫への帰途で彼はため息をついた。
「やれやれ、うちのリーダーはある意味で一皮剥けたようですが…それが吉と出るか、凶と出るか…」
彼の知る限り、凶悪な妖魔や狡猾な邪教徒などを討伐はしても、積極的に殺そうという姿勢はついぞ見せなかった娘である。
彼女のあの変化がこれからどうパーティに影響してくるか、注意して見ておこうと、ウィルバーは己に誓ったのであった。
※収入:報酬500sp、≪魔法のルーペ≫、≪売れそうな本≫、≪傷薬≫
※支出:
※なろ様作、魔術師(貼り紙は急募)クリア!
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■後書きまたは言い訳
23回目のお仕事は、なろ様の魔術師でした。
リードミーの注意書きには、「このシナリオでは選択肢によってPCがためらいなく殺人行為を犯す描写があります」「イメージにそぐわない場合、プレイをお控えくださいますようお願いいたします」とあったのですが、シシリーの内面の変化をちょっと表しておきたかったので、あえてこちらのシナリオをセレクトさせていただきました。
結果として、かなり善人パーティを体現していた彼女の、不穏さを含んだ変化が書けたのではないだろうかと思っております。
そもそもこのシナリオで、魔術師はグェス・ゲェスのこと知りませんし、エンディングもこんな感じではありませんので、予めご了承下さい。
ウィルバーは賢者の搭を出て市井にいますが、それまでは搭の魔術師としてずっと頑張ってきた人なので、恐らく搭の資料を持ち出すといったスキャンダルなら、彼が知っていておかしくはない、と判断してのことです。
なろ様、ご不快に思われましたら申し訳ありません。
こちらは短編シナリオなのですが、そうと感じさせない、ちょっとしたキーコードの仕掛けが、色々と置かれている作品でもあります。
勧善懲悪がはっきりしているというか、魔術師がかなり外道なために戦う士気が上がる作品だと思うので、そういったシナリオを好む方にお奨めいたします。
シナリオのレベル対象は1~5とかなり幅が広く、ラスボスである魔術師も入ってきた冒険者たちの実力に応じたレベルに変わるようで、作者さんの細やかな気遣いが垣間見えますね。
このシナリオのために、シシリーへ【御使の目】という暴露効果や鑑定、魔力感知のキーコードが入ったスキルをつけていたのですが……結果からいうと、無駄に終わりました(笑)。
なぜって、スキルについている”鑑定”のキーコードの方が先に反応しちゃうんですね。
こうなってしまうと、【盗賊の眼】を使っているのと変わらないので、途中から諦めて”鑑定”と”解錠”、”魔法を解除”のキーコードだけで突破してみました。
これは下手にスキルで突破するよりは、アイテムで双方単体に効果発動する魔力感知を使った方が、全ての仕掛けを見れるかもしれません。
あるいは”鑑定”キーコードのついていない、”魔力感知”だけできるスキルとか…私もスキル購入の前に、もう少し色々と検討すべきでした。反省。
さて、次はこのシナリオで一人だけ別の依頼を受けていたという、悪魔テーゼンの話にしようと思っております。
どんな感じのが相応しいかなー、とワクワクして考えていたり。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/22 12:59 [edit]
category: 魔術師
Tue.
魔術師その2 
「そう思うかい?…油断はしないほうがいいぜ」
彼の言葉に、ざっと辺りを見回してからシシリーは確認をした。
「テーゼン、魔術師の拠点は一部調査済みと言ったわね」
「おう」
「あの扉も解錠済みかしら?」
「済んでるぜ。けど僕の侵入が奴に全く気づかれていないかどうか。この保障がねえ。扉を再施錠された可能性もある。調査は怠らない方が良いと思うがね」
実に的確な彼の意見に首肯すると、シシリーはアンジェに調査を任せた。
「小屋以外は特に何もないけど、雰囲気が物々しいよ。すごく妙」
「魔力感知を行ないたいところですが…困ったことに、場に働く魔法ではないようで……ピンポイントで感知をしないと分からないのであれば、今回は役に立てませんね」
眉毛を八の字に動かして困惑した表情になったウィルバーの言に、これは一筋縄ではいかなそうだと仲間たちの気が引き締まる。
念のため、罠や鍵の有無を確認していたアンジェからゴーサインが出て、旗を掲げる爪は小屋の中へと侵入した。
「……!」
金髪の少女は、目の前に広がる光景に思わず声を失った。
小屋の中とは異なる、ただっぴろく粛々とした空間がどこまでも広がっていたのだ。

「言っただろ。油断はしない方が良い、ってよ」
テーゼンは空間の奥を見据えて小さく呟く……戦いに赴く時の顔つきに変わっていた。
廊下の端に落ちていた銀貨5枚を見つけ、ベルトポーチに仕舞いこんだアンジェは、続いて廊下の左側にあった木の扉を調べ始めた。
「罠がある。毒針が仕掛けてあるよ……よし、外れた」
靴底に隠していた針金や蝋の欠片で、しばらくノブを弄っていた彼女から声が上がる。
ロンドが念のため前に立って進むと、そこから流れてきた埃で彼がクシャミした。
「くっしゅ!な、なんだぁ?」
「ここって……書庫じゃないかしら?」
古い本に独特の香りが漂っている。
壁一面を覆い尽くすかのような数の本棚に、ぎちぎちに本が入れられている。
邪悪な魔術師の所有する書物と分かっていても、思わずウィルバーの目が輝いていた。
迷宮の魔神に関わることになった事件で、どえらい魔法の本を持ち帰り、シシリーにかなりの心配をかけたのだが、まだ懲りないらしい。
一度、この部屋を訪れているテーゼンが、すっと白く優美な手を伸ばした。
「魔術師の日誌がある棚は一番右だ。あれだぜ」
「さっそく調べてみましょう、どれどれ……」
「懲りないな、アンタも…。それ以外はよく調べてない。何か見つかるかもしれねえぞ」
その言葉から、本棚の書物そのものより、アンジェが部屋の中に何らかの罠が張られていないかを警戒していたのだが、不意に「む」と声を出す。
「どうしたの?」
「……ここ」
彼女が拾い上げたのは、埃まみれになってはいたが、確かに傷薬であった。
シシリーが調べてみたところ、まだ使用における期限は切れていないように思われる。
荷物袋へと大事にそれを仕舞いこんだ。
さらに彼女は本棚の本の背表紙をしばらく眺めていたが、うち一冊を手に取ると、
「なんとなく売れそうな本を見繕ってみたよ」
とそれも荷物袋へと入れ始めた。
一方、端の日誌に手をつけているウィルバーが、
「……おやまあ、随分といい性格をしてますねえ…」
と独り言を言っている。
日誌の主である敵の魔術師は、思ったよりもどぎつい性格をしているらしい。
田舎の土地に転移先を作ったとあり、これは恐らく何らかの勢力から彼が逃げ出したことを示している。
「テーゼンが読んだのはこの8の月の9日の部分ですか?」
「そう、そこ。クソだろ?」
「『死んだおっさんのあの顔、クッソ面白かった。もっかい見たいし、練習も兼ねて明日も殺ってみる』ですか…ろくな奴ではありませんね。分かっていた事実ですが……11日の記述に、『早く術の再構築を終わらせてこんなところとオサラバしたい』とあります。逃げる体勢を整えているようですよ」
ふとアンジェが、途中までページを捲っていたウィルバーの手を止めた。
「この日誌の空白のページ。ここだけ紙質が違ってる…魔法の仕掛けなら、解除したら何か分かるかもしれないね」
「おや、そうかえ?おちびちゃんがそういうのなら…」
テアの皺の寄った指が、変わった旋律を奏でる。
彼女が滔々と歌い始めたのは、水の都・アクエリアで習得した【破魔の歌】であった。
この歌の聞こえる範囲にいるものは、敵味方の区別なく、全て魔法を解除される。
はたして、

「空白のページに文字が…!」
というアンジェの指摘のように、恐ろしく凝った飾り文字にしか見えない文章が浮かび上がってきた。
「隠蔽魔法がかかってたんじゃの。なんて書いてあるんじゃ?」
「待ってくれや、今読むぜ」
魔力の篭ったその文章を、傍らに立ったテーゼンがすらすらと読み上げる。
「ええっと…『今日もさっくり三人殺してやった。やっぱ僕って天才かもしれない』?ハッ、救いようのない馬鹿の間違いだろ」
「おい。黒蝙蝠、それしか書いてないのか?」
「そんなわけねえだろ、今続きを読むさ。『賢者の搭連中は、このグェス・ゲェス様を追い出したことを後悔するだろうな!』」
「グェス・ゲェス!」
ぎょっとした顔になったウィルバーを皆が見つめた。
魔術師は≪万象の司≫をこれでもかというほど握り締め、難しい顔になっている。
「賢者の搭から、自分の資料を強奪して逃げた手配犯です。詳しいことは知らないのですが…確か、小額ながら賞金がかかっていたように思います」
「ねえ、これってそのアホの本名なの?」
「そのはずです。隠蔽魔法で隠しているのは、うっかりインクで書いてしまった本名を他者に読まれないようにするためでしょう。この用紙は、わずかな魔力で隠蔽魔法が発動する素材なんです」
「魔術師の本名が分かったなら、奴の魔術は無効化できるんじゃろ?対峙する際に役立つじゃろうて」
書庫にはもう目ぼしい書物はないように思ったため、冒険者たちは部屋を出て通路を奥へと進んでいくことにした。
30メートルほど歩いただろうか、ふと見やればテーゼンが眉間に皺を寄せて正面を睨んでいる。
気になったシシリーは彼に尋ねた。
「どうしたの?」
「……」
テーゼンは無言で床を指差した…人骨らしきものが転がっている。
「罠があるかもしれねえ。この通路はよく調査した方が良いぞ」
「ええ…そうしてもらうわ」
ひとつ頷いたシシリーは、すでに辺りを調査し始めているアンジェを見つめている。
「全員その場で止まって!この先…あそこ」
彼女の短い指に示されているのは、一本のロープであった。
わざわざ黒っぽい色に塗られており、闇に紛れるようになっている…恐らくこれがテーゼンの警戒していた罠だろう。
アンジェはブーツの隠し場所から短剣を抜くと、切れ味のいい刃でロープの一部を切り取り、それを弛まないよう気をつけながら別の場所へと結んで無効化した。
「よし、これで大丈夫。先に進めるよ」
盗賊からそんな保障をしてもらったはずなのに、進むごとに少しずつ空気が重たくなってくる。
魔術師に近づいているのだろう。
「ここから先は僕も調べてねえ。慎重に行こうや」
テーゼンは全員にそう声をかけた。
2016/03/22 12:57 [edit]
category: 魔術師
Tue.
魔術師その1 
ちょうどその依頼を引き受けたときに別件の依頼で出かけていたテーゼンとは、現地で落ち合うことになっていた。
宿の亭主いわく、依頼の村に辿り着くのは恐らくテーゼンの方が早いだろう、ということだった。
亭主がある事情のためテーゼンへ頼んだ依頼の詳細を、シシリーたちは知らない。
冒険者たちは、スピカと名付けたフォウが木々の間を自在に縫って飛ぶ下を、しっかりとした足取りで歩いていく。
「やけに静かな森ね」
「…そうですね」
低く抑えた魔術師の声が返ってくる。
一行は辺りの様子を探るようにしながら歩き続けた。
鳥の声、虫の声、小動物の、あるいは危険な肉食動物の移動する音……通常ならそういった音が聞こえていてもおかしくはないはずなのだが、死がこの森へ羽を広げたかのように静まり返っている。
あまり馴染みのない感覚に、背筋にやや冷たいものを感じていると、
「姉ちゃん、見てよ」
とアンジェが前方のとある方向を指し示した。
それはちょうど旗を掲げる爪が目指そうとしていた方角である。
疲弊しきった、ボロを纏う貧しそうな人々が連れ立って歩いてくる。

「少しいいかの。話が聞きたいんじゃ」
醜いが温かい笑みを浮かべた老婆の呼びかけに応じて、列の先頭を歩いていた男が顔を上げた。
「わしたちはこの先にあるヨンドネ村を目指しておるんじゃ。おぬしたち、村について何か知っていることはないかの?」
「あそこは…もう…が……ていける場所じゃない……」
「何だって?」
掠れきった男の声を聞き取れず、テアは眉をひそめた。
「あそこはもう…人が生きていける場所じゃないんだ…。僕たちは遅すぎた…事態を深刻に見るべきだった…」
「待て、ひとまず落ち着くんじゃ。それから冷静に話を……」
テアが制止したその刹那だった。
ドサリ、という鈍い音と、同時に恐慌をきたした他の者たち。
人々の輪の中に紛れていた少年が地に倒れている。
「まただ!」
「また死んでる!」
「う、うそだ…」
「死にたくない…!」
ある者は泣きながら、ある者は不気味な笑みを浮かべて、走り去っていってしまった。
後に残された少年の亡骸が、寂しそうに天を仰いでいる。
ウィルバーはしばしの無言ののち、少年の見開いた目を閉じさせてやった。
状況から察するに、今散っていった貧しい人々は間違いなく村の人間だろう。
「嫌な予感がするわ…」
「わしもじゃわい」
何が起きているか、村へ先に辿り着いているだろうテーゼンは無事なのか――不安げに眉を寄せたシシリーの肩を、軽くロンドが叩いた。
「あの黒蝙蝠は、めったなことじゃ死なない。大丈夫だ」
何しろ、自分と途中まで互角に殴り合いしたくらいだから――と彼は安心していいのか、微妙な言葉で元気付けようとしている。
彼のその気持ちに報いるべく、シシリーは小さく頷いた。
「村へ急ぎましょう」
少年の謎の死を迎えてから、半日ほど歩いただろうか。
やっと目的地までやってきた冒険者たちは、思わず言葉を失った。
村には人っ子一人いなかったのである。
生き物のの気配も、まるでしない。
「これは予想してませんでしたね…」
「何……これ……」
しばらく呆然とした様子のアンジェだったが、空から舞い降りてきたランプさんとスピカに気づき、どうしたのかと訊ねる。
ひらりとホビット娘の肩に乗ったスピカが、
「向こうの丘に変なものがいっぱいあります」
と報告してきた。
つかのま顔を見合わせた冒険者たちは、光の精霊たちが見つけた方向へと歩き始める。
精霊たちが見つけた、家々の合間から覗く小高い丘にあった”変なもの”とは、無数の墓であった。
この村で一体何が起きたのかを仲間内で討論し始める前に、ふらりとひとつの墓に寄り添っていた人影が動き――影には、蝙蝠のような翼がついていることに彼らは気づいた。
「テーゼン!」
真っ先に駆け寄ってきたアンジェに、人形のように整った美貌が微笑みかける。
どことなく前に会った時と様子が変わったように、彼女には思われた。

「待ってたぜ。…ま、お互い遅かったみてえだけど。こういうのって嫌なんだよなぁ、ホント…」
「やっぱり…」
シシリーの呟きを拾って、彼が問うた。
「何か思い当たるようなものでも見てきたのかい?」
「ええ。この村から逃げていく村人たちをね」
「そうだったのかよ…。連中と僕はどうやら、入れ違いだったみてえだ」
テーゼンはふう、と一呼吸置いた。
ゆっくり仲間のため話を進めてくれる様だ。
「僕が来た時、この村はもうすでにこうなっちまってた。例の魔術師ってのが、好き放題にやってくれたみてぇだ。…特定の行動で発動して人間があっさり死んじまう魔法を、面白半分冗談半分で村人たちにかけていたらしい」
おかげで、と彼は自分が寄り添っていた墓を指差す。
「依頼主もあそこへ埋まっちまってるんだとよ」
「……ふむ」
「ってことは」
年齢差50歳以上の女性陣の合いの手に、テーゼンは深刻そうな顔で頷いた。
「タダ働き確定だ」
リアリストであるアンジェは肩を竦めてから、シシリーのほうを見据える。
判断を姉と慕う彼女に任せる様子である。
「テーゼン。特定の行動で死ぬ魔法と言ったわね」
「おう」
「何をすると死ぬの?」
「匂いを嗅ぐと死ぬ」
「なんじゃそれは」
傍らで聞いていたテアが漏らした――まあ、そうも思うだろう。
だが、魔術の専門家であるウィルバーの目は真剣味を帯び、目線で話の続きを促すようにしている。
「ふざけた話だと思うだろうけど、状況はわりと深刻だぜ。例の魔術師は人の嗅覚を操作する術をも身につけてやがる」
「という事は…感覚を鈍くすることも?」
「ああ。その気になりゃあ嗅覚を壊した後に匂いを嗅ぐ、っつー行為に誘導して、村人を殺せるという環境だった」
ここでシシリーが口を挟む。
「なぜそんな回りくどいことを?」
「とんでもなくヤらしい奴みてえだ。”なぜ死ぬのか分からない”という顔をしながら死んでいく人を見るのが、最高に楽しいらしいぜ。まったく、人の身のくせに悪魔の仲間みたいな性格だな」
「よく分かったわね?」
「奴の拠点へ侵入したのさ。そこで見つけた奴の日記から得た情報だぜ。間違いねえだろう」
「……クズね」
「違いねえな。僕も同意見だぜ」
テーゼンは槍の石突部分で、コツコツと自身の苛立たしさを表している。
「おまけに残忍と来てやがる。人を殺すことに何の躊躇いも持たねえのさ」
「何の確執も持ってない村人相手に……かの?」
「ああ。ただただ、自分の楽しみだけで殺してた。全くいかれてるぜ」
シシリーは途中ですれ違った少年の死を思い出した。
彼もまた、自分がなぜ死んだのか分からないまま死んでいったのだろうか、と。
「嗅覚……つまり、他者の感覚操作の魔法ですか」
そこでウィルバーが瞑目し考え込み始めたのを、ロンドが声を掛ける。
「ウィルバーさん、なんかあったのか?」
「…私が冒険者になる前に、確かそういう他者への強制的な感覚操作について、幻覚とか幻術関係の資料が持ち出されたとかいう話を聞いたように思うのですが……ううん、思い出せませんね」
「奴さんが賢者の搭にいたってことか?」
ロンドのその疑問は、実は後々に重要な意味合いを帯びてくるのだが、この時の旗を掲げる爪にそれを知るすべはなかった。
タダ働きが確定したことに不満げなアンジェではあったが、他のメンバーは自分たちが間に合わなかったことや、魔術師の想像以上のいやらしさに嫌悪感を覚え、士気が高まっているように思える。
シシリーは、この事件の首謀者を到底許してはおけないと決意した。
いつもは優しい光を宿している感受性豊かな碧眼が、今は怒りの色に染め上げられている。
「テーゼン」
「あ?」
「奴の拠点まで案内してちょうだい。行くわよ」
「シシリー…」
「こんなことはあってはならない。私は奴を許したくないわ」
彼女は念を押すことにした。
これは骨折り損とも言えるため、付き合いきれないと思う者は申し出て欲しいと切り出す。
しかし、そこでロンドがきょとんとした顔で言った。
「何言ってるんだ」
どうやら、彼の中ではとっくに自分がついていくことは決定事項だったらしい。
そのことに気づいて苦笑したウィルバーも、首肯して彼女に向き直った。
「付き合いますよ、シシリー」
「他人の家に入るんなら、盗賊は必要でしょ。仲間はずれは嫌だよ」
「許せんと思ってるのは、おぬしだけではないぞ」
「俺たち、みんなお前と同じ気持ちだって」
お互いの気持ちを確認しあった冒険者たちは、残忍な魔術師を討伐しに行くことになった。
「シシリー、ついてきてくれ。こっちだ。案内するぜ」
2016/03/22 12:54 [edit]
category: 魔術師
Mon.
えんまの領域その2 
それでも武器を取っての戦いには支障がないと主張するので、一同は奥へ進む前に、再び戦いの準備をはじめることにした。
テアの【活力の歌】、ウィルバーの【魔法の鎧】、そして……。
「僕に【飛翼の術】?」
「つけておきなさい。この翼は、武器攻撃を避けるだけではなく、魔法からの抵抗にも使えるのですから」
蝙蝠の黒い翼の上から、魔力による白い翼が生えている。
ちょっとだけ情けない顔になったテーゼンだったが、仲間が心配しているのだからと、あえてその状況受け入れることにした。
スコップを嬉しそうに振っているロンドは、犬猿の仲の相手をからかうこともせずに、前方に潜んでいるであろう強敵の予感に嬉しそうな様子を隠さない。
「オークどもに、俺たちの力を見せ付けてやる!」
「この、筋肉馬鹿……」
「頼もしいと言えば言えるのですけどね」
呆れたような年長者組みの感想であったが、シシリーの合図に応えて体勢を整える――そろそろ、突入するべきだ。
「うおおおおおおお!!」
地獄の底から吼えるような男の声と共に、旗を掲げる爪は戦場へと走った。
一際広くなった空間の中を、ランプさんとフォウが手分けして照らす。
彼らの柔らかなクリーム色の光の下、なんとオークの集団と共に、オーガが二体も揃っていた。
これはさすがに計算外であったため、思わずテーゼンが唸る。

「なんっつう数だ!こりゃあ追加報酬を貰わねえとなあ…」
「そんなことは後だよ後!―――来るよ、羽の兄ちゃん!!」
アンジェは飛び上がって、複数のオークが彼女に振るった武器を避けた。
これが一番手強そうだと感じたロンドが、敵陣の真ん中へと飛び込み、オーガの一体を足止めする。
もう一体のオーガには、≪早足の靴≫の能力を最大に生かして、アンジェがフェイント混じりの攻撃で撹乱を行なっている。
その隙にテーゼンが充分にしならせた槍で敵たちを薙ぎ払い、転んだ手近なオークへシシリーが愛剣である≪Beginning≫を振り下ろす。
「これはまずそうですねえ…」
思ったよりも多い敵の数に顔をしかめたウィルバーは、とっさの判断で動きの鈍いテアへ【飛翼の術】による援護を与えた。
突出してロンドとアンジェが暴れている分、取りこぼしたオークたちの攻撃を受けることがあるかもしれない、と判断してのことである。
彼のその考えは当たっており、オーガを見事に足止めしているロンドや、手持ちの武器を振り回しているテーゼンとシシリーの横をすり抜けるよう、オークたちが後衛のテアやウィルバーたちへ走り寄ってきた。
テアも2度は攻撃を受けたものの、魔力による翼が攻撃を逸らし、≪鳳凰の盾≫を構えていたおかげで、出来る限り軽傷に抑えていた。
さらにオークがもう一匹、今度はウィルバーを狙って武器を振りかざしたものの、
「そうはいかないんだな~」
と腕輪から鋼糸を引っぱり出したアンジェの【吊り蜘蛛糸】の技により、拘束されてしまった。
「おおおおおおおお!!!」
雄々しく吼えてみせたロンドが、ついに相手取っていたオーガの脳天をスコップで叩き割る。
「こっち終わったぜ!アンジェ、今助ける!」
「あんま無理しないでね、兄ちゃん!」
この2人はさすが長年の絆と言うか、変幻自在のアンジェのフェイントと、ロンドの大柄な体躯に見合った馬鹿力で叩き込まれる渾身の一撃が、あっという間に分厚いオーガの皮膚に傷を刻んでいった。
痛みを堪えて【まどろみの花】を歌ったテアの眠りの誘いに抗えきれず、生き残っていたオークと、アンジェが撹乱していたオーガが、揃って膝を折る。
「今よ、みんな!」
シシリーの号令で、一気に眠りこけている鬼族たちへ止めを刺していく。
最後に残ったオーガはロンドが【花葬】の技で、端の方にいたせいであまり攻撃を受けていなかったオークについては、走る速さを攻撃の衝撃に生かしたテーゼンが討ち取った。
「勝った…!」
鋼糸を腕輪に収納し終わったアンジェが嬉しそうに呟くと、互いに仲間たちの傷の具合を確かめていた年長組みが、首を横に振って口々に慨嘆した。
「こんな数のオーク、それにオーガがいるなんて…」
「オークの住処、という話じゃったのにのう。冒険者の仕事というのは、何が起こるか分からんものじゃ。まったく酷い目にあったわい」
テーゼンが戦闘前に嘆いたとおり、依頼料を増額してもらわないと割に合わないだろうとテアが考えていると、全員の無事を確認し終わったウィルバーが呟いた。
「これで依頼達成、ですかね?」
「あー…。生き残りがいないとも限らねえし、ざっと見回っておいたほうがいいんじゃねえか?」
「さっさと回って、早く帰ろう。もう豚の臭いはたくさんじゃ」
「そうだね」
しみじみとアンジェが頷いた。
肩にランプさんとフォウを止まらせたシシリーが、ふと顔をあげてまだ北に続く坑道の奥の闇を見つめている。
「この先……まだ続いているのね」
「うん。姉ちゃん、行ってみる?」
臭い場所はごめんだったが、テーゼンが指摘したとおりに生き残りがいるとまずい。
一応見ておくべきだろうと、彼らはもう一度武器を握り直して、足を前に進め――ようとした、その時。
「Grooooo………」
「な、なんだろ一体…!?」
坑道の奥から聞こえる、何者かの叫び。
その咆哮は空気を叩き、地を揺るがし、冒険者たちの皮膚を粟立たせた。
アンジェの脳裏に過ぎったのは雷鳴であった。
しかし、その咆哮の出所は坑道の最奥。
天から最も遠い、地の底からである。
びりびりと焦点具が震えるのが伝わり、ウィルバーは眉根を寄せた。
(これは、魔力のパルス…!?何か居るとは思っていましたが、この圧力……)
咆哮に乗せられ、密度の濃いマナが坑道の中を伝播していく。
ウィルバーの第六感はそれを鋭敏に捉えた。
(これは熱……いや、赤きマナか?つまりこの魔力の主は――)
強大な力を有する、炎の魔物だということである――!
さすがにここまで近づくと、鈍った感知能力にも感じ取れるものがあったのか、テーゼンが全員へ警告を発した。
「来るッ――――!!」
「な!!?」
「Wooooooooooaaaaaaa!!!!」
まるで噴火のように転がり出てきた赤黒の巨鬼が、三度目の雄叫びを上げる。
坑道を埋める圧倒的な質量。
冒険者たちの喉を焼く熱量。
仲間――ではなく、己が手勢を冒険者たちに滅ぼされた王たる鬼は、その満身を怒りに染め上げていた。

「デカい!!普通のオーガの倍はあるぞ!」
「喜んでじゃねえよ、この筋肉馬鹿!」
槍を構え直したテーゼンが怒鳴りつけたが、存外、ロンドは落ち着いた様子で現状を把握していた。
「こいつが親玉か。仲間を殺されて怒り狂っている。逃げ切れないぞ…!!」
背を向けた瞬間に、丸太の三倍はあろうかという豪腕が頭に振り下ろされることは想像に難くない。
溶鉱炉を思わせるほどの炎を巨躯に蓄えた異形の怪物は、旗を掲げる爪をその視線で捉えると、敵対する者として認識したらしく、脅かすように吼えかかった。
「G…Gggaaaaaaaaaaaaa!!!」
「上等だ!!掛かってこい!!!」
ロンドがスコップを振り上げ、渾身の一撃を叩き込もうとするも、火山の力を得ているオーガはその攻撃を皮一枚の差で回避し、続くシシリーのロングソードもかわしてみせた。
「げっ」
「これならどうだ、【龍牙】!」
気合の篭った穂先は、しかしオーガによって跳ね除けられてしまう。
「何!?」
今度こそ本当の驚愕に晒されたテーゼンを無視して、オーガは一番動きの鈍そうな老婆へ、その豪腕を叩き込んだ。
「婆ちゃん!」
「テア婆さん!」
ロンドとアンジェが異口同音に叫んだが、台風にも等しいその一撃は、幸いにもまだ効果時間内にあった魔力による翼で最大限押さえ込まれている。
それでも辺りを破壊した瓦礫が老婆の体を打ち、
「ぐっ……」
と彼女は呻いて膝をついた。
「ちっ、これならどうです!?」
炎の魔物と見てウィルバーが放った【蒼の軌跡】だったが、その冷気の帯はなんと赤黒いオーガの表皮に宿る熱に弾けてしまった。
効果的なダメージは無理でも、相手の足止め程度はできるだろう――と予測していたウィルバーにとって、それは信じられない事態であった。
悪夢のような戦闘であった――巨体のはずのオーガはこちらからの攻撃をことごとく避け、辛うじて命中率にかけては余人の追随を許さないアンジェの一撃こそ食らったものの、それが大したダメージになった様子はない。
再びウィルバーが【蒼の軌跡】を先ほどと同じ場所へと放つも、やはり対して効いているようには見えなかった。
そんな風に戦っているうちに、今度は多数を相手取るのが面倒になったらしいオーガが、その腕を薙ぎ払うように振り回してくる。
上方へと飛んで逃げたテーゼン以外の全員がその攻撃に捉えられ、地面へと叩きつけられた。
「ぐおお!」
「きゃあああ!?」
悲鳴が上がる中、体勢を整えたテアが【安らぎの歌】で全員の体力を何とか回復する。
ロンドが呻く。
「このままじゃ……畜生、ちょっとでも動きが止まってくれれば……」
「動きを止めるのは…あたしの、専売特許でしょ……!?」
一足先に起き上がったアンジェが、再び腕輪から鋼糸を引き出した。
「当たれえええ!」
鋼糸はいったん絡まったものの、太い腕に弾かれて千切れる。
「うそっ!?」
「いいや、よくやったアンジェ!」
彼女の糸を千切るその一瞬――ロンドは、隙を見つけて【杭打ち】の技を叩き込んだ。
スコップの平面で急所を殴打し、生き物を衝撃でその場に留める――彼の望んだとおり、恐るべきオーガはその場に釘付けになった。

次々と攻撃が叩き込まれ、見る見る分厚い皮膚に傷が蓄積される。
やっと衝撃から立ち直ったものの影響はまだ続いており、動きの鈍ったオーガを武器で捉えることは、体勢を立て直した冒険者たちには難しいことではなくなっていた。
テーゼンの【薙ぎ払い】とアンジェの会心の一撃が決まり、最後に――。
「おおおおりゃあああ!」
ロンドの【花葬】が、止めを刺した。
「Wooo…Woooooaaaaaaaaa!!!!」
…灼熱の体が崩れ落ちる。
脈動していた焔の心臓はその動きを止め、獲物を射止める羅刹の瞳はその光を失った。
「もう、さすがに隠し玉はないでしょうね…?」
「勘弁してください。もう動けません…これで依頼達成ですよ。間違いありません」
リーダーの少女にそう応じると、やれやれとウィルバーはへたり込んだ。
その後、無事に≪狼の隠れ家≫に帰り着いた旗を掲げる爪の報告に驚いた宿の亭主は、彼らの無事を労った後に、坑道のチェストの中に保管されていたぬいぐるみを見てさらに驚いた。
「この豚のぬいぐるみ……あの名人トーマス=ゴールドの作品じゃないのか?」
「トーマス=ゴールド?」
博識のウィルバーも首を捻る中、おやと声をあげたのはテアであった。
「そりゃ、一部のマニアに根強い人気を誇っている人形作家じゃないかえ?」
「ああ。ただの玩具じゃなく、特殊な効果を色々含んだ作品を発表しているっていうので、マジックアイテムをやり取りするように高値のつくことが多いんだ。なんでこんなもんが坑道に…」
「え、それってこの豚さん、返さないと駄目なの?」
ようやく話の見えてきたアンジェが、もっとも懸念する事を訊ねた。
宿の亭主が首を横に振る。
「いや、契約内容は『鉱山と関係のないものは冒険者の報酬に』だったからな。どう考えても、ぬいぐるみは鉱山と無関係だろう」
「ってことは……これ、売っちゃってもいいんだ」
「というか、特殊効果が何か気になりますねぇ…」
代わる代わる、何の変哲もなさそうなピンクの豚を覗き込む一行に、何も知らない給仕の娘が目を丸くした。
※収入:報酬800sp、≪薬草≫3個、≪ぶたちゃん≫
※支出:御心のままに(烏間鈴女様)にて【葬送の調べ】、傭兵都市ペリンスキー(RE様)にて【地霊咆雷陣】、ネジ倉庫(もみあげ様)にて【御使の目】購入。
※River様作、えんまの領域クリア!
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■後書きまたは言い訳
22回目の仕事は、River様のえんまの領域でございます。
オーク退治か臭いだろうな~とのんびり出かけたら、とんでもない強敵とガチバトルに入るという、冒険者の仕事は想像を超えることがあるという冒険です。
……こちらのシナリオ、隠し要素があって、本当なら【掌破】かそれに類する技能を持って入ることをオススメします。【炎殺掌破】、欲しかったんだけども…旗を掲げる爪の技能計画に、【掌破】を入れる余地がなかったんだよな…。
いやあ、火山オーガは強敵でした!
あんまりちょうどいいレベルの強敵だったんで、うっかりパーティ内の筋肉馬鹿が大喜びでした。
ビルダーを見ると、一部は評価メンバによる処理で、好戦的な奴が「掛かって来い」というセリフを言うようになっていたのですが、「デカい!」の方のセリフはランダムメンバなんですね。
ロンドの執念、恐るべし。
こういうランダムの神の悪戯って面白くて好きです。
シナリオ内では、まだちょっとだけ、シシリーがテーゼンに対してぎこちないのですが、追々それは解消されていくでしょう……というか、それどころじゃない事件が出てくるでしょう。
シシリーとしても悪魔全てを容認するわけじゃなく、神の使いと言われた青年との邂逅の後なので、人と交流を図る異形と呼ばれる存在に対して、まず相手の本質を見定めることが肝要なのでは、と考え始めている感じでしょうか。
それが聖北教にとって正しいことかどうかは、これから先の冒険で分かっていくのかな。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/21 12:48 [edit]
category: えんまの領域
Mon.
えんまの領域その1 
鉱山に住み着いた怪物の討伐依頼……手ごろな報酬と、自分たちのチームワークの再確認について、一番最適な依頼と思われるものをウィルバーが探し出してきた。

魔術師のもっともらしい説明に、他の一同が頷く。
彼らの集うテーブルにハーブティを運んできた宿の亭主は、
「その貼り紙に興味があるのか?」
と問いながら、近くの席から椅子を運んできて、自分も腰を下ろした。
「ええ、詳しく教えてもらえるかしら?」
「そいつはリューン北部の鉱山町からの依頼だな。なんでも、鉱山に化け物が住み着いたらしく、仕事に支障が出ているらしい」
「化け物?」
スコップを椅子の背に立てかけた少年が、居心地悪そうに身じろぎする。
「依頼書のとおりだ。大方、オークの集団か何かだろうよ」
「オークの巣穴、か…」

