Sat.
塩の降る村 その4 
たっぷり休憩を取り終わった冒険者たちは、宝箱から回収した火晶石をリュミエールの荷物袋に納めて、休憩室の向かい側にある部屋の魔法陣を起動していた。
もうひとつあった正面のドアの向こうは、己の目の働きを疑うような光景があり進んでいない。
もうひとつあった正面のドアの向こうは、己の目の働きを疑うような光景があり進んでいない。
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あのスキュラの体内から飛び出した赤い石は、どうやら魔法陣の起動キーであったようで、魔法陣のある部屋には玉がピタリと嵌まるプレートが2枚設置されている。
赤い石で移動した先には、本棚の後ろにあったような小部屋があり、そこの宝箱にはもうひとつの起動キーと思われる、翠色の石が鎮座していた。
「これで動くよね、きっと」
「あの魔法陣、古代技術のコントロールルームみたいな所に繋がってると思うんだけど……いや、古代の凄いところなら、アレは見たけれどね」
「ああ……あれね……」
「あれですか……」
フタバ・リュミエール・ミハイルは、揃って遠い目をした。
正面ドアの向こうには、何と竜が座っていたのである。竜――最強の幻獣と呼ばれ、伝説に謳われる最強の生物。そんな途轍もないものが、30メートルは上の視線から見下ろしてくるのだから、駆け出しをやっと卒業できるか否かという実力の冒険者が、到底太刀打ちできるものではない。
この技術の結晶である取水施設を守るために、古代の魔術師が配したのだろう。
竜を回避してきた一行は、翠石の起動キーの移動先には2つのドアがあり、右手にあったドアを開けた瞬間、
「これ、やばいんじゃ……」
と誰もがこの施設に危機感を抱いた。
びちゃり、と前に踏み出したモイラのブーツが水音を立てる。
壁の僅かなひび割れから、水分が滲み出している。床の水はそこから漏れたものだと思われるが、閉めきられていたこの部屋の湿気は、遺跡に入った時の比ではなかった。
もしかしたら、まさに自分たちは遺跡崩壊の瀬戸際にいるのでは――そう考えた冒険者たちは、不安を抱えたままもうひとつのドアを開けた。
この部屋も、他と印象に大差はなく、相変わらず灰色の石材による壁に取り囲まれている。
階段がふたつ伸びており、ひとつは上へ、ひとつは下層に向かうもののようだ。頭脳役のカノンもフタバも、水を溜めておくなら下層の階段のほうだろう、と見当をつけた。
問題は――部屋の隅に立つ、2本の奇妙な”柱”である。表面には水晶球や操作用のつまみが見られるが、それ以外は完全にフラットで、ただの柱と変わりは無い。
「水晶球が割れているのが気になるな……」
「この出っ張り、スイッチだと思うの。横のこれが操作の説明書きなんだろうけど、西方諸国のとはもちろん、和国の文字とも違うのよ」
「つまり、読めないと」
モイラの指摘にフタバは首肯した。
フタバが詳しく見たところ、右の柱に2本のスリットがある。何かを差し込むらしいが、これも説明書きが読めなければ、迂闊に弄ることができない。
「参ったわね。解読のアイテム購入を検討すべきだわ」
「……一応、このスイッチを押してみよう。タウス川の変化をどうにかするんなら、とりあえずこの装置は動いてなきゃいけないんじゃないか?」
「うー………」
フタバはしばらく迷っていたが、カノンの言い分がもっともだったので、同意するほかなかった。
長い指が出っ張りを押してみたが、何も起こらない。
業を煮やしたフレッドが、再び同じ所を押そうとすると、
「…その装置に触れてはならぬ…」
という、しわがれた年老いた声が、どこからともなく響いて来た。
「何モンだよ!?」
フレッドの呼びかけに応え、柱からふわりと現れたのは、魔術師風の霊体である。
微細な影の集まりのような姿にカノン以外の全員が構えをとったが、カノンだけが落ち着いた様子で霊に話しかけた。
「あんたがこの施設の関係者か?」
「その通りよ……我が名はテルマン。このギガースを造りし、古き魔術師なり」
「ギガース?」
不思議そうに言ったのは、リュミエールである。吟遊詩人でもある彼女は、それが伝承では竜をも取り拉ぐ剛力の巨人の名であることを承知していた。テルマンは、タウス川の流れを吸い上げるこの取水施設に、巨人にあやかってそう名付けたのだと話した。
「ここの前室の番人たる竜めも、また然りじゃ。古代の英知たるギガースの前では一切無力。700年の過去より、ここに繋がれ、抗う事も叶わず蟠っておるわ」
「繋ぎっぱなしは良くないぞ。飯が食べれない」
「24時間どころか、365日休みがないとか、労働条件がブラック過ぎじゃないかしらね」
「お前ら、ちょっと黙ってろ」
カノンは竜に対する処遇を抗議する少年少女を黙らせると、自分たちは近隣の村から塩害調査のために雇われた一団であることを霊に説明した。
「…ふむ…なるほどな。ともかく、そなたらが、この施設を害する意図を持っておらぬのなら、それで問題は無い。先の冒険者たちとは違い、矛を交えずに済むというものだ」
「先の冒険者って……ああー、そっか」
「ルドニーの若者たちのことでしょうか。彼ら、一般人ではなかったんですねえ」
「だとしても、初っ端の仕事を自主的にこれにするなんて、自分たちの実力が測れないにもほどがあります」
「そいつらは何をして、あんたと戦う羽目になったんだ?」
「彼奴らは、誤った操作により制御装置を暴走させ、破壊してしまったのだ」
ああ……と一行は頭を抱えた。柱の水晶球が割れていたりするのも、その際の余波だろう。この霊はその異常を感知して彼らに止めるよう話しかけたのだが、ルドニーの若者たちは話を聞かずに、また装置を弄ろうとした。魔術師の霊からすれば、これ以上の暴走はごめんだったのである。
実体がないので行為を止めることが適わず、長期間呪縛や麻痺できる手段でもあれば良かったのだろうが、そんな魔法を彼は取得していなかった。やむを得ず殺害に至ったわけだ。
テルマンは淡々と話を続ける。
「…おかげで現在、取水装置が、最大の力で取水するにもかかわらず、余分な水を放出する為の水門を
開けぬ。取水量と放水量を、制御出来ぬ状態にあるのだ。加えて、給水ネットワークも、既に機能しておらぬようだ」
「ええっと、どういうつまり状態だよ?」
「水はいっぱい溜め込むのに、水をちょっとしかギガースから出すことが出来てないの。ネットワークが機能しないから、各地に水を送ることもできないってこと。そういうことでしょ?」
テルマンは頷き、取水施設を害せずに探索するのなら、それはそれで構わないと言った。
「しかし、タウスより大量の水を吸い上げて既に2ヶ月、ここの地下貯水槽も、既に飽和状態に達しておる。オアシスの状態を見ればわかるであろう……地下に収まりきらぬ水が、地上に湧き出し、湿地帯を形成しておる」
「さもありなん。この施設は最早限界なのだ。このままいけば、遺跡が大量の水により中から押し潰されて、村ごとあたり一面を押し流していくだろうな」
だが、とカノンは言った。
「何か手はあるんじゃないか?あんたが成仏もせずにここにいるのは、『あれをやってくれれば、最悪の状態は回避できるのに』という希望が残っているからじゃないか?」
「驚いたものだ……さよう……私が考えておるのは、放水口を解放することだ……」
テルマンの説明はこうだ。
この遺跡は既に制御不能であり、現在の最大量での取水を止める手立てのほうは無い。だが、放水口を拡張し、元より少し大きな穴を穿ってやることで、取水量を上回る放水量を確保すれば、徐々にギガースの貯水量も減ってゆき、いずれはタウス川の流れも復活するだろう……。
「しかし、これは極めて危険な賭けだ。残された時間は少ないだろう……ここを脱出するなら、今のうちだぞ?」
「まだチャンスがあるのなら、やるに決まってるだろう」
カノンが恐れる色もなく言い放ち、他の面々を見渡した。皆、若干の緊張は孕んでいるものの、今すぐ逃げ出そうと言い立てる者はいない。『火を抱く猫』ことホムラさえ、次の指示を待つような様子をしている。カノンはふっと笑いながら、依頼人は後で思い切り吹っ掛けてやると保証した。
フレッドが尋ねた。
「放水口に行くのには、階段で下りればいいのか?」
「ああ……最後まで足掻いてみることだ……」
俄かに、魔術師の霊体の輪郭が揺らぎ始める。
「大した覚悟だ……」
あえての勇気を賞賛しているのか、危機への鈍感さに呆れているのか、最後にこの一言を残し、古代の魔術師の霊体は、冒険者たちの前から掻き消えた。
一行はさっそく移動しようとしたが、リュミエールが二又の杖のようなものを柱の影に発見し、慌てて立ち止まる。柄の部分にスイッチがあり、それを押してみると、先端より強い雷光が走った。
「なんだろうね、これ」
「しまったな。さっきのテルマンさんだかがいれば聞けるのによ」
「変わったものですね。僕が持ちましょうか?」
「んー。あたしでも持てるから、一応このまま貰っておくよ」
二又の杖を持つフェアリーの姿に、フタバは現代日本でデフォルメされてた虫歯菌みたいだ……と思ったが、辛うじて吹き出すのは堪えた。実はこれが、ある意味で彼らを救うことになるのだが……。
長い階段を下りると、巨大なプールのような空間が広がっている。最大量で放水する時には、腰の辺りくらいまで溜まっているこの水が、この空間いっぱいを埋めるほどになるのだろう。
「…この奥が放水口なんですね」
「少し水がありますね」
「まあ、そんなに水深がある訳でもないしな。さっさと奥の放水口を開けちまおうぜ?」
「ああ。なるべく急いだ方が良さそうだ。………!?」
その時、水底から弾けるような泡の音が、ハーフエルフの尖った耳に届いた。立ち止まり、あたりの水音を聞き分けようとする。
不審に思ったモイラが何事か尋ねようと身を乗り出した時、急に彼らの進行方向から、ぶくぶくと泡が立ち始めた。
「やっぱり、空耳じゃないな」
「……この先に何かいますよ!」
行く手の水中に何か大きな影が過ぎったかと思うと、影はこちらが察知したことに気づいたのか一気に浮上して、彼らの前にその姿を現した。
それは大きな魚型の生物だった。しかしその異形は、2対の長い触手を具えており、 恐るべき魔物であろうことが正体が分からずとも窺える。何より嫌悪をそそるのは、人とは似ても似つかぬその姿から、異形の知性が感じられることであった。
「テ~ル~マ~ン~……こんなモンがいるなら、先に注意しとけ!」
「全くです。しかしあれは一体……?」
「アブトゥー……恐るべき知的生命体だ。俺が嫌なのは、他の生物を催眠効果で従属させることと、魚型のくせに陸上活動もできることだな」
「何それ、ずるいにもほどがあるよ!」
「モイラやフレッドにその従属効果発揮されると、私たち詰むんじゃない?」
「が、頑張って回避しましょう……」
「だな」
「ただ、俺が文献で見たものよりは幾分か小さい。まだ幼体なんだろう。だとすれば成体を相手にするよりは、まだ勝機があると言える」
カノンは少し出した舌で上唇を舐めると、ゆっくり杖を構えた。
冒険者たちは触手でなぎ払われることを警戒し、散会したかったのだが、生憎と水の掛からない足場でアブドゥーと戦える場所はそう多くない。
こちらへ襲い来る触手の一本をサイドステップでかわすと、モイラはすかさず剣を振り下ろした。
彼女の持つ≪白炎の直剣≫は、刀身に火が纏わりついた聖なる剣だ。水棲生物相手なら頼りになるだろう、と当てにしていたのに、いまいち効果があるようには見えない。
「ち、こいつ火は苦手じゃないんですか…!」
「アブドゥーの表面は粘膜で覆われている。触手もまた守られているのかもしれない」
「じゃあ、弱点は何だよ!?」
触手に腕を打たれながらも、斧を取り落とすことなくフレッドが鋭くスイングさせると、ダメージを受けていた触手が一本落ちていく。
「猫よ、猫よ、燃ゆ街を見て何想う」
後ろで詠唱の終わったフタバが、指差してアブドゥーの本体に攻撃を飛ばしたが、それは残っている触手によって届くことがなかった。
「触手が邪魔だわ!」
「全部落とすのかよ、面倒だな」
「弱点……弱点か……そうだ!おい妖精、俺が良いと合図するまで、さっきの二又の杖は使わず構えていろ!」
「え、うん、わかった」
いいアイデアを閃いたカノンが、攻撃魔法を唱えず荷物袋を漁り始める。
何をしてるんだと怒鳴りたいところだが、それどころではないので、ミハイルは損傷の著しく激しい触手を叩き落した。――恐らくはそうやって憤っていたのが、心の隙だったのかもしれない。
ふっとミハイルが気づくと、どんよりした赤黒い目がこちらを覗き込んでいる。
「くっ……う、うう……!」
≪氷の宝玉≫を落としたミハイルが、愕然とした様子に変わり、何かを恐れるように震え始める。
ミハイル様、と呼びかけるモイラの声も、彼の深層意識には届いていなかった。
フェアリーが舌打ちする。
「まずいなあ……従属効果かな」
しかし、ミハイルが仲間たちに攻撃するよりも前に、カノンが持っていた塩を水中へばら撒く方が早い。
それも一掴み二掴みならともかく、袋いっぱいの塩を勢いよく放り込んだものである。
ゾンビーのごとき足取りで歩き始めるミハイルを、モイラが羽交い絞めにして全力で止め、フタバとフレッドで残りの触手を相手した。
足に絡み付こうとする触手を蹴飛ばし、フタバは短い詠唱と共に刀を振り切った。【紅蓮の剣】による攻撃である。
フレッドはそれを見て、わざと自分の足を囮にしてアブドゥーの触手を巻きつかせ、動きの止まっているうちに斧で断ち割った。
「危ない真似するわね。懲りないの?」
「この方が届かない位置の触手狙うより、早く退治できるだろ」
それに、とフレッドは横目でちらりと、まだ塩を投げ入れているカノンを見た。
「あっちはあっちで、囮がいなかったら触手に水中へ引きずり込まれちまう。一体、何の遊びなんだよ?」
「遊びじゃないわ、多分だけど伝導率を上げてるのよ」
「伝導率?」
「正しくは電気伝導率。物質中における電気伝導のし易さを言うんだけど……水はね、塩水のほうがうんと電気が伝わりやすいの」
刀が閃き、ミハイルたちを狙った触手の先っぽが切り飛ばされる。
「それがどうしたんだ。関係あるのかよ、この非常事態に」
「あるわよ。フレッドったら、リュミエールがあの杖をバチバチさせてたの、一緒に見てたじゃないの」
「あれがどうし――まさか……」
フレッドがもう一度彼らを見やると、カノンがにやりと笑ったところだった。
「よし行け、妖精!お前が水に浸からないように注意しつつ、水にスイッチを入れた杖を突き立てろ!」
「いっくよー!」
何となく飲み込めたフェアリーは、いつの間にか数少なくなった触手をすり抜けて、柄のスイッチをONにされた杖を言われたとおりに突き刺した。
その途端、水中に激しい雷光と轟音が轟き渡る。
「……ふにゃああ!?」
自分のやった行動に対する、大き過ぎる反応にリュミエールが悲鳴を上げるが、無言のままアブドゥーも身を捩り、声なき断末魔を叫ぶ。
やがて黒こげ状態になった触手が順々に水中へ没していき、反対にすっかり息の根のとまったアブドゥーの本体が浮かんできた。
そして、アブトゥーの支配下にあったミハイルは、敵の死亡により支配より脱した。
「……はっ!モイラ、ちょ、何で抱きついてるんですか!?」
「羽交い絞めです。抱きついてるわけじゃないです」
「……ロマンチックの欠片もないな、あの従者さん……妖精、無事か?」
「ふおお……目がちかちか、耳もぐあんぐあんするよー……カノンひどいー……」
「すまんすまん。水に入らずに杖を突きたてられるのは、うちじゃお前しかいないからな。……肝心の杖はどうした?」
「壊れちゃったみたい。ああいう使い方するものじゃないんでしょ?」
「うーむ。やったものは仕方ないな」
治療の必要があるほどの怪我を負ったものがいないのを確認し、カノンはさてと皆を促した。
放水口はこの奥にあるのだ。放水口自体を拡張する作業があるので、あまり時間をかけるわけにはいかない。
ただ、フレッドは浮いてきたアブドゥーをじっくりと見やり、ミハイルに切り取った一部を記念に持ち帰りたいから、≪氷の宝玉≫で凍らせてくれと頼んでいた。
「おい、お前の持つ荷が肝心なんだ!早く来い!」
「わー、待ってくれって!」
合流した一行は、腰まである水を掻き分けて、頑丈そうな石の扉の前に進み出た。
御影石のような黒い扉は、確かに水の一滴も通さぬよう、しっかり閉じ合わされている。これを破壊するには、相応の時間が必要となるだろう。
だが、彼らにはちょっとした秘策があった。
