Tue.
凍える湖城後の20の命を持つ黒龍その4 
黒幕と思われる最後の悪魔を倒した、一週間後のことである。
サルセカを含む北方の大部分を収めているニージュ公爵から、この地に休養のため留まっている旗を掲げる爪の一行へとある書状が届いた。
領主の館に程近いある地域に、なんと黒い竜が現れたというのである。
ニージュ公爵は自分の騎士団をもってこれに当たらせようとしたが上手くいかず、高名な傭兵を雇い入れたものの、彼は奮闘空しく竜に敗れたという。
やむを得ず今度は強い冒険者を探していたところ、救援要請の出ていたサルセカに、リューンでも有数の高レベル冒険者パーティが滞在していることを知ってこちらへ連絡してきたらしい。

サルセカを含む北方の大部分を収めているニージュ公爵から、この地に休養のため留まっている旗を掲げる爪の一行へとある書状が届いた。
領主の館に程近いある地域に、なんと黒い竜が現れたというのである。
ニージュ公爵は自分の騎士団をもってこれに当たらせようとしたが上手くいかず、高名な傭兵を雇い入れたものの、彼は奮闘空しく竜に敗れたという。
やむを得ず今度は強い冒険者を探していたところ、救援要請の出ていたサルセカに、リューンでも有数の高レベル冒険者パーティが滞在していることを知ってこちらへ連絡してきたらしい。

-- 続きを読む --
道理でサルセカの町長が助けを求めても、なかなか領主からの返事がなかったわけだ。
「それにしても、黒竜ですか……」
「おっちゃん、知ってるの?」
「同じ宿に所属している金狼の牙が、エルリースという都市で暗黒邪竜を倒したことは聞いています。あれはエンシェントドラゴンだったそうですが…」
エンシェントドラゴンは、神や悪魔にも匹敵するという学者も存在する伝説の魔物である。
ニージュ公爵の土地に出現した竜が、それと同じクラスかはまだ不明であるものの、一般的に黒い色の竜は、凶悪な生命力を誇る竜族の中でも、えして気性の荒く強暴でタフな種だとみられている。
そして、個々の黒竜により、何らかの特殊能力を備えている場合もあるという。
「私が魔術師学連にいた頃に報告のあった例では、”存在を消去する”という恐ろしいブレスを吐く黒竜もいたそうですよ」
「何それ、反則じゃん!」
「大きさはどのくらいか、予想できるかしら?」
「竜族の平均全長は30メートル。こないだの湖城で戦った猫型悪魔の10倍です」
「あれの10倍か…それは凄い」
「生きている年齢が高ければ高いほど、ずる賢さも身につける。どのくらい年取った竜か、こちらの書状からは分かりませんね……」
テアは羊皮紙を改めて読み、報酬の辺りでうむむと唸り声を上げた。
「銀貨3000枚…湖城の悪魔退治と同額か。手強いじゃろうの」
「一匹で3000枚だからなあ…けど、勝てないなら逃げ帰っても咎めはしないってさ」
「なんだよ、黒蝙蝠。怖気付いたのかぁ?」
湖城での鏡の敵の戦い以来、どことなく意気消沈とした様子のテーゼンを励ますつもりなのか、ロンドがからかうような声音で挑発する。
そうとなれば元々犬猿の仲である相手のこと、黙っていられなくなるのが性分で…。
「なんだと、白髪男。僕は頭空っぽのお前とは違うんだよ」
「は、よく言う。悪魔が竜を怖がってるなんて、どんな御伽噺でも聞いたことないぜ」
「誰が怖がってるだと!?もういっぺん抜かしてみやがれ、でくの坊!」
「あーもう、2人とも静かにしてちょうだい!」
仲間を諌める為に大声を上げたシシリーは、どうにかこの依頼を請けて貰えないかとこちらの顔色を窺っている町長に目を向けた。
何しろ、自分のところの領主の要請である。
もしもここで断られたら、自分たちのほうにお咎めが来るのではないかと内心冷や汗を掻きっぱなしなのだろう。
さすがに竜が相手ともなると即答できかねて、シシリーはウィルバーにそっと視線を送った。
自分たちで倒せるのか?という質問を込めた目である。
ウィルバーは冷静に自分たちの戦力と、書状で明らかとなっている竜の力とを比べ始めた。
(相手はタフで知られる黒竜……ですが、亡くなった傭兵のおかげで20もあるという命のうち、一つはすでに削られている……恐らく、竜族特有のブレスも再生能力もあるでしょうが……)
何とかなるのではないか、というのがウィルバーの結論であった。
そもそも、黒竜の防御能力が完璧であれば20もの命は持っていないはずである。
異様なまでの蘇生能力があるからこそ、他の黒い色の竜よりも鱗の耐久性は低いのではないか、というのが彼の予測であった。
ただ、予測はあくまで予測でしかない――最終的な結論が下されるのは、いつも実戦の中である。
ウィルバーは全てを話した上で、結論をリーダーの少女へと託した。
そして………。
「うおー、やっぱり聞いていた通りに大きい」
ロンドが上を見上げながら感に堪えぬような声で言った。
彼らの上空には、ニージュ公爵が退治を依頼した黒竜が舞っている。
テアの【愛の手管】を皮切りに、ウィルバーやテーゼンも防御的な魔法を味方に施した。
黒竜は我が物顔で青い空を引き裂くように身をくねらせていたが、やがて自分の真下に妙な気配を漂わせている人間たちを発見すると、その姿が不快だとでも言うように咆哮し、こちらへ向けて急降下してきた。
「来たよ!」
アンジェがそう忠告しながら、腕輪から引き出した鋼糸で妖艶な女の傀儡を作った。
【艶麗の哄笑】でダメージを与える心積もりである。
今回は半ば以上空中戦だろうということが分かっているので、ウィルバーは全員の背へ【飛翼の術】による白い羽を与えていた。
テーゼンにいたっては、これで自前のものと合わせて4枚羽である。
まず竜は、動きの鈍いテアを目掛けて鉤爪を振り上げたのだが、それが下ろされた先には盾を構えたシシリーが滑り込んでいた。
若木のような身体が、必死に≪カイトシールド≫を掲げながら、これまでにない剛力の攻撃を凌ぐ。
腕に途轍もない衝撃が走ったが、どうにかそれを堪えて押し流すと、彼女は返す刀で竜の鼻先へ炎を宿す刀身を叩きつけた。
こちらを吹き飛ばすかのような咆哮が響く。
「アンジェ、いくぞ!」
「任せて!」
槍を振り回し、腕を巻き込んで薙ぎ払ったテーゼンの後ろにいたアンジェが、傀儡を操って哄笑を響かせる。
たちまち魔力を帯びた音波による衝撃が、ずたずたに鱗を引き裂いた。
「!?」
驚いた竜が上空へ一度逃れようと上を向くが、魔法の翼の力を借りたロンドが、竜の頭の遥かに上から体当たりを決行した。
「おらぁああああ!」
「嘘でしょ……ロンド、どれだけ無謀なんです」
「今さら言うても仕方あるまい。しかも、ちゃんとダメージを与えおった」
呆れたように年長組みが首を振るのもしかりで、誰が竜族相手に肉弾戦(しかも格闘)しようというのだろう。
いつブレスが自分に襲い掛かるかもしれないのに、無謀の極みである。
つくづくとんでもない仲間だ、と認識を新たにしつつ、ウィルバーは中空に召喚の陣を描き、非実体をも齧りつくす鼠達を飛ばす。
「負けてはいられませんからね!」
シシリーが腕に受けた衝撃を【至る道】による治療で治しつつ、彼は攻撃を竜の眉間へとぶつけた。
続けざまにテーゼンが連続の突きを同じ箇所に叩き込む――竜は一度目を閉じ、がくりと頭を垂れたものの程なく生気を取り戻した。
「前情報通りだな。蘇生しやがった」
「はてさて、こちらの被害も恐ろしいがの」
再び振り下ろされた竜の鉤爪を盾一枚で受け流すシシリーの身体は、見た限りでは出血こそ派手でないものの、その身に蓄積するダメージは相当のものであるはずだ。
テアは巧みにバイオリンの弓を操り、【安らぎの歌】で仲間たちの――とりわけ仲間を守らんと動いている娘の、体力を回復せしめた。
重傷まで追い込まれた者こそいないものの、やはり竜――手強い相手である。
生半な傷などは全て自前の再生能力で回復し、強烈な鉤爪や牙がこちらを捕らえようと振るわれる。
シシリーも頑張ってはいるものの、片方の爪を受け止めたと思った途端、もう片方の爪が今度はウィルバーの身体を引き裂いた。
「ぐっ……!?」
「ウィルバー!」
「だ、大丈夫ですとも。動揺してはいけません、こんな傷ぐらい……!」
すぐ回復できます、という呟きと共に、彼の内から溢れる命の流れが術者自身の負傷を塞がんと動き始めた。

