Thu.
ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)その8 
男は――いや、ダーフィットは、人気のない墓地の中で、つい数時間ほど前に行なった凶行を思い返していた。
ただの野鍛冶だった自分が、なぜリューンという都会の治安を担う組織に属する人間を、ああまで多く殺すことが出来たのか、未だに良く分からない。
だが、あのモルナロヴァという魔術師に渡されて以来、ずっと使ってきたナイフを握っていると、不思議と相手のどこを刺し、刻み、切り裂けば良いのか、本能的に腕が動くのである。
血盗りナイフ、と個人的に呼んでいるそれは、非力な魔術師でも人体を刻めるよう『魔法で切る』術式が篭められていた。
ただの野鍛冶だった自分が、なぜリューンという都会の治安を担う組織に属する人間を、ああまで多く殺すことが出来たのか、未だに良く分からない。
だが、あのモルナロヴァという魔術師に渡されて以来、ずっと使ってきたナイフを握っていると、不思議と相手のどこを刺し、刻み、切り裂けば良いのか、本能的に腕が動くのである。
血盗りナイフ、と個人的に呼んでいるそれは、非力な魔術師でも人体を刻めるよう『魔法で切る』術式が篭められていた。
-- 続きを読む --
白銀の刀身に走るいくつかの溝が血をすすり上げ、切りつけられた対象が血を流し続ける仕組みになっているのである。
ナイフが啜ってくれた数多くの犠牲者の血は、今までずっとマルガレッタに与え続けてきた。
だから、今回の採血でも――マルガレッタに飲ませてある。
冒険者に勝てるかどうか、ダーフィットには甚だ自信がなかった。
何しろ、噂が本当なら、相手は竜をも倒すほどの人材なのである。
まともに戦えば――とてもじゃないが、自分が生き残れるとは思えない。
せめてこの子だけでも逃げられるようにと、ナイフからカップに注いだ赤を、しっかり飲むように姪へ言い聞かせ実行したのだ。
(冒険者――≪狼の隠れ家≫の――。)
ダーフィットは、魔術師が捕まる少し前に訪れた例の店で、自分の近くに座っていた娘の双眸を思い出した。
まだ二十歳になるやならずやといった風情の彼女の、年不相応の深沈たる青い目を。
あの娘は恐らく、自分には想像もつかない冒険の日々を過ごし、己を絶えず鍛えてきたのだろう。
まるで、聖騎士に捧げる研ぎ澄まれた長剣のように――。
(レッタは――逃げられるだろうか。ああ、俺が『死んだら』逃げろなんて残酷なこと、彼女には絶対言えない。もちろん精いっぱいの抵抗はしなければ。だけど、もし、力が及ばなかったら――。)
ダーフィットの考えは、ひたすら自己の安寧ではなく、今は墓石の後ろに隠している、ただ一人残されるかもしれない姪の安否に注がれていた。
彼のある意味で独善的な臆病さこそが、連続殺人の引き際を見失わせたともいえるのだが、そんな皮肉を感じることすら出来なくなっている。
遮蔽物の多い墓地の中を、まだ寒さを含む夜風が吹き抜ける。
それと同時に、ダーフィットの望まぬ待ち人が、足元の砂利を踏みつける音が響いた。

「……あなたが、ダーフィットね」
「いかにも、俺がダーフィットだ」
顔を合わせた2人は、「やっぱり」と心中で共に呟いていた。
頬の削げた痩躯の男と、癖のない金髪と青い瞳の娘が、以前に≪狼の隠れ家≫で覚えた互いの顔をじっと見交わしている。
「……俺を捕まえに来たなら、とんだ甘ちゃんだな。あんなにたくさん殺した後で、誰に引き渡すって言うんだ?」
ひどく陰鬱な響きを孕んだ声だった。
「俺達はこれからリューンを出る。真相を知る、お前達を殺してな」
「……それが、出来ると思うの?」
「さあ、俺を殺して見せろ!」
ダーフィットがそう吼えた時だった。
ゆらり、と勝手にシシリーのベルトポーチから抜け出ていた精霊のランプさんが、己の主の仲間やその敵とは違う気配を感じ、そちらのほうを強く照らし出したのである。
そこに現れたのは、幼いながら見事なプラチナブロンドを持つ、ひどく色白で痩せさらばえた女の子であった。
太陽とは違う眩しい光に、墓石の陰に隠れていたマルガレッタが悲鳴を上げる。
「あ……おとう、さん!」
「貴様ら――マルガレッタに手を出すなァアアアッ!!」
激昂したダーフィットが、白銀のナイフを抜いてシシリーへ襲い掛かった。
まともにナイフで切られるのはまずい――そう判断したシシリーは、半歩だけ横にずれてそれを避けようとしたが、避ける方向のダーフィットの手が、ナイフを握っているのとは別に、真っ直ぐ突き出されようとしているのに気付く。
(あれは――魔法の杭!声を封じるもの……!)
迂闊だった。
たとえ掠っただけでも、あれに傷つけられれば、シシリーが操る法力が発動せず、彼女の戦力が半減してしまう。
回避はとても間に合わないと覚悟し、せめて急所だけは外そうと無理矢理身体を傾けんとする直前、杭が何かに当たって硬く鋭い音を立てた。
青い目の視界に、見慣れたスコップが写っていた。
「……ロンド」
「そいつは……殺させない」
唸るように宣言したロンドは、≪声封じの杭≫をスコップの面で防ぐと、力を篭めて弾き上げ、がら空きになったダーフィットの胴体を薙ぐように殴りつけた。
「ぐ……はっ……」
血反吐を垂らして後退したダーフィットに目もくれず、一心不乱に防御魔法を唱えていたミカの鍵の発動体から、桜という東方で好まれている樹木の花弁が降り注ぐ。
すると、薄紅色の花びらがすうっと彼らの体に溶け込み、不可視のシールドと化して身を守る助けへ変化した――これで、生半な攻撃では傷つかない。
ダーフィットの瞳に、絶望が宿った。
ロンドの先ほどの攻撃で、身体が思うように動いてくれない。
そして魔法による防護が行なわれたのでは、手にしたナイフの『魔法で切る』優位性が消えてしまう。
追い詰められ、ギラギラとした獣のような目つきになった男へ、静かに娘は近づいた。
「……ごめんなさい、とは言わないわ。あなたが、自分たちの都合で他の人を殺したことに変わりはないのだから」
シシリーの剣の刀身に、劫火が宿る。
「さよなら――ダーフィット」
躊躇いなく、剣閃が夜闇に奔る。

「ぐっ、ふっ……」
あの詰め所で倒れていた小部隊長と寸分違わぬ位置に、高熱による焦げた十文字傷を刻まれて、ダーフィットはその場へ崩れ落ちた。
間違いなく致命傷である。
「ふ、ふふふ……そうだよなあ、こうなるに、決まってるよなあ……」
「お父さん!」
潜んでいた墓石からマルガレッタが走りより、虫の息のダーフィットに縋りつく。
シシリーも、他の仲間たちも、それを遮ることはしなかった。
「レッタ……マルガレッタ……すまないな、お前に、陽の光を……」
他人のものではない、ダーフィット自身の血に塗れた手を頭部に乗せた。
余力があれば、頭を撫でてやりたかったのかも知れない。
だがすでに目で見える範囲も狭まり、ダーフィットの目には、辛うじてマルガレッタの髪の光がぼんやりと映るだけであった。
段々と力の抜けていく口を、それでも伝えねばならぬ言葉のため、必死に動かす。
「普通の子どものように、遊ばせてやりたかった……」
「お父さん……お父さん……!」
「レッタ……愛してるよ」
「お父さん……お父さん……!」
――少女は、半吸血鬼は、涙に濡れた目をシシリーに向けた。
「何がいけないの。わたしたち、一緒に暮らしたかっただけ。ただそれだけだったのに……!」
シシリーの胸元で光る聖北の印――マルガレッタにとって、何よりも憎むべきシンボルだった。
「半吸血鬼であるあなたを見逃すことが出来るくらいなら、私は、吸血鬼になった仲間を見捨てることはしなかった」
「……」
「でも、私は――恋人が恩人を殺すことを、止めなかった。だからあなたも、ここで終わらせる」
細身の刀身が、真っ直ぐに天を指す。
そこに宿る【十字斬り】による白い輝きが、不死者たちを滅ぼす力の篭っていることを、マルガレッタは本能的に察知していた。
それが自分の首を刎ねるその瞬間まで、マルガレッタは”父”と自分に死をもたらした女の顔をずっと見続けていた。
――全てが終わった後、彫像のように立ち続ける姿に、そっとウィルバーが声をかける。
「泣いているのですか?」
「……いいえ」
剣に付着した血を振り落とし、丁寧に拭うと、シシリーは静かに歩き始めた。
ロンドとアンジェが、黙ってその後を追う。
「……ウィルバーさん。吸血鬼と化したテアさんを殺したのは……」
「ええ。テーゼンでした」
ウィルバーはミカの口篭った質問に肯定を返した。
「シシリーを含め、私たちの誰一人として、彼の行為を止められませんでした。物理的にではなく、彼がそうしなければならなかったことを知っていたからです。……そんな結末は誰も望まなかったのに」
「……もし、シシリーさんがダーフィットのようなアイテムを持っていたら、もし、何かがひとつ違っていれば。あの人はテアさんを生かし続けたでしょうか?」
「その仮定は無意味でしょう。テアさん自身に、そんなつもりはなかったのですから」
ただ、とウィルバーは続けた。
「ダーフィットとあの子どもを逃がすことは、我々の選択肢にはなかった。殺人を繰り返す犯人をここで始末しなければ、見知らぬ誰かをまた殺して、2人は生き続けることを選んだでしょう。それを防ぐには、どうあってもここで始末する他ありません。その決断と覚悟を背負ったからこそ」
彼女は刃を振るったのだと、言葉を結んだ。
※収入:報酬10000sp、≪赤い実≫≪紫の実≫≪金の輪≫≪古木の杖≫
※支出:
※その他:
※春秋村道の駅様作、ダーフィットの日記&kori様作、手袋の話&YUNI様作、年末の冒険者達クリア!
--------------------------------------------------------
61回目のお仕事は、春秋村道様のダーフィットの日記の中に、kori様の手袋の話とYUNI様の年末の冒険者達を混ぜました。
メインはダーフィットの日記でしたが、このシナリオが年末から3月初旬くらいまでの出来事ということで、冬場の短いエピソードを挟める事に気付き、急遽、後者二つのシナリオを前もってプレイして、メインにかかりました。


どっちのシナリオも、冒険者の”日常”を気軽に垣間見れる素敵なお話です。
資金に余裕があれば、年末の冒険者達など親父さんからお酒を購入することもできます。
中には肉体がないというPCでも使用可能なアイテムがありますので、興味のある方はぜひご検討ください。
なお、エンディング途中で宿の仲間を眠らせる歌を水の都アクエリア(SARUO様作)のものにしたのは、あれだと成功率修正が【眠りの雲】よりも高いからです。イラスト、結構寝てる人多かったので(笑)。
ダーフィットの日記自体は、5つのエンディングがあるシナリオであり、中にはマルガレッタとダーフィットを宿に誘ったり、あるいはダーフィットは殺してマルガレッタだけ加入させる(仇として狙われ続けることになりますが)というエンドも可能です。
ただ、これを単独で遊んでいる時はそこまで深く考えなかったのですが、旗を掲げる爪の場合を考えると……吸血鬼になったことで、テアを死なせてテーゼンと袂を分かったのに、それでマルガレッタを救うということはあり得ないな、という結論に達しました。
そのため、このパーティ、ずばずばNPCを殺しすぎじゃないか?とも思えたのですが、あえてこちらのエンドを選択しております。
違う宿では、加入したダーフィットさんで、悪役シナリオを遊んだりしてます。すごく楽しい。
シナリオ本筋から、変更した点がまた多々あります。
まず、自警団を治安隊に変えたこと。事件担当者がパーティの知人になったこと。マルガレッタ側の述懐があることなどです。
別組織名だったのを治安隊としたのは、やはり冒険者が死体を見つけた場合、知己のいる治安隊に通報しようとするだろうと考えてのことです。
治安隊なら、管轄じゃないということもなさそうですし……ただ、その分、右クリックで『やる気がなくて冒険者を甘く見ている』とされる事件担当者が、PCたちの知り合いになってしまった挙句、ダーフィットによって死亡したのですが。組織全滅というのはまずそうなので、何人か生き残った記述も勝手に作っております。
また、マルガレッタ側の視点でちょこちょこ文章を作ったのは、このシナリオを何度かプレイしていて、彼女側の言い分をちょっとやってみたくなったからです。
春秋村道の駅様たちにとってご不快でしたら、真に申し訳ございません。
それ以外にも、ちょこちょことシナリオ内に入っていないクロスオーバーがあります。
シスター・ナリス、治安隊小部隊長=ライム様作の安らかに眠れ ※本当は名前なしのNPCです。
スカルラッティ女史=小柴様作の木の葉通りの醜聞
≪赤い一夜≫を名乗る賊の討伐=flying_corpse様作の赤い一夜
ヴァイキングの事件=あめじすと様作のヴァイキング急襲!!
銀色じゅわじゅわスライム=つちくれ様作のThrough the hole
スカルラッティ女史の事件については、前パーティである金狼の牙によるものなのですが、木の葉通りの名前が出た時に、≪狼の隠れ家≫が仕事を受けるといったらあの人の関連かな……と想像力が働いて、こんなことになっていました。
作者の小柴様、勝手にその後の話を妄想爆発させて大変申し訳ございません。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
ナイフが啜ってくれた数多くの犠牲者の血は、今までずっとマルガレッタに与え続けてきた。
だから、今回の採血でも――マルガレッタに飲ませてある。
冒険者に勝てるかどうか、ダーフィットには甚だ自信がなかった。
何しろ、噂が本当なら、相手は竜をも倒すほどの人材なのである。
まともに戦えば――とてもじゃないが、自分が生き残れるとは思えない。
せめてこの子だけでも逃げられるようにと、ナイフからカップに注いだ赤を、しっかり飲むように姪へ言い聞かせ実行したのだ。
(冒険者――≪狼の隠れ家≫の――。)
ダーフィットは、魔術師が捕まる少し前に訪れた例の店で、自分の近くに座っていた娘の双眸を思い出した。
まだ二十歳になるやならずやといった風情の彼女の、年不相応の深沈たる青い目を。
あの娘は恐らく、自分には想像もつかない冒険の日々を過ごし、己を絶えず鍛えてきたのだろう。
まるで、聖騎士に捧げる研ぎ澄まれた長剣のように――。
(レッタは――逃げられるだろうか。ああ、俺が『死んだら』逃げろなんて残酷なこと、彼女には絶対言えない。もちろん精いっぱいの抵抗はしなければ。だけど、もし、力が及ばなかったら――。)
ダーフィットの考えは、ひたすら自己の安寧ではなく、今は墓石の後ろに隠している、ただ一人残されるかもしれない姪の安否に注がれていた。
彼のある意味で独善的な臆病さこそが、連続殺人の引き際を見失わせたともいえるのだが、そんな皮肉を感じることすら出来なくなっている。
遮蔽物の多い墓地の中を、まだ寒さを含む夜風が吹き抜ける。
それと同時に、ダーフィットの望まぬ待ち人が、足元の砂利を踏みつける音が響いた。