いそいそとフレッドが取り出した井戸用の掘削機。ココン村に残されていた機械である。
気合を入れるために頬を自分の両手で打ったフレッドが、それをしっかり構えた。
「……始めるか。思いっ切りこの水門、崩してやろうぜ?」
「おお!」
冒険者たちは、景気よく放水口周りの掘削を開始した。
地道な掘削は成果が現れるよりも先に、作業を続ける冒険者たちの体力を奪い、額に汗を滲ませていく。
テルマンは、「元より少し大きな放水口」を開ければいいと言っていた。つまり、穴を広げ過ぎても悪影響が出てくるはずである。
放水口そのものを破砕するのも大事だが、そのサイズに関しては慎重を期さなければならなかった。
ポタンと誰かの滴る汗が、下の水に落ちる音がする。水が下半身に浸かった状態で作業を続けるのは、体温を著しく奪うのだ。
しかし、集中力を欠くわけにはいかない。冒険者たちが石の放水口を穿つごとに、ヌクス村や他の村々の住民の生活や命がかかってくるのだから。
そして………。
「まずは皆様、この度は、危険を冒して、砂漠を探索してくださいましたこと、深く感謝致します。しかし、まさか北の山中から、タウス川が干上がってしまっているとは…」
翌日の話である。
彼らの前で礼を述べ、そう慨歎しているのはヌクス村の村長――つまり、彼らの依頼人であった。
一行は見事に注文どおりのサイズの穴を掘削し、無事にここまで戻ってきたのである。
そもそもの依頼であった塩害の来る場所や原因、それについての処置……本当に長い話であるために、このヌクス村に不眠不休で辿り着いた彼らは、一度睡眠をとって体力を回復してから依頼主に対していた。
そうやって明かされた真相に、村長はただただ唸るばかりである。
「古代の叡智とは、実に恐るべきものなのですな。あの大河すら消滅させてしまうのですから」
「うん。怖い話だよね」
「でもま、昔からこの辺が荒地だったんで、古代の人もどうにかしたかったのは、今と変わりないんだよな」
「そのために工夫をするのはいいのだと思うんです。ただ、アフターケアがなってなかったわけでして」
「ルドニーの若者たちも、自分たちの手で村を助けたかったでしょうにね。運が悪かったわ」
「……今回、僕、丸呑みにされるわ操られるわで、ろくなことがなかったんですが……」
「ははは……あ、そうだ。村長、これを見てください」
カノンはフレッドに了承を得て、袋に詰めた魔物のサンプルを村長に見せた。ミハイルが≪氷の宝玉≫の力で凍らせたアブドゥーの一部である。
「むう…!これはまた…何とも不気味な……今まで私が目にしたどんな生物とも違っておりますな」
「こいつは古代の知的生命体のひとつなんだ。ただの魚じゃなかった。勝てはしたんだが、俺たちも危なかったよ」
「皆様はこんな異質な者たちと、日頃から戦っていらっしゃるのですなあ」
村長は、深い感銘を受けた様子だ。
「こいつを退治した後で、遺跡の暴走による水害の発生を止めるため、古代施設の放水口を拡張してきた。もうタウスが干上がることはもちろん、洪水も暴雨が降らない限りはないだろう」
「ま、雨のほうは山岳が低めだから、元々降雨量も低い地方みたいだし。安心してもらっていいと思うわ」
「実に素晴らしい。皆様は、この地方に生きる者達の希望をお守り下さいました。同じ地方に住む同胞として、これは是非、お礼をしなくてはなりますまい」
基本報酬に加えて危険手当、さらには塩害の原因の突き止めやその対処などを称えて、銀貨を2400枚も用意してくれた。
常にない銀貨の洪水に、リュミエールが目を瞠る。
「うわあ。こんなに貰っちゃっていいの?緑化計画とかやり直しなのに、大丈夫?」
「すべてゼロから出発するつもりで頑張りますよ。遠い西方から来ていただいたのですから、これくらいさせてください」
「それじゃ村長、ココンの村人は難しいかもしれないが、ルドニーの人たちに今回の件を伝えてあげてください。我々はこれから、ポートリオン経由でリューンに帰ります」
「おや……もうお帰りになられるので?」
まだ十分なもてなしも出来ていないのに……と村長は残念がったが、冒険者たちは、今までの塩害で食料にも不安が出始めているヌクスに、これ以上の負担をかけたくなかった。
もっとも、ポートリオンを目指すのにはちょっとした理由もあるのだが……。
村長に暇を告げると、彼らはゆっくりと街道に向けて歩き始めた。
今までほとんど見ることのなかったタウス川は、今朝から少しずつ水量が増え始めているようで、ヌクス村の人たちの顔も、前に見たときよりずっと明るくなっていた。
塩に侵された土壌を回復するには、まだまだ長い時間がかかるに違いないが、いずれサス湖も、その本来の水位を回復し、ヌクスを始めとする南部の村々の塩害も段々と解消されてゆくだろう。
かつての雄渾な流れを取り戻した大河を見届けられないのは惜しいが、あの商人が故郷に戻る前に、新港都市にまで行く必要があった。
「なんてったって、サス湖が元に戻ったら、もうお塩取れないもんね」
「カノンの指示でめちゃくちゃ採った塩、早めに行って売らないとな」
「ふはははは、俺に任せておけ。頑張って紹介してもらった商人に売り込んでやる」
「うう、聖北の神よ、今回は報酬をたくさんいただいたのに、仲間が欲をかき過ぎじゃないかと心配です……」
「でも今回、ミハイル様にその手の発言権はないですからね。ただでさえ、皆に迷惑かけたのですから」
「――ね、私たちのパーティ名なんだけどさ」
フタバがそう言うと、他の者たちはきょとんとした表情で彼女を見やった。
「太陽を送る者たち、ってどうかしら。タブロアート領では太陽を送還したし、このヌクスでは”希望”という名の太陽を送ってあげられたわ。結構いい名前だと思うんだけど」
どう?と小首を傾げるフタバを見る皆の目が、感心したような色に染まった。
「いいかもしれないな。パーティの固有名ある方が依頼しやすいって、エセルさんも言ってたし」
「太陽に悩まされもしてますけどね。依頼人に言うことじゃないし、その名前のほうが無難です」
「悪くないだろう。≪のんびり柘榴亭≫に戻ったら、登録しておこうじゃないか」
宿に帰って登録が終わったら、次に何をするか……冒険者たちは、騒がしくはあったものの、和気藹々と話をしながら道を進んでいく。
※収入:報酬2400sp、≪火晶石≫≪塩≫×100≪薬草≫×12
※支出:
※その他:
※MNS様の塩の降る村クリア!
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フレッドたちの6回目のお仕事は、今までも他のリプレイ作者さんが書いたことのあるMNS様の塩の降る村でした。
この依頼は時間制限があって結構長いし、敵も強いのが多いんですが、やり応えがあって面白いです。
何より、その報酬の多さ!もちろん、報酬を得るためには、色々と冒険者が工夫せねばならない場面もあるんですが……。
それが「自分の腕と相談して挑んで来い!」みたいな感じで楽しいんですね。
昔は放水口を「ちょっとだけ」大きく広げることがよく分かってなくて、火晶石使ったりしたことあります。
その結末は……ご自分でプレイなさった方が、いいのかも。
このシナリオ自体が、新港都市ポートリオン(Moonlit様)とクロスオーバーしてまして、今回手に入れた≪塩≫はそこで売り払えます。
お礼に≪星の金貨≫も貰えます。ラッキー。
一個で3回使える薬草も、魔術師の工房(Niwatorry様)でばらしてから傷薬に変えることが出来ます。
ま、回数あった方がありがたいって人は、そのまま薬草持ち歩いた方がいいのかなとも思いますが。
本編中、ルドニーの村でお父さんと仲の悪い息子さんからオアシスの情報を聞いてますが、この2人は別に親子じゃないです。
そしてルドニーの5人の若者についても色々言ってますが、シナリオには性別以外は詳しく書いてないので、勝手に想像して書いてます。
MNS様におかれましては、不快でしたら大変申し訳ございません。
ただ、あの5人の子たち、最初は本当にただの一般人だと思ってました。
何度かシナリオをやって、ある日ようやく「ああ!冒険者って霊が言ってる!」と気づいたんです。Leeffesうっかりしてました。
キーコードのあるアイテムについても言及してますが、本気でそろそろ買い揃えたいところ。
ただ、スキル枠も埋めてあげたいので、あれやこれや迷い気味です。
戦士のスキルは全部埋めなくても、通常攻撃や渾身の一撃で、途中までカバーできるんで助かります。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
赤い石で移動した先には、本棚の後ろにあったような小部屋があり、そこの宝箱にはもうひとつの起動キーと思われる、翠色の石が鎮座していた。
「これで動くよね、きっと」
「あの魔法陣、古代技術のコントロールルームみたいな所に繋がってると思うんだけど……いや、古代の凄いところなら、アレは見たけれどね」
「ああ……あれね……」
「あれですか……」
フタバ・リュミエール・ミハイルは、揃って遠い目をした。
正面ドアの向こうには、何と竜が座っていたのである。竜――最強の幻獣と呼ばれ、伝説に謳われる最強の生物。そんな途轍もないものが、30メートルは上の視線から見下ろしてくるのだから、駆け出しをやっと卒業できるか否かという実力の冒険者が、到底太刀打ちできるものではない。
この技術の結晶である取水施設を守るために、古代の魔術師が配したのだろう。
竜を回避してきた一行は、翠石の起動キーの移動先には2つのドアがあり、右手にあったドアを開けた瞬間、
「これ、やばいんじゃ……」
と誰もがこの施設に危機感を抱いた。
びちゃり、と前に踏み出したモイラのブーツが水音を立てる。
壁の僅かなひび割れから、水分が滲み出している。床の水はそこから漏れたものだと思われるが、閉めきられていたこの部屋の湿気は、遺跡に入った時の比ではなかった。
もしかしたら、まさに自分たちは遺跡崩壊の瀬戸際にいるのでは――そう考えた冒険者たちは、不安を抱えたままもうひとつのドアを開けた。
この部屋も、他と印象に大差はなく、相変わらず灰色の石材による壁に取り囲まれている。
階段がふたつ伸びており、ひとつは上へ、ひとつは下層に向かうもののようだ。頭脳役のカノンもフタバも、水を溜めておくなら下層の階段のほうだろう、と見当をつけた。
問題は――部屋の隅に立つ、2本の奇妙な”柱”である。表面には水晶球や操作用のつまみが見られるが、それ以外は完全にフラットで、ただの柱と変わりは無い。
「水晶球が割れているのが気になるな……」
「この出っ張り、スイッチだと思うの。横のこれが操作の説明書きなんだろうけど、西方諸国のとはもちろん、和国の文字とも違うのよ」
「つまり、読めないと」
モイラの指摘にフタバは首肯した。
フタバが詳しく見たところ、右の柱に2本のスリットがある。何かを差し込むらしいが、これも説明書きが読めなければ、迂闊に弄ることができない。
「参ったわね。解読のアイテム購入を検討すべきだわ」
「……一応、このスイッチを押してみよう。タウス川の変化をどうにかするんなら、とりあえずこの装置は動いてなきゃいけないんじゃないか?」
「うー………」
フタバはしばらく迷っていたが、カノンの言い分がもっともだったので、同意するほかなかった。
長い指が出っ張りを押してみたが、何も起こらない。
業を煮やしたフレッドが、再び同じ所を押そうとすると、
「…その装置に触れてはならぬ…」
という、しわがれた年老いた声が、どこからともなく響いて来た。
「何モンだよ!?」
フレッドの呼びかけに応え、柱からふわりと現れたのは、魔術師風の霊体である。
微細な影の集まりのような姿にカノン以外の全員が構えをとったが、カノンだけが落ち着いた様子で霊に話しかけた。
「あんたがこの施設の関係者か?」
「その通りよ……我が名はテルマン。このギガースを造りし、古き魔術師なり」
「ギガース?」
不思議そうに言ったのは、リュミエールである。吟遊詩人でもある彼女は、それが伝承では竜をも取り拉ぐ剛力の巨人の名であることを承知していた。テルマンは、タウス川の流れを吸い上げるこの取水施設に、巨人にあやかってそう名付けたのだと話した。
「ここの前室の番人たる竜めも、また然りじゃ。古代の英知たるギガースの前では一切無力。700年の過去より、ここに繋がれ、抗う事も叶わず蟠っておるわ」
「繋ぎっぱなしは良くないぞ。飯が食べれない」
「24時間どころか、365日休みがないとか、労働条件がブラック過ぎじゃないかしらね」
「お前ら、ちょっと黙ってろ」
カノンは竜に対する処遇を抗議する少年少女を黙らせると、自分たちは近隣の村から塩害調査のために雇われた一団であることを霊に説明した。
「…ふむ…なるほどな。ともかく、そなたらが、この施設を害する意図を持っておらぬのなら、それで問題は無い。先の冒険者たちとは違い、矛を交えずに済むというものだ」
「先の冒険者って……ああー、そっか」
「ルドニーの若者たちのことでしょうか。彼ら、一般人ではなかったんですねえ」
「だとしても、初っ端の仕事を自主的にこれにするなんて、自分たちの実力が測れないにもほどがあります」
「そいつらは何をして、あんたと戦う羽目になったんだ?」
「彼奴らは、誤った操作により制御装置を暴走させ、破壊してしまったのだ」
ああ……と一行は頭を抱えた。柱の水晶球が割れていたりするのも、その際の余波だろう。この霊はその異常を感知して彼らに止めるよう話しかけたのだが、ルドニーの若者たちは話を聞かずに、また装置を弄ろうとした。魔術師の霊からすれば、これ以上の暴走はごめんだったのである。
実体がないので行為を止めることが適わず、長期間呪縛や麻痺できる手段でもあれば良かったのだろうが、そんな魔法を彼は取得していなかった。やむを得ず殺害に至ったわけだ。
テルマンは淡々と話を続ける。
「…おかげで現在、取水装置が、最大の力で取水するにもかかわらず、余分な水を放出する為の水門を
開けぬ。取水量と放水量を、制御出来ぬ状態にあるのだ。加えて、給水ネットワークも、既に機能しておらぬようだ」
「ええっと、どういうつまり状態だよ?」
「水はいっぱい溜め込むのに、水をちょっとしかギガースから出すことが出来てないの。ネットワークが機能しないから、各地に水を送ることもできないってこと。そういうことでしょ?」
テルマンは頷き、取水施設を害せずに探索するのなら、それはそれで構わないと言った。
「しかし、タウスより大量の水を吸い上げて既に2ヶ月、ここの地下貯水槽も、既に飽和状態に達しておる。オアシスの状態を見ればわかるであろう……地下に収まりきらぬ水が、地上に湧き出し、湿地帯を形成しておる」
「さもありなん。この施設は最早限界なのだ。このままいけば、遺跡が大量の水により中から押し潰されて、村ごとあたり一面を押し流していくだろうな」
だが、とカノンは言った。
「何か手はあるんじゃないか?あんたが成仏もせずにここにいるのは、『あれをやってくれれば、最悪の状態は回避できるのに』という希望が残っているからじゃないか?」
「驚いたものだ……さよう……私が考えておるのは、放水口を解放することだ……」
テルマンの説明はこうだ。
この遺跡は既に制御不能であり、現在の最大量での取水を止める手立てのほうは無い。だが、放水口を拡張し、元より少し大きな穴を穿ってやることで、取水量を上回る放水量を確保すれば、徐々にギガースの貯水量も減ってゆき、いずれはタウス川の流れも復活するだろう……。
「しかし、これは極めて危険な賭けだ。残された時間は少ないだろう……ここを脱出するなら、今のうちだぞ?」
「まだチャンスがあるのなら、やるに決まってるだろう」
カノンが恐れる色もなく言い放ち、他の面々を見渡した。皆、若干の緊張は孕んでいるものの、今すぐ逃げ出そうと言い立てる者はいない。『火を抱く猫』ことホムラさえ、次の指示を待つような様子をしている。カノンはふっと笑いながら、依頼人は後で思い切り吹っ掛けてやると保証した。
フレッドが尋ねた。
「放水口に行くのには、階段で下りればいいのか?」
「ああ……最後まで足掻いてみることだ……」
俄かに、魔術師の霊体の輪郭が揺らぎ始める。
「大した覚悟だ……」
あえての勇気を賞賛しているのか、危機への鈍感さに呆れているのか、最後にこの一言を残し、古代の魔術師の霊体は、冒険者たちの前から掻き消えた。
一行はさっそく移動しようとしたが、リュミエールが二又の杖のようなものを柱の影に発見し、慌てて立ち止まる。柄の部分にスイッチがあり、それを押してみると、先端より強い雷光が走った。
