Sat.
旧き沼の大蛇その3 
「沼の奥の遺跡…?」
アントンは太く坐った鼻をしばらく掻いていたが、やがてあぁと声を上げて冒険者に言った。
「あの瓦礫の山のことだベな。なんだ、あんた達もあの瓦礫の山に興味があるだか?」
「…あんた達”も”?」
すかさず聞き咎めたアンジェに、アントンは頷く。
アントンは太く坐った鼻をしばらく掻いていたが、やがてあぁと声を上げて冒険者に言った。
「あの瓦礫の山のことだベな。なんだ、あんた達もあの瓦礫の山に興味があるだか?」
「…あんた達”も”?」
すかさず聞き咎めたアンジェに、アントンは頷く。
-- 続きを読む --
「うんだ。何年か前にな、お偉い学者さん達が大勢やってきて…あの瓦礫の山を調べていったことがある」
「ほほう。その結果を記したものか何か、ここに残ってはいないかえ?」
そんなものは…と老婆に否定しかけたアントンだったが、ふと思いついたように呟いた。
「…確か、そんとき学者さん達が忘れていった本があったよなぁ。おいら字が読めねっから、使いようがないんだけども…」
えっと、と口に出しつつ彼はごそごそ棚の中を引っ掻き回し始めた。
やがて薄汚れた衣服の山の中から、赤い表紙の分厚い本を取り出す。
「あった、あった…おいらが持っていてもしょうがねぇし欲しいならあんた達にやるだよ」
「ほんとかえ!?いいのか!?」
「かまわねぇだ。さっき言ったように、おいらは字が読めねぇもの」
「姉ちゃん、これ…!」
「ええ、魚人語辞書って書いてある!」
興奮している世代間の広い女性陣に、ぼそりと依頼主は呟いた。
「それにしても…冒険者っつーのはただなら何でも持っていくだなぁ」
「あなた…命が惜しいのなら、間違ってもテアさんやアンジェにそのセリフは言わない方がいいですよ。ただでさえ好感は持たれてませんから」
「そ、そうなのか?」
恐ろしいほど淡々としたウィルバーの忠告に、アントンが怯む。
頼りないように見えるにしろ、理解できない書物を喜んで貰っていくにしろ、この冒険者達がヒドラを何とかしないことには、彼も生計の道が閉ざされたままなのである。
これ以上余計なことを言って帰られるよりは、と彼は以後沈黙を保った。
貴重な書物を大事に抱え、旗を掲げる爪は再び例の遺跡へと戻った。
辞書と首っ引きになりながら、シシリーがどうにか翻訳を果たす。
「まず祭壇に、湿原に生える紅きムナの実、そして朽ちた木の影に宿りし激昂茸を供えよ。ええっと…続いて邪を打ち払う聖なる力にて、祭壇を清めよ。されば、蒼き炎吹きあがりて、天を焼くなり……」
「ふんふん…」
「こは異の異なるを焼く火なり。ゆえに聖なる火と称す…これだけね。他には何も書かれていないわ」
「ムナの木に、激昂茸か」
石版から身を離した幼馴染に、ぼんのくぼを叩きながらロンドが確認した。
そして全員を見渡して言う。
「両方とも湿原の植物だ。この辺りを探せば見つかるかもしれないが…」
「邪を打ち払う聖なる力って何なのかしら…?」
ロンドの疑問点を引き取って、腕組みしたアンジェが発言する。
しばし考え込んでいたウィルバーが、恐らくは、と推測を口にした。
「神聖な力の発現を指しているのではないかと。つまり、シシリーの【十字斬り】や、一般的な僧侶が唱える【亡者退散】の術のことではありませんか?」
「アンデッドをやっつける力ってこと?なるほどね…じゃ、問題は解決したんじゃない?」
アンジェは仲間たちの気を引き立てるように両手を広げ、生き生きとした表情で口を開いた。
「つまり、ここでムナの実と激昂茸を採取して、姉ちゃんに法術を使ってもらえばいいんだよ」
「蒼き炎ってなんなのかまだ分かってねぇぞ」
「それはまた後で考えようよ。とにかく、今は動く時期なんだと思う」
「そりゃそうだ。ほら、行こうぜ黒蝙蝠。グダグダ考えるのはもう終わりだ」
「うるさいな、白髪男。まったく考えなしなんだから……」
ぶつぶつぼやきながらも、テーゼンもまた、謎が解けたのだからいい加減行動に移りたいと思っていたらしい。
旗を掲げる爪は、テーゼンの上方からの斥候報告とアンジェの聞き耳を頼りに、沼地の危険を回避しつつ必要なものを採取することにした。
歩道に倒れた潅木の陰に生えた茸をそっと採取し、湿地帯の低木についた小さな赤い実をもぎ取る。
途中で毒液を撒き散らすトードを振り切れず戦い、多少の怪我を負いはしたものの、どうにか蛙を片付けてまた古代遺跡へと戻っていった。
なにしろ、ここの祭壇を使わねば聖なる火とやらは作成できないらしい。
激昂茸もムナの実も、どちらも時期が悪かったせいか先ほど採取した分しか生っていなかった。
うっかり失敗すると、もう作ることは出来ない。
ウィルバーは慎重な手つきで祭壇へそれらを供えた。
一握りの赤い果実の中に、茶色い平凡そうな見かけの茸が一本乗せられている。
シシリーはそれらを見やると、深呼吸してから法術を発動した。
不浄な存在に深手を負わせる【十字斬り】の技である。

白く神々しい光を放つ≪光の鉄剣≫の刀身を、そっと祭壇へ近づけて押し付ける。
すると、壁の石版が一斉にひび割れ、砕け散った。
「…な、何、何なの!?」
さすがに狼狽したシシリーを他所に、冒険者たちを取り巻く景色が一転した。
まるで現実感のない、赤と白の空間……その中、ただひとつ、本来の色彩を残した祭壇がほのかに青白い光を放ち始める…!
「火…火だ。ほら、青い炎が…!」
ロンドはそこまで言うと、急いで松明の火を消し、白い煙を放つ松明の先端を今にも消えようとしている青い火に近づけ、聖なる火を移した。
ドン!という腹に響く轟音とともに床が揺れる。
遺跡が崩れる、と思い込んだ一行は慌てて頭を抱えるが…。
「え…?」
くすんだ石造りの瓦礫。
シシリーは先刻と変わらぬ景色にいる自分に気づき、訝しいように声を上げた。
先ほどの赤と白に彩られた空間との格差に、辺りをしきりと見渡していた旗を掲げる爪であったが、ふと現実主義者のアンジェが気づき慌てた。
「火…火は!?火はどうなったの!?」
祭壇に駆け寄ると、すでにあの青い炎は消え去っている。
黒い煤に覆われ、大きなひびが十字に走っていた。
ひびの具合を確かめようとしたアンジェだったが、彼女が触れると祭壇は粉々に砕け散った。
「……」
誰もが沈黙する中、黙ったままのテアが節くれだった指で地面を示した。
地面に転がった松明の先端に、青白い炎が燃えている。
「聖なる火だ…!」
やっとその感嘆を搾り出すと、黒いローブを優雅に捌いて彼女は松明を拾い上げた。
旗を掲げる爪は、どうやってその火を使ってヒドラと戦うかをシミュレーションしてみた。
前に立つのは、先ほどと変わらずシシリーとロンドとテーゼン。テアとウィルバーは後ろから彼らを援護する。そいて、アンジェは…。
「これで焼いて回ればいいってわけね。了解」
「おちびちゃんに危ない役目を任せるのは業腹じゃが、テーゼンに前衛に出てもらう必要があるからには、他に身の軽い者もおらんしのう」
「≪早足の靴≫もあるのですから、アンジェならヒドラの攻撃も何とかさばけると信じていますよ。ちゃんと、戦いの前には【飛翼の術】で援護をしますので…」
「それやってくれるんだったら、首切った所を焼くくらい何でもないよ。任せて!」
自信あり気にない胸を叩いてみせるアンジェに、年長組みは一抹の不安を感じはしたものの、自分たちがやるのは能力的に無理がある。
一時的な飛行能力を授ける白い翼を術で生成し、ホビットの小さな背中に固定すると、彼らは今度、逃げ回る立場から一転して狩る者へと変わってヒドラを探し始めた。
いつ出会うのか定かではないため、今回は事前の支援魔法は最低限しかかけられない。
それでも、最初にヒドラにあった場所を目指して歩いていると、先ほど心胆を寒からしめた魔獣の咆哮が響いた。
六本に増えた鎌首がゆらゆらと立ち上がり、冒険者たちの姿を認めると、ヒドラは轟音を立ててこちらに向かってくるようである。
「上等だ…やってやろうじゃねぇか!」

槍を竜巻の如く振り回したテーゼンが首へ躍り掛かり、その全てを薙いだ。
スコップを振り回したロンドと長剣を正眼に構えたシシリーが、同じ首に向かって得物を叩きつけようとする。
するりとスコップを避けてみせたヒドラの首だったが、続けて振るわれた長剣には対処できず、むざむざと首の半ばまでを切りつけられた。
そのとなりをアンジェの放った【黄金の矢】が貫き、テアの【活力の歌】が一行の回避力と行動力を一気に上昇させた後に、ウィルバーの得意の呪文【蒼の軌跡】が、聖なる火に負けないほどの美しい蒼を作りながら、ヒドラの首の鼻っ面をやすやすと凍らせた。
「今ですよ、アンジェ!」
「はーい!」
喜び勇んだアンジェが、聖なる火の灯った松明を振り回して凍った首を焼くと、凍死してなお脈打っていた首が黒く炭化した。
「皆、これいけるよ!」
「アンジェ、やるじゃねぇか!」
魔法の翼で飛び上がっているホビット娘に負けないほど、高いところまで滑るように飛んでみせたテーゼンが、穂先に気の力を込めて眼前の首を貫く。
鋭い牙を見せたまま、その首は行動を停止した。
残りはまだ攻撃態勢を見せていると判断したテアが、すかさず【まどろみの花】で眠りを誘う。
全ての首が引き込まれる眠りに抗えなかったようである。
首たちのひとつは、たちまちロンドのスコップにギロチンのように落とされてしまった。
「あと二つ……これで後ひとつ!」
ウィルバーの指先から、また蒼く輝く冷気の帯が飛ぶ。
残った首は、テーゼンが素早く後ろに翼を使って回り込み仕留めた。
大きな地響きとともに、ヒドラの巨体が地へ倒れる。
びくりと動いた巨躯に気づいたロンドは、アンジェに急いで聖なる火で首を炙れと指示を飛ばすが、彼女はすでに魔法の翼を上手く動かして、その作業にかかっていた。
薄桃色の肉が、瞬時に黒い炭へと化していく。
手際よく次々と焼く手つきは容赦なく、ヒドラは火を当てられるたびに苦悶にのた打ち回ったが、アンジェは頓着なく作業を終わらしていく。
全ての首を焼き尽くすと、太く長い胴体だけとなったヒドラは身動きひとつしなくなった。
「…終わったわね」
というシシリーの安堵のセリフとともに、仲間たちは丸太のようなヒドラの体に背を預けて、濡れた歩道に腰を下ろす。
疲れきった体に沼地を遊ぶ微風が、この上なく心地良いと思った。
※収入:報酬600sp、≪魚人語辞書≫
※支出:
※GroupAsk様作、旧き沼の大蛇クリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
14回目のお仕事は、公式シナリオであるGroupAsk様の旧き沼の大蛇でございました。
やっぱり公式シナリオは、いつやっても変わらず面白いですね!
