Sun.
くろがねのファンタズマその7 
通路を通り抜けると――蒼い闇が満ちる、広い空間に出た。
そこは、古代文明の残した様々な機構が天井や床を這う独特の部屋であり――同時に、この魔列車の全ての機能が集約されていることを感じさせる、まさに「中枢」であった。
ミカの体がよろける。
(……な、なんという魔力――)
例え魔法の才がほとんどない者でも、その蒼い闇に滞空する圧倒的な魔力を感じるほどに。
この場所は、何かが”はじまる”気配に満ちていた。
そこは、古代文明の残した様々な機構が天井や床を這う独特の部屋であり――同時に、この魔列車の全ての機能が集約されていることを感じさせる、まさに「中枢」であった。
ミカの体がよろける。
(……な、なんという魔力――)
例え魔法の才がほとんどない者でも、その蒼い闇に滞空する圧倒的な魔力を感じるほどに。
この場所は、何かが”はじまる”気配に満ちていた。
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シシリーの胸の辺りにぶら下がった聖印が、妙な波動を感じている。
(……なにかしら、この感じ。異常な魔力の他に、何か――)
冒険者の本能が、全力で“その気配”の発生源を索敵し始める。
(…そう、前の車両より気温が高すぎる。そして、モノの焼けた匂い。大気が炎で掻き乱された気配…)
暑さ。熱さ。――炎の、気配。
我知らず、シシリーは叫んでいた。
「――跳んでミカ!奥から何か来るッ!!」
前方、鋼鉄の扉を跳ね開けて、漆黒の物体が突進してきた――。
「きゃああああ――――!?」
悲鳴を上げるミカの腕を掴み、死を体現したような顎から逃れる。
「ッ――こいつは!!」
「地獄の猟犬、ヘルハウンドですっ……!」
伝承に聞く地獄の番犬。
それが口腔から炎を撒き散らしつつ、躍りかかって来る。
2人はとっさに、部屋の左右の隅へとダイブした。
せっかくの獲物を逃がしたヘルハウンドが、悔しげに吠える。
「グルゥゥゥウウ……!」
「ほんとうに、貴方たちの勘は野生の獣並みなのね――」
そんな透明な声とともに、カツカツと足音高くこちらに歩み寄ってきた姿がある。
「死霊術師……!」
「あ……あぁ……」
ミカが青ざめ、かすかに震えている。
ふっと口の端を僅かに上げ、死霊術師は言った。
「やっと記憶が戻ってきたのかしら?ミカ・ノーストリリア……」
色のない瞳が、ミカを見た後にシシリーへ向けられる。
「それにしても、わたしの使い魔を殺し”至る道”の件まで洞察しておきながら――貴方たちも、最後の詰めが甘いのね」
「……どういう意味かしら?」
「簡単よ。使い魔の目を通じ私が貴方たちを監視できることは知っていたみたいね?だったら、わたしが殺したその娘の目と耳を媒介に――貴方たちをずっと”見て”いるかもしれないとは、考えなかったのかしら?」
「っ!?」
「……そっ、そんな、全部――」
「見ていたわ。予想以上に、生贄の数が必要だったから……”至る道”の仕上げに、冒険者が乗り込んで来てくれるとは、好都合というもの」
口上を述べる死霊術師の隙を、シシリーは絶え間なく伺っていた。
だが、傍に控えた番犬の口元に焔がちらついている。
さらには術師までの十数フィートの距離……全てミカを通して聞かれていたというのが事実なら、この待ち伏せの状況は恐ろしく不利だった。
「ひとつ、聞かせて」
「良いわよ。礼儀に適った質問であればね」
「なぜ、ミカを殺したの?」
「命の最も自然な状態とは…”死”であると――わたしは師に叩きこまれた」
「”死”――?」
「感情、思想、成長、退化。そういった雑音の混じらない純粋な静止状態。それが“死”」
冷たいどこまでも透き通るばかりの声が、人気の少ない部屋に満ちる。
「ミカ・ノーストリリアは、魔術師の卵と名乗ったわ。魔術師とは、いずれ世界の真理を目指すものでしょう――だから、“試練”を与えてみたの。自分の命を奪われた時、世界の真の形に気付くか、これまでの虚偽にしがみつくか」
死霊術師の薄い瞼がそっと閉じられた。
「――結果は。死への恐怖が勝ったのか、己の事すら忘れ去るという魔術師として不甲斐ないものだったわね」
死霊術師の目の奥に、なぜかシシリーは自分の姿が映っている気がした。
虚ろで、何も持たず。
ただ、打ちを吹き抜ける風の音だけを響かせる自分が。
ミカの声はもう、言葉にはならない。ただ、結末に待つ闇の予感に震えているだけだった。
「そんな理由――?」
「まあ…いずれにしても。この列車は、古代の隧道を走り回り、儀式の魔力を集めるにはもってこいの集積回路だった」
「……それも、ここで終わるわね」
「終わりなどしないわ。たかがひよっ子二人、飛び込んできた所で何が終わるというの?」
死霊術師が優雅な指を閃かせると同時に、控えていたヘルハウンドが咆哮する。
「魔列車の中枢に、古代王国が魔法で繋ぎとめたヘルハウンド……魔列車に異界の熱を供給し続けるこの子の吐息の温度は、1000度に届くのよ」
満足そうに細められた死霊術師の目が、2人の終着を見据えていた。
「終わるのは――貴方たちだったわね!」

その言葉が終わらぬ内に吐き出されたはずの、超高熱の爆炎は――輝く魔法障壁によって、切り裂かれていた。
ミカが嬉しげにそれを生み出した者の名を呼ぶ。
「ウィルバーさん!!」
「やあ。ちゃんと間に合いましたね」
のんびりした声に引き続き、機関室に聞きなれた心強い足音が飛び込んできた。
「死霊術という術式には、大きな欠点があります」
自らも、さる依頼により手に入れた死霊術の術式を扱っている男は、淡々と目の前の敵へ告げた。
「贄や素体の潜在能力に力が左右されやすいこと。そして、力をいったん得てしまうと、術者がそれに慢心しやすいこと」
「貴様――」
「出て行く機会を伺っていたら、色々と手の内を明かしてくれて、感謝しますよ」
「ねえ、ウィルバー」
眉を八の字にした情けない表情でシシリーは発言した。
「毎回、人をダシにして敵の手札を切らせるのやめてくれない?」
「ひどいですね。これでも、誰も死なせないよう、命を削って考えているのですよ。おかげで薄毛が進んじゃって困ってるくらいで」
「その辺で自虐ネタ終わろうな、ウィルバーさん」
話を遮ったロンドが、満足そうにスコップの先を死霊術者に向けた。
「なんにせよ、ここからが本番だ!」
「ふ――ふ、ふふ……色のない世界より、この地に渉り百有余年。長い雌伏の時を経て、ついに満ちた転生の時――これ以上、土足で汚すことは許さない」
色のないはずの目に、己の術の完成への執着を貼り付けて術者は言った。
「死して儀式の最後の贄となるがいい――」
「――!?」
圧倒的な魔力の奔流が、冒険者たちの視界を灼いた。
「“至る道”が完成する!ミカ、みんな、儀式の阻止を――」
「儀式の阻止――!?無駄よ――!!貴方たちの到着、少々遅かったわね。”至る道”に必要な魔力は…」
煌々と輝くエネルギー体が、彼女の手のひらに収束する。
「わたしに、今、全て集まった――!!」
「ッ――!!あぁぁッ!!」
それぞれ必殺の一撃を放とうとした冒険者たちが、木っ葉のように吹き飛ばされた。
純粋な魔力だけというなら、シシリーがこれまで見た中で、最も強い。
圧倒的な力の壁が、目の前に生まれた――が。
「こ……この――殺した人間を、死んだ後まで弄んでっ!ミカを――返しなさい―――ッ!!」
この壁に決して阻まれてはならない。
シシリーは刀身に法力を集め、己の怯む気持ちを叩き切るかのように目の前のヘルハウンドへ振るった。
ウィルバーの【蒼の軌跡】が、ロンドの【漣の拳】が、テアの【赫灼の砂塵】が、次々とヘルハウンドの体力を削っていく。
その合間にも、死霊術師に向けてアンジェとテーゼンが各々の武器を振るっている。
死霊術師は余裕を持ってアンジェの糸を――それこそ、使い魔の蜘蛛のように防御しようとしたが、直前でその軌道は変わった。
「なっ!?」
僅かな指の動きで鋼糸を引き戻し、首を狙っていた糸の軌道が腕を引き裂いたのである。
傷を押さえ眉を寄せた術師は、死霊術の力の源、死そのものにも例えられるそれを、小生意気なホビットへと注ぎ込もうとした。
「あぶねえ、アンジェ!」
「わっ!」
とっさに翼を羽ばたかせて彼女を庇ったテーゼンは、死霊術師の指先から溢れるそれに触れてしまい、生命力を徐々に穿たれた魔力的な穴から零していく。
リッチと化した女はさらに魔法を重ね、旗を掲げる爪の仲間たちの霊魂の一部を引き剥がしたり、或いは死者の墓土の呪いをかけることで彼らの機動力を奪っていった。
仲間たちの苦悶の声が響く中、更なる【死の混入】によって倒れたテーゼンだったが、テアの【安らぎの歌】やミカの【封傷の法】によって意識を取り戻した。
「くっそ……」
槍を杖のように用い、無理矢理身体を起こす。
傍に走り寄ったアンジェが彼に肩を貸した。
「ごめん、羽の兄ちゃん……」
「いい。それより、他の奴らのための時間を稼ぐぞ。あのくそ犬さえ沈めば、戦況は有利だ」
「うん!」
本当は、それほど有利になるわけではない――地獄の猟犬はまだしも、目の前の死霊術師は魔神級の、あるいは”場”を整えている今はそれ以上の力を持っている。
だが、彼女の操る魔力には揺らめきが見られる。
この状態なら、完全に神聖な力を無効と化すわけではない。
そのテーゼンの読みは、何度も【理矢の法】の魔力の矢で貫かれ、シシリーとロンドの攻撃によってヘルハウンドが倒れた後に立証された。

ロンドが不死者を弔う時のように振り回したスコップ――【花葬】の神聖な力が、リッチの結界を引き裂いた――!
