Mon.
白いジグゾーパズルその1 
夕方近くに降りだした雨は、太陽が完全に沈んでしまう辺りから土砂降りに変わり、雨具を装備して先を急ぐ人々を重たげな音で打った。
悪天候の中、無理矢理外出を決行する者も多くはなく、夕餉の香りが住宅のそこかしこから漂い始める頃には、僅かな人影もいなくなっていた。
寂しげなリューンの街中は、飛沫によって白く煙っている。
北東にある黄昏の森の大妖魔を討ち果たして戻ってから数日、旗を掲げる爪に大きな仕事は舞い込んでいないが、今のところよく同輩が悩まされているツケもなく、彼らは平穏な日々を過ごしていた。

悪天候の中、無理矢理外出を決行する者も多くはなく、夕餉の香りが住宅のそこかしこから漂い始める頃には、僅かな人影もいなくなっていた。
寂しげなリューンの街中は、飛沫によって白く煙っている。
北東にある黄昏の森の大妖魔を討ち果たして戻ってから数日、旗を掲げる爪に大きな仕事は舞い込んでいないが、今のところよく同輩が悩まされているツケもなく、彼らは平穏な日々を過ごしていた。

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雨量が多いと、凄まじい音で人の眠りを妨げることもあるのだが、さすが基本肉体労働の冒険者揃いと言うべきか、この宿屋にそんな繊細な理由で不眠症に陥る人材は、ほぼいないらしい。
完全ではなくほぼ、と言ったのは、この狼の隠れ家では人ならざる存在――夢魔や魔法生物など――が所属をしているからである。
そんな少数派の一人であるナイトは、与えられた一室で特に何かをするでもなく、ただ人間の真似をして寝台(すごく頑丈なのである)に横たわっていたのだが――。
「……どうにも落ち着かないな」
ゆっくりと身体を起こして、最近少しがたつく様になった窓へ視線を向ければ、室内からでもざあざあと盛大な音を立てて、上から下へとたくさんの雫が降り注いでいるのがわかった。
元々、ナイト自身はリビングメイルという種類の魔法生物である。
名称の示すとおり、彼の身体は金属製の鎧――それも、よほどの豪傑でなければ着用して動くことも適わない、フルプレートアーマーなのである。
いざ戦いとなれば至極頼りになる身体なのだが、現在外で降り注いでいる水分に関しては、あまり無頓着でいると錆びてしまうので、どうしても苦手にしているものだった。

「…雨か」
ナイトにしてみれば、降り注ぐ水の壁で行動が制限されるのは、まるで檻の中にいるような閉塞感を感じてしまう。
”ツクリモノ”である身にとって、気持ちや気分などという不可解なものは持ち合わせていないはずなのだが、どんよりとした鈍色の雲の絨毯が空を覆っているのを見ると、自分まで気持ちが沈んでしまう錯覚が起きる……気がする。
せめてもの暇つぶしにと自分の使う装備の手入れをしていたが、それもすぐに終わってしまった。
日頃から整備はしているし、愛剣にいたっては竜のブレスが宿った魔法の武器である。
普通の鉄や鋼で出来た武具のような手入れは、必要ないのだ。
自分にとって二番目の魔力の核――竜の生き血で描かれた魔法陣――は、右胸の内側に存在しているのだが、ナイトは何となくそこに手をやった。
主従の契約直後はそうでもなかったのだが、竜血の魔法陣で魔力を蓄えて動くようになってから、ミカの強い魔力の発動に共鳴するようになってきた。
前の主の時にはなかったそれは、人間の生理現象として知識にある”心臓が脈打つ”のに近いのではないだろうか、と思っている。
鼓動が一つ高鳴るたびに――主が自分を求めていると、自覚することが出来る。
今は当然ながら、魔力による反応は見られない。
(主殿はもう寝ているだろう。アンジェは時々遅くまで起きていることもあるが、元々シシリーが夜更かしをするタイプではないし。)
ミカは、リーダーであるシシリーや、盗賊役を務めているアンジェと、同じ部屋に寝起きしている。
レオラン大隧道で旗を掲げる爪によって救出される前は、行動を共にする固定された仲間というものを持たなかった内気なミカだが、ナイトと組むようになり、揃って新たなパーティメンバーとして加わるようになってから、少しずつ仲間たちの流儀に馴染んできているようだ。