さる幽霊列車自体を下敷きにした、死霊術の禁呪――その一端を担った魔法の応用である。
(しかし、少々こちらの分が悪い――一撃の重さが、これまでとは桁違いですね)
今しも、相手の牙を避け損ねたアンジェが多量の出血で膝をついたばかりである。
いつもの身体能力を向上させる補助魔法のほかに、魔法の翼の助けもあるというのに、なお黒竜はこちらへ攻撃を当ててくるのだ。
おまけに戦ってみて初めて分かったことだが、この竜のブレスはニ種類あるようで、炎のほかに毒も吐くのである。
幾度か先ほどのように竜が目を塞ぎ、倒れたというように見えることもあったのだが、そのたびに強力な蘇生が働いて起き上がってくる――まるで終わらぬ悪夢だ。
「きりがないわ……」
シシリーはこちらへ迫ってきた右の鉤爪へ、【劫火の牙】による斬撃を叩きつけた。
金色に輝く珠を握った腕がだらりと垂れ下がり、そのまま動く様子がない。
(……蘇生しないの……?)
そのことに気付いたシシリーは、ハッとなって【御使の目】の祈りを唱え、黒き竜を見通した。
案の定、竜の腕は再生能力を備えていても、蘇生する力を持っているわけではない。
「腕よ!腕を先に切り落として!」
突然叫んだリーダーの言葉に、疑問を挟む間もなく反応したのはアンジェとロンドだった。
彼らは頭部に向けていた愛用の武器を、とっさに腕へと狙いを変えて攻撃したのである。
ロンドのスコップは目標から逸れてしまったものの、アンジェは鋼糸による会心の一撃を、竜鱗をものともせずに突き刺した。
固有の蘇生能力――手に握る竜珠の仕掛けを見破られたと知った竜が、鼓膜の破れそうなほどの咆哮を冒険者たちにたたき付ける。
テアとは違う形の音による衝撃波が、旗を掲げる爪の身体を切り裂いた。
「こ……こんなとこで」
シシリーの前に出て庇っていたテーゼンが、重傷に陥りながらも、気合の篭った穂先をスピードに乗せて振り抜く。
「倒れて……たまるかっ!」
彼の槍は見事に竜珠を握った左腕を切り落とした。
それを間近で見届けたロンドが、負けじとスコップを振り上げる。
「こいつで終わりだああああ!」
炎を噴くスコップは黒竜の眉間を断ち割り、竜の最後の命を奪った。
どうと土煙を上げて倒れた竜の姿に、遠くから冒険者たちの戦いを眺めていた見届け役の騎士たちから歓声が上がる。
「あ、あ、あ、危なかった~!」
がっくりと膝をついて無事を喜んでいるアンジェの傍らで、ついに出血多量に耐え切れず気絶したテーゼンの身体へ、自身も決して軽くない怪我を負っているシシリーが治療の為にじり寄る。
未だに自分の体内に留まっている死霊術による命の流れを利用して、ウィルバーはテアやアンジェの傷をちょっとずつ塞いだ。
やがて見届け役がこちらへ駆けつけてくるであろうことを期待し、ロンドはどっかりとその場に大の字になって寝転がった。
その体勢のまま、反省を口にする。
「やっぱり竜は強いよな。もっと精進しないとダメだ」
「兄ちゃん、まさか……。この後も、また竜と戦うつもりでいるの?」
人の悪い笑みを浮かべたロンドは、妹分の質問にあえて何も答えようとはしなかった。
※収入:報酬3000sp+3000sp、【緑目の怪物】≪解毒剤≫≪薬草≫≪ブルーレディ≫×3≪フロウズンレイク≫×2≪傷薬≫×12≪聖水≫×2≪カレー≫×2≪魔力の実≫×26≪氷の魔石≫×20≪氷の結晶石≫×8≪魔界の桜餅≫入手。≪氷の魔石≫×20を≪からかぜグローブ≫と交換し、残り素材を換金して2260sp入手。
※支出:手品師と黒猫の館(島兎様作)にて【最後の審判】、青のハイドランジア(Z3様作)にて【神薙ぎ】、Welcome to Adroad!!(AACWProject様作)にて【漂う糸】、見習いの研究室(罪深い赤薔薇の人様作)にて≪ビキニアーマー≫【影のパレード】、城砦都市キーレ(ブイヨンスウプ様作)にて【愚鈍の霧】を購入。【愚鈍の霧】は風渡り(焼きフォウの人様)にて256色カードに交換。とりまの問屋(鳥羽亭様作)にて≪姫桜の扇子≫、深緑都市ロスウェル(周摩様作)にて≪抗魔の外套≫、桜の下の幻(青闇様作)にて≪桜雨のリング≫を購入。
※梨野様作、凍える湖城&作者名様不詳、20の命を持つ黒龍クリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
記念すべき50回目のお仕事は、梨野様の凍える湖城と、20コンテンツシナリオから作者名様の分からない20の命を持つ黒龍です。
例によって、龍と戦える20コンテンツは面白いけど単独じゃ短いな…と思ったため、街シナリオは現パーティでリプレイ書いてないのですが、例外的に前回の依頼をベースに違う都市へ出かけた先のお仕事として書かせていただきました。
そのため、この二つのシナリオはクロスオーバーなさっていませんが、湖城の街を黒龍被害に遭った公爵の領地として書かせていただいております。
シナリオ内のセリフをなるべく生かしたつもりですが、話の流れ上、どうしてもオリジナルで書く部分が多かったかなと思います。
梨野様、黒龍シナリオの作者様、ご不快でしたら申し訳ございません。
以前にやったIn the mirror(つちくれ様作)が凍える湖城に影響を受けた作品で面白かったのですが、やはりこちらもこちらで楽しいですね。
パーティに巻き起こるイベントや雑談の妙が、何度やっても飽きないです。
実はまだ酒場での持ち上げイベントやかまくら合戦が終わってない(おまけに犬ぞりまだ優勝したことない)ので、その内に再挑戦してあげたいなと思います。
それはそれとして…なんだかパーティ内に恋の予感っぽい何かが漂ってますが、これは何となく筆が滑ったって言うか…。
前回の仕事であれやこれや働いてたテーゼンが妙な反応をしてたので、「もしかしたらこれって」と思った私が片思いクーポンをつけて凍える湖城をテストプレイしてみたら、ものすごくしっくりきたのでやらせるしかないと。
前パーティの公認カップルでさえロクにラブシーン書かなかったし、高レベルまできて今さら書く羽目になるのはどうかと思うのですが、どちらにしろハッピーエンドにはならない2人です。
これって成就させていいのかなー。今のところ、成就させちゃったら信仰を捨てる(スキル全部廃棄)か、悪魔辞めるか(死亡?)しか道がない。
不毛すぎてやる気出ない…。
黒い色の竜族に関する情報は、敵意の雨(JJ様作)や黒い竜の殺し方(norigin様作)からちょっと設定をお借りした結果、ああいうことになりました。
後者とか対象消去のブレス吐くので、本気で死ねます。特殊能力怖い。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
「それにしても、黒竜ですか……」
「おっちゃん、知ってるの?」
「同じ宿に所属している金狼の牙が、エルリースという都市で暗黒邪竜を倒したことは聞いています。あれはエンシェントドラゴンだったそうですが…」
エンシェントドラゴンは、神や悪魔にも匹敵するという学者も存在する伝説の魔物である。
ニージュ公爵の土地に出現した竜が、それと同じクラスかはまだ不明であるものの、一般的に黒い色の竜は、凶悪な生命力を誇る竜族の中でも、えして気性の荒く強暴でタフな種だとみられている。
そして、個々の黒竜により、何らかの特殊能力を備えている場合もあるという。
「私が魔術師学連にいた頃に報告のあった例では、”存在を消去する”という恐ろしいブレスを吐く黒竜もいたそうですよ」
「何それ、反則じゃん!」
「大きさはどのくらいか、予想できるかしら?」
「竜族の平均全長は30メートル。こないだの湖城で戦った猫型悪魔の10倍です」
「あれの10倍か…それは凄い」
「生きている年齢が高ければ高いほど、ずる賢さも身につける。どのくらい年取った竜か、こちらの書状からは分かりませんね……」
テアは羊皮紙を改めて読み、報酬の辺りでうむむと唸り声を上げた。
「銀貨3000枚…湖城の悪魔退治と同額か。手強いじゃろうの」
「一匹で3000枚だからなあ…けど、勝てないなら逃げ帰っても咎めはしないってさ」
「なんだよ、黒蝙蝠。怖気付いたのかぁ?」
湖城での鏡の敵の戦い以来、どことなく意気消沈とした様子のテーゼンを励ますつもりなのか、ロンドがからかうような声音で挑発する。
そうとなれば元々犬猿の仲である相手のこと、黙っていられなくなるのが性分で…。
「なんだと、白髪男。僕は頭空っぽのお前とは違うんだよ」
「は、よく言う。悪魔が竜を怖がってるなんて、どんな御伽噺でも聞いたことないぜ」
「誰が怖がってるだと!?もういっぺん抜かしてみやがれ、でくの坊!」
「あーもう、2人とも静かにしてちょうだい!」
仲間を諌める為に大声を上げたシシリーは、どうにかこの依頼を請けて貰えないかとこちらの顔色を窺っている町長に目を向けた。
何しろ、自分のところの領主の要請である。
もしもここで断られたら、自分たちのほうにお咎めが来るのではないかと内心冷や汗を掻きっぱなしなのだろう。
さすがに竜が相手ともなると即答できかねて、シシリーはウィルバーにそっと視線を送った。
自分たちで倒せるのか?という質問を込めた目である。
ウィルバーは冷静に自分たちの戦力と、書状で明らかとなっている竜の力とを比べ始めた。
(相手はタフで知られる黒竜……ですが、亡くなった傭兵のおかげで20もあるという命のうち、一つはすでに削られている……恐らく、竜族特有のブレスも再生能力もあるでしょうが……)
何とかなるのではないか、というのがウィルバーの結論であった。
そもそも、黒竜の防御能力が完璧であれば20もの命は持っていないはずである。
異様なまでの蘇生能力があるからこそ、他の黒い色の竜よりも鱗の耐久性は低いのではないか、というのが彼の予測であった。
ただ、予測はあくまで予測でしかない――最終的な結論が下されるのは、いつも実戦の中である。
ウィルバーは全てを話した上で、結論をリーダーの少女へと託した。
そして………。
「うおー、やっぱり聞いていた通りに大きい」
ロンドが上を見上げながら感に堪えぬような声で言った。
彼らの上空には、ニージュ公爵が退治を依頼した黒竜が舞っている。
テアの【愛の手管】を皮切りに、ウィルバーやテーゼンも防御的な魔法を味方に施した。
黒竜は我が物顔で青い空を引き裂くように身をくねらせていたが、やがて自分の真下に妙な気配を漂わせている人間たちを発見すると、その姿が不快だとでも言うように咆哮し、こちらへ向けて急降下してきた。
「来たよ!」
アンジェがそう忠告しながら、腕輪から引き出した鋼糸で妖艶な女の傀儡を作った。
【艶麗の哄笑】でダメージを与える心積もりである。
今回は半ば以上空中戦だろうということが分かっているので、ウィルバーは全員の背へ【飛翼の術】による白い羽を与えていた。
テーゼンにいたっては、これで自前のものと合わせて4枚羽である。
まず竜は、動きの鈍いテアを目掛けて鉤爪を振り上げたのだが、それが下ろされた先には盾を構えたシシリーが滑り込んでいた。
若木のような身体が、必死に≪カイトシールド≫を掲げながら、これまでにない剛力の攻撃を凌ぐ。
腕に途轍もない衝撃が走ったが、どうにかそれを堪えて押し流すと、彼女は返す刀で竜の鼻先へ炎を宿す刀身を叩きつけた。
こちらを吹き飛ばすかのような咆哮が響く。
「アンジェ、いくぞ!」
「任せて!」
槍を振り回し、腕を巻き込んで薙ぎ払ったテーゼンの後ろにいたアンジェが、傀儡を操って哄笑を響かせる。
たちまち魔力を帯びた音波による衝撃が、ずたずたに鱗を引き裂いた。
「!?」
驚いた竜が上空へ一度逃れようと上を向くが、魔法の翼の力を借りたロンドが、竜の頭の遥かに上から体当たりを決行した。
「おらぁああああ!」
「嘘でしょ……ロンド、どれだけ無謀なんです」
「今さら言うても仕方あるまい。しかも、ちゃんとダメージを与えおった」
呆れたように年長組みが首を振るのもしかりで、誰が竜族相手に肉弾戦(しかも格闘)しようというのだろう。
いつブレスが自分に襲い掛かるかもしれないのに、無謀の極みである。
つくづくとんでもない仲間だ、と認識を新たにしつつ、ウィルバーは中空に召喚の陣を描き、非実体をも齧りつくす鼠達を飛ばす。
「負けてはいられませんからね!」
シシリーが腕に受けた衝撃を【至る道】による治療で治しつつ、彼は攻撃を竜の眉間へとぶつけた。
続けざまにテーゼンが連続の突きを同じ箇所に叩き込む――竜は一度目を閉じ、がくりと頭を垂れたものの程なく生気を取り戻した。
「前情報通りだな。蘇生しやがった」
「はてさて、こちらの被害も恐ろしいがの」
再び振り下ろされた竜の鉤爪を盾一枚で受け流すシシリーの身体は、見た限りでは出血こそ派手でないものの、その身に蓄積するダメージは相当のものであるはずだ。
テアは巧みにバイオリンの弓を操り、【安らぎの歌】で仲間たちの――とりわけ仲間を守らんと動いている娘の、体力を回復せしめた。
重傷まで追い込まれた者こそいないものの、やはり竜――手強い相手である。
生半な傷などは全て自前の再生能力で回復し、強烈な鉤爪や牙がこちらを捕らえようと振るわれる。
シシリーも頑張ってはいるものの、片方の爪を受け止めたと思った途端、もう片方の爪が今度はウィルバーの身体を引き裂いた。
「ぐっ……!?」
「ウィルバー!」
「だ、大丈夫ですとも。動揺してはいけません、こんな傷ぐらい……!」
すぐ回復できます、という呟きと共に、彼の内から溢れる命の流れが術者自身の負傷を塞がんと動き始めた。

さる幽霊列車自体を下敷きにした、死霊術の禁呪――その一端を担った魔法の応用である。
(しかし、少々こちらの分が悪い――一撃の重さが、これまでとは桁違いですね)
今しも、相手の牙を避け損ねたアンジェが多量の出血で膝をついたばかりである。
いつもの身体能力を向上させる補助魔法のほかに、魔法の翼の助けもあるというのに、なお黒竜はこちらへ攻撃を当ててくるのだ。
おまけに戦ってみて初めて分かったことだが、この竜のブレスはニ種類あるようで、炎のほかに毒も吐くのである。
幾度か先ほどのように竜が目を塞ぎ、倒れたというように見えることもあったのだが、そのたびに強力な蘇生が働いて起き上がってくる――まるで終わらぬ悪夢だ。
「きりがないわ……」
シシリーはこちらへ迫ってきた右の鉤爪へ、【劫火の牙】による斬撃を叩きつけた。
金色に輝く珠を握った腕がだらりと垂れ下がり、そのまま動く様子がない。
(……蘇生しないの……?)
そのことに気付いたシシリーは、ハッとなって【御使の目】の祈りを唱え、黒き竜を見通した。
案の定、竜の腕は再生能力を備えていても、蘇生する力を持っているわけではない。
「腕よ!腕を先に切り落として!」
突然叫んだリーダーの言葉に、疑問を挟む間もなく反応したのはアンジェとロンドだった。
彼らは頭部に向けていた愛用の武器を、とっさに腕へと狙いを変えて攻撃したのである。
ロンドのスコップは目標から逸れてしまったものの、アンジェは鋼糸による会心の一撃を、竜鱗をものともせずに突き刺した。
固有の蘇生能力――手に握る竜珠の仕掛けを見破られたと知った竜が、鼓膜の破れそうなほどの咆哮を冒険者たちにたたき付ける。
テアとは違う形の音による衝撃波が、旗を掲げる爪の身体を切り裂いた。
「こ……こんなとこで」
シシリーの前に出て庇っていたテーゼンが、重傷に陥りながらも、気合の篭った穂先をスピードに乗せて振り抜く。
「倒れて……たまるかっ!」
彼の槍は見事に竜珠を握った左腕を切り落とした。
それを間近で見届けたロンドが、負けじとスコップを振り上げる。
「こいつで終わりだああああ!」
炎を噴くスコップは黒竜の眉間を断ち割り、竜の最後の命を奪った。
どうと土煙を上げて倒れた竜の姿に、遠くから冒険者たちの戦いを眺めていた見届け役の騎士たちから歓声が上がる。
「あ、あ、あ、危なかった~!」
がっくりと膝をついて無事を喜んでいるアンジェの傍らで、ついに出血多量に耐え切れず気絶したテーゼンの身体へ、自身も決して軽くない怪我を負っているシシリーが治療の為にじり寄る。
未だに自分の体内に留まっている死霊術による命の流れを利用して、ウィルバーはテアやアンジェの傷をちょっとずつ塞いだ。
やがて見届け役がこちらへ駆けつけてくるであろうことを期待し、ロンドはどっかりとその場に大の字になって寝転がった。
その体勢のまま、反省を口にする。
「やっぱり竜は強いよな。もっと精進しないとダメだ」
「兄ちゃん、まさか……。この後も、また竜と戦うつもりでいるの?」
人の悪い笑みを浮かべたロンドは、妹分の質問にあえて何も答えようとはしなかった。
※収入:報酬3000sp+3000sp、【緑目の怪物】≪解毒剤≫≪薬草≫≪ブルーレディ≫×3≪フロウズンレイク≫×2≪傷薬≫×12≪聖水≫×2≪カレー≫×2≪魔力の実≫×26≪氷の魔石≫×20≪氷の結晶石≫×8≪魔界の桜餅≫入手。≪氷の魔石≫×20を≪からかぜグローブ≫と交換し、残り素材を換金して2260sp入手。
※支出:手品師と黒猫の館(島兎様作)にて【最後の審判】、青のハイドランジア(Z3様作)にて【神薙ぎ】、Welcome to Adroad!!(AACWProject様作)にて【漂う糸】、見習いの研究室(罪深い赤薔薇の人様作)にて≪ビキニアーマー≫【影のパレード】、城砦都市キーレ(ブイヨンスウプ様作)にて【愚鈍の霧】を購入。【愚鈍の霧】は風渡り(焼きフォウの人様)にて256色カードに交換。とりまの問屋(鳥羽亭様作)にて≪姫桜の扇子≫、深緑都市ロスウェル(周摩様作)にて≪抗魔の外套≫、桜の下の幻(青闇様作)にて≪桜雨のリング≫を購入。
※梨野様作、凍える湖城&作者名様不詳、20の命を持つ黒龍クリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
記念すべき50回目のお仕事は、梨野様の凍える湖城と、20コンテンツシナリオから作者名様の分からない20の命を持つ黒龍です。
例によって、龍と戦える20コンテンツは面白いけど単独じゃ短いな…と思ったため、街シナリオは現パーティでリプレイ書いてないのですが、例外的に前回の依頼をベースに違う都市へ出かけた先のお仕事として書かせていただきました。
そのため、この二つのシナリオはクロスオーバーなさっていませんが、湖城の街を黒龍被害に遭った公爵の領地として書かせていただいております。
シナリオ内のセリフをなるべく生かしたつもりですが、話の流れ上、どうしてもオリジナルで書く部分が多かったかなと思います。
梨野様、黒龍シナリオの作者様、ご不快でしたら申し訳ございません。
以前にやったIn the mirror(つちくれ様作)が凍える湖城に影響を受けた作品で面白かったのですが、やはりこちらもこちらで楽しいですね。
パーティに巻き起こるイベントや雑談の妙が、何度やっても飽きないです。
実はまだ酒場での持ち上げイベントやかまくら合戦が終わってない(おまけに犬ぞりまだ優勝したことない)ので、その内に再挑戦してあげたいなと思います。
それはそれとして…なんだかパーティ内に恋の予感っぽい何かが漂ってますが、これは何となく筆が滑ったって言うか…。
前回の仕事であれやこれや働いてたテーゼンが妙な反応をしてたので、「もしかしたらこれって」と思った私が片思いクーポンをつけて凍える湖城をテストプレイしてみたら、ものすごくしっくりきたのでやらせるしかないと。
前パーティの公認カップルでさえロクにラブシーン書かなかったし、高レベルまできて今さら書く羽目になるのはどうかと思うのですが、どちらにしろハッピーエンドにはならない2人です。
これって成就させていいのかなー。今のところ、成就させちゃったら信仰を捨てる(スキル全部廃棄)か、悪魔辞めるか(死亡?)しか道がない。
不毛すぎてやる気出ない…。
黒い色の竜族に関する情報は、敵意の雨(JJ様作)や黒い竜の殺し方(norigin様作)からちょっと設定をお借りした結果、ああいうことになりました。
後者とか対象消去のブレス吐くので、本気で死ねます。特殊能力怖い。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/05/31 11:59 [edit]
category: 凍える湖城後の20の命を持つ黒龍
tb: -- cm: 0
Tue.
凍える湖城後の20の命を持つ黒龍その3 
何度目かの――今日はすでに五日目に突入してる――こと、街の住民をまたもや送り届け城に戻る道すがら、テアが首を傾げる。
「しかし、人に戻る魔物と、そのまま溶けて消える魔物の違いはなんじゃろうの?」
「まさか……時間切れ、とか?」
言っていて自分で蒼くなったシシリーだったが、テーゼンが優しくその肩を叩いて落ち着かせた。
「いや、人が変化した魔物はごく一部で、残りはそのコピーか何かだと思うぜ。あれだけの数を近隣からみんな攫ってきたなら、さすがに国が対処に動くだろうよ」
「なるほど、コピーね……でも、なんでそんなことするのかしら?」
「さてね。他の悪魔の思惑までは、分からねぇよ。中には自分の狂った規範で動く奴もいるから、あまりまともに考えない方がいい」
第一、聞いたところで答えはしないだろうとテーゼンは心中で呟いた。
「しかし、人に戻る魔物と、そのまま溶けて消える魔物の違いはなんじゃろうの?」
「まさか……時間切れ、とか?」
言っていて自分で蒼くなったシシリーだったが、テーゼンが優しくその肩を叩いて落ち着かせた。
「いや、人が変化した魔物はごく一部で、残りはそのコピーか何かだと思うぜ。あれだけの数を近隣からみんな攫ってきたなら、さすがに国が対処に動くだろうよ」
「なるほど、コピーね……でも、なんでそんなことするのかしら?」
「さてね。他の悪魔の思惑までは、分からねぇよ。中には自分の狂った規範で動く奴もいるから、あまりまともに考えない方がいい」
第一、聞いたところで答えはしないだろうとテーゼンは心中で呟いた。
-- 続きを読む --
湖城に巣食う悪魔たちは低級ではないものの、黒幕の使い魔に過ぎないことを彼は見極めていた。
まだ姿を見せていない黒幕――恐らくは、湖城にいた召喚師に支配されたことを未だに恨んでいるのであろう悪魔は、冒険者たちのこのたびの動きを非常に警戒している。
悪魔エリゴス・悪魔キュルソンを破り、今また悪魔バティンをも退治した彼らは、城の奥から吹いてくる冷たい風に身を縮こませた。