「行け――ッ!」
「非力な人間の魔力でッ――!不死王の防壁を貫くだと!?」
リッチの魔法障壁が神聖な力に耐えかね、四散した――!
今だ、と判断したテーゼンが、≪ダリの愛槍≫を稲妻のごとく操り、神速の突きを放つ。
その一撃がリッチの身体を深々と貫いた。
もはや血も流れない肢体が、大きく傾ぐ。
「――この、下衆ども……が!」
恨みを込めた声が振り絞られる。
「ここで…終わってなるものか!」
周囲の霊気を貪るように吸収し、彼女は再び、ゆらりと起き上がった――。
「……人間だったにしちゃ、大した執念だな」
だがそれも、しょせんは一時の悪あがき――悪魔の目の前でシシリーの【十字斬り】が、憤怒の表情で立つ女の額を断ち割った。
「これが旅の――終着点よ!」
「ギィアアアアアアアアアア――!!」
微かな魔力の残光を最後に、死霊術師は絶命した。
それと同時に、機関室の部屋の奥に――天窓を貫くように、白い奔流が立ち昇る。
「これ――は……」
言葉を失ったように佇むシシリーの後ろで、ウィルバーが呟く。
「死霊術師が列車と自分に蓄えていた霊力が――元に戻ろうとしています。”至る道”は、阻止された」
「………」
ミカは遠い目をして、その光の柱を見つめた。
「ミカ――?」
「ごめんなさい――みんな。やっぱり、ダメみたいです…」
ミカの体が煌めき、輪郭が揺らいでいく。
空へ還るように伸びる白い光の柱に、ミカの姿が同化しつつあるのだと――嫌でも、悟らざるを得なかった。
シシリーがテーゼンに迫り寄る。
「……っ!儀式を阻止すれば、ミカに生命力が還ってくるハズじゃ――!?」
「僕は言っただろ。可能性は高くはないけどなって」
仲間たちは皆、沈黙していた。
僅かな望みに賭けるしかない時はあり、そしてそれが、報われないこともある。
だが、誰も。
望みが絶たれる――その痛みに、慣れる事はなかった。
「み、みんな、がっかりしないでください!こんなに…最後まで、すごい冒険を体験できた冒険者なんて、そうそういませんよ――!」
ミカの新緑のような瞳が、いっそう薄まっていくが、嬉しげに細められていたのは分かった。
「わたし、旗を掲げる爪の――いちばんの活躍を見られたんですから」
願いは叶いました、と。冒険者の少女は言った。
「ミカ……いやよ。ここで、諦めるなんてできない」
テーゼンは軽く目を瞠った。
「……お、おい、シシリー」
諦めきれず、もがく故に。
傷が深くなることもある。
より、多くの血が流れることも。
それでも、とシシリーは考える。
神話でも御伽噺でも、価値ある本当の宝を見つけ出すのは、いつだって純粋な者たちだ。
自分がそんな、大袈裟な者でなくても――消えゆくミカの命を、たった一つの宝を。
見つけることを、諦めるわけにはいかないのだ。
「……っ、シシリーさん……」
ミカの目に涙が溢れる。
不意に、ミカの瞳の色を見ていたテーゼンが、ある物の存在を連想して思い出した。
「シシリー。アンタ、娯楽室にあった箱から持ってきたやつ、あるだろ。四角いの」
「メモリ・キューブ……?」
「それだそれ!シシリー、それ壊せ!」
「……!?キューブを、壊す?」
「そうか……その手がありましたか!」
ウィルバーがテーゼンの言わんとしたことに気付き、シシリーがポケットから取り出したキューブを興奮した様子で指差した。

「そのキューブは、記憶を固着させる魔法が掛かった品。ミカの記憶も、その中にある――!」
「……!そうか――消えてはダメ、ミカ!ここが、ミカの戻る場所よ!」
儚いガラスが砕けるような音とともに、キューブの中から輝く緑色の光が解き放たれ、部屋中を駆け巡った。
光は冒険者たちの髪を揺らし、心を揺さぶり、過去を、想い出を、忘れえぬ記憶を煌めきの中に呼び覚ましていく。
そして、くろがねの魔列車の深い暗闇を、故郷と安寧の記憶、緑色の柔らかな光が埋め尽くした。
列車を形成していた霊とミカの意識が混じりあい、見せた刹那の幻像だろうか――?
光の奔流の中に、冒険者はミカの”幸せな記憶”を見た気がした。
いくつものミカと話す記憶が過ぎ去っていき、最後に――。
「そうだ。聞いたことあります?虹の下には――宝物が埋まっているそうです」
「いつか――でっかい宝物。見つけてみたいですよね……!」
雨上がりの空に掛かっていた虹を見つめながら、緑の双眸を輝かせて言ったミカの顔。
線路の続く荒野に立ち尽くした冒険者たちの目の前に、未だに奔流の止まぬ光の柱の周囲から、花弁のように舞い降りる白い粒子の中に、同じような表情をした彼女が立っていた。
生きている。
確かに、彼女は生きている。
感極まって彼女へと駆け寄り、歓声を上げる若者たちを見つめながら、ぼそりとウィルバーが言った。
「……ねえ、テアさん。どう思います?アーシウムの赤ワインと、全員分の高級デザート。それくらいは注文していいと思うのですが」
「そうじゃの。今回は、中々に苦労したからのう……ローストビーフの塊と揚げじゃがも、若いもんに追加してやっていいのではないかえ?」
ククク、といかにも心地良さそうな笑い声をあげながら、年長者たちは互いの背中を労わるように叩き合った。
彼らの目の前で、死霊術師が封印を解いた魔列車と、多くの死者たちは、全て役目を解かれ、夜明けの空へと還っていく。
旗を掲げる爪の面々が命を取り戻した、1人の少女を除いて。
※収入:報酬400sp、【至る道】、≪聖水≫
※支出:れかん魔法品物店(鬼灯様作)にて≪草核の鎧甲≫、青のハイドランジア(Z3様作)にて【毒蛇の牙】購入。
※吹雪様作、くろがねのファンタズマクリア!