老婆はそう呟くと、調律し直した竪琴を膝に抱えた。
何しろ、湖に沈んでいったシシリーを助けるために自分も飛び込まざるを得なかったので、湿気が大敵の楽器まで一緒に濡らしてしまったのである。
木製の枠組みは幸いにしてどうにか無事だったのだが、弦の調律部分がどうにも緩んでしまい、今まで楽器修復の職人に託していた。
そんなわけで、修復はどうにか叶い、今日やっと届けられたのであった。
しばらく触れていなかった楽器で、どこまでのことが出来るのか――やや心許ない顔になったテアへ、
「…まあ、今のお前たちならさほど難しい依頼でもないだろうさ」
と亭主は元気付けた。
一番現実的なホビットの娘が報酬を確認すると、銀貨800枚と返事が返ってくる。
「それは分かってるよ。追加報酬はないの?」
「ないな。出来る限り迅速にってのが先方からのお達しで…ま、洞窟にもし鉱山と関係のないもんがあれば、それはお前たちが貰ってしまって構わないとは言われている」
「うーん、そっか。姉ちゃん、どうする?」
「……受けましょう。オークは臭いけれど」
付け加えられた一言に、皆が苦笑する。
オークは下級の鬼族に分類されており、人間の成人男性ほどの体格を持つ、醜い豚面をした怪物だ。
不器用で動きも鈍く、頭も悪い。
だがその生命力と腕力は体格に比べて驚くほど強く、自制心の利かない性質と相まって、非常に厄介なモンスターとして一般人に恐れられている。
それ以上に恐ろしいのが、悪臭で――汗腺に何か特有のものでもあるのか、彼ら自体が非常に臭いのだ。
本当の豚は清潔好きで、しょっちゅう泥で体に虫がたからないよう洗う習慣があるのに、彼らオークに水で体臭を消す、という考えはまったくない。
当然ながら、彼らの住み着くような場所は、そういったオークの体臭が篭ることになる。
ややげんなりした顔になったパーティへ、亭主もからかうように、帰って来たら宿に入る前に装備を洗えよと告げた。
リューン北部の鉱山――。
主に鉄鉱石や僅かな銀が取れるということで、それなりに大きなものであるのだが、銀が初めて取れたために人が集まってきていた当時の華やかさはない。
あまりそちらに向かう旅人も少ないようで、すれ違う者たちは、ロバに荷を積んだ行商人や巡礼の旅をしている小集団ばかりであった。
数時間ほど歩き続けると、やがて聳え立つ岩だらけの山が見えてくる。
「ここが件の鉱山じゃな」
「妖魔の住み着いた坑道ってのは、この辺りのはずだが…」
悪魔の青年が辺りを見回すと、さっそくそれらしき入り口と――見張りを発見した。
「このままでは中に入れないね…どうする?」
アンジェの言葉にテアは竪琴を構えた。
やや緊張した面持ちで弦の具合を確かめると、やっと得心がいったように最初の一弦をかき鳴らす。
これまでにも何度か奏でてきた、【まどろみの花】の旋律である。
柔らかな懐旧の念を揺り起こす音の連なりに、
「…ブ、ヒィ?」
と微かに訝しげな鳴き声をあげてオークが眠りについた。
「眠ったみたいだね」
アンジェがブーツの隠し場所からダガーを引き出すと、そのまま≪早足の靴≫の能力を借りて音もなく忍び寄り、眠っているオークへ止めを刺した。
ランプさんとフォウは、パーティがこれから坑道に入るのにランタンを取り出す必要もないくらい、辺りを明るく照らしてくれている。
「そろそろ、このフォウにも、名前をつけた方がいいんじゃないかのう」
「あ、そうね。……この依頼が終わったら、じっくり考えてみるわ」
ふよふよと漂うランプさんに寄り添うように、羽根を発光させながら飛んでいる光精の鳥を眺めながらシシリーが首肯した。
さて、光度の問題もなく旗を掲げる爪が坑道に足を踏み入れると――。
「…ッ!凄まじい悪臭ですね」
ある程度は覚悟していたのだが、それを上回るような匂いがどっと嗅覚に押し寄せてくる。
「この獣臭さ…間違いない。相当数のオークがいるわね」
「まあ、オークというのは環境適応力が高く、集団生活をする傾向があるわけですが……」
たまに体格と腕力に一際秀でたオークなどは”王”と呼ばれ、生半な冒険者たちですら相手にするのが難しくなるような強さを持っている。
そういう種がいる可能性もあると、長広舌を振るおうとしたウィルバーだったが、ひらりと白い優雅な手が奥を指し示す。
「さっさと済ませて帰るぞ、気が滅入っちまう前にな」
テーゼンの麗貌がやや強張っているのは、あまり息を吸いたくないからだろう。
ウィルバーとテーゼン以外の面子は、そのもっともなセリフに首を縦に振り、前へと歩き始めた。
しばらくは岩に囲まれた一本道が続いたが、途中でT字路に変わる辺りで、前方の気配を窺っていたアンジェが警戒の声をあげる。
「みんな、気をつけて!バットの群れだよ!」
「おや?……これはただの蝙蝠じゃないですね……」
ウィルバーはこちらへ向かってくる蝙蝠の種類を、吸血バットだと看破した。
通常の蝙蝠は病気を持っている可能性があるため、やはり攻撃を受けるのは避けたほうが良いのだが、この種の蝙蝠は病気を持つ可能性と共に、相手の血を吸って体力を回復させる、まさに吸血鬼のような一面がある。

それでも魔法や、魔法的な効果のもたらす状態変化に弱いことは一緒だったので、再びテアが【まどろみの歌】を準備した。
ぱたぱたと、面白いように眠りに落ちていく蝙蝠の最後の一匹をアンジェが短剣で刺し殺すと、パーティ側の怪我は途中でシシリーが受けた軽傷だけであることが分かった。
「治すほどのものではないわ。病気を移されている様子もないと思う」
彼女の言葉にテーゼンが傷口を覗き込み、その推測が当たっている事を確かめる。
傷口に触れられた直後はさすがに体を強張らせたものの、テーゼンがそれを気にする様子もなく離れたことに、少女は安堵の息を漏らした。
「よし、先に進もうかの」
老婆の言葉に一同が頷く。
T字路の向かって右側の通路を選択したが、そちらは幾度かの曲がり角の挙句に行き止まりであった。
ただ、
「…ん?これは……」
とアンジェが屈みこんで、岩の合間から何かを採取している。
彼女がほら、と仲間たちに見せたのは、一般的な薬草として出回っているヒヨス草とはまた別の種の、本来は森林や草原に生息する植物の葉っぱであった。
微笑ながら体力を回復するほか、中毒症状を緩和させたりする便利なものなのだが、その一方で依存性があることもでも知られているので、多用には危険が伴うため、普通の市場で販売することはない。
それが三束ほど、こんな鉱山の奥に生えていたのは、
「たぶん変異種で、ここらの地熱によって育ったんだろう。種がここに住み着いたオークの体にくっついていたのじゃないか?」
というテーゼンの推測である。
何れにしろ珍しいものなので、応急処置でよく薬草を使う彼に預かってもらった。
先ほどのT字路に戻り、反対側の道を行くことにする。
辺りの岩の壁に、鉱山の人たちが補強したらしい丸太の連なりが増えている。
それらが崩れたりしないかを確認していた一行だったが、スッと先行していたアンジェが腕を地面と平行に上げた。
止まれ、というサインである。
その場に音もなく這いずり、耳をごつごつした地面に当てる。
やがて仲間たちの下へ戻ってきた彼女は、重大な情報を告げた。
「この先に複数の気配を感じるよ。どうやらオークが何匹がいるみたいだ」
「戦闘は避けられそうにありませんね…。テアさん」
「うむ」
魔術師の促しに応じて、テアも楽器を抱える。
こちらの詠唱や歌が届かない位置まで移動し、味方へ支援をかける。
ウィルバーはさらにアンジェへ魔力による白い翼をもたらし、自分は【理矢の法】による魔法の矢を準備した。
リーダーの号令がかかる。
「いいわね…いくわよっ」
一気にアンジェが鳴き声を聞き取った地点まで駆ける。
暗い坑道の中、自分の役割を察しているフォウが冒険者たちよりも先に飛び、三匹のオークを照らし出した。
「ブゥ…?ぶ、ブヒィ!!」
「ブゥぶぶ、ヴ、ブヒィ!!
急に明るくなった自分の頭上を指し、何かを言っているが、オークの言葉が分かるメンバーはこの中にいない。

「何言ってるのかさっぱりわかんないってー!」
アンジェが短剣を逆手に持ったまま、【影の一刺し】の体勢になって応じる。
口調はふざけていたものの、一切の手加減なしで彼らは敵へと襲い掛かった――結果、一分とかからずにオークたちを駆逐した。
「……」
「どうしたの、ウィルバー?」
「いや…入り口の個体もそうでしたが、この群れのオークは普通より丈夫な気がします」
「……そう?」
シシリーは小首を傾げた。
何しろ、あっという間に退治してしまったのでその実感はなかったのだ。
だが、通常であればテアの【活力の歌】を受けたロンドの攻撃で、ただのオークがすぐに倒れなかったことをウィルバーの慧眼は見抜いていた。
「良くない兆候です、経験上。一応、警戒しておきましょう」
この年長者はとにかく慎重で、狡猾と言うよりは用心深いたちである。
彼の言うことなら気を配っておくべきだろうと、シシリーは他のものにも注意を促した。
隊列を整えなおして進むと、やがて十字路へと行き着いた。
「……!東の方からは妙な音が聞こえるぞ。これは…いびき、か?」
壁に耳を当てて報告してきたテーゼンとは別に、ウィルバーは目を細めて、竜の牙から作られている焦点具に微細な魔力を感じ取った。
腰のベルトに括りつけているそれを取り、掌に乗せてどこからその魔力を感知したのか確認する。
「北からは魔力の流れを感じます」
「どういうことだ、ウィルバーさん?」
「…分かりません。自然の魔力、ということも考えられますが、魔力を持つ強力な個体がいて、そいつがオークたちを従えている可能性も否定し切れません」
「さっき言ってたオークロードより強いか?」
「ワクワクしてますね、あなた……ええ、強いですよ」
「そっか」
ニヤリと笑いを刻んだロンドの顔は、どうみても血に飢えた狼のような笑みであり、
(犬が嫌いなくせに、狼に似てる顔ってどういうことでしょうね…)
とウィルバーはひとつ息を吐いた。
そんな中、黙って他の人の話を聞いていたアンジェが、ちらちらと西側を気にしているように見える。
テアが訊ねると、金目の物の気配がすると言い出した。
「気のせいかな…。西の方から金運を感じるんだ」
「なんじゃそれは…どの道へ進もうかのう?」
後半はシシリーへの呼びかけである。
剣を片手に引っさげた体勢のまま、彼女は考え込んでいたが…。
「東へ。まずはそっちを対処しましょう」
リーダーの決断に従い、彼らはテーゼンがいびきを聞き取った場所へと足音を殺して近づいた。
「こいつは…オーガ!!?」
「しっ、アンジェ」
ロンドが素早く彼女の口を押さえる。
「何故こんなところに…」
首を捻る戦士の横で、魔術師が呆れたように呟いた。
「眠って…いるんですかね?それにしても凄まじいいびきです。ホブゴブリンの比じゃありませんね」
この6人で組んで最初に行なった冒険を懐かしく思い出しつつ、彼は首を横に振った。
オーガは一般的に食人鬼と呼ばれる、上位の鬼族である。
その呼び名の通り、人の肉を好んで食するという、人間にとって極めて危険で狂暴な怪物だ。
ウィルバーの知る限り、オーガは主に森林や荒野に単体で棲息しており、集団で行動する事は少ないと聞いているのだが……それがどうして下級の同族であるオークと同じ鉱山にいるのか、彼の先ほど覚えた不安の影は、いっそう濃くなった。
とにかくも対処しなければならないので、高いオーガの生命力を一度で確実に削る為に、全員が示し合わせて止めを刺すことにする。
しかし。
「しまった!浅いかッ…!!!」
というウィルバーの舌打ちをかき消すかのように、痛みで目を覚ましたオーガが吠える。
「Graaaaaaa!!」
人には到底発音し得ない音が、彼らをびりびりと揺さぶる。
それでもその左足が、頼りなく地面を踏もうと足掻いているのに気づいて、シシリーは発破をかけた。
「先ほどの攻撃が効いているみたい!一気に畳み掛けるわよ!」
すかさず行き当たりの高い天井をすり抜けるように飛んだテーゼンが、【龍牙】の技術を持って穂先に気の力を集め、脳天を狙って突き出す。
彼の動きとほぼ同時に、前に出たロンドが、思い切り腰をスイングさせてスコップを振りかぶった。
2人の攻撃は、普段の仲の悪さは何なのかと思うほどの協調性を持って、あれほど警戒した食人鬼を絶命させた。
「――フゥ…」
テアが喉もとの冷や汗を拭う。
「オークとオーガが共生…普通ならまず考えられない状況ですね」
「どういうこと?」
「大きなダンジョンならともかく、この狭い坑道にオークとオーガが共生している。オークは彼の餌になることもあるのに、ですよ。この状況は、ある種の異常と言っていいでしょう」
リーダー役の少女の疑問に答えたウィルバーが、辺りを厳しい表情で見渡した。
「何かいますよ、この坑道。常識の埒外のモノが…」
彼の忠告を胸に、旗を掲げる爪は探索を再開する。
オーガがいたのと反対側の道では、木製のチェストに入っていた豚のぬいぐるみを発見した。
さすがにもうぬいぐるみに喜ぶ年齢でもないので、シシリーもアンジェも微妙な顔つきになったが、これが鉱山とは関係なさそうなのは確かである。
一応貰っていこうかと、荷物袋の下の方に収める。
ついに、ウィルバーが魔力の流れを感知したという最後の道へ、パーティは進み始めた。
2016/03/21 12:44 [edit]
category: えんまの領域
Sat.
水底の棺その1 
どこへ行こうという当てもないまま辿り着いた小さな村は、ひっそりとした森の奥にあり、静かな時間がただ流れていた。
何気なく散策に出ると、村のそばには湖があった。

「ふう……」
芋虫男との別れ以来、ろくに食事も摂っていない。
けだるい身体を大木の根元に下ろして、一息ついた。
辺りを見回すと、静かな湖の畔には少女が一人立っている。
少女は湖へ、優しく手を伸ばした。
その手から、ゆっくりと、ゆっくりと。
何かが、水の底へと、沈んでゆく。
やがて、それは、見えなくなっていった。
身体を起こすのは大儀だったが、持ち前の好奇心がつい刺激されて、シシリーはその子供へと声をかけてみた。
「今、何を沈めたんですか?」
「……ピッピ」
「ピッピ……?」
「そう、ピッピ。わたしの飼っていた鳥よ。病気で死んじゃったの」
シシリーは身体を強張らせた。
鳥――羽の生えた――死んでしまった――そのまだ傷口の乾かない場所に、塩のように注ぎ込まれるキーワード。
夜風が吹いて、さらりと女の子の金髪が流れる。
彼女は年上の少女の緊張をどう感じたのか、安心させるような口調で言った。

「……あなたは、冒険者さん?だいじょうぶ、わたしはまだこっちへは行かないから」
こっち、と言いながら少女は湖の底を指す。
自分が飛び込むのでは、とシシリーが心配したと判断したようだ。
「こっち、とは?湖の底のことですか?」
「冒険者さんは、何も知らないのね。この湖は、お墓なのよ。この村の、皆のお墓」
「……」
「死んだ人をこの湖の底に沈めると、天国に行ける、って言われてるの」
「……村の慣習、といったところか。だからあなたはここにピッピを沈めたんですね」
「そう、ピッピには、天国にいてほしいから。最後、とっても苦しそうだったから」
「ああ――」
そう、シシリーが最後に見た彼も苦しそうだった。
恐れにより封じ込めていた記憶を思い出し、自我を保つことも出来なくなって――だが、シシリーは彼に天国に行って欲しかった。
天の国に迎えられていない事を知ったのは、リューンを出奔したあの日の朝であった。
目の前の冒険者の心中を知らず、女の子は静かに会話を続ける。
「せめて、天国では安らかに、って。でも、冒険者さんにとってはおかしなことなのかしら?」
「そうですね……私たちの住む地ではあまり見かけない弔い方、ですね」
「そうなんだ……。でも、この村ではこれが普通なの。みんな、こうして天国へ行くのよ」
短い指が湖面を撫でる。
「きっと、私も死んだら、この湖に沈められて天国に行くんだと思うわ。ずっとずっと先、おばあちゃんになって、いろんな人に見送られながら」
「…………」
「それじゃあ、私、帰るわ。お母さんが心配してるから」
「ええ、お気をつけて」
女の子は夜の森の中とも思えぬ速度で、素早く去っていった。
どこにでもある、その地独特の葬儀のひとつ。
この村では、これが当たり前のことなのだろう。
ただ、それだけだ。

でも、この湖の底は――本当に、天国へ続いているのだろうか。
続いているのだとしたら――。
(私が殺した、救いを求めていた芋虫男も、いる?)
夢で会おうと言われたけれど、交易都市を発ってからろくに眠ってもいないので、夢すら見ていなかったシシリーである。
健全なはずの判断力は鈍り、テーゼンへの苦悶と芋虫男への罪悪感に引きずられ、正常な思考は常に遮られていると言って良かった。
「…………」
ゆっくりと、ゆっくりと、湖へと潜ってみる。
美しい、透き通った水の色。
ふかく、ふかく。
森が暗いからであろう、すぐに光はそれほど届かなくなる。
目を凝らして、水底を見つめる。
そこに、天国はあるのか、と……大方、予想通りだ。
水の底には、死体が折り重なっている。
いくつもの死体。
それはどれも無残なかたちを成していた。
水死体。
それは、あまりいい姿をしているものではないし――この湖には魚も多く住んでいる。
(天国とは、魚の餌になること、なのかしら)
そんなことを考えた自分を、一瞬嘲るように笑った。
――その瞬間。
(――!!!)
何かに捻られたような感覚に違和感を覚える。
足が、攣った。
このままでは、ほぼ間違いなく――水死体の仲間入りだ。
(死霊か何かの仕業――!?)
その時、絶対にいつものシシリーであれば浮かばない考えが浮かんでしまった。
(――ああ、このまま水底の棺に沈むのも、それはそれで良いかもしれないわ――それで天国に行けるなら)
確かに、死体は積み上がっている。
でも、魂は天国へ行けるかもしれない……行って、彼と再会できるのかもしれない。
それなら、それで良いのではないか。
『お馬鹿さん。俺はそんなところには居ないよ』
耳元で、あの声が聞こえた気がした。
(あ――そうだ、彼は『天使か、天使じゃないかなんて、そんなもの人に決められたくない』って言って…そんな人が水底にいるわけない!それなら、私がここで、死ぬわけには……!!)
必死に、攣った足をばたつかせ、上へと浮かぼうとする。
足の痛みに、顔が引きつる。
――その時、水に何かが飛び込んだ音がした。
(……!!?)
潜ってくる姿に、見覚えがある。
そう、それは、確かに――テアだ。
(どうして、ここに――)
考えているうちに体を引き寄せられ、水面へと浮かんでゆく。
水底の棺は、遠ざかってゆく――それに、何故か安堵を覚えた。
「……全く……!!見かけたと思ったら、いきなり湖に飛び込んだきり上がらんで……!」

老婆は肩で息をしていた。
いかに彼女が泳ぐことが得意で、水の浮力に助けられたのだとしても、ひと一人を岸へと連れて泳ぎ切るのは難儀であったのだろう。
「焦って飛び込んでみれば、案の定これじゃ……!一体何をしておったんじゃ!」
「……水底の、棺が。本当に、天国へと繋がっているのかと思って。見に、行ったの」
「……この村にとってはここが墓、なんじゃったか」
地方の風習に詳しいテアが、しばし考えたのちに応えた。
「なら、少し考えれば分かるじゃろ。ここは死霊の溜まり場。どんなものに引きずられても、不思議ではない」
そしてシシリーの前髪をそっとかき分ける。
「はー、無事でよかった」
ため息を漏らしながら、テアはぐったりとその場にうな垂れた。
「……、……ごめんなさい」
「……その詫びは、今のことに対してか?今までに対してか?」
「……ごめん、なさい」
ただ詫びることしかしなかったが、テアには伝わった――この謝罪は後者に対してであろうことが。
ぜいぜいという苦しげな喉の音が治まった後、ポツリとシシリーが訊ねた。
「……テアはどうして、彼と取引したの?一体何が欲しかったの?」
「欲しかった、というよりは……」
老婆は小首を傾げてから答える。
「わしの身の上をちょっと話そうか。わしは若い頃、ちょっとした吟遊詩人だった。ご面相は今ほど醜くはなく、歌声はそこらで評判になるほどのモンじゃった」
やがてテアはある楽器屋と出会い、プロポーズされる。
「それが亡くなった旦那じゃよ。一年ほど前まで生きてたんだがのう……家庭人というか、夫としてはなかなか出来たお人じゃったよ。マメで朗らかで、気配りのある人じゃった」
だが、どんな人間にも欠点というものはある。
テアの夫の場合、それは商売人としては、周りから白い眼で見られるほどに阿漕だったことだろう。
確かに彼の商売は金が金を産み、非常に経済的に豊かではあったが――反面、同じ業者の人間からは恨まれ、甘やかされて育ってしまった子供たちは、ひたすら金への執着を見せた。
それを気づかず放置してしまったテアは――夫が亡くなった後に起こった遺産争いによって、無一文でずっと暮らしてきた家から追い出されたのである。
対等の知り合いだと思ってた者たちからも、もう縁は切れたとすげなくされた。
辛うじて商売品の竪琴だけは持ち出し、歌でどうにか糊口を凌いでいたある日。
「行き倒れておったのじゃよ、テーゼンが。当時のあの子は、名前すらなくてのう…テーゼン、という名前自体はわしがつけてやったのよ」
「悪魔が行き倒れるって、ありなの……?」
「詳しく知っておるわけではないが、魔族とて、勢力争いだの権力争いだのはあろうよ。あの子はそれに巻き込まれた形なんじゃないかの?」
「……助けたの?」
「助けたとも。何で助けてはいかんと思う?目の前で本当に死に掛けておったんじゃ、助けるじゃろ?」
名前をつけ、食事をさせ、なけなしの金で身なりを整えさせ、彼が一眠りするまで歌を歌った。
別に、自分を追い出した子供たちの代わりにしたかったわけではない。
もしかしたら、追い求めていたのかもしれないが――彼が悪魔であることを、テアは百も承知でそばに置いたのである。
「お礼の代わりにいい事を教えると言うてな。旦那は地獄にいるというのじゃ。わしはこのまま行くと天国行き間違いなしじゃろうから、なら地獄に連れて行っておくれと頼んであるんじゃ」
「天国行きって……」
「もともと、わしは信心深いんじゃぞ?わしが旦那と同じところに行こうと思うのなら、テーゼンが連れて行ってくれるのが、一番確実じゃないか」
「でも自分で元の世界に帰らないってことは、行き方が分からないんじゃ…」
「それを冒険者の生活で見つければ良い、とわしがかき口説いたんじゃ。わしがいつ死ぬかは分からんが、まあ、それなりに健康だし、数年の猶予はあるじゃろう。だから、その間に方法を見つけて連れて行ければ良いのじゃ」
「でもそれじゃ、テアにいいことなんてないじゃない!」
悪魔との取引において約束されるものの代表は、人の世界においての栄光や出世、裕福さ…あるいは人の気持ちの操作などだ。
”死後のこと”の扱いを悪魔との取引にするなんて、聞いたことがなかった。
「ないわけあるかい。テーゼンはわしを殺すこともなく、ましてや死にそうな状況にわざとほっぽり出すこともせず、普通に冒険者として仲間を守ってくれておるじゃないか」
テアは笑った。
「それこそがまさに”いいこと”なんじゃないかの?」
優しい、家族のような笑み。
それを見つめてシシリーは思った。
(――ああ、ここが、居場所だ)
自分は、まだここで生きている。
テアに、仲間に、救われた命。
いつか彼女も、棺に納まる日が来るかもしれない。
けれど、今はそんなことを考える必要ないのだ。
この暖かい日々を、享受する――それで良いのだ。
「……帰ろうぞ。皆が待っておる」
「……はい!」
水底は、ふかくふかく、見えることは無い。
水底の棺は、ただそこにある。
死人を迎えるために、そこにある。
――水底はしょせん、水底であり、土に埋めることと何ら変わりはない。
土に還れば天にのぼる、水に還れば天にのぼる。
それだけの、文化の違いで…棺が天にのぼるための方舟だとしたら、その形がほんの少し違うだけに過ぎないのだ。
結論、どれも同じだ。
(――死を迎えれば、棺に入る)
その、別の形を知っただけ。それを知りながら、今日も生きてゆく。
――シシリーが知る悪魔が好む森は、返事をするかのようにざわめいた。
※収入:
※支出:
※春野りこ様作、水底の棺クリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
21回目のお仕事……というか、自殺未遂になっちゃってますが、春野りこ様の水底の棺です。
たしかこちらも100KB祭りの作品ではなかったかと思います(記憶曖昧すぎ)。
リプレイに書かれている大体の流れはシナリオどおりですが、依頼を受けているはずのオープニングはただ単に辿り着いただけになっているし、途中で前作の芋虫男と墓場の犬(塵芥式ネン様)に出てきた例の彼は囁いてるし、テア婆ちゃんの身の上話は始まっちゃうしで、ちょこちょこ変えております。
春野りこ様、ご不快でしたら申し訳ございません。
春野様のほかのシナリオも、なかなか他の人がやらないと言うか、「よくこんなすごいシナリオの筋を作りましたね……発想すらなかった……」という、他人とは違う角度から切り込む作品の作り方をなさっていると思います。
「葬列の跡」とか…リードミーを読まずにやったものですから、まさか、まさかと思っていたら、本当にすごい展開になっちゃって、半ば本気で叫んでしまいましたとも。
いや、本当に面白かったです。ありがとうございます。
他にも二人用シナリオは色々とあるのですが、中でもこれをプレイしたのは、死というカタルシスを覗いた後に主人公が感じる諦念というか死生観が、この状況におけるシシリーにぴったりだと思ったからです。
前回のシナリオと今回のシナリオを通して、シシリーが天使と悪魔のことや、死というものをどう考えるかということを、今までとは違う見方ができるようになったんじゃないかと。
この後に、パーティは一応復活します。
始めこそぎこちないかもしれませんが、段々と新しい旗を掲げる爪の形ができあがっていくことでしょう。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/19 12:40 [edit]
category: 水底の棺
Fri.
芋虫男と墓場の犬その3 
宿の亭主の作るパンとスープはシンプルだが、飽きない味で本当に美味である。
食べ終わる頃、宿の亭主が朝食の乗った胡桃材のお盆を持ってきた。
昨日に引き続き、持って行けということであろう。
そのようなことを考えながら、シシリーは再び共同住宅を訪ねた。
ノックしてから扉を開ける。
芋虫男は一人で部屋にいた。
昨日と同じ、窓辺のそばの椅子の上から河原を見下ろしている。
シシリーは何も言わないまま、昨日と同じ位置に食事を運んだ。
「……」
「食べますか?」
「おはよう…。その、気持ちは食べなくちゃと思っているのに、落ち着かなくて困ってるんだ」
「食べているうちに、落ち着いてくるかもしれません」
「それも分かっているんだ…。けれど。…そうだ、背中を…背中を貸してくれないか」
シシリーは、芋虫男と並ぶ形で食卓用の椅子を持ってきて、隣に座った。
「ありがとう。誰かの肩を借りないと、ときどき無性にいたたまれない時があって」
男性に肩を貸す経験は、家族同然のロンド以外には皆無であったため、いささかの気恥ずかしさをもって体勢を整える。
その不自然な緊張が身体に伝わったのか、カチャリと腰に佩いた≪Beginning≫が鳴る。
「武器を…装備しているんだ。さすがだね」
「冒険者ですからね」
本当はそれだけではない。
≪Beginning≫は、シシリーが初めてテーゼンに対して、心のしこりを持ったきっかけになった物である。
同時に死者を解放するために、呪文書の力を借りてはいたが、純粋に祈ることで手に入れた経緯もあり、どうにも手放すことが出来ない、ある意味因縁のあるアイテムでもあった。
その複雑な心境を押し殺して尋ねる。
「団長さんは?」
「今朝早くに出かけてしまった。次の興行先の手配と手続きがたくさんあるみたいだ」
「旅芸人も大変だったんですね」
「俺たちは旅をしてるんじゃなくて、放浪をしているんだ。いつか帰るところっていうのが無いからね」
「いつか帰るところですか…。作ってみるというのも良いと思いますよ」
「不思議だな…会って3日目の人なのに、君ならきっとそう言うと思っていた。一目見たあの日から」
「勝手に変な感情を持たれても困りますね」
男が苦笑した気配がした。
「それもそうだ、先走ってごめん。今日はおかしいんだ、きっと昨日の夜に見た夢のせいだ」
「夢?」
「そう、ただの夢」
芋虫男は、額をシシリーの肩にくしゃりと押し付ける。
「俺の目の前には、ピンで貼り付けにされた綺麗な蝶が居て。俺はそのピンを抜いてやるんだ」
「……蝶」
「もちろん、腕も指も無いから口でね。そうやって全部のピンを抜いたら、蝶から血が出てくるんだ」
羽のことは本人すらも知らないと、団長は言っていたはずなのに――これは何かの前兆なのだろうか?
「その血を飲むと、不思議なことに俺の身体からは腕と脚と、そして背中から羽が生えてきたんだ」
芋虫男は、シシリーの肩に顔を埋めたまま、淡々と夢の続きを話す。
「何故、そんな夢の話をしてくれるのですか?」
「誰も興味すら持ってくれないだろうけど、君には言わなくちゃならないんだ…だって…」
「……うっ!」

「夢の中の蝶は…君だったんだから。それに、俺は思い出したんだ…両手足の無かった両親も、こうやって羽ばたく方法を手に入れたってことを…!」
「な……何を……」
「ううう…ああっ!」
芋虫男の姿がおぞましく変容してゆく!
シシリーに噛み付いたところと同じ場所から、新しい腕が生えてきた――まるで、あの迷宮の魔神のように不自然な手が――。
「あアあああァア……ごめん…本当にごめんなさい…俺に手足を食べられる前に…」
不自然に生えた腕が、噛まれた箇所を押さえているシシリーを求めて、揺らめいている。
「斬って、くれ…俺を倒せ!!!」
「この馬鹿者…!そういう大事なことは、先に言っておくものですよッ」
何しろ、ただの食事運びのつもりだったので、いつもの油で煮込んだ革鎧は着ていない。
おまけに一人で行動していたので、テアの【活力の歌】も、ウィルバーの【魔法の鎧】も、何も支援がない状態である。
彼女が戦う準備といえば、腰の魔剣――かつて聖遺物であったが誰もがその事実を知らない、始まりの剣だけであった。
「嫌だ…!!殺したくない…殺したくないけど…抗えない……!!」
一足飛びで袈裟懸けにした後、芋虫男の不気味な腕が振り回されたが、物言わぬランプさんが彼の目前に躍り出て発光する。
「うわっ!?」
その目くらましに逸らされた一撃が、木製の椅子を粉々に打ち砕いた。
破片を乱暴に払い、男が叫ぶ。
「俺の母は…こうやって…親父を殺してしまった…嫌だ、いやだ!!母さん!!!」
「記憶と現実が混濁して混乱してますね……」
哀れな、とシシリーは思った。
せっかく忘れていた辛い記憶がこんな瞬間に掘り起こされるとは、一体どれほど心が傷つくものだろう。
勢いのいい動きでかなり流れ出てしまった血を補うため、彼女は自分に【癒身の法】をかけた。
自分の傷はこうして一瞬で治すことが出来るのに、どうして自分は、助けを求めている彼のために法術を使うことができないのか。
シシリーは泣きそうになった。
「フゥー…ッ…」
もはや彼の自我は保てていないようだ。
「ごめんなさい…ごめん……」
狙い済ました一撃を――新たに生えた腕の脇から、深く斬り上げる。
脇の下というのは大きな動脈が走っているため、人体にとっては充分に急所となりえる。
これが彼に効くか自信はなかったが、果たして結果は――。

「うあああああああ”!!」
芋虫男は、重たい土嚢のような音を立てて床へ倒れこんだ。
「はぁ…はぁ…は…っ。…何故」
何故、斬らねばならないのか。
何故、死なねばならないのか。
シシリーにも、自分の問いかけの意味はしかと分からなかった。
「きっと俺…こうなるようになってたんだと思う」
妙なる歌を発するテノールが、だんだん掠れていく。
「俺、こういう民族なんだ。他人から分けてもらうことで、初めて身体が完成するなんて」
芋虫男からは血が出ない。
「呪われてるよ…。記憶をなくしていたのは、俺が弱かったせいだ」
「……」
「見世物小屋で君を見た時、なりたい自分になれと言われた時、ある感情が沸いた」
「……」
「俺は気づいたんだ。君に敬愛の情を持ったことを。君を信仰しようとしたことを」
血の代わりに、生えた手足が糸のようにほつれて、芋虫男の身体をぐるぐる巻きにする。
(まるで蚕のようだわ)
と彼女はじっとその様子を見つめていた。
「仮初めの信仰に身をやつすのは、賢い選択とは言えませんよ」
「君は、強い人だ。うらやましいよ。だから、君を選んだんだけど」
「良い迷惑だわ」
初めて、丁寧語が取れた。
それに気づいたのか、どうか。
「悪い迷惑じゃないんだろ?ごめんね…」
芋虫男の身体は、すっかり糸で覆われてしまった。
「ここから先はどうなるのか、俺も知らないんだ」
「なるようになります。なりたい自分になるのでしょう?」
「俺、君にキスしておくべきだった?」
「ご冗談を」
「おやすみ」
「おやすみ」
芋虫男は繭のように、肌色の糸ですっかり巻き取られた。
「……ここから先のこと、知っているのでしょう。団長さん?」
「気づいていらっしゃいましたか」
団長は沈痛な面持ちで繭になった芋虫男を見ている。
「悲しいよ…。彼は私を選ばなかった」
「……」
「しかし、これが彼が選んだ道です。さて、教会へ行きましょう」
「教会?」
思いもかけない単語を出されたシシリーは戸惑った。
ひたとこちらに双眸を向けて団長は口を開いた。
「秘境で彼の民族に会った時、両親を失った彼を引き取るために教えてもらったことがあるのです」
それから、2人で荷車に繭を乗せ。市営墓地のそばにある教会に運び込んで、司祭と話をした。
司祭は団長の話を聞いて狼狽したが、団長が取り出したある書簡を見るや、表情を畏怖のものに変えて引き受けた。
その書簡は、聖北教を信仰する宗教都市――以前に聞いた覚えのある名前――の枢機卿からの任命書であり、そこには団長の身分が”司教”であることの保証と、繭となった芋虫男を浄化された火で炙ることを命じていた。
「あの繭を、火にかけるのですか?」
「いいえ、”浄化”するのです。さあ、見ていてください」
司祭が祭壇を整え、香炉を焚き、周囲には祈りの文言になぞらえて聖水を撒いて水文字を残す。
団長、いや、司教だった男が、聖別された松明と聖体箱を手に祭壇へ上がる。
司教が聖書の句を読み上げると水文字が青く光り、教会内を光で染め上げた。
(これは一体、何の儀式なのかしら…見たことがないわ)
シシリーは強張った顔で見守る。
「主なる神の霊はかの者に臨む。これは主がわたしに油を注がせ、迷える聖霊に放免を告げる」
先程よりも強く水文字が光る。
「灰にかえて冠を与えよ。悲しむ者に喜びを、義を樫として解放の羽を植え、光とかせ」
司教は古い聖句を唱えながら、油のかかった繭に火をつけた。
繭は襤褸切れを燃やすより早く燃え上がった。
その火は異様であった。
まばゆく輝く光の色のようにも見え――繭全体を火が覆った時、それは弾けた。
「く…っ!眩しい!」
光が強すぎて目を開けていることもできない。
司教の祈りの言葉が途切れ途切れに聞こえてくる以外、白に支配されている。
その時、何かがシシリーの頬に触れた気がした。
(駄目だわ…目を開けられない…見ることが、できない)
シシリーにはとても長く感じたが、ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
気がつくと、視界は教会に戻っていた。
祭壇と――繭の燃えかすの前には、力なく膝を折った司教が居る。
彼は手を震わせながらシシリーに呟いた。