作ってくださったAsk様に改めて感謝したいと思います。
そうそう、最初の方で宿の亭主が欲していたムナの実の酒については、公式シナリオにはありませんが、酒と露店の街デューン(dabu様)にムナの実を用いたお酒が販売されています。
≪狼の隠れ家≫の亭主はそれが好きなことにしようかと…すごい面白い街シナリオですから、できれば旗を掲げる爪にも行って欲しいな、と思っています。
街シナリオといえば、これに出てくる魚人族に絡めて、水の都アクエリア(SARUO様)のお名前を出させていただいてますが、クロスオーバーしているわけではありません。
ただ、孤児院育ちのろくに法術も使えないシシリーやその仲間達が、なんで魚人語知ってるのかという疑問点を解消するのに、アクエリアのマリナーたちは非常に良いバックグラウンドになってくれるかと思い、幽霊屋敷(オサールでござ~る様)の後にそちらをプレイしております。
皆さんご存知のあの最後の選択については、やりませんでした。
単に不利なことになるというだけでなく、シシリーが割と善人なので、死体をぐちゃぐちゃ弄るようなことはロンドやアンジェが面白がってもやらせないんじゃないかと。
そんなわけで、ラストの方の場面は割愛させていただいてます。ご了承よろしくお願いいたします。
祭壇の『聖なる力』のところで聖水を使っていらっしゃるプレイヤーさんもいることを拝見し、「そうか…その手があったのか…!…」と目から鱗。
もし聖水があれば、あえて”神聖な攻撃”のキーコードついた技を用意せずに済むんですね。
今度機会あったらやってみよう。
さて、今回からいきなりレベルが5に達しておりますが、実は幽霊屋敷をクリアした時点で全員がなっていました。
アクエリアは結構要求がきついのでレベル4にして挑んでいましたが、ディープワンというマリナーが依頼を出している施設の冒険は、もうワンランク上でチャレンジしてもいいかと思う(少なくとも私はそうしたい)ので、ここから先はレベル5で冒険していこうかと思います。
報酬が少ないので、シシリー・ロンド・テーゼンの三名については技能枠がまだ空いているのですが、ある程度貯まったらまた買いに行きます。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
「うんだ。何年か前にな、お偉い学者さん達が大勢やってきて…あの瓦礫の山を調べていったことがある」
「ほほう。その結果を記したものか何か、ここに残ってはいないかえ?」
そんなものは…と老婆に否定しかけたアントンだったが、ふと思いついたように呟いた。
「…確か、そんとき学者さん達が忘れていった本があったよなぁ。おいら字が読めねっから、使いようがないんだけども…」
えっと、と口に出しつつ彼はごそごそ棚の中を引っ掻き回し始めた。
やがて薄汚れた衣服の山の中から、赤い表紙の分厚い本を取り出す。
「あった、あった…おいらが持っていてもしょうがねぇし欲しいならあんた達にやるだよ」
「ほんとかえ!?いいのか!?」
「かまわねぇだ。さっき言ったように、おいらは字が読めねぇもの」
「姉ちゃん、これ…!」
「ええ、魚人語辞書って書いてある!」
興奮している世代間の広い女性陣に、ぼそりと依頼主は呟いた。
「それにしても…冒険者っつーのはただなら何でも持っていくだなぁ」
「あなた…命が惜しいのなら、間違ってもテアさんやアンジェにそのセリフは言わない方がいいですよ。ただでさえ好感は持たれてませんから」
「そ、そうなのか?」
恐ろしいほど淡々としたウィルバーの忠告に、アントンが怯む。
頼りないように見えるにしろ、理解できない書物を喜んで貰っていくにしろ、この冒険者達がヒドラを何とかしないことには、彼も生計の道が閉ざされたままなのである。
これ以上余計なことを言って帰られるよりは、と彼は以後沈黙を保った。
貴重な書物を大事に抱え、旗を掲げる爪は再び例の遺跡へと戻った。
辞書と首っ引きになりながら、シシリーがどうにか翻訳を果たす。
「まず祭壇に、湿原に生える紅きムナの実、そして朽ちた木の影に宿りし激昂茸を供えよ。ええっと…続いて邪を打ち払う聖なる力にて、祭壇を清めよ。されば、蒼き炎吹きあがりて、天を焼くなり……」
「ふんふん…」
「こは異の異なるを焼く火なり。ゆえに聖なる火と称す…これだけね。他には何も書かれていないわ」
「ムナの木に、激昂茸か」
石版から身を離した幼馴染に、ぼんのくぼを叩きながらロンドが確認した。
そして全員を見渡して言う。
「両方とも湿原の植物だ。この辺りを探せば見つかるかもしれないが…」
「邪を打ち払う聖なる力って何なのかしら…?」
ロンドの疑問点を引き取って、腕組みしたアンジェが発言する。
しばし考え込んでいたウィルバーが、恐らくは、と推測を口にした。
「神聖な力の発現を指しているのではないかと。つまり、シシリーの【十字斬り】や、一般的な僧侶が唱える【亡者退散】の術のことではありませんか?」
「アンデッドをやっつける力ってこと?なるほどね…じゃ、問題は解決したんじゃない?」
アンジェは仲間たちの気を引き立てるように両手を広げ、生き生きとした表情で口を開いた。
「つまり、ここでムナの実と激昂茸を採取して、姉ちゃんに法術を使ってもらえばいいんだよ」
「蒼き炎ってなんなのかまだ分かってねぇぞ」
「それはまた後で考えようよ。とにかく、今は動く時期なんだと思う」
「そりゃそうだ。ほら、行こうぜ黒蝙蝠。グダグダ考えるのはもう終わりだ」
「うるさいな、白髪男。まったく考えなしなんだから……」
ぶつぶつぼやきながらも、テーゼンもまた、謎が解けたのだからいい加減行動に移りたいと思っていたらしい。
旗を掲げる爪は、テーゼンの上方からの斥候報告とアンジェの聞き耳を頼りに、沼地の危険を回避しつつ必要なものを採取することにした。
歩道に倒れた潅木の陰に生えた茸をそっと採取し、湿地帯の低木についた小さな赤い実をもぎ取る。
途中で毒液を撒き散らすトードを振り切れず戦い、多少の怪我を負いはしたものの、どうにか蛙を片付けてまた古代遺跡へと戻っていった。
なにしろ、ここの祭壇を使わねば聖なる火とやらは作成できないらしい。
激昂茸もムナの実も、どちらも時期が悪かったせいか先ほど採取した分しか生っていなかった。
うっかり失敗すると、もう作ることは出来ない。
ウィルバーは慎重な手つきで祭壇へそれらを供えた。
一握りの赤い果実の中に、茶色い平凡そうな見かけの茸が一本乗せられている。
シシリーはそれらを見やると、深呼吸してから法術を発動した。
不浄な存在に深手を負わせる【十字斬り】の技である。

白く神々しい光を放つ≪光の鉄剣≫の刀身を、そっと祭壇へ近づけて押し付ける。
すると、壁の石版が一斉にひび割れ、砕け散った。
「…な、何、何なの!?」
さすがに狼狽したシシリーを他所に、冒険者たちを取り巻く景色が一転した。
まるで現実感のない、赤と白の空間……その中、ただひとつ、本来の色彩を残した祭壇がほのかに青白い光を放ち始める…!