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■後書きまたは言い訳
47回目のお仕事は、吹雪様のくろがねのファンタズマです。
頑張った、私相当頑張った!
リプレイを書いた側の私でさえどっと疲れが押し寄せてくるのですから、恐らくこのシナリオを作った吹雪様の方は、シナリオ完成時にはもっと疲れていた&達成感凄かったのではないかと思われます。
大好きなシナリオの一つなのですが、それだけにリプレイにする際、削っていいシーンという物がほとんどなくてですね……参謀のセリフの一部をテーゼンに喋らせたり、テア婆ちゃんの発言が妙に少なくなっちゃったり、冒険者の台詞が一部違ってたりするんですが、それは置いといて、とにかく長くなりました。
吹雪様のシナリオの面白さを削ってしまってたら、まことに申し訳ございません。
くろがねのファンタズマ自体、他の色んなシナリオとのクロスオーバーがあるのですが、旗を掲げる爪はなんと”一つも”クロスするシナリオをやってませんでした。精々、アスカロン教会跡(Niwatorry様作)で貰える心の闇と、モノクローナム世界の元になったモノクローナム・カトル(しろねこ様作)くらい?
でも、色んなところで今まで体験したシナリオのことを出してあります。勝手にクロス。
冒険者に転向したナイト=ひなた様の赤い花は三度咲く
宿の地下にあったゲート=ほしみ様の宿の地下の怪
鏡の魔神に成り代わられた=つちくれ様のIn the mirror
ヴィスマールで行方知れずになった冒険者仲間=VIPの>>154の方様の不遇の呪文
血に塗れ息絶えようとした子ども=ほしみ様の死神と幼き者
猫との接近にすっかり慣れたアンジェ=つちくれ様のねことぼうけんしゃと
ついでに……私はあれ以上リミットが減るのが嫌で、つい機甲の兵士に向かってぶっ放しましたが、ロケットランチャーは最終戦に持ち込んだほうが、戦いは有利になると思います。【至る道】持ってるのが前提の話になってたと思いますが……。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
(……なにかしら、この感じ。異常な魔力の他に、何か――)
冒険者の本能が、全力で“その気配”の発生源を索敵し始める。
(…そう、前の車両より気温が高すぎる。そして、モノの焼けた匂い。大気が炎で掻き乱された気配…)
暑さ。熱さ。――炎の、気配。
我知らず、シシリーは叫んでいた。
「――跳んでミカ!奥から何か来るッ!!」
前方、鋼鉄の扉を跳ね開けて、漆黒の物体が突進してきた――。
「きゃああああ――――!?」
悲鳴を上げるミカの腕を掴み、死を体現したような顎から逃れる。
「ッ――こいつは!!」
「地獄の猟犬、ヘルハウンドですっ……!」
伝承に聞く地獄の番犬。
それが口腔から炎を撒き散らしつつ、躍りかかって来る。
2人はとっさに、部屋の左右の隅へとダイブした。
せっかくの獲物を逃がしたヘルハウンドが、悔しげに吠える。
「グルゥゥゥウウ……!」
「ほんとうに、貴方たちの勘は野生の獣並みなのね――」
そんな透明な声とともに、カツカツと足音高くこちらに歩み寄ってきた姿がある。
「死霊術師……!」
「あ……あぁ……」
ミカが青ざめ、かすかに震えている。
ふっと口の端を僅かに上げ、死霊術師は言った。
「やっと記憶が戻ってきたのかしら?ミカ・ノーストリリア……」
色のない瞳が、ミカを見た後にシシリーへ向けられる。
「それにしても、わたしの使い魔を殺し”至る道”の件まで洞察しておきながら――貴方たちも、最後の詰めが甘いのね」
「……どういう意味かしら?」
「簡単よ。使い魔の目を通じ私が貴方たちを監視できることは知っていたみたいね?だったら、わたしが殺したその娘の目と耳を媒介に――貴方たちをずっと”見て”いるかもしれないとは、考えなかったのかしら?」
「っ!?」
「……そっ、そんな、全部――」
「見ていたわ。予想以上に、生贄の数が必要だったから……”至る道”の仕上げに、冒険者が乗り込んで来てくれるとは、好都合というもの」
口上を述べる死霊術師の隙を、シシリーは絶え間なく伺っていた。
だが、傍に控えた番犬の口元に焔がちらついている。
さらには術師までの十数フィートの距離……全てミカを通して聞かれていたというのが事実なら、この待ち伏せの状況は恐ろしく不利だった。
「ひとつ、聞かせて」
「良いわよ。礼儀に適った質問であればね」
「なぜ、ミカを殺したの?」
「命の最も自然な状態とは…”死”であると――わたしは師に叩きこまれた」
「”死”――?」
「感情、思想、成長、退化。そういった雑音の混じらない純粋な静止状態。それが“死”」
冷たいどこまでも透き通るばかりの声が、人気の少ない部屋に満ちる。
「ミカ・ノーストリリアは、魔術師の卵と名乗ったわ。魔術師とは、いずれ世界の真理を目指すものでしょう――だから、“試練”を与えてみたの。自分の命を奪われた時、世界の真の形に気付くか、これまでの虚偽にしがみつくか」
死霊術師の薄い瞼がそっと閉じられた。
「――結果は。死への恐怖が勝ったのか、己の事すら忘れ去るという魔術師として不甲斐ないものだったわね」
死霊術師の目の奥に、なぜかシシリーは自分の姿が映っている気がした。
虚ろで、何も持たず。
ただ、打ちを吹き抜ける風の音だけを響かせる自分が。
ミカの声はもう、言葉にはならない。ただ、結末に待つ闇の予感に震えているだけだった。
「そんな理由――?」
「まあ…いずれにしても。この列車は、古代の隧道を走り回り、儀式の魔力を集めるにはもってこいの集積回路だった」
「……それも、ここで終わるわね」
「終わりなどしないわ。たかがひよっ子二人、飛び込んできた所で何が終わるというの?」
死霊術師が優雅な指を閃かせると同時に、控えていたヘルハウンドが咆哮する。
「魔列車の中枢に、古代王国が魔法で繋ぎとめたヘルハウンド……魔列車に異界の熱を供給し続けるこの子の吐息の温度は、1000度に届くのよ」
満足そうに細められた死霊術師の目が、2人の終着を見据えていた。
「終わるのは――貴方たちだったわね!」

その言葉が終わらぬ内に吐き出されたはずの、超高熱の爆炎は――輝く魔法障壁によって、切り裂かれていた。
ミカが嬉しげにそれを生み出した者の名を呼ぶ。
「ウィルバーさん!!」
「やあ。ちゃんと間に合いましたね」
のんびりした声に引き続き、機関室に聞きなれた心強い足音が飛び込んできた。
「死霊術という術式には、大きな欠点があります」
自らも、さる依頼により手に入れた死霊術の術式を扱っている男は、淡々と目の前の敵へ告げた。
「贄や素体の潜在能力に力が左右されやすいこと。そして、力をいったん得てしまうと、術者がそれに慢心しやすいこと」
「貴様――」
「出て行く機会を伺っていたら、色々と手の内を明かしてくれて、感謝しますよ」
「ねえ、ウィルバー」
眉を八の字にした情けない表情でシシリーは発言した。
「毎回、人をダシにして敵の手札を切らせるのやめてくれない?」
「ひどいですね。これでも、誰も死なせないよう、命を削って考えているのですよ。おかげで薄毛が進んじゃって困ってるくらいで」
「その辺で自虐ネタ終わろうな、ウィルバーさん」