「なんだろうね、これ」
「しまったな。さっきのテルマンさんだかがいれば聞けるのによ」
「変わったものですね。僕が持ちましょうか?」
「んー。あたしでも持てるから、一応このまま貰っておくよ」
二又の杖を持つフェアリーの姿に、フタバは現代日本でデフォルメされてた虫歯菌みたいだ……と思ったが、辛うじて吹き出すのは堪えた。実はこれが、ある意味で彼らを救うことになるのだが……。
長い階段を下りると、巨大なプールのような空間が広がっている。最大量で放水する時には、腰の辺りくらいまで溜まっているこの水が、この空間いっぱいを埋めるほどになるのだろう。
「…この奥が放水口なんですね」
「少し水がありますね」
「まあ、そんなに水深がある訳でもないしな。さっさと奥の放水口を開けちまおうぜ?」
「ああ。なるべく急いだ方が良さそうだ。………!?」
その時、水底から弾けるような泡の音が、ハーフエルフの尖った耳に届いた。立ち止まり、あたりの水音を聞き分けようとする。
不審に思ったモイラが何事か尋ねようと身を乗り出した時、急に彼らの進行方向から、ぶくぶくと泡が立ち始めた。
「やっぱり、空耳じゃないな」
「……この先に何かいますよ!」
行く手の水中に何か大きな影が過ぎったかと思うと、影はこちらが察知したことに気づいたのか一気に浮上して、彼らの前にその姿を現した。
それは大きな魚型の生物だった。しかしその異形は、2対の長い触手を具えており、 恐るべき魔物であろうことが正体が分からずとも窺える。何より嫌悪をそそるのは、人とは似ても似つかぬその姿から、異形の知性が感じられることであった。
「テ~ル~マ~ン~……こんなモンがいるなら、先に注意しとけ!」
「全くです。しかしあれは一体……?」
「アブトゥー……恐るべき知的生命体だ。俺が嫌なのは、他の生物を催眠効果で従属させることと、魚型のくせに陸上活動もできることだな」
「何それ、ずるいにもほどがあるよ!」
「モイラやフレッドにその従属効果発揮されると、私たち詰むんじゃない?」
「が、頑張って回避しましょう……」
「だな」
「ただ、俺が文献で見たものよりは幾分か小さい。まだ幼体なんだろう。だとすれば成体を相手にするよりは、まだ勝機があると言える」
カノンは少し出した舌で上唇を舐めると、ゆっくり杖を構えた。
冒険者たちは触手でなぎ払われることを警戒し、散会したかったのだが、生憎と水の掛からない足場でアブドゥーと戦える場所はそう多くない。
こちらへ襲い来る触手の一本をサイドステップでかわすと、モイラはすかさず剣を振り下ろした。
彼女の持つ≪白炎の直剣≫は、刀身に火が纏わりついた聖なる剣だ。水棲生物相手なら頼りになるだろう、と当てにしていたのに、いまいち効果があるようには見えない。
「ち、こいつ火は苦手じゃないんですか…!」
「アブドゥーの表面は粘膜で覆われている。触手もまた守られているのかもしれない」
「じゃあ、弱点は何だよ!?」
触手に腕を打たれながらも、斧を取り落とすことなくフレッドが鋭くスイングさせると、ダメージを受けていた触手が一本落ちていく。
「猫よ、猫よ、燃ゆ街を見て何想う」
後ろで詠唱の終わったフタバが、指差してアブドゥーの本体に攻撃を飛ばしたが、それは残っている触手によって届くことがなかった。
「触手が邪魔だわ!」
「全部落とすのかよ、面倒だな」
「弱点……弱点か……そうだ!おい妖精、俺が良いと合図するまで、さっきの二又の杖は使わず構えていろ!」
「え、うん、わかった」
いいアイデアを閃いたカノンが、攻撃魔法を唱えず荷物袋を漁り始める。
何をしてるんだと怒鳴りたいところだが、それどころではないので、ミハイルは損傷の著しく激しい触手を叩き落した。――恐らくはそうやって憤っていたのが、心の隙だったのかもしれない。
ふっとミハイルが気づくと、どんよりした赤黒い目がこちらを覗き込んでいる。
「くっ……う、うう……!」
≪氷の宝玉≫を落としたミハイルが、愕然とした様子に変わり、何かを恐れるように震え始める。
ミハイル様、と呼びかけるモイラの声も、彼の深層意識には届いていなかった。
フェアリーが舌打ちする。
「まずいなあ……従属効果かな」
しかし、ミハイルが仲間たちに攻撃するよりも前に、カノンが持っていた塩を水中へばら撒く方が早い。
それも一掴み二掴みならともかく、袋いっぱいの塩を勢いよく放り込んだものである。
ゾンビーのごとき足取りで歩き始めるミハイルを、モイラが羽交い絞めにして全力で止め、フタバとフレッドで残りの触手を相手した。
足に絡み付こうとする触手を蹴飛ばし、フタバは短い詠唱と共に刀を振り切った。【紅蓮の剣】による攻撃である。
フレッドはそれを見て、わざと自分の足を囮にしてアブドゥーの触手を巻きつかせ、動きの止まっているうちに斧で断ち割った。
「危ない真似するわね。懲りないの?」
「この方が届かない位置の触手狙うより、早く退治できるだろ」
それに、とフレッドは横目でちらりと、まだ塩を投げ入れているカノンを見た。
「あっちはあっちで、囮がいなかったら触手に水中へ引きずり込まれちまう。一体、何の遊びなんだよ?」
「遊びじゃないわ、多分だけど伝導率を上げてるのよ」
「伝導率?」
「正しくは電気伝導率。物質中における電気伝導のし易さを言うんだけど……水はね、塩水のほうがうんと電気が伝わりやすいの」
刀が閃き、ミハイルたちを狙った触手の先っぽが切り飛ばされる。
「それがどうしたんだ。関係あるのかよ、この非常事態に」
「あるわよ。フレッドったら、リュミエールがあの杖をバチバチさせてたの、一緒に見てたじゃないの」
「あれがどうし――まさか……」
フレッドがもう一度彼らを見やると、カノンがにやりと笑ったところだった。
「よし行け、妖精!お前が水に浸からないように注意しつつ、水にスイッチを入れた杖を突き立てろ!」
「いっくよー!」
何となく飲み込めたフェアリーは、いつの間にか数少なくなった触手をすり抜けて、柄のスイッチをONにされた杖を言われたとおりに突き刺した。
その途端、水中に激しい雷光と轟音が轟き渡る。
「……ふにゃああ!?」
自分のやった行動に対する、大き過ぎる反応にリュミエールが悲鳴を上げるが、無言のままアブドゥーも身を捩り、声なき断末魔を叫ぶ。
やがて黒こげ状態になった触手が順々に水中へ没していき、反対にすっかり息の根のとまったアブドゥーの本体が浮かんできた。
そして、アブトゥーの支配下にあったミハイルは、敵の死亡により支配より脱した。
「……はっ!モイラ、ちょ、何で抱きついてるんですか!?」
「羽交い絞めです。抱きついてるわけじゃないです」
「……ロマンチックの欠片もないな、あの従者さん……妖精、無事か?」
「ふおお……目がちかちか、耳もぐあんぐあんするよー……カノンひどいー……」
「すまんすまん。水に入らずに杖を突きたてられるのは、うちじゃお前しかいないからな。……肝心の杖はどうした?」
「壊れちゃったみたい。ああいう使い方するものじゃないんでしょ?」
「うーむ。やったものは仕方ないな」
治療の必要があるほどの怪我を負ったものがいないのを確認し、カノンはさてと皆を促した。
放水口はこの奥にあるのだ。放水口自体を拡張する作業があるので、あまり時間をかけるわけにはいかない。
ただ、フレッドは浮いてきたアブドゥーをじっくりと見やり、ミハイルに切り取った一部を記念に持ち帰りたいから、≪氷の宝玉≫で凍らせてくれと頼んでいた。
「おい、お前の持つ荷が肝心なんだ!早く来い!」
「わー、待ってくれって!」
合流した一行は、腰まである水を掻き分けて、頑丈そうな石の扉の前に進み出た。
御影石のような黒い扉は、確かに水の一滴も通さぬよう、しっかり閉じ合わされている。これを破壊するには、相応の時間が必要となるだろう。
だが、彼らにはちょっとした秘策があった。
いそいそとフレッドが取り出した井戸用の掘削機。ココン村に残されていた機械である。
気合を入れるために頬を自分の両手で打ったフレッドが、それをしっかり構えた。
「……始めるか。思いっ切りこの水門、崩してやろうぜ?」
「おお!」
冒険者たちは、景気よく放水口周りの掘削を開始した。
地道な掘削は成果が現れるよりも先に、作業を続ける冒険者たちの体力を奪い、額に汗を滲ませていく。
テルマンは、「元より少し大きな放水口」を開ければいいと言っていた。つまり、穴を広げ過ぎても悪影響が出てくるはずである。
放水口そのものを破砕するのも大事だが、そのサイズに関しては慎重を期さなければならなかった。
ポタンと誰かの滴る汗が、下の水に落ちる音がする。水が下半身に浸かった状態で作業を続けるのは、体温を著しく奪うのだ。
しかし、集中力を欠くわけにはいかない。冒険者たちが石の放水口を穿つごとに、ヌクス村や他の村々の住民の生活や命がかかってくるのだから。
そして………。
「まずは皆様、この度は、危険を冒して、砂漠を探索してくださいましたこと、深く感謝致します。しかし、まさか北の山中から、タウス川が干上がってしまっているとは…」
翌日の話である。
彼らの前で礼を述べ、そう慨歎しているのはヌクス村の村長――つまり、彼らの依頼人であった。
一行は見事に注文どおりのサイズの穴を掘削し、無事にここまで戻ってきたのである。
そもそもの依頼であった塩害の来る場所や原因、それについての処置……本当に長い話であるために、このヌクス村に不眠不休で辿り着いた彼らは、一度睡眠をとって体力を回復してから依頼主に対していた。
そうやって明かされた真相に、村長はただただ唸るばかりである。
「古代の叡智とは、実に恐るべきものなのですな。あの大河すら消滅させてしまうのですから」
「うん。怖い話だよね」
「でもま、昔からこの辺が荒地だったんで、古代の人もどうにかしたかったのは、今と変わりないんだよな」
「そのために工夫をするのはいいのだと思うんです。ただ、アフターケアがなってなかったわけでして」
「ルドニーの若者たちも、自分たちの手で村を助けたかったでしょうにね。運が悪かったわ」
「……今回、僕、丸呑みにされるわ操られるわで、ろくなことがなかったんですが……」
「ははは……あ、そうだ。村長、これを見てください」
カノンはフレッドに了承を得て、袋に詰めた魔物のサンプルを村長に見せた。ミハイルが≪氷の宝玉≫の力で凍らせたアブドゥーの一部である。
「むう…!これはまた…何とも不気味な……今まで私が目にしたどんな生物とも違っておりますな」
「こいつは古代の知的生命体のひとつなんだ。ただの魚じゃなかった。勝てはしたんだが、俺たちも危なかったよ」
「皆様はこんな異質な者たちと、日頃から戦っていらっしゃるのですなあ」
村長は、深い感銘を受けた様子だ。
「こいつを退治した後で、遺跡の暴走による水害の発生を止めるため、古代施設の放水口を拡張してきた。もうタウスが干上がることはもちろん、洪水も暴雨が降らない限りはないだろう」
「ま、雨のほうは山岳が低めだから、元々降雨量も低い地方みたいだし。安心してもらっていいと思うわ」
「実に素晴らしい。皆様は、この地方に生きる者達の希望をお守り下さいました。同じ地方に住む同胞として、これは是非、お礼をしなくてはなりますまい」
基本報酬に加えて危険手当、さらには塩害の原因の突き止めやその対処などを称えて、銀貨を2400枚も用意してくれた。
常にない銀貨の洪水に、リュミエールが目を瞠る。
「うわあ。こんなに貰っちゃっていいの?緑化計画とかやり直しなのに、大丈夫?」
「すべてゼロから出発するつもりで頑張りますよ。遠い西方から来ていただいたのですから、これくらいさせてください」
「それじゃ村長、ココンの村人は難しいかもしれないが、ルドニーの人たちに今回の件を伝えてあげてください。我々はこれから、ポートリオン経由でリューンに帰ります」
「おや……もうお帰りになられるので?」
まだ十分なもてなしも出来ていないのに……と村長は残念がったが、冒険者たちは、今までの塩害で食料にも不安が出始めているヌクスに、これ以上の負担をかけたくなかった。
もっとも、ポートリオンを目指すのにはちょっとした理由もあるのだが……。
村長に暇を告げると、彼らはゆっくりと街道に向けて歩き始めた。
今までほとんど見ることのなかったタウス川は、今朝から少しずつ水量が増え始めているようで、ヌクス村の人たちの顔も、前に見たときよりずっと明るくなっていた。
塩に侵された土壌を回復するには、まだまだ長い時間がかかるに違いないが、いずれサス湖も、その本来の水位を回復し、ヌクスを始めとする南部の村々の塩害も段々と解消されてゆくだろう。
かつての雄渾な流れを取り戻した大河を見届けられないのは惜しいが、あの商人が故郷に戻る前に、新港都市にまで行く必要があった。
「なんてったって、サス湖が元に戻ったら、もうお塩取れないもんね」
「カノンの指示でめちゃくちゃ採った塩、早めに行って売らないとな」
「ふはははは、俺に任せておけ。頑張って紹介してもらった商人に売り込んでやる」
「うう、聖北の神よ、今回は報酬をたくさんいただいたのに、仲間が欲をかき過ぎじゃないかと心配です……」
「でも今回、ミハイル様にその手の発言権はないですからね。ただでさえ、皆に迷惑かけたのですから」
「――ね、私たちのパーティ名なんだけどさ」
フタバがそう言うと、他の者たちはきょとんとした表情で彼女を見やった。
「太陽を送る者たち、ってどうかしら。タブロアート領では太陽を送還したし、このヌクスでは”希望”という名の太陽を送ってあげられたわ。結構いい名前だと思うんだけど」
どう?と小首を傾げるフタバを見る皆の目が、感心したような色に染まった。
「いいかもしれないな。パーティの固有名ある方が依頼しやすいって、エセルさんも言ってたし」
「太陽に悩まされもしてますけどね。依頼人に言うことじゃないし、その名前のほうが無難です」
「悪くないだろう。≪のんびり柘榴亭≫に戻ったら、登録しておこうじゃないか」
宿に帰って登録が終わったら、次に何をするか……冒険者たちは、騒がしくはあったものの、和気藹々と話をしながら道を進んでいく。
※収入:報酬2400sp、≪火晶石≫≪塩≫×100≪薬草≫×12
※支出:
※その他:
※MNS様の塩の降る村クリア!
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フレッドたちの6回目のお仕事は、今までも他のリプレイ作者さんが書いたことのあるMNS様の塩の降る村でした。
この依頼は時間制限があって結構長いし、敵も強いのが多いんですが、やり応えがあって面白いです。
何より、その報酬の多さ!もちろん、報酬を得るためには、色々と冒険者が工夫せねばならない場面もあるんですが……。
それが「自分の腕と相談して挑んで来い!」みたいな感じで楽しいんですね。
昔は放水口を「ちょっとだけ」大きく広げることがよく分かってなくて、火晶石使ったりしたことあります。
その結末は……ご自分でプレイなさった方が、いいのかも。
このシナリオ自体が、新港都市ポートリオン(Moonlit様)とクロスオーバーしてまして、今回手に入れた≪塩≫はそこで売り払えます。
お礼に≪星の金貨≫も貰えます。ラッキー。
一個で3回使える薬草も、魔術師の工房(Niwatorry様)でばらしてから傷薬に変えることが出来ます。
ま、回数あった方がありがたいって人は、そのまま薬草持ち歩いた方がいいのかなとも思いますが。
本編中、ルドニーの村でお父さんと仲の悪い息子さんからオアシスの情報を聞いてますが、この2人は別に親子じゃないです。
そしてルドニーの5人の若者についても色々言ってますが、シナリオには性別以外は詳しく書いてないので、勝手に想像して書いてます。
MNS様におかれましては、不快でしたら大変申し訳ございません。
ただ、あの5人の子たち、最初は本当にただの一般人だと思ってました。
何度かシナリオをやって、ある日ようやく「ああ!冒険者って霊が言ってる!」と気づいたんです。Leeffesうっかりしてました。
キーコードのあるアイテムについても言及してますが、本気でそろそろ買い揃えたいところ。
ただ、スキル枠も埋めてあげたいので、あれやこれや迷い気味です。
戦士のスキルは全部埋めなくても、通常攻撃や渾身の一撃で、途中までカバーできるんで助かります。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2019/09/21 16:48 [edit]
category: 塩の降る村
tb: -- cm: 0
Sat.