「……あなたが、ダーフィットね」
「いかにも、俺がダーフィットだ」
顔を合わせた2人は、「やっぱり」と心中で共に呟いていた。
頬の削げた痩躯の男と、癖のない金髪と青い瞳の娘が、以前に≪狼の隠れ家≫で覚えた互いの顔をじっと見交わしている。
「……俺を捕まえに来たなら、とんだ甘ちゃんだな。あんなにたくさん殺した後で、誰に引き渡すって言うんだ?」
ひどく陰鬱な響きを孕んだ声だった。
「俺達はこれからリューンを出る。真相を知る、お前達を殺してな」
「……それが、出来ると思うの?」
「さあ、俺を殺して見せろ!」
ダーフィットがそう吼えた時だった。
ゆらり、と勝手にシシリーのベルトポーチから抜け出ていた精霊のランプさんが、己の主の仲間やその敵とは違う気配を感じ、そちらのほうを強く照らし出したのである。
そこに現れたのは、幼いながら見事なプラチナブロンドを持つ、ひどく色白で痩せさらばえた女の子であった。
太陽とは違う眩しい光に、墓石の陰に隠れていたマルガレッタが悲鳴を上げる。
「あ……おとう、さん!」
「貴様ら――マルガレッタに手を出すなァアアアッ!!」
激昂したダーフィットが、白銀のナイフを抜いてシシリーへ襲い掛かった。
まともにナイフで切られるのはまずい――そう判断したシシリーは、半歩だけ横にずれてそれを避けようとしたが、避ける方向のダーフィットの手が、ナイフを握っているのとは別に、真っ直ぐ突き出されようとしているのに気付く。
(あれは――魔法の杭!声を封じるもの……!)
迂闊だった。
たとえ掠っただけでも、あれに傷つけられれば、シシリーが操る法力が発動せず、彼女の戦力が半減してしまう。
回避はとても間に合わないと覚悟し、せめて急所だけは外そうと無理矢理身体を傾けんとする直前、杭が何かに当たって硬く鋭い音を立てた。
青い目の視界に、見慣れたスコップが写っていた。
「……ロンド」
「そいつは……殺させない」
唸るように宣言したロンドは、≪声封じの杭≫をスコップの面で防ぐと、力を篭めて弾き上げ、がら空きになったダーフィットの胴体を薙ぐように殴りつけた。
「ぐ……はっ……」
血反吐を垂らして後退したダーフィットに目もくれず、一心不乱に防御魔法を唱えていたミカの鍵の発動体から、桜という東方で好まれている樹木の花弁が降り注ぐ。
すると、薄紅色の花びらがすうっと彼らの体に溶け込み、不可視のシールドと化して身を守る助けへ変化した――これで、生半な攻撃では傷つかない。
ダーフィットの瞳に、絶望が宿った。
ロンドの先ほどの攻撃で、身体が思うように動いてくれない。
そして魔法による防護が行なわれたのでは、手にしたナイフの『魔法で切る』優位性が消えてしまう。
追い詰められ、ギラギラとした獣のような目つきになった男へ、静かに娘は近づいた。
「……ごめんなさい、とは言わないわ。あなたが、自分たちの都合で他の人を殺したことに変わりはないのだから」
シシリーの剣の刀身に、劫火が宿る。
「さよなら――ダーフィット」
躊躇いなく、剣閃が夜闇に奔る。

「ぐっ、ふっ……」
あの詰め所で倒れていた小部隊長と寸分違わぬ位置に、高熱による焦げた十文字傷を刻まれて、ダーフィットはその場へ崩れ落ちた。
間違いなく致命傷である。
「ふ、ふふふ……そうだよなあ、こうなるに、決まってるよなあ……」
「お父さん!」
潜んでいた墓石からマルガレッタが走りより、虫の息のダーフィットに縋りつく。
シシリーも、他の仲間たちも、それを遮ることはしなかった。
「レッタ……マルガレッタ……すまないな、お前に、陽の光を……」
他人のものではない、ダーフィット自身の血に塗れた手を頭部に乗せた。
余力があれば、頭を撫でてやりたかったのかも知れない。
だがすでに目で見える範囲も狭まり、ダーフィットの目には、辛うじてマルガレッタの髪の光がぼんやりと映るだけであった。
段々と力の抜けていく口を、それでも伝えねばならぬ言葉のため、必死に動かす。
「普通の子どものように、遊ばせてやりたかった……」
「お父さん……お父さん……!」
「レッタ……愛してるよ」
「お父さん……お父さん……!」
――少女は、半吸血鬼は、涙に濡れた目をシシリーに向けた。
「何がいけないの。わたしたち、一緒に暮らしたかっただけ。ただそれだけだったのに……!」
シシリーの胸元で光る聖北の印――マルガレッタにとって、何よりも憎むべきシンボルだった。
「半吸血鬼であるあなたを見逃すことが出来るくらいなら、私は、吸血鬼になった仲間を見捨てることはしなかった」
「……」
「でも、私は――恋人が恩人を殺すことを、止めなかった。だからあなたも、ここで終わらせる」
細身の刀身が、真っ直ぐに天を指す。
そこに宿る【十字斬り】による白い輝きが、不死者たちを滅ぼす力の篭っていることを、マルガレッタは本能的に察知していた。
それが自分の首を刎ねるその瞬間まで、マルガレッタは”父”と自分に死をもたらした女の顔をずっと見続けていた。
――全てが終わった後、彫像のように立ち続ける姿に、そっとウィルバーが声をかける。
「泣いているのですか?」
「……いいえ」
剣に付着した血を振り落とし、丁寧に拭うと、シシリーは静かに歩き始めた。
ロンドとアンジェが、黙ってその後を追う。
「……ウィルバーさん。吸血鬼と化したテアさんを殺したのは……」
「ええ。テーゼンでした」
ウィルバーはミカの口篭った質問に肯定を返した。
「シシリーを含め、私たちの誰一人として、彼の行為を止められませんでした。物理的にではなく、彼がそうしなければならなかったことを知っていたからです。……そんな結末は誰も望まなかったのに」
「……もし、シシリーさんがダーフィットのようなアイテムを持っていたら、もし、何かがひとつ違っていれば。あの人はテアさんを生かし続けたでしょうか?」
「その仮定は無意味でしょう。テアさん自身に、そんなつもりはなかったのですから」
ただ、とウィルバーは続けた。
「ダーフィットとあの子どもを逃がすことは、我々の選択肢にはなかった。殺人を繰り返す犯人をここで始末しなければ、見知らぬ誰かをまた殺して、2人は生き続けることを選んだでしょう。それを防ぐには、どうあってもここで始末する他ありません。その決断と覚悟を背負ったからこそ」
彼女は刃を振るったのだと、言葉を結んだ。
※収入:報酬10000sp、≪赤い実≫≪紫の実≫≪金の輪≫≪古木の杖≫
※支出:
※その他:
※春秋村道の駅様作、ダーフィットの日記&kori様作、手袋の話&YUNI様作、年末の冒険者達クリア!
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61回目のお仕事は、春秋村道様のダーフィットの日記の中に、kori様の手袋の話とYUNI様の年末の冒険者達を混ぜました。
メインはダーフィットの日記でしたが、このシナリオが年末から3月初旬くらいまでの出来事ということで、冬場の短いエピソードを挟める事に気付き、急遽、後者二つのシナリオを前もってプレイして、メインにかかりました。


どっちのシナリオも、冒険者の”日常”を気軽に垣間見れる素敵なお話です。
資金に余裕があれば、年末の冒険者達など親父さんからお酒を購入することもできます。
中には肉体がないというPCでも使用可能なアイテムがありますので、興味のある方はぜひご検討ください。
なお、エンディング途中で宿の仲間を眠らせる歌を水の都アクエリア(SARUO様作)のものにしたのは、あれだと成功率修正が【眠りの雲】よりも高いからです。イラスト、結構寝てる人多かったので(笑)。
ダーフィットの日記自体は、5つのエンディングがあるシナリオであり、中にはマルガレッタとダーフィットを宿に誘ったり、あるいはダーフィットは殺してマルガレッタだけ加入させる(仇として狙われ続けることになりますが)というエンドも可能です。
ただ、これを単独で遊んでいる時はそこまで深く考えなかったのですが、旗を掲げる爪の場合を考えると……吸血鬼になったことで、テアを死なせてテーゼンと袂を分かったのに、それでマルガレッタを救うということはあり得ないな、という結論に達しました。
そのため、このパーティ、ずばずばNPCを殺しすぎじゃないか?とも思えたのですが、あえてこちらのエンドを選択しております。
違う宿では、加入したダーフィットさんで、悪役シナリオを遊んだりしてます。すごく楽しい。
シナリオ本筋から、変更した点がまた多々あります。
まず、自警団を治安隊に変えたこと。事件担当者がパーティの知人になったこと。マルガレッタ側の述懐があることなどです。
別組織名だったのを治安隊としたのは、やはり冒険者が死体を見つけた場合、知己のいる治安隊に通報しようとするだろうと考えてのことです。
治安隊なら、管轄じゃないということもなさそうですし……ただ、その分、右クリックで『やる気がなくて冒険者を甘く見ている』とされる事件担当者が、PCたちの知り合いになってしまった挙句、ダーフィットによって死亡したのですが。組織全滅というのはまずそうなので、何人か生き残った記述も勝手に作っております。
また、マルガレッタ側の視点でちょこちょこ文章を作ったのは、このシナリオを何度かプレイしていて、彼女側の言い分をちょっとやってみたくなったからです。
春秋村道の駅様たちにとってご不快でしたら、真に申し訳ございません。
それ以外にも、ちょこちょことシナリオ内に入っていないクロスオーバーがあります。
シスター・ナリス、治安隊小部隊長=ライム様作の安らかに眠れ ※本当は名前なしのNPCです。
スカルラッティ女史=小柴様作の木の葉通りの醜聞
≪赤い一夜≫を名乗る賊の討伐=flying_corpse様作の赤い一夜
ヴァイキングの事件=あめじすと様作のヴァイキング急襲!!
銀色じゅわじゅわスライム=つちくれ様作のThrough the hole
スカルラッティ女史の事件については、前パーティである金狼の牙によるものなのですが、木の葉通りの名前が出た時に、≪狼の隠れ家≫が仕事を受けるといったらあの人の関連かな……と想像力が働いて、こんなことになっていました。
作者の小柴様、勝手にその後の話を妄想爆発させて大変申し訳ございません。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2017/01/12 12:43 [edit]
category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)
tb: -- cm: 0
Thu.
ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)その7 
旗を掲げる爪は、モルナロヴァの召喚した骨喰らいの悪魔を退治し、魔術師のアジトを探索していくつかの証拠物件を挙げた後に、何名かの傷を完治させるため、常宿で休養を取っていた。
治安隊が魔術師から自白の情報を得るのを待つくらいしか、やることはない。
それまで得た情報を宿の亭主に退屈しのぎに話すと、彼は重いため息を吐いてから言った。
「それは……大変だったな。まあ、怪我はしても飯を食う体力が残っていて良かった。さすがこの宿の冒険者だ」
それにしても、と亭主はずっと俯いたままのシシリーに目をやった。
治安隊が魔術師から自白の情報を得るのを待つくらいしか、やることはない。
それまで得た情報を宿の亭主に退屈しのぎに話すと、彼は重いため息を吐いてから言った。
「それは……大変だったな。まあ、怪我はしても飯を食う体力が残っていて良かった。さすがこの宿の冒険者だ」
それにしても、と亭主はずっと俯いたままのシシリーに目をやった。
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パーティの若きリーダーは重傷ではなかったものの、どこか思いつめたような眼差しで、亭主が毎日磨いているカウンターを睨みつけている。
ようやっと傷が塞がってきたミカが、借り物の白いショールを羽織りなおしながら口を挟んだ。