話を遮ったロンドが、満足そうにスコップの先を死霊術者に向けた。
「なんにせよ、ここからが本番だ!」
「ふ――ふ、ふふ……色のない世界より、この地に渉り百有余年。長い雌伏の時を経て、ついに満ちた転生の時――これ以上、土足で汚すことは許さない」
色のないはずの目に、己の術の完成への執着を貼り付けて術者は言った。
「死して儀式の最後の贄となるがいい――」
「――!?」
圧倒的な魔力の奔流が、冒険者たちの視界を灼いた。
「“至る道”が完成する!ミカ、みんな、儀式の阻止を――」
「儀式の阻止――!?無駄よ――!!貴方たちの到着、少々遅かったわね。”至る道”に必要な魔力は…」
煌々と輝くエネルギー体が、彼女の手のひらに収束する。
「わたしに、今、全て集まった――!!」
「ッ――!!あぁぁッ!!」
それぞれ必殺の一撃を放とうとした冒険者たちが、木っ葉のように吹き飛ばされた。
純粋な魔力だけというなら、シシリーがこれまで見た中で、最も強い。
圧倒的な力の壁が、目の前に生まれた――が。
「こ……この――殺した人間を、死んだ後まで弄んでっ!ミカを――返しなさい―――ッ!!」
この壁に決して阻まれてはならない。
シシリーは刀身に法力を集め、己の怯む気持ちを叩き切るかのように目の前のヘルハウンドへ振るった。
ウィルバーの【蒼の軌跡】が、ロンドの【漣の拳】が、テアの【赫灼の砂塵】が、次々とヘルハウンドの体力を削っていく。
その合間にも、死霊術師に向けてアンジェとテーゼンが各々の武器を振るっている。
死霊術師は余裕を持ってアンジェの糸を――それこそ、使い魔の蜘蛛のように防御しようとしたが、直前でその軌道は変わった。
「なっ!?」
僅かな指の動きで鋼糸を引き戻し、首を狙っていた糸の軌道が腕を引き裂いたのである。
傷を押さえ眉を寄せた術師は、死霊術の力の源、死そのものにも例えられるそれを、小生意気なホビットへと注ぎ込もうとした。
「あぶねえ、アンジェ!」
「わっ!」
とっさに翼を羽ばたかせて彼女を庇ったテーゼンは、死霊術師の指先から溢れるそれに触れてしまい、生命力を徐々に穿たれた魔力的な穴から零していく。
リッチと化した女はさらに魔法を重ね、旗を掲げる爪の仲間たちの霊魂の一部を引き剥がしたり、或いは死者の墓土の呪いをかけることで彼らの機動力を奪っていった。
仲間たちの苦悶の声が響く中、更なる【死の混入】によって倒れたテーゼンだったが、テアの【安らぎの歌】やミカの【封傷の法】によって意識を取り戻した。
「くっそ……」
槍を杖のように用い、無理矢理身体を起こす。
傍に走り寄ったアンジェが彼に肩を貸した。
「ごめん、羽の兄ちゃん……」
「いい。それより、他の奴らのための時間を稼ぐぞ。あのくそ犬さえ沈めば、戦況は有利だ」
「うん!」
本当は、それほど有利になるわけではない――地獄の猟犬はまだしも、目の前の死霊術師は魔神級の、あるいは”場”を整えている今はそれ以上の力を持っている。
だが、彼女の操る魔力には揺らめきが見られる。
この状態なら、完全に神聖な力を無効と化すわけではない。
そのテーゼンの読みは、何度も【理矢の法】の魔力の矢で貫かれ、シシリーとロンドの攻撃によってヘルハウンドが倒れた後に立証された。

ロンドが不死者を弔う時のように振り回したスコップ――【花葬】の神聖な力が、リッチの結界を引き裂いた――!
「行け――ッ!」
「非力な人間の魔力でッ――!不死王の防壁を貫くだと!?」
リッチの魔法障壁が神聖な力に耐えかね、四散した――!
今だ、と判断したテーゼンが、≪ダリの愛槍≫を稲妻のごとく操り、神速の突きを放つ。
その一撃がリッチの身体を深々と貫いた。
もはや血も流れない肢体が、大きく傾ぐ。
「――この、下衆ども……が!」
恨みを込めた声が振り絞られる。
「ここで…終わってなるものか!」
周囲の霊気を貪るように吸収し、彼女は再び、ゆらりと起き上がった――。
「……人間だったにしちゃ、大した執念だな」
だがそれも、しょせんは一時の悪あがき――悪魔の目の前でシシリーの【十字斬り】が、憤怒の表情で立つ女の額を断ち割った。
「これが旅の――終着点よ!」
「ギィアアアアアアアアアア――!!」
微かな魔力の残光を最後に、死霊術師は絶命した。
それと同時に、機関室の部屋の奥に――天窓を貫くように、白い奔流が立ち昇る。
「これ――は……」
言葉を失ったように佇むシシリーの後ろで、ウィルバーが呟く。
「死霊術師が列車と自分に蓄えていた霊力が――元に戻ろうとしています。”至る道”は、阻止された」
「………」
ミカは遠い目をして、その光の柱を見つめた。
「ミカ――?」
「ごめんなさい――みんな。やっぱり、ダメみたいです…」
ミカの体が煌めき、輪郭が揺らいでいく。
空へ還るように伸びる白い光の柱に、ミカの姿が同化しつつあるのだと――嫌でも、悟らざるを得なかった。
シシリーがテーゼンに迫り寄る。
「……っ!儀式を阻止すれば、ミカに生命力が還ってくるハズじゃ――!?」
「僕は言っただろ。可能性は高くはないけどなって」
仲間たちは皆、沈黙していた。
僅かな望みに賭けるしかない時はあり、そしてそれが、報われないこともある。
だが、誰も。
望みが絶たれる――その痛みに、慣れる事はなかった。
「み、みんな、がっかりしないでください!こんなに…最後まで、すごい冒険を体験できた冒険者なんて、そうそういませんよ――!」
ミカの新緑のような瞳が、いっそう薄まっていくが、嬉しげに細められていたのは分かった。
「わたし、旗を掲げる爪の――いちばんの活躍を見られたんですから」
願いは叶いました、と。冒険者の少女は言った。
「ミカ……いやよ。ここで、諦めるなんてできない」
テーゼンは軽く目を瞠った。
「……お、おい、シシリー」
諦めきれず、もがく故に。
傷が深くなることもある。
より、多くの血が流れることも。
それでも、とシシリーは考える。
神話でも御伽噺でも、価値ある本当の宝を見つけ出すのは、いつだって純粋な者たちだ。
自分がそんな、大袈裟な者でなくても――消えゆくミカの命を、たった一つの宝を。
見つけることを、諦めるわけにはいかないのだ。
「……っ、シシリーさん……」
ミカの目に涙が溢れる。
不意に、ミカの瞳の色を見ていたテーゼンが、ある物の存在を連想して思い出した。
「シシリー。アンタ、娯楽室にあった箱から持ってきたやつ、あるだろ。四角いの」
「メモリ・キューブ……?」
「それだそれ!シシリー、それ壊せ!」
「……!?キューブを、壊す?」
「そうか……その手がありましたか!」
ウィルバーがテーゼンの言わんとしたことに気付き、シシリーがポケットから取り出したキューブを興奮した様子で指差した。

「そのキューブは、記憶を固着させる魔法が掛かった品。ミカの記憶も、その中にある――!」
「……!そうか――消えてはダメ、ミカ!ここが、ミカの戻る場所よ!」
儚いガラスが砕けるような音とともに、キューブの中から輝く緑色の光が解き放たれ、部屋中を駆け巡った。
光は冒険者たちの髪を揺らし、心を揺さぶり、過去を、想い出を、忘れえぬ記憶を煌めきの中に呼び覚ましていく。
そして、くろがねの魔列車の深い暗闇を、故郷と安寧の記憶、緑色の柔らかな光が埋め尽くした。
列車を形成していた霊とミカの意識が混じりあい、見せた刹那の幻像だろうか――?