塩の降る村 その3 
変異種のモンスターに会う機会は、一般人ならほとんどないはずだが、冒険者のそれは比較が馬鹿馬鹿しくなるほどに多くなる。
今現在、彼らが刃を向けている相手もその口であり、魔術師学連に所属している身としては遭遇を喜ぶべきかもしれないが、正直に言えばカノンはくそくらえと思った。
伝説でよく聞く蛇や蛸の足だって充分に厄介だが、蛇の如く長い首を具えた猛犬とて、危険性でおさおさ劣るものではない。第一、噛みついて引き千切る力は、こっちの方が強い。
今現在、彼らが刃を向けている相手もその口であり、魔術師学連に所属している身としては遭遇を喜ぶべきかもしれないが、正直に言えばカノンはくそくらえと思った。
伝説でよく聞く蛇や蛸の足だって充分に厄介だが、蛇の如く長い首を具えた猛犬とて、危険性でおさおさ劣るものではない。第一、噛みついて引き千切る力は、こっちの方が強い。
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犬を嫌っているリュミエールが、多過ぎる天敵に精神的ショックを受けたせいで、避けられるはずの攻撃を回避することができず、牙に引っ掛けられて地面に捨てられていた。ミハイルがメイスのように≪氷の宝玉≫を振り回して庇いながら、必死に彼女へ【癒身の法】を唱えている。
白銀の鎧を纏った女性が舌なめずりしている。ここのところ、ゴブリンの肉ばかりを摂取していた彼女にとって、人間の肉は思いがけないご馳走と言えた。
「こ……のおっ!!」
フタバが詠唱と同時に燃え盛る刀を薙ぎ払い、犬の首――これは女性の下半身そのものである――を2本斬り飛ばした。
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!どうして!?どうしてこんなひどい事するの!?」
「喧しい!ひどいことしてるのはテメェだっ!!」
相棒の被害に憤ったフレッドの斧が、恐ろしい唸りをあげて旋回した。彼も脇腹を怪我しているのだが、それを知覚し得ないほど頭に血が昇っているようだ。犬の首が鈍器に潰されでもしたように肉塊になるのは、刃で裂いたのではなく、平たい部分で吹き飛ばされたのである。
「痛い痛い痛いイタイィィィ~~~!!」
女性は――いや、正しくはスキュラ(水妖女)は、ウンディーネの治療に身を委ねながらも、想像を超える冒険者たちの反撃に慄いていた。本来なら、ここで逃げるべきなのかもしれない。しかし、目の前のご馳走に未練があるのと、何故かここから逃げてはいけないという強迫観念が、スキュラをこの遺跡前の泉に縛り付けていた。
結局は、この強迫観念こそ、遺跡を築いた者たちの意思で埋め込まれたものであり――犬の下半身を持つ鎧を着たスキュラという変異種の、命取りになるのだ。
カノンの【輝星の矢】が額を真っ直ぐ撃ち抜いた瞬間に、ようやく彼女がそのことについて疑問を覚えはしたが、考えることはすでに出来なかった。
魔物の体から赤い球体が弾け飛び、異形の怪物は泉の中へと頽れて没した。
「……あ、あの板金鎧剥ぎ取っておけば良かったですね。勿体無いことをしました」
「ちょっと待て、従者さんはあれを着るつもりだったのか?」
「まさか。売るんですよ」
「女性は逞しいな……」
しみじみと呟いたカノンだったが、重傷状態から脱したリュミエールと、脇腹の出血をようやく止めてもらったフレッドを見て、大丈夫かと声をかけた。
「うん、ミハイルのおかげでへーき。ごめんね、面倒かけて」
「こっちも大丈夫だ。少し血が足りないが、後で飯でも食えば治るさ」
「頼もしい限りですが、2人とも傷が塞がっているからと言って、軽視してはいけませんよ」
大人しく首肯した2人は、近くの草むらに転がっている赤い玉を見つけた。
「なあ、カノン。これスキュラの体内から出た奴。価値あるかな?」
「ふう…む。わざわざ配置した番人に持たせたのだし、何かに使うものかもしれんな」
「とりあえず持っておいた方がいいわよ」
「そっか。分かった」
フレッドは玉が割れないよう、己の着替えに包んで荷物袋に入れた。
そして後ろを振り返る。
遠目から見ていただけでは分からなかったが、これはずいぶんと古ぼけた遺跡だ。この楽園の奥に佇んでいるからには、いわゆる重要施設だろうとは思っていた。計算外だったのは、遺跡の前の泉に浸かっていた若い娘が、下半身を巧みに隠した化け物だったということである。
フェアリーが調べた限り、遺跡の扉に鍵は掛けられておらず、罠も仕掛けられていない。
モイラが皆を代表して開けた扉の向こうを覗きこむと、またもや松明の必要はなさそうだった。白い壁が僅かに発光しているので、遺跡内部がほの明るいからである。
モイラと交代して覗き込んだフタバは、ふーんと声を上げた。
「ヒカリゴケが生えている訳でもない…これは遺跡の照明装置が、未だに生きていると考えるべきでしょうね」
「それより、結構ひんやりとしていませんか。寒いぐらいに」
「ええ。まるで、鍾乳洞の中にでもいるみたいな感じね……」
気に入らないな、とフタバは思った。
鍾乳洞は、石灰岩が雨水や地下水に溶解されてできるものだ。ということは、この遺跡は常に水に晒されているわけである。いくら古代のダムみたいな物だといっても、ここまで湿気を含んでいる理由にはならない。
「行きましょう。充分に注意してね」
「なら、俺がまた前に出るよ」
「あたしも罠発見や鍵外しがいるかもしれないから、フレッドの近くにいるねー」
「すぐ隣に並べるよう、背後に私がいましょう。フタバ殿、お手数ですが……」
「いいわ。代わりに私がミハイルくんやカノンさんを守るわね」
成人男性2人が剣を下げて並んでも、困らないほどに広い廊下である。
並び順を決めた冒険者たちは、地下への階段と奥への扉を見つけ、まずは奥に進もうとしたが、すぐにそれが不可能であると悟らざるを得なかった。
奥の部屋の通路の床が崩れ、大穴が空いてしまっている。その穴は大きく、跳躍で渡るのは難しそうだ。それに仮に跳躍に成功したとして、更に着地した床が崩落しないとも言い切れない。
飛べるリュミエールにロープを渡して、それに捕まり移動する案も出たが、ロープを結びつけるための取っ掛かりがないので、これはすぐ廃案となった。
試行錯誤の末、一行は一度ここを諦め、地下に続く階段へ行くことにした。
下へ移動するのなら湿気はさらに強くなるかと思ったのだが、意外と変わりがない。降りた先には上のものと同じような廊下と扉があった。
「……これも鍵はかかってないし、罠はないみたい」
どこか納得いかない顔をしていたが、リュミエールはそう請け負った。
「なんだよ、リュミ。罠あったほうがいいのか?」
「そーゆーわけじゃないけど、何でかなあって。照明とか見ると、ここ魔法使った遺跡なのに、あちこち好きに行けるのが解せないから」
リュミエールの懸念がすぐ当たったのに彼らが気づいたのは、地下の部屋へ踏み入り、3人目のモイラの時に自動で扉が閉まった時だった。
『げっ』
『み、皆さん無事ですか!?』
『ちょっと大丈夫なの!?』
「うわー、びっくりしたぜ」
「……扉に挟まれずラッキーでした」
「ありゃりゃ、このドア、こっち側からは開けられないね」
フェアリーの玩具と化している魔法の猫目石は、罠や鍵の構造をも見通す力をもっているが、部屋のこちら側から鍵の仕組みをもう一度確認してみると、見た覚えのない機構の一部が、ドアノブから上層へ伸びていることが分かる。他の機構は、モイラが踏んでいた床に連動している。
中途にある歯車などの働きを窺い、ひとつ頷くと、リュミエールは外で自分たちの安否を心配している仲間たちに、先ほどの大穴の空いている部屋に、ここの鍵を開けるからくりがあるという己の推測を説明した。ドアをすぐ出た床石の下に、重量を一定以上掛けられると、扉が閉まる罠があるのだ。
「あたしは飛んでて勘定に入ってないから、多分これ、少人数を捕まえる罠なんだろうね」
『なるほど……扉の表と裏でドアノブの構造が違うから、妖精が最初に調べた時には分からなかったんだろう』
「それにしても悪趣味だぜ。早く上の機構とやらをどうにかしてくれ」
『上に解除装置があるのね。分かったわ、すぐに開けるから』
『モイラ、フレッドくん、妖精さん、待っていてくださいね』
「そちらも無茶はされませんよう」
モイラは言った直後に、あの面子ならまず大丈夫だなと思い直した。
カノンは一行の年長者らしく、沈着でひねくれた物の見方もよく分かっており、全体像を見るのに長けている。フタバは若いに似合わず思慮深く、道理を弁えている人だ。あの2人がついているなら、ミハイルもそうそう妙な真似はしないだろう。
むしろ問題は――。
現在の同行者に思考をスライドさせた時、何かの動作による空気の震えと、誰かが自分の前に立ち塞がる気配があった。
モイラが気づいたのは、てっきりどこにも行けないと思っていた部屋に、装飾に紛れた隠し扉が存在し、敵がそこからまろび出てきたこと。そして、敵がゴブリン(小鬼)たちであり、統率者らしきシャーマン種の1匹が【魔法の矢】で自分を狙ったのを、フレッドが庇ったことである。
間の悪いことに、ゴブリンの攻撃魔法は、天の気まぐれを呪うほどの威力を発揮した。
フレッドが腹――スキュラとの一戦で怪我した箇所に近い――を抱えて蹲り、リュミエールは悲鳴を上げた。
「きゃあああ!!フレッド!」
「ゴブゴブゴブウゥ!」
「ふん!!」
勝機と見てフレッドにトドメを刺そうとしたゴブリンの短剣を、割り込んだモイラが長剣で弾く。
背後のフレッドを振り返らないまま、彼女は怒鳴りつけた。
「何だってまた危険な真似をするんです!!」
「何でも、何も……俺じゃ他の人は治せねぇよ……」
気が遠くなるのを必死に堪えながら、彼は言葉を続けた。
「俺がミハイルに庇われたのは、これでチャラだぜ……」
「借りを返したいのなら、別のやり方でなさい!」
「夕方の空の月を見よ、もうすぐ皆の静かな夜が来る♪」
フェアリーの歌う眠りの呪曲が優しく響き、5匹いるゴブリンのうち、シャーマン種ではない3匹が眠りこけた。戸惑うシャーマン種2匹の隙を突き、モイラが【冷却せしめよ】の術でフレッドの傷を粗く塞いだ。
しかし、この呪文自体がそもそも治療魔法でないため、回復量がさほど望めないことと、スキュラ戦の時にフレッドが結構出血していたことから、元気に立って戦えるほどではない。当の本人は、大斧を杖代わりに立ち上がり反撃しようとしているが、誰が見ても無謀である。
直接攻撃に向いていないリュミエールは、シャーマン種の視界内で飛び回り彼らを撹乱しているが、この時間稼ぎも長くは続けられないだろう。
いざとなったら刺し違えてでも――悲愴な決意を胸に、モイラが剣を中段に構えた刹那。
シャーマン種2匹を狙ったかのように、上から重量のあるものがドスンと音を立て落ちてきた。
「――は?」
我ながらひどく呆気に取られた声ではあったが、モイラとしては他に言いようがなかった。何しろ、もう駄目だと思った時に、明らかに敵の味方であろうホブゴブリン(肥大小鬼)が敵を押しつぶすように落ちてきたのだから。
状況はまだ厳しく油断ならなかったが、ホブゴブリンが攻撃魔法によるものらしき怪我を負っていることもあり、モイラは少し余裕をもって相手を捌くことが出来た。
5~6分後、待ち焦がれそうになっていた他の仲間たちも駆けつけ、ようやくゴブリンとの闘争は、冒険者側の勝利という結末で終了した。
「ゴブリン、1匹も逃げなかったね」
「手強かったです。危ないところでした」
負傷者へ【癒身の法】を唱え終わったミハイルが、しみじみ呟いた。
「この拠点を失っては、乾燥した荒野で生きてゆくのが難しいから、向こうも決死の覚悟だったのでしょうか……どうでしょう、フレッドくん。大分治りましたか?」
「ああ、ありがとう。出来れば、ここで少し休めたらいいんだが……」
「…しかし、ゴブリン臭いぞ。死体もあるし」
「我侭言って悪いけど、もうすこし別のところにしない?」
頭脳派2名が指摘するとおり、どうも戦場になったここと奥の隠し部屋は、ゴブリンの小集団の生活圏であったようで、すっかり臭いゴブリンの匂いが染み付いている。
だが大穴の向こうに行けないのならば、探索はここまでなのでは――そう尋ねようとしたフレッドを遮り、フタバが事情を話した。
「こっちでも、上の大穴の部屋でゴブリンが出て戦ったのよ。つまりそれって、ゴブリンたちが大穴の向こう側から、こちら側に移る手段を持ってたってことだと思うの」
「そいつを利用できれば、俺たちも違う場所に移動できる。次に休める部屋に行くまで、どのくらい掛かるかまだ見通しはつかんが、ここが取水のための施設なら、そう時間を取られるとは思わない」
「やれやれ……2人はわりかしスパルタだったんだな」
文句は言いながらも、フレッドはすでに立ち上がっていた。彼自身も、臭い中ゴブリンの骸の横で休憩のために寝転がれるほど、神経は太くない。
ミハイルがフレッドに肩を貸し、フレッドがいた位置にフタバが立つことにした一行は、まず上の大穴のある部屋へ行った。
頭脳派の目論見どおり、ゴブリンが橋代わりに利用したと思しき丸太を見つけ、力を合わせて穴を渡るように架けた。
怖々と丸太を渡った10メートル先には3つの扉があり、そのどれもが鍵も罠もないものだった。リュミエールがとりあえず聞き耳した結果、何も聞こえなかった左の壁のドアを先に開けると、お誂え向きなことに、あまり傷んでおらず使用に耐えうる寝台がある。
「うおっ、ラッキー」
「んー……ここの部屋、この遺跡にいた人の部屋なんだろうね。扉にこっちから鍵も掛けられるし、ここでなら休憩はできると思うよ。何だか、この本棚動くっぽいけど」
「さり気なく爆弾発言するなよ……」
「その前に、ちょっといいか?」
カノンは本棚の書物の中から、どう見てもごく最近のものだろう、安価そうな青い手帳を引っ張り出した。
「これだけ学術書が並ぶ中で、これだけ異質だったからな。さて、中身は……」
手帳を覗いたカノンが、燃えるような赤い目を一瞬だけ見開く。
「なんとまあ……ルドニーを旅立った者の手になるものだ」
「ええっ、あのお爺さんが言っていた5人の若者の?」
「驚きです。素人だけの集団で、ちゃんとここまで来たんですか」
「僕は何が書いてあるか気になるんですが……」
「ちょっと中身が長いな。フレッドは寝台に横になるといい。俺たちも果実を齧りつつこの中身を読んで、本棚の向こうを確認してから休憩しよう」
「俺の……バナナ……」
「ちゃんとフレッドの分、取っておいてあげるからさ。寝ておきなよ」
小さな相棒にまで宥められ、渋々フレッドは寝台に横たわる間に、リュミエールが施錠をする。
カノンがざっと手帳に目を通し、これを書いたのが、”頭が良い”と同じ村の住人から評されていたユルマズという青年のものだと分かった。彼らは、まだ散り散りになっていなかったココン村の助けも得て、砂蜥蜴による犠牲者を1人出しながらも、山中を探索してあの楽園を見つけたらしい。
「でも、ここに来る前に開けた穴、あたしたちしか通ってないよね?人間じゃ無理でしょ?」
「妖精さんの言うとおりです。ということは、別ルートからいらしたのでしょう」
「あのスキュラとも遭遇したみたいだ。女の子が犠牲になっている間に、この遺跡まで逃げてきたらしいな。だが……先に進まなければ、と書いたところで終わっている」
「……本棚の向こうに彼らがいるという可能性はあるかしら?」
「ないな」
きっぱりカノンが断言した。ルドニーの若者5人が出発したのが三月前、遺跡のこの部屋まで辿り着いたのが20日前である。ゴブリンまでここを棲家にしていた以上、2人の仲間を欠いた一般人が、二月以上も魔物の目を逃れて生き延びる可能性は低いし、ましてや、本棚にこれほど克明な手記を置き去りにする意味がない。所持して続きを書けば、古代の遺跡をどのように発見できたか、学者や魔術師学連が目の色を変えて知りたがる答えを与えてやれる。肌身離さず持つだろう。