それが頼もしくもあり――。
(……何だろうな、この意識は。これと似たような意識を、前の主人の腕を斬り落とし、研究所から脱出する手伝いをした時に感じた記憶があるのだが。)
ナイトはしばし考え込んだが、明確な答えが出ることはなかった。
朝までここにいるのが彼の常であるが、今はどういうわけか、天から滴る水を見たくない。
下に降りても、この時間は誰もいないだろう。
(つまり、夜が明けるのをカウンターで待っても、誰かに迷惑を掛ける事はないはずだ。)
そう考えたナイトは、薄暗い自室をそっと後にした。
構成する要素が金属であっても、中身である人体が入っていない分、彼の足音はさほど大きくない。
黒いつや消しの全身鎧は、階下の酒場兼食堂へと出来るだけ静かに移動した。
「………」
思った通り、狼の隠れ家の1階はしんと静まり返っている。
昼間であれば、同業者が酒を飲みながら管を巻いていたり、宿の亭主の料理を食べながら他愛のない話に花を咲かせたりしている場所だ。
リューンの冒険者の店の中でも、老舗に分類されているこの宿は、豪華と言うには程遠いが、頑丈さにかけては折り紙つきである。
それもこれも、常識外れの豪腕の戦士や、あるいは冒険者を追いかけて乱入してくる無法者などを想定して作られているせいだが、日頃は駆け出しから英雄クラスまで様々な冒険者で賑わう1階の光景も、夜更けで人気のない独特の静けさが漂い、ナイトにどこか物寂しさを感じさせた。
(物寂しい……。そうか!先ほどの意識は、人間が言うところの「寂しい」なのか。人ではない私が、そんな事を”感じる”のはおかしいことなのだが。)
最初にナイトが仕えた相手は、ミカよりもいささか年上の、やはり女性魔術師だったのだが、彼女はかつて愛したはずの男の研究結果を孕まされ、助けを求めて逃げ出した。
――人として遇してくれた結果、ついに自我を得るまでに至ったナイトを置いて。
それに拘っていたつもりはないのだが、似たような意識を抱えたと自覚したということは、やはり自分はまた主に置いていかれているのではないかと恐れている――そこまで考え、彼の身体に戦慄が走った。
「――ナイト?」
「……主、殿?」
真っ暗であるはずのカウンターには、銅製の小さなランタンが仄かな明かりを発している。
その光源でうすぼんやりと照らされているのは、ベッドに入っているとばかり思っていたナイトの主であった。
彼女はおっとりとした様子でスツールに腰掛けており、
「こんな夜遅くにどうされたんですか?もう寝たほうが良いですよ?」
と言って、ずり落ちそうになっているショールをかき寄せた。
「主殿も私のことは言えないじゃないか。こんな時間に起きてるなんて」
「私はいいんです」
ミカは自分のことを棚に上げ、笑ってナイトに手招きをした。
彼女が素直に示す好意に甘えて、隣に腰掛ける。
こんな時間になにをやっているのだろうかと問いかけようとした矢先に、カウンターのテーブルに置いてあるものに視線が吸い寄せられた。

「…パズル?」
2人の目の前には、未完成のパズルが置かれていた。
人間が暇つぶしに行なう遊びに、ジグゾーパズルというものがあるのは知っている。
だが、彼が今まで見てきた中では、パズルは何かのイラストを描いたピースを組み立てて景色を見出すものであり――カウンターにあるもののように、全てのピースが真っ白なのは初めて見た。
「…変わってますよねこれ。ええと、ミルクパズル…って言うらしいです」
「…えっ、牛乳が使われているのか?」
ごく素直に言葉の意味を受け取ったナイトだったが、どうやら外れだったらしい。
常緑樹の瞳を軽く瞠った後、ミカはさもおかしげにクスクスと笑い出した。
「いえ違いますよ。牛乳のように真っ白なパズルだから、その名がついただけで……娘さんが、友人に頂いたそうです」
黄昏の森に出かける前くらいに、給仕娘のリジーよりパズルを貰っていたミカだったが、今日の強烈な降雨でどうしても眠れずにいたのを、不意に思い出したパズルで気分転換しようとやり始めたらしい。
「……話し相手にでも、呼びに来て下されば良かったのに」