「ずっとこうです。言うか、言わないか、悩んでいるみたいで」
「ふむ……」
「……笑いませんから、言ってください。シシリー」
ウィルバーはそういうと、彼女を安堵させるように背中を軽く叩いた。
碧眼が少し丸くなってから、ひとつ瞬く。
そして……彼女は、のろのろと口を開いた。
「……吸血鬼」
「シリー?」
「犯人は、吸血鬼、だと、思うの。血が、必要なのよ。生きる、為に」
「吸血鬼……?」
ロンドは厳つい顔に凍りついたような表情を浮かべた。
吸血鬼。ヴァンパイヤ。
かつて、自分たちなら退治できるだろうと安易に挑んだ結果、かけがえのない仲間を2人も失う原因となった不死の一族。
頭を使うことを苦手にしているロンドにしても、とても忘れられるものではなかった。
途端に早く打ち始めた鼓動を、ウィルバーは他の仲間に気づかれないよう表面は平静を装いつつ、ゆっくりと尋ねる。
「どうして、そう思うのですか」
「血の眷属の仔――あの魔術師は、そう言っていたわ」
いつしか、シシリーの両手は節が白くなるほどきつく握り締められている。
「それが――この事件の『動機』だとするなら、あの殺人は――」
続けてシシリーが何を発言しようとしたにしろ、その言葉は、唐突に区切られてしまうこととなる。
勢いよく≪狼の隠れ家≫のドアを開けて入ってきたのは、シシリーが自分の考えを打ち明ける前まで、パーティが何よりも待ち望んでいたはずの治安隊の知らせだった。
「聞いてくれ、冒険者!」
聴取した結果を記した手帳を片手に、彼は滔々と判明した事実を述べた。
魔術師の協力者はダーフィットといい、最初の事件の被害者と同じクロジーアから来た男であること。
彼が、どうしても他人の血が必要だと言ったため、モルナロヴァの目的のもの――つまりは人体のパーツ――を集めるよう依頼して使っていたこと。
殺人の実行犯は、彼一人であること。
さっそく、治安隊はチームを組んで彼のアジト――目下の自宅としていた場所になだれ込んだが、すでにそこはもぬけの殻となっていた。
唯一つ残されていた、ダーフィットが書いたらしい日々を綴った手帳を、小部隊長は携えていた。
「最後の証拠だ。君達には是非、見てもらいたくてね」
シシリーへ、ダーフィットの日記が手渡される。
仲間たちが興味津々となって見守る中。シシリーはそれが鉄で出来た表紙ででもあるかのように、手に力を篭めて開いた。
そこには――ダーフィットというただの野鍛冶だった男が、吸血鬼となって死んだ姉から託された半吸血鬼(ダンピール)の幼子と、どう過ごしてきたかが赤裸々に記されていた。
ずっと血を吸わない彼女を案じ、町の医者に見せてしまったことで出奔した日。
同じ町からリューンへと向かった知人が、聖北教会に姪のことを密告しようとしたのを、自らが鍛えた短刀で殺して阻み、その血を姪に与えた日。
そして――新年を越して、商家の荷運びという仕事を見つけ、徐々に姪との生活に馴染んでいく日々。
その中で合間に綴られる殺人と、血や臓物を使うという魔術師の噂、彼との邂逅。
ページを捲るごとに、勤勉な田舎出身の献身的な男が、たった一人のマルガレッタという姪のために、加速度的に手を血に染めていく様が濃くなっていく。
(もしかして――ここに記されている男は、あの日、≪狼の隠れ家≫に入ってきたあの男なのではないかしら。)
シシリーの脳裏に、ふと頬の削げた男の顔が浮かんだ。
目を合わせたあの一瞬。
彼の目には――何が映っていただろう?
畏怖と、驚愕と、怒りと、諦めと、絶望と、恐怖を乗せた、様々な感情が交じり合いすぎて漆黒となった、哀しい色が見えていなかっただろうか?
彼女の背筋に、つうと冷たい汗が伝った。
「動機は、十分すぎるほど分かっただろう」
「ええ」
小部隊長の声によって現実に引き戻されたシシリーは、慌てて彼に首肯した。
「奴らは姿を消していたが、包囲網は完成している。後は捕まえるだけだ」
「牢の方は――」
口を開いたのは、昔、治安隊の牢屋で女司祭に化けていた魔神と対峙し、真の名を引き出そうとしていたウィルバーであった。
モルナロヴァの入れられている場所は知らないが、あれと差異は大きくないだろう。
もし、牢番がまた魔法によって誑かされることがあれば――と危惧しての懸念だったのだが、小部隊長は安心しろというように手を振った。
「モルナロヴァの身柄もしっかりと守る。複数で交代に行なっているから、滅多なことはない」
「そう……ですか。ならばいいのですが……」
「君達には本当に感謝している……」
「まだ、犯人は捕まっていません。終わってもいないのに、そんな事を言われても困ります」
「そう、そうか……すまない、浮き足立ってしまった」
小部隊長はやや鼻白んだ様子だったが、程なく気を取り直すと、肩から提げていた鞄から大きな皮袋をひとつ取り出して、近くのテーブルに慎重に乗せた。
じゃらり、という音から判断しても、相当多くの硬貨が詰まっていることが分かる。
眉根を寄せてシシリーが質問した。
「こ、これは?」
「賢者の塔からの謝礼金だ。あの魔術師を捕まえた報酬だ」
銀貨三千枚が入っている、という言葉に、思わずアンジェが口笛を鳴らす。
「豪気だね」
「君達の取り分だ。遠慮しないでくれ」
「受け取るのが礼儀だろう、シシリー。モルナロヴァがあのコランダムのような男だったとすれば、搭としても、ただ働きというわけにはいかないのだろう」
生真面目なリビングメイルの言葉に、受け取ることを拒むように口を引き結んでいたシシリーがふうと息をつき、小部隊長へ手帳を返してから言った。
「……そうね。そういうことなら」
ダーフィットを捕まえた後に、指名手配犯の賞金も君たちに渡そう――そう約束してくれた冒険者たちの知り合いが、彼らと再び顔をあわせたのは、これからたった十数時間後のことである。
それも、ひどく凄惨な形でだった。
「あんたから残りの金を受け取るつもりだったのに。死体になったら無理じゃないか」
まだ節々が痛む大柄な身体へ緑色の特殊な甲冑を着込んだロンドが、冷たく湿った牢屋の床に横たわっている小部隊長にしゃがんで話しかけた。
当然だが、彼からの応えはない。
かつて彼らと共に討伐隊に参加し、ヴァイキングの急襲に頑張って対応していた男の身体は、胸が爆ぜるようにして十文字に切り裂かれていた。
最期まで抵抗していたのだろう、剣を握っていた腕は千切れかかり、喉まで裂かれているものの、目は犯人を睨み据えるかのごとく見開かれている。
ロンドは太い腕を伸ばし、その目を閉じさせてやった。
彼の傍には多くの隊員と、魔術師の死体が無残に転がっている。
部屋が真っ赤に染まるほど、その殺し方は酸鼻極まるものであった。

パトロールなどで詰め所内にいなかった隊員や、交代制であるためにまだ出勤していなかった隊員の何名かが生き残っただけで、あとの者は皆、死体と化している。
「シシリーさん、これ……!」
床に広がる血から逃れるように隅にいたミカが、傍らの小机に置かれている手帳に気付いた。
見覚えのある、ダーフィットの日記である。
半ば千切れるようにして広がったページは、一番最後のものだった。
死体から流れた血に指を浸して書いたに違いない生臭い字は、
『見ているんだろう。西墓地で待っている。』
と、それまで日記に書かれていたよりも、ひどく乱雑な文字で綴られていた。
アンジェが舌打ちする。
「……実力を見誤ったね。ダーフィットは、もう手がつけられないほど強くなってるよ」
「暗殺だけではありません。一度に大勢を相手に出来るまでになっていたんですね……」
仲間たちの声を聞きながらしばし俯いていたシシリーが、真っ直ぐ顔を上げ、決意の色を乗せて全員へ言った。
「……行きましょう、西墓地へ。ダーフィットを必ず止めるわ」
旗を掲げる爪は、リューンの西墓地へと向かった。
ようやっと傷が塞がってきたミカが、借り物の白いショールを羽織りなおしながら口を挟んだ。

「ずっとこうです。言うか、言わないか、悩んでいるみたいで」
「ふむ……」
「……笑いませんから、言ってください。シシリー」
ウィルバーはそういうと、彼女を安堵させるように背中を軽く叩いた。
碧眼が少し丸くなってから、ひとつ瞬く。
そして……彼女は、のろのろと口を開いた。
「……吸血鬼」
「シリー?」
「犯人は、吸血鬼、だと、思うの。血が、必要なのよ。生きる、為に」
「吸血鬼……?」
ロンドは厳つい顔に凍りついたような表情を浮かべた。
吸血鬼。ヴァンパイヤ。
かつて、自分たちなら退治できるだろうと安易に挑んだ結果、かけがえのない仲間を2人も失う原因となった不死の一族。
頭を使うことを苦手にしているロンドにしても、とても忘れられるものではなかった。
途端に早く打ち始めた鼓動を、ウィルバーは他の仲間に気づかれないよう表面は平静を装いつつ、ゆっくりと尋ねる。
「どうして、そう思うのですか」
「血の眷属の仔――あの魔術師は、そう言っていたわ」
いつしか、シシリーの両手は節が白くなるほどきつく握り締められている。
「それが――この事件の『動機』だとするなら、あの殺人は――」
続けてシシリーが何を発言しようとしたにしろ、その言葉は、唐突に区切られてしまうこととなる。
勢いよく≪狼の隠れ家≫のドアを開けて入ってきたのは、シシリーが自分の考えを打ち明ける前まで、パーティが何よりも待ち望んでいたはずの治安隊の知らせだった。
「聞いてくれ、冒険者!」
聴取した結果を記した手帳を片手に、彼は滔々と判明した事実を述べた。
魔術師の協力者はダーフィットといい、最初の事件の被害者と同じクロジーアから来た男であること。
彼が、どうしても他人の血が必要だと言ったため、モルナロヴァの目的のもの――つまりは人体のパーツ――を集めるよう依頼して使っていたこと。
殺人の実行犯は、彼一人であること。
さっそく、治安隊はチームを組んで彼のアジト――目下の自宅としていた場所になだれ込んだが、すでにそこはもぬけの殻となっていた。
唯一つ残されていた、ダーフィットが書いたらしい日々を綴った手帳を、小部隊長は携えていた。
「最後の証拠だ。君達には是非、見てもらいたくてね」
シシリーへ、ダーフィットの日記が手渡される。
仲間たちが興味津々となって見守る中。シシリーはそれが鉄で出来た表紙ででもあるかのように、手に力を篭めて開いた。
そこには――ダーフィットというただの野鍛冶だった男が、吸血鬼となって死んだ姉から託された半吸血鬼(ダンピール)の幼子と、どう過ごしてきたかが赤裸々に記されていた。
ずっと血を吸わない彼女を案じ、町の医者に見せてしまったことで出奔した日。
同じ町からリューンへと向かった知人が、聖北教会に姪のことを密告しようとしたのを、自らが鍛えた短刀で殺して阻み、その血を姪に与えた日。
そして――新年を越して、商家の荷運びという仕事を見つけ、徐々に姪との生活に馴染んでいく日々。
その中で合間に綴られる殺人と、血や臓物を使うという魔術師の噂、彼との邂逅。
ページを捲るごとに、勤勉な田舎出身の献身的な男が、たった一人のマルガレッタという姪のために、加速度的に手を血に染めていく様が濃くなっていく。
(もしかして――ここに記されている男は、あの日、≪狼の隠れ家≫に入ってきたあの男なのではないかしら。)
シシリーの脳裏に、ふと頬の削げた男の顔が浮かんだ。
目を合わせたあの一瞬。
彼の目には――何が映っていただろう?
畏怖と、驚愕と、怒りと、諦めと、絶望と、恐怖を乗せた、様々な感情が交じり合いすぎて漆黒となった、哀しい色が見えていなかっただろうか?
彼女の背筋に、つうと冷たい汗が伝った。
「動機は、十分すぎるほど分かっただろう」
「ええ」
小部隊長の声によって現実に引き戻されたシシリーは、慌てて彼に首肯した。
「奴らは姿を消していたが、包囲網は完成している。後は捕まえるだけだ」
「牢の方は――」
口を開いたのは、昔、治安隊の牢屋で女司祭に化けていた魔神と対峙し、真の名を引き出そうとしていたウィルバーであった。
モルナロヴァの入れられている場所は知らないが、あれと差異は大きくないだろう。
もし、牢番がまた魔法によって誑かされることがあれば――と危惧しての懸念だったのだが、小部隊長は安心しろというように手を振った。
「モルナロヴァの身柄もしっかりと守る。複数で交代に行なっているから、滅多なことはない」
「そう……ですか。ならばいいのですが……」
「君達には本当に感謝している……」
「まだ、犯人は捕まっていません。終わってもいないのに、そんな事を言われても困ります」
「そう、そうか……すまない、浮き足立ってしまった」
小部隊長はやや鼻白んだ様子だったが、程なく気を取り直すと、肩から提げていた鞄から大きな皮袋をひとつ取り出して、近くのテーブルに慎重に乗せた。
じゃらり、という音から判断しても、相当多くの硬貨が詰まっていることが分かる。
眉根を寄せてシシリーが質問した。
「こ、これは?」
「賢者の塔からの謝礼金だ。あの魔術師を捕まえた報酬だ」
銀貨三千枚が入っている、という言葉に、思わずアンジェが口笛を鳴らす。
「豪気だね」
「君達の取り分だ。遠慮しないでくれ」
「受け取るのが礼儀だろう、シシリー。モルナロヴァがあのコランダムのような男だったとすれば、搭としても、ただ働きというわけにはいかないのだろう」
生真面目なリビングメイルの言葉に、受け取ることを拒むように口を引き結んでいたシシリーがふうと息をつき、小部隊長へ手帳を返してから言った。
「……そうね。そういうことなら」
ダーフィットを捕まえた後に、指名手配犯の賞金も君たちに渡そう――そう約束してくれた冒険者たちの知り合いが、彼らと再び顔をあわせたのは、これからたった十数時間後のことである。
それも、ひどく凄惨な形でだった。
「あんたから残りの金を受け取るつもりだったのに。死体になったら無理じゃないか」
まだ節々が痛む大柄な身体へ緑色の特殊な甲冑を着込んだロンドが、冷たく湿った牢屋の床に横たわっている小部隊長にしゃがんで話しかけた。
当然だが、彼からの応えはない。
かつて彼らと共に討伐隊に参加し、ヴァイキングの急襲に頑張って対応していた男の身体は、胸が爆ぜるようにして十文字に切り裂かれていた。
最期まで抵抗していたのだろう、剣を握っていた腕は千切れかかり、喉まで裂かれているものの、目は犯人を睨み据えるかのごとく見開かれている。
ロンドは太い腕を伸ばし、その目を閉じさせてやった。
彼の傍には多くの隊員と、魔術師の死体が無残に転がっている。
部屋が真っ赤に染まるほど、その殺し方は酸鼻極まるものであった。