「指先がかじかむ…。これ、長時間の探査は辛いなぁ。睫毛まで凍りそう」
「ううん、気のせいでしょうか。大吹雪の日は、城の中もいつもより寒い気がします」
「氷で造られたかのような状態じゃから、外気温につられてどんどん室温を下げておるのかもな」
老婆のセリフに、ぶるりとアンジェが身を震わせた。
「何かで気を紛らわそう。えーと古今東西、今したいこと!」
「暖炉にあたる」
すっぱりと一番皆が望んでいることを言って、古今東西をあっさり終わらせたのはシシリーである。
聖北教会修道士として、今までそれなりに厳しい修行もこなしてきたはずの彼女なのだが、この寒さにはさすがにお手上げらしい。
すっぽりと自分の翼をコートのようにして体を覆っているテーゼンを見て、羨ましそうにしている。
「いいなあ、温かそう…」
「はっ、え、ああ、これ?」
黒い翼をゆっくりと動かして、テーゼンがもごもごと口を動かしていたものの、素早く2回瞬きしてからシシリーを羽で覆った。
「わっ」
「あ、えーと、ちっとは温けえかと…どうだ?」
「わー、本当に温かい。羽って飛ぶだけじゃなく凄いのね」
チリリ、と彼のうなじに鳥肌が立つ。
翼で触れる若木のような肢体から伝わる体温が、テーゼンの鼓動を不自然なほど早めた。
金髪から柔く香る匂いはいつもと同じなのに、非常に好ましくて、思わず顔を近づけたくなる。
これで第三者がいなければ、立派に男が女を口説くシーンに移行するのだろうが――彼らは、パーティとして来ている立派な冒険者一行なのである。
だから横槍が入るのも当然のことだった。
「いいなあ、姉ちゃん。ねえ、羽の兄ちゃん、あたしもモフモフさせてよ!」
2人の様子を眺めていたアンジェが、不意にそんな抗議をし始める。
夢心地だったテーゼンが一気に現実へ引き戻され、ぎょっとした表情になった。
「……な、何だって?」
「いいじゃん、姉ちゃんばっかりずるい!あたしも抱っこ!」
「!?い、いやだ!なんか嫌だ!!」
「そんなこと言わないでよ!絶対優しくするから!ちょこっとだけ! ね! ね!」
「わーっ、止めろ!」
テーゼンは好ましい身体から泣く泣く己を引き剥がして、すばしこいホビットから逃げ始めた。
ウィルバーは半笑いの顔のまま、テアに問いかける。
「……あの邪魔は無自覚ですか?」
「多分のう」
置いてけぼりにされたシシリーが目を瞠って悪魔とホビットの追いかけっこを眺めていると、ロンドが無言で自分のマフラーを双子のような存在の少女へ巻いた。
「……ありがとう」
「皆、お前がリーダー頑張ってるの知ってるからな。労わりたいんだよ。…宿屋で作ったカレーは失敗したけど」
「ああ、あれ……私、何か悪いことしたのかと思っちゃった」
シシリーの脳裏に、黒とも紫ともつかない謎の光沢を放つ物体が過ぎった。
あの物体を『カレー』として出された瞬間、何か含むものでもあったのかと顔色を変えてしまったものである。
さすがにこれを食べさせるのは気の毒だと、こっそりテアがちゃんとしたカレーを作っておいてくれなかったら、シシリーは胃薬を片手にそれを食べる羽目になっていただろう。
そんな事を思いながら異種族2人組を見守っていると、ある床を踏み抜いたテーゼンの足元が、がたんと沈んだ。
とっさに飛び退り、罠を警戒した一行だったが……。
「……あ、これってもしかして……」
何かに思い当たったアンジェが、氷に覆われている調度品の中から、一際美しく大きな彫像の台座にしゃがみ込んで何やら覗き込んでいる。
「やっぱり。兄ちゃん、羽の兄ちゃん、この彫像動かして!さっきの床、多分これのストッパーだったんだよ。もしかしたら、これが最後の悪魔の部屋に通じてるのかも」
「街の人が言ってた、『空を飛ぶ猫』みたいな奴か」
「どれ、そうと分かれば……」
ロンドとテーゼンは、力を合わせて彫像を横へとスライドさせた。
台座の下に隠されていた下り階段からは、今までの冷風など比べ物にならないほど強い寒気が吹き上がり、覗き込んできた冒険者たちの顔の皮膚をちくちくと刺してくる。
シシリーがきゅっとマフラーをかき寄せるようにして言った。
「いるわね…」
「間違いなく、ですね。隊列を作っていきましょう」
罠を用心してアンジェとテーゼンが、すぐ飛びだせる位置にシシリーとロンドが続き、テアとウィルバーが殿につく。
シシリーがベルトポーチから解放してあるランプさんと賢いフォウのスピカが、ひらりひらりとアンジェの頭上の少し前を照らすように舞い上がった。
気を抜くとすぐ滑ってしまいそうになる階段を、互いに支えあい、気をつけながら下りる。
「おっとっと…」
「ひっ。ちょっと、テア大丈夫なの?見てるだけでも怖い」
「そうは言ってものう。さすがにボスクラスが待ち構えてる時に、わしを背負ってくれとは言えんじゃろう?」
「手をお貸しするのは構わないのですが…。この足元では、私の方が転びそうで、っと!」
「あぶねっ。ウィルバーさん、転んで頭打たないようにしてくれよ」
「……皆、苦労してるね」
「いいから僕らも前向こうぜ。多分、あと少しだ」
黒い翼に突き刺さる冷気が、いっそうその厳しさを増したのに気付いて彼は眼を細めた。
湖城の街サセルカに襲い掛かった悪魔は、目撃証言では4種。
そのうち3種まではすでに撃退している旗を掲げる爪だったが、最後の『空を飛ぶ猫』とは……どのような相手なのか疑問だった彼らの目の前に、骨でできたような異様な翼が広がっていた。
「でかい……」
感歎しているかのようなロンドの声音だったが、その目は強い敵を前にした興奮に輝いている。
彼らが今、氷柱のぶら下がる闘技場のような場所で見下ろしているのは、体長3メートルはあろうかという猫科の生き物だった。
黄金色に近い金茶の毛皮に微かに見受けられる斑点を見ると、まるで豹のようにも思われたが、その前足に生えている鋭い鉤爪がそれを否定している。
何より、力感溢れる生き物の背から生えた、血のところどころこびり付いて黒ずんでいる骨の翼。
「氷の属性を持った魔族だな。あんまり長くはヤツと戦えねぇぞ…人間の身体がもたねえ」
テーゼンの指摘通り、脅威の悪魔は白々とした牙の見える口から吹雪のような息を吐き出していた。
シシリーがゆっくりと神への祈りを捧げる。
『天に座する我が主よ、かの魔族の正確な姿を我が目に映したまえ…!』
【御使の目】を発動させたシシリーは、人にあらざる視覚により、フルーレティと呼ばれる猫の形の悪魔が強力な魔法を使いこなす存在であり、炎の力に弱いことを見通した。
「必要なのは火だわ。行くわよ、ロンド!」
「おう、任せろ!」
飛び出した2人につられるように、アンジェとテーゼンも別のルートから悪魔へと近づいていく。
死角になるような位置に陣取ったテアが、バイオリンの弓を走らせた。
「氷に属するというのなら…これなら、どうです!?」
ウィルバーの握る≪海の呼び声≫の宝玉から溢れた光が、空中に召喚の陣を描き出す。
そこから飛び出した毒を持つ鼠の群れが、フルーレティの凍れる吐息を引き裂くようにして、真っ直ぐその巨体へ襲い掛かった。
「ギャアァアアア!?」
金茶色の大きな体躯が、思わぬ苦悶にのた打ち回る。
鼠に襲われる猫の身体に、今度は炎を纏ったスコップが振り下ろされた。
「グオオオォォオン!」
苦鳴を上げながらも、敵はこのまま倒れるものかと仲間を呼ぶため咆哮した。
ぐちゃり、ぐちゃりと天井から滴った泥濘がわだかまり、この数日で冒険者たちが見慣れた魔物たちが次々と姿を現す。
「そうは……させないんだから!」
アンジェが操る繭糸傀儡が妖艶な女性の横顔を作り出し、魔力を含んだ哄笑を発生させる。
たちまち、フルーレティを守らんと生まれたはずの魔物たちが、その攻撃によってダメージと混乱を食らった。
続けて祈りを宿した剣をかざした剣舞を披露したシシリーの後退した背後で、テアの演奏が死の砂漠に吹き荒れる熱風を生み出し、敵対する者たちを薙ぎ倒す。
――一度弱点を心得てしまえば、すでにフルーレティは冒険者たちにとっての敵ではなかった。
「ふう……」
シシリーは≪Beginning≫の刀身についた血を振り落とし、布の端切れで丁寧に拭った。
「姉ちゃんのおかげで、あまり苦戦せずに済んだね」
「しかし、この部屋はなんだろうな。まるでリューンの闘技場みたいだ」
ロンドはまるで子ども(まあ半分は子どもだが)のように辺りを興味深そうに見回していたが、その視点があるところでピタリと止まった。
そして、何も言わずにガタガタ震えだす。
室温とは関係なしに、血の気がその顔から失せていた。
「どうしたんじゃ、ロンド?」
怪訝そうに声をかけた老婆は、彼の視線の先にある物体に気付いた。
鏡、だ。
金の意匠を凝らした枠を持つ、美しい鏡。
それが部屋の隅に置かれていた。
「…なるほど、おぬしにとっては全くありがたくないアイテムじゃの」
「なんだ、あの鏡……妙な気配がするぜ」
テーゼンは仲間達を後ろに下がらせると、用心しいしい忍び足をしながら鏡へ近寄った。
一見したところ、何の変哲もない鏡のようである。
だが、黒く輝く双眸が見つめるうち、その鏡面が微かにミルク色を帯びてきた。
ハッとなって≪ダリの愛槍≫を構えたテーゼンの前で、鏡面に映っているテーゼンがニヤリと悪魔に相応しい笑いを浮かべて……。