「寝ない身体でも、休息の時間は大事ですよ」
ミカがいつからそれをはめこんでいっているのか、彼女が起きていたこと自体を知らなかったナイトには判然としなかったが、パズルがとても難しそうなのは分かる。
なんの絵柄も書かれていないジグゾーパズルは、まるでこれから画家が絵筆を載せようと企んでいる一枚のキャンバスのようだ。
(ここに描かれる絵は何なのか――。)
もしこのパズルが彼自身ならば、彩るのは己の鎧の黒か。前の主の絶望を写した、今日の曇天と同じ鈍色か。もしくは――一人の剣士として戦いを挑んだ時に目にした、彼岸花の赤か。
あの時の赤は、今の主たるミカの髪の色とは違う。
(自身に宿っている力の全てを込めたが、及ばずに敗れた。私は彼岸花たちが、偶然宿った自我を人間と同じ場所へ連れて行くように見えたが――主殿の赤毛は、暖炉に灯る火のような暖かさがある。)
ミカの白くしなやかな指先がピースをつまんで、空白だらけの台紙へとはめ込んでは取り除く仕草をまじまじとみつめながら、ナイトが脚をゆっくりと組む。
その動作でがしゃん、と音が鳴り、ミカは繊細な面立ちをナイトに向けた。
怒っている様子はなく――ただ単に、不思議そうに彼女は問いかけた。
「物好きですね。見ていて楽しいものですかこれ?」
「……水が煩くて、部屋にいたくなかった」
「…そう、ですか」
明かりといえば小さな角灯以外何もない薄暗い中、カウンターで並んで2人、淡々と言葉を投げては拾う。
それは悪くない時間だった。
少なくとも、”寂しい”という意識を考えることはしなくて済む。
「…このパズル、ナイトみたいですね」
ミカの口から、独り言のようにぽつりと零れた音がカウンターに落ちる。
その音を拾いながら、ゆっくりと頭部に当たる兜を傾げるようにして、ナイトはミカを見つめた。
「私か?」
「ええ」
「………」
「他人の思考や、内面といいますか。まるで複雑怪奇なパズルのようだと思うんです。……私は、ですけどね」
ぽつぽつと――外の不快な水とは裏腹に静かに――紡がれる音と意味を繋ぎ合わせながら、黙って耳を傾ける。
なんとなく、だが。
(主殿は、明確な返答を求めていないようだ。)
そう判断したナイトだったが、次の言葉は彼にとって予想外だった。
「ナイトのパズルは難易度が高そうです」
「そうだろうか?」

「ええ。これと一緒で真っ白そうですから」
「え?」
意図せずして発した音声は、ひどく間の抜けたものだった。
(真っ白?……こんな厳つく黒い鎧の私が?)
言われたことが信じられなくて、ちらりとミカからミルクパズルへと視線を移す――真っ白なパズルは未だ完成していない。
「…嫌なこと、楽しいこと、それらを組み立てて形作っている最中のような。ナイトは、今から色々組み立てていくんでしょうね」
「…よく、わからん」
ミカの言うことは抽象的だ。
支離滅裂と言ってもいい。
それでも、彼女の口から紡がれる音は、まるで同じ効果範囲に同系統の魔法をかけた共鳴のように、自分の何処かを小刻みに揺らしてくる気がする。
「…主殿の」
「はい?」
「主殿のパズルは……どうなんだ?」
「私ですか……、私のは」
顎に曲げた人差し指を当てて、しばし考え込んでいる。
やがて彼女は、ふっと口角を上げて応じた。
「…さあ、どうだったでしょうか。気づけば、ばらばらになっていましたし」
それは――。
一度死霊術師によって殺され、甦ってきた経験が言わせたものなのだろうか。
本来は素直で優しい彼女が、容易に踏み込ませない領域の話の時は、双眸の葉の色が曇天の下にさらされたように翳っていくのである。
ほんの一瞬であったが、ミカの目は確かにその色を帯びた。
「ナイト、あなたは今から、じっくりパズルを組み立ててくださいね……」
ミカの最後の言葉は上手く聞き取れなかった。
しかし、ナイトは置いていかれるのも嫌なら、置いていくのも嫌だとはっきり自覚しているのである。
だからこそ、彼にしては珍しく名を呼んだ。
「…ミカも組み立ててもらえばいいじゃないか」
そう、反射的に言葉を紡いだ。
「私のは、…言ったでしょう。いくつかどこかに落としてしまったと」