「火…火だ。ほら、青い炎が…!」
ロンドはそこまで言うと、急いで松明の火を消し、白い煙を放つ松明の先端を今にも消えようとしている青い火に近づけ、聖なる火を移した。
ドン!という腹に響く轟音とともに床が揺れる。
遺跡が崩れる、と思い込んだ一行は慌てて頭を抱えるが…。
「え…?」
くすんだ石造りの瓦礫。
シシリーは先刻と変わらぬ景色にいる自分に気づき、訝しいように声を上げた。
先ほどの赤と白に彩られた空間との格差に、辺りをしきりと見渡していた旗を掲げる爪であったが、ふと現実主義者のアンジェが気づき慌てた。
「火…火は!?火はどうなったの!?」
祭壇に駆け寄ると、すでにあの青い炎は消え去っている。
黒い煤に覆われ、大きなひびが十字に走っていた。
ひびの具合を確かめようとしたアンジェだったが、彼女が触れると祭壇は粉々に砕け散った。
「……」
誰もが沈黙する中、黙ったままのテアが節くれだった指で地面を示した。
地面に転がった松明の先端に、青白い炎が燃えている。
「聖なる火だ…!」
やっとその感嘆を搾り出すと、黒いローブを優雅に捌いて彼女は松明を拾い上げた。
旗を掲げる爪は、どうやってその火を使ってヒドラと戦うかをシミュレーションしてみた。
前に立つのは、先ほどと変わらずシシリーとロンドとテーゼン。テアとウィルバーは後ろから彼らを援護する。そいて、アンジェは…。
「これで焼いて回ればいいってわけね。了解」
「おちびちゃんに危ない役目を任せるのは業腹じゃが、テーゼンに前衛に出てもらう必要があるからには、他に身の軽い者もおらんしのう」
「≪早足の靴≫もあるのですから、アンジェならヒドラの攻撃も何とかさばけると信じていますよ。ちゃんと、戦いの前には【飛翼の術】で援護をしますので…」
「それやってくれるんだったら、首切った所を焼くくらい何でもないよ。任せて!」
自信あり気にない胸を叩いてみせるアンジェに、年長組みは一抹の不安を感じはしたものの、自分たちがやるのは能力的に無理がある。
一時的な飛行能力を授ける白い翼を術で生成し、ホビットの小さな背中に固定すると、彼らは今度、逃げ回る立場から一転して狩る者へと変わってヒドラを探し始めた。
いつ出会うのか定かではないため、今回は事前の支援魔法は最低限しかかけられない。
それでも、最初にヒドラにあった場所を目指して歩いていると、先ほど心胆を寒からしめた魔獣の咆哮が響いた。
六本に増えた鎌首がゆらゆらと立ち上がり、冒険者たちの姿を認めると、ヒドラは轟音を立ててこちらに向かってくるようである。
「上等だ…やってやろうじゃねぇか!」

槍を竜巻の如く振り回したテーゼンが首へ躍り掛かり、その全てを薙いだ。
スコップを振り回したロンドと長剣を正眼に構えたシシリーが、同じ首に向かって得物を叩きつけようとする。
するりとスコップを避けてみせたヒドラの首だったが、続けて振るわれた長剣には対処できず、むざむざと首の半ばまでを切りつけられた。
そのとなりをアンジェの放った【黄金の矢】が貫き、テアの【活力の歌】が一行の回避力と行動力を一気に上昇させた後に、ウィルバーの得意の呪文【蒼の軌跡】が、聖なる火に負けないほどの美しい蒼を作りながら、ヒドラの首の鼻っ面をやすやすと凍らせた。
「今ですよ、アンジェ!」
「はーい!」
喜び勇んだアンジェが、聖なる火の灯った松明を振り回して凍った首を焼くと、凍死してなお脈打っていた首が黒く炭化した。
「皆、これいけるよ!」
「アンジェ、やるじゃねぇか!」
魔法の翼で飛び上がっているホビット娘に負けないほど、高いところまで滑るように飛んでみせたテーゼンが、穂先に気の力を込めて眼前の首を貫く。
鋭い牙を見せたまま、その首は行動を停止した。
残りはまだ攻撃態勢を見せていると判断したテアが、すかさず【まどろみの花】で眠りを誘う。
全ての首が引き込まれる眠りに抗えなかったようである。
首たちのひとつは、たちまちロンドのスコップにギロチンのように落とされてしまった。
「あと二つ……これで後ひとつ!」
ウィルバーの指先から、また蒼く輝く冷気の帯が飛ぶ。
残った首は、テーゼンが素早く後ろに翼を使って回り込み仕留めた。
大きな地響きとともに、ヒドラの巨体が地へ倒れる。
びくりと動いた巨躯に気づいたロンドは、アンジェに急いで聖なる火で首を炙れと指示を飛ばすが、彼女はすでに魔法の翼を上手く動かして、その作業にかかっていた。
薄桃色の肉が、瞬時に黒い炭へと化していく。
手際よく次々と焼く手つきは容赦なく、ヒドラは火を当てられるたびに苦悶にのた打ち回ったが、アンジェは頓着なく作業を終わらしていく。
全ての首を焼き尽くすと、太く長い胴体だけとなったヒドラは身動きひとつしなくなった。
「…終わったわね」
というシシリーの安堵のセリフとともに、仲間たちは丸太のようなヒドラの体に背を預けて、濡れた歩道に腰を下ろす。
疲れきった体に沼地を遊ぶ微風が、この上なく心地良いと思った。
※収入:報酬600sp、≪魚人語辞書≫
※支出:
※GroupAsk様作、旧き沼の大蛇クリア!
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■後書きまたは言い訳
14回目のお仕事は、公式シナリオであるGroupAsk様の旧き沼の大蛇でございました。
やっぱり公式シナリオは、いつやっても変わらず面白いですね!
作ってくださったAsk様に改めて感謝したいと思います。
そうそう、最初の方で宿の亭主が欲していたムナの実の酒については、公式シナリオにはありませんが、酒と露店の街デューン(dabu様)にムナの実を用いたお酒が販売されています。
≪狼の隠れ家≫の亭主はそれが好きなことにしようかと…すごい面白い街シナリオですから、できれば旗を掲げる爪にも行って欲しいな、と思っています。
街シナリオといえば、これに出てくる魚人族に絡めて、水の都アクエリア(SARUO様)のお名前を出させていただいてますが、クロスオーバーしているわけではありません。
ただ、孤児院育ちのろくに法術も使えないシシリーやその仲間達が、なんで魚人語知ってるのかという疑問点を解消するのに、アクエリアのマリナーたちは非常に良いバックグラウンドになってくれるかと思い、幽霊屋敷(オサールでござ~る様)の後にそちらをプレイしております。
皆さんご存知のあの最後の選択については、やりませんでした。
単に不利なことになるというだけでなく、シシリーが割と善人なので、死体をぐちゃぐちゃ弄るようなことはロンドやアンジェが面白がってもやらせないんじゃないかと。
そんなわけで、ラストの方の場面は割愛させていただいてます。ご了承よろしくお願いいたします。
祭壇の『聖なる力』のところで聖水を使っていらっしゃるプレイヤーさんもいることを拝見し、「そうか…その手があったのか…!…」と目から鱗。
もし聖水があれば、あえて”神聖な攻撃”のキーコードついた技を用意せずに済むんですね。
今度機会あったらやってみよう。
さて、今回からいきなりレベルが5に達しておりますが、実は幽霊屋敷をクリアした時点で全員がなっていました。
アクエリアは結構要求がきついのでレベル4にして挑んでいましたが、ディープワンというマリナーが依頼を出している施設の冒険は、もうワンランク上でチャレンジしてもいいかと思う(少なくとも私はそうしたい)ので、ここから先はレベル5で冒険していこうかと思います。
報酬が少ないので、シシリー・ロンド・テーゼンの三名については技能枠がまだ空いているのですが、ある程度貯まったらまた買いに行きます。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/03/05 12:57 [edit]
category: 旧き沼の大蛇
tb: -- cm: 0
Sat.