パトロールなどで詰め所内にいなかった隊員や、交代制であるためにまだ出勤していなかった隊員の何名かが生き残っただけで、あとの者は皆、死体と化している。
「シシリーさん、これ……!」
床に広がる血から逃れるように隅にいたミカが、傍らの小机に置かれている手帳に気付いた。
見覚えのある、ダーフィットの日記である。
半ば千切れるようにして広がったページは、一番最後のものだった。
死体から流れた血に指を浸して書いたに違いない生臭い字は、
『見ているんだろう。西墓地で待っている。』
と、それまで日記に書かれていたよりも、ひどく乱雑な文字で綴られていた。
アンジェが舌打ちする。
「……実力を見誤ったね。ダーフィットは、もう手がつけられないほど強くなってるよ」
「暗殺だけではありません。一度に大勢を相手に出来るまでになっていたんですね……」
仲間たちの声を聞きながらしばし俯いていたシシリーが、真っ直ぐ顔を上げ、決意の色を乗せて全員へ言った。
「……行きましょう、西墓地へ。ダーフィットを必ず止めるわ」
旗を掲げる爪は、リューンの西墓地へと向かった。
2017/01/12 12:39 [edit]
category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)
tb: -- cm: 0
Thu.
ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)その6 
春の海と同じ青に、頬の削げた男の顔が映っている。
ずっと見つめていると、自分がゆらゆらと透き通った水の底で、静かに佇んでいるようだった。
光を通さぬ深海ではない。
確かな温みを分けてくれる、慈愛に満ちた陽光の差す海の中である。
澄んだ水に、他でもない血を求めて人を殺す自分――赤黒い色がもくもくと湧き立ち、綺麗な青が染まってしまう。
それに気づいた時、男の肩から上の毛穴が一斉にぶわっと開いたような気がした。
ガタッと音を立てて立ち上がる。
「あ、の……?」
青が、ゆっくりと瞬く――聖北教会の聖印を首から提げた、癖のない金髪の娘は、男がギルドから聞いていた情報で想像していたよりも遥かに若く、恐ろしい怪物や凶悪なクドラ教徒などの退治で名を上げたという割に、雰囲気に血腥さがなかった。
ずっと見つめていると、自分がゆらゆらと透き通った水の底で、静かに佇んでいるようだった。
光を通さぬ深海ではない。
確かな温みを分けてくれる、慈愛に満ちた陽光の差す海の中である。
澄んだ水に、他でもない血を求めて人を殺す自分――赤黒い色がもくもくと湧き立ち、綺麗な青が染まってしまう。
それに気づいた時、男の肩から上の毛穴が一斉にぶわっと開いたような気がした。
ガタッと音を立てて立ち上がる。
「あ、の……?」
青が、ゆっくりと瞬く――聖北教会の聖印を首から提げた、癖のない金髪の娘は、男がギルドから聞いていた情報で想像していたよりも遥かに若く、恐ろしい怪物や凶悪なクドラ教徒などの退治で名を上げたという割に、雰囲気に血腥さがなかった。
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≪狼の隠れ家≫に所属している旗を掲げる爪。
若い面子ながら、竜すら退治したことがあるという冒険者たちが、リューンの連続殺人犯である男を探していると聞いて、
(冒険者とはそんな仕事もするのか。)
と不思議に思ったのは、つい先日の話である。
場所を聞くともなしに覚え、ふらりと近寄り――自分でも何でそんな衝動に駆られたのか理解できないまま、老舗らしい佇まいの≪狼の隠れ家≫へ入った。
軋みのない飴色に光る床は、長年モップ掛けを欠かさない几帳面さによって磨かれたものだ。
贅沢品であるはずの硝子の嵌まった窓がいくつもあり、そこから午後の光が差し込んでいる。
6人から8人ほどが席につける丸テーブルが5つ、その他に小さな2人掛けのテーブルが2つ。
だが、それらのテーブルのいずれもが空席であり、酒場の奥にある樫の木のカウンターに、女性が一人座っているだけだ。
カウンターの向こう側にいた亭主が、
「いらっしゃい。冒険者――じゃないな」
などと声を掛けてくるに至って、ようやく男の脳が、「酒場なのだから、何か注文しなければ妙に思われる」と気付く。

「ああ……駄目、だったかな……」
「いいや、食事だけでも歓迎さ。さあ、座って」
女の座っている椅子の近くを示され、否応なく彼はカウンターに近づいた。
「エールかい?うちはワインもあるが」
エールなら、マルガレッタを引き取ってからしばらく飲んでいない。
ここで飲んでいくのもいいだろうと、一杯頼んでみた。
亭主が快く頷き、厨房に引っ込む――その時に、横の女が彼の方を向いたのである。
「あ、の……?」
柳の木のようなしなやかな印象の娘が、男にとって何よりも近づいてはならない者だと察知し、心臓を捕まれるような怖ろしさに背中を押され、駆け出した。
「おいおい、どうしたんだ?」
厨房から木製のジョッキにエールを注いで戻ってきた亭主が、呆れたような声を出す。
「さあ……?」
冒険者の宿の亭主が、気付いていないはずはない――男に染み付いていた血の臭いを。
だが、2人ともそのことを言及することはなかった。
シシリーは覚えただけだ――あの、痩躯の男の背中を。
静かな眼差しを男が乱暴に開けていった扉に注いでいると、今度はそこから知人であるあの治安隊の小部隊長が入ってきた。
「やあ、あんたがいてくれて良かった。賢者の塔から結果が来たぞ」
「相手が分かったのね?」
「ああ。魔術師モルナロヴァを指名手配する!」
彼のその宣言は、旗を掲げる爪が魔術師を捕らえるということでもあった。
連続殺人犯の手がかりを求めて、リューンの各所に散っていた仲間たちが宿に戻り、モルナロヴァのアジトが書かれた捕縛指令書を持った小部隊長が、冒険者たちを先導する。
道すがら、ウィルバーが捕まえる相手について尋ねた。
「私の知らない魔術師のようですが、どんな人物なんですか?」
「モルナロヴァは、すでに賢者の搭から追放された男でな」
「……というと、禁術にでも手を染めていたのでしょうか?」
「搭からの報告によると、非道な人体実験をしていたと言うことらしい。何でも、召喚術を熱心に研究していたとか……」
「ほほう、召喚術ですか……」
死霊術や合成獣の実験などではなかったことが意外で、ウィルバーが思わず目を眇めた。
彼自身が扱う【飛翼の術】のように、搭の魔術のいくつかにも召喚の術は存在するが、人体実験の必要な術というのはまず珍しい。
「おっちゃん、なんかヤバイの?」
「ヤバイというかまずいというか……。碌なものの召喚じゃありませんね。それこそ、ロンドが密室から下水に移動させられていた時の、あの魔法使いが作ったのより強いのが待ってると思ってください」
「ああ、うん。あの銀色じゅわじゅわスライム」
轢き殺す勢いで冒険者たちに転がってきて、非常に厄介だった魔法生物をアンジェが思い出していると、小部隊長がスラム街のある一角で立ち止まり、数年前まで凋落した貴族が、お忍びで遊びに行くための隠れ家としていた建物を示した。
「ここが、魔術師モルナロヴァのアジトだ」
魔術師モルナロヴァが伝手を利用して手に入れたアジトで、建物の周囲には大勢の治安隊隊員が、彼の脱走を妨げるために並んでいる。
正面入り口を小部隊長が接収した鍵で開け、旗を掲げる爪を通す。
彼らは一丸となって建物内へとなだれ込んだ。
時ならぬ騒々しさに、目の意匠が使われた額冠をした気難しげな男が、白壁に合うように作られた焦げ茶の階段から下りてくる。
「何です、騒々しい。ああ……塔から派遣された方ですか?私を復帰させようといらっしゃったので?」
「俺たちのどこを見て、そう判断できるんだ」
「まったくだよ、兄ちゃん。あたしたちが魔法使いに見えるんなら、相当目が悪いよね」
「冗談の通じない人達ですね」
「それはもう、冗談じゃすまないことをあなたが仕出かしたからね」
愛剣を鞘から抜き放ち、切っ先を真っ直ぐ階段上の魔術師に突きつけたシシリーが、
「連続殺人の容疑がかかっている。身に覚えが――あるわね?」
と告げた。
≪Beginning≫の細めの刀身は、覚えが無いとは言わせないとばかりに煌めいている。
「……ああ」
追い詰められたかのような状況の中、モルナロヴァはただ、微笑んでいた。
何しろ――絶好の獲物が、向こうから飛び込んできてくれたのだ。
「今丁度終わったところなのですよ。召喚の儀式が」
召喚の術師の言葉とともに、冒険者のいるフロアの半分が紫色に輝く――時ならぬ魔術反応に、ウィルバーとミカがはっとした顔で各々の発動体を握り締めた。
首筋が毛羽立つような感覚に、ロンドがスコップを構える。
他の面子もそれぞれの武器を構え直した時、モルナロヴァは最後の旋律を紡いだ。
『血と、髄と、鉄とを織りて、現に目覚めよ……骨喰らいの悪魔!』
「悪魔……召喚!?」
ウィルバーが床へ密かに刻まれていた陣から抜け出てきた、骨の白と魔術反応の紫を身体に留めた巨大な影を睨み付けた。