光の奔流の中に、冒険者はミカの”幸せな記憶”を見た気がした。
いくつものミカと話す記憶が過ぎ去っていき、最後に――。
「そうだ。聞いたことあります?虹の下には――宝物が埋まっているそうです」
「いつか――でっかい宝物。見つけてみたいですよね……!」
雨上がりの空に掛かっていた虹を見つめながら、緑の双眸を輝かせて言ったミカの顔。
線路の続く荒野に立ち尽くした冒険者たちの目の前に、未だに奔流の止まぬ光の柱の周囲から、花弁のように舞い降りる白い粒子の中に、同じような表情をした彼女が立っていた。
生きている。
確かに、彼女は生きている。
感極まって彼女へと駆け寄り、歓声を上げる若者たちを見つめながら、ぼそりとウィルバーが言った。
「……ねえ、テアさん。どう思います?アーシウムの赤ワインと、全員分の高級デザート。それくらいは注文していいと思うのですが」
「そうじゃの。今回は、中々に苦労したからのう……ローストビーフの塊と揚げじゃがも、若いもんに追加してやっていいのではないかえ?」
ククク、といかにも心地良さそうな笑い声をあげながら、年長者たちは互いの背中を労わるように叩き合った。
彼らの目の前で、死霊術師が封印を解いた魔列車と、多くの死者たちは、全て役目を解かれ、夜明けの空へと還っていく。
旗を掲げる爪の面々が命を取り戻した、1人の少女を除いて。
※収入:報酬400sp、【至る道】、≪聖水≫
※支出:れかん魔法品物店(鬼灯様作)にて≪草核の鎧甲≫、青のハイドランジア(Z3様作)にて【毒蛇の牙】購入。
※吹雪様作、くろがねのファンタズマクリア!
--------------------------------------------------------
■後書きまたは言い訳
47回目のお仕事は、吹雪様のくろがねのファンタズマです。
頑張った、私相当頑張った!
リプレイを書いた側の私でさえどっと疲れが押し寄せてくるのですから、恐らくこのシナリオを作った吹雪様の方は、シナリオ完成時にはもっと疲れていた&達成感凄かったのではないかと思われます。
大好きなシナリオの一つなのですが、それだけにリプレイにする際、削っていいシーンという物がほとんどなくてですね……参謀のセリフの一部をテーゼンに喋らせたり、テア婆ちゃんの発言が妙に少なくなっちゃったり、冒険者の台詞が一部違ってたりするんですが、それは置いといて、とにかく長くなりました。
吹雪様のシナリオの面白さを削ってしまってたら、まことに申し訳ございません。
くろがねのファンタズマ自体、他の色んなシナリオとのクロスオーバーがあるのですが、旗を掲げる爪はなんと”一つも”クロスするシナリオをやってませんでした。精々、アスカロン教会跡(Niwatorry様作)で貰える心の闇と、モノクローナム世界の元になったモノクローナム・カトル(しろねこ様作)くらい?
でも、色んなところで今まで体験したシナリオのことを出してあります。勝手にクロス。
冒険者に転向したナイト=ひなた様の赤い花は三度咲く
宿の地下にあったゲート=ほしみ様の宿の地下の怪
鏡の魔神に成り代わられた=つちくれ様のIn the mirror
ヴィスマールで行方知れずになった冒険者仲間=VIPの>>154の方様の不遇の呪文
血に塗れ息絶えようとした子ども=ほしみ様の死神と幼き者
猫との接近にすっかり慣れたアンジェ=つちくれ様のねことぼうけんしゃと
ついでに……私はあれ以上リミットが減るのが嫌で、つい機甲の兵士に向かってぶっ放しましたが、ロケットランチャーは最終戦に持ち込んだほうが、戦いは有利になると思います。【至る道】持ってるのが前提の話になってたと思いますが……。
当リプレイはGroupAsk製作のフリーソフト『Card Wirth』を基にしたリプレイ小説です。
著作権はそれぞれのシナリオの製作者様にあります。
また小説内で用いられたスキル、アイテム、キャスト、召喚獣等は、それぞれの製作者様にあります。使用されている画像の著作権者様へ、問題がありましたら、大変お手数ですがご連絡をお願いいたします。適切に対処いたします。
2016/05/15 12:49 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
tb: -- cm: 0
Sun.
くろがねのファンタズマその6 
壁を埋め尽くしているはずの本棚が倒壊した車両の中、次の車両へ続く出口を塞いでいる瓦解した棚が冒険者たちの進行を邪魔していたのだが――。
「えいっ!」
「みんなっ、伏せて!」
シシリーが勢いよく投げつけた火晶石によって生まれた爆炎が、大量の書物を飲み込む。
粉塵と化した本が吹っ飛び、新たに進むべき道が開かれた。
そんな混沌とした中で、ウィルバーは一冊の本を拾い上げ、凍りついたように固まっている。
「えいっ!」
「みんなっ、伏せて!」
シシリーが勢いよく投げつけた火晶石によって生まれた爆炎が、大量の書物を飲み込む。
粉塵と化した本が吹っ飛び、新たに進むべき道が開かれた。
そんな混沌とした中で、ウィルバーは一冊の本を拾い上げ、凍りついたように固まっている。
-- 続きを読む --
気付いたテアが眉根を寄せ、彼の手から本を叩き落した。
「おぬしは…本と見れば、分別のなくなる男じゃの。捕われておったな?」
「すいません、ありがとうございました。悪名高いレーベンホルム家の禁書で……収穫はあったんですけどね。あのままだと、魅入られたままだったでしょう」
或いはあの死霊術師も、この禁書に魅入られて儀式を始めたのではないだろうか。
ウィルバーは人知れず、そう考えた。
脳裏に刻み込まれた新たな死霊術、【至る道】――まさしく、不死王に転生する手順を儀式化した”何か”を利用して味方の傷を癒す作用をもたらす術は、じきに彼のものとして使えるようになるだろう。
深く息を吐いた老婆に、もう一度申し訳なさそうな顔を向け、彼は味方に歩み寄った。
図書用の車両の向こうにある通路には、何か潜んでいたり、隠されている様子もない。
再び先頭に立ったテーゼンとアンジェは、あちらこちらと首を巡らして言った。
「妙だな……死霊の数、減ったよな?」
「うん。あいつが自分のところに来て欲しくないなら、もっと敵をけしかけてくるんじゃと思ってたんだけど……来ないね」
「油断は禁物、ってまたウィルバーさんから言われるぞ」
「だってさ、兄ちゃん。また客車だけど、天窓が違うくらいで――」
「天窓?」
アンジェに言わせると、他の車両の天窓は煤けていたのだが、ここだけは最近交換されたのか、曇りのない天窓が嵌まっているらしい。
「だから誰も――ッ!?」
アンジェが一歩下がる。
彼女の目に急に入ったものは――客車の座席に蹲るように倒れている、小柄な人影だった。
生きている様子もなければ、こちらに対する敵意も感じなかったため、気づくのが遅れたのである。
とうに息絶え、ミイラ化している幼い子どもの枕元には……痩せた猫が座り込んでいる。

「……お前。この遺体が――主人なの?」
それはシシリーの女の勘だったが、外れてはいないだろうと彼女は思った。
猫の瞳は、自分の領域を守る騎士の視線のようであったから。
ミカの色が薄くなった瞳が、唯の死者となった遺体へ向けられる。
「こんな幼い子どもまで…この子の魂も、儀式に捧げられてしまったのかな」
「ちょっと待ってね」
アンジェが子どもの身体に近づくと、傍にいた猫は毛を逆立てて睨んだ。
ウィルバーの助けによって猫との接近にすっかり慣れたアンジェは、慌てる様子もなく猫を宥める。
「…そんなに怒らないでよ。ご主人のことを少し知りたいだけだから」
遺体はこれと言って特別なものではなく、衰弱し、霊力を儀式に吸われた犠牲者――ただ、その手が不可思議なものを、名残惜しそうに握り締めている。
「ん?」
何かに繋がっていたらしい青と白の飾り紐。
アンジェには見覚えがある。
「あ――!羽の兄ちゃん、アレだよアレ!」