「やった…やったのだ…御使いを、真なる天使を創造したのだ」
「彼は、何処へ?」
「天使は迷えるものの前に現れるのだ、私の迷いはこれで終わった…」
だから、自分は彼が何処へ行ったかなんて、知らない。
そう言われることはなかったが、意味することは明らかである。
(あんな風に――助けを求めたのに助けてもらえなかった、自分の記憶に苦しんで繭になってしまった、そんな彼が――天使?)
シシリーは脱力した――生気が失せた、という感じがした。
しょせん、そうではない者に異形の苦しみを体験することはできない。
その時、稲妻に打たれたかのような気がした。
(私はただの人間でしかない。テーゼンの苦しみも、私には分からない!!)
だってあの最後の瞬間、彼は失望を瞳に刻んでいたではないか。
それは――理解されない苦しみから起こったものではなかったか?
(私に……この人を詰る資格はない。たとえ司教という身分でなかったとしても、こんな私が彼を詰ることはできない)
シシリーに言えたのは、別れだけだった。
「……。そうですか。さようなら、団長さん」
「さようなら、親切な冒険者。君の道に幸あらんことを」
翌日の朝、なんとなくシシリーは、芋虫男のいたあの古い共同住宅へ来た。
見世物小屋の皆は旅立ってしまった。
もちろんここも引き払っているのだから、誰も居るはずがない。
だが、そんな予想を否定するように、扉の鍵は開いていた。
「誰も居ない。当然よね」
シシリーは、窓辺に立って河原を眺めた。
野草が川のせせらぎに身を任せて、ゆらゆらと踊っている。
揺れる野草の上には虫が蜜を求めて綱渡りをしており、その様子を、川の魚や草むらの動物が注視している。
シシリーは、窓を開けて、昨日砕けてしまった椅子の破片を掴み、野草目がけて投げた。
虫は驚いて飛んで逃げていった。
「……」
「君は虫を助けたつもりなのかな」
「その声は…」
振り向くより先に、背中と肩に温もりを感じた。
気配をまるで感じなかった。
「今日は肩をかじらないよ。もう必要ないからね」
「何故ここに居るのですか。天使になったのでしょう?団長…司教様が言ってましたよ」
「天使か、天使じゃないかなんて、そんなもの人に決められたくないんだ。俺が決める」
「『なりたい自分』を見つけたのですか?」
「それはまだまだ先になりそうだ。今は広い世界を見たいから。でも、いつか帰るところはある」
見世物小屋か、と聞こうと思ったが止めた。
何故かは分からないが、その答えを聞いたら自分の心が傷つく気がした。
「俺、君の名前を聞いてないんだ。教えてくれないかな、何があっても忘れたくないんだ」
「……シシリー」
「ありがとう、シシリー。君からたくさんのことを教えてもらった。困った時や迷った時は、夢の中で良いから、俺の名前を呼んで欲しい」
「あなたの…?」
「俺の名前は……」
……それからしばらくして、三度、市営墓地にやってきた。
墓場の花と祈りの歌は今日も絶えない。
門番は今日も暇そうにあくびをしている。
教会に保護された迷い犬は居なくなっていた。
”浄化”に立ち会った司祭の知り合いが、逃がしてしまったということらしい。
迷い犬にも帰るところがあったのだ。
シシリーは教会の尖塔を仰いだ。
その時、シシリーは見慣れない、だが確かに懐かしいものを見た。
彼は讃美歌を歌っていた。
初めて聞いた日と変わらない、あの歌声で。
シシリーにはそれが、美しいのか醜いのかよく分からなかった。
(……今も私は迷っているの。迷っているのよ……)
彼女が姿を消したのは、まさにこの日だった。
≪狼の隠れ家≫には、「さようなら。もう、行きます」という置手紙があった。
※収入:報酬500sp
※支出:
※塵芥式ネン様作、芋虫男と墓場の犬クリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
20回目のお仕事は、塵芥式ネン様が100KB祭りに提出なさった芋虫男と墓場の犬です。
100KB祭りのシナリオなだけに、背景が黒画面ばかりというシンプルさだったのですが……こんなにスクリーンショット次々と撮影したシナリオも珍しいですよ!なんですか、素敵過ぎますよ!
リプレイにする際には、もちろん精査して削りますが…いやあ、撮影したやつ全部載せたい。
特殊な民族と、彼らに対する天使信仰を持つ司教との邂逅でしたが、この話を「仲間が悪魔だって知ってショック受けてる」シシリーにやらせると、こんな怖い話になるとは思わなかったです。
エンディングにシシリーが失踪してますが、本来は前向きに「自分には帰る場所がある。常宿に帰ろう」となるはずのお話です。
ここからシシリーとテアの話に持って行きたかったので、ここらは改変しました。
塵芥式ネン様、まことに申し訳ありませんでした。
プレイした順番に掲載してしまっているのですが、キャラクターたちの時間軸的には、本来は19回目のテーゼン&ロンドの殴りコミュニケーションとこの話が、平行して起こっております。
そしてこのすぐ後に起こった出来事(シナリオ)の最中に、アンジェ&ウィルバーの2人組みが山賊退治を行なうわけで――なんでこんなに前後しちゃってるのかというと、ただ単に、Leeffesがシナリオを遊ぶ時間の関係で、どうしてもこの順番にせざるを得なかっただけです。
読みづらいだろうな…とは思うのですが、このまま載せさせていただこうと思います。
それにしても……リードミーによると、このシナリオは聖北教が軸になったラブストーリーってあるんですが、どう遊んでもラブストーリーというよりももっと深い、怖い話のように思えます。
こちらの作者さんの力量すごい……。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/18 12:34 [edit]
category: 芋虫男と墓場の犬
Fri.
芋虫男と墓場の犬その2 
シシリーは自分の食事を済ますと、すぐにその家への運搬を始めた。
隣の筋の、古ぼけた安い共同住宅の一室の扉を叩く。
樫や胡桃など及びもつかない薄っぺらい木の扉だったので、壊さないよう注意を払う――と、男の声が返ってきた。
「鍵は開いています、どうぞお入りください」
シシリーは無言で扉を開けた。
聞き覚えのあるような声だったからだ。
「食事を運んでくれたんだね。すいません、応対してくれる人が出かけていて、もてなせなくて」

やっぱり、と思った。
見世物小屋の芋虫男――彼は出窓から見える河原のせせらぎを、椅子に乗った状態で聞いていた。
(よく会うわね)
と心中で呟いた直後。
「よく会うな」
「えっ?」
「昨日から3回目、だね。ありがとう、こんな醜い旅芸人たちのせいで昨日は嘘をつかせた」
「墓場の件なら、自分の気分を良くするためでしたから気にしないで下さい。それより、晩のこと、きづいてたのですか?」
「明るいところからでも暗いところは見えるんだ、意外と」
「顔を覚えられてしまいましたね。ところで、この食事はどこに置いたら良いですか?」
「椅子の隣の机の上に頼みます。できれば真ん中のほうに。今日は、食べさせてくれる人が居ないから」
彼はちょっとはにかんだように笑った。
「机の上に飛び乗って、食べようかと思ってるんだ。できれば胴体分、隙間を作ってくれると嬉しい」
シシリーは言われた場所に食事のトレイを置いた。
宿の亭主も、このような人物だったとは知らなかったのだろう。
スープやリゾット、あるいはくたくたに煮込んだ野菜のように飲み込みやすいような食事ではあるが、大ぶりのスプーンやフォークが添えられている。
(……こういう巡り合わせだった、ということなのかしら)
シシリーは芋虫男を抱え上げ――何しろ、戦士の専門職こそ他に譲っているが、彼女とて長剣の使い手である――机の上に連れて行き、スプーンで食事をすくい上げて顔の前に差し出した。
「その…。食器を取りに来る手間が省けますので…。今、食べるといいと思いまして」
「……!」
男はいたく感銘を受けたようだったが、その分だけシシリーは後ろめたかった。
だって、まさか。
人間である彼よりも、テーゼンのほうに近しさを感じている、だなんて。
シシリーはその思いがデタラメであると自分へ必死に言い聞かせた。
「俺、団長以外にこんなに優しくされたことがなくて…こんな時、どう言えば良いかわからないや」
「ありがとう、くらいでいいと思いますよ」
「そ、そうか…。ありがとう、いただきます」
男の食事は長い時間かかった。
もっとも、咀嚼する回数が多いせいだが。
その間、少しだけ身の上話になった。
男は自分の出身地も、どのように育ったかすら記憶していなかった。
もしかしたら、生まれつきこのような身体ではなかったのかもしれない。
「大体15くらいの頃だ。俺の記憶が始まるのは。団長と今より小さなテントと…」
男は穏やかな声で話を続ける。
その声に励まされてか、シシリーはある程度リラックスして、彼の傍にいれるようになってきた。
「それと見世物小屋の仲間たち。俺にはこれしか居場所も行き先もないんだ」
「……」
「冒険者って、どこへでも行けて何にでもなれるのか?」
「そんなわけ――」
ない、と言えるのだろうか?
実際問題、あの決定的瞬間が来るまで、テーゼンはただの冒険者であった。
もしあの魔神が正体を叫ばなければ、恐らくそのまま、旗を掲げる爪の一員であり続けただろう――それは、この芋虫男の言うところの”何にでもなれる”ではないのか?
だが、彼は悪魔で――聖北の敵で――でも、ただの冒険者。
もう、そのことを追求するのが怖くなってきた。
彼女は口篭った空白を誤魔化すようにつばを飲み込むと、

「そんなわけない、と言いたいところですが、そうなる時もあるかもしれません」
とだけ告げる。
「そうか、いいな。俺もそうなれたらいいのに」
「できないと決めているから、できないのではないでしょうか?」
「そうなの?」
「理想像なんて誰でもいくらでも持っているものですよ。だからなれば良い、なりたい自分に」
そのセリフを口から出した途端、シシリーの周りの空気が薄く砕けたような気がした。
そうだ。
テーゼンは――かの悪魔は、なりたい自分になってたのではないだろうか?
目の前の男は、聖北教徒の娘の異変に気づかずに、己のうちの考えに捕われているようだ。
それから食事を終えて、男は窓辺へ戻った。
河原のせせらぎに耳を傾け、目を閉じている。
「それでは帰ります。さようなら」
「さようなら。本当にありがとう」
扉を閉める際に見えた、窓際で目を瞑ったまま子守唄を歌う芋虫男の姿は、芸術めいた彫刻品のようにも見えた。
シシリーは、建てつけの悪い薄い扉を閉じると、宿へ戻った。
その日の、夕刻。
教会の鐘の音がガランガランと響いた。
金髪の少女は、また石畳を歩いている。
ウィルバーたちと顔を合わせるのを回避するため、先日の葬儀のあった墓地へ、花を追加で供えに来ている。
来るのが遅くなったため、門番が居ない。
そういうときは、教会へ声をかけることになっている。
教会の入り口に昨日の迷い犬が居た。
食事を貰っているようで、赤いリボンの首輪をしているのが見えた。
(ああ……やはり、この空間は落ち着くわ…。でも、今は……)
教会の中は、いつだって澄んだ空気に満たされているものだ。
連日の霧で湿っているが、それ以上に清らかだった。
常にないことだったが、肺の中はその清廉さに染まっていくのに、それ以上にピリピリとした幻の痛みを感じるようである。
それは自分が迷っているからだろう、とシシリーは考えていた。
仲間だった悪魔を断罪することが出来ず、どうしたらいいか決めかねている己の不甲斐なさを、神が咎めているのかも知れない。
だが、そんな思いとはあべこべに、ホール上部の天使像は、優しい眼差しでシシリーを見下ろしている。
「おや、あなた…」
教会のホールに入ると、声をかけられた。
昨日の見世物小屋の団長と呼ばれた男だ。
「昨日は本当に助かりました。たしか冒険者をしているとか」
「はい。そうです」
一応、そう答えはしたものの、本当にこれからも冒険者でいられるのか不安でならない。
「どうやら縁があるようですね」
「何かに導かれているようにすら感じます。まるで天使信仰のようですな」
その単語には聞き覚えがある。
たしか、孤児院の院長が言っていた――。
(天使信仰。人を導く使いの天使そのものに、信仰を持つことを言っているのね)
思い出した事項にひとつ頷くと、
「敬虔なお方と見えます。ただ、その道が本当に正しく善き道であるかはわかりません」
と彼女は言った。
迷っているのである。
このまま彼らと分かれて、彼を討伐してしまうべきか。
それとも――正体を知ってなお、彼と交流すべきか。
そんなこととも知らない団長は、人懐こい笑みで彼女に語った。
「その迷いは持って当然ですとも。ただ、私には本物でなくとも天使が居るのです」
「……?」
「側に置いておくことで、常に手をかけ育てることで心の平安を手に入れられる。そのために進む道が、悪い道とは私には思えないのです」
「常に側に、手をかけ育てる…もしかして、芋虫男の青年のことを言っているのですか?」
男の優しい笑顔が、一瞬、目元だけ緊張したように見えた。
「ははは、そこまで見抜いてしまいましたか。恐ろしい人だ。彼は、彼は私の天使です。いや…本当に天使になる人、というべきかな」
「まさか殺す気ではないですよね」
自分が半ば考えていることを、団長が彼にもするのかと、シシリーは危惧して口に出した。
「突拍子もないことを言わないで下さい、フフッ、はは」
「……」
「あなたからは不思議な巡り合わせを感じますから、特別に教えましょう。彼には四肢がない代わりに…羽がある」
「翼人の類なのでしょうか?」
――ああ、こんなに彼のことを連想させられるなんて。なんて人たちに関わりあったんだろう。
「いいえ、もっともっと高尚な存在なんです。ただ、彼もそれを知らない。羽について知っているのは私だけ。いえ、私とあなただけ、ね」
「どこに羽があるかも知らないのだから、知ってるとは言えませんよ」
「それもそうですね。フフッ。はは。彼を見たかったら見世物小屋へいらしてくださいな」
謎めいた言葉ばかりを言う団長は、セールストークも忘れず言い残すと、高らかに笑って教会を去った。
(しかしあの口ぶりだと、昼間の食事の件を知らないのかしら)
団長ではなく芋虫男との邂逅について考えていると、畑作業から帰ったシスターたちが花を預かり、墓を彩ってくれた。
シシリーは≪狼の隠れ家≫へ帰った。
その日の夜は、食事を運ばなくて良かった。
見世物の興行があるからだろう。
シシリーは、いつもより早めに床についた。眠るのも早かった。
彼女は、その晩、夢を見た。
シシリーは、暗闇の中で地面に手足を縛られている。
何故縛られているのかを知らない。
ただ、それが懲罰ゆえに行なわれているのではないような気がした。
(縛られて喜ぶような趣味を持っていたかしらね…)
そのうち、大勢の人の声が近づいてきた。
その声はみな、同じことを言っている。
『おめでとう!おめでとう!』
その言葉は縛られたシシリーに対して送られているようだ。

『おめでとう!あなたは道なのだ!!』
「……う…」
朝だ。
鳥のさえずりが窓越しに聞こえる。
なんとも中途半端な夢を見てしまって、スッキリしない寝起きとなった。
2016/03/18 12:31 [edit]
category: 芋虫男と墓場の犬
Fri.
芋虫男と墓場の犬その1 
教会の鐘が夕暮れを知らせる頃になっても、石畳はぐっしょりと湿っていた。
背後にはリューンの聖北教会がそびえたっており、こちらを見下ろしている。
シシリーは、革靴を履いて滑りやすい石畳にこびり付いたコケを避けながら歩いていた。

家族に等しい個人仲間の一人であるロンドは、なぜかテーゼンを追って宿から姿を消している。
あの悪魔と最も親しくしていたテアは――どういうわけか、彼を追って出る気配が無い。
途中でテーゼンの正体に気づいたアンジェやかの老婆と同じ部屋にいるのが苦しく、シシリーは宿の亭主に懇願して、あのウィルバーが篭った屋根裏部屋で一人寝起きするようになっていた。
とにかく旗を掲げる爪は、メンバー2人が不在でリーダー役の少女がまったく仲間達と顔を合わせようとしない(向こうも躊躇っている)ので、ほぼ解散同然といったところであった。
仕事を請けることもできないのだが、それをどう考えたのか、宿の亭主はシシリーに一人部屋を提供した代わりにと、自分の用事を押し付けたのである。
それが、このたびの葬儀出席であった。
黒い鉄の柵で覆われた市営墓地に着いた。
ところどころ錆にやられて、柵の形になっていないとこもある。
シシリーは、門番に身分証を見せ、門を開けて墓地の中へ入っていった。
門を潜ると「憩いの地」と呼ばれている、あまり手入れされていない芝の埋まる貧相な中庭に入ることになる。
聖北の教義上、憩いの地を境に、生者と死者の境界を作ることになっている。
信仰に厚いシシリーには、ごく自然な解釈に思えた。
(……これから、私たちは一体どうしたらいいんだろう)
重いため息をつく。
何よりも彼女の心にかかっていたのは、テーゼンが悪魔だったということもそうだが、自分だけがその正体を知ってショックを受けていることだった。
元から知り合いだった老婆はともかくとして、自分から察したウィルバーとアンジェはシシリーに近しい人間であるのに、まったくそのことを教えてくれなかった。
そして、同じ年のロンドはといえば――まったく、欠片も、あの青年に対する態度を変えなかった。
(私だけが、気づくことも、態度を変えることもできなかった。私は彼らのリーダーなのに…)
テーゼンを受け入れられるのだろうか?
しかし、彼女の信仰する聖北教会において、人間を堕落の道に誘う悪魔は敵であり、シシリーにとって容易にその認識を改めることはできそうにない。
暗い色の碧眼で市営墓地を眺める。
あまり大きくはなく――冒険者の宿4件分くらいの広さだ――様々な様式で、十字の墓石が仲良く並ぶ。
その中央辺りに、四方を黒いカーテンで囲まれた施設があった。
黒い布をかけられた木棺が運び込まれようとしているところだ。
この時、後ろから……すなわち先ほど通ってきた入り口の門からになるが、男のすがる声と怒鳴る声が聞こえた。
「お願いですよ、知人の葬儀です。お祈りをするだけでもいいんです」
ふっと、そちらの方を見やる。
「ダメだ。あんた達、見るからによそモンじゃねえか、怪しいな。市の土地に入れるワケねえだろ」
「団長さん、やめよう。俺たちみたいな旅芸人に差別する人間に、何を言っても無駄だよ」
「アァ?怪しいモンは入れるなっていわれてるだけだけど?誰が差別してるなんて言ったよ?」
門番は木の棒を振り上げながら、旅芸人らしい2人の男を追い払おうとしている。
男たちは草臥れた麻のローブを被っている。
団長と呼ばれた男は、目が鋭い中年男性。
もう一人は亜麻色の髪がのぞく華奢な若者だ。
しかし、若い男の様子は異様とも言えた。
団長の男が曳いている荷車の中に、すっぽり収まっているのだ。
(なんだろう、あの格好。まるで――)
赤ん坊を荷車に乗せている様子と全く同じだ。
ただ、その車から見えているのは男の首と胴だけだった。
門番がことさらに気味悪がっているのは、この奇妙な若者と、それを曳いているか細い団長の組み合わせ所以だろうか。
団長と呼ばれている男が拝むように言う。
「なあ頼みますよ、本当に大事な友人だったのです。一番後ろに居るだけでも」
「ああうるさいなあ!あんまり騒ぐと自警団を呼ぶぞ!」
双方とも一切譲る気を見せないようだ。
このままではいずれ暴動になってしまうかもしれない。
シシリーは完全に向き直って、男達を見た。
「おや、来られないと思ったらこんなところに居たんですね。知り合いを通して下さい」
「お、あ、あんたは冒険者の…」
旗を掲げる爪と言えば、治安隊からの依頼を三回も成功させており、しかも至近の仕事は詰め所の地下牢に魔神が出たのを退治している。
また、ロレス王国の外交官からの拉致団討伐や、遡ってはアルエス近辺の砦の妖魔退治にも関わっていたとあって、現状の心許なさとは裏腹に、市井では名を上げるようになっていたのである。
市営墓地の門番もそのことを知っており、
「ちっ、運が良かったな」
とそれ以上の問答を避ける姿勢を見せた。
大分不服そうな顔は隠せていなかったが、きちんと門を開く。
奇妙な男たちがそこを潜ってこちらにやってきた。
「いやあ、参った。さあ行こう」
いかにも知り合いといった様子で話を合わせてきた団長は、こそりと彼女だけに届く声で囁く。
(ありがとうございます)
シシリーは門番にそれと分からぬよう首肯した。
(どういたしまして)

急ぐ男達を見送り、シシリーはとぼとぼとぬかるんだ墓地を進む。
彼女は黒いカーテンを捲り、式典の人々から少し離れて、司祭の祈りの言葉を聞いていた。
向かい側の後列を見やると、先ほどの奇妙な2人組みも見える。
共通の知人というわけだ。
独特の、鼻をくすぐる香油の匂いがカーテンの中をぐるぐると渦巻き、悲しみを充填させて一体を包囲している。
棺が埋められると、やがて誰もいなくなった。
シシリーも持ってきた花を手向け、市営墓地の門を潜った。
視界の端に動く影を捉えると、それは犬であった。
困った顔で辺りをぐるぐると走り回っている。
「迷い犬……」
観察したところ、どうも誰かに飼われていたこともある様子の犬だった。
人間の姿を見ても怯えるでも吠えるでもなく、ただ哀しげな様子の目をこちらに向けるばかりである。
とても子供とは言えない年の犬だが、行儀が悪いようには思えないので、もし口利きをしたら、犬を好んで飼う人に世話を頼めるかもしれない。
(犬………そういえば、ロンドが苦手なのよね。だから孤児院では一度も飼ったことなかったけど…)
ロンドの犬嫌いは、どういうわけか、本気で犬限定でダメなのである。
狼だったり、あるいは頭部が犬であるコボルトだったりは全く平気で退治できるくせに、相手がたとえ小型でも犬となると、たちまち体が竦むのだ。
「狼やコボルトはいいんだ。あれははなから敵だって分かってるから。犬は愛玩動物の振りして、いきなりこっち襲ってきたりするから嫌なんだ」
というのが彼の言い分である。
そもそもロンドが孤児院にやってきたのは、大体6歳くらいの時である。
ある夏の日に孤児院の門の前に置き去りにされていた。
それくらいの年にもなれば、自分が今までどんな暮らしを送っていたかは分かりそうなものだが、詮索好きな大人の追及に対して、彼がそれを語ったことはなかった。
どうも、富裕な階級の生まれではあったようなのだが、ある種、異様な髪の色だったのを嫌った親か誰かがロンドを捨ててしまったようだと、これは心を許したらしい院長へポツポツとロンドが告げた事情からの推察である。
もしかしたら、その富裕な家にいた時分に、彼にとって犬がトラウマになるような出来事でもあったのかもしれない。
だから自分で飼おうという気はなかったが、シシリーはその犬のために声をかけることにした。
すると迷い犬は力なく尾を振りながら寄ってきた。
頭をいきなり撫でるのは嫌がるので、耳の後ろを掻いてやると大人しく身を任せている。
「おいで。お前のためにちょっと相談しに行こう」
と言って歩き出すと、ちゃんと横に立って彼女についてきた。
そのまま墓地の隣にある教会へ相談しに行く。
出てきた司祭は落ち着いた50歳過ぎの男性で、彼は犬のことを見やると優しく微笑んだ。
引き取ってくれるというので、安心して教会を離れる。
リューン市街地の公園前を通り過ぎる頃、すっかり日は落ちていた。
「わあっ……!!」
「?」
公園内から歓声が響くのが聞こえる。
日頃は静かな場所であるので、いったい何が起きているのだろうと不思議に思ってそちらに近寄る。
どうやら広場に見世物小屋が来ているらしい。
見世物小屋のテントの幕をあげて中を見ると、20人くらいだろうか、小ぶりのテントの中は人だかりとなっている。
入場料を集めに来る小間使いがいない。
(見世物に応じておひねりを投げ入れてください、ってことなのかしら?)
さすがに戸惑って辺りを見回していると、
『サア、サア。今宵はお集まり頂き誠に感謝』
と、壇上に光が浴びせられ、口笛や拍手が湧いた――客は常連なのか。
『今夜、お見せ致しますのは【異形の者達】でございます』
ぴくり、とシシリーの肩が揺れた。
『世界各地で見つけた彼らは決して妖魔ではございません。まさに人間でございます』
会場の中は純粋な驚きと期待感にどよめいているが、シシリーは段々と呼吸が苦しくなってきた。
『サア、サア。ご覧アレ!まずは南方に住まう人魚だよ!』
幕のかかった檻を曳いて現れたのは、なんと今日、市営墓地に来ていた団長と呼ばれた男だった。
団長が幕を派手な演出で取り去る。
中から現れたのは、上半身が人間で四肢の先が魚の形をした男だった。
観客からはどよめきと、悲鳴が混じった驚喜の歓声があがっている。
拍手と同時に銀貨がバラバラと宙を舞う。
「……」

檻の中の人魚は尻尾を振り上げ、鍛え上げられた体の曲線美を艶めかしく見せつけた。
シシリーは、それが美しいものなのか、歪んだ醜悪なものなのか判断できかねた。
(でも……彼は人間なんだわ。あんなに違う形なのに)
シシリーの心の奥にある、冷たく硬い塊がごとりと音を立てた。
かなり不快な感触がした。
「さあ、人魚見物はここまで。お次に現れますのはなんと『岩喰い』です」
再び布の幕が下ろされた檻と入れ替わり現れたのは、口をおどろおどろしいマスクで覆った大女だ。
マスクに似合わない流行りのドレスを着た女が恭しく礼をして、恥じらいながらマスクを取り外すと、観客からどよめきの声が再びあがる。
その口は、耳まで避けていた。
並びの悪い歯が、むき出しになって見える。
(歯の数は人間の数と同じなのね。大きさが違うみたいだけれど)
思わずしげしげと観察をしているうちに、大女の頭と同じくらいの大きさの岩が運ばれてきた。
男たちの力をもってしても、持ち上げるのすら大変そうだ。
「ご覧アレ!これが『岩喰い』たる所以だ!」
大女は、気合の篭った大声を上げると、両手で岩を持ち上げて観客たちに対し横を向き、そしてがりがりと大きな音を立てながら岩に齧りついた。
みるみるうちに堅固な岩が削れて萎縮する。
観客たちは小さくなる岩に反比例するように歓声を大きくしていった。
食べ終わると銀貨が舞い上がった。
女は再び礼をして、舞台袖へはけてゆく。
同時に会場内は明かりが落ち、暗くなる。
静まり返った会場内を、温かなテノールの歌声がこだまする。
また壇上に明かりが灯されると、そのテノールの正体に会場が息を呑んだ。
「……~~♪」
「奇跡の歌声を持てる男も、すべてを持つことはできなかった」
団長は歌の邪魔にならないよう、淡々と観客へ訴えかける。
「この声と、天性の歌唱力に敬意を表しながらも、彼はいつもこう呼ばれている。『芋虫男』と…」
壇上の小さな机の上に乗っていたのは、四肢をすべて持たない男だった。
やせぎすの体に亜麻色の豊かな髪。
(団長と一緒に墓場に来ていた人ね。荷車に収まっていたのはこういうわけだったのか)
会場の中はどよめきではなく、同情めいたしんみりとした空気に包まれた。
それは彼の見た目がそうさせたのではない。
彼の憂いを帯びた歌唱力からくるものだった。
奇跡のテノールが歌を終えると、明かりもゆっくりと暗く落ちていく。
会場は沸いた。
ぼうとした頭ではしかと覚えていないが、最も銀貨が飛んだのはこの時だったように思う。
それからも火を噴く手品などが披露されていたようだが、シシリーにとって衝撃だったのは最初の三名であったので、あまり記憶していない。
人でありながら、シシリーにも見慣れぬ【異形の姿】を持つ者たち――悪魔でありながら、ほぼ人と変わらぬ姿と態度を保ち続けたテーゼン――。
頭の中が凍りついたようになった。
逃げるように、見世物小屋から去る。
(神よ……聖北の神よ。なぜ、彼らに会わせたのですか?私に何か仰りたいのですか?)
天啓は未だ彼女にない。
2016/03/18 12:28 [edit]
category: 芋虫男と墓場の犬
Wed.
抜き身のナイフその3 
石畳で整えられた道を、どたどたと足音を鳴らしながら駆ける。
翼が生えている青年が自分の足で走っているのだから、それはもう目立っていた。
さすがに疲れを覚え、テーゼンは徐々にスピードを落としてゆっくり歩き始めた。
はぁ、はぁ、と荒く息を吐きながらも、歩みだけは止めず。
人の流れに沿って通行人の速度に合わせる。
この街に流れている川のごとく、人の波に浚われ消えていくつもりで進んでみた。
(情けない――なんで、あんなムキになったりしたんだよ、僕)
だが、今すぐ公園に戻るのはお互いに気まず過ぎるだろう。
せめて時間が置ければ――と思い、テーゼンはグレイウォルドをぶらついて時間をつぶすことにした。
中央通りから少し奥まったところにあるチッピング通り。
市場に面していることから名付けられたストリートだ。
農村部からやってきた出稼ぎ農民たちが、余剰作物を道端で通行人に売っている。
見るからに瑞々しい野菜がずらりと並んでいるのは壮観であり、色彩豊かであった。
(…おいしそうでみずみずしい食べ物)
冒険者は都市部ではない地域に旅に出ている間は、どうやっても乾物中心の食事になってしまうので、こういった見た目のものには非常に弱い。
(でもあまりじっと見ていると、店の人も買ってくれんのかって思っちまうし、悪りぃよな)
テーゼンが懸念していた通り、店の人間が秀麗な顔立ちの青年に気がついて、声をかけてこようとした。
彼は軽く笑って、その場を後にする。
(勘違いさせちまって、すまなかったな……人ごみに紛れよう)
踵を返して中央通りへ戻っていった。
街のシンボルになっている時計搭の脇をすり抜けて小さな路地を抜けると、街中にも関わらずなかなかに静かな場所もある。
階段に腰を下ろして、彼は一息ついた。
階段の下のほうに視線を移すと、がやがやと人の声がして大勢が行き交っているのが見えた。
(ふぅ……)
やはり、人ごみの中にいるとなんとなく酔ってしまう。
皆がみんな、別々の目的地を目指して歩いているからかもしれない――テーゼンはもう一度大きく息を吸った。
ここでずっと場所塞ぎするのも良くないだろうと、重い腰を上げて辺りを見回す。
ふと、自分が座っていた位置よりも上方の階段に、お菓子屋と書いてある看板を発見した。
(お菓子か……シシリーもアンジェも、甘いもの好きだったな)
よろめくように体が傾いだが、慌てて次の一歩を踏み出して上へ上へと向かっていく。
その店からは甘い匂いが漂っている。
砂糖、バター、チョコレート……贅沢品が溶けている匂いだ。
「いらっさーい」
間の抜けた店主の挨拶……魔族にもめったにいないような美麗な男だが、この男がお菓子屋をやっているのだろうかと、テーゼンは意外に思った。
割と高価そうなディスプレイに気後れして、おどおどしながら店内を見やる。
店主が楽しそうにその様子を見守った後、飛びこんできた客に話しかけてきた。
「あんまりこういうの、たべないのかなぁ?」

店主は軽やかな声で小さく笑っている。
テーゼンは否定することも出来ないので、素直に頷いた。
「ああ、流れもんだからよ。なかなかこういう贅沢は…」
「なるほど、じゃあさぁ」
頬杖をついている店主は、愉快そうな笑みを浮かべたまま提案する。
「その、あまりできない贅沢、してみるのはどうなんだろうねぇ」
店主はテーゼンに手招きした。
不思議に思いつつも、逆らうことなくその招きに応じる。
「はい、あーんして」
「あ、あーん?」
店主のノリに乗せられて口を開くと、チョコがぽろっと放り込まれる。
チョコレートが舌の上で蕩けていく……美味としか言いようがなかった。
店主は素直すぎる彼の反応を見て、嬉しそうにまた笑った。
高級スイーツの値段っていくらなんだろうと心配していると、
「お金はいいよぉ。これは僕からのプレゼント」
と付け加えられた。
胸を安堵で撫で下ろす。
「君、なんだか思いつめた顔してるんだよねぇ。そういうときは甘い物が一番。それでもだめなら寝る、食べる、運動する、愚痴を言う。喧嘩するのもありだねぇ」
「てめぇは魔法使いかよ」
「だって、顔に今イライラしてるって書いてあるから」
テーゼンが食べた分のチョコレートを補充しながら、店主は肩を竦めた。
「ま、うまく解消されるといいねぇ。応援してるよ」
よく分からないが励まされたのは確かなので、テーゼンは礼を言って店を後にした。
外に出るともう日が暮れてきており、黄昏の色が辺りを染めている。
さすがにもうロンドは宿か、別の場所へと移動しているだろう。
テーゼンは公園へ戻ることにした。
(あそこでちょっとは気を休めないと。…猫、まだいっかな)
やや早足で公園へ入り、あの黒猫の姿を探すも――どこにもいなかった。
霧が流れ込んでくる関係なのだろうか、この街の夜風はやけに冷たい。
だがまだ宿屋に帰るのは気乗りしなかった。
(つーかまだ気まずい)
どうしてもまだ顔を会わせたくなくて、夜の散歩へ行くことに決めた。
中央通りに再度足を運ぶ頃には、もうすっかり夜の帳が落ちてきた。
寒さにより手を擦りながら夜道を行く。
あてもないまま一度訪れた市場へ流れてみたものの、昼間の賑やかさには及びようもない。
おまけに、横目で見た路地裏には、雑魚寝している浮浪者の姿もあった。
こんな奴らにみすみす手を出されるとは思っていないが、
(もう、さすがに帰るか。寒ぃし)
と思い、今日一日酷使された足を止めた。
宿屋のある通りへ続く道を行こうと向き直ると、視界の端に人影を捕らえた。
こちらに近づいてくる足音が耳に届く。
「――……!」
「…――ぁ」
こんな遠くから、しかも暗い夜道に普通は誰だか判別なんてできないものだが。
テーゼンは悪魔であり、悪魔には暗視があった。
だから、誰なのか分かった瞬間、彼は逃げ出していた。
(――来るな、来るなよ、どうして――)
あの無頓着で大胆な少年の目が、しっかりとあの距離であの暗さで見えてしまって、テーゼンはいつの間にか走っていた。
(僕は奴を恐れている?いや、違う。あの目が――嫌いなんだ。本当に、止めて欲しい……こんな自分、本当に――あまりにも、醜くないか?)
テーゼンの理性は、こんな無意味な逃走劇は止めるべきだと告げている。
(逃走劇って、白髪男に追いかけられていること?それとも、旗を掲げる爪から?)
それでも彼の足は走ることを止めなかった。
さっきからずっと、ロンドよりも前に自分自身に見つめられているようで――。
(――その目。やめて、ほしい)
もう、何から逃げればいいのか分からなかった。
「――ついてくんじゃねぇよ」
いつかの夜と同じセリフを言い放つ。
「――ほら、お前だって俺が追ってきたって分かっただろ?」
昼間の八つ当たりの、意趣返しだろうか。
でもロンドの顔に悪意は見られなかった。
「おう。おかげさまで」
「本当に、お前は抜き身のナイフみたいな奴だ」
少年は、なぜ自分の姿を見た瞬間にテーゼンが逃げたのかを訊ねなかった。
「……帰ろうか」
宿に、という意味でなかったのは、彼の顔つきから伝わった。
「僕は……」
「ああ」
「逃げたんだ。どうして、とか聞かねーのか?」
聞かないのか、という言い方は卑怯だということは自覚している。
テーゼンはむしろ聞いて欲しいのだ……ほかならぬ、犬猿の仲の相手に。
それを分かっているようで、ロンドは相手の質問に答えずに、じっとテーゼンを見つめていた。
「てめぇを見ていると、てめぇの瞳に反射して醜い僕が映るんだよ」
くしゃりと己の前髪を鷲掴み、感情を堪える。
「だから、何が言いたいかって、鏡見ている気分になんだよ。鏡を見てっと、ふとした瞬間に自分が醜く見えて、ごちゃごちゃ考えちまう。…てめぇを見ると、そうなる」
「俺、お前の鏡じゃないぞ」
「わかってんだよ。それで――あの時、シシリーが僕を見たときも、悪魔の僕が映ってたんだ。醜い…僕」
「多分、そう思うのはお前だけじゃない。誰しも思う。俺も自分が醜いと、そう思う時がある」
テーゼンの苦悶をあっさり肯定されて、彼は口を噤んだ。
「さっき、お前のこと、抜き身のナイフって言っただろ」
「………」
「そういうところだ。色んなものに怯えてる。触れたら怪我をするぞってナイフみたいにしてる」
「………」
「まぁ、ナイフの刃は痛いが、腹に触れればどうってことはない。ただの鉄の塊だ」
そう言って、彼は手をテーゼンへと差し出した。
どうやら、ロンドは今のテーゼンが刃の面――悪魔の面――を向けていないと判断したようだ。
テーゼンはふと夜空を見上げ、乾いた笑みを漏らす。
(だって、笑えて仕方ない。抜き身のナイフか!ああ、そうだ。本当に――)
悪魔の青年はロンドを一度睨み付けた。
それから体を脱力させつつ、相手の間合いの距離に入る。
パシッ、という乾いた音が響いた――テーゼンの白い手が、厳つい少年の手を思い切り払いのけた音だ。
「ふぅー……僕はそもそもてめぇと――合わねぇ。なんでかなんて、ここでごちゃごちゃ言うのもしたくねぇ」
「ハッ」
ロンドは笑ってみせた。
「――そういうと思っていた。珍しく俺が随分気にかけてやったのに、お前は俺の親切を無碍にする」
「親切ぅ?ハッ、笑えるぜ。嫌な奴から逃げてんのに、追いかけてくるてめぇのそれのどこが親切だ。嫌がらせだろうが!」
「嫌な奴からじゃ、ないだろ。お前が逃げてるのは、お前からだ」
「――言うな!」
「悪魔という種族に生まれついている自分から。逃げたんだ、シリーを説得することもせず、自分で自分の居場所を守ることもせず、お前はただ逃げたんだ。俺たち旗を掲げる爪から」
「言うな……!!」
黒いタートルネックに包まれた腕が、勢いよく振られる。