「……!あ、あれは僕……!?」
魔界の所属していた軍の中で、小突かれ、打たれ、斥候という名の捨て駒にされるはずだった小さな悪魔。
主の失脚により思いがけず自由になり、唯一の居場所であった森の中で年月を忘れる日々を送っていたのに、やがてその安住の地でさえ、魔王の勢力争いのいざこざで炎に包まれていく……。
「止めろ、僕からそこを奪うな!」
「テーゼン、おぬしどうしたんじゃ!?」
鏡に向かって必死で叫び始めた青年を、テアは後ろから腕を掴んで正気に戻そうとする。
だが、恐慌状態と化した彼の瞳は、全く仲間を認識しようとしなかった。
進み出たシシリーが、
「どいて、テア!」
と叫び、法力を神に捧げて祈る。
『我が主よ、天に座す偉大なる方よ。汝の名を讃える使徒に、さらなる勇気を生み出す力を…!』
聖句と共に、淡く輝く掌を翼の生えた背中に当て、彼の精神状態を法力で無理やり正常に戻す。
「……あ?」
「テーゼン、鏡から離れて!」
長剣をぶれもせずに振るい続ける力に任せて、ぐいと彼をその場から引き離す。
すると、鏡が白い光を放ち――そこからまろび出た人影が、ゆらりと立ち上がった。
「いつまで鏡と見つめ合ってるつもりなの?敵の襲撃よ」
「あ、ああ…悪い。ちょっとトんでた…」
未だに鏡の中に見たトラウマの光景に驚いていたテーゼンが、びくりと敵に顔を強張らせた。
彼の――テーゼンの視界に映るそれは、間違いなくテーゼンの美貌を備えていた。
だというのに、ロンドの鏡の事件で味方の偽者に過敏な反応をするはずの仲間たちが、一向にそれに反応する様子がない。
「な、何で……あれは、僕じゃないか?」
「……おぬし、本当に大丈夫か?いくらなんでも、おぬしとアレを見間違いようはないぞ」
「あたし、冒険で鏡見たら、まず戦えって経験則になっちゃいそう」
「俺はすでになっている」
妙に目の据わった様子のアンジェとロンドが、それぞれ愛用の武器を構える。
落ち着いた挙措でウィルバーやシシリーも戦闘態勢を整えたので、テーゼンもつられるように槍を構えはしたものの、その心から動揺は消えなかった。
(まさか…こいつらには見えていない!?一体どうなっている…!?)
テーゼンの美貌を備えているはずのそれは、特に強い魔法や技を操ったわけではなかった。
だが、今まで倒した使い魔たちと同じ能力を持つ、泥濘から生まれた魔物たちが現れ、シシリーやウィルバー目掛けて、一際強い寒さによる束縛や、格闘による打撃の麻痺などが放たれる。
主人であるシシリーが動けなくなったために、狼狽したスピカがチィチィと鳴声を上げつつ上空を舞った。
「くっそ、僕が動くのが遅かったせいだ……!」
仲間たちに魔法へ抗する力を付与しつつ、テーゼンが槍に気合を込める。
アンジェは≪早足の靴≫の助けにより壁を走り天井へ跳び上がるなどして、キュルソンの拳を紙一重でかわし続けた。
僅かに避け損ねた拳が、危うくホビットの耳を掠める。
「あぶなっ。おばあちゃん、お願い早く…!」
「そう年寄りを急かすでないよ」
テアの演奏による【安らぎの歌】が、辛うじて冒険者たちの身体にできた傷を塞いでくれたが、完治には程遠い。
ロンドがスコップ片手に一人で奮闘してはいるものの、彼の大柄な身体にも魔法によるダメージが蓄積し始めていた。
ぐい、と鏡のテーゼンが腕を地面と平行に伸ばすと、それが餅のように伸長してぐるりとシシリーの肢体を締め付ける。
激昂した本物のテーゼンが斬りつけるも、腕が離れる様子はない。
「テメェ…!」
素早く渦を描くように回転したテーゼンの身体から、穂先がまるで流星の如く幾度も突き出され、風どころか空気を巻き込むように偽者を穿つ。
多少の傷は使い魔の魔法で癒していた偽者だったが、その使い魔ですら呪文を使う暇もないほどの傷が無数に刻まれていった。
とどめの槍が貫くと、鏡から生まれたはずのその姿が宙に溶けるように消え去り、金の枠にはめ込まれた鏡にいつの間にか亀裂が走っている。
「こいつが本体だったのか……!」
呻くように言った悪魔の青年の眼前で、亀裂はすでに修復不可能ほどに鏡面を覆い尽くし――やがて、儚い音を響かせて割れ落ちていった。
鏡にいい思い出のないロンドが、首筋の冷や汗を拭って息をつく。

「はあ…もう動かないな?なんだか妙に疲れる相手だった…」
「…………」
「本当にどうしたんだ、黒蝙蝠?さっきから、俺以上に様子がおかしいけど」
「いや何でもない。……何でもねーんだ」
テーゼンは震えている己の利き手を、もう片方の手で押さえた。
もうこれ以上、おかしな鏡に苦しめられる事はない。
彼は先ほどの鏡が最後の湖城の悪魔だったのだろうと説明すると、仲間達を促してサルセカへ戻ろうと告げた。
まだ姿を見せていない黒幕――恐らくは、湖城にいた召喚師に支配されたことを未だに恨んでいるのであろう悪魔は、冒険者たちのこのたびの動きを非常に警戒している。
悪魔エリゴス・悪魔キュルソンを破り、今また悪魔バティンをも退治した彼らは、城の奥から吹いてくる冷たい風に身を縮こませた。

「指先がかじかむ…。これ、長時間の探査は辛いなぁ。睫毛まで凍りそう」
「ううん、気のせいでしょうか。大吹雪の日は、城の中もいつもより寒い気がします」
「氷で造られたかのような状態じゃから、外気温につられてどんどん室温を下げておるのかもな」
老婆のセリフに、ぶるりとアンジェが身を震わせた。
「何かで気を紛らわそう。えーと古今東西、今したいこと!」
「暖炉にあたる」
すっぱりと一番皆が望んでいることを言って、古今東西をあっさり終わらせたのはシシリーである。
聖北教会修道士として、今までそれなりに厳しい修行もこなしてきたはずの彼女なのだが、この寒さにはさすがにお手上げらしい。
すっぽりと自分の翼をコートのようにして体を覆っているテーゼンを見て、羨ましそうにしている。
「いいなあ、温かそう…」
「はっ、え、ああ、これ?」
黒い翼をゆっくりと動かして、テーゼンがもごもごと口を動かしていたものの、素早く2回瞬きしてからシシリーを羽で覆った。
「わっ」
「あ、えーと、ちっとは温けえかと…どうだ?」
「わー、本当に温かい。羽って飛ぶだけじゃなく凄いのね」
チリリ、と彼のうなじに鳥肌が立つ。
翼で触れる若木のような肢体から伝わる体温が、テーゼンの鼓動を不自然なほど早めた。
金髪から柔く香る匂いはいつもと同じなのに、非常に好ましくて、思わず顔を近づけたくなる。
これで第三者がいなければ、立派に男が女を口説くシーンに移行するのだろうが――彼らは、パーティとして来ている立派な冒険者一行なのである。
だから横槍が入るのも当然のことだった。
「いいなあ、姉ちゃん。ねえ、羽の兄ちゃん、あたしもモフモフさせてよ!」
2人の様子を眺めていたアンジェが、不意にそんな抗議をし始める。
夢心地だったテーゼンが一気に現実へ引き戻され、ぎょっとした表情になった。
「……な、何だって?」
「いいじゃん、姉ちゃんばっかりずるい!あたしも抱っこ!」
「!?い、いやだ!なんか嫌だ!!」
「そんなこと言わないでよ!絶対優しくするから!ちょこっとだけ! ね! ね!」
「わーっ、止めろ!」
テーゼンは好ましい身体から泣く泣く己を引き剥がして、すばしこいホビットから逃げ始めた。
ウィルバーは半笑いの顔のまま、テアに問いかける。
「……あの邪魔は無自覚ですか?」
「多分のう」
置いてけぼりにされたシシリーが目を瞠って悪魔とホビットの追いかけっこを眺めていると、ロンドが無言で自分のマフラーを双子のような存在の少女へ巻いた。
「……ありがとう」
「皆、お前がリーダー頑張ってるの知ってるからな。労わりたいんだよ。…宿屋で作ったカレーは失敗したけど」
「ああ、あれ……私、何か悪いことしたのかと思っちゃった」
シシリーの脳裏に、黒とも紫ともつかない謎の光沢を放つ物体が過ぎった。
あの物体を『カレー』として出された瞬間、何か含むものでもあったのかと顔色を変えてしまったものである。
さすがにこれを食べさせるのは気の毒だと、こっそりテアがちゃんとしたカレーを作っておいてくれなかったら、シシリーは胃薬を片手にそれを食べる羽目になっていただろう。
そんな事を思いながら異種族2人組を見守っていると、ある床を踏み抜いたテーゼンの足元が、がたんと沈んだ。
とっさに飛び退り、罠を警戒した一行だったが……。
「……あ、これってもしかして……」
何かに思い当たったアンジェが、氷に覆われている調度品の中から、一際美しく大きな彫像の台座にしゃがみ込んで何やら覗き込んでいる。
「やっぱり。兄ちゃん、羽の兄ちゃん、この彫像動かして!さっきの床、多分これのストッパーだったんだよ。もしかしたら、これが最後の悪魔の部屋に通じてるのかも」
「街の人が言ってた、『空を飛ぶ猫』みたいな奴か」
「どれ、そうと分かれば……」
ロンドとテーゼンは、力を合わせて彫像を横へとスライドさせた。
台座の下に隠されていた下り階段からは、今までの冷風など比べ物にならないほど強い寒気が吹き上がり、覗き込んできた冒険者たちの顔の皮膚をちくちくと刺してくる。
シシリーがきゅっとマフラーをかき寄せるようにして言った。
「いるわね…」
「間違いなく、ですね。隊列を作っていきましょう」
罠を用心してアンジェとテーゼンが、すぐ飛びだせる位置にシシリーとロンドが続き、テアとウィルバーが殿につく。
シシリーがベルトポーチから解放してあるランプさんと賢いフォウのスピカが、ひらりひらりとアンジェの頭上の少し前を照らすように舞い上がった。
気を抜くとすぐ滑ってしまいそうになる階段を、互いに支えあい、気をつけながら下りる。
「おっとっと…」
「ひっ。ちょっと、テア大丈夫なの?見てるだけでも怖い」
「そうは言ってものう。さすがにボスクラスが待ち構えてる時に、わしを背負ってくれとは言えんじゃろう?」
「手をお貸しするのは構わないのですが…。この足元では、私の方が転びそうで、っと!」
「あぶねっ。ウィルバーさん、転んで頭打たないようにしてくれよ」
「……皆、苦労してるね」
「いいから僕らも前向こうぜ。多分、あと少しだ」
黒い翼に突き刺さる冷気が、いっそうその厳しさを増したのに気付いて彼は眼を細めた。
湖城の街サセルカに襲い掛かった悪魔は、目撃証言では4種。
そのうち3種まではすでに撃退している旗を掲げる爪だったが、最後の『空を飛ぶ猫』とは……どのような相手なのか疑問だった彼らの目の前に、骨でできたような異様な翼が広がっていた。
「でかい……」
感歎しているかのようなロンドの声音だったが、その目は強い敵を前にした興奮に輝いている。
彼らが今、氷柱のぶら下がる闘技場のような場所で見下ろしているのは、体長3メートルはあろうかという猫科の生き物だった。
黄金色に近い金茶の毛皮に微かに見受けられる斑点を見ると、まるで豹のようにも思われたが、その前足に生えている鋭い鉤爪がそれを否定している。
何より、力感溢れる生き物の背から生えた、血のところどころこびり付いて黒ずんでいる骨の翼。
「氷の属性を持った魔族だな。あんまり長くはヤツと戦えねぇぞ…人間の身体がもたねえ」
テーゼンの指摘通り、脅威の悪魔は白々とした牙の見える口から吹雪のような息を吐き出していた。
シシリーがゆっくりと神への祈りを捧げる。
『天に座する我が主よ、かの魔族の正確な姿を我が目に映したまえ…!』
【御使の目】を発動させたシシリーは、人にあらざる視覚により、フルーレティと呼ばれる猫の形の悪魔が強力な魔法を使いこなす存在であり、炎の力に弱いことを見通した。
「必要なのは火だわ。行くわよ、ロンド!」
「おう、任せろ!」
飛び出した2人につられるように、アンジェとテーゼンも別のルートから悪魔へと近づいていく。
死角になるような位置に陣取ったテアが、バイオリンの弓を走らせた。
「氷に属するというのなら…これなら、どうです!?」
ウィルバーの握る≪海の呼び声≫の宝玉から溢れた光が、空中に召喚の陣を描き出す。
そこから飛び出した毒を持つ鼠の群れが、フルーレティの凍れる吐息を引き裂くようにして、真っ直ぐその巨体へ襲い掛かった。
「ギャアァアアア!?」
金茶色の大きな体躯が、思わぬ苦悶にのた打ち回る。
鼠に襲われる猫の身体に、今度は炎を纏ったスコップが振り下ろされた。
「グオオオォォオン!」
苦鳴を上げながらも、敵はこのまま倒れるものかと仲間を呼ぶため咆哮した。
ぐちゃり、ぐちゃりと天井から滴った泥濘がわだかまり、この数日で冒険者たちが見慣れた魔物たちが次々と姿を現す。
「そうは……させないんだから!」
アンジェが操る繭糸傀儡が妖艶な女性の横顔を作り出し、魔力を含んだ哄笑を発生させる。
たちまち、フルーレティを守らんと生まれたはずの魔物たちが、その攻撃によってダメージと混乱を食らった。
続けて祈りを宿した剣をかざした剣舞を披露したシシリーの後退した背後で、テアの演奏が死の砂漠に吹き荒れる熱風を生み出し、敵対する者たちを薙ぎ倒す。
――一度弱点を心得てしまえば、すでにフルーレティは冒険者たちにとっての敵ではなかった。
「ふう……」
シシリーは≪Beginning≫の刀身についた血を振り落とし、布の端切れで丁寧に拭った。
「姉ちゃんのおかげで、あまり苦戦せずに済んだね」
「しかし、この部屋はなんだろうな。まるでリューンの闘技場みたいだ」
ロンドはまるで子ども(まあ半分は子どもだが)のように辺りを興味深そうに見回していたが、その視点があるところでピタリと止まった。
そして、何も言わずにガタガタ震えだす。
室温とは関係なしに、血の気がその顔から失せていた。
「どうしたんじゃ、ロンド?」
怪訝そうに声をかけた老婆は、彼の視線の先にある物体に気付いた。
鏡、だ。
金の意匠を凝らした枠を持つ、美しい鏡。
それが部屋の隅に置かれていた。
「…なるほど、おぬしにとっては全くありがたくないアイテムじゃの」
「なんだ、あの鏡……妙な気配がするぜ」
テーゼンは仲間達を後ろに下がらせると、用心しいしい忍び足をしながら鏡へ近寄った。
一見したところ、何の変哲もない鏡のようである。
だが、黒く輝く双眸が見つめるうち、その鏡面が微かにミルク色を帯びてきた。
ハッとなって≪ダリの愛槍≫を構えたテーゼンの前で、鏡面に映っているテーゼンがニヤリと悪魔に相応しい笑いを浮かべて……。