「まさか、街中でこんなものを召喚するとは!!」
「ふふっ……いいですね、良い子が出てきてくれました。名を与えます、クロムシェド。さあ、まずは邪魔者を喰らう使命を遂行なさい!」
魔術師からの命令に、クロムシェドと呼ばれた悪魔は右腕の鉤爪を振り上げ、居並ぶ冒険者たちを薙ぎ払った。
咄嗟にアンジェによって突き飛ばされたウィルバーと、構えていた盾によって攻撃を受け流したナイト以外、全員が強風に吹き飛ばされたように床へ叩きつけられる。
立っていた場所が悪かったのか、両腕と脇腹にひどい怪我を負ったミカが、思わず声を上げた。
「ううっ!」
「ミカ!ユークレース、お願い!」
シシリーの言葉に反応したベルトポーチの鉱精は、夜空に輝く星のような瞬きを発したかと思うと、癒しの力を振るう。
裂かれた華奢な人体が癒されたのを確認する間もなく、法力を刀身に乗せてシシリーが悪魔へと走り寄る――彼女の隣には、拳を構えたロンドが並んでいる。
額や右腿から軽視し得ない量の血を流しながらも、彼は吠えた。
「黒蝙蝠以外の悪魔なんてなあ、俺の敵じゃないんだよ!」
「――!!」
2人の軽視できない攻撃を、葉脈のような模様が張っている紫の翼で軽減したクロムシェドは、続けて放たれたウィルバーの【凍り付く月】すらも、難なく抗する。
勝ち誇ったかのような表情が浮かんだ、その瞬間――。
今度は、小さい体躯により侮っていたホビットの娘により、ブーツから抜き放ったナイフを左手に突き立てられ、微かな動揺を見せた。
希少な毒蛇から採取した麻痺毒の刃は、悪魔の身体すらも痺れさせたのである。
動かない左腕に気を取られていると、今度は重たげな鎧の音を鳴らしながら疾走してきたナイトが、己が身に巡る魔力の一部を炎に変換し、刃へと宿して敵の胴体の真ん中を貫いた。
「――――!?」
「クロムシェド、どうしたのです!?」
召喚の儀に魔力のほとんどを取られてしまったモルナロヴァは、支援魔法を悪魔にかけることも、攻撃魔法を闖入者へ放つこともできない。
また、召喚した悪魔の放つ魔力の波動の大きさに、そんな必要が出てくるとも思っていなかったのだが――今や、彼のしもべはリビングメイルによって胴体に開けられた大穴を、動く右腕で押し隠すかのようにしていた。
モルナロヴァは知らなかったのだが、クロムシェドはその現世用の身体の修復能力の全てを、胴体部の小さな一点に集中させていたのである。
人間の放つ束縛や毒すらも、彼には効果を発しない――それは、その胴体に煌めく赤い石の加護によるものだった。
それを、シシリーが最初に【葬送の調べ】の技でひびをいれ、そのひびに重なる形でナイトが剣を突き入れ破壊したのである。
激昂した悪魔は、到底人間には発音できない多重音声の呪文により、今にも【花嵐の宴】を放とうとしていたミカの発声を防いだが、その間にまたアンジェの麻痺毒が残った腕に突きたてられる。
「姉ちゃん、兄ちゃん、今だよ!」
アンジェがナイフを刺すため飛びついていた腕から、魔法の品の力を借りた驚異的な跳躍で三回転して猫のように降り立つと、好機と捉えて声を出す。
「任せて!」
「やってやるさ!」
シシリーの愛剣が、宿った闘気によって青白く輝き――勢いよく薙いだ一閃の後、軌道も見せずに左目へ突き込まれる。
クロムシェドは、己の危機に声ならぬ声を上げようとしたが。
「このやろう!」
無謀なまでの突進で接近したロンドが、その体重とスピードを全て載せた鋭い肘打ちを、クロムシェドの眉間に決めてみせたのだった。
悪魔はせっかく這い出てきた陣へ横たわり、そのまま徐々に塵と化して現世から消えていく。
「あんなもの相手に格闘戦とか……よく出来るものですね」
「ば、馬鹿な……あの悪魔を、たお、す……?」
肩を竦めているウィルバーの言も聞いていないようで、呆然とした魔術師が呻いた。
「男女の躯を、血を集めたが、それで、完全ではなかったのか……そうか、やはり、やはり!子どもの躯を得るべきだったのだ!」
モルナロヴァがそう叫んだ時、外から治安隊が慌しい足音と共になだれ込んできた。
恐らく、クロムシェドが倒れこんだ轟音が外まで響き、様子を見に来たのだろう。
すでに魔術師に抵抗する力はないとナイトが告げると、彼らは勇んで容疑者の捕縛の用意を始めた。

「血の眷属の仔を、あの子どもを!」
「……!!」
「話は牢で聞こう。連れて行け!」
シシリーがモルナロヴァの言葉に目を見開き、彼がしょっ引かれていく様をずっと見送った。
小部隊長が冒険者たちに向き直る。
「君たちはここを調べるだろう?悪いが、すべて犯行の証拠になる。同行させてもらうぞ」
「ええ、構いませんよ」
「どうしたの、姉ちゃん。治安隊のおじさんたちが魔法の品でうっかり呪われないように、あたしたちでちゃんと探索しようよ」
「……ええ。そうね……」
若い面子ながら、竜すら退治したことがあるという冒険者たちが、リューンの連続殺人犯である男を探していると聞いて、
(冒険者とはそんな仕事もするのか。)
と不思議に思ったのは、つい先日の話である。
場所を聞くともなしに覚え、ふらりと近寄り――自分でも何でそんな衝動に駆られたのか理解できないまま、老舗らしい佇まいの≪狼の隠れ家≫へ入った。
軋みのない飴色に光る床は、長年モップ掛けを欠かさない几帳面さによって磨かれたものだ。
贅沢品であるはずの硝子の嵌まった窓がいくつもあり、そこから午後の光が差し込んでいる。
6人から8人ほどが席につける丸テーブルが5つ、その他に小さな2人掛けのテーブルが2つ。
だが、それらのテーブルのいずれもが空席であり、酒場の奥にある樫の木のカウンターに、女性が一人座っているだけだ。
カウンターの向こう側にいた亭主が、
「いらっしゃい。冒険者――じゃないな」
などと声を掛けてくるに至って、ようやく男の脳が、「酒場なのだから、何か注文しなければ妙に思われる」と気付く。

「ああ……駄目、だったかな……」
「いいや、食事だけでも歓迎さ。さあ、座って」
女の座っている椅子の近くを示され、否応なく彼はカウンターに近づいた。
「エールかい?うちはワインもあるが」
エールなら、マルガレッタを引き取ってからしばらく飲んでいない。
ここで飲んでいくのもいいだろうと、一杯頼んでみた。
亭主が快く頷き、厨房に引っ込む――その時に、横の女が彼の方を向いたのである。
「あ、の……?」
柳の木のようなしなやかな印象の娘が、男にとって何よりも近づいてはならない者だと察知し、心臓を捕まれるような怖ろしさに背中を押され、駆け出した。
「おいおい、どうしたんだ?」
厨房から木製のジョッキにエールを注いで戻ってきた亭主が、呆れたような声を出す。
「さあ……?」
冒険者の宿の亭主が、気付いていないはずはない――男に染み付いていた血の臭いを。
だが、2人ともそのことを言及することはなかった。
シシリーは覚えただけだ――あの、痩躯の男の背中を。
静かな眼差しを男が乱暴に開けていった扉に注いでいると、今度はそこから知人であるあの治安隊の小部隊長が入ってきた。
「やあ、あんたがいてくれて良かった。賢者の塔から結果が来たぞ」
「相手が分かったのね?」
「ああ。魔術師モルナロヴァを指名手配する!」
彼のその宣言は、旗を掲げる爪が魔術師を捕らえるということでもあった。
連続殺人犯の手がかりを求めて、リューンの各所に散っていた仲間たちが宿に戻り、モルナロヴァのアジトが書かれた捕縛指令書を持った小部隊長が、冒険者たちを先導する。
道すがら、ウィルバーが捕まえる相手について尋ねた。
「私の知らない魔術師のようですが、どんな人物なんですか?」
「モルナロヴァは、すでに賢者の搭から追放された男でな」
「……というと、禁術にでも手を染めていたのでしょうか?」
「搭からの報告によると、非道な人体実験をしていたと言うことらしい。何でも、召喚術を熱心に研究していたとか……」
「ほほう、召喚術ですか……」
死霊術や合成獣の実験などではなかったことが意外で、ウィルバーが思わず目を眇めた。
彼自身が扱う【飛翼の術】のように、搭の魔術のいくつかにも召喚の術は存在するが、人体実験の必要な術というのはまず珍しい。
「おっちゃん、なんかヤバイの?」
「ヤバイというかまずいというか……。碌なものの召喚じゃありませんね。それこそ、ロンドが密室から下水に移動させられていた時の、あの魔法使いが作ったのより強いのが待ってると思ってください」
「ああ、うん。あの銀色じゅわじゅわスライム」
轢き殺す勢いで冒険者たちに転がってきて、非常に厄介だった魔法生物をアンジェが思い出していると、小部隊長がスラム街のある一角で立ち止まり、数年前まで凋落した貴族が、お忍びで遊びに行くための隠れ家としていた建物を示した。
「ここが、魔術師モルナロヴァのアジトだ」
魔術師モルナロヴァが伝手を利用して手に入れたアジトで、建物の周囲には大勢の治安隊隊員が、彼の脱走を妨げるために並んでいる。
正面入り口を小部隊長が接収した鍵で開け、旗を掲げる爪を通す。
彼らは一丸となって建物内へとなだれ込んだ。
時ならぬ騒々しさに、目の意匠が使われた額冠をした気難しげな男が、白壁に合うように作られた焦げ茶の階段から下りてくる。
「何です、騒々しい。ああ……塔から派遣された方ですか?私を復帰させようといらっしゃったので?」
「俺たちのどこを見て、そう判断できるんだ」
「まったくだよ、兄ちゃん。あたしたちが魔法使いに見えるんなら、相当目が悪いよね」
「冗談の通じない人達ですね」
「それはもう、冗談じゃすまないことをあなたが仕出かしたからね」
愛剣を鞘から抜き放ち、切っ先を真っ直ぐ階段上の魔術師に突きつけたシシリーが、
「連続殺人の容疑がかかっている。身に覚えが――あるわね?」
と告げた。
≪Beginning≫の細めの刀身は、覚えが無いとは言わせないとばかりに煌めいている。
「……ああ」
追い詰められたかのような状況の中、モルナロヴァはただ、微笑んでいた。
何しろ――絶好の獲物が、向こうから飛び込んできてくれたのだ。
「今丁度終わったところなのですよ。召喚の儀式が」
召喚の術師の言葉とともに、冒険者のいるフロアの半分が紫色に輝く――時ならぬ魔術反応に、ウィルバーとミカがはっとした顔で各々の発動体を握り締めた。
首筋が毛羽立つような感覚に、ロンドがスコップを構える。
他の面子もそれぞれの武器を構え直した時、モルナロヴァは最後の旋律を紡いだ。
『血と、髄と、鉄とを織りて、現に目覚めよ……骨喰らいの悪魔!』
「悪魔……召喚!?」
ウィルバーが床へ密かに刻まれていた陣から抜け出てきた、骨の白と魔術反応の紫を身体に留めた巨大な影を睨み付けた。

「まさか、街中でこんなものを召喚するとは!!」
「ふふっ……いいですね、良い子が出てきてくれました。名を与えます、クロムシェド。さあ、まずは邪魔者を喰らう使命を遂行なさい!」
魔術師からの命令に、クロムシェドと呼ばれた悪魔は右腕の鉤爪を振り上げ、居並ぶ冒険者たちを薙ぎ払った。
咄嗟にアンジェによって突き飛ばされたウィルバーと、構えていた盾によって攻撃を受け流したナイト以外、全員が強風に吹き飛ばされたように床へ叩きつけられる。
立っていた場所が悪かったのか、両腕と脇腹にひどい怪我を負ったミカが、思わず声を上げた。
「ううっ!」
「ミカ!ユークレース、お願い!」
シシリーの言葉に反応したベルトポーチの鉱精は、夜空に輝く星のような瞬きを発したかと思うと、癒しの力を振るう。
裂かれた華奢な人体が癒されたのを確認する間もなく、法力を刀身に乗せてシシリーが悪魔へと走り寄る――彼女の隣には、拳を構えたロンドが並んでいる。
額や右腿から軽視し得ない量の血を流しながらも、彼は吠えた。
「黒蝙蝠以外の悪魔なんてなあ、俺の敵じゃないんだよ!」
「――!!」
2人の軽視できない攻撃を、葉脈のような模様が張っている紫の翼で軽減したクロムシェドは、続けて放たれたウィルバーの【凍り付く月】すらも、難なく抗する。
勝ち誇ったかのような表情が浮かんだ、その瞬間――。
今度は、小さい体躯により侮っていたホビットの娘により、ブーツから抜き放ったナイフを左手に突き立てられ、微かな動揺を見せた。
希少な毒蛇から採取した麻痺毒の刃は、悪魔の身体すらも痺れさせたのである。
動かない左腕に気を取られていると、今度は重たげな鎧の音を鳴らしながら疾走してきたナイトが、己が身に巡る魔力の一部を炎に変換し、刃へと宿して敵の胴体の真ん中を貫いた。
「――――!?」
「クロムシェド、どうしたのです!?」
召喚の儀に魔力のほとんどを取られてしまったモルナロヴァは、支援魔法を悪魔にかけることも、攻撃魔法を闖入者へ放つこともできない。
また、召喚した悪魔の放つ魔力の波動の大きさに、そんな必要が出てくるとも思っていなかったのだが――今や、彼のしもべはリビングメイルによって胴体に開けられた大穴を、動く右腕で押し隠すかのようにしていた。
モルナロヴァは知らなかったのだが、クロムシェドはその現世用の身体の修復能力の全てを、胴体部の小さな一点に集中させていたのである。
人間の放つ束縛や毒すらも、彼には効果を発しない――それは、その胴体に煌めく赤い石の加護によるものだった。
それを、シシリーが最初に【葬送の調べ】の技でひびをいれ、そのひびに重なる形でナイトが剣を突き入れ破壊したのである。
激昂した悪魔は、到底人間には発音できない多重音声の呪文により、今にも【花嵐の宴】を放とうとしていたミカの発声を防いだが、その間にまたアンジェの麻痺毒が残った腕に突きたてられる。
「姉ちゃん、兄ちゃん、今だよ!」
アンジェがナイフを刺すため飛びついていた腕から、魔法の品の力を借りた驚異的な跳躍で三回転して猫のように降り立つと、好機と捉えて声を出す。
「任せて!」
「やってやるさ!」
シシリーの愛剣が、宿った闘気によって青白く輝き――勢いよく薙いだ一閃の後、軌道も見せずに左目へ突き込まれる。
クロムシェドは、己の危機に声ならぬ声を上げようとしたが。
「このやろう!」
無謀なまでの突進で接近したロンドが、その体重とスピードを全て載せた鋭い肘打ちを、クロムシェドの眉間に決めてみせたのだった。
悪魔はせっかく這い出てきた陣へ横たわり、そのまま徐々に塵と化して現世から消えていく。
「あんなもの相手に格闘戦とか……よく出来るものですね」
「ば、馬鹿な……あの悪魔を、たお、す……?」
肩を竦めているウィルバーの言も聞いていないようで、呆然とした魔術師が呻いた。
「男女の躯を、血を集めたが、それで、完全ではなかったのか……そうか、やはり、やはり!子どもの躯を得るべきだったのだ!」
モルナロヴァがそう叫んだ時、外から治安隊が慌しい足音と共になだれ込んできた。
恐らく、クロムシェドが倒れこんだ轟音が外まで響き、様子を見に来たのだろう。
すでに魔術師に抵抗する力はないとナイトが告げると、彼らは勇んで容疑者の捕縛の用意を始めた。