旧き沼の大蛇その2 
旗を掲げる爪は、六角沼の奥へと向かい逃走した。
それはもう、傍で見ていれば見事なほどの”すたこらさっさ”ぶりである。
十五分ほども走り続けただろうか、息を切らしながら後ろを窺うと、いつの間にかヒドラを引き離したようであった。
「はぁ、はぁ…」
ふわり、と1メートルほど宙を浮いたテーゼンが後方を確認する。
-- 続きを読む --
「大丈夫だ…もう追ってきてない」
仲間の言葉に安堵し、くたりと膝を折りかけたアンジェだったが、そこが先程よりもぬかるんでいる地面であることに気づき、舌打ちしてロンドの脚に寄りかかった。
シシリーが孤児院の院長に聞いた話では、ヒドラを倒した後に傷口を炎で焼けば首の再生を防ぐことができるということだったのだが、ロンドの燃えるスコップを用いたはずなのに、ヒドラは首を増やして再生してきてしまった。
ということは、普通の炎ではヒドラに効き目がないのだろう。
すっかり困り果ててしまった一行は、その場でこれからどうするかを話し合った。
確実とはいえん話じゃが、とテアは断った上で口火を切る。
「あのヒドラはここの主だったのじゃろ?」
「うん、あの依頼人の話からするとそうだと思うけど…それがどうしたの?」
「今までは休眠状態じゃったが、間違いなく活動していた時期もあったはずじゃ」
「なるほど、道理だね」
アンジェとテーゼンがうんうんと頷く。
「わしが若い頃に吟遊詩人仲間から聞いた話では、六角沼の辺りに古代王国時代の人間や人ならざる存在の集落があったそうじゃ。そういった集落の跡地でも見つかれば、活動期のヒドラの対処法…倒すまではいかぬまでも、休眠状態に戻すか、弱らせる方法くらいは残されているかもしれん」
「それはあり得る話ですね」
古代王国時代の話と聞き、ウィルバーが口を挟む。
「あの時代、色々な魔法が不可能を可能にしていました。魔獣をコントロールする法など、今では魔獣使いの一部にしか口伝で伝わっていませんが、昔の技術には皆に分かるような形であったのかもしれません」
「可能性があるというだけでの話じゃが、無策でヒドラに突っ込むよりはましじゃろうて」
「となると…この辺の遺跡を探すってこと?」
実はこのパーティ、まったく古代王国期の遺跡と言うものに潜ったことがない。
俄然勢いづいたシシリーの様子に微笑み、テアは改めてどうするかと彼女に問うた。
答えは聞くまでもない、すでに感受性豊かなリーダーの碧眼は遺跡への期待に輝いていた。
瓦礫の多い足場に気をつけつつ、冒険者たちは目を皿のように見開いて周囲を注視している。
独特の地形に合わせた角ばった歩道を、弾むような足取りで歩いていたアンジェが、何度目かの曲がり角で小さな声を上げて指差した。
「ねえ、何か瓦礫の塊があるよ。あれって人工物じゃない?」

あれこそが目指していた遺跡かもしれないと思った旗を掲げる爪は、ともすると転びそうになる体を互いに支えながら瓦礫の方へと近づいていった。
すっかり朽ち果てて灰色というより白くなった瓦礫の山の一角に、僅かながら遺跡と思われる建物の原型を留めた箇所がある。
テアが首を縦に振りながら口を開いた。
「ほとんど崩れてしまっておるが、元は大きな建物だったようじゃの。神殿かのう…」
「周辺を調べてみましょう。入れる所がまだあるかもしれません」
パーティの頭脳の言葉に、他の全員が一斉に遺跡の周りを調べ始める。
カラン、とシシリーが手を置いた箇所が崩れ、彼女は慌てて身を引いた。
その横では、ロンドがアンジェの的確な指示の元、崩れると危ない瓦礫を持ち上げて除けている。
少しだが不要な瓦礫が減り、テーゼンとアンジェがさらに詳しく捜索すると、黒曜石のつぶらな視線の先に気になる場所が映った。
壁の一部が崩れて、その向こうに階段が見える。
「ん…あそこ、入り口みたいだな。あそこから中に入れるんじゃねえか?」
とテーゼンは指摘した。
元々は玄関だったらしいその場所を示され、仲間たちは光精の賢者を肩に乗せたアンジェを筆頭に、ゆっくりと中へ入っていった。
遺跡の中は思っていたよりかび臭くはなかったが、それはボロボロに崩れて、あちこちから外気が取り入れられているせいであった。
崩れ落ちた壁や朽ちた大理石の柱の酷い痛みようが、何百年もの間、この遺跡が顧みられなかったことを雄弁に物語っている。
ただ、今までふにゃふにゃだった地面の踏み心地は、細かな文様の描かれたしっかりとした石畳に変わっており、それだけが救いと言えば救いであった。
所々でわき道らしきものはあったのだが、崩壊した柱や壁の瓦礫に遮られ、それ以上の侵入を拒んでいる。
結局、真っ直ぐ道なりに進んでいくしか手がなく、彼らはそのまま歩み続けた。
「それにしても長い廊下だよね、姉ちゃん」
「そうね…昔の人たちって、こんな広い遺跡で道に迷ったりしなかったのかしら?」
「どうなんだろうなぁ。途中で案内図とかあったのかも……って、あ」
「あ?」
話し相手を務めていたシシリーが妹分の急に途切れた声に首を傾げると、当の妹分は小さな帽子を被ったフォウとともに先のほうへと駆け出している。
止める間もない出来事だったが、彼女たちが無様に罠に掛かることもなく、その仄かな明かりに照らされた姿は、ある空間の中で止まった。
そこは大きなホールのような場所であった。
広大な空間に負けないほど装飾の多い柱があちらこちらに残っており、場所自体は荒涼としているが、軽口を叩けないほど神聖な雰囲気が漂っている。
もしかしたら祈りの場だったのではないか、とテアは思った。
かろうじて残っている正面の壁に、文字の刻まれた四枚の石版がはめ込まれている。
その手前には、腰ほどの高さの祭壇らしき石造りの台が置かれている。
「材質が違うのかな…?石版と祭壇はまるで朽ちた様子がねぇぜ」
テーゼンはこの場所に来るまでの廊下の荒廃具合との違いに、柱の一つを槍の穂先で突付きながら感心したように言った。
屋根が軋むような音が響き、瞬時に6人ともそれぞれの得物を構えたものの、それ以上何か起こる様子はない。
短剣と鋼糸をそれぞれの手に持ったアンジェが、
「何の音だったのかしら…?」
と短剣の方だけを仕舞いこんで疑問を発する。
だが、その問いに答えられる者はいなかったので、まず目前の石版を調査することにした。
騎士がよく持っている盾ほどの大きさをした、分厚いものである。
複雑な形をした文字は一切風化した様子はなく、はっきり刻まれていた。
「これ…旧文明の文字じゃないわ」
シシリーが刻まれた文字を指でなぞりながら発言した。

「多分、魚人…マーマン族の言葉よ」
「マーマンって…あの海に生息している半魚人か?」
マーマンとは南方の海に生息していると言われる魚人族だ。
魚に似た上半身に人間の手足を持つという異形の種族だが、実はロンドや他の仲間たちは半魚人を見たこともあれば、戦ったこともある。
その時は、水の都で海の地区を守っているマリナー(海辺の民)という種族に同行し、とある大事な槍を取り戻す為の依頼で動いていたのだが…。
「ええ。魚人族の文字は、こないだアクエリアで冒険していた時に、マリナー警備隊の一人に教えてもらったの。ちょっと待って…何とか読む事が出来そうね」
石版に記された魚人族の歴史について、シシリーは時間をかけて解読していった。
魚人たちは何世代にも渡り、この地で暮らしてきたが、その生活は決して平穏なものではなかったようだ。
この地には強暴な魔獣ヒドラも数多く棲息し、しばしば魚人族の集落は彼らの襲撃を受けた。
ヒドラとの抗争で失われた命は数え切れないそうだが、両者の争いは誰一人予想し得ない形で唐突に終了した。
両者とも、姿を消したのである。
…原因は地殻変動による海岸線の移動だった。
魚人族は海を追って南へと移住し、ヒドラたちは急激な生態系の変化により絶滅した。
「ふむ、その辺りがわしの聞き及んだ伝承のことなのじゃろうな」
「多分そうだと思うわ。ヒドラと魚人族の抗争についても書いてあるわね。集落を襲ったヒドラを撃退……うん、撃退したってある。それから戦士を連れて狩りをしたって」
「狩りぃ?え、魚人ってその時から強かったわけか?」
ロンドは驚いた声を上げた。
確かに彼らと同行して戦ったマリナーたちは非常に勇敢で、女性とも思えないほど優秀な戦士の多い種族ではあったが、ヒドラのタフさも先ほど戦って本能的に察知しているロンドには、中々受け入れがたい話であったようだ。
2枚目の石版の文字に指を走らせ、再生能力について当時でも手を焼いていたことを確認したシシリーは、ヒドラの再生能力に限界があることを知った。
根気強く、蘇るたびに打ち倒せばいずれは死亡する。
しかし、この戦法は極めて危険が多く、聖なる火の知識を得るまでは多くの同胞が犠牲になったとある。
「聖なる火…」
「ええ。こっちの石版には、聖なる火の発見の経緯が記述されてるわ。きっと、その火があったから魚人族もヒドラに襲われる側から、狩り立てる立場へと一変したのでしょうね。東方から来た賢者が、魚人族の苦難を知って聖なる火の製法を伝授したのよ」
「賢者って、この子みたいな?」
アンジェの視線に、シシリーはふるふると首を横に振って否定した。
「いや、フォウじゃなくて……毛深き異形のものって記されてるけど、これは人間のことを言っているのかしら?」
「十中八九そうなのでしょう。ヒドラの再生能力を衰えさせる技となれば、それなりの地位にあった魔法使いだったのではないでしょうか?コミュニケーションが取れていたということは、その賢者も魚人語を解したので間違いないでしょうし…」
「それでシシリー殿。聖なる火の製法とやらは、記してあるかね?」
「多分、四枚目の石版にあるのがそうでしょうね。ええっと…」
最後の石版に刻まれている文字を読み解こうと必死になったが、彼女は白旗を振るしかなかった。
「駄目…知らない単語が多すぎて解読できないわ…」
「そんな、ここまで来て!」
叫ぶようなアンジェの言葉に、一同は暗澹となった。
もうヒドラと真正面から戦いを挑み、蘇るたびに討ち果たすしか方法は残っていないのだろうか…?