もっとも、若者たちが”先に進んで”からこの部屋まで戻るつもりだったのなら、余計な荷物は置いていったろうが……。
「ミハイル、フレッドを看ててくれ。残りは本棚へ」
カノンの指示に従い、全員が本棚をスライドさせる。レールがあったので、動かすのはほとんどが女手でも苦にはならなかった。そこには一応警戒したモンスターや、厄介な罠などもなく……小さな宝箱がぽつんと寂しげにあるだけの小部屋だった。
手早く宝箱の鍵や罠を調べ終わったリュミエールが大丈夫と太鼓判を押すと、進み出たフタバが蓋を開けた。
白銀の鎧を纏った女性が舌なめずりしている。ここのところ、ゴブリンの肉ばかりを摂取していた彼女にとって、人間の肉は思いがけないご馳走と言えた。
「こ……のおっ!!」
フタバが詠唱と同時に燃え盛る刀を薙ぎ払い、犬の首――これは女性の下半身そのものである――を2本斬り飛ばした。
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!どうして!?どうしてこんなひどい事するの!?」
「喧しい!ひどいことしてるのはテメェだっ!!」
相棒の被害に憤ったフレッドの斧が、恐ろしい唸りをあげて旋回した。彼も脇腹を怪我しているのだが、それを知覚し得ないほど頭に血が昇っているようだ。犬の首が鈍器に潰されでもしたように肉塊になるのは、刃で裂いたのではなく、平たい部分で吹き飛ばされたのである。
「痛い痛い痛いイタイィィィ~~~!!」
女性は――いや、正しくはスキュラ(水妖女)は、ウンディーネの治療に身を委ねながらも、想像を超える冒険者たちの反撃に慄いていた。本来なら、ここで逃げるべきなのかもしれない。しかし、目の前のご馳走に未練があるのと、何故かここから逃げてはいけないという強迫観念が、スキュラをこの遺跡前の泉に縛り付けていた。
結局は、この強迫観念こそ、遺跡を築いた者たちの意思で埋め込まれたものであり――犬の下半身を持つ鎧を着たスキュラという変異種の、命取りになるのだ。
カノンの【輝星の矢】が額を真っ直ぐ撃ち抜いた瞬間に、ようやく彼女がそのことについて疑問を覚えはしたが、考えることはすでに出来なかった。
魔物の体から赤い球体が弾け飛び、異形の怪物は泉の中へと頽れて没した。
「……あ、あの板金鎧剥ぎ取っておけば良かったですね。勿体無いことをしました」
「ちょっと待て、従者さんはあれを着るつもりだったのか?」
「まさか。売るんですよ」
「女性は逞しいな……」
しみじみと呟いたカノンだったが、重傷状態から脱したリュミエールと、脇腹の出血をようやく止めてもらったフレッドを見て、大丈夫かと声をかけた。
「うん、ミハイルのおかげでへーき。ごめんね、面倒かけて」
「こっちも大丈夫だ。少し血が足りないが、後で飯でも食えば治るさ」
「頼もしい限りですが、2人とも傷が塞がっているからと言って、軽視してはいけませんよ」
大人しく首肯した2人は、近くの草むらに転がっている赤い玉を見つけた。
「なあ、カノン。これスキュラの体内から出た奴。価値あるかな?」
「ふう…む。わざわざ配置した番人に持たせたのだし、何かに使うものかもしれんな」
「とりあえず持っておいた方がいいわよ」
「そっか。分かった」
フレッドは玉が割れないよう、己の着替えに包んで荷物袋に入れた。
そして後ろを振り返る。
遠目から見ていただけでは分からなかったが、これはずいぶんと古ぼけた遺跡だ。この楽園の奥に佇んでいるからには、いわゆる重要施設だろうとは思っていた。計算外だったのは、遺跡の前の泉に浸かっていた若い娘が、下半身を巧みに隠した化け物だったということである。
フェアリーが調べた限り、遺跡の扉に鍵は掛けられておらず、罠も仕掛けられていない。
モイラが皆を代表して開けた扉の向こうを覗きこむと、またもや松明の必要はなさそうだった。白い壁が僅かに発光しているので、遺跡内部がほの明るいからである。
モイラと交代して覗き込んだフタバは、ふーんと声を上げた。
「ヒカリゴケが生えている訳でもない…これは遺跡の照明装置が、未だに生きていると考えるべきでしょうね」
「それより、結構ひんやりとしていませんか。寒いぐらいに」
「ええ。まるで、鍾乳洞の中にでもいるみたいな感じね……」
気に入らないな、とフタバは思った。
鍾乳洞は、石灰岩が雨水や地下水に溶解されてできるものだ。ということは、この遺跡は常に水に晒されているわけである。いくら古代のダムみたいな物だといっても、ここまで湿気を含んでいる理由にはならない。
「行きましょう。充分に注意してね」
「なら、俺がまた前に出るよ」
「あたしも罠発見や鍵外しがいるかもしれないから、フレッドの近くにいるねー」
「すぐ隣に並べるよう、背後に私がいましょう。フタバ殿、お手数ですが……」
「いいわ。代わりに私がミハイルくんやカノンさんを守るわね」
成人男性2人が剣を下げて並んでも、困らないほどに広い廊下である。
並び順を決めた冒険者たちは、地下への階段と奥への扉を見つけ、まずは奥に進もうとしたが、すぐにそれが不可能であると悟らざるを得なかった。
奥の部屋の通路の床が崩れ、大穴が空いてしまっている。その穴は大きく、跳躍で渡るのは難しそうだ。それに仮に跳躍に成功したとして、更に着地した床が崩落しないとも言い切れない。
飛べるリュミエールにロープを渡して、それに捕まり移動する案も出たが、ロープを結びつけるための取っ掛かりがないので、これはすぐ廃案となった。
試行錯誤の末、一行は一度ここを諦め、地下に続く階段へ行くことにした。
下へ移動するのなら湿気はさらに強くなるかと思ったのだが、意外と変わりがない。降りた先には上のものと同じような廊下と扉があった。
「……これも鍵はかかってないし、罠はないみたい」
どこか納得いかない顔をしていたが、リュミエールはそう請け負った。
「なんだよ、リュミ。罠あったほうがいいのか?」
「そーゆーわけじゃないけど、何でかなあって。照明とか見ると、ここ魔法使った遺跡なのに、あちこち好きに行けるのが解せないから」
リュミエールの懸念がすぐ当たったのに彼らが気づいたのは、地下の部屋へ踏み入り、3人目のモイラの時に自動で扉が閉まった時だった。
『げっ』
『み、皆さん無事ですか!?』
『ちょっと大丈夫なの!?』
「うわー、びっくりしたぜ」
「……扉に挟まれずラッキーでした」
「ありゃりゃ、このドア、こっち側からは開けられないね」
フェアリーの玩具と化している魔法の猫目石は、罠や鍵の構造をも見通す力をもっているが、部屋のこちら側から鍵の仕組みをもう一度確認してみると、見た覚えのない機構の一部が、ドアノブから上層へ伸びていることが分かる。他の機構は、モイラが踏んでいた床に連動している。
中途にある歯車などの働きを窺い、ひとつ頷くと、リュミエールは外で自分たちの安否を心配している仲間たちに、先ほどの大穴の空いている部屋に、ここの鍵を開けるからくりがあるという己の推測を説明した。ドアをすぐ出た床石の下に、重量を一定以上掛けられると、扉が閉まる罠があるのだ。
「あたしは飛んでて勘定に入ってないから、多分これ、少人数を捕まえる罠なんだろうね」
『なるほど……扉の表と裏でドアノブの構造が違うから、妖精が最初に調べた時には分からなかったんだろう』
「それにしても悪趣味だぜ。早く上の機構とやらをどうにかしてくれ」
『上に解除装置があるのね。分かったわ、すぐに開けるから』
『モイラ、フレッドくん、妖精さん、待っていてくださいね』
「そちらも無茶はされませんよう」
モイラは言った直後に、あの面子ならまず大丈夫だなと思い直した。
カノンは一行の年長者らしく、沈着でひねくれた物の見方もよく分かっており、全体像を見るのに長けている。フタバは若いに似合わず思慮深く、道理を弁えている人だ。あの2人がついているなら、ミハイルもそうそう妙な真似はしないだろう。
むしろ問題は――。
現在の同行者に思考をスライドさせた時、何かの動作による空気の震えと、誰かが自分の前に立ち塞がる気配があった。
モイラが気づいたのは、てっきりどこにも行けないと思っていた部屋に、装飾に紛れた隠し扉が存在し、敵がそこからまろび出てきたこと。そして、敵がゴブリン(小鬼)たちであり、統率者らしきシャーマン種の1匹が【魔法の矢】で自分を狙ったのを、フレッドが庇ったことである。
間の悪いことに、ゴブリンの攻撃魔法は、天の気まぐれを呪うほどの威力を発揮した。
フレッドが腹――スキュラとの一戦で怪我した箇所に近い――を抱えて蹲り、リュミエールは悲鳴を上げた。
「きゃあああ!!フレッド!」
「ゴブゴブゴブウゥ!」
「ふん!!」
勝機と見てフレッドにトドメを刺そうとしたゴブリンの短剣を、割り込んだモイラが長剣で弾く。
背後のフレッドを振り返らないまま、彼女は怒鳴りつけた。
「何だってまた危険な真似をするんです!!」
「何でも、何も……俺じゃ他の人は治せねぇよ……」
気が遠くなるのを必死に堪えながら、彼は言葉を続けた。
「俺がミハイルに庇われたのは、これでチャラだぜ……」
「借りを返したいのなら、別のやり方でなさい!」
「夕方の空の月を見よ、もうすぐ皆の静かな夜が来る♪」
フェアリーの歌う眠りの呪曲が優しく響き、5匹いるゴブリンのうち、シャーマン種ではない3匹が眠りこけた。戸惑うシャーマン種2匹の隙を突き、モイラが【冷却せしめよ】の術でフレッドの傷を粗く塞いだ。
しかし、この呪文自体がそもそも治療魔法でないため、回復量がさほど望めないことと、スキュラ戦の時にフレッドが結構出血していたことから、元気に立って戦えるほどではない。当の本人は、大斧を杖代わりに立ち上がり反撃しようとしているが、誰が見ても無謀である。
直接攻撃に向いていないリュミエールは、シャーマン種の視界内で飛び回り彼らを撹乱しているが、この時間稼ぎも長くは続けられないだろう。
いざとなったら刺し違えてでも――悲愴な決意を胸に、モイラが剣を中段に構えた刹那。
シャーマン種2匹を狙ったかのように、上から重量のあるものがドスンと音を立て落ちてきた。
「――は?」
我ながらひどく呆気に取られた声ではあったが、モイラとしては他に言いようがなかった。何しろ、もう駄目だと思った時に、明らかに敵の味方であろうホブゴブリン(肥大小鬼)が敵を押しつぶすように落ちてきたのだから。
状況はまだ厳しく油断ならなかったが、ホブゴブリンが攻撃魔法によるものらしき怪我を負っていることもあり、モイラは少し余裕をもって相手を捌くことが出来た。
5~6分後、待ち焦がれそうになっていた他の仲間たちも駆けつけ、ようやくゴブリンとの闘争は、冒険者側の勝利という結末で終了した。
「ゴブリン、1匹も逃げなかったね」
「手強かったです。危ないところでした」
負傷者へ【癒身の法】を唱え終わったミハイルが、しみじみ呟いた。
「この拠点を失っては、乾燥した荒野で生きてゆくのが難しいから、向こうも決死の覚悟だったのでしょうか……どうでしょう、フレッドくん。大分治りましたか?」
「ああ、ありがとう。出来れば、ここで少し休めたらいいんだが……」
「…しかし、ゴブリン臭いぞ。死体もあるし」
「我侭言って悪いけど、もうすこし別のところにしない?」
頭脳派2名が指摘するとおり、どうも戦場になったここと奥の隠し部屋は、ゴブリンの小集団の生活圏であったようで、すっかり臭いゴブリンの匂いが染み付いている。
だが大穴の向こうに行けないのならば、探索はここまでなのでは――そう尋ねようとしたフレッドを遮り、フタバが事情を話した。
「こっちでも、上の大穴の部屋でゴブリンが出て戦ったのよ。つまりそれって、ゴブリンたちが大穴の向こう側から、こちら側に移る手段を持ってたってことだと思うの」
「そいつを利用できれば、俺たちも違う場所に移動できる。次に休める部屋に行くまで、どのくらい掛かるかまだ見通しはつかんが、ここが取水のための施設なら、そう時間を取られるとは思わない」
「やれやれ……2人はわりかしスパルタだったんだな」
文句は言いながらも、フレッドはすでに立ち上がっていた。彼自身も、臭い中ゴブリンの骸の横で休憩のために寝転がれるほど、神経は太くない。
ミハイルがフレッドに肩を貸し、フレッドがいた位置にフタバが立つことにした一行は、まず上の大穴のある部屋へ行った。
頭脳派の目論見どおり、ゴブリンが橋代わりに利用したと思しき丸太を見つけ、力を合わせて穴を渡るように架けた。
怖々と丸太を渡った10メートル先には3つの扉があり、そのどれもが鍵も罠もないものだった。リュミエールがとりあえず聞き耳した結果、何も聞こえなかった左の壁のドアを先に開けると、お誂え向きなことに、あまり傷んでおらず使用に耐えうる寝台がある。
「うおっ、ラッキー」
「んー……ここの部屋、この遺跡にいた人の部屋なんだろうね。扉にこっちから鍵も掛けられるし、ここでなら休憩はできると思うよ。何だか、この本棚動くっぽいけど」
「さり気なく爆弾発言するなよ……」
「その前に、ちょっといいか?」
カノンは本棚の書物の中から、どう見てもごく最近のものだろう、安価そうな青い手帳を引っ張り出した。
「これだけ学術書が並ぶ中で、これだけ異質だったからな。さて、中身は……」
手帳を覗いたカノンが、燃えるような赤い目を一瞬だけ見開く。
「なんとまあ……ルドニーを旅立った者の手になるものだ」
「ええっ、あのお爺さんが言っていた5人の若者の?」
「驚きです。素人だけの集団で、ちゃんとここまで来たんですか」
「僕は何が書いてあるか気になるんですが……」
「ちょっと中身が長いな。フレッドは寝台に横になるといい。俺たちも果実を齧りつつこの中身を読んで、本棚の向こうを確認してから休憩しよう」
「俺の……バナナ……」
「ちゃんとフレッドの分、取っておいてあげるからさ。寝ておきなよ」
小さな相棒にまで宥められ、渋々フレッドは寝台に横たわる間に、リュミエールが施錠をする。
カノンがざっと手帳に目を通し、これを書いたのが、”頭が良い”と同じ村の住人から評されていたユルマズという青年のものだと分かった。彼らは、まだ散り散りになっていなかったココン村の助けも得て、砂蜥蜴による犠牲者を1人出しながらも、山中を探索してあの楽園を見つけたらしい。
「でも、ここに来る前に開けた穴、あたしたちしか通ってないよね?人間じゃ無理でしょ?」
「妖精さんの言うとおりです。ということは、別ルートからいらしたのでしょう」
「あのスキュラとも遭遇したみたいだ。女の子が犠牲になっている間に、この遺跡まで逃げてきたらしいな。だが……先に進まなければ、と書いたところで終わっている」
「……本棚の向こうに彼らがいるという可能性はあるかしら?」
「ないな」
きっぱりカノンが断言した。ルドニーの若者5人が出発したのが三月前、遺跡のこの部屋まで辿り着いたのが20日前である。ゴブリンまでここを棲家にしていた以上、2人の仲間を欠いた一般人が、二月以上も魔物の目を逃れて生き延びる可能性は低いし、ましてや、本棚にこれほど克明な手記を置き去りにする意味がない。所持して続きを書けば、古代の遺跡をどのように発見できたか、学者や魔術師学連が目の色を変えて知りたがる答えを与えてやれる。肌身離さず持つだろう。
もっとも、若者たちが”先に進んで”からこの部屋まで戻るつもりだったのなら、余計な荷物は置いていったろうが……。
「ミハイル、フレッドを看ててくれ。残りは本棚へ」
カノンの指示に従い、全員が本棚をスライドさせる。レールがあったので、動かすのはほとんどが女手でも苦にはならなかった。そこには一応警戒したモンスターや、厄介な罠などもなく……小さな宝箱がぽつんと寂しげにあるだけの小部屋だった。
手早く宝箱の鍵や罠を調べ終わったリュミエールが大丈夫と太鼓判を押すと、進み出たフタバが蓋を開けた。
2019/09/21 16:47 [edit]
category: 塩の降る村
tb: -- cm: 0
Sat.