「血の眷属の仔を、あの子どもを!」
「……!!」
「話は牢で聞こう。連れて行け!」
シシリーがモルナロヴァの言葉に目を見開き、彼がしょっ引かれていく様をずっと見送った。
小部隊長が冒険者たちに向き直る。
「君たちはここを調べるだろう?悪いが、すべて犯行の証拠になる。同行させてもらうぞ」
「ええ、構いませんよ」
「どうしたの、姉ちゃん。治安隊のおじさんたちが魔法の品でうっかり呪われないように、あたしたちでちゃんと探索しようよ」
「……ええ。そうね……」
2017/01/12 12:36 [edit]
category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)
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Thu.
ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)その5 
マルガレッタは、以前に叔父が買い求めてくれた絵本をゆっくりと捲りながら、本の向こうで彼が己についた汚れを取っている姿を視界に入れていた。
今月の頭に血が足りなくなって、いよいよ死んでしまうのかと覚悟をしたというのに、今はそれに比べると、なんと平穏でありがたい日々だろう。
まるで夢みたいだ、とマルガレッタは思った。
あまり叔父に血を飲む自分を見せたくなくて、必要最小限の血液だけを口にしてきたのだが、叔父から強く勧められて余分の血を摂取したところ、曇り空の下でなら、あの忌々しい太陽の光にも少しだけ耐えられた。

もしかしたら――。
今月の頭に血が足りなくなって、いよいよ死んでしまうのかと覚悟をしたというのに、今はそれに比べると、なんと平穏でありがたい日々だろう。
まるで夢みたいだ、とマルガレッタは思った。
あまり叔父に血を飲む自分を見せたくなくて、必要最小限の血液だけを口にしてきたのだが、叔父から強く勧められて余分の血を摂取したところ、曇り空の下でなら、あの忌々しい太陽の光にも少しだけ耐えられた。

もしかしたら――。
-- 続きを読む --
もしかしたら、叔父は、自分を他の子どものように、昼間に外で遊ばせたいのだろうか。
そうして、ごく普通の人間の友達を見つけて欲しいのだろうか。
だが、そこまで劇的な変化を、マルガレッタ自身は強く望んでいるわけではない。
今のまま、叔父の身の回りの世話を少しずつ覚え、心配をかけることなく彼の傍にいられる現状のままが、彼女にとって一番いいのだが。
今夜も、叔父が自分のために血を探しに行ったため、一人で帰りを待つ時間がひどく長く感じられて仕方なかった。
法の側の人間に、捕らえられてないか。
血をもらう人に、傷つけられていないか。
心配で心配で、自分が見つかることよりも、叔父が辛い思いをすることの方が怖かった。
傍らに置いた陶製のカップを掴み、注がれている赤を飲み込む。
鉄が錆びたような香りのそれは、喉を通るごとにひどく心地良く感じられる。
ぴちゃん、と叔父が使っている手桶のぬるま湯が跳ねた。
戻ってくるだろう彼のために、マルガレッタが用意しておいたものである。
血を拭い終わり、服を着込み始めた叔父を見ていて、つい口が動いた。
「―――おとう、さん」
あまり普段話すことをしないとはいえ、我ながらずいぶん小さな声だと思った。
「――マルガレッタ。今、『お父さん』って、言ったか?」
マルガレッタはどうにも気恥ずかしくて、それに返事をすることもせず絵本へ顔を埋めた。
彼なら、無理に本を引き剥がさずにいてくれるだろう。
きょうかい、という組織が自分たちを許してくれなくても構わない。
せめて今みたいな夜は、壊してくれるなと思った。
半吸血鬼の少女が、聖北の神ではない何者かに祈った、その翌日――。
旗を掲げる爪の姿は、いつかシシリーが他の町から訪れた小男の死体を見つけた場所にあった。
無残な姿をした女性の死体が、彼らの前に晒されている。
「こんな……ひどい……」
ふらついたミカの華奢な身体を、ナイトが後ろから支えている。
前に見たのと同業らしい女の死体は、ほっそりした首に杭を刺された上、腹を裂かれて内臓を抜かれていた。
「抜くの、手間取ったんだろうな。……ひどい有様だ」
「……ちょっと、ごめんね」
「アン?」
乾いた血でかさついた地面をなるべく踏まないよう、注意深く死体に近づいたアンジェは、しげしげと目を剥き出した顔を見つめた後、ひょいとスカートを捲って脚を確認した。
赤くトゲトゲした薊の意匠をした刺青が、かつては自慢だったろう滑らかな太ももに描かれている。
「間違いない、この刺青、『薊姫』のお姐さんだよ」
「あざみひめ?」
「あたしから姉ちゃんに言うの、さすがにちょっと恥ずかしいんだけど……あのね、盗賊ギルドの上層部御用達の娼館だよ」
容姿だけに留まらず、話術や芸に秀でた一流の娼妓を集めた館は、ごく一握りの人間しか入り口を知らないところにある。
盗賊ギルドの上層部ともなれば、恨まれる筋が十や二十ではきかない。
その上、美女と情事に耽る時ほど男が油断しやすい時はないので、『薊姫』は厳しい警備と口の堅さに関しては折り紙つきの施設なのだ。
そこまで言って口を閉じたアンジェが、難しい顔になって考え込む。
「……そこのお姐さんが何で、こんな所で死んでるの?」
「何だよ、アン。俺たちが調べた中にも、娼婦の被害者はいただろう?」
「いや、でもさ。『薊姫』みたいな高級娼館ともなれば、出入り自由ってわけがないし、そもそもギルドが逃がすはず……」
ふと、ある一つの可能性に思い当たる。

「……間に合わなかった?」
「アンジェさん……?」
「ごめん、ミカ。あたし、ギルドに顔を出してくる。……ここを、頼んだよ」
事情を全部察したわけではないものの、篭められた決意は感じ取ったのだろう。
シシリーは踵を返そうとしたアンジェの手を、ぎゅっと握って言った。
「……気をつけて」
「うん、気をつける。必ず戻るよ。≪狼の隠れ家≫へね」
そして急いで駆けた先で、アンジェは懸念が的中していたことを知らされた。
例の、茶色い髪を束ねた構成員を捕まえ、銀貨の入った小袋を渡しつつ尋ねる。
「殺されたのは、『薊姫』の娼婦だね?」
「ああ……なかなかの上玉だったらしいな。殺されちまうなんて、なんてかわいそうなんだろう」
なあ?と、こちらの同意を求めるさり気ない様子に、アンジェは一つ言葉の投石を行なってみた。
「『剪伐』は見つかったの?早く見つけないと、またこんな殺人が起こるよ」
「さあ?俺は聞いてないなあ……」
「ふーん……もう聞くこともないね。あたし、帰るわ」
「おう」
つまり、ギルドは二つのことを行なったのだ。
『剪伐』の確保。
『薊姫』の娼婦殺害の手引き。
ギルド上層部が贔屓している店の人間が死ぬ手引きをしたということは、ギルドの統括者か、それにごく近い人間が事件について絡んでいるということである。
リューンでも有数の冒険者の実力がついたアンジェといえども、別にギルドで高い地位にいるわけではない。
かえって、そんな地位についていると自由に冒険に出るわけにはいかないから、情報を得たり操作したり等の必要がある時だけ相応よりちょっと高い代金を支払って利用し、後はなるべく盗賊ギルドとはつかず離れずのスタンスを絶妙に保っていたのだが。
(こりゃ、まずいよね。あの情報屋さんにはお世話になってるけど、ギルドそのものとなると……。さて、どこまで対抗可能なんだか。)
今回の件については、ギルドは敵側にいると明らかになったわけである。
組織というものが牙をむいた時の恐ろしさを、これまでの冒険によって嫌というほど承知しているアンジェには、まったくもってありがたくないことだった。
だからこそ、急いで解決しようと思っていたというのに、これは明らかな自分の失態である。
(……先を越されたね……これから、どう動いたものかなぁ……)
とりあえず、今回の依頼を終わらせた後に工作の必要があるな、とアンジェは判断した。
こちらの仕事を妨害する尾行者の姿がないことを確認した上で、常宿へと戻る。
だが果たして、その報告を聞いたウィルバーは、あからさまな落胆の色も見せず言った。
「こちらからは朗報です。この、杭」
ごとり、とナイトの手によって、死体から直接抜き取って貰った杭を示した。
骨ばった指が、目には見えない、ある一定の術式によって杭に刻まれた古代魔術の文字をなぞる。
「一見普通の杭ですが、れっきとした魔術具です」
「こんな物が!?へえ……」
「賢者の塔に問い合わせれば、きっと尻尾を掴めます。つまり、搭を巻き込んで後ろ盾になって貰いましょう、ってことです。こっちのバックアップが治安隊だけでは、さすがに不安ですからね」
「なるほど、それでギルドに対抗しようってことなんだね」
さすがにパーティの頭脳役といったところか。
感心したアンジェはしきりに頷き、安堵の息をついた。
顎に左手をかけていたシシリーが、ポツリと呟く。
「ようやく……背中が、見えてきたわね」
彼女の言うそれが、犯人のものであるのは明らかだった。
そうして、ごく普通の人間の友達を見つけて欲しいのだろうか。
だが、そこまで劇的な変化を、マルガレッタ自身は強く望んでいるわけではない。
今のまま、叔父の身の回りの世話を少しずつ覚え、心配をかけることなく彼の傍にいられる現状のままが、彼女にとって一番いいのだが。
今夜も、叔父が自分のために血を探しに行ったため、一人で帰りを待つ時間がひどく長く感じられて仕方なかった。
法の側の人間に、捕らえられてないか。
血をもらう人に、傷つけられていないか。
心配で心配で、自分が見つかることよりも、叔父が辛い思いをすることの方が怖かった。
傍らに置いた陶製のカップを掴み、注がれている赤を飲み込む。
鉄が錆びたような香りのそれは、喉を通るごとにひどく心地良く感じられる。
ぴちゃん、と叔父が使っている手桶のぬるま湯が跳ねた。
戻ってくるだろう彼のために、マルガレッタが用意しておいたものである。
血を拭い終わり、服を着込み始めた叔父を見ていて、つい口が動いた。
「―――おとう、さん」
あまり普段話すことをしないとはいえ、我ながらずいぶん小さな声だと思った。
「――マルガレッタ。今、『お父さん』って、言ったか?」
マルガレッタはどうにも気恥ずかしくて、それに返事をすることもせず絵本へ顔を埋めた。
彼なら、無理に本を引き剥がさずにいてくれるだろう。
きょうかい、という組織が自分たちを許してくれなくても構わない。
せめて今みたいな夜は、壊してくれるなと思った。
半吸血鬼の少女が、聖北の神ではない何者かに祈った、その翌日――。
旗を掲げる爪の姿は、いつかシシリーが他の町から訪れた小男の死体を見つけた場所にあった。
無残な姿をした女性の死体が、彼らの前に晒されている。
「こんな……ひどい……」
ふらついたミカの華奢な身体を、ナイトが後ろから支えている。
前に見たのと同業らしい女の死体は、ほっそりした首に杭を刺された上、腹を裂かれて内臓を抜かれていた。
「抜くの、手間取ったんだろうな。……ひどい有様だ」
「……ちょっと、ごめんね」
「アン?」
乾いた血でかさついた地面をなるべく踏まないよう、注意深く死体に近づいたアンジェは、しげしげと目を剥き出した顔を見つめた後、ひょいとスカートを捲って脚を確認した。
赤くトゲトゲした薊の意匠をした刺青が、かつては自慢だったろう滑らかな太ももに描かれている。
「間違いない、この刺青、『薊姫』のお姐さんだよ」
「あざみひめ?」
「あたしから姉ちゃんに言うの、さすがにちょっと恥ずかしいんだけど……あのね、盗賊ギルドの上層部御用達の娼館だよ」
容姿だけに留まらず、話術や芸に秀でた一流の娼妓を集めた館は、ごく一握りの人間しか入り口を知らないところにある。
盗賊ギルドの上層部ともなれば、恨まれる筋が十や二十ではきかない。
その上、美女と情事に耽る時ほど男が油断しやすい時はないので、『薊姫』は厳しい警備と口の堅さに関しては折り紙つきの施設なのだ。
そこまで言って口を閉じたアンジェが、難しい顔になって考え込む。
「……そこのお姐さんが何で、こんな所で死んでるの?」
「何だよ、アン。俺たちが調べた中にも、娼婦の被害者はいただろう?」
「いや、でもさ。『薊姫』みたいな高級娼館ともなれば、出入り自由ってわけがないし、そもそもギルドが逃がすはず……」
ふと、ある一つの可能性に思い当たる。