いや、とテアは考えた。
彼女すら知っていた六角沼の古代民族の伝承を、他に承知している者がいなかったとは考えられない。
少なくとも、依頼人のアントンは沼の最奥部にあるこの遺跡のことを、知っていたのではあるまいか。
彼の態度からすれば聖なる火のことは知らないにせよ、そうとは自分でも気づかないまま、何らかの手がかりを握っている可能性はまだ残っている。
テアはがっくり肩を落とすリーダーに、ある提案をしてみた。
仲間の言葉に安堵し、くたりと膝を折りかけたアンジェだったが、そこが先程よりもぬかるんでいる地面であることに気づき、舌打ちしてロンドの脚に寄りかかった。
シシリーが孤児院の院長に聞いた話では、ヒドラを倒した後に傷口を炎で焼けば首の再生を防ぐことができるということだったのだが、ロンドの燃えるスコップを用いたはずなのに、ヒドラは首を増やして再生してきてしまった。
ということは、普通の炎ではヒドラに効き目がないのだろう。
すっかり困り果ててしまった一行は、その場でこれからどうするかを話し合った。
確実とはいえん話じゃが、とテアは断った上で口火を切る。
「あのヒドラはここの主だったのじゃろ?」
「うん、あの依頼人の話からするとそうだと思うけど…それがどうしたの?」
「今までは休眠状態じゃったが、間違いなく活動していた時期もあったはずじゃ」
「なるほど、道理だね」
アンジェとテーゼンがうんうんと頷く。
「わしが若い頃に吟遊詩人仲間から聞いた話では、六角沼の辺りに古代王国時代の人間や人ならざる存在の集落があったそうじゃ。そういった集落の跡地でも見つかれば、活動期のヒドラの対処法…倒すまではいかぬまでも、休眠状態に戻すか、弱らせる方法くらいは残されているかもしれん」
「それはあり得る話ですね」
古代王国時代の話と聞き、ウィルバーが口を挟む。
「あの時代、色々な魔法が不可能を可能にしていました。魔獣をコントロールする法など、今では魔獣使いの一部にしか口伝で伝わっていませんが、昔の技術には皆に分かるような形であったのかもしれません」
「可能性があるというだけでの話じゃが、無策でヒドラに突っ込むよりはましじゃろうて」
「となると…この辺の遺跡を探すってこと?」
実はこのパーティ、まったく古代王国期の遺跡と言うものに潜ったことがない。
俄然勢いづいたシシリーの様子に微笑み、テアは改めてどうするかと彼女に問うた。
答えは聞くまでもない、すでに感受性豊かなリーダーの碧眼は遺跡への期待に輝いていた。
瓦礫の多い足場に気をつけつつ、冒険者たちは目を皿のように見開いて周囲を注視している。
独特の地形に合わせた角ばった歩道を、弾むような足取りで歩いていたアンジェが、何度目かの曲がり角で小さな声を上げて指差した。
「ねえ、何か瓦礫の塊があるよ。あれって人工物じゃない?」

あれこそが目指していた遺跡かもしれないと思った旗を掲げる爪は、ともすると転びそうになる体を互いに支えながら瓦礫の方へと近づいていった。
すっかり朽ち果てて灰色というより白くなった瓦礫の山の一角に、僅かながら遺跡と思われる建物の原型を留めた箇所がある。
テアが首を縦に振りながら口を開いた。
「ほとんど崩れてしまっておるが、元は大きな建物だったようじゃの。神殿かのう…」
「周辺を調べてみましょう。入れる所がまだあるかもしれません」
パーティの頭脳の言葉に、他の全員が一斉に遺跡の周りを調べ始める。
カラン、とシシリーが手を置いた箇所が崩れ、彼女は慌てて身を引いた。
その横では、ロンドがアンジェの的確な指示の元、崩れると危ない瓦礫を持ち上げて除けている。
少しだが不要な瓦礫が減り、テーゼンとアンジェがさらに詳しく捜索すると、黒曜石のつぶらな視線の先に気になる場所が映った。
壁の一部が崩れて、その向こうに階段が見える。
「ん…あそこ、入り口みたいだな。あそこから中に入れるんじゃねえか?」
とテーゼンは指摘した。
元々は玄関だったらしいその場所を示され、仲間たちは光精の賢者を肩に乗せたアンジェを筆頭に、ゆっくりと中へ入っていった。
遺跡の中は思っていたよりかび臭くはなかったが、それはボロボロに崩れて、あちこちから外気が取り入れられているせいであった。
崩れ落ちた壁や朽ちた大理石の柱の酷い痛みようが、何百年もの間、この遺跡が顧みられなかったことを雄弁に物語っている。
ただ、今までふにゃふにゃだった地面の踏み心地は、細かな文様の描かれたしっかりとした石畳に変わっており、それだけが救いと言えば救いであった。
所々でわき道らしきものはあったのだが、崩壊した柱や壁の瓦礫に遮られ、それ以上の侵入を拒んでいる。
結局、真っ直ぐ道なりに進んでいくしか手がなく、彼らはそのまま歩み続けた。
「それにしても長い廊下だよね、姉ちゃん」
「そうね…昔の人たちって、こんな広い遺跡で道に迷ったりしなかったのかしら?」
「どうなんだろうなぁ。途中で案内図とかあったのかも……って、あ」
「あ?」
話し相手を務めていたシシリーが妹分の急に途切れた声に首を傾げると、当の妹分は小さな帽子を被ったフォウとともに先のほうへと駆け出している。
止める間もない出来事だったが、彼女たちが無様に罠に掛かることもなく、その仄かな明かりに照らされた姿は、ある空間の中で止まった。
そこは大きなホールのような場所であった。
広大な空間に負けないほど装飾の多い柱があちらこちらに残っており、場所自体は荒涼としているが、軽口を叩けないほど神聖な雰囲気が漂っている。
もしかしたら祈りの場だったのではないか、とテアは思った。
かろうじて残っている正面の壁に、文字の刻まれた四枚の石版がはめ込まれている。
その手前には、腰ほどの高さの祭壇らしき石造りの台が置かれている。
「材質が違うのかな…?石版と祭壇はまるで朽ちた様子がねぇぜ」
テーゼンはこの場所に来るまでの廊下の荒廃具合との違いに、柱の一つを槍の穂先で突付きながら感心したように言った。
屋根が軋むような音が響き、瞬時に6人ともそれぞれの得物を構えたものの、それ以上何か起こる様子はない。
短剣と鋼糸をそれぞれの手に持ったアンジェが、
「何の音だったのかしら…?」
と短剣の方だけを仕舞いこんで疑問を発する。
だが、その問いに答えられる者はいなかったので、まず目前の石版を調査することにした。
騎士がよく持っている盾ほどの大きさをした、分厚いものである。
複雑な形をした文字は一切風化した様子はなく、はっきり刻まれていた。
「これ…旧文明の文字じゃないわ」
シシリーが刻まれた文字を指でなぞりながら発言した。

「多分、魚人…マーマン族の言葉よ」
「マーマンって…あの海に生息している半魚人か?」
マーマンとは南方の海に生息していると言われる魚人族だ。
魚に似た上半身に人間の手足を持つという異形の種族だが、実はロンドや他の仲間たちは半魚人を見たこともあれば、戦ったこともある。
その時は、水の都で海の地区を守っているマリナー(海辺の民)という種族に同行し、とある大事な槍を取り戻す為の依頼で動いていたのだが…。
「ええ。魚人族の文字は、こないだアクエリアで冒険していた時に、マリナー警備隊の一人に教えてもらったの。ちょっと待って…何とか読む事が出来そうね」
石版に記された魚人族の歴史について、シシリーは時間をかけて解読していった。
魚人たちは何世代にも渡り、この地で暮らしてきたが、その生活は決して平穏なものではなかったようだ。
この地には強暴な魔獣ヒドラも数多く棲息し、しばしば魚人族の集落は彼らの襲撃を受けた。
ヒドラとの抗争で失われた命は数え切れないそうだが、両者の争いは誰一人予想し得ない形で唐突に終了した。
両者とも、姿を消したのである。
…原因は地殻変動による海岸線の移動だった。
魚人族は海を追って南へと移住し、ヒドラたちは急激な生態系の変化により絶滅した。
「ふむ、その辺りがわしの聞き及んだ伝承のことなのじゃろうな」
「多分そうだと思うわ。ヒドラと魚人族の抗争についても書いてあるわね。集落を襲ったヒドラを撃退……うん、撃退したってある。それから戦士を連れて狩りをしたって」
「狩りぃ?え、魚人ってその時から強かったわけか?」
ロンドは驚いた声を上げた。
確かに彼らと同行して戦ったマリナーたちは非常に勇敢で、女性とも思えないほど優秀な戦士の多い種族ではあったが、ヒドラのタフさも先ほど戦って本能的に察知しているロンドには、中々受け入れがたい話であったようだ。
2枚目の石版の文字に指を走らせ、再生能力について当時でも手を焼いていたことを確認したシシリーは、ヒドラの再生能力に限界があることを知った。
根気強く、蘇るたびに打ち倒せばいずれは死亡する。
しかし、この戦法は極めて危険が多く、聖なる火の知識を得るまでは多くの同胞が犠牲になったとある。
「聖なる火…」
「ええ。こっちの石版には、聖なる火の発見の経緯が記述されてるわ。きっと、その火があったから魚人族もヒドラに襲われる側から、狩り立てる立場へと一変したのでしょうね。東方から来た賢者が、魚人族の苦難を知って聖なる火の製法を伝授したのよ」
「賢者って、この子みたいな?」
アンジェの視線に、シシリーはふるふると首を横に振って否定した。
「いや、フォウじゃなくて……毛深き異形のものって記されてるけど、これは人間のことを言っているのかしら?」
「十中八九そうなのでしょう。ヒドラの再生能力を衰えさせる技となれば、それなりの地位にあった魔法使いだったのではないでしょうか?コミュニケーションが取れていたということは、その賢者も魚人語を解したので間違いないでしょうし…」
「それでシシリー殿。聖なる火の製法とやらは、記してあるかね?」
「多分、四枚目の石版にあるのがそうでしょうね。ええっと…」
最後の石版に刻まれている文字を読み解こうと必死になったが、彼女は白旗を振るしかなかった。
「駄目…知らない単語が多すぎて解読できないわ…」
「そんな、ここまで来て!」
叫ぶようなアンジェの言葉に、一同は暗澹となった。
もうヒドラと真正面から戦いを挑み、蘇るたびに討ち果たすしか方法は残っていないのだろうか…?