「あん?」
「羽の兄ちゃんの命令で取ってきた、風船!この子だ!」
「おおっと!」
2人は急いで荷物袋から風船を出すと、遺体の手にあった糸に結びつけた。
猫のような耳、と思ったのも道理――それは、傍らの猫にちなんで買い求めた品だったのだろう。
元の持ち主の頭上を、今はゆらゆらと往復している。
やがて――幼子の遺体はさらさらと崩れ落ち、床に溶けるように消えていった。
「なるほどな……こういう”想い”が篭ってた品だったのか」
「返すことが出来て良かったね。………あれ?」
「あっ――猫が……」
ミカの言葉どおり、遺体の傍に控えていた猫もまた消えていく。
それを見届けると、シシリーは持ち主のいなくなった風船を、そっと客室の天井に放ってやった。
横で風船を見上げているミカが、ぽつりと言った。
「……。死者はきっと、生きていた時のように、優しさや尊敬を向けられた時…本当に、死んだことを悟るのでしょうね」
「………そうかもしれないわね」
「シシリーさんと請けた、最初の仕事。あの孤児院の子どもたちも…そうでしたから」
ミカの取り戻した記憶の中のシシリー――彼女は、自分も同じ孤児院育ちであることを亡霊と化した子どもたちに説き、決して剣を抜くことなく彼らを宥め、時には諭したのである。
彼女の深い優しさを、現在だけではなく過去にもわたってミカは感じていた。
だがその感慨も、長くは続けられない。
なぜなら、次の通路で天井から噴出している蒸気に、行く手を遮られたからである。
しげしげと見つめた後にテアが言った。
「寒冷地を走る車内を暖めるために、循環させていた蒸気じゃろう。老朽化で圧力に配管が耐え切れなんだか。下を通ると火傷するじゃろうて。テーゼン」
「ん」
当たり前のように前に出た青年へ、老婆は乗務員室から取ってきた外套を押し付けた。
「念のため着ておけ。……タイミングはおぬしが測っておくれ。駆け抜けてしまおう」
「分かった」
短く答えると、彼は外套を羽織ってタイミングを見計らう。
長い時間が――流れたように思った。
「――今だ!走れ!」
青年の叫びに導かれるように、一行は蒸気の停止する僅かな隙間を縫って次の車両へ疾走した。
見事に火傷一つ負うものもおらず、次の車両へと駆け込む。
無人と思われる客車に飛び込んだ。
「この客車を抜けると、先頭車両みたいですね」
ミカの言葉に、シシリーが頷く。
「ここまで魔術師に会わなかったけど…いよいよ、この先に待ち受けているのかしら」
「魔列車の動力は機関車で生み出されます」
コツ、と≪海の呼び声≫の石突が列車の床を突く。
「リッチに転生するため魔力を収束するのも、機関室がもっとも効率が良いはずです」
「よし、進もう――って……あれは?」
むしろきょとんとした様子にも聞こえるロンドの声だったが、事態はそれほど呑気なものではなかった。
暗闇の奥から想い金属音を引きずって、歩み出てくるものがある。
くろがねの四肢、命通わぬ光学の瞳。
それは冷たい遺跡の奥底で、数々の勇者を葬ってきた古代文明の執行人である。
「ひっ――!?」
ミカは喉の奥で悲鳴を飲み込んだ。
機甲の兵士なら彼女とて何度かは見たことがある。
だがこれは――目の前のこれは――四本の腕で、ロンドくらいしか持ち上げられなさそうな大剣をそれぞれに一本ずつ操っているのである。
しかも、縦横に剣を振りながら全く室内を損壊する様子がない。
それは正確無比なコントロールを備えているということ。
「でもね――最短距離で先頭車両に行こうと思うのなら――」
シシリーが≪Beginning≫を抜剣した。

「――通らせてもらうわ!!」
「そこをどけ、シリー!」
「!?」
真っ直ぐに背負っていた武器を構えたロンドが、ニヤリと血に飢えたような笑みを浮かべている。
「ちょ、ちょっと……まさか……」
「だから言っただろう。こいつは役に立つってな!」
「みんなっ、座席の下へ!」
慌ててロンド以外の全員が、脇にある座席の下へと滑り込む。
4本の大剣を振るう死の嵐を恐れることもせず、彼はしっかりと足を踏ん張ってそれを――乗務員室から持ち出したロケットランチャーを――ぶっ放した。
たちまち、致命的打撃を受けた機甲の兵士が、客車の壁に盛大に叩きつけられ――ついでに座席の半分以上が吹っ飛んだ。
テアの頭やウィルバーの脚にまで、吹っ飛んだ破片が当たったのはご愛嬌というものだろう。
あの兵士の攻撃をまともに受けていれば、とてもこんな軽傷ではすまないはずだ。
それに文句を言ってやりたくても、当のぶっ放したロンド自身が、武器の反動で火傷を負っている。
「ロンドって本当に馬鹿だと思うのよね、こういう時に」
「今度、膝詰めで説教してやればイイと思うよ、姉ちゃん」
「……やった!!」
ミカは1人だけ状況をよく見渡していないのか、ロケットランチャーの威力で兵士が吹っ飛んだことを喜んでいる。
しかし。
「……な、なぜ、まだ動いて……!」
一度は動きを止めた機甲の兵士だったが、武器を支柱にゆらりと巨体を起こし始めている。
「腐っても古代兵器ね。この程度じゃ止まらないってことなの……」
「おい、ミカとシシリー。ここで機甲兵を食い止めるから、その隙に走れ!」
三叉の槍を構えたテーゼンの言葉に、仲間たちは目配せしあって、ミカを庇うように陣を組み直した。
なおも躊躇うような仕草を見せるミカに、再びテーゼンが叫ぶ。
「行って来い。その手で、自分の生きる運命を捕まえて来い!」
「おぬしは…本と見れば、分別のなくなる男じゃの。捕われておったな?」
「すいません、ありがとうございました。悪名高いレーベンホルム家の禁書で……収穫はあったんですけどね。あのままだと、魅入られたままだったでしょう」
或いはあの死霊術師も、この禁書に魅入られて儀式を始めたのではないだろうか。
ウィルバーは人知れず、そう考えた。
脳裏に刻み込まれた新たな死霊術、【至る道】――まさしく、不死王に転生する手順を儀式化した”何か”を利用して味方の傷を癒す作用をもたらす術は、じきに彼のものとして使えるようになるだろう。
深く息を吐いた老婆に、もう一度申し訳なさそうな顔を向け、彼は味方に歩み寄った。
図書用の車両の向こうにある通路には、何か潜んでいたり、隠されている様子もない。
再び先頭に立ったテーゼンとアンジェは、あちらこちらと首を巡らして言った。
「妙だな……死霊の数、減ったよな?」
「うん。あいつが自分のところに来て欲しくないなら、もっと敵をけしかけてくるんじゃと思ってたんだけど……来ないね」
「油断は禁物、ってまたウィルバーさんから言われるぞ」
「だってさ、兄ちゃん。また客車だけど、天窓が違うくらいで――」
「天窓?」
アンジェに言わせると、他の車両の天窓は煤けていたのだが、ここだけは最近交換されたのか、曇りのない天窓が嵌まっているらしい。
「だから誰も――ッ!?」
アンジェが一歩下がる。
彼女の目に急に入ったものは――客車の座席に蹲るように倒れている、小柄な人影だった。
生きている様子もなければ、こちらに対する敵意も感じなかったため、気づくのが遅れたのである。
とうに息絶え、ミイラ化している幼い子どもの枕元には……痩せた猫が座り込んでいる。

「……お前。この遺体が――主人なの?」
それはシシリーの女の勘だったが、外れてはいないだろうと彼女は思った。
猫の瞳は、自分の領域を守る騎士の視線のようであったから。
ミカの色が薄くなった瞳が、唯の死者となった遺体へ向けられる。
「こんな幼い子どもまで…この子の魂も、儀式に捧げられてしまったのかな」
「ちょっと待ってね」
アンジェが子どもの身体に近づくと、傍にいた猫は毛を逆立てて睨んだ。
ウィルバーの助けによって猫との接近にすっかり慣れたアンジェは、慌てる様子もなく猫を宥める。
「…そんなに怒らないでよ。ご主人のことを少し知りたいだけだから」
遺体はこれと言って特別なものではなく、衰弱し、霊力を儀式に吸われた犠牲者――ただ、その手が不可思議なものを、名残惜しそうに握り締めている。