「……!あ、あれは僕……!?」
魔界の所属していた軍の中で、小突かれ、打たれ、斥候という名の捨て駒にされるはずだった小さな悪魔。
主の失脚により思いがけず自由になり、唯一の居場所であった森の中で年月を忘れる日々を送っていたのに、やがてその安住の地でさえ、魔王の勢力争いのいざこざで炎に包まれていく……。
「止めろ、僕からそこを奪うな!」
「テーゼン、おぬしどうしたんじゃ!?」
鏡に向かって必死で叫び始めた青年を、テアは後ろから腕を掴んで正気に戻そうとする。
だが、恐慌状態と化した彼の瞳は、全く仲間を認識しようとしなかった。
進み出たシシリーが、
「どいて、テア!」
と叫び、法力を神に捧げて祈る。
『我が主よ、天に座す偉大なる方よ。汝の名を讃える使徒に、さらなる勇気を生み出す力を…!』
聖句と共に、淡く輝く掌を翼の生えた背中に当て、彼の精神状態を法力で無理やり正常に戻す。
「……あ?」
「テーゼン、鏡から離れて!」
長剣をぶれもせずに振るい続ける力に任せて、ぐいと彼をその場から引き離す。
すると、鏡が白い光を放ち――そこからまろび出た人影が、ゆらりと立ち上がった。
「いつまで鏡と見つめ合ってるつもりなの?敵の襲撃よ」
「あ、ああ…悪い。ちょっとトんでた…」
未だに鏡の中に見たトラウマの光景に驚いていたテーゼンが、びくりと敵に顔を強張らせた。
彼の――テーゼンの視界に映るそれは、間違いなくテーゼンの美貌を備えていた。
だというのに、ロンドの鏡の事件で味方の偽者に過敏な反応をするはずの仲間たちが、一向にそれに反応する様子がない。
「な、何で……あれは、僕じゃないか?」
「……おぬし、本当に大丈夫か?いくらなんでも、おぬしとアレを見間違いようはないぞ」
「あたし、冒険で鏡見たら、まず戦えって経験則になっちゃいそう」
「俺はすでになっている」
妙に目の据わった様子のアンジェとロンドが、それぞれ愛用の武器を構える。
落ち着いた挙措でウィルバーやシシリーも戦闘態勢を整えたので、テーゼンもつられるように槍を構えはしたものの、その心から動揺は消えなかった。
(まさか…こいつらには見えていない!?一体どうなっている…!?)
テーゼンの美貌を備えているはずのそれは、特に強い魔法や技を操ったわけではなかった。
だが、今まで倒した使い魔たちと同じ能力を持つ、泥濘から生まれた魔物たちが現れ、シシリーやウィルバー目掛けて、一際強い寒さによる束縛や、格闘による打撃の麻痺などが放たれる。
主人であるシシリーが動けなくなったために、狼狽したスピカがチィチィと鳴声を上げつつ上空を舞った。
「くっそ、僕が動くのが遅かったせいだ……!」
仲間たちに魔法へ抗する力を付与しつつ、テーゼンが槍に気合を込める。
アンジェは≪早足の靴≫の助けにより壁を走り天井へ跳び上がるなどして、キュルソンの拳を紙一重でかわし続けた。
僅かに避け損ねた拳が、危うくホビットの耳を掠める。
「あぶなっ。おばあちゃん、お願い早く…!」
「そう年寄りを急かすでないよ」
テアの演奏による【安らぎの歌】が、辛うじて冒険者たちの身体にできた傷を塞いでくれたが、完治には程遠い。
ロンドがスコップ片手に一人で奮闘してはいるものの、彼の大柄な身体にも魔法によるダメージが蓄積し始めていた。
ぐい、と鏡のテーゼンが腕を地面と平行に伸ばすと、それが餅のように伸長してぐるりとシシリーの肢体を締め付ける。
激昂した本物のテーゼンが斬りつけるも、腕が離れる様子はない。
「テメェ…!」
素早く渦を描くように回転したテーゼンの身体から、穂先がまるで流星の如く幾度も突き出され、風どころか空気を巻き込むように偽者を穿つ。
多少の傷は使い魔の魔法で癒していた偽者だったが、その使い魔ですら呪文を使う暇もないほどの傷が無数に刻まれていった。
とどめの槍が貫くと、鏡から生まれたはずのその姿が宙に溶けるように消え去り、金の枠にはめ込まれた鏡にいつの間にか亀裂が走っている。
「こいつが本体だったのか……!」
呻くように言った悪魔の青年の眼前で、亀裂はすでに修復不可能ほどに鏡面を覆い尽くし――やがて、儚い音を響かせて割れ落ちていった。
鏡にいい思い出のないロンドが、首筋の冷や汗を拭って息をつく。

「はあ…もう動かないな?なんだか妙に疲れる相手だった…」
「…………」
「本当にどうしたんだ、黒蝙蝠?さっきから、俺以上に様子がおかしいけど」
「いや何でもない。……何でもねーんだ」
テーゼンは震えている己の利き手を、もう片方の手で押さえた。
もうこれ以上、おかしな鏡に苦しめられる事はない。
彼は先ほどの鏡が最後の湖城の悪魔だったのだろうと説明すると、仲間達を促してサルセカへ戻ろうと告げた。
2016/05/31 11:55 [edit]
category: 凍える湖城後の20の命を持つ黒龍
tb: -- cm: 0
Tue.
凍える湖城後の20の命を持つ黒龍その2 
旗を掲げる爪は念の為に街の魔術師とも面会したのだが、三角帽子を被っている老爺は、薄暗い部屋の隅で五弦の楽器――テアによると、カンテレという撥弦楽器の一種――を爪弾いて歌っているだけで、てんで冒険者たちへ注意を払おうとしなかった。
一応、正気に戻ったのではないかと思える瞬間もあったのだが、
「さあいつも通り、そのツボの中に素材をお入れ。お前の望むものと交換してくれるじゃろう。それで………ロヴィーサや。飯はまだかのう?」
「何で俺を見て女名を連想するんだ、爺さん」
一応、正気に戻ったのではないかと思える瞬間もあったのだが、
「さあいつも通り、そのツボの中に素材をお入れ。お前の望むものと交換してくれるじゃろう。それで………ロヴィーサや。飯はまだかのう?」
「何で俺を見て女名を連想するんだ、爺さん」
-- 続きを読む --
サク、と湖城へ続く雪道を踏みしめながらアンジェが言った。
「あの魔法使いの爺ちゃん、ヘンテコな唄を歌ってたね。おばあちゃん、お馬さんが何とかってどんなのだっけ?」
という、まったく不毛な会話が繰り広げられるに留まったので、彼に期待するのは止めたのである。