いや、とテアは考えた。
彼女すら知っていた六角沼の古代民族の伝承を、他に承知している者がいなかったとは考えられない。
少なくとも、依頼人のアントンは沼の最奥部にあるこの遺跡のことを、知っていたのではあるまいか。
彼の態度からすれば聖なる火のことは知らないにせよ、そうとは自分でも気づかないまま、何らかの手がかりを握っている可能性はまだ残っている。
テアはがっくり肩を落とすリーダーに、ある提案をしてみた。
2016/03/05 12:54 [edit]
category: 旧き沼の大蛇
tb: -- cm: 0
Sat.
旧き沼の大蛇その1 
「だからさ~。蜂と戦ったり、ザリガニのお化けみたいなのに攻め込んだり、マグロ漁船と一戦交えたり、占拠された灯台を奪還する為に工作したり、色々忙しかったんだってば。それなのに、帰ってくるなりまーた仕事を押し付けるとかどうよ」

ブチブチ言いながら、沼地というあまり魅力のない土地へ向かう足を忙しげに動かしているのはアンジェである。
彼ら旗を掲げる爪は、水の都アクエリアという人工島や海底の地区からなる巨大都市や、闘技場の街として栄えている武闘都市エランを回って帰ってきたところである。
久々のリューンへの帰還にしみじみする暇などなく、宿の亭主から押し付けられたのは、リューン南西部に広がる湿地帯からの依頼書であった。
宿の亭主曰く、ここにあるムナの実というのが彼の好む酒の原料に使われており、その植物が採取できないような事態を放置しておくのは困ると、この仕事を完遂できる冒険者を結構前から選んでいたらしい。

ブチブチ言いながら、沼地というあまり魅力のない土地へ向かう足を忙しげに動かしているのはアンジェである。
彼ら旗を掲げる爪は、水の都アクエリアという人工島や海底の地区からなる巨大都市や、闘技場の街として栄えている武闘都市エランを回って帰ってきたところである。
久々のリューンへの帰還にしみじみする暇などなく、宿の亭主から押し付けられたのは、リューン南西部に広がる湿地帯からの依頼書であった。
宿の亭主曰く、ここにあるムナの実というのが彼の好む酒の原料に使われており、その植物が採取できないような事態を放置しておくのは困ると、この仕事を完遂できる冒険者を結構前から選んでいたらしい。
-- 続きを読む --
ずいぶんと強引に仕事を割り振られたことで、生来人生は楽しんでナンボの精神で生きているホビットの娘が愚痴を吐きたくなったのも無理はないだろう。
「まあまあ、おちびちゃん。この仕事が終わったら、また少しのんびりしようじゃないかね。……それにしても、依頼書にあった巨大な怪物とやらは一体なんじゃろうの?」
アクエリアでマリナー――人魚に近い海の種族に伝わる多くの呪歌を会得し、珍しい体験を歌に起こそうかとあれこれ書き留めたメモを背中の荷物袋にしょっているテアが、ふと小首を傾げた。
巨大な生物と言う話であれば、水の都でクジラを見たことは見たのだが、あれは、救おうとしていたのであって戦ったわけではない。
宿の亭主は身の丈十数メートルの大蛇だと言っていたが、彼とても依頼人側の見間違いや勘違いは多いと認めていた。
事実、シシリーの上方をふよふよ漂っているランプさんにしても、ウィスプなどに間違えられていたわけだが――当のランプさんは、いつもと同じ微笑みを絶やさず一行についてくる。
「治安隊も信じてくれなかったというくらいですからね。荒唐無稽な話だとは思うのですが…」
「なんだ、ウィルバーさん。気になることでもあるのか?」
スコップを肩に担いだいつものスタイルで、ロンドが声をかけた。
「いえ……ふと思い出したことはあるのですが、まだ確証はありませんから。とりあえず、依頼主の家に向かいましょう。木の実採りですっけ?」
「ああ、そうだぜ。アントンって書いてた」
槍を即席の杖代わりに使いながらテーゼンが応じる。
そろそろ地面がぬかるみ始めており、乱雑に並べられた岩盤の歩道が、あまり馴染みのない感触を足へ伝えてくるのだ。
今にも沈みそうな歩道に眉をしかめつつ、一同はシシリーが見つけて指で示した掘建て小屋へと向かった。
とても人が住んでいそうには見えないが、周囲をいくら見渡しても他に家らしきものは皆無だ。
やむを得ず、旗を掲げる爪は今にも壊れそうな穴だらけの扉をノックした。
「…誰だぁ?扉なら開いているから、勝手に入ってけろぉ」
中から寝ぼけたような男の声が聞こえる。
冒険者たちはくれぐれも壊さないよう注意しつつ、扉をそっと開けて小屋の中に入った。
そこは暖炉の炎に赤く照らされた小さな居住空間であった。
薄い絨毯の上に座り込み、毛布に包まった男が訝しそうにこっちを見ている。
恐らく彼がアントンだろう。
「だぁれだ、あんた達。この辺りじゃ見ない顔だけんど…何かようけ?」
きつい訛りではあるが、都市から離れた辺境部にはよくこういった独特の方言も残っている。
一同の目配せを了承し、まずウィルバーが≪狼の隠れ家≫にもたらされた依頼の件で来たことを彼に説明した。
納得したような、それでいてまだどこか訝しい感じの拭えない顔でアントンが言う。
「なんだぁ、あんた達が冒険者かぁ?」
「ええ、そうです」
「こらまた思ってたよりたよりなさそうだけんども…ま、いっか」
「失礼な人だなぁ」
アンジェがぷっくり頬を膨らませて抗議した。
何しろ、つい数ヶ月前までは駆け出しだった彼らも、一応中堅どころと言われる程度にまでは成長しているのである。
年長者であるテアやウィルバーに至っては、非常に多くの呪歌や呪文を習得している。
毛布に包まって何も出来ない依頼人に、頼りない呼ばわりされるのは心外であった。
そんな彼女の胸中も知らず、貼り紙を出した木の実採りのアントンである旨を自己紹介した男は、依頼書を出すに至った経緯を話し始めた。
怪物が現れたのはちょうど一週間前のこと。
いつものように沼へ木の実を採取に出かけたアントンは、帰り道に沼の一部がぶくぶくとあわ立っていることに気づいたと言う。
「…そりゃもう、すんごい泡の量だったでな。おいら、てっきりでっかい魚でもいるのかと思って…」
常にない興味を覚えた彼は、小石を集めて沼に投げ込み始めた。
魚が獲れるかと期待して半刻ほど続けたが、何の反応も得られない。
石が小さかったせいだろうか、と考えた彼は、今度は大人の拳ほどの大きさの石を投げたが…泡の主は何のアクションもなく…。

「さすがにおいらも頭に来てな。大樽くれぇでっかい岩を放り込んでやったんだ!」
その刹那。
泡が消えたことから、いよいよ魚が浮いてくるかと期待したアントンの目前で、水面がいきなり弾けた。
ざぶん、どかん!という轟音から、沼の水が土砂降りと化してアントンに降り注ぎ、顔を拭って眼を開くと、そこには巨大な蛇が鎌首をもたげていたのだと言う。
「身の丈十数メートルはあったぞっ!それも、ただでっかいだけの蛇じゃねぇんだ。そいつにゃ首が何本もついとっただ!」
「あああ……」
小屋に入る前にしていた最悪の推測が当たっていたことに、ウィルバーは微かな頭痛を覚え、やや薄くなりかけた頭部を押さえた。
魔術師の嘆きを他所に、興奮して語っているアントンは拳を握って力説している。
「おいら、呆れて見とっただけなのに…何が気に入らないんだか、あの蛇、いきなり襲い掛かってきたんだっ!」
「何が気に入らないも何も……自明の理じゃん」
それこそ呆れてアンジェが呟いた。
沼で静かに生息していたのに、子供じみた嫌がらせが続き、今度は攻撃ととられても仕方ない投石があったのである。
やっと逃げ切ったと語るアントンをじと目で睨みつつ、そりゃ怒るよ、と冒険者たちは全員思った。
そんな出来事があって以来、蛇は沼に居座り、アントンの姿を見ると親の仇の如く追いかけてきてしまうようになったそうで……自業自得のいい見本である。
沼地がそんな緊張状態になったものだから、普段は大人しい蜂や帰るまで、人の姿を見かけると襲い掛かるようになってしまったようだ。
このままじゃおまんまの食い上げだ、と嘆くアントンをその場に残し、小屋を出た冒険者たちは車座になって話し合った。