塩の降る村 その2 
翌朝、ポートリオン商人の手助けをちょっとしてから、村の人たちからサス湖が干上がるまでのことについて情報収集した。
端的に結果を言えば、ルドニーの住人にも、水が引いてしまった原因は分からない。
ただ、この現象は2ヶ月前から始まっており、ヌクスよりも交流の深かったココン村の方では、水を新たに得ようと井戸の掘削をずいぶん頑張っていたものの、地下水が湧くことがなく、ついに住民が村を棄てる羽目になった。
端的に結果を言えば、ルドニーの住人にも、水が引いてしまった原因は分からない。
ただ、この現象は2ヶ月前から始まっており、ヌクスよりも交流の深かったココン村の方では、水を新たに得ようと井戸の掘削をずいぶん頑張っていたものの、地下水が湧くことがなく、ついに住民が村を棄てる羽目になった。
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ココン村の者たちが掘削に固執していたのは、古代には遺失した高度な取水技術により、このあたり一帯が水に不自由することはなかったという話が伝わっていることが理由らしい。実際、嘘か真か知らないが、この村にはヌクスに娘が嫁いだ男がいて、孫の顔を見るため荒野に出て迷った際、驚くほど緑の濃い場所に彷徨い出たと主張する者がいるそうだ。
男を探し当てた冒険者たちが話を聞くと、正確な場所は残念ながら曖昧なのだが、タウス沿いにココンの南の山中に分け入った時の事だったと彼は語った。
その場所は、この辺りでは本来あり得ないはずの湿地帯になっていて、各所に清澄な泉が湧き出し、木々は生命力に満ちて、しなやかに天を目指していたという。木の枝にはたわわに実る果実があったので、男はぎりぎりで命を繋ぎ、何とかルドニーまで引き返すことが出来たのだそうだ。
冒険者たちが男の話を拝聴していた近くでは、男の老いた父親がもう使われなくなった魚獲り網を、曲がった背中をさらに丸めるようにして、所在なげに繕っていたが、
「そういや、あの子たちもそれを探しに行ったんだよ」
と口を挟んだ。
「あの子たちって、いったい何のことだよ。父さん」
「三月程前さ。この村で飛び抜けて腕っ節の強かった若者たちだよ」
「ああ……でもあれは、退屈な村の暮らしに嫌気がさした、ってのが本音なんじゃないか?」
「とんでもない。ちゃあんと、お前の話を真剣に聞いて行ったじゃないか」
「……失礼。その若者たちとは?」
モイラが親子の軽い言い合いを遮ると、男は決まり悪そうにあたまを掻いた。
「いやあ……。どこの村でも、年上の言うことを聞かない若いのってのは、いるもんでね」
力自慢のアーテフ、人が好く鈍臭いがタフなメチン、紅一点で口達者なローザ、器用な職人志望のオメル、頭の良いユルマズの5人で構成された一行は、新たな漁業のやり方を探そうとか、サス湖を利用した何かのイベントをやらないかなど、日頃からルドニーでも目立った発言をしていた住人である。
水不足がこれほど深刻化する前から、ユルマズがサス湖の塩分濃度の上昇に気づいており、その危険性を主張していた。
しかし、ルドニーの誰もが、雨でも降ればまた湖が元に戻るかも……と根拠のない楽観主義を貫いていたため、村の伝承にある古代の取水技術を頼りにすべく、ここを出発したらしい。
「南を目指して旅立ったのは確かだが、この人たちみたいに、冒険者にでもなって遠くで暮らしているのかもしれないぜ」
「そんなことはない。この村を深刻な水不足から救わんと、彼らは旅立ったんだ。……良い子だよ、メチンもオメルも……」
上記の2人は、たまに漁師であるこの老人の仕事を手伝ってくれていたのだそうだ。
もし旅の空のどこかで会えたら、よろしく伝えてほしいと老人は言った。後方では男が苦い顔で腕を組んでいる。
大声で怒鳴りあうわけでもないのだから、親子関係が徹底的に悪いわけでもなかろうが、老人と男の反りは合わないのかもしれない。何しろこの男、漁業が出来なくなった後も道具の整備を怠らない父を気遣ったり、手伝ったりしようとは全くしていない。
話を聞かせてもらった礼を言って辞すると、ちょうど辺りを一陣の突風が吹きぬけた。フレッドが慌てて、フェアリーの相棒を両手でキャッチする。強風は、湖の底や村のあちこちに積もった塩を吹き上げ、それらを更に上空へと運び去って行った。
「風は南向き…ヌクス村の方角だな」
「塩害の原因はこういうことよね」
カノンが空を見上げながら言うと、フタバがそれに応じた。
彼女の足元にいる陶器製の使い魔は、風で宙に浮いた塩にじゃれついて遊んでいる。
「塩の降る原因は分かったわけだけど、これからどうするの?」
「……古代の取水技術の話なんだがな。気にならないか?」
「何がだよ」
腕を後頭部で組んでぶらぶら歩いているフレッドが尋ねると、ハーフエルフの魔術師は≪隠者の杖≫で肩を軽く叩きながら答えた。
「水を多く湛える技術は結構だが、その水はどこから持ってきているんだ?ココン村では、掘削をいくら行なっても水脈を見つけられなかったというが、あそこもタウス川沿いの集落だ。全然見込みがないわけじゃなかろうに」
カノンの仄めかしにいち早く気づいたフタバが反論する。
「タウス川やその源泉から水を集めてるって?でも、無から有を生むのが魔法でしょ。私の【蜘蛛の糸】だってそうよ。古代の魔法使いなら、水だって無い所から作れるんじゃ……」
自分は褐色都市の出身だが、と断ってから説明を続けた。
「ドワーフの遺した浄水場や水道が街にはあるが、所在不明の水源がどこかにあるのだけは判明している。あれも魔法で生んだものじゃないらしい。まして、ここら一帯という広域をカバーし得る技術だ。無い所から生み出すより、在るものを集めてから量を調整して放出するほうが楽じゃないか」
「……あら、確かにそうね」
ようはダムみたいなものね、とフタバは心中で呟いた。あれも山を切り拓き、大規模に河川を堰き止めて適量を放水するものだ。古代の技術が、もしそういう類のものなら……。
2人の話をじっくり聞いていたミハイルが発言する。
「それでしたら……先ほどの男性の言う楽園のような不思議な場所、というのがもしや、お2人の仮説に関わりあるのではないでしょうか」
「彼の話が本当なら、ですがね」
モイラは鼻を鳴らした。あまり信を置いていないらしい。
とりあえず、彼らの請けた依頼には基本的に期日は設けられていない。ココンの南の山中、というだけではさすがに探しようもないかもしれないが、何らかの痕跡がタウス川沿いにないかだけは確認しておかないか……年長者の意見に、各々は面倒そうだったり、浮かない顔だったりしたが、あえて反対を唱える者は皆無だった。
結局は、全員がちょっと物見高い性質で、それが冒険者のさがだとも言える。
「じゃあまずは、ココンの村の辺りまで戻ろう。どうせならあそこの掘削機を回収したいものだな」
「なんでー?何に使うのー?」
「もし干ばつが止められないなら、使えるのが短い間だけでも、俺たちでヌクス村の井戸を増やしてあげるぐらいはしておこうかと。アフターサービスをつけておけば、あの村の住民も助かるだろう」
「おおっ、なるほど。確かに掘削機が必要になりそうですね。僕らで扱えるものだと良いですが」
とりあえずの方針に納得した冒険者たちは、ルドニーでいささかの準備を整えると、すっかり往路の足跡も消えてしまった荒野へ再度出発した。
廃村と化したココン村にて、カノンの目論見どおり掘削機を見つけた。今でも使用可能であることを確認して、ヌクス村までの道の途中に何かの痕跡がないかを、目を皿のようにして探していた一行だったが。
「ガウガウギャウ!」
「あ、ホムラ!」
「ふしゃー!」
ちょうどタウス川の水量が急激に失われたあたりで、白と茶の毛色をした耳の垂れたタイプの犬がふらりと現れ、フタバの肩の上にいた陶器製の猫へ吠えた。
ホムラと新たに名付けられた猫も、犬の鳴き声に触発されたのか、肩からひらりと下りて、生えてない毛を逆立てるように威嚇する。
「なんつう不貞腐れたツラした犬だ」
「ゥガゥ!」
「うおッ!?何だよ?……言葉わかんのかよ?」
「プーカさんがいたら話できるんだけどねー。でも、何となく不機嫌なのは分かるよ」
「……この犬、飼い犬のようですね。気の毒に、人間に捨てられたのかも」
「あの、ミハイル様。この子、ココン村で飼われていたのではないでしょうか?」
モイラの思いつきに、他の全員が感心したように彼女を見やった。
「おや、でも変ですね。この犬は一体、何を食べて生きているんでしょう?僕が見る限り、まともに食べられる物なんて、ここいらにあまり無いはずですが」
「……特に痩せてるようには見えないよねえ」
ジャンプされても届かぬ位置を保ちつつ、犬の真上をフェアリーがぐるぐる飛び回る。彼女はしつこく追いかけられたことがあるので犬嫌いなのだ。もっとも、犬の観点からしてみれば、そんなにそそられる大きさで飛んでる方が悪いと言いたいだろう。
「ココンが滅びてから、それなりに時間は経ってるのになー?」
「………もしかして」
カノンは犬やホムラを脅かさないよう、そっと荷物袋を地面に下ろした。膨れた背嚢の中から、これも膨れた袋を取り出し、一握りの塩を出す。
これが朝早く、ポートリオン商人に地元商人への紹介状を書いてもらう代わり、彼のためにかき集めたサス湖の塩である。商人用に採取したものの他に、自分たち用にも大量に確保しておいたのだが、これを犬に食わせれば、喉の乾いた犬は勝手に水場への道を辿るだろう。
フタバに頼んで使い魔を下がらせてもらい、彼は前に進み出た。
犬はのんきそうに、差し出された塩の臭いをクンクンと嗅いでいる。
「…ヘッヘッ…クン…クン……プイッ」
「……良い根性してるじゃないか、犬っころ。ふんぬっ!!」
カノンは無理やり犬の口をこじ開け、そこに大量の塩を詰め込んだ。
「うわー……思い切ったねー……」
「こういうことやるの、フレッドのほうだとばかり思ってたわ」
「ギャウン! ギャワン!!」
犬は突然のハーフエルフの暴挙に抗議の鳴き声を上げたが、口の中の塩辛さに我慢が出来なくなったようで、山奥に向かって矢のように走り始めた。
「…よし、追うぞ!」
「わ、分かった……」
ドン引きしていた仲間たちも、気を取り直して犬の後を追跡した。
人間の尾行者をよそに、犬は出来る限りのスピードで枯野を奥へと走って行く。
この辺りは、標高の低い山地であるため、地形性の降雨や降雪は、ほとんど望めないであろうと考えられる。だからこそ、古代に取水箇所を作成したのかもしれない。しかしこの目に見えている環境下において、豊かなオアシスがどこかに湧出しているというのは、俄かには信じがたい話ではある。
「あ、あいつ藪の中に――」
フレッドの指摘どおり、犬は枯れ果てた藪の重なり合う向こうへと消えていった。その周りを冒険者たちが捜索すると、藪の向こうの土壁に小さな穴を発見した。獣が屈んで入れるくらいの大きさのものである。
リュミエールは、穴の周囲を入念に調べ、この向こうに犬が行ったのだということを確認した。
「あたしは行こうと思えば大丈夫だけど、皆はこの穴通れないよね」
「無理無理。頭を通すのがやっとじゃねえか」
「いや、しかし……」
何かに気づいたモイラが、慎重に手を岩壁に触れさせる。
「この壁、案外と脆いようです。剣で掘るのはもちろん無理でしょうが、ココン村の機械を使えば拡張できませんか?」
「……ふむ。いけるかもしれんな」
カノンの指示でフレッドが掘削機を背嚢から取り出すと、腰だめに構えてから機械を起動し、一気に岩壁に開いた穴の周囲へ突きこんだ。
けたたましい音を立てながらも、段々と穴が広がっていく。フレッドが疲れると、今度はモイラが交替して任を務めた。一際大きな岩が崩れると、屈まずに人が入れるサイズの洞穴になった。
「松明は……」
「必要ないようですよ、フタバさん」
踏み込んだ時点で、出口から光が差し込んでいるのが見えた。穴の全長は短いらしい。
彼らは何があっても対処できるよう、用心しながら穴を通り抜けたが、その緊張感は辿り着いた先で霧散してしまった。
軽やかな囀りと共に、先頭を歩くフレッドの目前を、目を射るようなオレンジ色の小鳥が過ぎる。
呆気に取られる内、自分たちの出た先が、先程までの枯野とは著しく様相を異にする、豊かに草木の生い茂る空間であることに気づいた。至る所で、足下から澄んだ水が滲み出して来ている。
「嘘だろ……何なんだよ、ここ」
「正気に戻れよ、少年。俺たちはまさにここを探しに来たんだろう」
「ねえ、これ見て」
高原で自生するはずのヒヨス草が、ほっそりとした指の先で揺れている。
「陽光と風と水がたっぷりある所で育つわけよ。ここ、あのルドニーの男の人が言ったように、本当に楽園なんだわ」
「あれはグァバ、キウイ、バナナ……どれも食べれますよ。私たちが休憩時に頂けるよう、少し収穫しておきましょうかね」
「わー。水鶏がいる。あ、これはアライグマの足跡」
冒険者全員の食糧を賄える程、豊かに食用植物が繁っている。
かなり多くの鳥獣の姿を見かけるのは、周囲の枯れ果てた山中から、最後の砦とばかりに流れ込んでいるのだろう。獣は水場を本能的に嗅ぎ分けるものだ。
つい直前まで歩いてきた砂漠化した荒野や枯野を思い出し、ミハイルは深々と息を吐いた。
「おお、主よ。この豊かな恵みが、今お困りのヌクスやルドニーの人々にも与えられますよう」
「きっとさあ、ヌクス村の緑化計画がちゃんと進んだら、いつかこういう光景があそこでも広がるようになるんだろうね」
「だな。ただ、問題は……これが取水技術の結晶なら、コントロールしてる基はどこなんだ?」
「んー……」
しばし視線を遠くに走らせていたフレッドが、カノンの疑問に指針をもたらした。
「あっちのほう。大分遠いけど、何か建築物があるっぽい」
男を探し当てた冒険者たちが話を聞くと、正確な場所は残念ながら曖昧なのだが、タウス沿いにココンの南の山中に分け入った時の事だったと彼は語った。
その場所は、この辺りでは本来あり得ないはずの湿地帯になっていて、各所に清澄な泉が湧き出し、木々は生命力に満ちて、しなやかに天を目指していたという。木の枝にはたわわに実る果実があったので、男はぎりぎりで命を繋ぎ、何とかルドニーまで引き返すことが出来たのだそうだ。
冒険者たちが男の話を拝聴していた近くでは、男の老いた父親がもう使われなくなった魚獲り網を、曲がった背中をさらに丸めるようにして、所在なげに繕っていたが、
「そういや、あの子たちもそれを探しに行ったんだよ」
と口を挟んだ。
「あの子たちって、いったい何のことだよ。父さん」
「三月程前さ。この村で飛び抜けて腕っ節の強かった若者たちだよ」
「ああ……でもあれは、退屈な村の暮らしに嫌気がさした、ってのが本音なんじゃないか?」
「とんでもない。ちゃあんと、お前の話を真剣に聞いて行ったじゃないか」
「……失礼。その若者たちとは?」
モイラが親子の軽い言い合いを遮ると、男は決まり悪そうにあたまを掻いた。
「いやあ……。どこの村でも、年上の言うことを聞かない若いのってのは、いるもんでね」
力自慢のアーテフ、人が好く鈍臭いがタフなメチン、紅一点で口達者なローザ、器用な職人志望のオメル、頭の良いユルマズの5人で構成された一行は、新たな漁業のやり方を探そうとか、サス湖を利用した何かのイベントをやらないかなど、日頃からルドニーでも目立った発言をしていた住人である。
水不足がこれほど深刻化する前から、ユルマズがサス湖の塩分濃度の上昇に気づいており、その危険性を主張していた。
しかし、ルドニーの誰もが、雨でも降ればまた湖が元に戻るかも……と根拠のない楽観主義を貫いていたため、村の伝承にある古代の取水技術を頼りにすべく、ここを出発したらしい。
「南を目指して旅立ったのは確かだが、この人たちみたいに、冒険者にでもなって遠くで暮らしているのかもしれないぜ」
「そんなことはない。この村を深刻な水不足から救わんと、彼らは旅立ったんだ。……良い子だよ、メチンもオメルも……」
上記の2人は、たまに漁師であるこの老人の仕事を手伝ってくれていたのだそうだ。
もし旅の空のどこかで会えたら、よろしく伝えてほしいと老人は言った。後方では男が苦い顔で腕を組んでいる。
大声で怒鳴りあうわけでもないのだから、親子関係が徹底的に悪いわけでもなかろうが、老人と男の反りは合わないのかもしれない。何しろこの男、漁業が出来なくなった後も道具の整備を怠らない父を気遣ったり、手伝ったりしようとは全くしていない。
話を聞かせてもらった礼を言って辞すると、ちょうど辺りを一陣の突風が吹きぬけた。フレッドが慌てて、フェアリーの相棒を両手でキャッチする。強風は、湖の底や村のあちこちに積もった塩を吹き上げ、それらを更に上空へと運び去って行った。
「風は南向き…ヌクス村の方角だな」
「塩害の原因はこういうことよね」
カノンが空を見上げながら言うと、フタバがそれに応じた。
彼女の足元にいる陶器製の使い魔は、風で宙に浮いた塩にじゃれついて遊んでいる。
「塩の降る原因は分かったわけだけど、これからどうするの?」
「……古代の取水技術の話なんだがな。気にならないか?」
「何がだよ」
腕を後頭部で組んでぶらぶら歩いているフレッドが尋ねると、ハーフエルフの魔術師は≪隠者の杖≫で肩を軽く叩きながら答えた。
「水を多く湛える技術は結構だが、その水はどこから持ってきているんだ?ココン村では、掘削をいくら行なっても水脈を見つけられなかったというが、あそこもタウス川沿いの集落だ。全然見込みがないわけじゃなかろうに」
カノンの仄めかしにいち早く気づいたフタバが反論する。
「タウス川やその源泉から水を集めてるって?でも、無から有を生むのが魔法でしょ。私の【蜘蛛の糸】だってそうよ。古代の魔法使いなら、水だって無い所から作れるんじゃ……」
自分は褐色都市の出身だが、と断ってから説明を続けた。
「ドワーフの遺した浄水場や水道が街にはあるが、所在不明の水源がどこかにあるのだけは判明している。あれも魔法で生んだものじゃないらしい。まして、ここら一帯という広域をカバーし得る技術だ。無い所から生み出すより、在るものを集めてから量を調整して放出するほうが楽じゃないか」
「……あら、確かにそうね」
ようはダムみたいなものね、とフタバは心中で呟いた。あれも山を切り拓き、大規模に河川を堰き止めて適量を放水するものだ。古代の技術が、もしそういう類のものなら……。
2人の話をじっくり聞いていたミハイルが発言する。
「それでしたら……先ほどの男性の言う楽園のような不思議な場所、というのがもしや、お2人の仮説に関わりあるのではないでしょうか」
「彼の話が本当なら、ですがね」
モイラは鼻を鳴らした。あまり信を置いていないらしい。
とりあえず、彼らの請けた依頼には基本的に期日は設けられていない。ココンの南の山中、というだけではさすがに探しようもないかもしれないが、何らかの痕跡がタウス川沿いにないかだけは確認しておかないか……年長者の意見に、各々は面倒そうだったり、浮かない顔だったりしたが、あえて反対を唱える者は皆無だった。
結局は、全員がちょっと物見高い性質で、それが冒険者のさがだとも言える。
「じゃあまずは、ココンの村の辺りまで戻ろう。どうせならあそこの掘削機を回収したいものだな」
「なんでー?何に使うのー?」
「もし干ばつが止められないなら、使えるのが短い間だけでも、俺たちでヌクス村の井戸を増やしてあげるぐらいはしておこうかと。アフターサービスをつけておけば、あの村の住民も助かるだろう」
「おおっ、なるほど。確かに掘削機が必要になりそうですね。僕らで扱えるものだと良いですが」
とりあえずの方針に納得した冒険者たちは、ルドニーでいささかの準備を整えると、すっかり往路の足跡も消えてしまった荒野へ再度出発した。
廃村と化したココン村にて、カノンの目論見どおり掘削機を見つけた。今でも使用可能であることを確認して、ヌクス村までの道の途中に何かの痕跡がないかを、目を皿のようにして探していた一行だったが。
「ガウガウギャウ!」
「あ、ホムラ!」
「ふしゃー!」
ちょうどタウス川の水量が急激に失われたあたりで、白と茶の毛色をした耳の垂れたタイプの犬がふらりと現れ、フタバの肩の上にいた陶器製の猫へ吠えた。
ホムラと新たに名付けられた猫も、犬の鳴き声に触発されたのか、肩からひらりと下りて、生えてない毛を逆立てるように威嚇する。
「なんつう不貞腐れたツラした犬だ」
「ゥガゥ!」
「うおッ!?何だよ?……言葉わかんのかよ?」
「プーカさんがいたら話できるんだけどねー。でも、何となく不機嫌なのは分かるよ」
「……この犬、飼い犬のようですね。気の毒に、人間に捨てられたのかも」
「あの、ミハイル様。この子、ココン村で飼われていたのではないでしょうか?」
モイラの思いつきに、他の全員が感心したように彼女を見やった。
「おや、でも変ですね。この犬は一体、何を食べて生きているんでしょう?僕が見る限り、まともに食べられる物なんて、ここいらにあまり無いはずですが」
「……特に痩せてるようには見えないよねえ」
ジャンプされても届かぬ位置を保ちつつ、犬の真上をフェアリーがぐるぐる飛び回る。彼女はしつこく追いかけられたことがあるので犬嫌いなのだ。もっとも、犬の観点からしてみれば、そんなにそそられる大きさで飛んでる方が悪いと言いたいだろう。
「ココンが滅びてから、それなりに時間は経ってるのになー?」
「………もしかして」
カノンは犬やホムラを脅かさないよう、そっと荷物袋を地面に下ろした。膨れた背嚢の中から、これも膨れた袋を取り出し、一握りの塩を出す。
これが朝早く、ポートリオン商人に地元商人への紹介状を書いてもらう代わり、彼のためにかき集めたサス湖の塩である。商人用に採取したものの他に、自分たち用にも大量に確保しておいたのだが、これを犬に食わせれば、喉の乾いた犬は勝手に水場への道を辿るだろう。
フタバに頼んで使い魔を下がらせてもらい、彼は前に進み出た。
犬はのんきそうに、差し出された塩の臭いをクンクンと嗅いでいる。
「…ヘッヘッ…クン…クン……プイッ」
「……良い根性してるじゃないか、犬っころ。ふんぬっ!!」
カノンは無理やり犬の口をこじ開け、そこに大量の塩を詰め込んだ。
「うわー……思い切ったねー……」
「こういうことやるの、フレッドのほうだとばかり思ってたわ」
「ギャウン! ギャワン!!」
犬は突然のハーフエルフの暴挙に抗議の鳴き声を上げたが、口の中の塩辛さに我慢が出来なくなったようで、山奥に向かって矢のように走り始めた。
「…よし、追うぞ!」
「わ、分かった……」
ドン引きしていた仲間たちも、気を取り直して犬の後を追跡した。
人間の尾行者をよそに、犬は出来る限りのスピードで枯野を奥へと走って行く。
この辺りは、標高の低い山地であるため、地形性の降雨や降雪は、ほとんど望めないであろうと考えられる。だからこそ、古代に取水箇所を作成したのかもしれない。しかしこの目に見えている環境下において、豊かなオアシスがどこかに湧出しているというのは、俄かには信じがたい話ではある。
「あ、あいつ藪の中に――」
フレッドの指摘どおり、犬は枯れ果てた藪の重なり合う向こうへと消えていった。その周りを冒険者たちが捜索すると、藪の向こうの土壁に小さな穴を発見した。獣が屈んで入れるくらいの大きさのものである。
リュミエールは、穴の周囲を入念に調べ、この向こうに犬が行ったのだということを確認した。
「あたしは行こうと思えば大丈夫だけど、皆はこの穴通れないよね」
「無理無理。頭を通すのがやっとじゃねえか」
「いや、しかし……」
何かに気づいたモイラが、慎重に手を岩壁に触れさせる。
「この壁、案外と脆いようです。剣で掘るのはもちろん無理でしょうが、ココン村の機械を使えば拡張できませんか?」
「……ふむ。いけるかもしれんな」
カノンの指示でフレッドが掘削機を背嚢から取り出すと、腰だめに構えてから機械を起動し、一気に岩壁に開いた穴の周囲へ突きこんだ。
けたたましい音を立てながらも、段々と穴が広がっていく。フレッドが疲れると、今度はモイラが交替して任を務めた。一際大きな岩が崩れると、屈まずに人が入れるサイズの洞穴になった。
「松明は……」
「必要ないようですよ、フタバさん」
踏み込んだ時点で、出口から光が差し込んでいるのが見えた。穴の全長は短いらしい。
彼らは何があっても対処できるよう、用心しながら穴を通り抜けたが、その緊張感は辿り着いた先で霧散してしまった。
軽やかな囀りと共に、先頭を歩くフレッドの目前を、目を射るようなオレンジ色の小鳥が過ぎる。
呆気に取られる内、自分たちの出た先が、先程までの枯野とは著しく様相を異にする、豊かに草木の生い茂る空間であることに気づいた。至る所で、足下から澄んだ水が滲み出して来ている。
「嘘だろ……何なんだよ、ここ」
「正気に戻れよ、少年。俺たちはまさにここを探しに来たんだろう」
「ねえ、これ見て」
高原で自生するはずのヒヨス草が、ほっそりとした指の先で揺れている。
「陽光と風と水がたっぷりある所で育つわけよ。ここ、あのルドニーの男の人が言ったように、本当に楽園なんだわ」
「あれはグァバ、キウイ、バナナ……どれも食べれますよ。私たちが休憩時に頂けるよう、少し収穫しておきましょうかね」
「わー。水鶏がいる。あ、これはアライグマの足跡」
冒険者全員の食糧を賄える程、豊かに食用植物が繁っている。
かなり多くの鳥獣の姿を見かけるのは、周囲の枯れ果てた山中から、最後の砦とばかりに流れ込んでいるのだろう。獣は水場を本能的に嗅ぎ分けるものだ。
つい直前まで歩いてきた砂漠化した荒野や枯野を思い出し、ミハイルは深々と息を吐いた。
「おお、主よ。この豊かな恵みが、今お困りのヌクスやルドニーの人々にも与えられますよう」
「きっとさあ、ヌクス村の緑化計画がちゃんと進んだら、いつかこういう光景があそこでも広がるようになるんだろうね」
「だな。ただ、問題は……これが取水技術の結晶なら、コントロールしてる基はどこなんだ?」
「んー……」
しばし視線を遠くに走らせていたフレッドが、カノンの疑問に指針をもたらした。
「あっちのほう。大分遠いけど、何か建築物があるっぽい」
2019/09/21 16:45 [edit]
category: 塩の降る村
tb: -- cm: 0
Sat.