「だがなァ、抜き身のナイフってのは気に入った。言い得て妙じゃん。ああ――その通りだ!よくわかってんじゃねーか!」
「ア?」
「安易に触ったら、怪我するぞ――って。言ってんだよ」
わかっているよな?と付け加え。
ロンドの見えない位置で、しっかりと槍を握る手が拳を作って握りこんだ。
――そして。
ロンドの顔を思いっきりぶん殴った。
拳は綺麗に顔面に入り、年不相応の巨躯がよろめく。
「ごちゃごちゃ言うのはやめようか、考えるのもやめよう。どうせ覚悟してんだろ」
口の中を切ったのか、ロンドはぶっ、と血の混じった唾液を道端に吐き捨てた。
ただでさえ悪い目つきが、戦いの予感にぎらついている。
「いいぜぇ、シンプルじゃねえか。――お前が負けたら、大人しく俺と一緒にリューンに帰るんだ。お前が勝ったら、このままどこへなりと行けよ。異論はないよな?」
「やってやらぁ、この野郎!!」
190センチを超える大柄な体から繰り出された拳は、渾身の力が込められていた。
回避が得意なはずのテーゼンが、その力にぶっ飛ばされて思い切り壁に体を打ち付ける。
――それからは殴り合いの応酬であった。
体を捻り、遠心力をきかせてテーゼン目掛けて繰り出された拳は、とっさに顔の前に交差された腕で防御された。
かなり痛い音が響く。
腕の骨は折れていないようだが、かなりのダメージがあった。
だが頭部をやられると体捌きが鈍るので、顔を殴られなかっただけマシだろう。
テーゼンの腕の隙間から見えるロンドの目は、まるで獣のようであった。
得体の知れないものの目。自分以外の目。
そして、テーゼンに害をなすものの目だ。
「俺が、お前を、悪魔だって知っても平気なのはなぁ!!」
リーチの長さを利用した回し蹴りは、恐ろしい破壊力だった。
テーゼンとて小柄とは程遠いのに、一撃で吹っ飛ばされてしまう。
「お前が、お前でしかないからだ!お前は始めから、テーゼンでしかねえんだよ!!」
「うるせええええぇぇっ!!」
テーゼンは翼を広げて夜空に飛んだ。
不規則な軌道を追いかねたロンドの頭を目掛けて殴り、素早く蹴りを入れた。
上体を崩して地面に押し倒せば、マウントを取って優位な態勢で殴り続ける。
だが途中で翼の端を力任せに掴まれ、痛みに体を強張らせた時に入れ替わられる。
2人とも武器を手に戦う戦士だ。
ゆえにどこまで体を痛めつければ――殺してしまうかもよく知っている。
もちろん、お互い殺すつもりはない。
拳にお互いの鬱屈とした感情を込めて――振るっていた。

「くたばれ根暗!」
「うっせぇ!この考えなし!ストーカー!」
拳が体にしみこんでいく。
最初は互いに減らず口を叩いていられたが、やがて口を動かすことすら億劫になってきた。
一撃が体の奥まで浸透する。
内臓はもう止めてくれと悲鳴を上げていた。
「うおおおおおおおぉっ!!」
「あああああああぁあッ!!」
急所を捕らえた、見事なまでのクロスカウンター。
だが、ひっくり返ったのは結局テーゼンだけだった。
「ハッ、ハッ、ハアッ……」
「ぐ……てめ……」
「も、いい……だろ……お前の、負けだ」
それは、テーゼン自身が迷宮の魔神に告げた言葉だった。
人間を知らない、お前の負けだと。
それは自分も同じことだった――人間どころじゃない、自分の思いすらちゃんと分かっていなかった。
彼は冒険者も、旗を掲げる爪の一員も辞めたくなかったのだ。
「……くそっ」
「連れて、帰るからな。……担ぐなんてしたくないから、さっさと起きろよ」
「自分でやっといて、その言い草。……なんかもう、てめぇにこだわるのが無意味に思えてきた」
「ほら、帰るぞ。≪狼の隠れ家≫に」
大きく血に汚れた手が、馬鹿力で無造作にテーゼンの体を起き上がらせた。
彼の目に黒髪の青年が映る。
ロンドの目が自分を見ているようで、移りこんだ像をテーゼンとして認識していないと思ったのは、彼を他の者のように悪魔だと――彼だけが、そんな風に見ていなかったからだということが、やっとテーゼンにも分かったのだった。
――二週間後。
「まったく、お前らにはほとほと呆れた。まさか噂でお前たちの喧嘩話を聞くことになるとはな」

他の都市のゴシップまで聞きつけているのは、商売柄なのだろうか。
≪狼の隠れ家≫の亭主は、まるで彼らが普通の依頼に出かけて帰ってきたかのように、いつもと同じ顔で出迎えてくれた。
ただ、あのグレイウォルドでの殴りあいは住民に通報されており、自警団によって二人一緒に騒乱罪でブタ箱へぶちこまれていた。
なんとか釈放されたのは、話を聞きつけて慌ててやってきたウィルバーとアンジェが、2人を出してもらえるよう今までの冒険の伝手を使ったからである。
「いや親父。それはこいつが先に手を出したからこいつが悪い」
「あ?」
「おい、喧嘩する気なら外につまみ出すぞ」
相変わらず、テーゼンとロンドは仲が悪い。
「表へ出ろ。あの時は途中までだったが、今決着をつけようじゃないか」
「上等。僕が返り討ちにしてやる」
――…やがて聞こえてきた殴打の音と、それから野次を飛ばす声を聞いて、
(あいつらよく一緒にいられるよな……)
と、宿の亭主は頭を悩ますのであった。
※収入:
※支出:
※月丘シクラ様作、抜き身のナイフクリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
19回目はお仕事というよりは、殴り合いの末の相互理解というか…月丘シクラ様の抜き身のナイフです。
自分でやるのはごめんですが、冒険者同士の殴りコミュニケーションっていいですね!
こちらのシナリオはマルチエンドであり、喧嘩する以外のエンディングも勿論あるのですが、やっていて一番面白かったのがこのエンディングだと思ってます。
カードワース遊ぶ時に、犬猿の仲ってあんまり作っていないのですが、そういう2人の為のシナリオというのもすごい燃えることに気づきました。もっと喧嘩する同士作ろうかな。
このシナリオのためだけに、途中からロンドとテーゼンに犬猿の仲クーポンをつけましたとも!
こちら、リードミーに「不器用なPCの葛藤を書きたかった」とあり、本来ならば普通の人間の冒険者同士でのやり取りとなるもので、こちらの作品で種族クーポン分岐はしていないのですが、これの殴り合いルートが離反したテーゼンの葛藤にぴったり来るように思い、プレイさせて頂きました。
魔神によって悪魔であることを明かされたテーゼンが、シシリーの拒否に耐え切れずパーティを離脱し、ロンドによって連れ戻される話、だったわけですが……色々と元のシナリオに入っていないセリフや地の文が、わんさかリプレイに入っております。
また、吹雪様の迷宮のアポクリファと、JJ様の敵意の雨の話がちょこちょこ入っているのですが、クロスオーバーはなさっていません。すいません。
そして、これは土下座レベルで謝る事なのですが。
実は抜き身のナイフに出てくる街は、依頼から帰ってくるときにリューンとの中間地点にある場所ということで、別にグレイウォルドではありません。
ただ、レストランやら石畳の道やら市場のあるチッピング通りやらが違和感なく盛り込めることに気づき、急遽、彼らの移動先が灰霧の街となりました。
月丘シクラ様、ご不快でしたら真に申し訳ございません。
さて、いよいよ次はシシリーの話です。仲間の一人の正体が悪魔だと分かった彼女が、これからなにを考えるのか。……へこたれないといいなあ、あの子。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/16 12:38 [edit]
category: 抜き身のナイフ
Wed.
抜き身のナイフその2 
テーゼンは自分が夢を見ていることに気づいた。
しかし、どうにも映像が鮮明にならない――夢というのは大体がそういうものかもしれないが。
(ふぅ……)
ため息をつく。
ここは流れに身を任せるしかない。
段々と辺りがうっすら見えるようになってきたが……。
(なんだって、こんな場所に……)
独特の建築様式。
白い大理石で出来た天使の像。
信者たちのために一定の間隔を置いて置かれた、座り心地の悪そうな木の椅子。
そして、祈りのための祭壇と、聖北の使徒が崇める十字のシンボル。
どうやら、教会についたらしい。
(よりにもよって……”彼女”を連想させるようなところに来なくたっていいじゃないか)
明るい金髪と春の海のような碧眼をした、若木のような娘。
冒険者として働き始めた仲間達を不慣れながらも懸命にまとめ、いっそ健気とも言えるくらい真面目に頑張っていた娘。
騙すつもりなんて、なかったのに。
(僕のことを知った時の目は、もう仲間だと認めてなかった)
テーゼンは夢の中にも関わらず、肩を重く押すような疲労により教会座席に腰掛けた。
他に座れる場所もなさそうだったからだ。
ゆっくりと周りを見渡す。
……なんの変哲もない教会内部である。
暗いから地下聖堂だろうか、とテーゼンは考えた。
(他に……分かることは……?)
深く考えようとすればするほど、彼の頭の中でこの場所のことを考えにくくなる。
どうにもうまくいかなかった。
(ここに僕がいるのは…シシリーとのあのことを、気にしているから?)
正直者で好奇心旺盛で、常に仲間たちのことに気を配っていた、聖北教会の修道士。
まだ神の恩寵浅く、法術と言えば【癒身の法】くらいしか唱えることの出来ない、一所懸命な娘。
フォローしてきたつもりだった……自分が持っている技術を使って、出来るだけパーティに貢献していたはずなのに、そんな彼女から悪魔という生まれ自体を拒まれたことは、思ったよりも深い傷を彼に作ったのかも知れない。
あの迷宮の魔神との戦いの際に、テーゼンは人間のことを知らないから負けたんだ、と槍で頭を突き刺しながらアポクリファに伝えたのだ。
なのに、その知ったと思った人間から拒まれた。
(今さら生まれを変えるなんて出来るわけないし、したいとも思ってない。なのに、何でこんなに嫌なんだろう)
そこまで考えた時、誰かいることに気がついた。
悲しいことに、誰だかもすぐ分かってしまった。
(何で……お前が”彼女”の縁深い場所に来るんだよ!)
ロンドはじっと上を見つめている。
苦手な少年から目を逸らそうとした瞬間、教会の鐘が鳴った。
深く身体に響く音だった。
(驚いた……)

テーゼンが再び視線を戻すと、今度はロンドが彼をじっと見つめていた。
(え……?なんでそんなにこっちを見てくる?なんかおかしい格好でもしてるのか?)
悪魔は自分の姿を確認してみる。
いつも通りの黒い服を着た自分で、何の変哲もない自分であることに、安堵する。
2人の冒険者は見つめ合った。
鐘はずっと鳴り響いている。
(ああ…その目!僕はその目が嫌いなんだ。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ嫌いだ嫌いだ……)
ロンドの目には、抜けるような白い肌と黒曜石のような黒い髪と目をした、蝙蝠の翼を負った美貌の悪魔が映りこんでいる。
だが、ロンドは悪魔を見ているようで、彼のことなど見ていない。
眼球に移りこんでいるが、ロンドはその移りこんだ像をテーゼンとして認識していない。
(そう…言葉にするなら…なんだろう――)
まるで得体の知れないものを見ているときのような、そんな目を。
有体に言えば、怪物を見ているときの目だ。
(お前が!お前が、そんな目を僕に向けるのか!)
その目を止めろと怒鳴りつけてやりたいのに、テーゼンの喉から声は出なかった。
夢だからだ。
(分かっている。そんな事は分かっている!自分が悪魔だってことなんて!!)
やめろという、短い単語を口から出すことができない。
ここでその言葉をロンドに浴びせてやらないと……。
(僕が、僕が困るんだ!嫌なんだ――)
まだ鐘の鳴り響く中、ロンドはまだテーゼンを見ている。
何も言うことが出来ず、テーゼンはただきつく目を閉じた。
(早く覚めて。早く覚めて。早く覚めて――うるさい、さっきから、鐘の音が!)
閉ざした黒い空間の中、鐘がますます反響している。
間違いなく教会の鐘の音なのに、まるで彼を責めるような目で見ていた、あのリーダー役の少女の叫びのようにも聞こえる。
(……もう、頼むから鳴り止んでくれ――)
はっ、とテーゼンは目を覚ました。
寝汗で服がぐしょぐしょになっており、非常に不快な起床になってしまっている。
どんな夢を見たか思い出そうとしたが、教会にいた以外のことはあまり仔細には浮かばない。
テーゼンは乱暴に布団を剥ぎ取って、窓の傍に近づく。
新鮮な空気を吸うため、勢いよく窓を開け放つと、チュンチュンと鳴いていた鳥がそれに驚き、どこかへ飛んで行ってしまった。
外の空気をいっぱいに吸って、テーゼンはふぅ、と一息ついた。
(なんだか、すんげぇ嫌な夢を見ていた気ぃすんな)
彼はぱたぱたと服を乾かした。
寝汗を吸い取った服が、身体にべっとり張り付いて気持ちが悪い。
(はー…)
青空が目に眩しく、そよぐ風が実に気持ちいい。
汗をどうにか乾かそうと服をはためかせていたのだが、風で冷まされたせいか身体が寒くなってきた。
「………っくしゅ」
クシャミが出てしまう……悪魔がこんなことで風邪をひいては、たまったものではない。
(さっさと着替えちまおう)
彼は窓を閉じて、とりあえず着替えることにした。
灰色の上下を脱ぎ去り、いつもの黒いタートルネックとズボンに変える。
油で煮固めた革のプロテクターをつけ、ベルトできちんと止めると、やっと人心地ついた気がした。
(…さて、今日も街をふらつくことにしよう)
相変わらず霧の多い街中を歩く。
グレイウォルドはあらかた散策し終わっているが、テーゼンが向かっているのはまた例の公園であった。
公園の雰囲気が好きなのである。
(……猫、こねぇかな)
ふらりと自分の前に現れてくれないかと、いささかの期待を込めて公園内を歩く。
季節が合っていればここは原種に近い薔薇が咲き乱れるというが、今の時期では枝にしがみ付いているのは僅かな緑ばかりである。
日の照っているところまで歩いてきた。
そこで見つけたのは――。
(いた。猫だ。日向ぼっこでもしていたのだろうか)
しかし、テーゼンはすぐに先客がいることに気づいた。
(なんで、なんでなんでなんでなんで)
有体に言えば、最低な気分である。
(お前がここにいるんだよ…!!)
ロンドはしゃがんで黒猫を撫で続けている。
「チビ、お前かわいいなぁ」
ぴり、とこめかみが動いたのが自分でも分かった。
(は?チビ、だって?)
心臓を猫の舌で舐め上げられた気分だった。
ロンドはテーゼンが自分に課していた禁則事項を、やすやすと破ってみせたのだ。
ロンドがそれを知る由もないことは百も承知だが、熱湯で茹でられているに近い怒りに似た感情が、彼を許すなと訴えかけてくる。
カツカツと、彼と黒猫の近くへ寄っていった。
ロンドは振り返ることもせず、猫を相変わらず撫で続けながら言った。
「どうしたんだ?猫を触りたいのか?」
心中で舌打ちする。
「てめぇ、誰が近寄ってきても、そうなれなれしいこと言うのか?あ?」
「あはは」
「何がおかしいんだ、白髪男!」
「そんなわけあるか。お前だって分かっているからだよ」
「なんでわかるんだっつーの」

「分かるもんだ。息遣いとか足音とか。話を切り出すタイミングとか。いろいろだな」
「………そうかよ」
テーゼンは生返事を返したが、まだ腹の中は煮えくり返っていた。
ロンドが猫に名前をつけていることが、とにかく気に食わなかったのである。
(別に自分のものにしようと思っていたわけじゃねえんだ。しようとも思ってなかった。……なんで、こんなに些細なことが腹立つんだろう……)
いつもはスコップを振り回している厳つい手が、黒猫の喉を撫であげてごろごろ鳴らしている。
傍らに突っ立ったままの青年の目線に気がついたのか、彼はテーゼンを見つめ返してきた。
「どうかしたか?」
「別に」
「かまってほしいのか」
「てめぇ殺すぞ」
食いしばった歯が不愉快な音を出す。
(なんでこいつは僕の癇に障ることばかりする。かまってほしいのか?なんて――こいつに言われるのは最悪な気分だ)
目の前の大柄な少年は、悪びれた様子も見せず、不思議そうに彼を見つめている。
(――その目!その得体の知れないものを見る目で、こっちを見るんじゃねーよ!)
テーゼンは黒曜石の瞳できつくロンドを睨みつけると、そのまま走り去った。
2016/03/16 12:35 [edit]
category: 抜き身のナイフ
Wed.
抜き身のナイフその1 

迷宮の魔神・アポクリファを倒した後に、自分の正体を知ったシシリーの彼の存在を拒む言葉から、テーゼンは旗を掲げる爪のパーティを離脱していた。
≪狼の隠れ家≫にも帰らず、交易都市リューンを出て中央行路から外れ、まったく知らない街を訪れている……訪れる、と行ってもいいのか。
彼に当て所はなかった。
何しろ両者のうち、どちらかと言えば片方にひっついて来ていたのは、彼のほうである。
テアが数十年暮らしてきた家から追い払われ、僅かな財産とともに放浪するうち、人間の住むこの世界で行き倒れていた悪魔を拾ったのは、そう昔の話ではない。
拾った悪魔に食事(何しろ上級悪魔のように魂を食べるなんて高等技術は出来ない)をさせ身なりを整えさせ、彼のために歌ってくれた老婆に、お礼のつもりで伝えた事柄が原因となって、彼女が取引を持ちかけてきたのである。
――すなわち、彼女が死んだら地獄に連れて行くこと。
でもこの分だと、その取引もご破算になりかねなかった。
「ついてくるんじゃねえよ」
彼を拾ってくれた老婆の姿は無いのに、一番諍いの絶えない相手は彼の後ろからついて来る。
振り返らなくても分かる。
テーゼンが相手を目線でとらえて、逃げ出したから。
ほんの一瞬のことだが、彼が”白髪男”と呼んでからかっている相手の顔が、妙に脳裏に焼きついた。
悪魔の心臓をざらりと舐め上げる、あの目。
テーゼンはあの目が嫌いで、逃げ出した。
それからずっと、彼の後を追いかける足音が続いているから、きっとついてきているのだろう。
呆れた体力だ――脳みそ筋肉と罵倒したが、あながち的外れでもなかったらしい。
人間のくせに。
そう――彼を否定して見せた、人間のくせに。
「なんだってんだよ……ついてくんな!」
飛んで逃げてしまえばそれで済むのに、翼はなぜか動いてくれなかった。
生まれた時から生えている器官で、一度たりとも思い通りにならなかったことなんてないのに、どうしてなのかただの二足歩行生物と同じように、歩くしかあの男との距離を稼ぐ手段が無い。
いよいよ疲れてきて、テーゼンが歩みを止めると背後の足音はゆるやかになり、石畳に暗い影が落ちた。
影は肩を上下に動かしている――さすがの奴の体力でも、ちょっとは疲労させられたのだろうか。
上下にゆっくりと。
石畳に映った影が揺れている。
呼吸。ゆっくりとした呼吸を繰り返している。
テーゼンは、追いかけてきたのは白髪男だけのようだと確信した。
はっ、と吐く息の余韻――声にならない声の息遣いは、あの男一人のものである。
(なんで……そんなことまでわかっちまったんだ。チッ)
テーゼンは心の中で舌打ちした。
普段からともに過ごしていなければ分からないようなことで、自分を追いかけてきたのはあの男だったと確信を得てしまった、その事実に。
渋々と美貌の青年は、尽きない体力に任せて彼を追ってきた相手へと向き直った。
案の定、そこにロンドがいた。
テーゼンはロンドの顔を見つめる。
鈍感そうで、きかん気でとっつき難い印象を強く与える見慣れた顔である。

「――…本当に。お前は抜き身のナイフみたいなやつだ」
……リューンから離れ、緑の都と言われるヴィスマールから歩くこと数日。
灰霧の街と呼ばれているグレイウォルドで、彼らは足を止めていた。
本来ならば、もっとリューンから離れたところに行くつもりが、つい先日、この近辺で起こった突風で運悪くも通ろうと思っていた街道へ大木が倒れてしまった。
やむを得ず人力で大木が撤去されるまでの間、テーゼンも彼に追いついてきたロンドも、この街にとどまることにした。
この街は、夜はちょっと冷えるが、それを抜かせば過ごしやすい、いい街である。
テーゼンはこの街に留まっている間、よくチッピング通りの一角にある公園に足を運んでいた。
なぜなら、可愛らしい黒猫がここに住み着いているからだ。

(猫はいいもんだ。いつでも僕にべたべたしねぇ)
今は昼下がり――この美貌の悪魔は、人気の少ない公園にきて、この野良猫と戯れることがちょっとした楽しみになっていた。
(かわいい)
猫は腹を空かせているようで、甘い声でテーゼンに鳴いてくる。
この猫は、機嫌がいいと彼の前でごらんと転がってみせる。
撫でたければ撫でろといわれているようなその無防備さに思わず笑みがこぼれた。
しかし、気乗りしなければ何処かへ歩き去ってしまう。
(気ままでいいなぁ、猫ってのは。……本来の僕も、そんなものだったはずなのに)
若き魔王の軍勢に属していながらも、あまりにもお気楽極楽過ぎて役に立たないと、森での斥候以外にはほとんど放置されていた立場である。
気ままに森の中で過ごし、召集のある時にだけディアーゼの(といっても直接会ったことすらないのだが)元へいく日々を過ごしていた。
それが魔王同士の勢力争いが頻繁になってきたなぁ、とのんびり思っていたら、ディアーゼが人間の冒険者によって倒され、他の魔王の軍勢によって領地を分捕られた。
魔王ディアーゼには、腹心の女戦士であるフレッシュゴーレムや、身長3メートルを超える狼男、女好きのヴァンパイヤロードなどの部下がいたのだが、幹部と目される彼らの誰一人として戻ってはこなかった。
そんな中、彼はまだ呑気に魔界の森へ潜伏していたのだが、ある悪魔に嵌められて人間界へと追いやられてしまったのである。
(ま、それで良かったんだろう。あっちに残っていても、生き残れていたか自信はないし)
そもそも、下っ端過ぎて固有の名前すらなかったのである。
みんな”森閑の悪魔”と――森の閑人という蔑称を込めて呼んでいた。
今つけられている”テーゼン”という名前は、テアが彼に与えたものだ。
そんなこともあって、彼は目の前の猫に名前をつけたことはなかった。
そしてこの猫に食べ物を与えたこともない。
そろそろそれに感づかれて、この猫は彼に愛想を尽かすかも知れない。
(それでもいい。どうせこの都市は、旅路の通過点なんだから)
たまたま倒木で足止めされているから留まっているのであって、普段はここに立ち寄ったりなどしない。
仮にテーゼンが猫に名前をつけたところで、どうせすぐに立ち去る予定なのである。
(それなら名前をつけるだけ損だ。それに餌を与えて懐かれても――ただ、困る。僕が困る)
テーゼンは白い優美な手で猫を一撫でした。
猫は尻尾を振って喜んでいるようである。
テーゼンはそれに満足すると、また別の場所へとふらつき始めた。
……数時間後、この街には≪弾むフライパン亭≫という手ごろな値段で味のいいレストランがあり、テーゼンはそこで食事を済ませて宿屋に帰ってきた。
もうすっかり外は暗い。
扉は閉まっている。
だがあの男の部屋であると同時にテーゼンの部屋でもあるのだから、ノックは不要であろう。
彼はドアノブに手をかけ、ゆっくりと部屋に入っていった。
「……」
宿泊客が多かったため、他にどうしようもなく2人部屋になったのだが、≪狼の隠れ家≫では気にならなかった同室者も、ここで見ると異質だ。
つい苦い顔になったテーゼンだったが、ロンドは窓の外を見ていたために、その表情は見ていなかった。
気配とドアの音で気づいたのだろう、けして良いとは言えない目つきだが、存外険のない双眸でテーゼンのほうへと視線を移した。
……悪魔はすぐさま真顔を繕う。
「おかえり」
「…」
テーゼンはただいまとは言わず、軽く会釈をする。
そしてかなり大柄な少年をじっと見つめた。
「よそよそしいなぁ」
という苦笑いをしたのは、少年のほうだった。
(こいつは、よくつっかかってきやがる)
我知らず、美貌が歪む。
(うざってぇ)
その顔の意味することを気づいたのか、気づいていて無視したのか。
普段と変わらない様子でロンドは話しかけた。
「あのさ」
「……んだよ」
「何か俺に用でもあるのか?」
突然何を言い出すんだ、自意識過剰はよしてくれ、ついて来たのは――そっちじゃないか!
と思わず言いそうになるが、この言葉遣いだと仲裁役がいない今、朝まで延々と喧嘩をする羽目になる。
「は?別に何もねぇよ。悪かったな、じっと見て」
「ふぅん……」
腑に落ちていない顔で言って、また外を見始める。
一体なぜ、ロンドはそんなに外を見ているのだろう。
(……そんなこと、気にすることはない。僕はまた明日、僕のしたいことをする)
だって、猫のように気ままな悪魔なんだから。
(僕はそれだけを考えて、毎日を過ごせばいい)
そう、テーゼンは会った時からロンドが苦手である。
なぜかと言われても分からない――お気楽極楽な呑気者よと侮られ、人の世界においてもあまり人付き合いに苦労した覚えはないのに、こいつだけは妙に馬が合わなかった。
とにかく、ロンドは心をざわつかせるのである。
猫の舌のようにざらざらした舌で、私の心臓をざらり、ざらりと舐められているかのような気持ち悪さ。
そういった独特の不快感を、ただの人間の少年の分際で悪魔に与えてくるのだ。
それ以上の思考が嫌になり、テーゼンは素早くベッドに入って目を閉じた。
ロンドは横目でその様子を眺めていた。
無言の語り掛けであろう。
もう寝るのか、随分早いな、と。
(そうだ、もう寝るんだ)
テーゼンは心の中で彼の目が語る言葉を突っぱねた。
2016/03/16 12:30 [edit]
category: 抜き身のナイフ
Tue.
時に大胆に、時に慎重に、その3 
「ここで戻ってくるのを待ちましょう。…本当は奇襲をかけたいぐらいですが…」
ちょっと肩を落とし気味のウィルバーだったが、乾いた地面を踏みしめる複数の足音が耳に届くと、アンジェと同じようにいつでも戦闘に入れるように、やや足を開いて杖を構えた。
入り口の光が遮られ、初老ぐらいの男が現れる。
やや太りじしの体躯を揺するようにして、こちらを子分と間違えたのか親しげな声を掛けてきた。
「今日は早く帰ってきたぞー……って、だ、だだだ…誰だ、てめぇら!?」

「名乗るほどの者じゃないよ。…それより、あんたがウルフを使って追いはぎしていた張本人だね!?」
「な……そうか!…商工会議所が雇った冒険者どもか!」
彼は自分の疑問に自分で答えを導き出すと、
「こっちだって商工会が≪狼の隠れ家≫に依頼を出していたのは知っていたからな。先生方!」
と大声で呼ばわった。
非常に得意そうな顔になっている。
それに応えるように、4人の手下の後ろから、辺りを睥睨するかのような目つきの2人組みが出てきた。
杖を手にした艶冶な姿の女と、長剣を腰に佩いた隙のない身ごなしの長髪の男である。
「…こいつらがあなたの雇った”用心棒”ですか」
「なかなか手ごたえのありそうな奴らだね。戦い甲斐がありそうだよ」
「ふん、たった2人で何ができるか。粋がっているのも今のうち、ここを貴様等の墓場にしてやる」
首領が手をさっと振ると、先に打ち合わせでも出来ていたのか、素早く敵が陣形を敷いてきた。
首領は一番奥に、杖を持った女と長剣を持った男がその両脇に立つ。
手下たちは、切れ味の悪そうなナイフをちらつかせ、にやりとこちらを見て笑っていた。
確かに見た目、ただの小さな女の子にしか見えないホビット娘と、特にこれと言って凄みがあるわけでもない平凡そうな男のコンビ、あまり恐れるような相手には見えまい……酔っ払いは誤魔化せても、素面の男たちにはそうとは思えなかったろう。
冒険者側にとって、それは強みである――魔術師の男は素早く術を唱えた。
「そのたった2人に、やられてしまうのがあなた方ですよ。……【飛翼の術】!」
ウィルバーの呪文によって、身軽なアンジェの背中に魔法の翼が広がる。
その援護によって、手下たちや剣士が波のように攻撃して後退を続けるも、ことごとくそれを回避し続けて腕の鋼糸を奔らせる。
「よっ、と……【吊り蜘蛛糸】!」
「え……!?」
首領の脇という、狙われづらい位置に立っていたはずの女の身体に、細く頑丈な糸がぐるぐると巻き付いて動きを封じる。
「一丁あがり!」
「ちっ、舐めるなガキが!」
用心棒の思わぬ失態に舌打ちした首領が、手にした湾刀でアンジェの肩を掠め斬った。
薄暗い洞窟に、血の花が咲く。
「アンジェ!」
「まだ大丈夫だよ、おっちゃん。……よくもやったなぁ!?」
激昂したアンジェだったが、彼女一人だけ突出した形になってしまったため、残りの手下たちが開いている脇をすり抜けて、ナイフによる攻撃をウィルバーに見舞う。
彼は辛うじて致命傷を避け、激痛に顔をゆがめながらも、懸命に呪文を唱え続けた。
「くっ……凍える魔力よ、蒼き軌跡を描く帯よ…!」
突き出した魔術師の掌から、冷気を帯びた光線が真っ直ぐ首領に突き刺さり、急激な低温により心臓に影響を与える。
「ぐっ!?」
「お頭ァ!」
慌てた手下の一人が、持っていた≪コカの葉≫で首領を辛うじて正気づかせるものの、続けざまに剣士が再度の【蒼の軌跡】によってその場で凍りつき、短剣をかざしたアンジェがまだふらついていた首領に止めを刺したとあっては、
「ひ…ひえええ…助けてくれー!もう、賊から足は洗うから…」

と降参の合図を必死に出さざるを得なかった。
雑魚なら見逃しても問題あるまい、と判断した魔術師は、なるべく冷たい表情を作って彼らを睨んだ。
「行けばいいでしょう。…もう二度と現れないで貰いますよ」
と釘を刺す。
ばたばたと逃げ出した手下たちを見送って、2人は顔を見合わせ、互いの負傷具合を確認して苦笑した。
残念ながら、傷薬を一本使うことになってしまったものの、依頼は完了である。
肩の傷に手当て用の布を巻きながら、はしゃいだ様子でアンジェが言う。
「おっちゃん、見てくれた?私、強かったでしょ?これからは遠慮せずに、どんどん私に頼ってくれていいんだよ」
「…今回は無茶が通用しましたが、常にこうも上手くいくとは限らないんですよ」
「え、また説教…」
「……でも、ま…たまにはこういうのも悪くない…かもしれませんね」
「そうでしょっ!?さすがはおっちゃん、話が分かるね!」
「…勘違いなさらずに。た ま に は …です。毎回毎回危ない橋を渡れますか!」
「はいはい」
「ま、こんなところで油を売っていないで宿に帰りましょう。夕飯の時間になりますから」
「…その前にこの伸びている奴らを依頼主に引き渡さないとね」
奥にあったロープで、まだ気絶している奴らだけを縛り上げる。
「では、行きましょう」
2人は連れ立って商工会議所に向かい、そこから人手を頼み、アジトに転がっていた首領たちを運んでもらうことにした。
ひょっとしたら大人しく治安隊に捕まっていた方がいい、と思うような眼に遭わせられるのかも知れないが、これが仕事である以上、そこから先は関知するつもりはない。
報酬を1週間後にもらえることが確定した2人は、祝杯とはいかないが、いつもよりちょっとだけ豪華な食事を≪狼の隠れ家≫でとって、依頼が上手くいったことのお祝いをすることにした。
嬉々としてフォークを取ったアンジェだったが、ふとその手がチキンの香草パン粉焼きを突き刺したところで止まる。
「……ウルフはどうなるのかな。アジトで育てられていたとか言う子ウルフ達は…」
「攫われて人間の手で育てられた奴等が、野生で生きられはしない。恐らくだが、商工会は……」
口篭った宿の亭主は、クリームシチューをウィルバーに薦めつつ首を振った。
「……………まあ、色々思うことはあるだろうが、今はこの話はやめにしよう」
「うん。………分かった」
人の手で育てられたウルフたちのこれからを、今解散中に近い自分たちと重ねてしまったのだろうか。
温かい食事を前にしょげたアンジェの頭を、宿の亭主は優しく撫でてやった。
後日、条件どおり送られてきた報酬は、追いはぎにあった被害者が無事に盗品が戻ったことを喜んだこともあって、銀貨100枚が上乗せされた。
時に大胆に、時に慎重になる2人組みは、この追加報酬に気を良くして、早く他の仲間に今回の仕事のことを話してやりたくなったのである……。
※収入:報酬700sp
※支出:
※机庭球様作、時に大胆に、時に慎重に、クリア!
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■後書きまたは言い訳
18回目のお仕事は、机庭球様のプライベートシナリオである時に大胆に、時に慎重に、でした。
「新月の搭」や「新人と私」など、数々の面白いシナリオを作ってくださっていた机庭球様の、約4年半ぶりの作品ということで、発表された時にワクワクしながらプレイさせていただきました。
本来は大胆な発言(アンジェ)と慎重な発言(ウィルバー)のコミカルなやり取りを楽しみながら賊を退治するシナリオなんですが、今回はセリフはそのままに違う意味に取れるような感じで書いたり、オープニング部分などをかなり変えて書いております。
現在パーティ分裂中のためということで、大目に見ていただけると助かります。
このリプレイは、現状の説明をして、皆の帰りを待ってる組の話ということで……書いてる私も、「連れ戻しに行く人員、逆じゃね?」と思ったりもしたんですが、次に待ってるシナリオ的になんかこういう風になってました。
で、ウィルバーとアンジェだったんですが……こっちの2人は、相手の状態異常手段が束縛しかなかったんですね…おまけに回復手段もアイテムのみ…やってみてびっくりしました。
今まで、どれだけテア婆ちゃんにおんぶに抱っこしてたんだよ!と、私自身が裏手でツッコミ入れたくなりました。チームプレイって大事ですね。
今回は何も使わなかったんですが、宝箱から出てきた品々や、あるいは奥に乱雑に置かれていたアイテムを使って、賊たちに働きかける道具を作ったりすることが可能です。
ただ、宝箱の中身に関しては、リプレイどおり追加報酬にも関わってきますので、シナリオにいるキャラクターの能力と相談しつつ、使うか否かを決めた方がいいかもしれません。
さて、次はロンドとテーゼンの犬猿の仲クーポンつけたコンビなんですが…上手くいくといいなあ。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/15 12:27 [edit]
category: 時に大胆に、時に慎重に、
Tue.
時に大胆に、時に慎重に、その2 
最初の攻防で爪に引っ掛けられ軽傷を負ったが、それ以外に怪我をした様子はない。
そんな短い戦闘のすぐ後に、洞窟から現れた賊と思われる目つきの悪い男が出てきたが、大木に(死骸と一緒に)隠れることでやり過ごした。
自分たちの推測がとりあえず当たっていたため、洞窟の主とその一味を潰す、ということを目的に、見回りを警戒しつつ洞窟の中を探っていくことにする。
ウィルバーは念のため、入る前に【理矢の法】を唱えておき、くるくると魔力の矢が自分の周囲を飛交う形にしておいた。
「…それにしても、敵の気配があまりしないですね。…主はここにいるのでしょうか?」
「あー、なるほどね。確かにピリッとした空気じゃないね。親父がいない≪狼の隠れ家≫みたいだ」
「…その表現が適切なのかはちょっと私には分かりませんが…」
通路から感じる人の気配を避けて進むと、突き当たりにある椅子や棚の置かれた空間に出た。