「……間に合わなかった?」
「アンジェさん……?」
「ごめん、ミカ。あたし、ギルドに顔を出してくる。……ここを、頼んだよ」
事情を全部察したわけではないものの、篭められた決意は感じ取ったのだろう。
シシリーは踵を返そうとしたアンジェの手を、ぎゅっと握って言った。
「……気をつけて」
「うん、気をつける。必ず戻るよ。≪狼の隠れ家≫へね」
そして急いで駆けた先で、アンジェは懸念が的中していたことを知らされた。
例の、茶色い髪を束ねた構成員を捕まえ、銀貨の入った小袋を渡しつつ尋ねる。
「殺されたのは、『薊姫』の娼婦だね?」
「ああ……なかなかの上玉だったらしいな。殺されちまうなんて、なんてかわいそうなんだろう」
なあ?と、こちらの同意を求めるさり気ない様子に、アンジェは一つ言葉の投石を行なってみた。
「『剪伐』は見つかったの?早く見つけないと、またこんな殺人が起こるよ」
「さあ?俺は聞いてないなあ……」
「ふーん……もう聞くこともないね。あたし、帰るわ」
「おう」
つまり、ギルドは二つのことを行なったのだ。
『剪伐』の確保。
『薊姫』の娼婦殺害の手引き。
ギルド上層部が贔屓している店の人間が死ぬ手引きをしたということは、ギルドの統括者か、それにごく近い人間が事件について絡んでいるということである。
リューンでも有数の冒険者の実力がついたアンジェといえども、別にギルドで高い地位にいるわけではない。
かえって、そんな地位についていると自由に冒険に出るわけにはいかないから、情報を得たり操作したり等の必要がある時だけ相応よりちょっと高い代金を支払って利用し、後はなるべく盗賊ギルドとはつかず離れずのスタンスを絶妙に保っていたのだが。
(こりゃ、まずいよね。あの情報屋さんにはお世話になってるけど、ギルドそのものとなると……。さて、どこまで対抗可能なんだか。)
今回の件については、ギルドは敵側にいると明らかになったわけである。
組織というものが牙をむいた時の恐ろしさを、これまでの冒険によって嫌というほど承知しているアンジェには、まったくもってありがたくないことだった。
だからこそ、急いで解決しようと思っていたというのに、これは明らかな自分の失態である。
(……先を越されたね……これから、どう動いたものかなぁ……)
とりあえず、今回の依頼を終わらせた後に工作の必要があるな、とアンジェは判断した。
こちらの仕事を妨害する尾行者の姿がないことを確認した上で、常宿へと戻る。
だが果たして、その報告を聞いたウィルバーは、あからさまな落胆の色も見せず言った。
「こちらからは朗報です。この、杭」
ごとり、とナイトの手によって、死体から直接抜き取って貰った杭を示した。
骨ばった指が、目には見えない、ある一定の術式によって杭に刻まれた古代魔術の文字をなぞる。
「一見普通の杭ですが、れっきとした魔術具です」
「こんな物が!?へえ……」
「賢者の塔に問い合わせれば、きっと尻尾を掴めます。つまり、搭を巻き込んで後ろ盾になって貰いましょう、ってことです。こっちのバックアップが治安隊だけでは、さすがに不安ですからね」
「なるほど、それでギルドに対抗しようってことなんだね」
さすがにパーティの頭脳役といったところか。
感心したアンジェはしきりに頷き、安堵の息をついた。
顎に左手をかけていたシシリーが、ポツリと呟く。
「ようやく……背中が、見えてきたわね」
彼女の言うそれが、犯人のものであるのは明らかだった。
2017/01/12 12:33 [edit]
category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)
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Thu.
ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)その4 
少しトウが立っているとは言え、化粧に引き立てられた顔は十二分に他者を魅了するものだった。
毛皮のコートを肩脱ぎしており、濃い紫色のドレスに包まれた肢体が、豊かに張った胸から引き絞ったようなウエスト、ふっくらと脂の乗った太ももまでの官能的なラインを惜しげもなく晒している。
きらきらと光る翠のアイシャドウは、孔雀石を砕いた贅沢品だ。
恐らくはぽってりした唇に塗られたルージュも、リューン最新流行の品なのだろう。
白く柔らかな肉のついた腕を絡められれば、よほどの朴念仁か特殊な性向の持ち主でもない限り、男なら嫌な気持ちなどしないに違いない。
豊頬の美女、という言葉がぴったりの相手だった。
「いい女じゃないか。性格は知らないが」
毛皮のコートを肩脱ぎしており、濃い紫色のドレスに包まれた肢体が、豊かに張った胸から引き絞ったようなウエスト、ふっくらと脂の乗った太ももまでの官能的なラインを惜しげもなく晒している。
きらきらと光る翠のアイシャドウは、孔雀石を砕いた贅沢品だ。
恐らくはぽってりした唇に塗られたルージュも、リューン最新流行の品なのだろう。
白く柔らかな肉のついた腕を絡められれば、よほどの朴念仁か特殊な性向の持ち主でもない限り、男なら嫌な気持ちなどしないに違いない。
豊頬の美女、という言葉がぴったりの相手だった。
「いい女じゃないか。性格は知らないが」
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「同意します。もう一つ付け加えるなら、生きていれば、ですがね」
ロンドとウィルバーが、さほど気の入らない声で倒れている女を評した。
そう――彼らの目の前にいる美女は、いかがわしい店の並びにいるのが相応しいような格好であったのだが、何故か打ち捨てられた教会裏の墓地の真ん中で息絶えている。
彼らを呼びつけた顔見知りの治安隊小部隊長が、開口一番、
「呼びつけてすまなかった。ただ、現場を見てもらうのが一番だと思ってな」
と言った。
ロンドが肩を竦める。
「死んだのはいつだ?」

「どうも昨日、殺されたようだ。見つかったのは今日の朝」
「こちらで詳しく調べてもみても構いませんか?」
「ああ、死体の状況は、自らの目で見てくれたほうが分かるだろう。自由に調べてくれ。こちらとしても、出来るだけ力になろう」
思ったよりも気前のいい小部隊長の言葉に、ウィルバーがおやおやとでも言いたげに眉を上げた。
気付いた小部隊長が、さらりと付け加える。
「≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪と見込んでのことだ。それぐらいはさせてもらうさ」
「この人――娼婦だよね?」
覚えのある派手な服装や化粧などの様子から判断したアンジェが質問すると、小部隊長が首肯した。
「ああ。身元の確認は、娼館の女将がしてくれた」
「……何か、傷のわりに、周りへの出血が少なくない?」
女は首を一突きにされており、これが致命傷なのは間違いなさそうだ。
おまけに左腕が肩からすっぱりと落とされており、ずいぶんと血が流れたであろうことは、実際に人間相手に戦ったこともある彼女の想像に難くない。
だというのに、アンジェが周囲を細かく調べても、それらしい出血の跡が見られないのだ。
ミカもやや青白い顔色ながら、じっと目を凝らして死体を観察している。
「腕と首以外には傷一つありません。……暴れる暇もなかったということでしょうか」
「主。持ち去った腕は何に使う?」
「え……そういえば、何で持っていったんでしょう?」
人とは違うナイトは、その点が気になったらしい。
彼がかつて仕えていた女性のいた拠点では、合成獣の実験が行なわれていた。
当然ながら、妖魔や幻獣、魔法生物のパーツを人間に融合させる過程を見てきたこともあった。
しかし、人間のパーツのほうを持ち運ぶ利点、というものが彼には理解できない。
腕とは言え、普通の人間にそんなものは重荷にしかならない。
殺した後に早くその場を去りたかった犯人ならば、理由もなく腕を持ち去る、などという手間は取らないはずだが……とリビングメイルが無言のまま思案していると、ナイトの発言によって左肩を注視したロンドが再び口を開いた。
「腕の断面が綺麗過ぎる」
「そうだね、兄ちゃん。あたしの得物とは違うみたいだけど」
「刃物なのは間違いないだろうけど、どんな物を使ったんだか……」
「お前にも分からないのか?」
「分からない。初めて見る」
ロンドの返事に頷いたらしい彼は、がしゃりと甲冑を鳴らしながら位置を変え、リーダーが娼婦を見やすい場所に移ってから告げた。
「ということはだ、シシリー。この凶器が分かれば、犯人の特定も可能なのではないか?」
「そう……ね。確かに」
仲間の指摘に同意した彼女は、それにしても、と零した。
ナイトの気遣いによって娼婦に近づいたシシリーも、ロンドの見ていた左肩や、アンジェの示している首の傷口を、深いものを湛えた碧眼でじっくりと検めている。
「どうも、躊躇いなく殺されているような……思い切りがいいというか」
「罪悪感が薄れている――とは、考えられませんか?」
ミカの発言に、シシリーは微かに顔を歪めた。
「それは――」
「はい。殺して死体を切り刻む犯行というのは、色々な理由がそこにあるのでしょうが、これだけ思い切っている傷ならば」
ミカのほっそりした手が、かつて死霊術師によって刻まれた、今はもう見ることのできない頚動脈の傷の辺りへ触れた。
ほんの微かにだが、その指先が震えている。
「人としての禁忌を押し込められるほど作業的になれる理由が、犯人の側にあったのかもしれません」
「……参考にさせてもらうわ」
重々しくシシリーが頷く。
ミカもかつて、ある目的のために躊躇いなく殺されたことがある。
幽霊列車が関わっていたその事件のことを思い出したウィルバーが、胸に下げている竜の牙の焦点具に魔力を集中させた。
匂いのようにわだかまっている魔力の流れの名残りに、彼はひゅっと喉を鳴らした。
「微かに魔力の気配がします。でも一体どこから……?」
「私にはその気配も分かりません……察知できませんか……?」
後輩の言に、ウィルバーは焦点具を握る手に力を篭め、もっと詳しく探ろうと魔力を研ぎ澄ましたが、元々あまり量のない魔力の発生源が、どこにあるかは判然としなかった。
彼はゆるゆると首を横に振った。
「どうにも分かりませんね……」
「ねえ、小部隊長さん」
アンジェのどんぐり眼が、じっと依頼主になろうとしている男を見上げた。
「あたしたちが呼ばれたってことは、犯人の目星もついていないってことだよね?」
「ああ。この被害者は先月、貴族の金に手をつけたらしいんだが」
ガシガシと後頭部を左手で掻いたのは、捜査が行き詰まっている苛立ちによるものだろう。
「恐らくその貴族はシロだな。昨日は一日、役所に詰めていた。人を雇ったなども考えられるから調査は続けているが、はかばかしくない。今の時点では何も分かっていないな。――お前たちはどうだ?」
「悪いけれど、今のところはなんとも……」
「そうか……」
「確認しますが」
と、ウィルバーが2人の話を遮った。
「犯人を捕まえたら、報酬は銀貨一万枚……それで、間違いは」
「ない。……そろそろいいか?次の冒険者たちが来るはずなのでね」
アンジェが、好物の入ったサンドイッチを頬張っていたら、奇妙な具に齧りついたことに気付いたといった表情になった。
「別の冒険者にも頼んでるの?」
「ああ。旗を掲げる爪に頼めば大丈夫だ、と進言したんだがな。俺の直属の上司が、冒険者をあまり分かっていないんだよ」
「そりゃ……悪くすると、情報の奪い合いになるんじゃないか?」
「俺もそう思う」
あっさりロンドと意見を同じにした小部隊長だったが、さすがに上司の意向に逆らうわけにもいかなかったらしい。
まさしく、苦虫を噛み潰したといった態の顔をしている。
彼の、死霊術師率いるクドラ教徒殲滅の共同作戦から変わらない苦労人っぷりが察せられて、思わずロンドは彼の肩を叩いた。
「お疲れさん」
「労わってくれてありがとう。さあ、早めに解決の糸口を見つけてくれよ」
手を振って見送ってくれた小部隊長と別れ、とりあえず戻ろうと宿に向かった冒険者たちだったが、歩く道すがら、一行の一番後ろで熱心に羊皮紙に何事かを書きつけ始めたシシリーに気付き、ナイトが声を掛けた。
「……さっきから、何を書いてる?」
「ん……情報をまとめていたの」
「ほう」
シシリーより遥かに背の高いナイトが覗き込むと、癖のない読みやすい字で羊皮紙に綴られている内容がよく見えた。
被害者:娼婦。背中から首を一刺し。左腕が切断されて、残っていない。
共通点:背後からの刺し傷。前の被害者との関係は謎。(前の被害者に切断痕はなし)
そこまで目(眼球はないが)を通した時点で、ナイトが気になったことを呟く。
「前の被害者?」
「ええ、そう。私が見かけたある死体と――ウィルバーが聞きつけた事件の被害者」
「――シシリーは、それらと今回の件の関係を疑っているのか?」
「少し、ね……どうにも引っかかるの」
「……詳しく聞きながら、作戦会議といこう。他の者の意見も必要だろう」
リーダーの少女が、それに同意した六日後――。
今度は、物乞いの男が殺された。
さらに三日後、商家の下男が死体で発見される。
物乞いの男は左足を切断され、下男は両腕を切断されていたものの、持ち去られたのは右腕だけだったという。
リューンの善男善女は、時ならぬ殺人鬼の噂に怯えるようになった。
治安隊の小部隊長は、苦渋を滲ませた顔で銀貨二千枚の入った皮袋をテーブルに乗せ、≪狼の隠れ家≫所属の旗を掲げる爪に、他の冒険者への依頼を取りやめ、彼らへ全ての調査を一任することを告げた。
――その日、滅多に立ち入らない盗賊ギルドにアンジェが足を運んだのは、自分たちが調べた情報だけでは埒が明かないと思ったからだったが、そこで思わぬことを耳にする。
「せんばつ?」
どういう意味だ、と考え込んでいるホビットの娘に、盗賊ギルドの構成員は苦笑交じりに字を書いてみせた。
「『剪伐』、な。今話題の殺人鬼様さ。お前が探している奴」
「ふーん、そういう風に書くんだ。それで?知ってるの?」
ありふれた色調の茶色い髪を束ねた男は、肩をひとつ大袈裟に竦めた。
こざっぱりとした印象を相手に与える容貌の構成員は、このギルド内では五指に入る情報通である。
「いんや。俺達も探してる最中だな。動機はしらねぇが、あの殺し方には執念を感じるね」
「パーツを持ち帰ってる所とかが?まあね」
男は左手の人差し指で、二度机を叩いた。
これは払いのいい得意先にだけ示される、”ちょっと重要かもしれない情報”、”注意した方がいい情報”の合図だ。