そのセリフを言った時には、既にミカは顔を背けていた。
薄暗いカウンターに座る、彼女の表情はよく見えない。
「組み立ててくれる人はきっといる」
それでもと、ナイトは自分が思ったことをそのまま己の主に伝えようと言葉を紡ぐ。

「…散らばってしまったピースを拾い上げてくれる人が」
「………」
「私も拾えたら、組み立ててやろう」
「…そうですか」
「ああ」
そう、少しの音にたくさんの意味を込めて呟いたら、隣りに座っていたミカの身体が揺れた。
未だに表情はよく判別できなかったものの、
「それなら、私もあなたのを見つけたら、ちゃんと拾っておきますね」
と応えた時の声音は、存外穏やかな空気を含んでいるように思われた。
「それで主殿。少しは眠くなったのか?」
「ええ、まあ……多少は」
「では、休め。私もそろそろ、部屋にあがることにしよう」
もう、ナイトは自室で雨を見ても平気だろうことが分かっていた。
「…そうですね」
ミカが手早くカウンターのパズルを片付ける。
白いジグソーパズルはまだ出来上がっていなかったが、何だかナイトは、それも悪くないような気がした。
「おやすみなさい、ナイト」
「おやすみ」
※収入:報酬0sp
※支出:
※その他:
※刻人様作、白いジグゾーパズルクリア!
--------------------------------------------------------
66回目のお仕事というか休暇の風景は、刻人様の白いジグゾーパズルです。
読み物短編シナリオで、作者様の意図では、他にもっと仲が良いメンバーがいる2人がたまたま話をすることになったという筋書きのはずなのですが、ここではあえて主従関係の二名を選択しました。
じっくりと地の文を読んでいると、相棒キャラが主人公キャラのことを、かなり深く観察しているように思われたからです。
それを加味してプレイするのであれば、ナイトからミカへ、ミカからナイトへの評価と言うか常々考えている気持ちが上手く出てくるのではと、条件に合致しない面子でリプレイに起こしました。
推奨するキャラの性格も書いてあり、これなら普通は逆じゃないかなと思うのですが、純粋で(人の気持ちに)無知ということならば間違ってもいないだろうと、ナイトのほうを主人公に。
……いや、まあ、リビングメイルなら、雨は絶対好きになれないだろうと推測したのですが。
刻人様には、普段シナリオを作る時に背景素材やカード素材でお世話になっております。
ついにリプレイのシナリオでもお世話になりました。いつもありがとうございます(平伏)。
そして書いていて偶然の一致にハッとしたのですが、ミカの髪の色は彼岸花と同系色だったんですね。
でも今の彼は全てを終わらせようとしたナイトではなく、これから冒険者としての人生を悔いなく生きることを誓っているはずですから、仲間たちと囲む温かな焚火を連想させるだろうと、ここで否定を入れておくことにしました。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
完全ではなくほぼ、と言ったのは、この狼の隠れ家では人ならざる存在――夢魔や魔法生物など――が所属をしているからである。
そんな少数派の一人であるナイトは、与えられた一室で特に何かをするでもなく、ただ人間の真似をして寝台(すごく頑丈なのである)に横たわっていたのだが――。
「……どうにも落ち着かないな」
ゆっくりと身体を起こして、最近少しがたつく様になった窓へ視線を向ければ、室内からでもざあざあと盛大な音を立てて、上から下へとたくさんの雫が降り注いでいるのがわかった。
元々、ナイト自身はリビングメイルという種類の魔法生物である。
名称の示すとおり、彼の身体は金属製の鎧――それも、よほどの豪傑でなければ着用して動くことも適わない、フルプレートアーマーなのである。
いざ戦いとなれば至極頼りになる身体なのだが、現在外で降り注いでいる水分に関しては、あまり無頓着でいると錆びてしまうので、どうしても苦手にしているものだった。

「…雨か」
ナイトにしてみれば、降り注ぐ水の壁で行動が制限されるのは、まるで檻の中にいるような閉塞感を感じてしまう。