塩の降る村 その1 
強く吹く熱風に晒され、支給品として貸与された皮のマントが翻る。
口に入ったりしないよう片腕を挙げて俯いているのに、それでも狙いすませたように、鼻の穴や服の隙間に入り込んでくる砂の粒が痛い。
風の収まった後、身体についた不愉快な砂を神経質に手で払いのけながら、ミハイルは不満たらたらの顔で呟いた。
「前の依頼でも熱い思いをしたのに、なんだってまた、砂漠なんかに来てしまったんでしょう」
口に入ったりしないよう片腕を挙げて俯いているのに、それでも狙いすませたように、鼻の穴や服の隙間に入り込んでくる砂の粒が痛い。
風の収まった後、身体についた不愉快な砂を神経質に手で払いのけながら、ミハイルは不満たらたらの顔で呟いた。
「前の依頼でも熱い思いをしたのに、なんだってまた、砂漠なんかに来てしまったんでしょう」
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「村に到着するまでの費用だの追加報酬だのが依頼主持ちで、かなり条件が良かったからだろ」
「”塩”が降るという現象も、俺たちは珍しがっているだけで済むが、ヌクス村は緑化計画まで頓挫して、農地もなくなる瀬戸際だ。解決できれば名を上げられるぞ」
「それにまだ砂漠じゃないよ。荒野だよ」
「寄ってたかって、こちらをへこませるのは止めてくださいよ!」
仲間たちのやり取りを見守っていた片方が、我慢強く沈黙を守る片方へ話しかける。
「人助けなのに彼が苛立つのは、それこそ珍しいんじゃない?」
「はい。こないだの『沈まぬ太陽』で皆が怪我をして危なかったのが、心に引っ掛かっているのかもしれません。似たような環境で仕事をするのが苛立つ原因かと」
「冒険なんだから、多少の危険は折込済みよ。ね、ホムラ?」
肩に乗って上手くバランスを取っている陶器製の黒猫――実は『火を抱く猫』という一流の芸術作品――を、ちらりと見てフタバは同意を求める。
「にゃにゃおーん」
これは新たな主に賛成しているというよりも、むしろ賛成しかねるからもう少し慎重になれ、という鳴き声のように思える。だが、モイラは賢明にも再び沈黙を選んだ。
塩害は通常、海水の浸入や海沿いから吹く風の塩分で作物などに害を受けるものだ。
ヌクス村の場合は、村を出て北上すれば行き着くのがこの半ば砂漠と化した荒野であり、塩を降らせる風はそこから吹いてくるのだという。ちなみに、この荒野は海に繋がってはいない。
あえて言うなら、ヌクスで唯一、飲料水の確保先になってくれているタウス川の流れる先が、塩水湖だという話なのだが――サス湖と呼ばれるそこは湖畔にルドニーという集落を抱えており、そこに住む住人に塩害があるという話が出たことはないらしい。漁業を生業に、小さいながらも安定した収入を得ている村だそうだ。
フタバは人差し指を下膨れ気味の己の頬に当てた。
「肝心のタウス川が途中で干上がっていたのも、かなりおかしなことよね」
「ヌクス村の村長さんには、川沿いに歩けば迷わないと言われていました。川が干上がったことすら知らなかったという証左です」
「でも、塩水湖から風が吹くにしても、砂漠でそう簡単に堆積するものじゃないと思うの。それだけ塩分が濃かったら、とうの昔に魚が全滅してるだろうし……」
「行ってみたら住人が全滅してるパターンもありますよ。タブロアート領みたいに」
「縁起でもない……そうじゃないことを祈るわ」
話しながら歩いたせいか体勢が崩れ、おっとっと、と砂に取られた足を持ち上げる。
リュミエールは何となくその様子を見ていたが、砂が不自然な軌道を微かに描いたことに気づき、思わず声を上げた。
「フタバちゃん、危ない!」
「っ!?」
フェアリーの警告が早かったため、フタバはぎりぎりで後ろに跳び、細かな牙の並んだ貪欲な口から距離を取れた。寸でのところだったのは、怪物との距離がフタバ自身の肩幅ほどもなかったことでも分かる。
「このっ!」
モイラは咄嗟に這い蹲るそれの腹を横から蹴飛ばし、剣を下段に構えた。
柔らかな人肉を食べ損ねたのは、貪欲な巨大爬虫類――全長2メートルもある砂蜥蜴である。
この敵が厄介なのは、砂中を驚くべき機動性を発揮して『泳ぎ回る』事が出来るからだ。人間は足元から攻撃されるのに弱い。素早いフタバでなければ、片足を噛み千切られたところだ。
そしてさらに厄介なのは……。
「げげっ!こっちの岩が動き出したぞ!?」
「馬鹿、それも砂蜥蜴だ!」
荒野に点在する岩そっくりに擬態し、油断している動物を襲う習性があることだろう。フレッドは慌てて向き直り、背中を見せたままになるのを回避したが、これではモイラやフタバに対峙しているほうの砂蜥蜴には攻撃できない。
状況を一瞬で見て取ったカノンは、リュミエールに指示を飛ばした。
「妖精、眠りの歌だ。こいつらはひどくタフで、倒すのに時間がかかる。搦め手がいる!」
「分かった、ちょこっと待ってね!」
蔓薔薇の小さな竪琴が妙味ある音を響かせ、仲間たちが蜥蜴の口を辛うじて回避しながら戦っている姿に焦りつつ、どうにか喉の調子を整え歌い出す。
可愛らしい声が紡ぐ子守唄に、二匹とも眠りの淵へすぐ導かれた。
「ふう……」
カノンがそれを見て、渾身の攻撃に移る体制を全員で整えようと思った時である。
「コノヤロウ!」
血気に逸ったフレッドが、まだ他の者の準備が終わらぬ間に、一匹へ斧を振り下ろしてしまった。
ゴブリンの胴も両断しかねない勢いの攻撃だったが、砂蜥蜴の皮膚は荒野の厳しい環境に適応するので分厚くなっている。深い傷跡はこしらえたものの、一撃で仕留めるには至らない。
反撃でフレッドを丸呑みにしようとするのを、ミハイルが体当たりするようにして庇った。
ぎゅるん、と僧侶服姿の若者の身体が、口の向こうに消えた。
「ミ……ミハイル様!!」
「おいおいおい……やばいぞ……」
未だに眠り込んでいる一匹を無視して、全員でミハイルを丸呑みにした個体へ武器や魔法を叩き込んでいく。ミハイルは呪文使いにしては丈夫なほうだが、原始的な生物の胃酸で溶かされるのに、どれくらいまで耐えられるかなど保証はない。早めの救助が求められた。
暴れまわる砂蜥蜴の口や尾をすり抜け、風に舞うリュミエールは蜥蜴の胴体に着地すると、その鱗に小さな手を掛けた。解錠の要領で、堅固な鱗の端を捲り上げ、身体全体を使って剥がしていく。
「うぎぎぎ……ふんぎー!」
不意にぽろっと何かが取れるような感触がして、リュミエールは理想的な弧を描き砂地に落っこちていた。手にはちゃんと岩と同じ色をした砂蜥蜴の鱗がある。
「フレッド、そいつ鱗剥がれてる!」
「了解、援護ありがとよ、リュミ!」
フェアリーの拵えた弱点目掛け、【閃光の一撃】による斧の刃が振り下ろされる。
深く突きこまれたそれは、荒野の捕食者を絶命させるのに充分であった。砂蜥蜴のぎらつく黄色い目が光を失っていく。
感慨を覚える間もなく、冒険者たちは蜥蜴を引っくり返して、慎重に腹を裂いた。内臓の膨らみを確認しながら目当ての臓器を探り、一気に切れ目を作る。
はたして、完全に気絶した状態のミハイルが現れた。
髪の毛が少し短くなっているようだが、皮膚も少し赤くなっているだけで、酸に溶かされた様子はない。このまま命を落とすことはなさそうだ。
彼を毛布で包んでフレッドが抱えあげると、残り一匹を眠らせたまま、一行は急いでその場から離れた。冒険者側には足場のハンデがあるのに、こんなタフで危険な生き物を、いつまでも相手にしてはいられない。
「……少年、分かってるだろうな」
「うん。俺が全面的に悪い。説教は後で聞くぜ」
当たり前だ、とカノンはフレッドの頭にチョップを喰らわせた。
もっとも文句を言ってしかるべきミハイルの実家から来たガーディアンは、目下、フレッドに無言のまま殺気を叩きつけている。これはこれで怖い。
ただ、最優先事項はミハイルの回復であることは間違いないので、仲間たちは辺りを見回して、少しだけ高台になったところに集落を見つけると、そこを目指して歩を進めた。
まるきり人気のない村の様子が気になったものの、詮索は後回しにして一軒の廃屋へ駆け込む。
毛布を下敷きに横たえたミハイルに、モイラが【冷却せしめよ】という温度調整を応用した術を施すと、辛うじてだが彼は目を覚ました。
何しろ、このパーティにおける治療のエキスパートは、気絶していた聖北僧侶のミハイル自身なのである。前回の事件でモイラが術を会得していなければ、彼を起こすのに後は傷薬を頼る他ない。リュミエールはそれに気づいて、次に機会があれば、治療系の呪曲や妖精の技を探そうと決意した。
ミハイルは自らに【癒身の法】の祈りを捧げ、ダメージを受けていた身体を治した。
「いやはや、あんな生き物がいるとは、砂漠は怖いところですね……」
「ミハイル様。今後あのような行動を取られるならば、奥様たちに文で迎えに来てくださるようお願いしますからね」
「ちょっと待ちなさい」
ミハイルは泡を食いながら起き上がった。
「あの場合は仕方ないでしょう。フレッドくんは僕たちの中で、一番重いダメージを与えられる戦士ですよ。彼が丸呑みにされていたら、こちらの勝利は覚束なくなります」
「時間は掛かっても、カノン殿やフタバ殿の攻撃魔法もあるのだから、一匹は倒せましたよ。第一、あなたが敵の攻撃で気絶してしまうと、我々の回復が覚束ないんです」
うんうん、とカノンやフタバが頷いている。
「ま、もっとも反省しなきゃならんのは、少年だがな」
「はい……本当にすいませんでした」
常の荒っぽい言葉遣いを改め、きっちり頭を下げている。
心の底から謝罪をしている様子に、びしばし殺気をつきつけていたモイラも、それ以上は言い募るのを止めた。ただし、鋼鉄の視線と共に釘を刺すのは忘れない。
「二度目はありません」
「はい……」
「それにしても……」
リュミエールは、粗末な家の中を見渡した。家財道具が洗いざらいなくなっている家ばかりの集落で、ここだけが多くの道具類が残っている。
「ここ、人が住まなくなったの、たぶん最近の話だね。ここが一番のボロ家なのに、道具類が朽ち果ててないもの。誰かしら利用してたんだ」
「そうね。位置的に、タウス河畔のココン村じゃないかしら。塩害が出始める少し前から、ヌクス村との交流が途絶えていたと聞いたけど、これじゃ無理ないわね」
恐らく、ヌクス村とは違って、頼みの綱だったタウス川も干上がってしまい、飲み水すら確保できなくなり住民が離散したのだろう。
「つまり、塩害の原因は、もっと北上した先にあるかもしれないということだな」
「ココン村に原因があるのなら、ココンの住民が冒険者を雇うなり、近隣の村に呼びかけて対応策を練るなりしたでしょうからね」
カノンの考えをフタバが補足する。
だとしたら、ここでグズグズしていても、依頼を完遂することは叶わないだろう。
一行は休憩を取ることを止め、また荒野の中へ踏み出すことにした。日差しを遮るものがなくなり、また急激に気温が上昇する。
乾燥した空気に撫でられながら進むが、歩けども歩けども、一向に荒野が途切れる気配は無い。
かなり日が傾いている。劣悪な環境に体力を削られ、いよいよ行き倒れを覚悟する時が来たのかと誰もが危機感を覚えた頃……。
「あ」
フェアリーの口から、信じられないといった態の声が漏れた。
「村が、見えるよ」
「…!!」
突風の間はフレッドに庇われながら進んできたが、彼女もまた限界に近い。蜃気楼でも見てるのかも知れないと自分で自分を疑ったが、近づくにつれ、その村の様子が段々と見えてきた。
この辺りで一般的に使われる赤褐色の木材で建てられた家々は、リューン近郊の肥沃な土地を得た集落からすれば小さいものの、整然と区画整理されているのが分かる。
思いのほか、辺境の寒村からすれば住みやすそうな場所だ。実際、人影はそう少ないように見えないし、アンデッドが歩いてる訳でもないだろうに、あまり活気が感じられないのが奇妙である。
道の隅に吹き溜まりの雪のようなものを見つけて、ミハイルがその正体に驚いた。
「あれ……塩ですね」
「結構な量があるわ」
「サス湖はあるか?」
「ひょっとして、あの大きな窪地がそうなんじゃないでしょうか」
モイラの指が下方を示す先に、真っ白な塩の堆積した所がある。この位置からでも窺えるそれは、縮小してしまった湖の底であるらしい。
ぴしゃりと額を叩くいい音がして、フレッドが呻くように言った。
「なんてこった。すっかり干上がってる」
干上がった川の水が伏流水となって、サス湖に流れ込んでいる様子も無い。このままタウスの流れが戻らなければ、遠からずこの湖は消滅するだろう。
カノンがこれまで被っていたフードを外しながら意見した。
「……今日はもう遅い。ここで宿を取り、明るくなってからルドニーの住民に話を聞こう」
ルドニーは小さい村だが、幸いにも≪銀の湖畔亭≫という宿屋が、村に入ってすぐのところに建っている。宿泊できる部屋数は12室と小規模で、その分だけ宿の手入れは行き届いているようだ。宿の看板には魔除けのつもりか、ヤドリギに所々ローズマリーやウッドラフを差し込んだリースが飾られているが、そのささやかな装飾にさえ塩の結晶がくっついていた。
「こんなところにまで……何故、ヌクスの村人はこの状態を知らないのかしら」
「いや、案外こんなものでしょう。あの荒野を旅の素人が行き来するのは、ひどく危険です」
そして、人が行き来しないということは、全く情報が交換されないということだ。異変の知りようもないのである。モイラは元々田舎出身で――自分の村での悲劇の時も、近隣の村と連絡が取れずにいたことが――あるため、そういう田舎の小村同士の在り方についてよく分かっていた。
≪銀の湖畔亭≫の主は、左足を引き摺って歩く50歳がらみの男で、珍しい外部からの客人を歓迎してくれた。外貨を稼ぐ絶好の機会は逃したくないのだろう。
フレッドやモイラの物々しい武装にたじろいた様子もあったが、砂漠化しつつあるこの土地では滅多に見られないフェアリー連れだと分かると、厳つく彫りの深い顔が優しく綻んだ。
他にいる宿泊客は一組だけだった。
リューンと同じ西方諸国の新港都市、ポートリオンからわざわざ来たという行商人で、サス湖特産のイシム魚と、その卵による珍味を求めてきたのだが、すっかり当てが外れたと肩を落としていた。
「今やイシム魚ってほとんど水揚げが無いみたいで、全く手に入らないんだよな」
「そりゃあ、こんだけ湖が干上がっていればな……」
「そのお魚さんは美味しいの?」
「イシム魚っていやあ、その淡白で独特な食感の肉と、この上なく美味な…て言うか珍味な卵のおかげで、今や凄い高級食材なんだ。グルメを自称するその筋には人気がある。バカにならない旅費を掛けてでも、来るだけの価値はあるだろうと思ったのによ」
だがよ、と商人は身を乗り出した。
「いい事を思いついたんだ。ここで幾らでもとれる塩を、東方産の、珍しい特別な塩として売り出してやるつもりなんだ」