「ええと…『ぱから ぱから お馬が通る 上に乗っかる 立派な騎士様 実は一人じゃ 何にもできない』かえ?」
「あ、そうそう。何か面白いよね」
「……この地方の魔術師はですね、確か呪文を唱える代わりに唄を歌うんです」
数年前に覚えた民俗知識を引き出したウィルバーが、ポツリと呟いた。
「唄を?ふーん…それじゃ、ひょっとしてあの奇妙な唄にも、何か意味があるのかもね」
「術の発動こそしていなかったのですが…案外、そうかもしれません」
積もった雪を掻き分けるようにして進んでいたロンドが、ピタリと足を止めた。
やぶにらみとも言われることのある双眸を、上方へと向けて言う。
「さて、ここが問題の湖上の城か」
薄い氷棺に覆われた城の入り口を空けるのは困難としか思えなかったが、燃えるスコップを担いだロンドと、ロンドから≪サンブレード≫と呼ばれる砂漠の曲刀を構えたシシリーにとって、扉の氷を溶かす作業はさほどの重労働とも言えなかった。
ただ、無計画に溶かしていくと崩れた氷の塊に打たれてしまう危険があるため、後ろからウィルバーの指示を受けながらの作業である。
すっかり表に顔を出したドアノブをアンジェが調べ、罠や鍵のないことを確認する。
「大丈夫、すぐ開くよ。氷で覆っとけば、鍵閉めなくても誰も入ってこないと思ってたんじゃない?」
「あー…そうかもしれねぇ。少なくとも、人間がこんな力技で悪魔の住処に来るとか、予想してねえだろうよ」
うんうんと腕組みをしながら、テーゼンが同族について語る。
氷を溶かそうと思ったら、≪火晶石≫や【炎の玉】……いずれにしろ、ひどく派手で大きな音を立てる手段を用いることが前提である。
また、そうであれば侵入されたことを察するのは容易い。
しかしよもや、古代遺跡から掘り出された特殊能力を持つ武器で溶かされる、など湖城の悪魔にとっては思ってもみない事態だろう。
「人を身体ごと持っていったくせに憑依せずに作り変えてるってこたぁ、少なくとも魔神クラスみたいなヤバイ奴じゃねえ」
「私たちの手に負えそうかしら?」
「多分な。魂を抜き取ることもできねえんだし、実体化してるんだと思うぜ。つまり、殴れば死ぬ」
「そうか、殴ればいいんだな?」
シシリーから曲刀を返してもらった男は、テーゼンの言葉にニヤリと笑った。
それに嫌な予感を覚えたウィルバーが、慌てて付け加える。
「ちょっと待ってください、中には街の住民もいるんでしょう!?」
「それは心配しても仕方ねえよ。というか、そっちも殴るしかねえだろう」
「……いいんですか、それで」
「そうだな、誰にでもっつうか……白髪男にも分かりやすく説明するとすれば、アーモンドが一粒、中に入ったチョコレートを思い浮かべてくれよ。アーモンドが人間で、チョコレートが悪魔の作った”魔の体”だ」
突然、妙なことを言い出した悪魔を、皆が目を丸くして見ている。
「日が経つにつれて、アーモンドは小さく砕けてチョコレートと混ざっちまう。そうなったら、チョコをどう割ってみても完全な形のアーモンドは取り出せない。だが、アーモンドが砕ける前に外側のチョコを割ってやれば、中からちゃんと取り出せるだろ?」
「ははあ…では、今の街の住民は、アーモンド入りチョコレートというわけで…?」
「そ。それで、僕らがなるべく早く”魔の体”を割らなきゃ、人の体の部分が砕けるってこと」
「美味しそうな話だけど、助けるつもりがあるなら早くしろってことだよね」
「アンジェは理解が早くて助かる」
軽く笑ったテーゼンが、視線を扉の向こうに広がる空間へと向けた。
彼の視界の中で城内は全てが凍り付いており、壊れた調度品や麗しい白壁、優雅な細工の施された手すりや扉の装飾などが、廃墟とは思えないほど美しい状態で氷の中に閉じ込められている。
まさしく氷棺の中に囚われた城。
まるでトトゥーリア遺跡がそうだったように、時の流れを忘れたかのごとく、気高く静謐なまま眠りについている。
一歩を踏み出すも、冒険者たちの押し殺した足音や身じろぎする音以外には、聴覚情報がない。
それは冒険者達に、絵画の中へと入り込んだような不思議な印象を抱かせた。
しかしその静寂は、決して清らかではない。
「いやがるな……確かに……」
奥には邪悪な意志を持つ何かが蠢いていることが、悪魔である彼の第六感に感じられる。
恐るべき侵入者達の動向を息を潜めて窺っているのだろう。
場所がはっきりと分からないのは、この城が広いというだけではなく、恐らく城内の空間位相をずらして黒幕が姿を現さないようにしているのだとテーゼンは考えた。
ひゅう、とどこからか風が流れてくる。
コツ、と床の氷片を蹴飛ばしたアンジェは、床をも覆っている氷に映る自身を見つめ――その斜め上で微かに動いた何者かを誰よりも早く知覚した。
友好的な気配など一片も見られない――アンジェは短剣を隠し場所から引き抜きつつ、仲間たちにすかさず叫んだ。
「さっそくお客さんみたいだよ!」
その声につられて、冒険者たちは各々の武器を構える。
泥濘のようなそれは、ビチャリと飛沫をあげながら彼らの眼前に落ちた。
むくり、むくりと、入道雲が湧き上がるように膨らみ、四足の獣のような形を作っていく。
「うえっ、何だこれ」
「使い魔の類だろうよ。いけ、白髪男。チョコレートを割ってやれ!」
「チッ、人に仕事を押し付けやがって…」
舌打ちは残しながらも、ロンドは熟練の戦士らしく、全く無駄のない踏み込みから、腕をそのまま振り下ろすかのような滑らかさで愛用の武器を敵に叩きつけた。
パリン、と硝子の割れるような音が響き、動きを止めた魔物から小さな人影が転がり出る。
我が意を得たといわんばかりの表情で、ロンドが頷く。
「さすが≪マスタースコップ≫、やっぱり買取しといて正解だな」
「魔物の姿が……人間に変わった!半信半疑だったけど、本当に変えられていたんだね」
驚愕の声を発したアンジェが、魔物から出てきた子どもに駆け寄る。
「うーん…あれ、ここは…?」
目を覚まし、きょろきょろと不安そうな顔になった子どもは、似たような年齢の女の子が近づいてきたのに目を丸くした。
「……うん、怪我はしてないね。頭痛かったりとか、する?」
「ううん、平気。ただちょっと、寒いだけ…」
「どれ、坊や。これを被っておくといいだろう」
子どもは毛糸で作られたショールを被せてくる老婆にぺこりと頭を下げ、
「あんたたち、だれ?」
と問う。
やれやれと肩から力を抜いたウィルバーが、町長から雇われた冒険者である旨を告げた。
元気そうだし、聡明そうな少年ではあるが、こんな子どもを一人で街に帰すわけにはいかない。
ウィルバーはリーダーである少女へ、彼を街まで送ることを提言した。
「そうね。一度、サルセカまで戻りましょう」
なんと町長の孫であったイラリ少年を送り届けた冒険者たちは、喜びはしゃぐ町長を宥め、再び凍りついた城の中へと入っていった。
ずんずん進んでいくと、イラリ少年の仮の姿が現れた時のように、城の片隅から出てきた泥濘から、色々な形をした魔物たちが出現しては冒険者たちへ襲い掛かってくる。
しかし、一度前例のできたパーティは狼狽えることもなく、落ち着いて魔物たちを駆逐していった。
おまけにちょっとコツを掴んだアンジェが、魔物たちの身体の合間から見えている物体をスリとってみると、蒼く煌めく美しい石や銀灰色に輝く実、東方の『桜餅』というお菓子にそっくりの物が手に入った。
どんぐり眼が甘味に対する嬉しさに輝き、彼女は歓喜の声をあげる。
「わあ、お菓子だ!」
「あ、ちょっと待て、アンジェ!」
テーゼンが一度止めたもののすでに時は遅く、ホビットの娘はよく冷えたそれを口に含んでいた。
一口齧りとった時にはニコニコしていた顔が、たちまち青ざめ歪んで、口の中の餅を吐き出す。
「ぶえええっ!何だこれ、まずっ!!食べ物じゃないでしょ、これ!」
「いや、食べるものではあるんだが…。≪魔界の桜餅≫だから、人間の味覚にゃ合わねえんだよ。毒が入ってるわけじゃねえから、そこは安心してくれ」
「魔界にも桜餅があるんじゃな」
感心したように言ったテアだったが、ふとそこで眉根を寄せた。
テーゼンはパーティ1の味覚音痴である上に、殺人料理を作らせたら右に出る者のいない料理下手でもある。
これまでは、普通に味覚がおかしいから作る料理もヘンテコなのだと思っていたのだが…。
(なるほど、悪魔の住む世界のお菓子がこれなら、悪魔が味覚音痴なのは仕方ないのかもしれん)
と老婆は思った。
怒りに任せたアンジェが桜餅(っぽい何か)を床に叩き付けると、今度はそこからじわじわと黒い泥濘が溢れ出して来た。
「……これは、不味い菓子を叩きつけられたから怒ったのでしょうか。たまたまそこにいたのを、感づかれたと判断して出てきたのでしょうか」
「そんな事、のんびり考察している暇はないわよ、ウィルバー!」
蝙蝠のような形になった魔物がシシリーへ向けて超音波を発してくるのを、フォウに属するスピカが力を発揮して無効化する。
蜘蛛のごとき姿でカサカサと動き回り始めた魔物は、ビュッと鋭い音を立てて爪を振り上げ、毒を含んだそれをテアに突き刺そうとした。
槍でそれを弾いたテーゼンが、返す穂先で複眼の辺りを突き刺す。
「ギィイィィイイイ!」
「ばあ様、僕が防ぐうちに演奏の準備を!」
「そらよっ、お前らは俺が相手だ!」
最初に見たイラリ少年のような四足の獣らしき魔物が複数襲い掛かってくるのには、ロンドが腰溜めに拳を構えた体勢から、無数の掌打を絶え間ない波のように放って打ち据える。
その動きから逃れた何匹かも、あらかじめウィルバーが詠唱を終えていた【死の呪言】でバタバタと倒れていった。
テアの勢いよく弾き始めたバイオリンの演奏が、仲間たちの士気を向上し、敵の物理攻撃をものともしない身のこなしを与える。
以前に訪れた砂漠の遺跡探索の経験から作った、【愛の手管】の呪曲である。
それによって力を得た冒険者たちが負ける気遣いは、すでになかった。
「よいしょっと…これで、最後かな?」
アンジェが小首を傾げた先には、泥濘から生まれた魔物たちが消え去ろうとしている。
その幾つかは街の住民で、威勢のいい道具屋だったり、ちょっととぼけた感じの聖北教会の神父だったり、可愛らしい制服と話し方が自慢の喫茶店のウェイトレスだったりした。
「また街へ戻るとしましょう。今日はもう、これ以上の探索で無理をすることはありません。我々も一度、ゆっくり休むべきです」
というウィルバーの提言を受け、旗を掲げる爪は彼らと共にサルセカへ戻ることにした。
「随分人が戻って来たわ。街の施設も、使える場所が増えてきたみたい」
「本当に誰もいない街だったからな。こんな風に民家へ明りが灯ってると、ちっとばかり気が緩むぜ」
彼らを街へ送り届けることで、段々と人気の戻ってきたサルセカを嬉しげに見つめ顔を綻ばせたシシリーの傍らで、テーゼンも嬉しげに相槌を打っている。
年長者2人は、喫茶店――救出により食事が半額になった――の窓からその様子を確認し、どちらからともなくため息をついた。
「今さら過ぎるじゃろ……好意が恋情に変わることは、そう珍しくもない、が……」
「告白するつもりがあるのかないのか…どちらにしても、ハッピーエンドにならない気しかしません」
「わしゃもう責任も持てんが、もし成就してしまったらその時は……。おぬしの場合は、孤児院の院長である兄上にどう伝えるかも考えねばならんの」
「あああああ、止めて下さいっ。今から頭が痛いです…」
残り少ない頭髪を抱えるようにして、魔術師は現実から目をそむけようとしたが、胃の痛みはしくしくと容赦なく彼を襲っているのであった。
まったく、城に巣食う悪魔よりも、身近にいる悪魔の方が問題なのである。
鈍いというか欲に負けているというか、ロンドとアンジェは次々と解放される街の店でウィンドウショッピングするのに夢中であり、テーゼンの様子が変わったことに気付いてはいない。
どうかこのまま気付かずにいてくれと、不心得者であるウィルバーは祈らずにいられなかった。
「あの魔法使いの爺ちゃん、ヘンテコな唄を歌ってたね。おばあちゃん、お馬さんが何とかってどんなのだっけ?」
という、まったく不毛な会話が繰り広げられるに留まったので、彼に期待するのは止めたのである。

「ええと…『ぱから ぱから お馬が通る 上に乗っかる 立派な騎士様 実は一人じゃ 何にもできない』かえ?」
「あ、そうそう。何か面白いよね」
「……この地方の魔術師はですね、確か呪文を唱える代わりに唄を歌うんです」
数年前に覚えた民俗知識を引き出したウィルバーが、ポツリと呟いた。
「唄を?ふーん…それじゃ、ひょっとしてあの奇妙な唄にも、何か意味があるのかもね」
「術の発動こそしていなかったのですが…案外、そうかもしれません」
積もった雪を掻き分けるようにして進んでいたロンドが、ピタリと足を止めた。
やぶにらみとも言われることのある双眸を、上方へと向けて言う。
「さて、ここが問題の湖上の城か」
薄い氷棺に覆われた城の入り口を空けるのは困難としか思えなかったが、燃えるスコップを担いだロンドと、ロンドから≪サンブレード≫と呼ばれる砂漠の曲刀を構えたシシリーにとって、扉の氷を溶かす作業はさほどの重労働とも言えなかった。
ただ、無計画に溶かしていくと崩れた氷の塊に打たれてしまう危険があるため、後ろからウィルバーの指示を受けながらの作業である。
すっかり表に顔を出したドアノブをアンジェが調べ、罠や鍵のないことを確認する。
「大丈夫、すぐ開くよ。氷で覆っとけば、鍵閉めなくても誰も入ってこないと思ってたんじゃない?」
「あー…そうかもしれねぇ。少なくとも、人間がこんな力技で悪魔の住処に来るとか、予想してねえだろうよ」
うんうんと腕組みをしながら、テーゼンが同族について語る。
氷を溶かそうと思ったら、≪火晶石≫や【炎の玉】……いずれにしろ、ひどく派手で大きな音を立てる手段を用いることが前提である。
また、そうであれば侵入されたことを察するのは容易い。
しかしよもや、古代遺跡から掘り出された特殊能力を持つ武器で溶かされる、など湖城の悪魔にとっては思ってもみない事態だろう。
「人を身体ごと持っていったくせに憑依せずに作り変えてるってこたぁ、少なくとも魔神クラスみたいなヤバイ奴じゃねえ」
「私たちの手に負えそうかしら?」
「多分な。魂を抜き取ることもできねえんだし、実体化してるんだと思うぜ。つまり、殴れば死ぬ」
「そうか、殴ればいいんだな?」
シシリーから曲刀を返してもらった男は、テーゼンの言葉にニヤリと笑った。
それに嫌な予感を覚えたウィルバーが、慌てて付け加える。
「ちょっと待ってください、中には街の住民もいるんでしょう!?」
「それは心配しても仕方ねえよ。というか、そっちも殴るしかねえだろう」
「……いいんですか、それで」
「そうだな、誰にでもっつうか……白髪男にも分かりやすく説明するとすれば、アーモンドが一粒、中に入ったチョコレートを思い浮かべてくれよ。アーモンドが人間で、チョコレートが悪魔の作った”魔の体”だ」
突然、妙なことを言い出した悪魔を、皆が目を丸くして見ている。
「日が経つにつれて、アーモンドは小さく砕けてチョコレートと混ざっちまう。そうなったら、チョコをどう割ってみても完全な形のアーモンドは取り出せない。だが、アーモンドが砕ける前に外側のチョコを割ってやれば、中からちゃんと取り出せるだろ?」
「ははあ…では、今の街の住民は、アーモンド入りチョコレートというわけで…?」
「そ。それで、僕らがなるべく早く”魔の体”を割らなきゃ、人の体の部分が砕けるってこと」
「美味しそうな話だけど、助けるつもりがあるなら早くしろってことだよね」
「アンジェは理解が早くて助かる」
軽く笑ったテーゼンが、視線を扉の向こうに広がる空間へと向けた。
彼の視界の中で城内は全てが凍り付いており、壊れた調度品や麗しい白壁、優雅な細工の施された手すりや扉の装飾などが、廃墟とは思えないほど美しい状態で氷の中に閉じ込められている。
まさしく氷棺の中に囚われた城。
まるでトトゥーリア遺跡がそうだったように、時の流れを忘れたかのごとく、気高く静謐なまま眠りについている。
一歩を踏み出すも、冒険者たちの押し殺した足音や身じろぎする音以外には、聴覚情報がない。
それは冒険者達に、絵画の中へと入り込んだような不思議な印象を抱かせた。
しかしその静寂は、決して清らかではない。
「いやがるな……確かに……」
奥には邪悪な意志を持つ何かが蠢いていることが、悪魔である彼の第六感に感じられる。
恐るべき侵入者達の動向を息を潜めて窺っているのだろう。
場所がはっきりと分からないのは、この城が広いというだけではなく、恐らく城内の空間位相をずらして黒幕が姿を現さないようにしているのだとテーゼンは考えた。
ひゅう、とどこからか風が流れてくる。
コツ、と床の氷片を蹴飛ばしたアンジェは、床をも覆っている氷に映る自身を見つめ――その斜め上で微かに動いた何者かを誰よりも早く知覚した。
友好的な気配など一片も見られない――アンジェは短剣を隠し場所から引き抜きつつ、仲間たちにすかさず叫んだ。
「さっそくお客さんみたいだよ!」
その声につられて、冒険者たちは各々の武器を構える。
泥濘のようなそれは、ビチャリと飛沫をあげながら彼らの眼前に落ちた。
むくり、むくりと、入道雲が湧き上がるように膨らみ、四足の獣のような形を作っていく。
「うえっ、何だこれ」
「使い魔の類だろうよ。いけ、白髪男。チョコレートを割ってやれ!」
「チッ、人に仕事を押し付けやがって…」
舌打ちは残しながらも、ロンドは熟練の戦士らしく、全く無駄のない踏み込みから、腕をそのまま振り下ろすかのような滑らかさで愛用の武器を敵に叩きつけた。
パリン、と硝子の割れるような音が響き、動きを止めた魔物から小さな人影が転がり出る。
我が意を得たといわんばかりの表情で、ロンドが頷く。
「さすが≪マスタースコップ≫、やっぱり買取しといて正解だな」
「魔物の姿が……人間に変わった!半信半疑だったけど、本当に変えられていたんだね」
驚愕の声を発したアンジェが、魔物から出てきた子どもに駆け寄る。
「うーん…あれ、ここは…?」
目を覚まし、きょろきょろと不安そうな顔になった子どもは、似たような年齢の女の子が近づいてきたのに目を丸くした。
「……うん、怪我はしてないね。頭痛かったりとか、する?」
「ううん、平気。ただちょっと、寒いだけ…」
「どれ、坊や。これを被っておくといいだろう」
子どもは毛糸で作られたショールを被せてくる老婆にぺこりと頭を下げ、
「あんたたち、だれ?」
と問う。
やれやれと肩から力を抜いたウィルバーが、町長から雇われた冒険者である旨を告げた。
元気そうだし、聡明そうな少年ではあるが、こんな子どもを一人で街に帰すわけにはいかない。
ウィルバーはリーダーである少女へ、彼を街まで送ることを提言した。
「そうね。一度、サルセカまで戻りましょう」
なんと町長の孫であったイラリ少年を送り届けた冒険者たちは、喜びはしゃぐ町長を宥め、再び凍りついた城の中へと入っていった。
ずんずん進んでいくと、イラリ少年の仮の姿が現れた時のように、城の片隅から出てきた泥濘から、色々な形をした魔物たちが出現しては冒険者たちへ襲い掛かってくる。
しかし、一度前例のできたパーティは狼狽えることもなく、落ち着いて魔物たちを駆逐していった。
おまけにちょっとコツを掴んだアンジェが、魔物たちの身体の合間から見えている物体をスリとってみると、蒼く煌めく美しい石や銀灰色に輝く実、東方の『桜餅』というお菓子にそっくりの物が手に入った。
どんぐり眼が甘味に対する嬉しさに輝き、彼女は歓喜の声をあげる。
「わあ、お菓子だ!」
「あ、ちょっと待て、アンジェ!」
テーゼンが一度止めたもののすでに時は遅く、ホビットの娘はよく冷えたそれを口に含んでいた。
一口齧りとった時にはニコニコしていた顔が、たちまち青ざめ歪んで、口の中の餅を吐き出す。
「ぶえええっ!何だこれ、まずっ!!食べ物じゃないでしょ、これ!」
「いや、食べるものではあるんだが…。≪魔界の桜餅≫だから、人間の味覚にゃ合わねえんだよ。毒が入ってるわけじゃねえから、そこは安心してくれ」
「魔界にも桜餅があるんじゃな」
感心したように言ったテアだったが、ふとそこで眉根を寄せた。
テーゼンはパーティ1の味覚音痴である上に、殺人料理を作らせたら右に出る者のいない料理下手でもある。
これまでは、普通に味覚がおかしいから作る料理もヘンテコなのだと思っていたのだが…。
(なるほど、悪魔の住む世界のお菓子がこれなら、悪魔が味覚音痴なのは仕方ないのかもしれん)
と老婆は思った。
怒りに任せたアンジェが桜餅(っぽい何か)を床に叩き付けると、今度はそこからじわじわと黒い泥濘が溢れ出して来た。
「……これは、不味い菓子を叩きつけられたから怒ったのでしょうか。たまたまそこにいたのを、感づかれたと判断して出てきたのでしょうか」
「そんな事、のんびり考察している暇はないわよ、ウィルバー!」
蝙蝠のような形になった魔物がシシリーへ向けて超音波を発してくるのを、フォウに属するスピカが力を発揮して無効化する。
蜘蛛のごとき姿でカサカサと動き回り始めた魔物は、ビュッと鋭い音を立てて爪を振り上げ、毒を含んだそれをテアに突き刺そうとした。
槍でそれを弾いたテーゼンが、返す穂先で複眼の辺りを突き刺す。
「ギィイィィイイイ!」
「ばあ様、僕が防ぐうちに演奏の準備を!」
「そらよっ、お前らは俺が相手だ!」
最初に見たイラリ少年のような四足の獣らしき魔物が複数襲い掛かってくるのには、ロンドが腰溜めに拳を構えた体勢から、無数の掌打を絶え間ない波のように放って打ち据える。
その動きから逃れた何匹かも、あらかじめウィルバーが詠唱を終えていた【死の呪言】でバタバタと倒れていった。
テアの勢いよく弾き始めたバイオリンの演奏が、仲間たちの士気を向上し、敵の物理攻撃をものともしない身のこなしを与える。
以前に訪れた砂漠の遺跡探索の経験から作った、【愛の手管】の呪曲である。
それによって力を得た冒険者たちが負ける気遣いは、すでになかった。
「よいしょっと…これで、最後かな?」
アンジェが小首を傾げた先には、泥濘から生まれた魔物たちが消え去ろうとしている。
その幾つかは街の住民で、威勢のいい道具屋だったり、ちょっととぼけた感じの聖北教会の神父だったり、可愛らしい制服と話し方が自慢の喫茶店のウェイトレスだったりした。
「また街へ戻るとしましょう。今日はもう、これ以上の探索で無理をすることはありません。我々も一度、ゆっくり休むべきです」
というウィルバーの提言を受け、旗を掲げる爪は彼らと共にサルセカへ戻ることにした。
「随分人が戻って来たわ。街の施設も、使える場所が増えてきたみたい」
「本当に誰もいない街だったからな。こんな風に民家へ明りが灯ってると、ちっとばかり気が緩むぜ」
彼らを街へ送り届けることで、段々と人気の戻ってきたサルセカを嬉しげに見つめ顔を綻ばせたシシリーの傍らで、テーゼンも嬉しげに相槌を打っている。
年長者2人は、喫茶店――救出により食事が半額になった――の窓からその様子を確認し、どちらからともなくため息をついた。
「今さら過ぎるじゃろ……好意が恋情に変わることは、そう珍しくもない、が……」
「告白するつもりがあるのかないのか…どちらにしても、ハッピーエンドにならない気しかしません」
「わしゃもう責任も持てんが、もし成就してしまったらその時は……。おぬしの場合は、孤児院の院長である兄上にどう伝えるかも考えねばならんの」
「あああああ、止めて下さいっ。今から頭が痛いです…」
残り少ない頭髪を抱えるようにして、魔術師は現実から目をそむけようとしたが、胃の痛みはしくしくと容赦なく彼を襲っているのであった。
まったく、城に巣食う悪魔よりも、身近にいる悪魔の方が問題なのである。
鈍いというか欲に負けているというか、ロンドとアンジェは次々と解放される街の店でウィンドウショッピングするのに夢中であり、テーゼンの様子が変わったことに気付いてはいない。
どうかこのまま気付かずにいてくれと、不心得者であるウィルバーは祈らずにいられなかった。
2016/05/31 11:51 [edit]
category: 凍える湖城後の20の命を持つ黒龍
tb: -- cm: 0
Tue.
凍える湖城後の20の命を持つ黒龍その1 
元御堂騎士団の老雄が指名してきたとんでもない依頼の結末は既に述べたとおりだが、少々の情報操作とほとぼりの冷める時間を必要とした旗を掲げる爪は、北の果てにある湖城の街を訪れていた。
≪狼の隠れ家≫の亭主と古い知り合いだという町長から出された救援は、湖の城に現れた悪魔を退治して欲しい、というものだったのである。
「……悪魔が悪魔を殺せって、けっこう皮肉な仕事だな」
人形のような美貌を皮肉げに歪めたのは、”森閑の悪魔”テーゼンである。