”ツクリモノ”である身にとって、気持ちや気分などという不可解なものは持ち合わせていないはずなのだが、どんよりとした鈍色の雲の絨毯が空を覆っているのを見ると、自分まで気持ちが沈んでしまう錯覚が起きる……気がする。
せめてもの暇つぶしにと自分の使う装備の手入れをしていたが、それもすぐに終わってしまった。
日頃から整備はしているし、愛剣にいたっては竜のブレスが宿った魔法の武器である。
普通の鉄や鋼で出来た武具のような手入れは、必要ないのだ。
自分にとって二番目の魔力の核――竜の生き血で描かれた魔法陣――は、右胸の内側に存在しているのだが、ナイトは何となくそこに手をやった。
主従の契約直後はそうでもなかったのだが、竜血の魔法陣で魔力を蓄えて動くようになってから、ミカの強い魔力の発動に共鳴するようになってきた。
前の主の時にはなかったそれは、人間の生理現象として知識にある”心臓が脈打つ”のに近いのではないだろうか、と思っている。
鼓動が一つ高鳴るたびに――主が自分を求めていると、自覚することが出来る。
今は当然ながら、魔力による反応は見られない。
(主殿はもう寝ているだろう。アンジェは時々遅くまで起きていることもあるが、元々シシリーが夜更かしをするタイプではないし。)
ミカは、リーダーであるシシリーや、盗賊役を務めているアンジェと、同じ部屋に寝起きしている。
レオラン大隧道で旗を掲げる爪によって救出される前は、行動を共にする固定された仲間というものを持たなかった内気なミカだが、ナイトと組むようになり、揃って新たなパーティメンバーとして加わるようになってから、少しずつ仲間たちの流儀に馴染んできているようだ。
それが頼もしくもあり――。
(……何だろうな、この意識は。これと似たような意識を、前の主人の腕を斬り落とし、研究所から脱出する手伝いをした時に感じた記憶があるのだが。)
ナイトはしばし考え込んだが、明確な答えが出ることはなかった。
朝までここにいるのが彼の常であるが、今はどういうわけか、天から滴る水を見たくない。
下に降りても、この時間は誰もいないだろう。
(つまり、夜が明けるのをカウンターで待っても、誰かに迷惑を掛ける事はないはずだ。)
そう考えたナイトは、薄暗い自室をそっと後にした。
構成する要素が金属であっても、中身である人体が入っていない分、彼の足音はさほど大きくない。
黒いつや消しの全身鎧は、階下の酒場兼食堂へと出来るだけ静かに移動した。
「………」
思った通り、狼の隠れ家の1階はしんと静まり返っている。
昼間であれば、同業者が酒を飲みながら管を巻いていたり、宿の亭主の料理を食べながら他愛のない話に花を咲かせたりしている場所だ。
リューンの冒険者の店の中でも、老舗に分類されているこの宿は、豪華と言うには程遠いが、頑丈さにかけては折り紙つきである。
それもこれも、常識外れの豪腕の戦士や、あるいは冒険者を追いかけて乱入してくる無法者などを想定して作られているせいだが、日頃は駆け出しから英雄クラスまで様々な冒険者で賑わう1階の光景も、夜更けで人気のない独特の静けさが漂い、ナイトにどこか物寂しさを感じさせた。
(物寂しい……。そうか!先ほどの意識は、人間が言うところの「寂しい」なのか。人ではない私が、そんな事を”感じる”のはおかしいことなのだが。)
最初にナイトが仕えた相手は、ミカよりもいささか年上の、やはり女性魔術師だったのだが、彼女はかつて愛したはずの男の研究結果を孕まされ、助けを求めて逃げ出した。
――人として遇してくれた結果、ついに自我を得るまでに至ったナイトを置いて。
それに拘っていたつもりはないのだが、似たような意識を抱えたと自覚したということは、やはり自分はまた主に置いていかれているのではないかと恐れている――そこまで考え、彼の身体に戦慄が走った。
「――ナイト?」
「……主、殿?」
真っ暗であるはずのカウンターには、銅製の小さなランタンが仄かな明かりを発している。
その光源でうすぼんやりと照らされているのは、ベッドに入っているとばかり思っていたナイトの主であった。
彼女はおっとりとした様子でスツールに腰掛けており、