「…どう思う?」
「ヒドラだな…間違いないだろう」
シリーと呼ぶ幼馴染の問いかけに、言葉を濁すことなくロンドが答えた。
2人の真ん中では、アンジェがうんうんと頷いている。
彼ら3名が孤児院で院長に教わったモンスターに、それは酷似していた。
ウィルバーも兄が対峙したという怪物のことは伝聞で知っており、小屋に入る前にその可能性もあるかもしれないとは思っていたのだが…的中するとなると、他人事では済ませられない。
魔獣ヒドラはいくつもの頭を持つ、凶暴な大蛇である。
シシリーは頬に手を当ててため息をついた。
「とてもじゃないけど…話の通じる相手じゃないわねぇ」
「ああ。俺たちで勝てるモンなのかな?」
「”以前の”僕たちだったら無謀もいいところだろうが……」
喧嘩仲間の言に、テーゼンがふむと考え込んでいる。
「”今の”僕たちなら、どうにかなるんじゃねえかな。少なくとも実体はあるんだし」
「物理ならどうにでもなる、みたいな言い方はどうかしらと思うけど…」
「でもさ、実際のところ負ける気はしなくねえ?僕が知る限りヒドラは精神があるんだから、ばあ様の子守唄も効くんだし」
シシリーはテーゼンの主張を検討してみる。
テアの使う歌による回復や支援、睡眠は確かに今回ヒドラと戦うとなったら役に立つだろう。
ウィルバーのバリアや翼を作る術、三つの攻撃魔法に関しても大きなアドバンテージになるはずだ。
あとは各々の攻撃手段さえしっかり確保できていれば、まず全滅はしないだろうし、よほど運が悪くなければ負けはしないだろうが……。
「どうかしら、皆。アントンさんのやったことはともかく、親父さんの希望もあるし。ヒドラを退治してしまわない?」
「ヒドラが悪いんじゃないけどね……ま、他の人たちも迷惑だってんなら、あたしは構わないよ姉ちゃん」
「うん、僕もかまわねぇよ」
「戦いなら俺の領分だ。やろうぜ」
若い世代から次々と上がる声に、最初は躊躇いを見せていたテアとウィルバーもため息をついて降参せざるを得ない。
結局、彼らはヒドラとの戦いに挑むことにした。
『この先、六角沼。足場注意』
とある立て札を横目に、冒険者たちは沼の脇に広がる道を進んでいく。
一定の間隔を置いて穿たれている大きなくぼみは、恐らくヒドラの足跡なのだろう。
それを追うようにして、テーゼンを戦闘に一行は進んでいく。
たまに出てくる蜂を避けながら、体重をかけるたびにやや沈んでしまう岩盤を踏んでいくと、やがて前方にそびえる大きな影に気づいた。
「いたぜ」
テーゼンが顎をしゃくると、他の仲間達も一斉に首肯した。
それは五つの首を持つ巨大な大蛇であった。
一つ一つの頭はそれぞれ人間の大人ほどの大きさがある。
沼に半身を沈めているのだとしても、その頭部まで6メートル近い高さがあると目測できた。
「やっぱり…ヒドラね」

「院長の話に出てきた奴よりは小さいな」
「うん…。でも兄ちゃん、あの大きさでもあたしたちにとっては手強いと思うよ」
ヒドラの話を聞いたことのある3人の会話は、幸いヒドラに届いた様子はない。
低い唸り声を上げながら、ゆらりゆらりと首を揺らしているのは、今日の朝に出くわした不倶戴天の敵――すなわち、アントンの姿を探しているのだろうか?
「とりあえず、戦う用意でもしますかね」
ウィルバーはそう呟くと、テアとともに支援魔法を味方にかけることにした。
前に立って戦うだろうロンドとテーゼンには、【飛翼の術】による援護も唱えてある。
武器を抜き呼吸を整えると、旗を掲げる爪は一斉にヒドラへ襲い掛かった。
大きな地響きとともにヒドラの巨体が泥へ沈むまで、約3分ほどだったろう。
「意外とあっけなかったわね…」
アンジェが短剣をブーツの隠しに仕舞いながら感想を述べると、ロンドが身動きひとつしない巨体へと歩み寄っていった。
その右手には、燃え盛るスコップが握られている。
「何するつもりだよ、白髪男」
「いや、ヒドラがちゃんと死んだか確かめようと……って……」
近づいていたブーツが止まる。
彼のやぶ睨みに近い鉄灰色の目は、切り落としたはずのヒドラの首から、新たに生えてきている蛇の鎌首を捕えていた。
しかも……彼が間違っていなければ、一本増えている。
仲間の口篭ったわけを訝しく思い、同じように巨体を眺めやっていた他のメンバーも異常に気づいた。
素早くウィルバーがロンドの腕を掴み、自分たちのほうへと引っ張る。
巨木のような体をよろめかせながら、ロンドがうろたえた声を上げた。
「お、おい…早く何とかしないと…っ!!」
「退却っ!みんな、こっちよ!」
ヒドラの咆哮と同時に、一瞬で判断をしたシシリーの指示が飛ぶ。
真新しい鱗に陽光を反射させた雄大なヒドラの姿を後ろに、旗を掲げる爪は一目散に駆け出した。
ウィルバーが今度はテアの腕を引っ張り、逃亡を助ける。
「急がないと、ひき殺されますよ!」
「すまんのう、お若いの。やれやれ、厄介な依頼じゃて」
「おいおい、追いかけてくるぞ!?」
低空飛行でパーティの殿を守っているテーゼンが現状を報告すると、同じく殿にいたロンドがそれに応えるように大声で叫んだ。
「こ、こっちだ、急げ!!」
「まあまあ、おちびちゃん。この仕事が終わったら、また少しのんびりしようじゃないかね。……それにしても、依頼書にあった巨大な怪物とやらは一体なんじゃろうの?」
アクエリアでマリナー――人魚に近い海の種族に伝わる多くの呪歌を会得し、珍しい体験を歌に起こそうかとあれこれ書き留めたメモを背中の荷物袋にしょっているテアが、ふと小首を傾げた。
巨大な生物と言う話であれば、水の都でクジラを見たことは見たのだが、あれは、救おうとしていたのであって戦ったわけではない。
宿の亭主は身の丈十数メートルの大蛇だと言っていたが、彼とても依頼人側の見間違いや勘違いは多いと認めていた。
事実、シシリーの上方をふよふよ漂っているランプさんにしても、ウィスプなどに間違えられていたわけだが――当のランプさんは、いつもと同じ微笑みを絶やさず一行についてくる。
「治安隊も信じてくれなかったというくらいですからね。荒唐無稽な話だとは思うのですが…」
「なんだ、ウィルバーさん。気になることでもあるのか?」
スコップを肩に担いだいつものスタイルで、ロンドが声をかけた。
「いえ……ふと思い出したことはあるのですが、まだ確証はありませんから。とりあえず、依頼主の家に向かいましょう。木の実採りですっけ?」
「ああ、そうだぜ。アントンって書いてた」
槍を即席の杖代わりに使いながらテーゼンが応じる。
そろそろ地面がぬかるみ始めており、乱雑に並べられた岩盤の歩道が、あまり馴染みのない感触を足へ伝えてくるのだ。
今にも沈みそうな歩道に眉をしかめつつ、一同はシシリーが見つけて指で示した掘建て小屋へと向かった。
とても人が住んでいそうには見えないが、周囲をいくら見渡しても他に家らしきものは皆無だ。
やむを得ず、旗を掲げる爪は今にも壊れそうな穴だらけの扉をノックした。
「…誰だぁ?扉なら開いているから、勝手に入ってけろぉ」
中から寝ぼけたような男の声が聞こえる。
冒険者たちはくれぐれも壊さないよう注意しつつ、扉をそっと開けて小屋の中に入った。
そこは暖炉の炎に赤く照らされた小さな居住空間であった。
薄い絨毯の上に座り込み、毛布に包まった男が訝しそうにこっちを見ている。
恐らく彼がアントンだろう。
「だぁれだ、あんた達。この辺りじゃ見ない顔だけんど…何かようけ?」
きつい訛りではあるが、都市から離れた辺境部にはよくこういった独特の方言も残っている。
一同の目配せを了承し、まずウィルバーが≪狼の隠れ家≫にもたらされた依頼の件で来たことを彼に説明した。
納得したような、それでいてまだどこか訝しい感じの拭えない顔でアントンが言う。
「なんだぁ、あんた達が冒険者かぁ?」
「ええ、そうです」
「こらまた思ってたよりたよりなさそうだけんども…ま、いっか」
「失礼な人だなぁ」
アンジェがぷっくり頬を膨らませて抗議した。