「ん?」
何かに繋がっていたらしい青と白の飾り紐。
アンジェには見覚えがある。
「あ――!羽の兄ちゃん、アレだよアレ!」
「あん?」
「羽の兄ちゃんの命令で取ってきた、風船!この子だ!」
「おおっと!」
2人は急いで荷物袋から風船を出すと、遺体の手にあった糸に結びつけた。
猫のような耳、と思ったのも道理――それは、傍らの猫にちなんで買い求めた品だったのだろう。
元の持ち主の頭上を、今はゆらゆらと往復している。
やがて――幼子の遺体はさらさらと崩れ落ち、床に溶けるように消えていった。
「なるほどな……こういう”想い”が篭ってた品だったのか」
「返すことが出来て良かったね。………あれ?」
「あっ――猫が……」
ミカの言葉どおり、遺体の傍に控えていた猫もまた消えていく。
それを見届けると、シシリーは持ち主のいなくなった風船を、そっと客室の天井に放ってやった。
横で風船を見上げているミカが、ぽつりと言った。
「……。死者はきっと、生きていた時のように、優しさや尊敬を向けられた時…本当に、死んだことを悟るのでしょうね」
「………そうかもしれないわね」
「シシリーさんと請けた、最初の仕事。あの孤児院の子どもたちも…そうでしたから」
ミカの取り戻した記憶の中のシシリー――彼女は、自分も同じ孤児院育ちであることを亡霊と化した子どもたちに説き、決して剣を抜くことなく彼らを宥め、時には諭したのである。
彼女の深い優しさを、現在だけではなく過去にもわたってミカは感じていた。
だがその感慨も、長くは続けられない。
なぜなら、次の通路で天井から噴出している蒸気に、行く手を遮られたからである。
しげしげと見つめた後にテアが言った。
「寒冷地を走る車内を暖めるために、循環させていた蒸気じゃろう。老朽化で圧力に配管が耐え切れなんだか。下を通ると火傷するじゃろうて。テーゼン」
「ん」
当たり前のように前に出た青年へ、老婆は乗務員室から取ってきた外套を押し付けた。
「念のため着ておけ。……タイミングはおぬしが測っておくれ。駆け抜けてしまおう」
「分かった」
短く答えると、彼は外套を羽織ってタイミングを見計らう。
長い時間が――流れたように思った。
「――今だ!走れ!」
青年の叫びに導かれるように、一行は蒸気の停止する僅かな隙間を縫って次の車両へ疾走した。
見事に火傷一つ負うものもおらず、次の車両へと駆け込む。
無人と思われる客車に飛び込んだ。
「この客車を抜けると、先頭車両みたいですね」
ミカの言葉に、シシリーが頷く。
「ここまで魔術師に会わなかったけど…いよいよ、この先に待ち受けているのかしら」
「魔列車の動力は機関車で生み出されます」
コツ、と≪海の呼び声≫の石突が列車の床を突く。
「リッチに転生するため魔力を収束するのも、機関室がもっとも効率が良いはずです」
「よし、進もう――って……あれは?」
むしろきょとんとした様子にも聞こえるロンドの声だったが、事態はそれほど呑気なものではなかった。
暗闇の奥から想い金属音を引きずって、歩み出てくるものがある。
くろがねの四肢、命通わぬ光学の瞳。
それは冷たい遺跡の奥底で、数々の勇者を葬ってきた古代文明の執行人である。
「ひっ――!?」
ミカは喉の奥で悲鳴を飲み込んだ。
機甲の兵士なら彼女とて何度かは見たことがある。
だがこれは――目の前のこれは――四本の腕で、ロンドくらいしか持ち上げられなさそうな大剣をそれぞれに一本ずつ操っているのである。
しかも、縦横に剣を振りながら全く室内を損壊する様子がない。
それは正確無比なコントロールを備えているということ。
「でもね――最短距離で先頭車両に行こうと思うのなら――」
シシリーが≪Beginning≫を抜剣した。

「――通らせてもらうわ!!」
「そこをどけ、シリー!」
「!?」
真っ直ぐに背負っていた武器を構えたロンドが、ニヤリと血に飢えたような笑みを浮かべている。
「ちょ、ちょっと……まさか……」
「だから言っただろう。こいつは役に立つってな!」
「みんなっ、座席の下へ!」
慌ててロンド以外の全員が、脇にある座席の下へと滑り込む。
4本の大剣を振るう死の嵐を恐れることもせず、彼はしっかりと足を踏ん張ってそれを――乗務員室から持ち出したロケットランチャーを――ぶっ放した。
たちまち、致命的打撃を受けた機甲の兵士が、客車の壁に盛大に叩きつけられ――ついでに座席の半分以上が吹っ飛んだ。
テアの頭やウィルバーの脚にまで、吹っ飛んだ破片が当たったのはご愛嬌というものだろう。
あの兵士の攻撃をまともに受けていれば、とてもこんな軽傷ではすまないはずだ。
それに文句を言ってやりたくても、当のぶっ放したロンド自身が、武器の反動で火傷を負っている。
「ロンドって本当に馬鹿だと思うのよね、こういう時に」
「今度、膝詰めで説教してやればイイと思うよ、姉ちゃん」
「……やった!!」
ミカは1人だけ状況をよく見渡していないのか、ロケットランチャーの威力で兵士が吹っ飛んだことを喜んでいる。
しかし。
「……な、なぜ、まだ動いて……!」
一度は動きを止めた機甲の兵士だったが、武器を支柱にゆらりと巨体を起こし始めている。
「腐っても古代兵器ね。この程度じゃ止まらないってことなの……」
「おい、ミカとシシリー。ここで機甲兵を食い止めるから、その隙に走れ!」
三叉の槍を構えたテーゼンの言葉に、仲間たちは目配せしあって、ミカを庇うように陣を組み直した。
なおも躊躇うような仕草を見せるミカに、再びテーゼンが叫ぶ。
「行って来い。その手で、自分の生きる運命を捕まえて来い!」
2016/05/15 12:47 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
tb: -- cm: 0
Sun.
くろがねのファンタズマその5 
ミカが目を開いた時、人形のように整った綺麗な顔がこちらを覗き込んでいた。
「ミカ。意識が戻ったのかい」
「あ……」
滅多にない近距離で異性に見られていることに羞恥を覚え、ミカは仄かな血の色――それすらもかなり淡いものであったが――を頬に浮かべて、それを誤魔化すようにつっかえながら言った。
「夢を……見ていました。みんなと…知り合った頃の夢を」
「夢……じゃあ、記憶が戻ってきてるんだな?」
「はい。まだ、思い出せないことも多いけど――」
「起き上がるか?無理はすんなよ」
「ミカ。意識が戻ったのかい」
「あ……」
滅多にない近距離で異性に見られていることに羞恥を覚え、ミカは仄かな血の色――それすらもかなり淡いものであったが――を頬に浮かべて、それを誤魔化すようにつっかえながら言った。
「夢を……見ていました。みんなと…知り合った頃の夢を」
「夢……じゃあ、記憶が戻ってきてるんだな?」
「はい。まだ、思い出せないことも多いけど――」
「起き上がるか?無理はすんなよ」
-- 続きを読む --
テーゼンの白く優美な手の助けを借り、上体を起こす。
ミカの視界が変わると、テーゼンの向かい側にあるベッドに座って、真っ赤に目を泣き腫らしているシシリーが見えた。
彼女の夢の中で颯爽としていた先輩冒険者の意外すぎる姿に、ミカは目じりを緩ませた。
「夢で見たのは…≪狼の隠れ家≫に所属して…よく、詐欺に引っかかっていた頃のこと、早くシシリーさんたちに追いつきたくて、色んな依頼受けたこと……」
はっきりと、意志を持って彼女はそれに付け加える。
「あの死霊術師のことも思い出しました」
「あいつは、どんなヤツなんだ?」
勢い込んだテーゼンの質問に、目をちゃんと合わせて答える。
「不死の道を極めようとしている、幼い女の姿をした術師で、最初、大隧道の地図を作るからと私に依頼してきた人です」
「依頼人を騙って、ミカに近づいたの…?」
「あの人は私を隧道に連れていき、ナイフで喉を刺しました。”至る道”の儀式を成功に導くため、大量の生贄がいる。そう言っていました」
「……!」