洞窟にある品としては妙な物だったので、手分けをして調べてみると、棚の引き出しの裏に隠すようにして小さな鍵があった。
「ん…この鍵は?」
見つけたウィルバーは、何かの役に立つかもしれないと思い、それを上着のポケットに入れる。
他にも、未開封の傷薬を発見した。
「品質にも問題なさそうですし、貰っていきましょうか…あなた怪我をしてますし」
「うん。でも今使わなくてもいいよ、勿体無いから」
「ここは恐らく、主の部屋なんでしょうね。ロッキングチェアは音が出ますから、座らないで下さいよ?」
「はいはいっと。…ここは他に何もなさそうだね。次に行く?」
「そうですね…人の気配があったところまでいってみましょうか」
東の通路を行くと、賊が2人ヒソヒソと何か話しこんでいる。

「話の内容は聞こえないけど、談笑しているっぽいよ」
「…どうやらこちらには気づいていないみたいですね」
「ねぇ、今突撃すればアドバンテージを取れるんじゃない?おっちゃんも、そういうのは嫌いじゃないでしょ?」
「うん、まあ…そうですが、もっと確実に始末することが出来そうな気がします。私としては、今回に限って言えば突撃は止めておきたいですが…」
「でも止めたところで、あたしたちじゃ強制沈黙も催眠効果もできないじゃない。正面切って戦う方が、たぶん楽だと思う」
沈黙も催眠も、テアの十八番である。
今まで搦め手でどれだけあの老婆に頼っていたかを痛感し、ウィルバーはため息をついた。
「仕方ないですかね…」
「結果にコミットすれば問題なしじゃん」
「変なネタを使いますね、アンジェ…こっちは準備できていますよ」
「じゃ、やろうか。……賊どもめっ、覚悟!!」
アンジェが短剣と鋼糸を用意して飛び込むと、談笑していた一人が慌ててこっちを振り向いた。
「な、なななっ!?」
「ああ、なんだか凄い調子がいい気がする!よっし、いくぞー」
アンジェの短剣が複雑な軌道を描き、只でさえ混乱していた賊はその動きについていけず、あっさりと喉笛を裂かれて息絶える。
残った賊が慌てて腰の手斧に手をやるが、その身体を魔術師を周回していた魔力の矢が吹っ飛ばした。
≪コカの葉≫で回復を図ったものの、それで気を取り戻す前に、アンジェの【黄金の矢】とウィルバーの【蒼の軌跡】が、今度こそ彼らの抵抗を奪った。
「……ここらには、特に何もないみたいだね。次はどうする?」
「まだ見回りがいますよね。そちらをやっつけましょう」
2人は勢い込んで、残りの一人を気配を頼りに探した。
残っていた通路にそっと足を踏み入れ進むと、奥の方で妙に揺らめいている人影がある。
残りの賊を見つけたのはウィルバーが先だったが、
「よし、あいつをこの私がしとめてやるよ」
とアンジェがぺたんこの胸を叩いてみせた。
ところが、彼女の肩を素早くウィルバーが抑える。
彼の嗅覚に対して、微妙に訴えかけてきたニオイがあったからである。
「まぁまぁ、アンジェ。ちょっとお待ちを」
「ん?」
2人が見守る中、賊の男はゆらりと腕を上げた……その手には、よく酒屋で売っている葡萄酒の瓶が握られている。
「うぃ~…ヒック。真昼間の酒はたまんねえなあ…」
「あらら……大分聞こし召してるぽいね」
「シッ……何か呟いてますよ」
「そーいやぁ、お頭…いい用心棒をリューンで雇うとか言ってたけど、見つかったかなぁ?ヒック…お頭たち…何時ごろ帰ってくるんだろ?」
ブチブチと独り言を口にしながら、まだ半分残っている瓶を煽っている。
ふむ、とウィルバーが顎に手をやって言った。
「…用心棒を雇う、か。これは使えるかもしれません」
「おっちゃん?」
「私たちが雇われた用心棒だとあいつに名乗り出て、情報を頂きましょう」
そうやって驚いて口を開けているアンジェを他所に、さっと岩陰から姿を現したウィルバーは、ごく普通の足取りで酔っ払いの賊に近づき、
「どうも、今日から用心棒として雇われたウィルバーです。こっちは相棒のアンジェ」
とケロリとした顔で自己紹介を始めた。
何しろ魔神アポクリファを騙し通した男である。
酔っ払っている男など、赤子の手を捻るよりも簡単に欺いてみせた。
ウィルバーに手招きされて隠れていられなくなったアンジェが、渋々姿を見せて、怪しまれないようにぺこりと会釈する。
「見た感じなかなかできそうだねぇ。こんな腕の良さそうな用心棒をお頭はよく雇えたなぁ…ひっく」
「これからここで働くに当たって、色々教えてくれませんか。分からない事だらけで困っていて」
「おう、いいぜ。何でも聞いてくれよ~…うぃ」
アルコールによってだいぶ気が大きくなっていた男は、べらべらと新参の偽用心棒に向かって、この洞窟を占拠している組織の詳細を話し始めた。
お頭は元冒険者であり、その下に構成員が8人いること。
お頭は4人の手下を連れて、今は出かけていること。
裏山で拾ったまだ年若い狼を、この洞窟からちょっと東に行った原っぱで育てていること。
飼い慣らした狼を使って、追いはぎを始めたこと。
ところが、最近になって商工会議所が有名な冒険者の宿に依頼を出したことに首領が気づき、そいつらが現れたときの用心のために人を雇うと決めたこと。
次々と事情を聞き出したことにさすがに不信感を持ったのか、賊は急に、
「…って、てめえら、なんか臭いな…ヒック」
と言い出した。
アンジェは、酒場のどうしようもない酔っ払いを見るのと同じ眼で男を睨む。
「いや、あんたの方が酒臭いけど」
「そういう意味じゃねーよ…酔っててもこっちは賊だぜ?…てめえら、冒険者だろ?この俺から色々嗅ぎまわるなんて生かしておけねえ、始末してやる」
「馬鹿だね。始末されるのはあんたなのに。ま、肩慣らし肩慣らしっと」
気軽な口調と共に、ひゅ、と鋼糸が薄暗い洞窟の中で奔る。
酒精の影響で足元もおぼつかない賊が、避けられる道理はなかった。
喉元に巻きつけた糸をアンジェはぐっと引いて、一思いに彼を片付けた。
「なんだか、すごく調子がいいなあ!このまま押し切るよ!」
「なんとなく虚しい……やはり、あのアポクリファほどの緊張するやり取りは、しょせん賊には求められませんか…」
ちょっと気の抜けた感じのウィルバーだったが、洞窟にはまだ見ていない場所もあるし、入り口にはまだ一人賊が生き残っている。
お頭とやらがまだ戻ってこないうちにと、残りの見ていない場所を捜索してみた。
すると、T字路を北に行ったところで宝箱が鎮座している。
キラン、と2人の眼が同時に輝いた。
「やっちゃうよ?」
「やってください」
傍で聞いていても、分かるものにしか分からないやり取りであったが、正確に意思疎通したアンジェはブーツの隠し場所から針金と蝋の塊を取り出し、罠がないことを確認しながら箱の鍵を外した。
「あ…開いたっ!」
と眼を輝かせているアンジェと裏腹に、
(あれ?さきほどの棚にあった鍵、ここで使うものだったんでしょうか?)
とウィルバーは心中呟いたものの、さすがに間が抜けているので、もう言い出すつもりはなかった。
しげしげと中を覗きこんでいるアンジェに並び、自分の目でも確かめてみる。
「これは…!」
そこから取り出されたものは、いくつかの宝箱を開けてきたアンジェにとっても、あまり見たことのない品々だった。
「なんか変なものばっかりだね。特にこの豚の置物とか。…いや、可愛い気もするけど」
「確か東国で使われている蚊を落とすための器です、それは」
「へー、さすがはウィルバー。詳しいね」
彼らが話題の的にしているのは、全長だいたい20センチほどの、陶器製の豚の形をしたものだった。
色が豚グッズによく見られるピンクではなく白で、中が空洞になっており、何かをセットするためか底は平らになっている。
ウィルバーの説明によると、虫除けの香を中で焚くようにして使うらしい。
もうひとつ、東国の品物として、風を起こして涼むためのうちわという道具もあった。
「粉みたいなものは………。焚くと催眠効果が期待できる眠りの粉といわれるお香です」
首飾りと葦笛は、特に何の効果もない。
特に首飾りなどは、洒落たデザインの割に使われている石には価値がほとんどないという代物だった。
珍品ばかりで統一感もない。
「間違いなくこれらは盗品でしょう。私たちが持っていって、それがばれたらお縄になる…」
「持ち主に返還する方針だね。…ま、こんなことで捕まってもいいことないし」
出した品物をそのままに、彼らはまた別の通路を通って行った。
今度は見慣れた品ばかりで、箒にカンテラ、仲間の一人がよく武器に使っているスコップなどが乱雑に置かれている。
それらを検分していると、やがて入り口からこちらの方へとやって来る人の気配がした。
「おや…やっとこちらに来ましたね」
「どうしよっか?」
「この場所に逃げ場はない…思い切って私たちから奇襲をかけませんか?」
「うん、いい考え。そうだね」
「よし来た!いきましょう、アンジェ」
2人は岩陰に潜んで見回りをやり過ごすと、後ろから襲い掛かった――まさか侵入者がいたとは気づいていなかった賊にとって、この攻撃にはひとたまりもなかった。
「賊は4人いるという話でしたね。…うん、全て倒したはずです。とりあえず入り口に戻って、そこで次の一手を考えましょう」
「なんで入り口なの?」
「入り口ならば、奴等がいつここに戻ってきても対処できますよ。変に奥にいて、私たちの気配を悟られて逃げられたり、奇襲を食らったらまずいですから」
「色々考えるねぇ、おっちゃんは。了解!」
2016/03/15 12:24 [edit]
category: 時に大胆に、時に慎重に、
Tue.
時に大胆に、時に慎重に、その1 
≪狼の隠れ家≫の一階は賑やかだったが、とある一角はどことなく陰鬱な雰囲気に包まれていた。

テーブルについている人数は2人――なんともアンバランスな取り合わせである。
一人はこげ茶色の髪と瞳をした、10歳前後の年の頃に見えるホビット族の娘。
こう見えても一人前以上の盗賊として働くことが出来、必要とあれば人体の急所を的確に短剣で攻撃したり、腕輪に仕込んだ鋼糸で敵の動きを止めたり出来る。
彼女は小さな指でコインを手品のように目まぐるしく弄びながら、傍らの連れが捲っている羊皮紙をたまに覗き見ている。
やや薄くなりかけた頭部の気になる、30代半ばほどの平凡な顔立ちの男性は、黒い瞳を瞬かせながら仕事を探していた。
やがて諦めたように手を止め、眉間を指で摘む。
「ダメですね。どうも、私とあなたで受けられる仕事が見つかりません。6人でなら、結構いいのがあるんですけれど…」
「やっぱりねぇ。あーあ、姉ちゃんにあの事がばれたらひと悶着あるとは思ってたけど、あんなにショック受けるなんて思ってなかったよ。羽の兄ちゃんは兄ちゃんで、どっかに黙って行っちゃうし」
「シシリーもテーゼンも、おまけにロンドまでいなくなりましたからね。前衛職がまとめていなくなってしまっては、ろくな仕事が出来ません」
「テアの婆ちゃんは姉ちゃん追いかけていったんでしょ?で、兄ちゃんが羽の兄ちゃんとこ」
「ええ、そうです……どうかしましたか?」
「2人のこと説得しに行くんなら役割逆じゃない?それに、おっちゃんは追いかけなくてもよかったの?」
何しろ、テーゼンとロンドは犬猿の仲である。
おまけに、テーゼンが一番親しくしていた相手といえばテアであり、シシリーが家族のように思っていた年の近い相手といえばロンドなのだから、アンジェが逆だと主張するのも無理はなかった。
そもそも、今回の発端はといえば――。
「とは言うものの、テーゼンの件について事が大きくなったのは、私がシシリーに何も打ち明けずにいたせいですからね。精神的ショックを受けたところに、思いもしなかった事実が突きつけられたから、キャパシティオーバーだったのでしょうけど」
「シシリー姉ちゃん、おっちゃんに対しても怒った顔してたもんね」
前回、魔神アポクリファとの戦いにおいて、テーゼンの正体が悪魔であったことが明らかになった。
魔神が死に際に彼の正体を言い残していったせいだが、薄々察していたウィルバーやアンジェはともかくとして、真面目な聖北教徒であるシシリーにとっては驚天動地の事実だったらしく、強い拒否反応を起こしたのである。
それに失望したらしいテーゼンは黙ってパーティから離れ、怒りのやり場のないシシリーもまた、置手紙ひとつで≪狼の隠れ家≫から去ってしまったのである。
「私が話そうとしても、シシリーは耳も貸さないでしょうし……テーゼンを追いかけるとなると、私にそんな体力はありませんよ」
「なーんか、楽してる気がするけど……あたしも、人のことは言えないしな」
「テアさんのほうは大丈夫でしょう。伊達に長生きなさっているわけではないでしょうし」
人生経験豊富な老婆のことである。
普段しっかりしているとはいえ、思春期真っ盛りのナイーブな少女を宥めようと思うのであれば、彼女の説得力がものを言うはずだった。
「問題は……」
「ええ。問題は、もう一組の方ですが……ま、ここでグダグダ言っていても、どうしようもありません」
そうして、皆がいない間にいつもより少ない人数で受けられる仕事でも、と探してみたのだが、どうにも条件の合致するものがない。
やむを得ず羊皮紙の束を宿の亭主に返すと、

「……………ところで、お前さんたち。暇なら2人で仕事しないか?」
と持ちかけられた。
「何を仰ってるんです、親父さん。まさにそういう仕事を、この束から探していたんですよ?」
「あ、分かった。もしかして、今入ってきたばっかりの仕事?」
「うむ、ウルフ退治だ。リューンへの抜け道の森に、ウルフの大群が出るらしいんだよ」
「ウルフかぁ……親父さんの現役時代の名前と一緒だね」
「やかましい。……まあ、2人でよく相談して決めなさい」
いつもであれば、彼らにとって脅威になるようなモンスターではない。
ところが、戦士もいなければ、子守唄を歌う吟遊詩人も、傷を癒してくれる聖北教徒もいない今の2人には、なかなか手強いかもしれない。
「うーん。報酬ってどのくらいもらえるの?」
「銀貨600枚だそうだ。ただし、1週間後に渡される」
「なんだってまた、そんなに期間が空いてるんですか?」
「この依頼、実はもう5回目なんだ。あちこちの宿で同じのを出してるんだと。どこの宿もすべてウルフ退治に成功しているが、2、3日後にはまた現れるそうだ」
「え、何それ。ウルフ無限地獄?」
「つまりだな」
宿の亭主は陶製のカップに温めたミルクを鍋から注ぎ、二人の前に並べた。
「今回こそは根本から解決して欲しい、…と、言うことになるな」
「ふ……ん、そういう要請を出すということは、ただの農民とかではなさそうですね。どなたが依頼主になってるんですか?」
「リューンの商工会議所さ。腕の立つ冒険者に頼みたいと、議長自らお出でなさったよ」
「商工会議所ぉ?なんでそんなところが?」
牛乳ヒゲをつけたままアンジェが問うたのは、なんでそんな組織が、わざわざ狼退治を依頼したのか?ということである。
「あの森を抜けると、隣町まで通常2時間はかかる道のりが1時間足らずで到着するとか。そんな便利な道を、このまま放置できないらしいぞ」
「……ということは、モンスターの出没場所は街から近いのですね」
「ああ、そうだな。ここより西に2マイルほどだ。それほど遠くないぞ」
亭主は森の抜け道のど真ん中で狼に出くわすらしい、と説明した。
「人間のニオイを嗅ぎつけるのかね」
「さて……テーゼンがいてくれれば、正確に近い予測を立ててくれるんでしょうが…」
森での探索に慣れている野伏の不在は、こうなるとかなり痛い。
自分たち2人で本当に受けられるのか、不安に駆られていたのだが、
「お前たち2人の技量次第だが…お前さんたちならきっとなんとかなるはずだ。自信を持て」
と亭主が発破をかけた。
それに勇気付けられたアンジェとウィルバーは、それぞれ旅の支度をし(何しろ回復役がいないので傷薬は必須である)、森へ向かうことにした。
宿の亭主が依頼を受けてくれる二人のために、弁当まで持たせてくれている。
歩いて数十分ほど、問題の現場に着いた2人は辺りを見回して、これからの行動を相談していた。
「…さて、まずはどうするの、おっちゃん?」
「そうですね、とりあえずはただ旅人のふりをして道を歩けばいいかと思います。そうすれば、いずれはウルフに出くわすことになるはずですから」
「別に今だっていいんだけどな。あたしならいつでも戦う準備はできてるし」
するり、と腕輪から鋼糸を伸ばす。
「じゃんじゃん任せてくれて大丈夫だから。兄ちゃんや姉ちゃんの分まで、あたしが頑張るよ!」
「…分かりました。頑張って下さい」
2人は当て所なく森の中を散策し始めた。
同じような緑が続き、暖かな陽光の差し込む中、さっそくもうアンジェの集中力が切れてきた。
「うーん、退屈なんだよね、こういうの」
「退屈って……アンジェは何を望まれているのですか?」
「一応、ウルフ退治が仕事だからさ。なにより、肩慣らし程度でも少しはスカッとするだろうし」
「…スカッと、ねえ」
「体を動かすって気持ちいいからさ。ウィルバーもたまには暴れたら?」
「ご冗談を。下手な立ち回りで≪万象の司≫が折れてしまったらどうするんです?」
2人で軽口を叩きながら辺りの草むらを確かめるが、ウルフはおろか兎やリスの姿すら見られない。
「ここでは獣の気配は特に感じないね。まだ先なのかも」
「そうですね。先を急ぎましょうか」
森の中間とまでは行かないが、森の中に入ってからかなり時間が経っている。
ふとウィルバーが足を止め、ひとつの方向を見やる。
「…アンジェ、何かの気配を感じます…。気をつけて下さい」
「はいはい。調査となれば、あたしの出番だよね」
アンジェの【盗賊の眼】により西側の茂みから獣の気配を察知した2人は、そっと茂みの向こう側が見えるところまで移動した。
幸いなことに、見つけた狼たちは昼寝中のようである。
俄然やる気が出てきたウィルバーと、呑気な狼の寝姿に何となくやる気が失せたアンジェは、それぞれの技術をもって奇襲をかけた。
【蒼の軌跡】が冷気を帯びた光線となって突き刺さり、相手の死角に回り込んだ【影の一刺し】で心臓を的確に狙う。

全てが終わるまでに三分とかからなかった。
アンジェが自分の荷物袋を下ろして中を覗いている。
「あーあ。今の戦闘で弁当が潰れちゃったみたい…残念だけど、宿に戻ったら捨てよう」
「……」
「おっちゃん?」
まったく応えを返してこない相棒に焦れた娘は、彼に近づいて脚を軽く叩き、注意を引いた。
「おっちゃん、どうしたの?死んだウルフなんかじっと見てさ」
「……このウルフ。野生ではないみたいですね」
「…え?なんで?」
「野生にしては明らかに肥えている。腹の辺りなんて、しっかり油がのっていますね」
「なんか美味しそうな表現だね」
でも狼肉か……と腕組みをして考え込んでしまったアンジェに、
「私も余程のことがない限り、狼肉なんて食べるつもりは毛頭ありません」
とツッコミを入れたウィルバーは、とにかくと言って話題を本筋に戻した。
恐らく狼は飼われていたものなのだろう、と彼の推論を口にする。
「ああ、そっか。それで何度もウルフ退治しても、ゾンビのように湧いて出るわけか」
「湧いてって…まあ、いいです。この依頼、根本から解決しないと報酬が出ないわけで…奴等が現れたここら辺から調べてみましょう。飼い主を探さないとなりませんね」
「ウルフを飼い慣らした奴ってどんな奴なんだろう。賊かな?」
「それはまだ分かりませんね。ゴブリンですら、ウルフを飼い慣らせますから…」
2人は推論を口にしながら、さっきやっつけたウルフの通ってきたらしい獣道を見つけた。
細い道を静かに(それでもたまに草を揺らしてしまったが)進んでいくと、赤褐色の岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟と――灰色の毛皮をした、森で見つけたのよりひとまわり大きい見張りのウルフである。
「…見張りもウルフとは。ここに奴らの飼い主がいることは、まず間違いなさそうですね」
「そうだね。……なんだか、こうしてると、この≪剣士の護符≫を見つけた時の依頼を思い出さない?」
アンジェが自分の首にぶら下げている首飾りに片手を添えながら聞くと、ウィルバーの瞳が瞬いて、ああと頷いた。
「そういえば、そんな依頼もありましたっけ。あの仕事は、確かテアさんが見つけたのですっけね」
「うん、そう。あの時はもう残金が銀貨300枚しかなくてさ。森の探索も、あたしよりテーゼンが主体になってやってくれたから、随分と楽させてもらったんだよね…」
見張り狼を刺激しないような位置で隠れ、つかの間の思い出話に耽っていた2人は、懐旧の念に駆られてつい黙り込んだ。
「……ねえ。テーゼンもさ、やろうと思えばいつでもあたしたちに害をなせたのに、そうしなかったのは…きっと、少しはこっちに好意を持ってくれてたんだよね?」
「はい、私は今でもそう思ってますよ。そもそも、彼はテアさんと何らかの取引をしたのであって、私たちとは何の約束もしてないんです。持ちかける気配すらなかった。悪魔として契約するつもりがなかった、ということでしょう」
「旗を掲げる爪であることに変わりはないんだから、羽の兄ちゃんさっさと戻ってくればいいのにね」
「さて、それは…彼も男のプライドがあるでしょうから。でも冒険者を辞めるつもりはないと思いますよ」
「姉ちゃんも……リーダーなんだから、戻ってくるよ、ね?」
旗を掲げる爪の中でも、かなりのリアリストとしてパーティに属しているアンジェだったが、さすがの彼女も希望的観測に縋りたくなる時があるようだ。
ウィルバーはお団子状に結った彼女の髪を崩さぬよう、注意を払って頭を撫でてやった。
「信じましょう。ずっと一緒に暮らしてきたあなたが一番に信じてあげなければ、彼女も戻ってきづらいですよ?」
「うん」
アンジェはぐい、と目じりに浮かんだ涙を乱暴に袖口で拭うと、そっと首を伸ばして見張りの狼を見た。
「……まずは、目の前の依頼を片付けないとね」
2016/03/15 12:20 [edit]
category: 時に大胆に、時に慎重に、
Sat.
迷宮のアポクリファその6 
「まったく……あの天使みたいなの、なんだったんだろ?」
「変な生き物だっただよな。ひらひら俺の攻撃を避けやがって」
「落ち着いて、ロンド。……いよいよ、最後の絵の具よ」
「じゃああたしがやるよ。みんな、周り警戒しててね」
シシリーに抱えられたアンジェは、赤色の絵具を檻の男に貰った筆に馴染ませ、彼の檻の下にあった褪せた絵画にそっと下ろす。
「………!?」
たちまち絵が美しい赤に染まる。

地平から昇る赤い輝きが空をいっそう美しく見せている、夜明けを描いた絵が復元され――同時に、遠くの方で何か巨大なものが動くような音がした。
ぽつりと耳を澄ましていた少女が呟く。
「……北東のほうだったわね」
「――行ってみよう!きっと、あの薬品作った手前のホールだよ」
興奮した様子のアンジェを先頭に、冒険者たちは急いで奥にあった大きな搭を目指して急ぐ。
回廊を通り過ぎ、床に転がるガーゴイルの破片へ一顧だにせず走り抜けると、最も高い六番目の塔のホールへと飛び込む。
ホールの中ほどは、先ほど初めて足を踏み入れた時と同じに、大きく空に向かって開かれており――冒険者たちは空を仰いだ。
搭の中央に、空中から青く輝く――亡霊の女性のそれとは違う、温かみに満ちた――光の柱が突き立っていた。
神の威光を連想させるようなそれに、シシリーは碧眼を細めて呟いた。
「ああ……やっと分かったわ」
「え?何が?」
「七つの搭の迷宮。七つ目の搭は――」
健康的な色をした手が上がり、不思議なリズムで脈打ちながら空へ向かって伸びる光の柱を指し示す。
「これのことよ」
そして彼女は搭のテラスから来た方角を振り返った。
「これが――魔神を封じた迷宮」
感慨は深かったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
なにより、ここから脱出した魔神――女司祭からウィルバーを解放しなくてはならない。
この柱が問題なく起動していることを投げ入れた小石で確認した冒険者たちは、柱に触れて本の世界から脱出を図った。
バンディッシュの手によって本の世界に侵入した時は逆に、彼らの視界を白い光が埋め尽くす。
刺さるような痛いものではなく、例えていうなら春の麗らかな光のような――次の瞬間、目を開けると一同の前に、驚愕の色をあらわにしたウィルバーの姿があった。
「みんな。一体どこから……!?」
「おっ、ウィルバーさん。おかえり。聞いてくれ、屋根裏から大冒険!」
要領を得ないロンドに変わり、テアが要点を抑えた説明をすると、旗を掲げる爪の魔術師は絞り出すような声で無茶を咎めた。
「……そういえば、いつも止める役が今日はいないのを忘れてたね」
「そ、そうだ。ウィルバー。話があるの。あの司祭は――」
ウィルバーはその呼びかけを遮った。
「すいません。約束があります。出かけなくては」
「ちょっと、ウィルバー!」
「みんなも一緒に来てください」
一度背を向けたウィルバーは、それからぽつりと言った。
「そうだ……シシリー――」
「えっ……?」
「もし私が、選ぶ道を間違えそうになったら。止めてくれますか?」
シシリーがそのとき覚えたのは、今までにない怒りだった。
今、彼女が仲間と一緒に”経典”へ入る無茶を侵したのは、一体誰のためだと思っているのかと。
ウィルバーの表情は、差し込む朝日と屋根裏の暗がりが作る陰影でよく分からない。
いつ間にか、夜は明けていた。
「――行きましょう」
彼らの行き先は、治安隊の詰め所であった。
その場に留めようとする隊長の脇をすり抜け、地下へと走る。

「おい、これ以上の勝手は協力者といえど許さんぞ――……ん!?」
全員が、黙り込んだ。
牢を見張るべき牢番たちは皆、子供のように眠りこけて机に伏している。
その場が異様な気配に満ちていることは、誰の肌にも感じられた。
肉食獣が獲物に襲い掛かる寸前の、静寂にも似ている。
「……な、なんだ……何が起きている――!」
「やっと、来て下さったのですね。二人とも」
人形のように整ったかんばせの女司祭は、動揺する治安隊隊長を無視して、旗を掲げる爪へと微笑みかけた。
一歩、ウィルバーが前に出る。
「ええ」
「今日は、お返事を聞かせていただけますか。空色の教えに、真実に……興味がおありか、否か」
「ダメ、ウィルバー!聞いて、こいつは魔――」
魔神なのだと。
あの”経典”に封じられていたはずの危険な存在なのだと。
そう叫ぼうとしたのに、ただ”気配”が迫ってきただけで、シシリーの言葉が遮られてしまう。
その間に、すでにウィルバーは正面から彼女と向き合っていた。
「ええ、興味があります。空色教団に。その教えの真実に」
「ッ……馬鹿、やめッ……ごほっ、げほっ!」
目に見えぬ重圧に押しつぶされてしまったシシリーの身体を、ロンドが太い腕で支える。
「あなたが、わたくしに答えてくださればお約束しましょう。全ての願いを叶える、大いなる力を。しかるべき代償と引き換えに――!」
「わかりました――」
「やめて!!ウィルバー、そいつは魔神よ!!」
「なっ……なん、だと……!?」
重圧に負けぬ意志の力で少女が叫ぶと、後ろで理解できない事態に焦っていた隊長が呻いた。
「さあ、ウィルバー様。わたくしと契約を結び、我が主となられませ――!」
「ウィ、」
さらに重ねて止めようとしたシシリーの口を、優美な白い手が塞ぐ。
手の持ち主である美貌の青年は、真剣な目で女司祭を見つめながら、まるで少女を守る番人のように槍を構えている。
「その願い、叶えましょう。この――”アポクリファ”の名において――!!」
「……………ふっ…」
「……ウィルバー?」
「ふふふ……はは……あはははは……!」
≪万象の司≫を片手に快笑している魔術師は、ようやく笑いを治めると目じりの涙を拭って言った。
「やっと、名前を教えてくれましたね、”アポクリファ”。迷宮から逃れた魔神よ」
「………!」
女司祭の顔色が変わった。
口を塞いでいた手を外したテーゼンは、ふうと息をついている。
「完璧ですよ、シシリー。迫真の演技でした。魔神も騙された」
「なっ、演技なんかじゃ…私は本気で心配して――」
リーダーである少女の抗議を無視すると、彼はなぜ魔神の取引に乗るようなフリをしたのかについて、仲間たちへと説明した。
いくぶんかは、魔神への面当てもあったのかもしれない。
「こいつが魔神なのは分かっていましたが、”真実の名”だけが、なかなか分からなかった。”真実の名”を聞き出せれば、こっちのかける魔法もとびきり有効に働く――!」
「やれやれ……おぬし、そのためだけにシシリーの感情も利用したのかい」
「なんですって!?全部知ってて、黙っていたの?」
「すいませんね。私だけでは、どうにも決定打が押せなくて…それにあなたが真実を知ったら、演技はできないでしょう?」
でもそちらの彼も分かっていたようですがと、テーゼンのほうを見やる。
苦々しい顔になりながらも青年が頷いた。
「取引に見せかけてるだけだってのは、何となく察せられたからな。精々、邪魔しないようにしてやったんだよ」
「ありがとうございます、助かりましたよ。……さ、ひとつ冒険者の流儀を教えてさしあげますよ、魔神。欲しいものを早々に明かしてしまうと、足元を見られる。お分かりになりました?」
「お答えを、ウィルバー」
女司祭――いや、魔神の作っていた涼しげな声は怒りや屈辱にひび割れている。
「あなた様は、我と契約をするつもりがなかったと申されるか?」
「ああ、はい。――全くありません。最初からね」
「ここまで――我を愚弄されるとは――!」
女司祭の細い身体は小刻みに震え、不気味な蠢動を始めている。
同時に骨の外れるような音が響き渡り、テアが【活力の歌】を、ウィルバーが【魔法の鎧】を唱えているうちに、アンジェが治安隊隊長に逃げるよう示唆した。
「隊長!衛兵隊を集めて外に待機!ここは食い止める!」
「わ、分かった!死ぬんじゃないぞ、旗を掲げる爪!」
彼が足音高く地下牢から脱出するとほぼ同時に、あの≪Beginning≫を腰間から鞘走らせたシシリーが叫んだ。
「来なさい、アポクリファ!」
「許しません!旗を掲げる爪!迷宮に囚われ、未来永劫、我が慰み者となりなさい!」
魔神は背中から生やした鋭い爪の生えた4本の手を蠢かせた。
人の形をしていないそれらの掌には小さな口があり、それぞれで魔法を唱えている。
冒険者たちが槍やスコップ、剣で魔神を傷つける間にも、召喚された魔剣や唱え終わった攻撃魔法がパーティの身体を襲い、傷つけていく。
【狂いの音色】によって三半規管を狂わされたウィルバーが、頭を打ち振りつつ【死の呪言】を唱え始める。
比較的浅い傷はテアの【安らぎの歌】が、重傷の者へはシシリーの【癒身の法】が飛び、気絶して倒れてしまうのをなんとか防いでいたが、戦いは旗を掲げる爪が劣勢であった。
「でも――負けられない。剣を預けてくれたあの人のためにも!」
シシリーは、異形の右手と左手から繰り出される魔剣の攻撃をランプさんの誘導によってかわし続け、整えた体勢から新技である【劫火の牙】を魔神に見舞った。