「ブランド価値をつけた塩ってことね。なるほど、悪くないかも」
「一発当たれば、こりゃ結構いい儲けになるぜ。俺は誇り高き、ポートリオン商人なんだ。転んだってタダじゃあ起きないぜ…フッ」
「ふむ……塩か……」
干し魚を戻して煮込んだものに、ふすま入りのパンと麦酒を添えて宿の主が食事を机上に並べていくが、カノンはその様子を眺めながら、全く別のことを考えているようだった。
「”塩”が降るという現象も、俺たちは珍しがっているだけで済むが、ヌクス村は緑化計画まで頓挫して、農地もなくなる瀬戸際だ。解決できれば名を上げられるぞ」
「それにまだ砂漠じゃないよ。荒野だよ」
「寄ってたかって、こちらをへこませるのは止めてくださいよ!」
仲間たちのやり取りを見守っていた片方が、我慢強く沈黙を守る片方へ話しかける。
「人助けなのに彼が苛立つのは、それこそ珍しいんじゃない?」
「はい。こないだの『沈まぬ太陽』で皆が怪我をして危なかったのが、心に引っ掛かっているのかもしれません。似たような環境で仕事をするのが苛立つ原因かと」
「冒険なんだから、多少の危険は折込済みよ。ね、ホムラ?」
肩に乗って上手くバランスを取っている陶器製の黒猫――実は『火を抱く猫』という一流の芸術作品――を、ちらりと見てフタバは同意を求める。
「にゃにゃおーん」
これは新たな主に賛成しているというよりも、むしろ賛成しかねるからもう少し慎重になれ、という鳴き声のように思える。だが、モイラは賢明にも再び沈黙を選んだ。
塩害は通常、海水の浸入や海沿いから吹く風の塩分で作物などに害を受けるものだ。
ヌクス村の場合は、村を出て北上すれば行き着くのがこの半ば砂漠と化した荒野であり、塩を降らせる風はそこから吹いてくるのだという。ちなみに、この荒野は海に繋がってはいない。
あえて言うなら、ヌクスで唯一、飲料水の確保先になってくれているタウス川の流れる先が、塩水湖だという話なのだが――サス湖と呼ばれるそこは湖畔にルドニーという集落を抱えており、そこに住む住人に塩害があるという話が出たことはないらしい。漁業を生業に、小さいながらも安定した収入を得ている村だそうだ。
フタバは人差し指を下膨れ気味の己の頬に当てた。
「肝心のタウス川が途中で干上がっていたのも、かなりおかしなことよね」
「ヌクス村の村長さんには、川沿いに歩けば迷わないと言われていました。川が干上がったことすら知らなかったという証左です」
「でも、塩水湖から風が吹くにしても、砂漠でそう簡単に堆積するものじゃないと思うの。それだけ塩分が濃かったら、とうの昔に魚が全滅してるだろうし……」
「行ってみたら住人が全滅してるパターンもありますよ。タブロアート領みたいに」
「縁起でもない……そうじゃないことを祈るわ」
話しながら歩いたせいか体勢が崩れ、おっとっと、と砂に取られた足を持ち上げる。
リュミエールは何となくその様子を見ていたが、砂が不自然な軌道を微かに描いたことに気づき、思わず声を上げた。
「フタバちゃん、危ない!」
「っ!?」
フェアリーの警告が早かったため、フタバはぎりぎりで後ろに跳び、細かな牙の並んだ貪欲な口から距離を取れた。寸でのところだったのは、怪物との距離がフタバ自身の肩幅ほどもなかったことでも分かる。
「このっ!」
モイラは咄嗟に這い蹲るそれの腹を横から蹴飛ばし、剣を下段に構えた。
柔らかな人肉を食べ損ねたのは、貪欲な巨大爬虫類――全長2メートルもある砂蜥蜴である。
この敵が厄介なのは、砂中を驚くべき機動性を発揮して『泳ぎ回る』事が出来るからだ。人間は足元から攻撃されるのに弱い。素早いフタバでなければ、片足を噛み千切られたところだ。
そしてさらに厄介なのは……。
「げげっ!こっちの岩が動き出したぞ!?」
「馬鹿、それも砂蜥蜴だ!」
荒野に点在する岩そっくりに擬態し、油断している動物を襲う習性があることだろう。フレッドは慌てて向き直り、背中を見せたままになるのを回避したが、これではモイラやフタバに対峙しているほうの砂蜥蜴には攻撃できない。
状況を一瞬で見て取ったカノンは、リュミエールに指示を飛ばした。
「妖精、眠りの歌だ。こいつらはひどくタフで、倒すのに時間がかかる。搦め手がいる!」
「分かった、ちょこっと待ってね!」
蔓薔薇の小さな竪琴が妙味ある音を響かせ、仲間たちが蜥蜴の口を辛うじて回避しながら戦っている姿に焦りつつ、どうにか喉の調子を整え歌い出す。
可愛らしい声が紡ぐ子守唄に、二匹とも眠りの淵へすぐ導かれた。
「ふう……」
カノンがそれを見て、渾身の攻撃に移る体制を全員で整えようと思った時である。
「コノヤロウ!」
血気に逸ったフレッドが、まだ他の者の準備が終わらぬ間に、一匹へ斧を振り下ろしてしまった。
ゴブリンの胴も両断しかねない勢いの攻撃だったが、砂蜥蜴の皮膚は荒野の厳しい環境に適応するので分厚くなっている。深い傷跡はこしらえたものの、一撃で仕留めるには至らない。
反撃でフレッドを丸呑みにしようとするのを、ミハイルが体当たりするようにして庇った。
ぎゅるん、と僧侶服姿の若者の身体が、口の向こうに消えた。
「ミ……ミハイル様!!」
「おいおいおい……やばいぞ……」
未だに眠り込んでいる一匹を無視して、全員でミハイルを丸呑みにした個体へ武器や魔法を叩き込んでいく。ミハイルは呪文使いにしては丈夫なほうだが、原始的な生物の胃酸で溶かされるのに、どれくらいまで耐えられるかなど保証はない。早めの救助が求められた。
暴れまわる砂蜥蜴の口や尾をすり抜け、風に舞うリュミエールは蜥蜴の胴体に着地すると、その鱗に小さな手を掛けた。解錠の要領で、堅固な鱗の端を捲り上げ、身体全体を使って剥がしていく。
「うぎぎぎ……ふんぎー!」
不意にぽろっと何かが取れるような感触がして、リュミエールは理想的な弧を描き砂地に落っこちていた。手にはちゃんと岩と同じ色をした砂蜥蜴の鱗がある。
「フレッド、そいつ鱗剥がれてる!」
「了解、援護ありがとよ、リュミ!」
フェアリーの拵えた弱点目掛け、【閃光の一撃】による斧の刃が振り下ろされる。
深く突きこまれたそれは、荒野の捕食者を絶命させるのに充分であった。砂蜥蜴のぎらつく黄色い目が光を失っていく。
感慨を覚える間もなく、冒険者たちは蜥蜴を引っくり返して、慎重に腹を裂いた。内臓の膨らみを確認しながら目当ての臓器を探り、一気に切れ目を作る。
はたして、完全に気絶した状態のミハイルが現れた。
髪の毛が少し短くなっているようだが、皮膚も少し赤くなっているだけで、酸に溶かされた様子はない。このまま命を落とすことはなさそうだ。
彼を毛布で包んでフレッドが抱えあげると、残り一匹を眠らせたまま、一行は急いでその場から離れた。冒険者側には足場のハンデがあるのに、こんなタフで危険な生き物を、いつまでも相手にしてはいられない。
「……少年、分かってるだろうな」
「うん。俺が全面的に悪い。説教は後で聞くぜ」
当たり前だ、とカノンはフレッドの頭にチョップを喰らわせた。
もっとも文句を言ってしかるべきミハイルの実家から来たガーディアンは、目下、フレッドに無言のまま殺気を叩きつけている。これはこれで怖い。
ただ、最優先事項はミハイルの回復であることは間違いないので、仲間たちは辺りを見回して、少しだけ高台になったところに集落を見つけると、そこを目指して歩を進めた。
まるきり人気のない村の様子が気になったものの、詮索は後回しにして一軒の廃屋へ駆け込む。
毛布を下敷きに横たえたミハイルに、モイラが【冷却せしめよ】という温度調整を応用した術を施すと、辛うじてだが彼は目を覚ました。
何しろ、このパーティにおける治療のエキスパートは、気絶していた聖北僧侶のミハイル自身なのである。前回の事件でモイラが術を会得していなければ、彼を起こすのに後は傷薬を頼る他ない。リュミエールはそれに気づいて、次に機会があれば、治療系の呪曲や妖精の技を探そうと決意した。
ミハイルは自らに【癒身の法】の祈りを捧げ、ダメージを受けていた身体を治した。
「いやはや、あんな生き物がいるとは、砂漠は怖いところですね……」
「ミハイル様。今後あのような行動を取られるならば、奥様たちに文で迎えに来てくださるようお願いしますからね」
「ちょっと待ちなさい」
ミハイルは泡を食いながら起き上がった。
「あの場合は仕方ないでしょう。フレッドくんは僕たちの中で、一番重いダメージを与えられる戦士ですよ。彼が丸呑みにされていたら、こちらの勝利は覚束なくなります」
「時間は掛かっても、カノン殿やフタバ殿の攻撃魔法もあるのだから、一匹は倒せましたよ。第一、あなたが敵の攻撃で気絶してしまうと、我々の回復が覚束ないんです」
うんうん、とカノンやフタバが頷いている。
「ま、もっとも反省しなきゃならんのは、少年だがな」
「はい……本当にすいませんでした」
常の荒っぽい言葉遣いを改め、きっちり頭を下げている。
心の底から謝罪をしている様子に、びしばし殺気をつきつけていたモイラも、それ以上は言い募るのを止めた。ただし、鋼鉄の視線と共に釘を刺すのは忘れない。
「二度目はありません」
「はい……」
「それにしても……」
リュミエールは、粗末な家の中を見渡した。家財道具が洗いざらいなくなっている家ばかりの集落で、ここだけが多くの道具類が残っている。
「ここ、人が住まなくなったの、たぶん最近の話だね。ここが一番のボロ家なのに、道具類が朽ち果ててないもの。誰かしら利用してたんだ」
「そうね。位置的に、タウス河畔のココン村じゃないかしら。塩害が出始める少し前から、ヌクス村との交流が途絶えていたと聞いたけど、これじゃ無理ないわね」
恐らく、ヌクス村とは違って、頼みの綱だったタウス川も干上がってしまい、飲み水すら確保できなくなり住民が離散したのだろう。
「つまり、塩害の原因は、もっと北上した先にあるかもしれないということだな」
「ココン村に原因があるのなら、ココンの住民が冒険者を雇うなり、近隣の村に呼びかけて対応策を練るなりしたでしょうからね」
カノンの考えをフタバが補足する。
だとしたら、ここでグズグズしていても、依頼を完遂することは叶わないだろう。
一行は休憩を取ることを止め、また荒野の中へ踏み出すことにした。日差しを遮るものがなくなり、また急激に気温が上昇する。
乾燥した空気に撫でられながら進むが、歩けども歩けども、一向に荒野が途切れる気配は無い。
かなり日が傾いている。劣悪な環境に体力を削られ、いよいよ行き倒れを覚悟する時が来たのかと誰もが危機感を覚えた頃……。
「あ」
フェアリーの口から、信じられないといった態の声が漏れた。
「村が、見えるよ」
「…!!」
突風の間はフレッドに庇われながら進んできたが、彼女もまた限界に近い。蜃気楼でも見てるのかも知れないと自分で自分を疑ったが、近づくにつれ、その村の様子が段々と見えてきた。
この辺りで一般的に使われる赤褐色の木材で建てられた家々は、リューン近郊の肥沃な土地を得た集落からすれば小さいものの、整然と区画整理されているのが分かる。
思いのほか、辺境の寒村からすれば住みやすそうな場所だ。実際、人影はそう少ないように見えないし、アンデッドが歩いてる訳でもないだろうに、あまり活気が感じられないのが奇妙である。
道の隅に吹き溜まりの雪のようなものを見つけて、ミハイルがその正体に驚いた。
「あれ……塩ですね」
「結構な量があるわ」
「サス湖はあるか?」
「ひょっとして、あの大きな窪地がそうなんじゃないでしょうか」
モイラの指が下方を示す先に、真っ白な塩の堆積した所がある。この位置からでも窺えるそれは、縮小してしまった湖の底であるらしい。
ぴしゃりと額を叩くいい音がして、フレッドが呻くように言った。
「なんてこった。すっかり干上がってる」
干上がった川の水が伏流水となって、サス湖に流れ込んでいる様子も無い。このままタウスの流れが戻らなければ、遠からずこの湖は消滅するだろう。
カノンがこれまで被っていたフードを外しながら意見した。
「……今日はもう遅い。ここで宿を取り、明るくなってからルドニーの住民に話を聞こう」
ルドニーは小さい村だが、幸いにも≪銀の湖畔亭≫という宿屋が、村に入ってすぐのところに建っている。宿泊できる部屋数は12室と小規模で、その分だけ宿の手入れは行き届いているようだ。宿の看板には魔除けのつもりか、ヤドリギに所々ローズマリーやウッドラフを差し込んだリースが飾られているが、そのささやかな装飾にさえ塩の結晶がくっついていた。
「こんなところにまで……何故、ヌクスの村人はこの状態を知らないのかしら」
「いや、案外こんなものでしょう。あの荒野を旅の素人が行き来するのは、ひどく危険です」
そして、人が行き来しないということは、全く情報が交換されないということだ。異変の知りようもないのである。モイラは元々田舎出身で――自分の村での悲劇の時も、近隣の村と連絡が取れずにいたことが――あるため、そういう田舎の小村同士の在り方についてよく分かっていた。
≪銀の湖畔亭≫の主は、左足を引き摺って歩く50歳がらみの男で、珍しい外部からの客人を歓迎してくれた。外貨を稼ぐ絶好の機会は逃したくないのだろう。
フレッドやモイラの物々しい武装にたじろいた様子もあったが、砂漠化しつつあるこの土地では滅多に見られないフェアリー連れだと分かると、厳つく彫りの深い顔が優しく綻んだ。
他にいる宿泊客は一組だけだった。
リューンと同じ西方諸国の新港都市、ポートリオンからわざわざ来たという行商人で、サス湖特産のイシム魚と、その卵による珍味を求めてきたのだが、すっかり当てが外れたと肩を落としていた。
「今やイシム魚ってほとんど水揚げが無いみたいで、全く手に入らないんだよな」
「そりゃあ、こんだけ湖が干上がっていればな……」
「そのお魚さんは美味しいの?」
「イシム魚っていやあ、その淡白で独特な食感の肉と、この上なく美味な…て言うか珍味な卵のおかげで、今や凄い高級食材なんだ。グルメを自称するその筋には人気がある。バカにならない旅費を掛けてでも、来るだけの価値はあるだろうと思ったのによ」
だがよ、と商人は身を乗り出した。
「いい事を思いついたんだ。ここで幾らでもとれる塩を、東方産の、珍しい特別な塩として売り出してやるつもりなんだ」
「ブランド価値をつけた塩ってことね。なるほど、悪くないかも」
「一発当たれば、こりゃ結構いい儲けになるぜ。俺は誇り高き、ポートリオン商人なんだ。転んだってタダじゃあ起きないぜ…フッ」
「ふむ……塩か……」
干し魚を戻して煮込んだものに、ふすま入りのパンと麦酒を添えて宿の主が食事を机上に並べていくが、カノンはその様子を眺めながら、全く別のことを考えているようだった。
2019/09/21 16:44 [edit]
category: 塩の降る村
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