「こんな夜遅くにどうされたんですか?もう寝たほうが良いですよ?」
と言って、ずり落ちそうになっているショールをかき寄せた。
「主殿も私のことは言えないじゃないか。こんな時間に起きてるなんて」
「私はいいんです」
ミカは自分のことを棚に上げ、笑ってナイトに手招きをした。
彼女が素直に示す好意に甘えて、隣に腰掛ける。
こんな時間になにをやっているのだろうかと問いかけようとした矢先に、カウンターのテーブルに置いてあるものに視線が吸い寄せられた。

「…パズル?」
2人の目の前には、未完成のパズルが置かれていた。
人間が暇つぶしに行なう遊びに、ジグゾーパズルというものがあるのは知っている。
だが、彼が今まで見てきた中では、パズルは何かのイラストを描いたピースを組み立てて景色を見出すものであり――カウンターにあるもののように、全てのピースが真っ白なのは初めて見た。
「…変わってますよねこれ。ええと、ミルクパズル…って言うらしいです」
「…えっ、牛乳が使われているのか?」
ごく素直に言葉の意味を受け取ったナイトだったが、どうやら外れだったらしい。
常緑樹の瞳を軽く瞠った後、ミカはさもおかしげにクスクスと笑い出した。
「いえ違いますよ。牛乳のように真っ白なパズルだから、その名がついただけで……娘さんが、友人に頂いたそうです」
黄昏の森に出かける前くらいに、給仕娘のリジーよりパズルを貰っていたミカだったが、今日の強烈な降雨でどうしても眠れずにいたのを、不意に思い出したパズルで気分転換しようとやり始めたらしい。
「……話し相手にでも、呼びに来て下されば良かったのに」
「寝ない身体でも、休息の時間は大事ですよ」
ミカがいつからそれをはめこんでいっているのか、彼女が起きていたこと自体を知らなかったナイトには判然としなかったが、パズルがとても難しそうなのは分かる。
なんの絵柄も書かれていないジグゾーパズルは、まるでこれから画家が絵筆を載せようと企んでいる一枚のキャンバスのようだ。
(ここに描かれる絵は何なのか――。)
もしこのパズルが彼自身ならば、彩るのは己の鎧の黒か。前の主の絶望を写した、今日の曇天と同じ鈍色か。もしくは――一人の剣士として戦いを挑んだ時に目にした、彼岸花の赤か。
あの時の赤は、今の主たるミカの髪の色とは違う。
(自身に宿っている力の全てを込めたが、及ばずに敗れた。私は彼岸花たちが、偶然宿った自我を人間と同じ場所へ連れて行くように見えたが――主殿の赤毛は、暖炉に灯る火のような暖かさがある。)
ミカの白くしなやかな指先がピースをつまんで、空白だらけの台紙へとはめ込んでは取り除く仕草をまじまじとみつめながら、ナイトが脚をゆっくりと組む。
その動作でがしゃん、と音が鳴り、ミカは繊細な面立ちをナイトに向けた。
怒っている様子はなく――ただ単に、不思議そうに彼女は問いかけた。
「物好きですね。見ていて楽しいものですかこれ?」
「……水が煩くて、部屋にいたくなかった」
「…そう、ですか」
明かりといえば小さな角灯以外何もない薄暗い中、カウンターで並んで2人、淡々と言葉を投げては拾う。
それは悪くない時間だった。
少なくとも、”寂しい”という意識を考えることはしなくて済む。
「…このパズル、ナイトみたいですね」
ミカの口から、独り言のようにぽつりと零れた音がカウンターに落ちる。
その音を拾いながら、ゆっくりと頭部に当たる兜を傾げるようにして、ナイトはミカを見つめた。
「私か?」
「ええ」
「………」
「他人の思考や、内面といいますか。まるで複雑怪奇なパズルのようだと思うんです。……私は、ですけどね」
ぽつぽつと――外の不快な水とは裏腹に静かに――紡がれる音と意味を繋ぎ合わせながら、黙って耳を傾ける。
なんとなく、だが。
(主殿は、明確な返答を求めていないようだ。)
そう判断したナイトだったが、次の言葉は彼にとって予想外だった。
「ナイトのパズルは難易度が高そうです」
「そうだろうか?」

「ええ。これと一緒で真っ白そうですから」
「え?」
意図せずして発した音声は、ひどく間の抜けたものだった。
(真っ白?……こんな厳つく黒い鎧の私が?)