「アアアア!!」
もはや人とは聞こえない声で痛みを主張したアポクリファは、続くアンジェとロンドの攻撃に耐え切れず、右手の一部から【血の晩餐】という魔法で活力を奪い、自ら引きちぎってしまった。
その隙に、テーゼンが薬草をウィルバーに用いて体力を取り戻させる。
「あと少しだ、頑張れ!」
ロンドの振るうスコップが、まだ残っていた右手の攻撃を叩き落す。
「さっさと……落とされなさい!」
「このおっ!往生際が悪いよ!」
シシリーとアンジェの武器がそれぞれ奔り――。
「ここまでですよ、魔神」
やっと混乱する意識を呪文に集中させられたウィルバーの、【理矢の法】による魔力の集合体が、黄金の軌跡を描きながら魔神へ突き刺さった。
「あ……アアアッ!!」
「うるさいよ、お前」
最後に、テーゼンの放った渾身の一撃が、永劫の時を生きてきた魔神に致命傷を与える。
驚愕に見開かれたアポクリファの瞳は、やはり鮮やかな空色のままだった。
末期の力を振り絞って、叫ぶ。
「お前――お前は――我と同じ、魔界に生きる――森閑の悪魔!」
「え」
凍りついたようになったシシリーを尻目に、魔神の地を這うような声がテーゼンの正体を明かす。
「なぜ――下っ端とはいえ、魔王ディアーゼに属していたお前が、人間と共にいる――!?」
「うるせえよ。黙りな……アンタの、負けだ」
槍の一撃は、額から後頭部へと抜けた。
終末の空色教団を巡る事件は、こうして幕を閉じたが――。
「どういう、こと……」
ぐらり、と若木のような少女の身体が傾いたのを、慌てて傍にいたロンドが支える。
それにも気づくことなく、ただ彼女は叫び続けた。
「悪魔って……テーゼンが悪魔って、どういうことなの!?」
「そのまんまの意味。僕は悪魔なんだよ」
「そんな……じゃ、今まで私たちについてきたのは――」
「別にそっちの魂を食おうとか、そういうことじゃねえ」
テーゼンの黒い双眸が、竪琴を抱えた老婆を映す。
「ばあ様に提案されたからだ。死んだら地獄に行ってもいいが、いつでも連れて行けるよう傍にいたらどうだいって」
「テア……なんで!?皆は、他の皆は知ってたの!?」
シシリーが心底驚いたことに、他の者はテーゼンが悪魔だと知らされたにも関わらず、あまり動揺した様子が見られない。
「”経典”の迷宮にいた時もそうだったし、これまでの冒険でも、羽の兄ちゃんって妙なことに詳しかったから……もしかしたらって」
「私は、初めてお会いした時からうっすらと疑ってましたから。だって、彼の蝙蝠のような羽を見て、一番最初に連想するでしょう?それに魔法を使わない割に、魔力の総量が異常なほど高かったので……」
「俺は知らなかった」
丸太のような太い腕を組んだまま、ロンドは話を続けた。
「だけど、それが何か関係あるか?人間じゃないってんなら、そりゃアンジェだってそうだろ。悪魔だろうが人間だろうがこいつが気に食わない野郎だってことに変わりはない」
「ロンド、何言って……だって、悪魔なのよ!!アポクリファと同じ、」
「同じじゃない」
乾ききった声音でテーゼンが彼女の言葉を遮る。
その表情は何もかも削げ落ちたような、彫像のような取り付く島もないものだった。
「同じじゃない――でもいい。アンタにそれが分からないなら、説明する気はない」
テーゼンは踵を返すと、確かな足取りで地下牢から出て行った。
一度もシシリーのほうを振り返らなかった。
※収入:報酬900sp、≪Beginning≫→シシリー所有
※支出:
※吹雪様作、迷宮のアポクリファクリア!
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■後書きまたは言い訳
17回目のお仕事は、吹雪様の迷宮のアポクリファです。
大好きなシナリオでリプレイが出来てテンション高いです、わーい!
このシナリオにおける魔神の狡猾さと、その裏すらかいてしまう参謀の頼りになる非道っぷりが好物です。
そして先にお詫びを…吹雪様、ご用意いただいていたエンディングを全く吹っ飛ばしてしまって、真に申し訳ありませんでした。
このリプレイを開始した際、今までの≪金狼の牙≫とは違い、どこかで仲間内による衝突は避けられないのではないかと思ってました。
何しろリーダー役に置いたのが優等生的な聖北教会の修道士、それとは別ルートで冒険者になった悪魔の狩人が仲間になっているのですから……正体が分かっちゃったら、何もなかったかのように一緒に冒険していくわけにはいかないでしょう。
では正体を最後まで内緒にしてプレイしようかな、とも考えたのですが、冒険の途中で悪魔やら魔神やらが出てきたら、パーティ内に齟齬を生じさせるために、テーゼンの正体を暴露しないわけがないのです。
だとすると最善の策として、一度修復できないんじゃないかってほどまでパーティを分裂させてみて、そこから新たな関係が構築できるかどうか頑張ってみる――これじゃないかと。
当然、薄々正体を感づいていたウィルバーや、途中で感づいたけれど自身も他種族であるアンジェなどは、シシリーほどの衝撃はないにしろ、それなりに葛藤はあるでしょうが、一番の問題点はリーダーでした。
え、ロンド?あの人、そもそも種族関係なしに犬猿の仲ですから。
そんな訳で、「魔族仲間によってテーゼンの正体がばらされる」のと同時に、作中にも書きましたが「そろそろシシリーに武器を与える」が達成できるシナリオとして、こちらの作品をセレクトしました。
迷宮のアポクリファのエンディングを勝手に変えたことを明記し、お詫びしておきたいと思います。
未プレイの方がいらっしゃいましたら、こんな殺伐とパーティ分散するようなエンドではないとだけ。
今回入手できた≪Beginning≫ですが、元は聖遺物のひとつだったそうで、未熟といえども神の使徒であるシシリーにはぴったりな剣が見つかったと喜んでおります。
データ的には魔法的物理属性、固定値ダメージで全属性の他に、神聖属性と魔力属性のダメージも入っており、キーコードに【魔法の鍵】がついています。
命中率修正もプラスが入っており、なかなか素晴らしいものをいただいたと思います。
吹雪様、ありがとうございます。
ただリプレイを呼んでお分かりいただけたように、【飛行】キーコードとか持ってないと取りにいけないアイテムですので、欲しい方はそれなりに準備なさってからトライされたほうが良いでしょう(←準備が不十分で、途中一個しかない≪魔法薬≫を使ってしまった作者)。
亡霊さんも、本当は【亡者退散】じゃなくても剣を手に入れることは可能なのですが、シシリーの精神衛生上のためにスクロール使わせてもらいました。
行っておいて良かった、アクエリア!SARUO様もありがとうございます。おかげさまで≪Beginning≫回収にこぎつけられました。
また、『テーゼンが所属していた魔王ディアーゼ』は、JJ様の敵意の雨に出てきた悪魔の軍勢を率いていたNPCでございます。シナリオ本編ではクロスオーバーしていません。
前パーティでヒイコラ言いながら倒したのですが、彼のバックボーンというか生涯がすごい印象に残っていたため、設定のひとつとして出させていただきました…これ、実は無許可なんですが、大丈夫なんだろうか。
さて、旗を掲げる爪はこれからパーティ解散時期となります。
そう、少人数対象シナリオのフォルダが火を噴くぜ!……とか言ってないでちゃんと説明すると、一人用もしくは二人用シナリオをやって、シナリオの中にお互いの本音を織り交ぜて言いたいだけ言わせてみようかと。
全然シナリオの中には出てこないようなセリフがちょくちょく出てくるかと思いますが、すいません。
今のうちに各作者様へ謝罪させていただきます。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/12 12:08 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
迷宮のアポクリファその5 
檻の中の男が崩れ去る際に託された絵筆――男は画家だったらしい――を懐にしまったシシリーは、彼が迷わず天へ迎え入れてもらえるよう祈った後、搭の探索の続きを仲間たちに促した。
女司祭が魔神であるという情報も手に入った今、最低限の仕事はここで済ませたはずだ。
搭を脱出する手段を、考えておかねばならない。
「脱出に関係ありそうなのは塔の部屋の絵――だけど…」
「あのプリズムも関係ありそうじゃのう」
恐らくは、ここが最後の搭へ続く道――1番遠くに見えた大きな搭へ移るための回廊であるはずだ。
その搭に続くだろう門は、鉄格子によって閉ざされているのが見えた。
だが、注目すべきはその門よりも、左右に置かれた彫像である。
翼の生えた醜悪なその石像は、異界の魔物のようにも見えるし、誰もいない寺院を守る健気な守護者のようにも思われた。
アンジェが盗賊としての観察力を最大限に用いて石像やその近辺の様子を探ると、台座と像の素材が違うことや、周囲の床にちょうど彫像の爪に引っかかれたような傷がついていることに気がついた。

これは恐らくガーゴイルの可能性が高い。
アンジェは見守る仲間に警戒するよう、片手で合図した。
いったんその場を離れ、テアの【活力の歌】による援護を貰ってから門番に打ちかかる。
一度は傷をつけられたガーゴイルだったが、片方が≪光の鉄剣≫による斬撃をものともせず、古代の魔法を唱えた。
シシリーの足元の地面が破裂し、石礫が若木のような彼女の体を引き裂いていく。
ウィルバーの【魔法の鎧】の援護のない彼女にとって、その攻撃は致命傷に近かった。
「きゃああ!」
痛みと失血のあまり倒れたため、慌てて駆け寄ったテーゼンが薬草で傷を癒し、テアも竪琴を構え直して【安らぎの歌】を歌う。
その合間にロンドもスコップの攻撃をかいくぐって放たれた礫に打たれてしまったが、彼の大きな体に隠れるようにして放たれたアンジェの鋼糸の束縛が、ガーゴイルたちの魔法を止めた。
どうにかよろめきながらもシシリーが起き上がり、アンジェと協力しながら【十字斬り】で一体を、もう一体をテーゼンとロンドの渾身の一撃で止めを刺した。
ガーゴイルが砕けたただの石の塊と化すと同時に、魔法の連結が働いていたのか、重く閉ざされていた鉄格子が軋みを上げて上がっていく。
鉄格子が下りてくる様子がないことを確認し、門を潜ると――相変わらず青い石によって造られた、一番大きい部屋に出た。
さらに奥に続く通路の他、また部屋の名前を示すプレートがある。
そこには、『召喚の間』とあり、『空に四つの色が還る時、閉じた円環は柱となる』と小さな文字で刻まれてあった。
他に目につくものはない。
テーゼンがぴくり、と眉を上げた。
「あの通路、あっちから冷えた空気と、微かな薬品の匂いを感じるぜ」
「危険?」
「……一応、見ておいたほうがいいと思う。でも警戒はしたほうがいいから――傷を今のうちに全部治しておいた方がいい」
「分かったわ」
シシリーは首を縦に振ると、荷物袋から――。
「よりにもよって、これかよ……」
「文句言わないで、ロンド。作ったのあなたもでしょう?食べたら回復できるって、自分で言ったんだからね」

……ハロウィンのお菓子の試作で出来た、ミミックの形をした動くクッキーを齧って体力を回復した。
クッキー生地自体は給仕の娘さん監修の元できあがったものなので、味は良かったのだが……。
「なんか……すごい、シュールな図だったよ、兄ちゃん、姉ちゃん」
というアンジェのコメントが、全てを物語っていただろう。
とりあえず完全回復に近いところまでいったので、テーゼンが警告していた通路を行ってみる。
緊張している一行の鼻に、刺すような妙な匂いが届く。
「嫌な匂いだね……」
「おちびちゃん、手拭で鼻を押さえておくと良いぞ」
「ううん、それだと皆より先に危機察知しづらいから……って、何ここ!?」
辿り着いたのは、何かの実験に使われていたかのような区画だ。
フラスコや薬品棚、謎の器具――ここまでなら、宿に居た先輩たちから聞いた遺跡にもあったものだが、アンジェが顔をゆがめたのはそれだけではなく、稼動している実験器具があったからである。
石版にはこう刻まれている。
『生体実験区画』『薬品精製装置の扱いには十分注意すること。有毒ガス発生の危険あり!』という、なんともありがたくない忠告が。
孤児院出身の若者たちが及び腰になる中、気の短いテアは進んで実験器具を調べ始めた。
「ちょ、テア婆さん!」
「テア!」
「ちょいとお黙り。……古代の秘薬を作りだせるようだね、これは」
双子のように声を合わせ老婆を制止しようとした2人を諌めると、テアは平然とした顔で突っ立っているテーゼンを呼び寄せ、意見を求めた。
「どうだえ?」
「……うん。ばあ様の言うとおり、この装置で人間が異種族になる薬や、強力な酸を作り出せるみたいだ。ただし、装置に残ってる材料がわずかしかない」
「……ということは、もしや?」
「作成できるのは一回だけかも」
おずおずとシシリーが口を開く。
「でも、強酸はともかく、異種族になる薬ってどんな使い道があるんだろう?」
「………」
黙りこんでしまったテーゼンと裏腹に、ロンドが真面目なのか不真面目なのか判じかねる意見を言う。
「もふもふ好きや牙好き、爬虫類好きの異性にモテるようになるとか?」
「兄ちゃん、しばらく黙ってようか」
アンジェが特大の釘を刺した後、他の仲間へ向き直って提案した。
「ね、強力な酸ってことは、何でも溶かせるんだよね?」
「ああ、魔法的な力が篭ってるし…何か考えでもあんのか?」
「それ使ったら、あの鉄格子溶かせないかな。浮かんでる岩にあったやつ」
ホビットの娘の言葉に、冒険者たちは目を丸くして顔を見合わせた。
テアが唸るようにして感心する。
「なるほど……たしかに、どんな魔法的な仕掛けがあったとて、鉄そのものが酸に侵されたら持つわけがないわな」
「かかっているのが、もし【魔法の鍵】のような古代の魔法だとしても、この装置で作成する強酸なら突破できるかもしれないぜ。いい考えだ――リーダー、どうする?」
「もし、それで道が拓けるのなら……」
やってみる価値はあると思う、とシシリーは言った。
アンジェとテーゼンが器具の電源を入れ、薬の作成に取り掛かる。
≪強酸性薬品≫を青い薬瓶に落とし込んだ彼らは、もう一度、浮遊する岩のところまで戻った。
あの門は、相変わらず固く閉ざされたままである。
口寂しいからと飴をくわえたまま、テーゼンは理想的なモーションで酸の入った小瓶を投げつけた。
青い硝子が砕け、中から飛び散った魔法の酸が、瞬く間に鉄格子を溶かして、砂糖菓子のごとくボロボロにしていく。
しばしの時間、酸が門から滴らなくなるのを待ち、危険性が低くなってから奥へ進んだ冒険者たちは、小さなホールに出くわした。
≪早足の靴≫を履いているアンジェの足が止まる。
「……待って。何かいるよ」
彼女のつぶらなこげ茶色の瞳の先に、青白い光が佇んでいる。
それは海の中の海草のように揺らめくと、やがて黒いローブをさらに古めかしくしたような衣装を纏った、黒髪の女の姿をとった。
冒険者たちは、この青白い輝きに覚えがある――人魂、ウィスプだ。
ということは彼らの前にいるこの人型は、恐らく亡霊の類であるに違いない。
用心しいしい近づいたものの、彼女は反応を見せない。
「……何か呟いているわ」
シシリーの耳には、
「……私が愚かだった。ア…クリファを御せると思っていた……代償が……こん……な」
という、女のいかにも無念そうな声が届いてきた。
彼女の誰にともなく呟いている内容からすると、これが魔神を呼び込んだ召喚術師(おそらく石版にあったカナーリォ)であり、彼女は魔神によって食われた後も、魂だけがここに繋ぎ止められているのだろう、ということが推察できた。
事情は薄々察することができたものの、それでは檻のある部屋にいたゾンビたちのように、鎮魂歌でこの亡霊の女を神の御許に送ることはできない――魔神の力でここに留まっているのだから。
おそらくは【十字斬り】やロンドの【花葬】でも、彼女の魂を傷つけるだけで昇華にまでは至らないであろうということは、簡単に想像できた。
おまけに、シシリー自身は【亡者退散】の法術を身につけていないために、この悩める術師を神の使徒として天へ還してやることもできないのだ。
自分の不甲斐なさに顔をゆがめたシシリーだったが、急に何かに気づいて荷物袋を漁り始めた。
「な、何やってるの、姉ちゃん?」
「確か……アクエリアで手に入れて、ここに……あったわ!」
彼女が取り出したのは、まだ駆け出しの頃に入手した【亡者退散】の呪文書である。
そこに書かれている古代神聖語の祝福の言葉により、呪文書の力を向けられた死者たちは聖なる光に包まれる。
この死者も――例外ではなかった。
召喚術師の身体が揺らぎ、ゆっくりと霊体が薄れていく。
最期を迎える女性の瞳に、理性の輝きが戻って――。
「もう、終わったのよ。あなたは解放されていい」

刹那、安らぎの光に包まれた亡霊が微笑んだように、冒険者たちには思えた。
「優しき異邦人。これを持ってゆかれよ。祈る者の手元にこそ、ふさわしい剣ゆえ――」
亡霊は最後に小さく囁くと、そのまま――消え去ってしまった。
彼女が消え去った後、一行はそこに一振りの剣が残されているのを見つけた。
「……?これは――」
「魔法の剣、だな」
アンジェの疑問にテーゼンが答える。
「空間を捻じ曲げる力があるようだ。力そのものは小規模に対して働くが――これって、【魔法の鍵】に似てるんじゃねぇのかな」
「……テーゼン、どうしてそんな事まで分かるの?」
「魔術師でもないのに、ってか?……気にするなよ、シシリー。それより、剣はあの女の礼だろう。貰っておいてやれよ」
「ええ……」
まだ彼への疑念は尽きないものの、シシリーは今まで使ってきた長剣とは違う、優美な握りと細い刀身を持った武器を手にした。
「これに銘はあるのかの?」
「鍔元に書いてる……あえて人の言葉に直すなら、始まりの剣――≪Beginning≫かな」
「始まりの剣か。なかなか良い名前じゃの」
何事もなかったかのようにやり取りをしているテアとテーゼンを眺めて、シシリーは胸の中のしこりがちょっとずつ溶けていくのを感じた。
そう――テーゼンが分かるというのなら、それでいいではないか。
なのにどうして、さっきはあんなに胸中がざわめいてしまったのだろう?
シシリーには分からず、新たな剣の柄をぎゅっと握り締めた。
2016/03/12 12:03 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
迷宮のアポクリファその4 
搭の主要らしい部屋には、すっかり色の褪せてしまった絵が飾られており、石版に刻まれている部屋の名前はその絵のタイトルから取っているらしいということだ。
回廊は夜のしじまに守られているように静かで、細長く優美なアーチを描く窓から見えるのは、相変わらず外の世界に満ちているらしい霧であった。
そんな薄暗い空間を切り裂くように、次の部屋はぼんやりとした光に満ちていた。
辺りを見回すと、高い天井のてっぺんがガラス張りになっており、そこから空の光が柔らかく差し込んでいるらしい。
「『虹の間』ですって。ええと、『空より光は還る。人の子と、人ならざるものの子が、心に真実をもつならば』と書いてあるわね」
「何やら意味深なようじゃの。おちびちゃん、そっちはどうだい?」
「罠っぽいものはないけど…ここで何かの実験でもしてたのかな?机の上に空のガラス瓶があるよ。他には――あそこ」
アンジェのまるまっちい器用な指が、部屋の一段高いところを示す。
「水晶で出来た何かが置かれてるよ。これは……プリズム?」
人為的な罠はない、ということだったので、プリズムのひとつに何気なく近づいてみると、全員の頭の中に声が響いた。
『神を信ずるもの、約束の王国を望むもの、儚き絆を信ずるもの、未来を恐れるもの――そして、人の形に作られし命が、触れよ』

「えっ、えっ」
「触れてはいかん!――まだ捨て置け。どうやら、魔法的な装置の一種のようじゃ」
狼狽しているシシリーを制止すると、テアは他のプリズムに自分で近寄っていった。
「むう……なるほど、それぞれの主張する何らかのタイプに合致したものだけに、何かを許可するか、何かを与えるかする装置なのじゃろうな。それだけに、合致しなかった場合が不味いのかもしれん」
「そういうもんなのか、テア婆さん?」
「セオリーというもんじゃ。ひとまず、ここは後回しにしたほうが良いと思うぞ」
年長者の慎重な意見に頷くと、シシリーは今度は東の通路を行こうと提案したが、そこは長い年月に耐えられなかったのか、空中回廊が途中で崩落していた。
この搭にはこんな場所がちらほら見受けられる。
だから、この時も迂回するしかないだろうと冒険者たちは考えたのだが、中に一人。
「どうしたのじゃ、考え込んで」
「ううん。ここの崩落の仕方は大きいから、空が見えるでしょ。空が飛べれば外に出られるな、と思って」
アンジェの言葉にテーゼンが足元に気をつけながら辺りを確かめる。
「ああ――確かに、いけるかもしれない」
「ちょっと待てよ、黒蝙蝠」
犬猿の仲の相手の言葉に、翼を持つ青年が振り向いた。
「お前は一人で行けるだろうが、こっちはどうするんだ?向こうに見える建物まで結構距離があるから、お前一人じゃ全員を運ぶなんてできないぞ」
ロンドはやや自嘲とも取れる目つきで、自分の重たい装備を見下ろしている。
「それに、いつも魔法の翼を生やしてくれるウィルバーさんは今回いないんだぜ」
「大丈夫だよ、兄ちゃん」
そこでアンジェが口を挟んだ。
「昼間解散した後、皆でそれぞれ準備してたでしょ?あたし、あの時にウィルバーの荷物袋を漁って、役に立ちそうな呪文書を持ってきたんだよね。これ」
と言って彼女が誇らしげに皆へ見せたのは、確かに【飛翼の術】と呼ばれるスクロールであった。
「お前……怖いもん知らずだな。ウィルバーさんに後で叱られても、俺は知らないぞ」
「大丈夫だって、そのおっちゃんのためにやってるんだから。ただこれ、急に思い立って持ってきたものだから、もし使うんなら≪魔法薬≫を使わないとあたしには使えないんだけど……姉ちゃん、どうする?」
≪魔法薬≫は、七種類にわたるハーブを調合し、魔法により保存性と効力を高めた飲み薬で、精製が困難なことから高額で取引される品である。
彼らの荷物袋に入っている分は、あの水の都・アクエリアの依頼の中で手に入れた貴重な品であった。
だがシシリーは、迷いなく彼女に首肯した。
「やってみてちょうだい。ここで出し惜しみしてウィルバーに何かあったら、後悔してもし切れないじゃない」
「分かった。じゃあ、お薬もらうね」
アンジェは水色の瓶に入ったそれを一気飲みすると、まずは自分の体に魔力による白い翼を生やした。
後の3人――シシリー・ロンド・テアにもそれぞれ翼を与え、全員が飛べるようになったところで空中へ飛び出す。
辺りを見回してみると、六つの搭が空中回廊で繋がっているのが良く見えた。

「――?あれは……」
とシシリーが呟く。
崩落した空中回廊の少し先に、何かの魔力の影響か、空中に漂う大きな岩場が見える。
冒険者たちは、飛行能力を使って浮遊する岩に近づいた。
岩場に降り立つと、小さな石造りの建物があるのが見える。
その手前には、非常に頑丈そうな鉄格子の下りた門があった。
アンジェが試しに調べてみたが、固く閉ざされた門を開く仕掛けのようなものは、どこにも見当たらない。
ロンドが舌打ちした。
「無駄足か」
「――そうでもない。この先に、なんかあると思うぜ」
「分かるのか?」
ロンドの言葉に首を縦に振ると、テーゼンは右手を門にかざして目を眇めた。
「僕は魔法使いじゃねぇけど。これも封印のひとつなんだと思う。よほど教団にとって大事なモノを保管してるんじゃねぇのかな」
この空間においてだが、テーゼンの悪魔としての五感が研ぎ澄まされている。
もしかしたら、ここに干渉した首謀者は――と、テーゼンが心中で推論した。
「ここも後回しにしましょう。近くに仕掛けがないのであれば、他のところで門を動かすように出来ているのかも」
極めて常識的なシシリーの提案に一同は賛成し、後ろ髪を引かれる思いで元の搭へと戻っていった。
そしてもうひとつあった北のほうの通路へ歩もうとすると、
「っ……!」
と思わず息が詰まってしまうほど強い風が、シシリーたちの前方から吹きつけてきた。
進むのすら困難である。
「これって、自然の風じゃないと思うよ……この先にある魔法的な装置が、吹かせてる風なんだと思う」
「でも、何のためにだ?」
「そこまではわかんない」
言い合いをしている血の繋がりのない兄妹の足元に、門扉の横からカラカラに乾燥した白骨が転がってきた。
ずいぶんと置くから風で飛ばされてきたのだろう。
アンジェは人骨をしげしげ見やった後、おもむろにしゃがみ込んで調べ始める。
「どうしたの、アンジェ?」
「この白骨、何かおかしいよ、姉ちゃん。胴体や首の骨が、鋭利で重い何かですっぱりと斬られている」
「……本当だ。普通、剣や斧でこんな風にはならないわ」
「しかも、この白骨一人じゃない。何人かの遺骨が、向こう側から飛ばされてきたんだよ」
異様な展開に誰かがごくりと喉を鳴らす。
アンジェの正確な指摘に、さらに用心を重ねるようにして通路を進む。
3メートルくらいの感覚を置いて辺りを調査していた盗賊役の娘が、不意に警告の声をあげた。
「――待って!みんなその場を動かないで!」
鋭い制止に反射的に仲間達が身構えた、その鼻先を、ごうと掠めていったいたものがあった。
「なっ――!何、これは……!」
「こいつだよ!さっきの白骨死体をバラバラにしたのは――!」

ペンデュラム。
鎖の先に大きな鎌がついた振り子のようなそれは、天井から繋がれ、限られた空間に死の旋風を起こしていた。
テーゼンが冷や汗を拭う。
「そのまま突っ込んでたら、今頃全員が半分にされてたな……」
「ちょっと待っててね。3、2、1……そこっ!」
アンジェは巨大な刃が往復するタイミングを計ると、手にした短剣を向こう側の敷石に投げつけた。
それと同時に、死の鎌の運動が止まる。
「……止まった。何をやったんだよ?」
「向こうの敷石のひとつがこの罠の解除装置なの、羽の兄ちゃん。動いてももう大丈夫だよ」
この手の罠は、維持管理のためすぐ傍に停止装置があることも多い――と語った娘を見て、他の一同の心の中に「蛇の道は蛇」という言葉が浮かんだ。
探索を再会し、また色あせた絵画の飾られた部屋を通り過ぎると、迷宮の闇の奥から何かが近づいてくる音がして、冒険者たちは立ち止まった。
独特の不快な腐臭に、うつろな目。
何より、腐りかけた肉が落ちていく人型のその姿。
「ゾンビか!」
唸ったアンジェが短剣を握り直し、ロンドがスコップを肩に担いでいた体勢のまま一歩踏み出す。
かつては信者だったのだろう。
僧服に身を包んだ動く屍たちは無残な姿で、冒険者たちへと襲い掛かった。
――と。
動く死体を見据えていたテアが、仲間を手で制して前へ出て行く。
「――!?婆ちゃん!」
「ここは任せておけ。どれ、おぬしら……歌は好きかえ?」
テアは歩み寄るゾンビたちの前で臆することなく、古く、美しい鎮魂歌を演奏し始めた。
「ア…ア……ウ……?」
やがて哀れなゾンビたちは、どこか安堵したような声をあげて、闇の中に、灰と化して崩れ落ちていった。
「もはや日の光を見れないなら。せめて人の歌で、送ってやらねば――」
テアは最後の一音を爪弾くと、寂しげにそう呟いた。
灰が風によってどこかに運ばれ、静けさを取り戻したところで辺りを見渡すと、そこは不思議な青い材質の石で壁が組み上げられており、壁には今まで見たのと似たような、色あせた絵が一枚掛けられている。
上方を見ると、空中には大きな檻がいくつもぶら下がっていることに気づいた。
怪訝そうな顔になったロンドが、
「あ、あれを――」
と指差して凝視した。
「中に誰かいる」
「え!?」
ゆらり、と檻の中の男が動いた。
つい先ほど天へと還っていったゾンビと違い、こちらは人の姿を保っている。
年の頃はテアと同じくらいで、人間にしてはやや長い耳に金細工の耳飾りをつけていた。
その割に身に纏っているのは粗末な貫頭衣である。
彼は大儀そうに身を起こすと、
「………騒がしいのう……なにごとじゃ?」
とこちらへ問いかけてきた。
「檻越しじゃ話しかけづらいんだけど、爺ちゃんだれ?」
「何者だって?色々あったが、忘れてしまったよ。ここでは腹も減らん、記憶も曖昧になる」
「腹が減らないって?うーん、何かそれはありがたくないような便利なような……」
「ちょっと黙れ、白髪男」
「覚えとるのは……”教団”の司祭に言葉巧みに誘われ、ここにやってきたが……」
彼は哀しげに肩を落とし、セリフを続けた。
「最後は、魔神の生贄にされるちゅうて、ここに閉じ込められたことだけじゃ」
「魔神の……生贄!?」
シシリーがぎょっとした顔になった確認すると、閉じ込められた男はずいぶん前のことに思えて記憶が曖昧であると言った上で、魔神についての情報を教えてくれた。
「もともと、この迷宮を造った魔術師は、異界から呼んだ魔神をここに閉じ込めようとしたのじゃ」
「え、でも……魔神はここにいるんですか?」
「いや、魔神は魔術師を喰らい、ここから脱出した。今にして思えば……空色教団とは、創造主の意に従う教団ではなく、魔神の口車に踊らされた者たちだったのかもしれぬ」
「爺ちゃん。その魔神は脱出した後、どこに行ったの?」
「昔……生贄に連れて行かれた男が、こう言っておった。『司祭の元に連れて行かれた信者は、だれも帰ってこない』とな」
その男はこうも語ったという。
『あの司祭こそ、魔神が姿を変えたものに違いない』
と。
衝撃の事実に身を震わせたシシリーを他所に、檻の中の囚人はしみじみ慨嘆した。
「思えば、若くしてあの落ち着き――それに異様な美しさ……何年も姿が変わらぬのも、数々の術を使いこなすのも、魔神の変化というなら道理じゃ」
「………」
迷宮と魔神の関係について語り始めた直後から、妙に静まり返って槍を手挟みながら腕組みしている青年を、アンジェはちらりと見上げた。
恬淡としていているその様子は、まるで”魔神の仕業であることが分かっていた”ようにも思える。
(まさか……もしかして……)
疑惑の雲を他の者に伝えることはしなかったが、元々パーティが出会った時に青年と同行していたテアの難しい顔からすると、老婆は彼女の疑念の答えを知っていたのかもしれない。
シシリーが男と話すうちに、ここから出たいかと訊ねたが、すっかり体が弱っているからここから出たら寿命はすぐだろうと断られている。
その健気な横顔を見上げながら、これから先に待ち受けているかもしれない諍いに、アンジェはやや憮然とした顔となった。
2016/03/12 12:00 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
迷宮のアポクリファその3 
翻訳の作業というのは魚人語でやってみたことがあったものの、本来は専門外であり、焦燥感や募る不安によって苦痛にも感じられたが、仲間たちの集うテーブルに翻訳メモを広げた時には、常とはまったく別の種類の達成感を味わった。
「……ん?姉ちゃん、これは?」
「みんなに、相談したいことがあるの」
リーダー役を務めている少女は、昨日までの出来事をつぶさに話した。
「じゃ、これが経典の一部ってこと?」
「確かに、何か危険な感じがするな」
メモをしげしげと眺めているアンジェの横から、槍を使っているにも関わらず、なまじの女性よりも優美な白い指が出てきてメモのある箇所を指した。
「邪悪な儀式について書いたような――」
「おっちゃんがどういうつもりかわかんないけど、これの解読に必死になる理由が思いつかないよ」
「まあ、のう。らしくないのう」
「だよね。治安隊の仕事に首突っ込んで、仲間にも何も言わない。変だよ」
「いえ――治安隊のためではなく、自分のためですらないとしたら?」
「それは……どういう?」
訊ねてきた老婆の瞳を見つめ返し、シシリーはある紙の束を卓に置いた。
創作ノート(部外秘)とある。
さすがに顔を赤らめたロンドだったが、
「きのう、ロンドの話を聞いてて思ったんだけど」
とシシリーから切り出され、動揺した表情になった。
「兄ちゃん、話の流れ的に、兄ちゃんに才能があるって方向じゃないから動揺しないで」
「それだけじゃなくて、写すのメモを作っての仮説、なんだけど」
「で?」
紙の束を、剣の胼胝が目立つ左手で押さえる。
「物語によく出てくるよね?抜くと呪いに支配される魔剣。邪な意思に取り付かれる宝物」
「ウィルバーさんが持って帰ったあの経典が、呪われたアイテムだっていうのか?」
「そうじゃないかと思うの。人の心を、操作するような魔法の品かも」
冷静にあらんと自制して語る少女の横顔を、テーゼンは無言で見つめている。
「世界には、この世の法則とは違う文法で書かれた本もあって、そういうのは、読み進めていくだけで正気でいられなくなるって聞いたこともあるわ」
「話を聞いてると、むしろおっちゃんが言い出しそうなことだよね……」
「推測だから、裏づけが必要なの。それで相談なんだけど――親父さんの知り合いに、信用できる魔術師がいるんですって。魔術の品にも通じている」
その魔術師に助言をもらおうと思っている、というシシリーの姿に、仲間達が特に異論を唱える様子はなかった。
魔術師の名前はバンディッシュと言い、≪狼の隠れ家≫からはちょっと離れたところに居住している。
彼は昼に寝ているため、邂逅は夜となる。
「了解」
冒険者たちは頷きあって解散した。
各々の準備を済ませて数刻後――旗を掲げる爪は、酒場の隅のいつもとは違うテーブルに再び集まり直し、魔術師を待っていた。
「――来た」
金茶色の髪を後ろで一つにまとめた華奢な感のある男が、≪狼の隠れ家≫の扉を押して入ってくる。
辺りを見回してから宿の亭主の下へ近寄り、しばらく話した後に旗を掲げる爪のいるテーブルへ移動してきた。
互いの自己紹介を済ませた冒険者たちは、やってきた魔術師を二階の屋根裏部屋へ案内した。
数々のアイテムが置かれている部屋の具合に、魔術師は目を丸くしている。
「うーん。これは。想像以上にむさくるしい場所だ」
魔術師バンデッィシュは、いったん解散した後に彼の住居を訪れたシシリーから事情を聴くと、最初はかなり面倒そうな顔をしていたが、シシリーが作った写しに目を通すうち、にわかに心惹かれた様子で実物の”経典”を見せてほしいと言った。
かくして、この魔術師は≪狼の隠れ家≫まで押しかけてきたわけである。
「ウィルバー、まだ帰ってきてないのね……」
「ふむ」
バンディッシュは顎に手を当てて、辺りを見回した。
シシリーはウィルバーが使っていた蝋燭に火を灯した横、火が燃え移らないような少し離れた位置に、青い表紙の”経典”が置かれているのを指し示す。
「これがその、話して聞かせた問題の本よ」
冒険者たちが見守る中、魔術師は経典を持ち上げたり、明かりにかざしてみたり、注意深く指で触れてみたりした。
その後、「ほうほう」とか、「なるほど」とか言いながら、胸ポケットから鋳掛眼鏡を取り出すと、
「ああ、ちょっと本を開いて、持っていてくれ」
「はい、はい」
渡されたロンドが、ちょうど良さそうな高さに本を掲げる。
バンディッシュはおもむろに中身を検分した。
しばしの時間が流れ、じれったくなったシシリーが何か分かったか問いかける。
「しっ。息を吹きかけないように。うーむ…驚いた。君達の言うとおり、これは強力な魔法の品だよ」
「これだけで、どういうものなのか分かったのか?」
テーゼンの質問に魔術師はしばらく考え込んでいた。
おそらくこれは、魔術の門外漢にどう説明すればいいか、言葉を選んでいるようだ。
「簡単に言うと、この本には魔法で”空間”が括りつけられている」
「魔術における空間転位の移送――」
「そう、君はよく知ってたね」
「なんだそりゃ……黒蝙蝠、何で分かった?」
まったく訳が分からない顔つきになっているロンドを見て、バンディッシュは彼でも理解できるようにとゆっくり話し始めた。
「引き出しに、様々なものを隠すように、この本には……そうだな…大きな城ひとつ分ほどの魔法的な空間が封じ込められているのだ」
「そんで、こいつは引き出しだから、中に固定された空間は誰かや何かを”こちら側”から仕舞うことができても、”あちら側”から開けることはかなわない…ってことだ。分かったか、白髪男」
「まあ……なんとなく?」
「まさに、本の中に作られた牢獄だよ」
「城ひとつが本の中に?そんなことがありえるの?」
「古い魔法は、時に想像を絶するのだ。私の専門分野だから間違いはない」
さらりと自画自賛すると、彼はひらりと家事とは無縁な手を振ってみせた。
「さて、さらに興味深いのは君たちが唱えていた説。この本に、人を操るような効果があるか、だが……結論から言うと、分からないな」
「役に立たない結論だね」
この本の秘密を解き明かすには魔術師の協力は不可欠なのだが、バンディッシュはすっかりこの”経典”に興味を持っている様子なので、多少のからかいは見過ごされるであろう、とう現実的な計算がアンジェにそう言わせていた。
ホビットの娘の言葉にぴくりとこめかみが動いたものの、魔術師は言葉を続ける。
「だが、本の中の空間には大きな魔力を感じる。真相を知るには――」
「知るには?なんじゃ?」
「この書物の中に入り込んで調査する以外にないだろうね」
「入り込むって、そんなことができるの?」
「できるとも。言わなかったか?この辺は、私の専門分野なのだ……どうする?冒険者。この本の世界に入ってみるかね――?」
旗を掲げる爪は顔を見合わせた。
予想外の展開ではあったが、想像以上の手がかりだ。
仲間たちの意を受けて、シシリーが申し出る。
「分かったわ。中を調べてみたい。どうすればいい?」
「単純な魔法で、入り口は開ける。君たちを送り込むのも簡単だ」
バンディッシュは”経典”を手近な箱の上に置くと、
「さあ、では、この本の上に手を置いて」
と指示した。
いささかの疑わしさはあるものの、大人しく全員が青い表紙の上へそれぞれの利き手を乗せる。
「呼吸を楽にして――さん、に、いち……」
そして、彼らの視界は闇に閉ざされた。
「……………っ」
「こ――これは――」
傍らでテーゼンが息を呑んだ気配を感じながら、シシリーがどうにか言葉を押し出す。
冒険者たちの辿り着いた先は、空が立ち込めた雲で閉ざされ、足元はといえば切り立つ崖になっていた。
崖の底は、白く流れる霧で覆い隠されている。
いくら見渡しても、宿の屋根裏部屋やあの書物、魔術師の華奢な姿は見当たらなかった。
「姉ちゃん、あれ――」
アンジェの導きによって目を凝らすと、色あせた影絵のような世界の先に、
「あれは――搭?」