≪狼の隠れ家≫の亭主と古い知り合いだという町長から出された救援は、湖の城に現れた悪魔を退治して欲しい、というものだったのである。
「……悪魔が悪魔を殺せって、けっこう皮肉な仕事だな」
人形のような美貌を皮肉げに歪めたのは、”森閑の悪魔”テーゼンである。

-- 続きを読む --
余談ながら、彼の端整な顔は、ともすれば他者に近寄りがたい印象を与えると思いがちだが、彼の場合は感情が割と表に出やすく、その奇妙な人間味が硬質さを和らげていた。
その横で静かに首を横方向に振ったのは、リーダーであるシシリーである。
「仕事は仕事よ。人間が黒幕だった時だってあったでしょ、この間のように。…別に、悪魔が糸を引いてるから、私たちで片付けてくれなんて話じゃないと思うわ」
「そりゃ、ま、親父がそんな陰険で回りくどい真似するとは思ってねぇけどよ。……僕も被害妄想っぽくなってるのかね」
小粋な様子で肩を竦めたテーゼンに、うっすらと笑いを浮かべた男が、
「とにかく、この依頼のおかげで私たちはリューンを出られるわけですから、文句など言ってはいけませんよ。後のことは、エキスパートに任せましょう」
と宥めた。
頭髪がやや寂しげなこの魔術師は、殺人狂で引退したとは言え、元御堂騎士団の者を殺害した件について、リーダーである少女が困った立場に立たされることを懸念していたのである。
聖北教会に対する情報の働きかけがないと、シシリーが教会の過激派などから意に沿わぬ審問にかけられる可能性などがあるので、そちらの工作が終了するまでは様子を見たかった。
「そうそう。それにしても…サルセカってずいぶんと人が少ないよね」
「前に行った常夜の街みたいだな」
「凍えるように寒いのは、兄ちゃんを助けに行った鏡の中みたいだけどね」
「……それは言わないでくれ、アン」
アンジェとロンドが他愛無いやり取りをしつつ、似たような仕草で周囲を見渡している。
テーゼンも彼らに同調して、今まで歩いてきた街中を振り返った。

「辺り一面、雪が積もってる。こんな景色をきっと銀世界っていうんだろーな」
サルセカ――雪の舞う湖城を臨む街。
常であれば、ちらつく白の合間に見える民家の灯りが、見る者の心に温かさをもたらすのだが、今彼らが歩いている通りには人影がなかった。
「なんだか、暗くて寂しい街だね」
「どれどれ。試してみるかのう」
テアは降り積もった雪道を毛織のスカートと厚い皮のブーツでかき分けながら、試しに近くにある民家へ近寄り、今にも埋もれんとしている分厚い扉を数度ノックした。
しかし、中から返事はなく、ただ冷え切った廃墟の空気が僅かに漏れ出てくるだけであった。
老婆は仲間たちの方へ向き直り、首を横に振る。
「まるでゴーストタウンじゃ」
「ハックション!」
両手を口に当てて唾が散るの堪えたのは、シシリーであった。
テーゼンが気遣わしげに彼女に話しかける。
「シシリー、風邪か?」
「いいえ、なんでもないわ」
「そんなでけぇクシャミして、何でもないって?早く温けーとこ行くぞ」
「そうね。心配してくれてありがとう、テーゼン」
シシリーはちょっとはにかんだように微笑んで礼を言った。
「へっ?お、おう。風邪ひくといけねぇしな、うん」
心なしか、白磁のような彼の頬がうっすらと薄紅色を帯びている。
テアとウィルバーが珍しいものを見たとでも言うように凝視していたが、テーゼン当人がその視線に気付く前に、慌てて目を逸らし…素早く年長者同士のアイコンタクトをした。
(まさか…まさかとは思うんじゃが…)
(ええ、そんなはずはないですよ。だって、今さら……ねえ?)
(その傾向がなかったとは言わぬが…)
(え、気付きませんでしたよ!?!?い、いつです!?)
こんな細かい会話を目だけでできるのかと言われれば、できる人はできるのである。
今まで何度もお互いに命を預ける局面が多かったからこその技だろうが…今回はあいにくと、その内容は殺伐の二文字からから遠い。
だが、いつまでもストリートでグズグズしているわけにはいかない――亭主の古い知り合いだという依頼主は、冒険者たちの到着を待ちかねているのだから。
ロンドが高い身長を生かして、白い雪片に埋もれていく似たような家屋の中でも、ひときわ凝った造りをした一軒の家を見つけ出し、仲間たちに指し示した。
「あれじゃないのか、町長の家は」
「どうやらそのようですね。これじゃ、家へお邪魔する前に除雪する必要がありますが」
「……おっちゃん。その前に、町長さんとこ、ドアが凍り付いちゃってるよ」
茶色いどんぐり眼の見守る先、さすがに分厚い扉の下方が氷に侵蝕され始めている。
ロンドは腕で合図をし仲間達を下がらせると、担いできたスコップの能力を解放し、高熱を放つ愛用の武器でがつがつと除雪をし始めた。
底なしの体力と使い慣れた道具であること、さらにそれ自体が熱いこともあり、あっという間に町長の家と目される建物の周りが通りやすくなっていく。
ある程度のところで除雪を終わると、ロンドはスコップの熱を収縮し、ふうと一息ついた。
「こんなものでいいだろう。ほら、行こうぜ」
「あたし、兄ちゃんの武器がスコップで良かったと初めて思ったよ」
「わしもじゃ。便利じゃの」
ホビットに同意した老婆は再びノックをしてみる。
初老らしき男の声が応じ、鍵は開いているので入って欲しいというので、テアは手袋をしたままの手でドアノブを掴んだ。
寒冷地において素手で金属部分に触れると、皮膚がくっついてしまうことを彼女は知っている。
ぐいとドアを引くと、たちまち室内へ寒風が吹き荒ぶ――まるで氷の巨人の息吹のようだ。
テアは慌てて仲間達を中へ招き入れ、ロンドと力を合わせて扉を閉めた。
彼らが足を踏み入れた居間には、藁や毛布を広げ、ここで寝起きしていた形跡がある。
そんな中で、白髪混じりの鉄灰色の髪を短く刈った男が、照れたように笑った。
「何しろ、寒さに耐えられませんのでな。暖炉の近くにいたいのです」
町長は、誰にともなく言い訳をするように頭を掻き、ふと冒険者たちの装備に目を留めた。