「お上は『剪伐』を仲間にしたがってる」
「……っ!」
声はあげなかったものの、思わずアンジェは顔をしかめた。
盗賊ギルドが殺人鬼のバックアップに動くようになれば、今までよりさらに情報を得にくくなる。
出来れば、ギルドよりも早く動きたいところだ。
(間に合う、かな……?)
アンジェは情報料の入った小袋を構成員に放り、俊足を生かして≪狼の隠れ家≫へと急いだ。
ロンドとウィルバーが、さほど気の入らない声で倒れている女を評した。
そう――彼らの目の前にいる美女は、いかがわしい店の並びにいるのが相応しいような格好であったのだが、何故か打ち捨てられた教会裏の墓地の真ん中で息絶えている。
彼らを呼びつけた顔見知りの治安隊小部隊長が、開口一番、
「呼びつけてすまなかった。ただ、現場を見てもらうのが一番だと思ってな」
と言った。
ロンドが肩を竦める。
「死んだのはいつだ?」

「どうも昨日、殺されたようだ。見つかったのは今日の朝」
「こちらで詳しく調べてもみても構いませんか?」
「ああ、死体の状況は、自らの目で見てくれたほうが分かるだろう。自由に調べてくれ。こちらとしても、出来るだけ力になろう」
思ったよりも気前のいい小部隊長の言葉に、ウィルバーがおやおやとでも言いたげに眉を上げた。
気付いた小部隊長が、さらりと付け加える。
「≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪と見込んでのことだ。それぐらいはさせてもらうさ」
「この人――娼婦だよね?」
覚えのある派手な服装や化粧などの様子から判断したアンジェが質問すると、小部隊長が首肯した。
「ああ。身元の確認は、娼館の女将がしてくれた」
「……何か、傷のわりに、周りへの出血が少なくない?」
女は首を一突きにされており、これが致命傷なのは間違いなさそうだ。
おまけに左腕が肩からすっぱりと落とされており、ずいぶんと血が流れたであろうことは、実際に人間相手に戦ったこともある彼女の想像に難くない。
だというのに、アンジェが周囲を細かく調べても、それらしい出血の跡が見られないのだ。
ミカもやや青白い顔色ながら、じっと目を凝らして死体を観察している。
「腕と首以外には傷一つありません。……暴れる暇もなかったということでしょうか」
「主。持ち去った腕は何に使う?」
「え……そういえば、何で持っていったんでしょう?」
人とは違うナイトは、その点が気になったらしい。
彼がかつて仕えていた女性のいた拠点では、合成獣の実験が行なわれていた。
当然ながら、妖魔や幻獣、魔法生物のパーツを人間に融合させる過程を見てきたこともあった。
しかし、人間のパーツのほうを持ち運ぶ利点、というものが彼には理解できない。
腕とは言え、普通の人間にそんなものは重荷にしかならない。
殺した後に早くその場を去りたかった犯人ならば、理由もなく腕を持ち去る、などという手間は取らないはずだが……とリビングメイルが無言のまま思案していると、ナイトの発言によって左肩を注視したロンドが再び口を開いた。
「腕の断面が綺麗過ぎる」
「そうだね、兄ちゃん。あたしの得物とは違うみたいだけど」
「刃物なのは間違いないだろうけど、どんな物を使ったんだか……」
「お前にも分からないのか?」
「分からない。初めて見る」
ロンドの返事に頷いたらしい彼は、がしゃりと甲冑を鳴らしながら位置を変え、リーダーが娼婦を見やすい場所に移ってから告げた。
「ということはだ、シシリー。この凶器が分かれば、犯人の特定も可能なのではないか?」
「そう……ね。確かに」
仲間の指摘に同意した彼女は、それにしても、と零した。
ナイトの気遣いによって娼婦に近づいたシシリーも、ロンドの見ていた左肩や、アンジェの示している首の傷口を、深いものを湛えた碧眼でじっくりと検めている。
「どうも、躊躇いなく殺されているような……思い切りがいいというか」
「罪悪感が薄れている――とは、考えられませんか?」
ミカの発言に、シシリーは微かに顔を歪めた。
「それは――」
「はい。殺して死体を切り刻む犯行というのは、色々な理由がそこにあるのでしょうが、これだけ思い切っている傷ならば」
ミカのほっそりした手が、かつて死霊術師によって刻まれた、今はもう見ることのできない頚動脈の傷の辺りへ触れた。
ほんの微かにだが、その指先が震えている。
「人としての禁忌を押し込められるほど作業的になれる理由が、犯人の側にあったのかもしれません」
「……参考にさせてもらうわ」
重々しくシシリーが頷く。
ミカもかつて、ある目的のために躊躇いなく殺されたことがある。
幽霊列車が関わっていたその事件のことを思い出したウィルバーが、胸に下げている竜の牙の焦点具に魔力を集中させた。
匂いのようにわだかまっている魔力の流れの名残りに、彼はひゅっと喉を鳴らした。
「微かに魔力の気配がします。でも一体どこから……?」
「私にはその気配も分かりません……察知できませんか……?」
後輩の言に、ウィルバーは焦点具を握る手に力を篭め、もっと詳しく探ろうと魔力を研ぎ澄ましたが、元々あまり量のない魔力の発生源が、どこにあるかは判然としなかった。
彼はゆるゆると首を横に振った。
「どうにも分かりませんね……」
「ねえ、小部隊長さん」
アンジェのどんぐり眼が、じっと依頼主になろうとしている男を見上げた。
「あたしたちが呼ばれたってことは、犯人の目星もついていないってことだよね?」
「ああ。この被害者は先月、貴族の金に手をつけたらしいんだが」
ガシガシと後頭部を左手で掻いたのは、捜査が行き詰まっている苛立ちによるものだろう。
「恐らくその貴族はシロだな。昨日は一日、役所に詰めていた。人を雇ったなども考えられるから調査は続けているが、はかばかしくない。今の時点では何も分かっていないな。――お前たちはどうだ?」
「悪いけれど、今のところはなんとも……」
「そうか……」
「確認しますが」
と、ウィルバーが2人の話を遮った。
「犯人を捕まえたら、報酬は銀貨一万枚……それで、間違いは」
「ない。……そろそろいいか?次の冒険者たちが来るはずなのでね」
アンジェが、好物の入ったサンドイッチを頬張っていたら、奇妙な具に齧りついたことに気付いたといった表情になった。
「別の冒険者にも頼んでるの?」
「ああ。旗を掲げる爪に頼めば大丈夫だ、と進言したんだがな。俺の直属の上司が、冒険者をあまり分かっていないんだよ」
「そりゃ……悪くすると、情報の奪い合いになるんじゃないか?」
「俺もそう思う」
あっさりロンドと意見を同じにした小部隊長だったが、さすがに上司の意向に逆らうわけにもいかなかったらしい。
まさしく、苦虫を噛み潰したといった態の顔をしている。
彼の、死霊術師率いるクドラ教徒殲滅の共同作戦から変わらない苦労人っぷりが察せられて、思わずロンドは彼の肩を叩いた。
「お疲れさん」
「労わってくれてありがとう。さあ、早めに解決の糸口を見つけてくれよ」
手を振って見送ってくれた小部隊長と別れ、とりあえず戻ろうと宿に向かった冒険者たちだったが、歩く道すがら、一行の一番後ろで熱心に羊皮紙に何事かを書きつけ始めたシシリーに気付き、ナイトが声を掛けた。
「……さっきから、何を書いてる?」
「ん……情報をまとめていたの」
「ほう」
シシリーより遥かに背の高いナイトが覗き込むと、癖のない読みやすい字で羊皮紙に綴られている内容がよく見えた。
被害者:娼婦。背中から首を一刺し。左腕が切断されて、残っていない。
共通点:背後からの刺し傷。前の被害者との関係は謎。(前の被害者に切断痕はなし)
そこまで目(眼球はないが)を通した時点で、ナイトが気になったことを呟く。
「前の被害者?」
「ええ、そう。私が見かけたある死体と――ウィルバーが聞きつけた事件の被害者」
「――シシリーは、それらと今回の件の関係を疑っているのか?」
「少し、ね……どうにも引っかかるの」
「……詳しく聞きながら、作戦会議といこう。他の者の意見も必要だろう」
リーダーの少女が、それに同意した六日後――。
今度は、物乞いの男が殺された。
さらに三日後、商家の下男が死体で発見される。
物乞いの男は左足を切断され、下男は両腕を切断されていたものの、持ち去られたのは右腕だけだったという。
リューンの善男善女は、時ならぬ殺人鬼の噂に怯えるようになった。
治安隊の小部隊長は、苦渋を滲ませた顔で銀貨二千枚の入った皮袋をテーブルに乗せ、≪狼の隠れ家≫所属の旗を掲げる爪に、他の冒険者への依頼を取りやめ、彼らへ全ての調査を一任することを告げた。
――その日、滅多に立ち入らない盗賊ギルドにアンジェが足を運んだのは、自分たちが調べた情報だけでは埒が明かないと思ったからだったが、そこで思わぬことを耳にする。
「せんばつ?」
どういう意味だ、と考え込んでいるホビットの娘に、盗賊ギルドの構成員は苦笑交じりに字を書いてみせた。
「『剪伐』、な。今話題の殺人鬼様さ。お前が探している奴」
「ふーん、そういう風に書くんだ。それで?知ってるの?」
ありふれた色調の茶色い髪を束ねた男は、肩をひとつ大袈裟に竦めた。
こざっぱりとした印象を相手に与える容貌の構成員は、このギルド内では五指に入る情報通である。
「いんや。俺達も探してる最中だな。動機はしらねぇが、あの殺し方には執念を感じるね」
「パーツを持ち帰ってる所とかが?まあね」
男は左手の人差し指で、二度机を叩いた。
これは払いのいい得意先にだけ示される、”ちょっと重要かもしれない情報”、”注意した方がいい情報”の合図だ。

「お上は『剪伐』を仲間にしたがってる」
「……っ!」
声はあげなかったものの、思わずアンジェは顔をしかめた。
盗賊ギルドが殺人鬼のバックアップに動くようになれば、今までよりさらに情報を得にくくなる。
出来れば、ギルドよりも早く動きたいところだ。
(間に合う、かな……?)
アンジェは情報料の入った小袋を構成員に放り、俊足を生かして≪狼の隠れ家≫へと急いだ。
2017/01/12 12:29 [edit]
category: ダーフィットの日記(合間の手袋の話と年末の冒険者達)
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