五つ――いや、六つの古い搭がそびえているのが見えた。
その高い搭はそれぞれ、ミルク色をした霧の海の上で、細い空中回廊によって繋がれている。
感に堪えないような声音でロンドが言った。
「すごい……言われたとおりだ。”本の中の牢獄”」
「何が待っているのか……でも、進むしかないな」
美貌の青年は先に立って歩き始める。
それに釣られるように、他の仲間達も注意深く霧の中を進んでいった。
最も近くにそびえる搭の下へと到着する。
搭は青く冷たい、見たことのない石で組み上げられている。
貼られている石版を見ると、そこには『召喚術師カナーリォが造りし七搭の迷宮』とある。
その下には若干小さめの文字で、『四つの色を、虚ろなる空に取り戻せ』と刻まれていた。
アンジェが承服しかねるような顔で呟く。
「七搭の迷宮……」
「ここに来るとき見た搭は六つだけじゃったが……」
入り口で考え込んでいても仕方ない。
辺りをアンジェがざっと調査したが、何も変わったものがないことが分かり、一行は搭の中へと踏み出していった。
2016/03/12 11:56 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
迷宮のアポクリファその2 
午後から降り続いた雨が止まず、シシリーはこの分だとまた仕事をせず宿に足止めになるだろうか、と考えていた。
彼女の目の前には、それぞれ朝食を摂ったり窓の外の天気を伺ったりしている。
だが、その中にはまたもやウィルバーの姿はなかった。
「今日も、これという仕事はないのう……」
「あれからいい依頼は結局なしなのね」
「うむ。そうなのじゃ…」
「そういえば、きのうおっちゃんは仕事を探しに行ったの?」
「いえ、違うわ。たぶん――」
話を聞き終わった盗賊の娘は、腕組みをして唸っている。
「うーん?そんなに気にするようなものだったのかなぁ、あれ?」
「さあ……どうなのかしらね」
沈うつな表情になってしまっている家族同然の少女を励ますつもりか、ロンドは話題を天気に変えた。
いつもは犬猿の中のテーゼンも、珍しく素直に話しに応じている。
「雨、止まないな」
「依頼でもないのに雨の中を歩きたくはないしな」
「一時期、依頼を受けるたび、雨や雪に遭って大変だったよな」
ここでアンジェが両手で頬杖をつきながらぼやく。
「こうなるともう、酒場で演奏でもして聴衆から銀貨を稼ぐくらいしか思いつかないよ」
「……それは、わしにやれと言うておるのか、おちびちゃん?」
「でもないけど。……あれ?兄ちゃん、何でリュート持ってるの?」
「出番が来たかな、と」
「出番って、リュート弾き語りとかできないじゃろう、ロンド」

「そんなことないぞ!サーガだって自作したし」
疑わしげな仲間の視線に、ロンドは自信満々な様子で弾き語りを始めたのだが――。
「……兄ちゃん」
「ハイ」
「なにかな、その呪われし英雄テーゼンのサーガっていうのは」
「無断で何してんだ白髪男、モデル料お前からぶんどるぞ」
「しかも何で旗を掲げる爪の実名が出てるの」
代わる代わる2人から自作の不明瞭な点について、極めて厳しい追及を受けた。
返す言葉もない様子のロンドを横目で睨みつつ、シシリーが追加の評価を下す。
「しかも、まったくと言っていいほどフィクションの要素しかない」
「そ、そんなことない。ちょっと魔族の血を引いてて、いい感じの秘儀を使いこなし、最後は竜殺しになったりするだけ」
実はちょっとどころではなく正真正銘の悪魔であるテーゼンにとって、悪夢のようなサーガである。
精神的ダメージは意外と大きく、美貌の青年は顔を面白いくらいに歪めて猛烈抗議を始めた。
彼の抗議は他の仲間達が朝食を食べ終わるまで続いた。
「この物語は虚構です、実際の人物、宿などは一切関係ありませんって書いておくのはどうかな」
「……まだ言ってるの、兄ちゃん……そろそろ羽の兄ちゃん、本気で怒り出すよ?朝食をスライムに変えられてしまうよ?」
「そ、それは困る!」
異議を唱えようとしたロンドが中腰で立ち上がった時、ぱさりと彼の膝から落ちたものがあった。
アンジェが拾い上げると、それは”創作ノート(部外秘)”と書かれている、さほど上等でもない紙の束だった。
何気なく中を見ると、思春期の少年少女(ロンドはまさにその年頃ではあるが)が考えそうな設定に、数年後に見ると後悔しそうな恋愛冒険物語が書かれている。
「………これは、ないわー」
「ええー。……って、あっ」
「あっ、ではない。おぬしはリュート没収」
「お、横暴!横暴!」
「抜かせ。こんな14歳の妄想が生んだような歌、詩人であるわしへの業務妨害じゃ」
ちょうどテアが楽器を取り上げたところで、給仕役の娘さんがテーブルの上の食器を下げにやって来る。
仕事に行け雨が降ってるからやだ云々と、仲間達と丁々発止のやり取りをしながらテーブルを片付けている娘さんへ、シシリーは悪いけどと前置きしてから切り出した。
「娘さん、ウィルバーがどこに出かけて行ったか分かる?」
「えっ?あ、はい。確か、治安隊詰め所だったかと――」
「ありがとう。ちょっと、出かけてくる」
シシリーは意外そうな声を上げる仲間をそのままに、雨避け用に油を塗ってある革のコートを着こんで、足早に宿を出た。
雨を弾くコートの音が、シシリーの思考をうちへうちへと招いてくる。
いつもと違うウィルバー。
平凡な顔立ちで、やや髪が薄くなりかけていることと、ちょっと唇が薄いくらいしか特徴はないが、煮詰まっている時に自分のも他者のも上手にガス抜きの出来る、信頼できる大人。
人当たりは優しいくせに、仕事となると妙に情に流されないあの魔術師の男に、一体何が起きているのか――リーダーである責任感と、彼を知る者としての違和感に突き動かされ、シシリーの足は濡れた石畳を勢いよく移動していく。
治安隊の詰め所に来るのはこれで5回くらいで、彼女はもう顔見知りになってしまった門番たちに挨拶を欠かさず、丁寧に用件を述べて隊長の許可の下、地下へと潜っていった。
ウィルバーはやはりここに来ていた。
彼が申し出た用件は囚人への面会――しかもあの女司祭との。
シシリーは自然と早くなる鼓動を押さえつけながら、鉄格子越しに”終末の空色”教団の司祭に向き合った。
薄暗い牢獄には、すでにウィルバーの姿はない。
入れ違いになったのかもしれないな、と治安隊隊長が呟いた。
「あまり長時間はいかんが、訊きたいことがあれば話せ」
彼女は口が硬く、尋問係も手こずっているため、何か冒険者に漏らしてくれたのなら儲けものだと治安隊では考えているらしい。
「では、私は行くぞ。帰りはそこの牢番に声をかけろ」
と小柄で目の大きな男を指した隊長は、姿勢よく地下牢から出て行った。
牢に沈殿した闇の中、青い服を身につけた女司祭は、シシリーの気配に顔を上げた。
シシリーの内心を知ってか知らずか、青い服の彼女は静かに呼びかけてくる。
「冒険者様」
「………」
「命乞いする気はありませんが、冒険者様と――あのお仲間の方なら、わたくしの話を聞いていただけるのでは、と思うのです」
ぴくりとシシリーの右頬が動く。
やはりウィルバーは彼女と話しに来たのだ。
「どうしてそう思うの」
「あの方は言っていました。冒険の中、何度も死ぬような思いをした、と」
冒険者のほとんどは、死線を何度もかい潜り、危ういところで命を拾ったという経験がある。
そういう、生きる意味を考えずにいられない環境にいる者であれば、
「教団の教えに真実があることを分かっていただけると」
「空色教団に真実があるとは思わない」
と、聖北教会の修道士として修行中の身である少女は言い切った。
何しろ、彼ら空色教団を捕らえる前に、さんざっぱら悪行の数々を伝え聞いている。
共感の余地は、正義感の強い少女のどこにもない。
なのに、司祭は話を続けた。
「……それは、冒険者様が外側しか見ておられないからです」
「外側?……どういう意味」
「人々は教団を邪悪という。では、己の所業を全て自分の意志でなし、受け入れているものなどいるでしょうか?」
「詭弁だわ。誘拐や人体実験の正当化は出来ない」
「生まれ、育ち、生き抜くために。人は与えられた役割を演じます。あなたのその正義も、役割に過ぎない……教団はこう、教えています。人は創造主の作り出した入れ物に過ぎない」
耳を傾けたくはなかった。
狂った世界の言葉は時に、独特のリズムを持って正常な心を侵す。
「我らが為すことも、創造主が書かれた筋書きの上のこと。ひとつひとつに、正邪はない」
「そんな……ことは……」
正常?
いや、そんなものがあるのだろうか。
幼い頃に顔も忘れてしまった親に捨てられ、孤児院へと流れ着いた自分に。
その時分に一緒にいた、最も古い気持ちが戻ってくる。
(私は空だ。いらない子である私はちっぽけで、何を為すこともせず、生きて――消えていく)
「……っ、違う――!」
シシリーは強い語調で内側から湧き上がった不穏な考えを打ち消した。
あの屋根裏部屋で触れた書物の不気味な手がかりが、彼女の警戒心を呼び起こす。
「私は――」
女司祭は囁くように言った。
「遠からず、処刑されるでしょう。そのことに後悔はない。ただ、あなたや、あの方のような…真実を見る勇気のある方に、一抹でも…教団の想いを、伝えたいのです」
「ウィルバーを…っ、あなたの歪んだ世界に引きずり込まないで」
氷のように冷静であろうとしたのにできず、火竜のブレスのような憤りが、少女の心を揺らした。
司祭は目を伏せる。
そんな女司祭を、シシリーはじっと見つめてみた。
けして相容れぬものが、世界にはある。
溶け合わぬもの、触れ合うことなど出来ぬもの。
2人の間に、長い沈黙が流れた。
どれだけ時間をここで使ったのだろう、いつの間にか瞳を開けた司祭の顔は暗く翳っている。
「それでも――あなたとあの方は、もう一度ここに来るでしょう。それが、創造主の書かれた筋書きなのですから」
「………」
黙りこんでしまったシシリーの肩を、ちょんと突付く者がいる。
牢番の小男だ。
「おい。冒険者。時間だ、これ以上の面会は許されない。日を改めろ」
返す言葉もなく、ただ首肯したシシリーはよろめくような足取りでリューンの市街へ出た。
雨の路地を歩く。
自分があの司祭に言ったことは真実だったのか、自分はウィルバーのことをどれだけ分かっているのか、心許ないような気がして身を震わせる。
所詮、本当の家族でも親戚でもない。
そもそも、孤児院にいた頃には、たまに現れては子供には少々難しいかもしれない本を置いていく、変わり者のおじさんでしかなかった。
それがこうして共に冒険者となり、チームとしていくつもの仕事をこなしてきたが――まれに、彼が内に秘めているものの深さに、思い至る時がある。
何気ない沈黙の時の横顔に、ふと漏らす呟きに――自分たちの間に、越えられない線があると思うこともある。
だが、まだ間に合うはずだ。
「ウィルバーに咎が及ぶようなことは、止めなければ……」
あの女司祭が何を秘めていようと、それだけは阻止しようと心に決める。
「それには、どうすればいい?」
シシリーの脳裏に、他の仲間たちの笑顔が浮かんできた。
そう、知識が多いものほど思考の迷路にはまり込むということが、世の中にはある。
今のウィルバーがそうであるとするなら、他人の視点が、役に立つのかもしれない――。
2016/03/12 11:54 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
迷宮のアポクリファその1 
とぼそりと囁いたのは誰であったか。
冒険者たちは闇に身を伏せていた。
一行のリーダー役を務めているシシリーが、小声で懸念を口にする。
「相手にエルフや吸血鬼…夜目の効く連中がいたらやっかいなことになるわ」
「どうでしょうか。治安隊の話では――」
落ち着いた声音で応じたのは、≪万象の司≫を握り締めたウィルバーである。

「……。聞いてた話がその通りだったってことってなぜか少ないのよね」
「問題ない。僕には見えるし、アンタだって切り札が二つもあるだろ」
そう口を挟んだのはテーゼンである。
彼自身は(パーティの一部には内緒だが)悪魔で暗視が効くし、シシリーにはそういう素養があるのか、光の精霊二体に取り憑かれている。
今は大人しく専用のウェストポーチの中に隠れているとは言え、光源が必要となれば、すぐその中から飛び出してくるだろう。
「野伏は暗闇に強いんだ。何か出てきたらきっちり皆の”目”になってやるよ」
「こういう時は、頼りにしてるね。テーゼン」
ここは下水道の側道で、現在の旗を掲げる爪は、治安隊斥候の合図を待っていた。
≪赤い一夜≫事件からまるひと月近く、交易都市は盗賊団の被害からは抜け出たものの、今度は他所から移ってきたというカルト集団の台頭に悩まされている。
そんな中、治安隊と協力体制を二度も作ったことのある彼らに、知り合いとなったある隊員から、地下水道内にある”終末の空色”教団の強制捜査について持ちかけられたのである。
リューンの下水道というものは冒険者ならば周知のことだが、古代文明の遺跡を転用した広大な迷路だ。
居住地帯よりもさらに外側まで広がっているため、意外に汚水が少ない場所もあり、パーティが今待機しているのも、そんな場所のひとつだった。
広大な地下下水道内は天然の隠れ家である。
治安隊といえど、教団拠点に踏み込んだ後、信者の逃亡を許せば――遺跡に長けた冒険者に頼るしかなくなるだろう。
最も望ましいのは、この最初の突入で教団を一網打尽にできることである。
「こっちの役割は逃亡阻止だから、戦いよりも周囲を見るほうが大事そうね」
静けさに耐え切れず呟いたシシリーにあくまで応じるように、アンジェが伸び上がってランタンのシャッターを上げる合図を待ち受けながら言った。
「”終末の空色”教団か。だいたい説明は聞いたけど、ホントのところ――どういうものなんだろ?」
「下調べがとれる時間もなかったですしね……」
治安隊に聞いた以上のことは噂しか知らないが、と前置きしたウィルバーが彼女に教える。
この十数年で勢力を拡大した新興宗教で、中央行路の商業都市で治安当局を悩ませている頭痛の種。
その教義は厭世的というかなんというか、『人間は創造主の作った入れ物であり、自由意志に意味はない』であり、死霊術や召喚術に手を染め、現状に不満を持っている若者たちを取り込んでいる。
当然、聖北教会の勢力圏においては到底許容されない教えであり、新たな火種として騒がれているそうだ。
「彼らの主張はこうです。言葉を持つ生き物は創造主が何かを為すため作った容器、自分とか、自由意志なんてものはない。それに気づいた人間は、世界を変えるだけに十分な力を手に入れられる――と」
「正直、何を言ってるのか分からないよ。酒場の酔っ払いなの?」
「近いですね。本当に世界を変えられると信じて、人を殺して回るんじゃなければ、ですが」
2人のやり取りを聞くともなしに耳に入っていたロンドが、
「それにしても、”終末の空色教団”って名前――わけがわからんな」
と首を捻った。
「空、っていうのは、東方では存在しない、自分がない、という意味でもあります」
「ああ、それで空色……」
息を潜め、囁き交わしていた冒険者たちの前で、暗闇に小さな光が浮かび上がった。
「来たな――」
ロンドの反応と同時に仲間達も武器や愛用の得物を持ち、迷宮の闇へと身を躍らせた。
すでに彼らの身には、ウィルバーやテアによる目に見えない援護の力がかけられている。
「総員、突入!三班は通路を封鎖!」
という治安隊隊員の声が聞こえる。
「――冒険者!」
「ええ!」
隊員への応えを上げたシシリーは、仲間達を引き連れ示された奥への通路へ走っていった。
治安隊の突入は成功したようだ。
不意をつかれ、拠点にいた教団の信者たちは慌てふためいている。
その中で、妙に落ち着いたまま武器を振るう人間もいる。
治安隊や冒険者たちが思っていた以上に、戦力となり得る若者が揃っているようだ。
「奇襲の効果も長くないですね。……急ぎましょう」
ウィルバーに促され、まるで神殿かと見紛うような円形の柱が立ち並ぶ中を駆けると、ふと何かに気づいたテーゼンが声を上げた。
「……!あれを!」
闇をものともしない彼の目は、驚くほど色鮮やかな空色の瞳をした女性――服装からして恐らくは女司祭――が、古ぼけた木製の扉の前に立っているのを見通した。
「下水への脱出口か――!夜目の効かない人間の足で、この暗闇を逃げようなんて、甘いぜっ」」
「………!あなた達は――」
脱出しようとしていた女性が振り返り、誰何する。
「わずかな報酬とちょっぴりの正義感によって立ちはだかることになった、その辺の冒険者だよ」
皮肉げに返事をしたアンジェは、油断なく目を配りながらじりじりと近づいている。

「……そう、ですか。選ばれし次の”入れ物”というわけではないのですね。残念ながら――」
「”入れ物”――?」
「――明かりは足元に落として!行きます!」
シシリーの疑問に答える声はなく、ウィルバーは、女司祭や後ろから追いついてきた教団員がこちらに向けてきた敵意に気づき警告する。
教団の信者の一人にテアの放った投げナイフが刺さり、シシリーの≪光の鉄剣≫の鮮やかな軌跡が左肩からザックリと斬り下げる。
仲間の戦う合間を縫って、走り寄ってきたロンドが素早くスコップを突き出し、女司祭の右腕を傷つけた。
人形のように整った女の顔が、一瞬苦痛に歪むが、
「【光輝の領域】――」
と涼しげな声で古代の魔術師が遺したと言われている呪文の一つを唱え、己や教団の信者たちの士気を向上させる。
「ち、面倒な!」
「問題ない、シシリーも走れ!僕が道を作るッ!」
「はい!」
テーゼンの振り回した槍が信者たちの足をすくい、倒れた一人の喉笛をアンジェの短剣がかき切った。
猛然と抵抗する”終末の空色”教団だったが、負傷した一人に再び手繰って突き出された【龍牙】の槍が刺さり、女司祭をシシリーとロンドの2人で気絶まで追い込むと、もうそれ以上の戦いは彼らもできなかったようだ。
こちら側の負傷は、槍を突き出した際に反撃されたテーゼンの腿の怪我くらいである。
ちょうど、治安隊の救援も駆けつけてくる。
「旗を掲げる爪!いるか!」
「こっちよ、隊長さん!教団のリーダーらしき女を捕まえた!」
「いいぞ、手柄だな!一班続け!目標はここだ!」
事態が収束した頃に、女司祭が気絶から回復したようだが、すでに彼女の武装は剥ぎ取られ拘束は完了しており、治安隊隊員の厳しい監視の下、逃亡は出来そうにない。
まだ年若い少女のように見える青い衣装を纏った彼女は、黙って床にひざまずいていた。
カツカツ、と硬い足音を立てて治安隊の隊長が近寄り、司祭へ罪状を言い渡した。
「”終末の空色”教団。ペルージュでの貴族殺害。アルエス城塞都市での殺人教唆、禁呪密売、人身売買への関与――その他、多数の容疑で信者全員の身柄を拘束する!」」
「……… です」
「んっ?女、今なんと?」
「瞳を持ちながら、世界の本当の姿を見ない方は不幸だ――と、申し上げました」
隊長は一顧だにしない。
「一班、容疑者を連行。簡単に死なせたりなどするなよ」
「――撤収!」
女司祭は2人の隊員が両側から持ち上げたことによって立たされ、そのまま近くの地上へ続く階段に、半ば引きずられるようにして連れて行かれる。
その際、冒険者とすれ違い、女はシシリーにうすく笑ってみせた。
邪気のない、少女のような微笑みだった。
一体何のつもりだったのかと、眉根を寄せて彼らの退場を見送ったシシリーを他所に、大好物を見つけたウィルバーがやや浮かれた声をあげた。
「ああ、アルコーブに本棚があります。かなりの蔵書ですね」
「うーん、相変わらずよく見てるね、おっちゃん。ここから先は、治安隊の仕事じゃない?」
ウィルバーは、仲間の言葉など耳に入らぬように本棚の蔵書を吟味し始めている。
これはちょっとやそっとじゃ終わらないだろう、と判断した仲間達も、渋々時間つぶしに本棚の本を漁ってみる。
アンジェは自分の身長で楽に届く範囲にあった本の背表紙を、順番に読み上げている。
「こっちにあるのは神秘学の書物だね。人狼、吸血鬼、竜……異種族の、生命力の秘密を解明し、人間の役に立てようってことみたい」
中の一つを手に取り、それが読める言語で書かれていることに気をよくした彼女は、意気揚々と目を通し始めたのだが、ほどなく眉間に深い皺を寄せて吐き捨てるように言った。
「獣人や吸血鬼の子供を浚ってきたと書かれてる。そして――……酷い」
「どうした?」
訊ねてきたロンドに向かって、無言で本を渡す。
彼がそれを開くと、そこには非道な実験や交配を行なった旨を、描写細かく書き連ねてあった。
色々な体験をしてきた冒険者の心胆をすら、寒からしめる陰惨な内容である。
「酷い。殺された者たちの恨みは深いだろうな」
「嫌なもんじゃのう。おちびちゃん、こっちにおいで。そんな書物は読まなくていいだろうよ」
呼ばわったテアの灰色のスカートに、アンジェがしがみつくように甘える。
隣にあった本棚の本に目を通していたシシリーも、まともな医者の技術とは思えない人体の腑分けについての医学書に、軽蔑するような視線を注いでいる。
恐らくは、攫ってきた人材を実験台にしていたのだろう。
そんな中、静かに魔術書を読んでいたテーゼンが、珍しく鼻で笑うように言い捨てた。
「まったく、力を追い求める人間というのは、こうも熱っぽく愛しいものか」
「……」
その言い様に正体の分からない不安を覚えたシシリーが彼を見つめるが、美貌の青年はそれに取り合わず、他の書物へと手を伸ばす。

「他には……教団には重要なアーティファクトを保管するとも書いてある」
「あーてぃふぁくとぉ?」
「……強力な魔法の品のことだよ、白髪男。ちょっとはその脳みそに知識ってもんを入れておけよ」
「うっせえ、黒蝙蝠!余計なことばっかり知ってやがって」
「今役に立ってるだろ。記述から見るに、魔神に関連した祭器のように思えるが」
「……そのアーティファクトはどうなったんだろう。他の拠点に隠れされているのかしら」
シシリーの質問に答えられる者はいない。
一応、その件に関しても治安隊の隊長に話しておこう……と意見が纏まったところで、かなり没頭しているらしいウィルバーへ声をかけ、現実に戻って貰うことにする。
「あの、ウィルバー。何か気になるものでもありそう?」
「……少し待ってください。っと……」
ぱらり、とページを捲る音がする。
手にしているのは、見たこともない素材の青い表紙をした本であった。
「なるほど……これは――」
「何か見つかった?」
「これは、教団の経典のようなのですが…どうも奇妙なのです」
愛用の竪琴を撫でていたテアが聞き返す。
「どういうことじゃ?」
「”終末の空色”はけして歴史のある教団じゃないと思います。むしろ新しい」
「うむ、そういう話じゃったの」
「なのに、この経典は書かれてから、百年はゆうに経っていて…しかも、魔術師すら難しい古代語で、暗号化されている部分もある」
「……つまり?」
すっかり焦れてしまったせいか、シシリーが勢い込んで尋ねたが、ウィルバーは軽く肩を竦めてそっけなく言っただけだった。
「分かりません。詳しく調べてみる価値はありそうですね」
魔術師の手が素早く動き、治安隊の目を盗んで経典を荷物袋に忍ばせる。
目を丸くしてテアが注意した。
「おい、それはさすがに不味いぞ、ウィルバー殿」
「しっ。操作上有用な情報があれば、上手く治安隊に流しますよ――」
「……いいのかなあ」
若干不満げなアンジェの視線もなんのその、彼は先に立って下水道の出口へ歩き始め、慌てて他の面子も彼の後を追う。
宿へ帰る前に、隊員の一人から依頼を果たしてくれた報酬として、銀貨800枚(危険手当含む)を渡された。
真夜中近くの出動であったにも関わらず、翌日の起床はまだ午前中の早い時間で、いつもはパーティでも早く目覚める方であるシシリーが起き上がった時には、同室のアンジェやテアの姿はもうなかった。
「ふぁ…ぁ。朝か」
あまりいい寝覚めではなかった。
地下下水道の冷気が体をすっかり冷やしたのか、空色教団の所業が夢見を悪くしたのかは分からない。
惰眠を貪る習慣はないので、部屋に備え付けられた洗面器で顔を手早く洗い、口を塩で磨いてゆすぐと、彼女は階下の酒場へと向かった。
いつものテーブルにつき、中を見回す。
おおよそ、いつもの面々が朝食を前に談笑したり何やら準備をしたり、貼り紙を眺めていたりした。
「おう、シシリー。おはよう」
「おはよう、親父さん」
目ざとく彼女を見つけて挨拶した宿の亭主の声が耳に入ったのか、違うテーブルで先輩冒険者たちに今までの冒険譚を聞いていた仲間達が振り返る。
アンジェの顔がぱっと花開いた。
「あ、姉ちゃん。おはよう!」
「おはよう、アンジェ。皆」
旗を掲げる爪がわらわらといつもの席へ移動を始めた中、宿の亭主がハーブティを運んでくる。
後ろのカウンターには、大鉢に入ったスープや目玉焼き、まだ温もりを残したパンが乗っており、これが今日の朝食ということらしい。
「皆もそうだが、お前さんも、早く起きてきたじゃないか。昨日は治安隊の仕事できったはったがあった、というから疲れてるのかと思っていたぞ…」
「それはそうなんだけど、なんだか眠りが浅くて」
シシリーが、カップから立ち昇る独特の芳香と湯気を顎に受けながら苦笑すると、亭主は太い眉を上げて
唸った。
「いつもと違うと感じる時は、ことさら気をつけたほうがいい。些細な差が、致命的な状況を呼ぶことだってあるからな」
「……。いつもと違う」
ロンドが呟く。
「ん??」
「親父さんの真面目なノリが」
「ばかもん。茶化すんじゃない。それと、準備が出来ていたら朝飯を食ってしまわんか」
はーい、と気の抜けたような返事をして、皆思い思いにテーブルへ順番に並べられていくご飯へ手を伸ばす。
「みんな早いね」
「うーん、それがね、姉ちゃん。冒険の依頼って波があるでしょ。昨日までろくな依頼がなかったのに、次の日から美味しい仕事が次々来るとか」
「うん、たまにそういう日もあるよね」
「昨日までがろくなのなかったから、今日あたり、波が変わっていい依頼が貼り出されるかと思って……」
「なるほど。で、早起きの結果は?」
「全滅」
アンジェによると、下水道掃除に銀貨200枚からのゴブリン退治、新薬の実験台になってくれという依頼など、嫌な予感のするものしか貼ってなかったらしい。
スープに沈んでいた野菜をスプーンで掬っていたテーゼンが横槍を入れる。
「今日は午後から雨だ。下手に外に出るよりは、宿にいる方がマシかもしれねえぜ」
生気に溢れた碧眼が、やや曇ったガラス窓の向こうに広がる空を見やる。
「今は晴れてるけど、分かるの?」
「虫の動き、鳥の声、木々の様子……自然観察が教えてくれることは少なくない」
シシリーはため息をついた。
彼の感覚はよく当たる。
どんな仕事を受けても、今日は雨に祟られるということだ。
それを聞いていた仲間たちにも、今日はあまり仕事にかかりたくない空気が漂い始めている。
「すぐ銀貨に困るということもないし、今日は宿で過ごす?」
「そうねえ…あ、この目玉焼きはベーコンエッグだったの。気づかなかったわ」
「三週間熟成だぞ。高級品だ」
「熟成品かぁ。一度、旅で出会った料理を再現して、親父さんに食べて貰うのも悪くないわね」
「……わしも命は惜しい。テーゼンの料理はまだ食いたくないぞ」
「うん、俺も食べたくない」
「え、なんで!?」
「お前、≪赤い一夜≫事件の差し入れを再現したいとスープを作ろうとして、何でスライムみたいなべとべとが出来上がるんだ!?」
「僕にだってわかんねえよ、そんなの!?」
「いや、分かれよ黒蝙蝠!試食頼まれたこっちは地獄を見たわ!」
喧しくなり始めた宿の亭主とロンドとテーゼンの言い争いを見て、ふとシシリーが気づいた。
いつも適当な辺りで止めてくれる人材がいない。
「そういえば……ウィルバー、まだ起きてきてないのね」
「え、確かおっちゃん、起きてるよ。えーと、どこ行ったっけ」
「うむ。ウィルバーなら、屋根裏部屋を貸してくれとか言って、本を持って篭っていたな」
「本を……?」
亭主の口添えに何か言い知れぬ不安を覚えたシシリーの脳裏に、先ほど宿の亭主が彼女に伝えた一言が浮かび上がった。
『いつもと違うと感じる時は、ことさら気をつけたほうがいい』
いつもなら、他のメンバーが魔法の品を見つけても慎重に扱うように釘を刺すのが、ウィルバーの役回りのはずだ。
酒場に顔も出さず、書物を持って部屋に篭る――些細なことだが、違和感を感じる。
「ちょっと様子見てくる」
「ああ、屋根裏に上がるんなら、ウィルバーの朝食も持って行ってやれ。洗い物が片付かん」
「わかった」
熱いからこれに載せていけ、と胡桃材のお盆を渡される。
礼を言って屋根裏部屋――四階へと上がる。
≪狼の隠れ家≫の屋根裏部屋は、冒険者が発見して改造したという地下室の一部と同じで、物置と化している。
違いは食料品かどうかというあたりだろうか。
屋根裏に置かれているもののほとんどは、宿に所属している冒険者たちが普段旅に持っていかない予備の武器や、仕事で入手したものの使わなかったアイテムなどである。
シシリーが使っている≪光の鉄剣≫やロンドの≪マスタースコップ≫なども、本来はこの部屋に放り込まれていた予備武器で、それらを依頼で手に入れた先輩冒険者から許可を貰って使っている。
もし資金が貯まったら買い取って自分の所有としても構わない、と言われているので、ロンドなどはパーティの財政に余裕が出来たら、速攻で愛用の品と成り果てているスコップを買い取るつもりでいる。
ただ、≪光の鉄剣≫は旧時代の量産品であり使い減りしてしまうので、もし何かの機会があれば、シシリーも武器を変えなければと考えているのだが……。
そんな事を思いながら階段を上がりきり、シシリーは屋根裏部屋の扉をノックした。
「ウィルバー。親父さんから朝食もらってきたわ」
「ああ。入ってください」
応えはすぐあり、やや安堵したシシリーが入室する。
ごたごたした部屋の中、蝋燭を一本灯した状態でウィルバーが本を読んでいる。
「そこに置いておいてください。後でいただきます」
彼の周りには、メモや辞書が散乱していた。
「ウィルバー」
「………」
彼は手元の書物に没頭し、答えを返さない。
「『空なるものに満たされるは……』これは、”器”と訳すべきか」
「ウィルバー!聞いてるの。昨日からずっとやってたの?」
ウィルバーは大声を出されて、初めて彼女に気づいたように目を瞬かせる。
「……ああ、まあ。二時間くらいは眠ったかも」
「その本――経典だっけ。いったい何なの?」
「難しいですね。詩のようでもあるし、歴史のようでもある。長い魔法儀式のようにも思える」
「…危険なものじゃないの?治安隊か、賢者の搭に預けた方がいいような――」
「いえ…もう少し訳してみないと、危険かどうかは分かりません」
普段なら何気ない、ウィルバーの返答。
だが――それが、強い拒絶のように聞こえた。
内心のもやもやを閉じ込めるように拳を握り、シシリーが叫ぶ。
「あの場所から無断で持ち出した、しかもあんな危険な教団の書物なのよ!聖北教会内の過激派にでも知られたら、下手すれば――」
続く言葉をとっさに飲み込む。
シシリーは、やはりおかしいと思った。
いつもであればこんなこと、むしろウィルバーが言いそうなセリフである。
「………そうですね。気をつけることにします」
2人の間に、これまで感じたことのない気まずい沈黙が続く。
先に口を開いたのはウィルバーのほうだった。
「でも、あと少しで概要に手が届きそうなのです。少しだけここに置かせて下さい」
「どこに行くの?」
と問うたのは、本を床に置いたウィルバーが立ち上がり、≪万象の司≫を手に、ドアの方へと歩き始めたからである。
「雨が来ないうちに、治安隊の詰め所へ。確かめたいことがあります」
「食事は?」
「食欲がないのです。すいません」
パタン、と扉が閉まる。
シシリーは空しく湯気を立てている朝食用の盆の横に置かれた経典を手に取り、ページをめくってみた。
狂気を感じさせるほど細かい文字。
どこか異世界の気配をたたえた数々の挿絵、図――そして何より、手にしたその表紙の不気味な手触りが、シシリーの背にうすら寒いものを呼び起こした。
まるでそれは、魔物の肌に触れてしまったかのような、湿った、纏わりつく感触だった。
2016/03/12 11:52 [edit]
category: 迷宮のアポクリファ
Sat.
赤い一夜その2 
パーティが割り振られた見張り所は、小さな無人の家だった。
ドアや窓もしっかりと閉じ、暖炉はいつでも使える状態で残ってはいるが、現在火は使えない。
煙で見張りに気づかれる恐れがあるからである。
耳に届いた微かな水滴の音に、テーゼンは眉をひそめた。
「……雨か」
雲が空を覆いつくしているため、月が顔を出せず、奇襲を目論んでいる治安隊側にとっては有利な条件ではあるが……その代償として、四肢がかじかむような寒さが襲ってくる。
体を擦って耐えるものの、冷気は容赦なく室内へと滑り込んできた。
テアは震えの止まらなくなってきたアンジェの小さな体を毛糸のショールで包み込み、抱き上げて椅子に座る。
その2人を守るように毛布をかけたのはウィルバーで、彼はテーゼンやシシリーにも毛布を被るよう無言で指示していた。
頑健さが売りのロンドにはまだ寒さは及ばないらしく、彼はただ無言で立ち尽くしている。
今、見張り所にしている家のように、この界隈は無人の家が多い。
静かだが、地理的な不便さが理由で寂れているのである。
≪赤い一夜≫のアジトも、そんな屋敷のひとつを乗っ取ったもののようで、盗賊という職業には不似合いなほど瀟洒な建築物であった。
それをカーテンの僅かな隙間から皆で睨んでいると、軽い軋みとともに開いたドアから、例のヒゲの生えた初老の男性が入ってきた。
「よう……寒そうだな。そんな調子じゃ満足に戦えねえだろ?良いモン持ってきたぜ」
彼は治安隊の中でも機動部隊を指揮する隊長であり、これまでの段取りを統括してきた立場である。
そんな男が自ら、綿入れに包まれた大きな鍋と瓶を持参してきた。
ぴくり、とロンドの目が動いた。
その二つ、特に瓶の方は、最近どこかで似たものを見た気がする。
白髪の重戦士の反応に気づいた隊長は、にやりと笑った。
「≪狼の隠れ家≫の親父の差し入れだ。具たっぷりのスープと、温めたワイン。今のお前らには何よりの逸品だろう?」
「うっわ、やべえ、親父さん拝んでおこう」
「これはこれは……我々にとって、最上の差し入れですよ」
「まだ結構温かいんだ……ほら」
武骨な彼の手が鍋の蓋を開けると、そこにはまだ熱そうな湯気を立てるスープ。
鉄瓶からは、これも火傷しそうなグリューワインがカップに注がれた。
ワインは『別室』で振る舞われたものと同じライムの芳香を漂わせ、スープもニンニクの混じった食欲をそそる匂いを鼻腔に注いでいる。
スープは亭主の名物料理の一つで、鶏肉・じゃが芋・人参・玉ねぎ・カブが大きめに切られて煮込まれている、相当に食べ応えのあるスープなのである。
寒さに震えていた冒険者たちにとって、これより有り難いご馳走があるだろうか?
「アンジェ、こぼさないようにね」
「大丈夫だよ、姉ちゃん」
「人参……ばあ様……」
「残すんじゃないよ、全部食べな」
全員が競うようにスープを平らげ、ワインはかじかんだ指を温めながら飲み干した。
ちゃっかり自分でも食べている隊長も、≪狼の隠れ家≫の名物料理はお気に召したようで、
「旨いな、このスープ」
と言って、木のスプーンを忙しげに動かしている。
宿の亭主の、文字通り温かな心遣いで腹ごしらえを済ませたパーティは、静かに時を待った。
心地良い緊張感が体を包む。
旗を掲げる爪は無言で頷き合い、得物を構えた。
瞬間――。
暗く沈んだ闇の中で、火薬のような破裂音が響いた。
合図である。
「さて、始めるかねぇ」
冒険者たちが真っ先にアジトに躍り込み、ロンドが体重に任せてドアを蹴り破る。
中は酒臭く、十数人の盗賊たちがテーブルを囲んで賭けカードゲームに興じているところだった。
倒すのは訳もないことだ。
しかし、冒険者がわざわざ雇われたのは一刻も首領を叩くためであり、こんな所で無駄な時間を使うわけにはいかない。
ウィルバーの鋭い双眸が、使える物がないかとさっと周囲を見渡し……水を溜めた大きな樽や、木で作られた重そうなシャンデリアが彼の注意を引いた。
樽を転ばしてやれば、未だ状況の把握も出来ていない盗賊相手のこと、効果的な足止めくらいにはなりそうだが、すぐ体勢を整えてこられても困る。
シャンデリアの位置が盗賊たちの真上にあることを瞬時に見抜いた魔術師は、こちらを使うことにした。
「凍える魔力よ、蒼き軌跡を描く帯よ…!」
彼の放った【蒼き軌跡】は、シャンデリアと天井を繋ぐ鎖をぶち抜き、盗賊たちの頭上へ見事に落としてみせた。
半分以上の盗賊がそれに押しつぶされ、残りもほとんどパニック状態である。
冷気を放ったのはあくまで鎖の部分だけだったので、まだ燃えていた灯火が破片とともに散らばり、盗賊たちの混乱を煽っている。
そんな状況を置き去りに脇をすり抜け、冒険者たちは奥の階段へと走った。
何人かこちらを止めに来た盗賊もいたが、さほど時間を食うこともなくロンドの体当たりで沈めて突破していく。
一階の鎮圧を治安隊に任せ、階段を駆け上る。
長い廊下の向こうに三階への階段が見えた。
わき目も振らず駆け抜けようと思ったパーティだったが、廊下の途中にある大きな扉の向こうで、なにやら騒がしい気配がしている。
シシリーがアンジェに囁いた。
「アンジェ」
「任せて、姉ちゃん」
ここは先ほどの部屋と違い、長い廊下と窓があるだけで役立てられそうなものは何もない。
ドアの向こうにいるだろう大量の盗賊を防ぐため、アンジェは懐から楔とハンマーを取り出すと、驚くべき早業でドアの下の数箇所に素早く打ち込んだ。