「おお、その身なり…もしや≪狼の隠れ家≫の冒険者の方々ですかな?」
「ええ。私たち、≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪と申します」
自己紹介したシシリーが、宿から持ってきた紹介状を見せて身分証明をした。
大いに安堵したように町長が顔を緩める。
「ああ、ありがたい。遠路遥々来てくださりありがとうございます…。私はここで町長を務めております」
「うちの宿の亭主とは、古いお知り合いだとか…?」
「はい、はい。それで彼がサセルカの異変を知り、冒険者を斡旋してくださると…」
ちょうど、彼ら旗を掲げる爪がクドラ教の一派である”死の女神”キュベルを祀る神殿へ出発した頃に、亭主がサルセカの町長と多少のやり取りをしていたらしい。
1週間かけてラゲル村から戻ってきた冒険者たちが、しばらくリューンを留守にしたいと亭主に切り出した時にすかさずこの話が出たのは、まさに神がかったタイミングだったわけである。
雪をなるべく玄関先で払い、暖炉を囲うようにしたパーティへ、町長はこの地方特産のグリューワイン――赤ワインにオレンジの皮やクローブ、シナモンなどを入れて温めた飲み物――を振る舞った。
独特の香りがするそれを啜ると、たちまち体が内側から温まってくる。
旗を掲げる爪が一息ついたのを見届けると、町長は堰を切るように話し始めた。
「皆さんも、街の様子にはさぞ驚かれたでしょう?今この街は、大変な危機に陥っているのです」
「うむ、町長殿。現在の状況について、詳しく教えてもらえるかの?」
「はい…街外れの湖に建つ城をもうご覧になりましたか?あれは古くからある城で、街の者は湖城と呼んでいます」
「ああ、あの大きな城か」
ロンドは、湖に偉容を見せていた建築物を思い浮かべて頷いた。
町長は組んだ両手の親指をくるくると回しながら、話を続ける。
「実はその昔…あそこには邪悪な魔術師が住んでおりましてね。多くの悪魔を従えていたのです」
「悪魔召喚師でしょうか?」
「魔法のことは詳しく存じませんが、恐らくそんなところかと。ですがそれでも、魔術師が死に絶えてからは長く平和だったのですが……ある日突如として、城全体が氷に覆われまして…」
薄青い氷に覆われた城からは、時折悪魔の姿が見られるようになり、さらには街の住民たちを徐々に攫い始めたのだという。
「命からがら逃げ帰った者によると、奴らは人々を殺すでも食うでもなく、魔物に変えてしまうのだと…」
「ほほう。魔物とな……」
「恐ろしい仕業です。ですが、街に棲む魔術師曰く、姿を変えられて日の浅い今ならまだ魔の体を滅ぼすことで人間の姿に戻れるのだそうです」
「おや、魔術師がいるのですか?」
ウィルバーはやや明るい声をあげた。
もし町の伝承に詳しい魔術師が街に残っているのであれば、そうでなくとも書き残した何らかの資料でもあれば……この街を救うきっかけなりと掴めるかもしれない。
少なくとも、魔物に変えられた人間が元に戻ることを判断できる程度には、知性は確かなのだろう。
だが、町長はちょっと困ったような顔をして言った。
「まあ…最近は痴呆が進んでいて、どこまで本当か分かりませんが…」
「おやおや。困りましたね…」
「あの、町長さん」
シシリーはこれだけは確認させて欲しいと、軽く手を挙げて口を開いた。
「私たちへの依頼は、そうなると悪魔を倒すことと、サルセカの人々を元に戻すこと。この二点ということなのでしょうか?」
「はい、その通りです」
鉄灰色の頭部を大きく縦に振って、町長は頷いた。
「もちろん、一息に為せる仕事ではないでしょう。宿屋の方も人が攫われておりますので、店が再開するまではうちの家で寝泊りしてください。滞在中の経費は、全てこちらで持ちますので」
「やったね」
パチン、と指を鳴らしたのはアンジェである。
それを不謹慎ですよと窘めてから、ウィルバーは報酬について訊ねてみた。
「悪魔共は一体ごとに報奨金を出すつもりです。全部で、銀貨3000枚ほどならご用意できます」
「銀貨3000枚ですか。税収もあるでしょうに、ずいぶんと思い切りましたね。そういえば、ここら辺は……」
ふと彼は言葉を切った。
ウィルバーの知る限り、ここサルセカを含む土地一帯の領主は、ニージュという名前の公爵だったはずである。
公爵位ともなれば王族の近親者であり、かなりの大騎士団を持っているはずだが、それに頼るつもりはないのかと訝しく思い、彼はそれを口にした。
町長の言によると、既に領主には今回の顛末について書状を出してあるそうなのだが、何やら公爵のお膝元でも何かの事件が起こったらしく、書状が領主の手元に届くまでに、かなりの時間を要するだろうというのだ。
「ですが、腰の重い騎士団や教会を待ってはいられないのです。何より、私の孫もあの城の中に……どうかよろしくお願いいたします」
「なるほど、そういうご事情でしたか…分かりました。私たち旗を掲げる爪がお引き受けします」
シシリーが革鎧に覆われた胸を叩いて首肯すると、町長はくしゃりと泣きそうな顔になって頭をぺこぺこと下げた。
その横で静かに首を横方向に振ったのは、リーダーであるシシリーである。
「仕事は仕事よ。人間が黒幕だった時だってあったでしょ、この間のように。…別に、悪魔が糸を引いてるから、私たちで片付けてくれなんて話じゃないと思うわ」
「そりゃ、ま、親父がそんな陰険で回りくどい真似するとは思ってねぇけどよ。……僕も被害妄想っぽくなってるのかね」
小粋な様子で肩を竦めたテーゼンに、うっすらと笑いを浮かべた男が、
「とにかく、この依頼のおかげで私たちはリューンを出られるわけですから、文句など言ってはいけませんよ。後のことは、エキスパートに任せましょう」
と宥めた。
頭髪がやや寂しげなこの魔術師は、殺人狂で引退したとは言え、元御堂騎士団の者を殺害した件について、リーダーである少女が困った立場に立たされることを懸念していたのである。
聖北教会に対する情報の働きかけがないと、シシリーが教会の過激派などから意に沿わぬ審問にかけられる可能性などがあるので、そちらの工作が終了するまでは様子を見たかった。
「そうそう。それにしても…サルセカってずいぶんと人が少ないよね」
「前に行った常夜の街みたいだな」
「凍えるように寒いのは、兄ちゃんを助けに行った鏡の中みたいだけどね」
「……それは言わないでくれ、アン」
アンジェとロンドが他愛無いやり取りをしつつ、似たような仕草で周囲を見渡している。
テーゼンも彼らに同調して、今まで歩いてきた街中を振り返った。

「辺り一面、雪が積もってる。こんな景色をきっと銀世界っていうんだろーな」
サルセカ――雪の舞う湖城を臨む街。
常であれば、ちらつく白の合間に見える民家の灯りが、見る者の心に温かさをもたらすのだが、今彼らが歩いている通りには人影がなかった。
「なんだか、暗くて寂しい街だね」
「どれどれ。試してみるかのう」
テアは降り積もった雪道を毛織のスカートと厚い皮のブーツでかき分けながら、試しに近くにある民家へ近寄り、今にも埋もれんとしている分厚い扉を数度ノックした。
しかし、中から返事はなく、ただ冷え切った廃墟の空気が僅かに漏れ出てくるだけであった。
老婆は仲間たちの方へ向き直り、首を横に振る。
「まるでゴーストタウンじゃ」
「ハックション!」
両手を口に当てて唾が散るの堪えたのは、シシリーであった。
テーゼンが気遣わしげに彼女に話しかける。
「シシリー、風邪か?」
「いいえ、なんでもないわ」
「そんなでけぇクシャミして、何でもないって?早く温けーとこ行くぞ」
「そうね。心配してくれてありがとう、テーゼン」
シシリーはちょっとはにかんだように微笑んで礼を言った。
「へっ?お、おう。風邪ひくといけねぇしな、うん」
心なしか、白磁のような彼の頬がうっすらと薄紅色を帯びている。
テアとウィルバーが珍しいものを見たとでも言うように凝視していたが、テーゼン当人がその視線に気付く前に、慌てて目を逸らし…素早く年長者同士のアイコンタクトをした。
(まさか…まさかとは思うんじゃが…)
(ええ、そんなはずはないですよ。だって、今さら……ねえ?)
(その傾向がなかったとは言わぬが…)
(え、気付きませんでしたよ!?!?い、いつです!?)
こんな細かい会話を目だけでできるのかと言われれば、できる人はできるのである。
今まで何度もお互いに命を預ける局面が多かったからこその技だろうが…今回はあいにくと、その内容は殺伐の二文字からから遠い。
だが、いつまでもストリートでグズグズしているわけにはいかない――亭主の古い知り合いだという依頼主は、冒険者たちの到着を待ちかねているのだから。
ロンドが高い身長を生かして、白い雪片に埋もれていく似たような家屋の中でも、ひときわ凝った造りをした一軒の家を見つけ出し、仲間たちに指し示した。
「あれじゃないのか、町長の家は」
「どうやらそのようですね。これじゃ、家へお邪魔する前に除雪する必要がありますが」
「……おっちゃん。その前に、町長さんとこ、ドアが凍り付いちゃってるよ」
茶色いどんぐり眼の見守る先、さすがに分厚い扉の下方が氷に侵蝕され始めている。
ロンドは腕で合図をし仲間達を下がらせると、担いできたスコップの能力を解放し、高熱を放つ愛用の武器でがつがつと除雪をし始めた。
底なしの体力と使い慣れた道具であること、さらにそれ自体が熱いこともあり、あっという間に町長の家と目される建物の周りが通りやすくなっていく。
ある程度のところで除雪を終わると、ロンドはスコップの熱を収縮し、ふうと一息ついた。
「こんなものでいいだろう。ほら、行こうぜ」
「あたし、兄ちゃんの武器がスコップで良かったと初めて思ったよ」
「わしもじゃ。便利じゃの」
ホビットに同意した老婆は再びノックをしてみる。
初老らしき男の声が応じ、鍵は開いているので入って欲しいというので、テアは手袋をしたままの手でドアノブを掴んだ。
寒冷地において素手で金属部分に触れると、皮膚がくっついてしまうことを彼女は知っている。
ぐいとドアを引くと、たちまち室内へ寒風が吹き荒ぶ――まるで氷の巨人の息吹のようだ。
テアは慌てて仲間達を中へ招き入れ、ロンドと力を合わせて扉を閉めた。
彼らが足を踏み入れた居間には、藁や毛布を広げ、ここで寝起きしていた形跡がある。
そんな中で、白髪混じりの鉄灰色の髪を短く刈った男が、照れたように笑った。
「何しろ、寒さに耐えられませんのでな。暖炉の近くにいたいのです」
町長は、誰にともなく言い訳をするように頭を掻き、ふと冒険者たちの装備に目を留めた。

「おお、その身なり…もしや≪狼の隠れ家≫の冒険者の方々ですかな?」
「ええ。私たち、≪狼の隠れ家≫の旗を掲げる爪と申します」
自己紹介したシシリーが、宿から持ってきた紹介状を見せて身分証明をした。
大いに安堵したように町長が顔を緩める。
「ああ、ありがたい。遠路遥々来てくださりありがとうございます…。私はここで町長を務めております」
「うちの宿の亭主とは、古いお知り合いだとか…?」
「はい、はい。それで彼がサセルカの異変を知り、冒険者を斡旋してくださると…」
ちょうど、彼ら旗を掲げる爪がクドラ教の一派である”死の女神”キュベルを祀る神殿へ出発した頃に、亭主がサルセカの町長と多少のやり取りをしていたらしい。
1週間かけてラゲル村から戻ってきた冒険者たちが、しばらくリューンを留守にしたいと亭主に切り出した時にすかさずこの話が出たのは、まさに神がかったタイミングだったわけである。
雪をなるべく玄関先で払い、暖炉を囲うようにしたパーティへ、町長はこの地方特産のグリューワイン――赤ワインにオレンジの皮やクローブ、シナモンなどを入れて温めた飲み物――を振る舞った。
独特の香りがするそれを啜ると、たちまち体が内側から温まってくる。
旗を掲げる爪が一息ついたのを見届けると、町長は堰を切るように話し始めた。
「皆さんも、街の様子にはさぞ驚かれたでしょう?今この街は、大変な危機に陥っているのです」
「うむ、町長殿。現在の状況について、詳しく教えてもらえるかの?」
「はい…街外れの湖に建つ城をもうご覧になりましたか?あれは古くからある城で、街の者は湖城と呼んでいます」
「ああ、あの大きな城か」
ロンドは、湖に偉容を見せていた建築物を思い浮かべて頷いた。
町長は組んだ両手の親指をくるくると回しながら、話を続ける。
「実はその昔…あそこには邪悪な魔術師が住んでおりましてね。多くの悪魔を従えていたのです」
「悪魔召喚師でしょうか?」
「魔法のことは詳しく存じませんが、恐らくそんなところかと。ですがそれでも、魔術師が死に絶えてからは長く平和だったのですが……ある日突如として、城全体が氷に覆われまして…」
薄青い氷に覆われた城からは、時折悪魔の姿が見られるようになり、さらには街の住民たちを徐々に攫い始めたのだという。
「命からがら逃げ帰った者によると、奴らは人々を殺すでも食うでもなく、魔物に変えてしまうのだと…」
「ほほう。魔物とな……」
「恐ろしい仕業です。ですが、街に棲む魔術師曰く、姿を変えられて日の浅い今ならまだ魔の体を滅ぼすことで人間の姿に戻れるのだそうです」
「おや、魔術師がいるのですか?」
ウィルバーはやや明るい声をあげた。
もし町の伝承に詳しい魔術師が街に残っているのであれば、そうでなくとも書き残した何らかの資料でもあれば……この街を救うきっかけなりと掴めるかもしれない。
少なくとも、魔物に変えられた人間が元に戻ることを判断できる程度には、知性は確かなのだろう。
だが、町長はちょっと困ったような顔をして言った。
「まあ…最近は痴呆が進んでいて、どこまで本当か分かりませんが…」
「おやおや。困りましたね…」
「あの、町長さん」
シシリーはこれだけは確認させて欲しいと、軽く手を挙げて口を開いた。
「私たちへの依頼は、そうなると悪魔を倒すことと、サルセカの人々を元に戻すこと。この二点ということなのでしょうか?」
「はい、その通りです」
鉄灰色の頭部を大きく縦に振って、町長は頷いた。
「もちろん、一息に為せる仕事ではないでしょう。宿屋の方も人が攫われておりますので、店が再開するまではうちの家で寝泊りしてください。滞在中の経費は、全てこちらで持ちますので」
「やったね」
パチン、と指を鳴らしたのはアンジェである。
それを不謹慎ですよと窘めてから、ウィルバーは報酬について訊ねてみた。
「悪魔共は一体ごとに報奨金を出すつもりです。全部で、銀貨3000枚ほどならご用意できます」
「銀貨3000枚ですか。税収もあるでしょうに、ずいぶんと思い切りましたね。そういえば、ここら辺は……」
ふと彼は言葉を切った。
ウィルバーの知る限り、ここサルセカを含む土地一帯の領主は、ニージュという名前の公爵だったはずである。
公爵位ともなれば王族の近親者であり、かなりの大騎士団を持っているはずだが、それに頼るつもりはないのかと訝しく思い、彼はそれを口にした。
町長の言によると、既に領主には今回の顛末について書状を出してあるそうなのだが、何やら公爵のお膝元でも何かの事件が起こったらしく、書状が領主の手元に届くまでに、かなりの時間を要するだろうというのだ。
「ですが、腰の重い騎士団や教会を待ってはいられないのです。何より、私の孫もあの城の中に……どうかよろしくお願いいたします」
「なるほど、そういうご事情でしたか…分かりました。私たち旗を掲げる爪がお引き受けします」
シシリーが革鎧に覆われた胸を叩いて首肯すると、町長はくしゃりと泣きそうな顔になって頭をぺこぺこと下げた。
2016/05/31 11:47 [edit]
category: 凍える湖城後の20の命を持つ黒龍
tb: -- cm: 0
| h o m e |