何しろ、つい数ヶ月前までは駆け出しだった彼らも、一応中堅どころと言われる程度にまでは成長しているのである。
年長者であるテアやウィルバーに至っては、非常に多くの呪歌や呪文を習得している。
毛布に包まって何も出来ない依頼人に、頼りない呼ばわりされるのは心外であった。
そんな彼女の胸中も知らず、貼り紙を出した木の実採りのアントンである旨を自己紹介した男は、依頼書を出すに至った経緯を話し始めた。
怪物が現れたのはちょうど一週間前のこと。
いつものように沼へ木の実を採取に出かけたアントンは、帰り道に沼の一部がぶくぶくとあわ立っていることに気づいたと言う。
「…そりゃもう、すんごい泡の量だったでな。おいら、てっきりでっかい魚でもいるのかと思って…」
常にない興味を覚えた彼は、小石を集めて沼に投げ込み始めた。
魚が獲れるかと期待して半刻ほど続けたが、何の反応も得られない。
石が小さかったせいだろうか、と考えた彼は、今度は大人の拳ほどの大きさの石を投げたが…泡の主は何のアクションもなく…。

「さすがにおいらも頭に来てな。大樽くれぇでっかい岩を放り込んでやったんだ!」
その刹那。
泡が消えたことから、いよいよ魚が浮いてくるかと期待したアントンの目前で、水面がいきなり弾けた。
ざぶん、どかん!という轟音から、沼の水が土砂降りと化してアントンに降り注ぎ、顔を拭って眼を開くと、そこには巨大な蛇が鎌首をもたげていたのだと言う。
「身の丈十数メートルはあったぞっ!それも、ただでっかいだけの蛇じゃねぇんだ。そいつにゃ首が何本もついとっただ!」
「あああ……」
小屋に入る前にしていた最悪の推測が当たっていたことに、ウィルバーは微かな頭痛を覚え、やや薄くなりかけた頭部を押さえた。
魔術師の嘆きを他所に、興奮して語っているアントンは拳を握って力説している。
「おいら、呆れて見とっただけなのに…何が気に入らないんだか、あの蛇、いきなり襲い掛かってきたんだっ!」
「何が気に入らないも何も……自明の理じゃん」
それこそ呆れてアンジェが呟いた。
沼で静かに生息していたのに、子供じみた嫌がらせが続き、今度は攻撃ととられても仕方ない投石があったのである。
やっと逃げ切ったと語るアントンをじと目で睨みつつ、そりゃ怒るよ、と冒険者たちは全員思った。
そんな出来事があって以来、蛇は沼に居座り、アントンの姿を見ると親の仇の如く追いかけてきてしまうようになったそうで……自業自得のいい見本である。
沼地がそんな緊張状態になったものだから、普段は大人しい蜂や帰るまで、人の姿を見かけると襲い掛かるようになってしまったようだ。
このままじゃおまんまの食い上げだ、と嘆くアントンをその場に残し、小屋を出た冒険者たちは車座になって話し合った。
「…どう思う?」
「ヒドラだな…間違いないだろう」
シリーと呼ぶ幼馴染の問いかけに、言葉を濁すことなくロンドが答えた。
2人の真ん中では、アンジェがうんうんと頷いている。
彼ら3名が孤児院で院長に教わったモンスターに、それは酷似していた。
ウィルバーも兄が対峙したという怪物のことは伝聞で知っており、小屋に入る前にその可能性もあるかもしれないとは思っていたのだが…的中するとなると、他人事では済ませられない。
魔獣ヒドラはいくつもの頭を持つ、凶暴な大蛇である。
シシリーは頬に手を当ててため息をついた。
「とてもじゃないけど…話の通じる相手じゃないわねぇ」
「ああ。俺たちで勝てるモンなのかな?」
「”以前の”僕たちだったら無謀もいいところだろうが……」
喧嘩仲間の言に、テーゼンがふむと考え込んでいる。
「”今の”僕たちなら、どうにかなるんじゃねえかな。少なくとも実体はあるんだし」
「物理ならどうにでもなる、みたいな言い方はどうかしらと思うけど…」
「でもさ、実際のところ負ける気はしなくねえ?僕が知る限りヒドラは精神があるんだから、ばあ様の子守唄も効くんだし」
シシリーはテーゼンの主張を検討してみる。
テアの使う歌による回復や支援、睡眠は確かに今回ヒドラと戦うとなったら役に立つだろう。
ウィルバーのバリアや翼を作る術、三つの攻撃魔法に関しても大きなアドバンテージになるはずだ。
あとは各々の攻撃手段さえしっかり確保できていれば、まず全滅はしないだろうし、よほど運が悪くなければ負けはしないだろうが……。
「どうかしら、皆。アントンさんのやったことはともかく、親父さんの希望もあるし。ヒドラを退治してしまわない?」
「ヒドラが悪いんじゃないけどね……ま、他の人たちも迷惑だってんなら、あたしは構わないよ姉ちゃん」
「うん、僕もかまわねぇよ」
「戦いなら俺の領分だ。やろうぜ」
若い世代から次々と上がる声に、最初は躊躇いを見せていたテアとウィルバーもため息をついて降参せざるを得ない。
結局、彼らはヒドラとの戦いに挑むことにした。
『この先、六角沼。足場注意』
とある立て札を横目に、冒険者たちは沼の脇に広がる道を進んでいく。
一定の間隔を置いて穿たれている大きなくぼみは、恐らくヒドラの足跡なのだろう。
それを追うようにして、テーゼンを戦闘に一行は進んでいく。
たまに出てくる蜂を避けながら、体重をかけるたびにやや沈んでしまう岩盤を踏んでいくと、やがて前方にそびえる大きな影に気づいた。
「いたぜ」
テーゼンが顎をしゃくると、他の仲間達も一斉に首肯した。
それは五つの首を持つ巨大な大蛇であった。
一つ一つの頭はそれぞれ人間の大人ほどの大きさがある。
沼に半身を沈めているのだとしても、その頭部まで6メートル近い高さがあると目測できた。
「やっぱり…ヒドラね」

「院長の話に出てきた奴よりは小さいな」
「うん…。でも兄ちゃん、あの大きさでもあたしたちにとっては手強いと思うよ」
ヒドラの話を聞いたことのある3人の会話は、幸いヒドラに届いた様子はない。
低い唸り声を上げながら、ゆらりゆらりと首を揺らしているのは、今日の朝に出くわした不倶戴天の敵――すなわち、アントンの姿を探しているのだろうか?
「とりあえず、戦う用意でもしますかね」
ウィルバーはそう呟くと、テアとともに支援魔法を味方にかけることにした。
前に立って戦うだろうロンドとテーゼンには、【飛翼の術】による援護も唱えてある。
武器を抜き呼吸を整えると、旗を掲げる爪は一斉にヒドラへ襲い掛かった。
大きな地響きとともにヒドラの巨体が泥へ沈むまで、約3分ほどだったろう。
「意外とあっけなかったわね…」
アンジェが短剣をブーツの隠しに仕舞いながら感想を述べると、ロンドが身動きひとつしない巨体へと歩み寄っていった。
その右手には、燃え盛るスコップが握られている。
「何するつもりだよ、白髪男」
「いや、ヒドラがちゃんと死んだか確かめようと……って……」
近づいていたブーツが止まる。
彼のやぶ睨みに近い鉄灰色の目は、切り落としたはずのヒドラの首から、新たに生えてきている蛇の鎌首を捕えていた。
しかも……彼が間違っていなければ、一本増えている。
仲間の口篭ったわけを訝しく思い、同じように巨体を眺めやっていた他のメンバーも異常に気づいた。
素早くウィルバーがロンドの腕を掴み、自分たちのほうへと引っ張る。
巨木のような体をよろめかせながら、ロンドがうろたえた声を上げた。
「お、おい…早く何とかしないと…っ!!」
「退却っ!みんな、こっちよ!」
ヒドラの咆哮と同時に、一瞬で判断をしたシシリーの指示が飛ぶ。
真新しい鱗に陽光を反射させた雄大なヒドラの姿を後ろに、旗を掲げる爪は一目散に駆け出した。
ウィルバーが今度はテアの腕を引っ張り、逃亡を助ける。
「急がないと、ひき殺されますよ!」
「すまんのう、お若いの。やれやれ、厄介な依頼じゃて」
「おいおい、追いかけてくるぞ!?」
低空飛行でパーティの殿を守っているテーゼンが現状を報告すると、同じく殿にいたロンドがそれに応えるように大声で叫んだ。
「こ、こっちだ、急げ!!」
2016/03/05 12:50 [edit]
category: 旧き沼の大蛇
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