間一髪というところだろうか、
「おい、何だ、早く開けろよ!」
「開かねぇんだよっ!くそっ、向こうから何か抑えられてやがる」
という盗賊たちの荒っぽい怒声が聞こえてきた。
それを尻目に、パーティは階段に向かって走り、とうとう最上階の一際豪華な装飾の扉の前に辿り着いた。
手早くウィルバーとテアの支援を受け、ウィルバー自身が【理矢の法】を唱えて理力の矢を周囲に準備すると、シシリーは思い切りよく扉を開け放った。
首領の部屋と思しきその場所には、首領の他取り巻きが四人いるだけである。
冒険者たちの後ろから着いてきていた隊長が、
「チャンスだ!今なら楽に仕留められるぞ!」
と叫ぶ。
首領を逃がさないようテーゼンが接敵し、とりあえず厄介な魔術師からの呪文を防ぐため、他のメンバーが魔術師を攻撃する方針である。
だが、テーゼンが接近するよりも早く……。
「ふんっ!!」
首領の得物が、唸りを上げて旗を掲げる爪を吹き飛ばすように薙ぐ。
受けられるだけの援護を受けていたにも関わらず、シシリー・ロンド・ウィルバーがそれによって軽傷を負い、たたらを踏むこととなった。
お返しに、準備済みだった理力の矢の一本を首領に飛ばすと、ウィルバーは負傷した脇腹を押さえながら唸る。
「この男……中々やりますね!」
「ウィルバーさん、呪文に集中してくれ!」
ロンドが魔術師の一人の脳天をスコップでぶん殴り気絶させると、傭兵たちの手斧による攻撃を蝶の如くひらひらと回避していたアンジェが声をかけた。
「兄ちゃん、もう一人はあたしに任せて、もう行って!」
ロンドが見やると、彼女の指にはすでに鋼糸が生き物のように揺らめいている。
糸の先で四肢を束縛されてしまった魔術師が慌てているが、すでに後の祭りである。
「任せた!シリー!」
「治療が先ですよ!」
【癒身の法】でウィルバーの負傷を癒したシシリーは、残る傭兵を相手取るために≪光の鉄剣≫を構え直した。
さらにシシリーやロンドに残っていた怪我を、テアが【安らぎの歌】で緩和させる。
五体に痛みを感じなくなったロンドが、スコップによって首領の肩を激しく打ち、狼狽した盗賊が隙を作った。
その隙を見逃さず、部屋に羽ばたいた黒い翼が一対。
「そこだぁっ!!!」
「!?」
邪魔しようとした取り巻きの手斧を見事な低空ムーンサルトで回避しきると、テーゼンの放った【龍牙】が首領の心臓を貫いた。
「か、はっ……ハハハッ。手前ら、自分たちだけじゃ勝てねぇからって、冒険者、雇いやがったか……ッ!」
血の泡を吐きながら、盗賊の首領がどこか勝ち誇ったように笑う。
ひゅ、とサーベルの刃についた血を振り落として隊長が応えた。
残党はアンジェとシシリー、そしてウィルバーの【理矢の法】の攻撃によって、地に伏せている。
「これ以上、市民をお前らの食い物にさせる訳にはいかんのでな。なりふり構ってられんのさ」
首領は忌々しげに旗を掲げる爪の顔を見渡し――崩れ落ちた。
その後。
≪赤い一夜≫は首領や幹部をはじめとしてほぼ全員が捕縛、あるいは死亡した。
パーティは依頼をやり遂げたのである。
夜通し戦い続け、走り続けの仕事だったため、宿に帰還したパーティは風呂で汗と返り血を流した後に泥の如く眠った。
「よう、昨日は助かったぜ」
翌日の昼近く、冒険者たちがベッドの誘惑をどうにか振り切り起きてくると、昨日ともに戦った隊長が宿の亭主と歓談していた。
「おっ、やっと起きてきやがったか。今すぐ朝飯、いや、昼飯を出してやる」
そう言って厨房へと消えた亭主の姿を見送ると、隊長は椅子にかけろと手で示しながら彼らの顔を見渡した。
「今日は報酬を渡しに来たんだ」
隊長は腰につけていた重そうな皮袋を卓上へと差し出した。
アンジェが器用な指先で数えてみると、銀貨にして1300枚ある。
端整だが温かみに欠けるテーゼンの美貌が、愉快そうに笑ってみせた。
「ほう!僕たちはあんたにとって理想的な仕事ができたらしいな」
「ああ。俺が『理想的に行けばこんな感じだろう』って思っていた通りを地で行ったからな。報酬も上限いっぱい、気持ちよく払えるってもんだ」

報酬を受け取ってしばらくすると、宿の亭主が人数分の朝食を運んできた。
香ばしい匂いが冒険者の胃袋を刺激する。
じゅうじゅう音を立てる厚切りのちょうどいい焦げ目がついたベーコン。
目にまぶしい黄色のいり卵。
旨そうな香りのオニオンコンソメに、厚切りのトーストが二枚。
バターと、特にシシリーが好んでいるマーマレードも一緒だ。
「さて、朝飯だ。昨日は飯も食わずに寝ちまったからな。腹も減ってるだろう?」
「親父、俺も朝から食ってないんだ。同じものくれ」
「はいよ、毎度あり」
昨夜、凶悪な盗賊相手に死闘を繰り広げた者たちとはとても思えない、平和な食卓の風景。
冒険者の宿、≪狼の隠れ家≫の正午は緩やかに過ぎていく。
※収入:報酬1300sp
※支出:御心のままに(烏間鈴女様作)にて【劫火の牙】、万魔の街シュカー(のりしろ様作)にて【杭打ち】、水魔術専門店(にわかブロンティスト様作)にて【漣の拳】を購入。
※その他:水魔術専門店(にわかブロンティスト様作)の入店イベントにて300sp入手。
※flying_corpse様作、赤い一夜クリア!
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■後書きまたは言い訳
16回目のお仕事は、flying_corpse様の赤い一夜でした。
シナリオとしてはかなりシンプルなのですが、冒険者が各々の場面で『どういう行動を起こすか』が色々と練られている作品だと思います。あと、グリューワインおいしそう。
隠者の庵(Fuckin'S2002様)のキーコードにも反応してくれるのですが、今回はそちらは使わずに一番スタンダートな感じで首領の部屋まで駆け抜けました。
もしかしたら、【飛翼の術】持ってるからショートカットしちゃうかな?と思ったのですが、あいにくとキーコード反応には引っかからず。後で調べて判明したのですが、予め魔法で飛行召喚獣出しておかないと反応しなかったようです。
まだ私もチェック甘いですね。
他のプレイヤーさんが操るパーティだと、どんな感じでクリアしていくのか凄い興味があります。
シャンデリアじゃなく樽使う人もいるだろうし、奇襲で力技持ってく人もいるだろうし……皆のを見比べたら面白いだろうなあ。
特にもらえるアイテムがあるわけでもないのですが、こういうシンプルで色々とやりようがあるシナリオというのは違うパーティで何度か挑戦したくなります。
そして謝らなければならないことが作者様へ一点。
作中、衛兵団と書かれていた組織について、以前に依頼を受けた治安隊として書かせていただいております。まったく今まで接点がなかった組織からの依頼というよりは、前にちょっと手伝ったところとまた共同戦線って方が受け入れやすかったので……ご不快でしたら真に申し訳ありません。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/12 11:44 [edit]
category: 赤い一夜
Sat.
赤い一夜その1 
「そりゃね。こんなわけありの書き方をされてちゃ、無関心でいる方が難しいよ」
軽く肩を竦めてみせたアンジェは、視線をもう一度元に戻した。
宿の羊皮紙に書かれている文章は、次のようなものである。

『詳細は貼りだせないが、腕の立つ冒険者に引き受けて欲しい仕事がある。
仕事はひと晩で終わるもので、報酬は銀貨一千枚を予定している。
我々は早急に戦力を欲している。
我こそはと思うものは、是非手を貸して欲しい。』
戦力。
その単語が示している条件ははっきりとしている。
卓上に置かれていたナッツを摘んだまま振り回し、ホビットの娘は宿の亭主に向き直った。
「こんな急ぎの依頼で血腥そうな予感のする奴、久々じゃない?こないだのクドラ教の蘇生儀式阻止の仕事だって、こんな秘密めいてはいなかった筈だよ」
「ああ、そういや、あの仕事はあんた等に頼んでいたな…」
「あの手の仕事か?他にやる奴がいないんなら、俺たちで受けるけど」
軋む椅子に何とかバランスよく座っているロンドが、ぐるりと酒場の中を見渡す。
ここにいる他パーティじゃ実力的に受けられない、というわけではない――≪狼の隠れ家≫は、割と実力者の多い老舗である。
ただ、実力者ほど忙しく他に回せないような依頼を受けているもので、『今現在仕事を請けられる』『荒事にも冷静に立ち向かえる実力者』となると、とたんに数が減るのは確かだった。
「しかも、ひと晩で銀貨一千枚。なかなか凄そうな仕事じゃないかえ」
老婆のセリフに亭主も頷いた。
「まあな、生半な冒険者は回せないと思っていたところだ」
「首尾よくいけば、信じられないほど好条件の時間給だがの。うさんくさいのも確かじゃ」
ふむ、と顎に手をやった亭主がシシリーへと目をやる。
「今の私たちでいける仕事だと、親父さんは判断しているのですね」
「良ければその依頼について話してやるが、どうだ?」
「伺いましょう」
「分かった。少し『別室』に行っていてくれ」

宿の亭主の言う『別室』とは、内密にしたい依頼の話をするとき等に使われる、半地下の部屋だ。
まともな冒険者の宿なら、機密性の高い依頼を扱うために、こういう部屋が設けられているものなのである。
亭主から青銅製の鍵を渡されると、旗を掲げる爪は火を灯した燭台を手に、物置から設置された階段を降りて『別室』へ向かった。
普段、暖炉の火の暖かさが行き渡っている酒場兼食堂の一階とは違い、石造りである部屋は少し冷えている。
しかしその寒さこそが、冒険者たちに緊張感を思い出させてくれた。
「ちょいと暗いが、あそこのおかげでそうでもねえな」
テーゼンが示した天井のほうを見やると、鉄格子の嵌まった明り取り用の窓があった。
外から見ると宿の基礎の部分に当たり、植え込みなどでここが巧妙に隠されていることを、その時旗を掲げる爪は知った。
数分ほど待つと、ほどなく亭主が現れる。
「待たせたな。ここは冷えるだろうから、良いものを持ってきた」
宿の亭主の手に握られていたのは、リューンでよく流通している葡萄酒がなみなみと入っている鉄瓶である。
「火にかけておくから、話が終わる頃にでも飲もうか」
彼は鉄瓶を備え付けられている暖炉に掛けると、燭台から暖炉へ上手く火を移した。
ぱちぱちと、薪の爆ぜる音が聞こえ始め、部屋の中が少し暖かくなってきた頃。
ようやく亭主が重い口を開き、仕事の話を始めた。
「この仕事はリューンの治安隊からのものだ。最近、巷を賑わせている盗賊団で≪赤い一夜≫と呼ばれている奴等がいることは、お前さんたちも知っているだろう」
「≪赤い一夜≫……ええ、聞いたことがあります。何でも家族から下働きまで皆殺しにして、倉や金庫から金目の物を片っ端から盗んでいくとか」
ウィルバーは魔術師である友人の近所で被害が出ていることから、亭主の促しにもかなり詳しく答えを返すことが出来た。
ゆっくりと頷いた亭主は、
「そう、畜生働き専門の下種共だ」
と吐き捨てるかのごとく言った。
リューンでかなり長いこと店を経営している彼にとっても、盗賊騒ぎは他人事では済ませられない。
おまけにその手口が外道であるとなれば、≪赤い一夜≫が気に入らないのは自明の理だろう。
「財力のある商家が主な獲物で、もう何件も被害を出している。だが入念な捜査の結果、ついに潜伏先が分かった。そこでさっそく捕り物なわけだが、連中、かなり腕の立つ護衛を抱えているらしい」
「なるほど、それは面倒ですね…」
「そこで冒険者を雇おうという話になったが、大っぴらに依頼書を貼り付けて回ったら、相手に気取られるに決まってる」
「そこでおぬしが中継をしとったわけか」
ようやく事情が飲み込めたテアが口を出し、宿の亭主も苦笑交じりに首肯した。
依頼書に興味を持った中で信頼できる冒険者を見極め、わざわざ亭主自ら声を掛けるという段取りを組んでいたらしい。
依頼を出した治安隊も、長くリューンに根を下ろし、あちこちに伝手を持っている≪狼の隠れ家≫の亭主だからこそ、その目利きをずいぶんと高く買ってくれたのだろう。
厳しい顔つきになった宿の亭主が、釘を刺すように一人一人の顔を見渡しながら忠告する。
「ひと晩で銀貨一千枚の意味が分かっただろう。こいつは拘束期間こそ短いが危険な仕事だ。決して、割が良いなどとホイホイ受けていい仕事ではないな」
「ええ、そのとおりね」
リーダーであるシシリーは、比較的落ち着いた態度で亭主の言葉を肯定した。
自分たちの今の実力で受けられるかどうか、情報を集めて判断しようというのだろう。
亭主は表面には出さなかったものの、彼女のその様子に安堵した。
「それでもお前さんたちに話したのは、今までの依頼で信頼を置いているからだ。実力もだが、お前さんたちなら依頼を断っても、内容を吹聴したりせんだろうからな」
「そこは安心して頂戴…≪赤い一夜≫の規模っていうのは分かってるの?」
「正確な規模は分かりにくいが、50人は下るまい」
「50人………か」
シシリーは難しい顔になった。
人海戦術というのはなかなか馬鹿に出来ないのである。
特に呪文に集中したり、呪歌を奏でようかとしている仲間達を守るのに、どっと敵の群れに寄ってこられては護りきることが困難になってくる。
ただの強盗団にしては普通じゃない規模である。
身の引き締まる思いがした。
依頼を出した側である治安隊は、70~80人ほどの戦力が出る予定だという。
そちらは雑魚を相手にしてくれるというから、シシリーは50人全部を相手する必要がなくなったと肩から力を抜いたが、亭主はすかさず注意する。
「ただし相手が雇っているという傭兵や魔術師……つまり、一番手強い敵の相手をするのはお前達だ。重ねて言うが、楽は出来んぞ」
「50人真っ当に相手するよりはマシでしょう。そう……ある程度、人数が減っているのであれば、色々やりようもあるかもしれないわ」
「横から失礼。親父さん、報酬の値上げはできるんですか?」
「賃上げ交渉なら今言っても無駄だ」
ウィルバーのセリフに亭主は微笑んだ。
すでに治安隊と亭主の間で話はついており、向こうは手際の良し悪しで三割増しまで出せると口に出していたという。
つまり働きで増額を目指せ、ということだろう。
肝心の決行は一週間後の深夜だという。
亭主は卓上で逞しい腕を組み、身を乗り出すようにして問うた。
「では決めてくれ。この依頼、引き受けてくれるか?」
「引き受けましょう。報酬もだけど、私たちの腕と人となりを信頼して、話を聞かせてくれたのでしょう?」
悪戯っぽく微笑んだ彼女の、春の海のような碧眼がキラキラと光っている。
どちらかと言えば背が高いだけで平凡な容姿のシシリーだが、こんな風に依頼に対して好奇心を露にしている時は、対峙する側の方が狼狽したくなるほど美しく見える。
「それに応えなければ冒険者とは言えないわ」
「ハハッ、それは頼もしい限りだな!」
亭主は自分の狼狽を吹き飛ばす勢いで笑ってみせると、
「ではこの依頼の話も、進めて構わんな。紹介状を書くから、それを持って治安隊の詰め所に行ってくれ」
と切り出した。
「今すぐにか?」
ロンドは鉄灰色の鋭い双眸をきょとんとした様子に変え、亭主を見る。
「勿論だ。あっちはずいぶん気を揉んでいるぞ?このまま増援が得られなかったらどうしようとな」
「でもだって……葡萄酒……」
酒豪である彼の鼻腔には、鉄瓶で温まったワインの芳香がすでに届いていた。
宿の亭主もロンドの主張したい事に気づき、苦笑いしながら口を開いた。
「と言っても、こいつを飲んで行くぐらいの時間はある」
「やった!さすが親父さん」
「調子のいいやつめ!飲んだ量ぐらいの仕事はしてくれよ」
宿の亭主は葡萄酒にライムの輪切りを浮かべ、旗を掲げる爪に差し出した。
木製のカップに入った酒からは柔らかな湯気が立ち、酒精の甘い香りと、ライムの爽やかな香りが部屋中に満ちる。
冒険者たちはホットワインを飲んで体をすっかり温めると、白い息を吐きつつリューンの街の中心部へと向かった。
治安隊の詰め所なら、パーティは今までの冒険者稼業の中で何度か訊ねる機会はあった。
例えばクドラ教の怪しい儀式をしていた賞金首を捕まえた時、人魂が出ると評判の屋敷について情報を得ようとした時などに。
そこはなかなか大きな建物で、石組みの堅牢な造りをしていた。
門には常に見張りが2人ついている。
見張りの一人が冒険者たちの姿を認めると、警戒を緩めて声をかけてきた。

「おや、旗を掲げる爪じゃないか。今日はどんな用だい?」
「仕事の話ですよ。紹介状を預かっています」
魔術師が白い封筒に包まれた紹介状を渡すと、彼らはそれを広げて目を通した。
鉄兜に覆われた頭部がひとつ頷くと、
「わかった、奥まで案内するよ」
と言って、先に立ち部屋まで通してくれた。
そこは小さな会議室のような場所であり、恐らく亭主に頼んでおいた依頼も、この部屋で細部を検討したのだろう。
窓がひとつあるだけの殺風景としかいいようがない部屋の中、ひげを生やした初老の男性がパーティを迎えてくれた。
「ようこそ、≪狼の隠れ家≫の冒険者諸君。依頼内容の大筋は聞いていると思うが、念のためこの場でもう一度説明させて貰う」
彼は鎧をガチャリと鳴らしながらこちらに向き直った。
「依頼内容は我々が計画している≪赤い一夜≫殲滅作戦に加勢して貰うことだ。加勢と言うよりも、実質主力として戦ってもらうことになるだろうが……」
「手練れがいるそうですね?」
シシリーの鋭い切り込みに、彼は首を縦に振った。
「連中の雇っている用心棒がな。情けないことにうちの連中ではとても相手にならん」
≪赤い一夜≫のねぐら周辺には、すでにいくつかの見張り所を手配してあるそうだ。
決行する一週間後の深夜には、旗を掲げる爪はそういった見張り所のひとつで待機をし、合図とともに先頭に立って突入するよう要請したいと言う。
それはむしろ、斥候に最適の人員がいる彼らにとっては当たり前のことで、冒険者たちは特に反対することもなく先を促した。
「ここからが肝要だ。君らはわき目を振らずに敵の首領を目指して進むんだ。首領だけは確実に捕えてくれ」
「……ますますあの時の依頼に似てきたね」
にやり、と笑ってみせたのはアンジェである。
隠密行動やこっそり暗殺、こっそり束縛なんていう技も覚えてきている彼女にとって、今回の依頼は朝飯前という気分であるらしい。
だが言うは易き行なうは難し、である。
時間との勝負だ、現場では難しい判断を何度も迫られることだろう。
首領の周りには例の用心棒や話に出た魔術師がいるはずで、その分危険は大きい。
報酬の増額も、首領に辿り着くまでにどれだけ手際よく邪魔な戦力を排することができるかにかかっているのだろうと、ウィルバーやテアは人知れず頷いていた。
旗を掲げる爪は敵のアジトの位置と、自分たちが待機する見張り所の詳細を聞いてから、その日は宿へ帰ることになった。
決行まで、準備をする時間は十分にある。
2016/03/12 11:42 [edit]
category: 赤い一夜
Sun.
とある外交官からの依頼その2 
まるで空き家のようであった。
突如、数の少ない物陰から柄の悪そうな男たちが現れ、一行を取り囲んだ。
明らかに右手にナイフを仕込んで握っていると分かる小男が、不快な笑みを浮かべて言う。
「首領?それに…カモだと?」

鎖帷子を着たままだとどう考えても疑われるだろうと、革鎧を着た上から黒い外套を羽織って移民のフリをしているロンドが聞き咎めた。
ちなみに、普段の得物がスコップなものだから、とても武器とは判断されないだろうと彼は堂々とこれを手にしている。
一般人にしてはとてつもなく物騒な体躯の青年に、やや気圧されながらも小男は芝居を続けた。
「おっと失礼、移民の皆さん。早速だが、移民審査を始めたいんで、邪魔な身包みを置いていってもらいましょうか?」
言葉は丁重ながら、その態度と意味するところは山賊となんら変わりがない。
にやりとフードの下で不敵に笑うと、ロンドがジェドを振り返った。
「…あっさりと本性を表したが、それじゃこっちも、もう猫を被る必要はないよな、ジェドさん?」
「そうですな…身包みを剥がされるのは困りますが、『移民』の仮面ならば、もう剥がされてもいいでしょう」
なかなかウィットに富んだ返事である。
彼らの会話の意味するところに遅まきながら気づいた柄の悪い男たちが、
「てめえら、どっかの回し者か!?」
「やっちまえ!」
と騒ぎ立て始めたが、すでに無言のままシシリーは抜刀し、テーゼンが杖と見せかけていた槍を構えていた。
テーゼンの渾身の一撃が道を作り、後ろに魔法の発動体である杖を持っていた魔術師の一人を、シシリーは【十字斬り】で切り伏せる。
テアに向かってきた男たちのナイフを短剣で上手くさばくと、アンジェは自分に目標を変えた凶刃を、とんぼ返りで軽々と避けてみせた。
ロンドのスコップが横に軌跡を描いて男の一人を負傷させ、もう一人居た魔術師に対して、テアが【小悪魔の歌】を歌い上げて、まさに歌の小悪魔と魔法使いのごとく沈黙を強いる。
「さて、参りますか」
【理矢の法】で魔力による矢を召喚していたウィルバーは、陣形の端っこに居て駆け寄りづらい男の一人を、素早く詠唱した【蒼の軌跡】による冷気の帯で吹き飛ばす。
再び4人の仲間達が、各々の得物を手に室内に居る犯罪者たちを吹き飛ばし、テアの【まどろみの花】でもたらされた眠りが彼らに襲い掛かれば、あとの制圧はわけもなかった。
「ふむ……」
老婆がしげしげと辺りを見回して確認し、頷く。
「室内におる奴らは全員、倒したようじゃの」
「後は、我々をここまで連れて来たあの偽騎士…あの者が拉致団の首領であるならば、逃がすわけには…」
職務以上の熱心さを瞳に覗かせたジェドは、案内役の居るはずの外へ向かおうとする。
彼を止めようと、テーゼンが肩に手をかけたのとほぼ同時に、入り口の扉が開いた。
鳳凰の盾を片手に、偽騎士が現れる。
「お前ら…なかなか派手にやってくれたじゃねえか」
「おや、噂をすればというやつじゃの」
テアは醜い容貌からなる不気味な笑みを浮かべつつ、彼に対峙した。
「ずいぶんと手荒な審査で驚いていたところじゃ」
ジェドに落ち着く時間を与える為のパフォーマンスであったが、ジェドは抑制しながらも激昂した様子で厳しく偽騎士に詰め寄ろうとする。
「そなたの仲間は全滅させた。観念したまえ!」
「ふん…俺はなぁ、討伐に来たロレスの騎士だって返り討ちにしたことがあるんだよ。この盾が、その証だ!」

「……」
憎々しげに偽騎士を睨みつけるジェドを庇うように、テーゼンが前に立って穂先を敵へ向けた。
「年貢の納め時って知ってるか?もうそろそろ、てめぇには舞台を降りて貰わなきゃならんのさ」
「盾の鳳凰も、お前には飽き飽きした頃だろう。大人しくするんだな」
犬猿の中の2人の、思ったよりも息のあった掛け合いに、正体を露にした拉致団の首領は
「何者かは知らねえが、楯突く奴は同じ目に遭わせてやるぜ!」
と言って腰の得物に手をかけた。
抜刀すると同時に文字通り”飛び込んで”きたテーゼンの、【龍牙】による刺突をなんとか鳳凰の盾で捌いた首領だったが、あまりの強さに勢いを殺しきれずにたたらを踏んだ。
続けざまに会心の一撃と攻撃を放つ孤児院組みの3名の息の合い方に、明らかに驚愕の色を浮かべている。
「く、くそ!」
肉弾戦などできまいと高を括っていたウィルバーまでもが、≪万象の司≫によるフェイントをかけてきたのに苛立つと、彼は盾を持ったまま長剣で旗を掲げる爪を薙ぎ払った。
スコップで防ぎきったロンド以外は怪我を負ったものの、重傷にまで陥ったものはいない。
前に突出していただけに、一番大きな怪我を負っていたテーゼンはテアの【雨垂れの調べ】により回復し、自分の横を疾風の如く走ったアンジェの指から鋼糸が飛び出したのを、驚嘆の思いで見守った。
鋼糸は狙い過たず首領の四肢に絡みつき、その行動を封じる。
ウィルバーの放った【蒼の軌跡】が、鎧を着ているだけにいっそう厳しい寒気を首領に伝えた。
「な…何だこいつら…!」
「なあに…ただの冒険者さ」
ロンドの燃え盛るスコップが、手加減などとは無縁の強さで首領をぶん殴る。
何とか不屈の精神で鋼糸を引きちぎった敵は、もう一度【薙ぎ倒し】で旗を掲げる爪に痛打を与えはしたものの、すでにボロボロになっていた体に、もう一度【蒼の軌跡】に耐え切る力は残っていなかった。
「ぐおおおっ…」
首領格の偽騎士は一声呻くと、その場に崩れるように倒れた。
その後、館内を探索したところ、地下で囚われの身となっていた人々を発見し、これを救出した。
屋外で馬車も発見し、一行は救出した人々を乗せてリューンへと帰還した。
保護した人々の処遇やリューン治安隊との折衝等の事後処理は、全てジェドが対応することとなった。
報酬は次の日、≪狼の隠れ家≫まで持参することを約束して彼と別れる。
「ふあぁ、よく寝たわ…」
郊外の屋敷に着くまでに妙な緊張を強いられたせいか、少々寝過ごしたシシリーが欠伸を漏らしながら一階に下りていくと、給仕の娘さんから客の到来が告げられた。
見やると、粗末な外套による変装をすでに解いているジェドが座っている。
「シシリーさん、こんにちは。昨日は大変お世話になりました」
「こんにちは。こんな格好でごめんなさい」
彼女が慌てて少し癖のついた金髪に手をやると、彼は笑って気にするなと告げた。
「お疲れなのでしょう?」
「ええ…戦闘はそうでもないんですけど、そこに行くまでに緊張したものだから…」
「依頼が上手くいったのもあなた方のおかげです。報酬をお持ちしましたので、ご査収のほどお願いいたします」
彼が差し出してきた皮袋の中身を確認すると、銀貨にして1200枚の報酬が入っている。
「それと…こちらもお受け取りいただきたく存じます」
「え?」
ジェドが卓上へ丁重に置いたのは、あの青い鳳凰の盾であった。

「この盾は、あの偽騎士の…?」
「はい、そうです。しかし、その盾の本当の持ち主は…私の息子でした」
沈痛な面持ちでジェドは説明した。
「拉致団に返り討ちにされた騎士が居たという話、覚えてますでしょうか?」
「ええ、あの首領が自慢にしていた…」
「その騎士というのは…私の息子だったんです」
「まあ…」
しかし、公務に私情を持ち込むべきではなため、そのことに触れずにいたらしい。
なんと言葉を紡いでいいか分からないシシリーに、ジェドは何かから解放されたような顔でさらに言葉を重ねた。
「…結果的に仇を討ち、遺品の盾も取り戻せました」
「そうだったんですか…しかし、そんな大切な遺品を頂くなんて…」
「皆さんのような実力ある方にお持ちいただけるなら本望ですし…不要ならば、売って報酬の足しにしてくださいませ」
彼は痩せすぎの体躯を綺麗に正すと、改めてシシリーに頭を下げた。
「一外交官として、そして一人の父親として、皆さんにお礼申し上げます。ありがとうございました」
ジェドはまだ後処理が残っているという。
今日はこれで失礼しますという元依頼主を、シシリーは入り口を出て見送った。
復讐の激しさから解き放たれた男の背中を眺めながら、シシリーは彼に本当の幸あれと聖北の神に祈らずにいられなかった。
※収入:報酬1200sp、≪鳳凰の盾≫→テア所有
※支出:
※アレン様作、とある外交官からの依頼クリア!
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■後書きまたは言い訳
15回目のお仕事は、アレン様のとある外交官からの依頼でした。
中堅どころのシナリオが多いアレン様の作品には、他にもうひとつ街灯の精霊という可愛いキャラクターが出てくるシナリオもあり、どちらを旗を掲げる爪でプレイしようか迷ったのですが、すでにそちらを書き起こした面白いリプレイがあるため、こっちを選択しました。
途中でシシリーがジェドについて「寂しそうな哀しそうな人」とコメントしていますが、この辺は私の創作です。
復讐ってエネルギーが要るものだとは思うのですが、今回のケースだと息子を失った寂しさと哀しさが憤りの裏に隠れていたんじゃないかと…。
外交官としても法の側に立つ人間としても過不足のないジェドという男が持つ影を、上手くリプレイで表現できていたら…と思ったのですが、どうも力量が足りないようです。
アレン様、ご不快に思われましたらどうも申し訳ございません。
頂いた≪鳳凰の盾≫は、今のところテアに持たせることにしようかと思っております。
こちら、沈黙時でもカードを交換することの出来るアイテムで、重傷時に使用者へ技能カードを配布してくれるそうです。
使用時の能力値修正で回避が下がるのですが、テアは基本鈍重なので、防御や抵抗が上がることのほうがありがたかったりします。
適性としてはシシリーでも身につけられるのですが、彼女はすでに光精の賢者のおかげで、スキルカードが自動配布される状態にあるので…。
4000spもあれば、少し技能を増やしてもいいかな?
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/06 13:05 [edit]
category: とある外交官からの依頼