言われたことが信じられなくて、ちらりとミカからミルクパズルへと視線を移す――真っ白なパズルは未だ完成していない。
「…嫌なこと、楽しいこと、それらを組み立てて形作っている最中のような。ナイトは、今から色々組み立てていくんでしょうね」
「…よく、わからん」
ミカの言うことは抽象的だ。
支離滅裂と言ってもいい。
それでも、彼女の口から紡がれる音は、まるで同じ効果範囲に同系統の魔法をかけた共鳴のように、自分の何処かを小刻みに揺らしてくる気がする。
「…主殿の」
「はい?」
「主殿のパズルは……どうなんだ?」
「私ですか……、私のは」
顎に曲げた人差し指を当てて、しばし考え込んでいる。
やがて彼女は、ふっと口角を上げて応じた。
「…さあ、どうだったでしょうか。気づけば、ばらばらになっていましたし」
それは――。
一度死霊術師によって殺され、甦ってきた経験が言わせたものなのだろうか。
本来は素直で優しい彼女が、容易に踏み込ませない領域の話の時は、双眸の葉の色が曇天の下にさらされたように翳っていくのである。
ほんの一瞬であったが、ミカの目は確かにその色を帯びた。
「ナイト、あなたは今から、じっくりパズルを組み立ててくださいね……」
ミカの最後の言葉は上手く聞き取れなかった。
しかし、ナイトは置いていかれるのも嫌なら、置いていくのも嫌だとはっきり自覚しているのである。
だからこそ、彼にしては珍しく名を呼んだ。
「…ミカも組み立ててもらえばいいじゃないか」
そう、反射的に言葉を紡いだ。
「私のは、…言ったでしょう。いくつかどこかに落としてしまったと」
そのセリフを言った時には、既にミカは顔を背けていた。
薄暗いカウンターに座る、彼女の表情はよく見えない。
「組み立ててくれる人はきっといる」
それでもと、ナイトは自分が思ったことをそのまま己の主に伝えようと言葉を紡ぐ。

「…散らばってしまったピースを拾い上げてくれる人が」
「………」
「私も拾えたら、組み立ててやろう」
「…そうですか」
「ああ」
そう、少しの音にたくさんの意味を込めて呟いたら、隣りに座っていたミカの身体が揺れた。
未だに表情はよく判別できなかったものの、
「それなら、私もあなたのを見つけたら、ちゃんと拾っておきますね」
と応えた時の声音は、存外穏やかな空気を含んでいるように思われた。
「それで主殿。少しは眠くなったのか?」
「ええ、まあ……多少は」
「では、休め。私もそろそろ、部屋にあがることにしよう」
もう、ナイトは自室で雨を見ても平気だろうことが分かっていた。
「…そうですね」
ミカが手早くカウンターのパズルを片付ける。
白いジグソーパズルはまだ出来上がっていなかったが、何だかナイトは、それも悪くないような気がした。
「おやすみなさい、ナイト」
「おやすみ」
※収入:報酬0sp
※支出:
※その他:
※刻人様作、白いジグゾーパズルクリア!
--------------------------------------------------------
66回目のお仕事というか休暇の風景は、刻人様の白いジグゾーパズルです。
読み物短編シナリオで、作者様の意図では、他にもっと仲が良いメンバーがいる2人がたまたま話をすることになったという筋書きのはずなのですが、ここではあえて主従関係の二名を選択しました。
じっくりと地の文を読んでいると、相棒キャラが主人公キャラのことを、かなり深く観察しているように思われたからです。
それを加味してプレイするのであれば、ナイトからミカへ、ミカからナイトへの評価と言うか常々考えている気持ちが上手く出てくるのではと、条件に合致しない面子でリプレイに起こしました。
推奨するキャラの性格も書いてあり、これなら普通は逆じゃないかなと思うのですが、純粋で(人の気持ちに)無知ということならば間違ってもいないだろうと、ナイトのほうを主人公に。
……いや、まあ、リビングメイルなら、雨は絶対好きになれないだろうと推測したのですが。
刻人様には、普段シナリオを作る時に背景素材やカード素材でお世話になっております。
ついにリプレイのシナリオでもお世話になりました。いつもありがとうございます(平伏)。
そして書いていて偶然の一致にハッとしたのですが、ミカの髪の色は彼岸花と同系色だったんですね。
でも今の彼は全てを終わらせようとしたナイトではなく、これから冒険者としての人生を悔いなく生きることを誓っているはずですから、仲間たちと囲む温かな焚火を連想させるだろうと、ここで否定を入れておくことにしました。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2017/04/03 11:34 [edit]
category: 白いジグゾーパズル
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