ぽろり、と再びシシリーの目から涙が零れる。
「そんな顔しないで、シシリーさん」
ミカは細い腕を伸ばして、その涙をそっと拭った。
「私は最後まで騙されてばかりだったけど…最後に、みんなと冒険できて…すごく…嬉しかった」
ミカの肩掛けがはだけ、首筋に白い傷跡が見える。
その存在すら、希薄になっているように冒険者たちは感じた。
「……ッ!ウィルバー。どうにもならないの。本当にもう、手遅れなの?」
「………」
ウィルバーは静かに、ただ目を閉じている。
「一つだけ、ミカが生き返るかもしれない可能性があるぜ」
そう切り出したのは、ウィルバーではなくテーゼンであった。
ひゅっ、と見えない巨人に喉を掴まれたかのごとく、ミカの喉が鳴る。
「っ――本当!ミカの命を取り戻せるの!?」
「かなり特殊な例だから、上手く行くかどうかは保証できねぇ。それでも……聞くか?」
頷いたのはシシリーだけではない、他の仲間たち全員であった。
仲間たちの総意を確かめると、テーゼンは何となく座り直して全員へ説明し出した。
「今、僕らがいる魔列車は生と死の境がひどく曖昧なんだ。その死霊術師がやる儀式ってのは、多分だけどこういった”場”がないと出来ないものなんだろうな。んで、儀式に捧げられた贄――この場合は」
白くほっそりとした指が、ミカを指し示す。
「ミカだが。儀式が完了するまでは、こういった生命エネルギーとして漂っている。つまり、今のミカは『殺されて吸収される前のエネルギー体』であって、完全な死体ではないんだよ。僕がさっきうっかり言っちまった狭間にいるってのは、そういう状況だってこと」
悪魔らしい小粋な様子で彼は肩を竦めた。
「儀式が完成しちまえば、吸収されることに変わりはないんだがな」
「話は分かりましたよ。つまり、儀式が完成する前が鍵なんですね?術者のところへ儀式が完成する前に乱入して、命を絶てば――」
「ああ。術者に奪われる予定だったエネルギーがミカの体に帰還し、蘇生できる…可能性はある。高くはないけどな」
「…それは、この儀式をなかったことにできる可能性があるって事なの!?」
両手をぎゅっと握り締めて問いかけるシシリーへ、テーゼンは浅く首肯した。
「儀式を妨害できて、この空間にプールされた生命力を、取り戻せれば…の話なんだけどよ」
「悪くない…悪くないよね。掠め取る感じが面白いよ」
にやりと笑ったアンジェに同意するように、他の仲間たちも各々の得物を握り締める。
怯えたように――その怯えは、自分ではなく他者の命が失われることに対して向けられたものだ――ミカは言い募った。
「でも、でも…そんな事のために、…皆に危険が――!」
「――ミカ」
「えっ?は、はい!」
「ミカは、今のままでいいの?依頼人を騙った相手に裏切られたまま……こんな理不尽な死を、受け入れられるの?」
「……でも……それは。私が、騙されて…」
ミカの声はか細く震えていた。
その肩を掴んで。
春の海の色が、同じ季節に揺れる木々の色を見据えた。
「騙された方が悪いわけじゃないわ。私は、大事な仲間に痛みを強いて――自分の望みを叶えようとする奴を、黙って見てはいられない!」
「………!」
「ミカ。僕は、逝きたくないと言いながら、血に塗れ息絶えようとした子どもを1人、知っている」
黒く鋭い双眸で、射抜くようにミカを見やったテーゼンが呟いた。
「そんな奴でも、死ぬ前に自分を殺した相手に、自らの手で刃を突き立てたいと――そう強く願った。アンタはどうだ?悔しくないのか?自分を騙し殺した術者を妨害して、もっと生きたいと願わないのか?」
「わたしは――」
少女の唇がわななく……恐怖や驚愕ではなく、強い、自らを救うための感情に。

「もっと、生きたい。もっとみんなと、一緒にいたいです……!!」
少女の目から、今まで我慢していた涙が流れ始めた。
それはきっと、これからまた生まれ変わるための彼女のための儀式なのだろう。
「……決まりだな。≪狼の隠れ家≫の大事なメンバーの命――」
「おうよ、黒蝙蝠。性悪の死霊術女から、奪い返してやろうぜ!!」
パアン!と、テーゼンとロンドが手を打ち合わせて誓った。
テアがふむ……と言って、顎に手をやる。
「そうと決まれば、相手さんの居所を探るのも良いじゃろうの。ウィルバー殿は先ほどそれが出来ると言っておらんかったか?」
「ええ。試してみましょうか?」
ウィルバーの指示によって、冒険者たちは使い魔を倒した短剣の周囲に簡単な魔法陣を敷くと、探査の儀式魔術を準備した。
深く静かな声が、染みとおるように仲間たちへ語りかける。
「いいですか――精神を集中して、短剣から流れ込んでくるイメージを拾うのです…」
敵のイメージを拾い出す役割は、悪魔であるテーゼンが担った。
彼の脳裏に、朧げな情景が流れこむ――。
「――見つけた」
テーゼンは死霊術者の位置を探り出し、禍々しい笑みを顔に浮かべた。
自分が探り当てたものを同じ空間にいる仲間たちへ、ウィルバーの魔力の波動を介して送り込む。
広い空間で儀式を進める女の姿。その周囲には、空間が揺らめくほどの魔力が集まりつつある。
わずかな”時間”、女の意識に触れた冒険者たちは、多くの情報をその接触から掴み取った。
ぽつり、とミカが呟いた。
「……この人。思い出したことがあります」
「思い出したこと?」
脳裏に映し出される死霊術師の姿を見ていたミカが、シシリーの言葉に小さく首肯した。
「この人、依頼人として私の前に現れた時に言ってました。『自分は”色のない世界”から来た』と」
「色のない世界……」
「世界には、稀に他の世界からこの世界へ”渉って”来る人たちがいて、そういう人たちは、例外なく人並み外れた魔力を持っていると、聞いたことがあるんです」
なるほど、と指のスナップ音を鳴らしたのはウィルバーである。
「久遠の闇を超え、異世界を旅する者。”プレーンズウォーカー”…」
「プレ……なんだ、それ?」
不思議そうに反復しようとして失敗したロンドへ、
「呼び名はともかく…それが本当なら、厄介な敵になるということです」
とだけ、彼は説明した。
しかし、どれだけ厄介な相手でも、その企みを潰してミカを取り返すことに変わりはない。
旗を掲げる爪は負傷を回復し、前方の車両へと移動を始めた。
通路を通り過ぎ、貨物室もさらに進むと、通路の右側にドアが見える。
「古代語だね。crew's cabin……つまり、乗務員室ってこと?」
鍵穴がないので開いているのかとノブを引っ張ってみるが、開く様子がない。
不審に思ったアンジェは、扉の横に、ちょうど手のひら大の薄い何かが入りそうなくぼみを見つけた。
「この形は……姉ちゃんのじゃない?」
「IDカード?」
薄いくぼみにカードを差し込んでみると、黒い扉の仕掛けが微かな音とともに解除されたようだ。
部屋の中に入ってみると、何を収めていたのか大きな収納庫や、事務用に使われたのであろう大きな机がある。
「な、なにこれ!?」
シシリーがひときわ大きなロッカーを開くと、そこには奇妙な鉄の武器が吊るされていた。
金属筒に取っ手がついた形状で、かなりの重量がある。
振り回して当てる……という類のものではないようだ。
それでも役に立つかもしれないと、ロンドが無理矢理、自分で背負って持ち出し始めた。
その他には、テアが壁のクローゼットから、見慣れない繊維で作られたらしい厚い外套を手際よく引っ張り出している。
重すぎて冒険の用途には使えなさそうだが、タグを読んでいた老婆いわく、防火の効果を持っているものらしい。
それらを部屋から持ち出すと、冒険者たちはまた前進を始めた。
ミカの視界が変わると、テーゼンの向かい側にあるベッドに座って、真っ赤に目を泣き腫らしているシシリーが見えた。
彼女の夢の中で颯爽としていた先輩冒険者の意外すぎる姿に、ミカは目じりを緩ませた。
「夢で見たのは…≪狼の隠れ家≫に所属して…よく、詐欺に引っかかっていた頃のこと、早くシシリーさんたちに追いつきたくて、色んな依頼受けたこと……」
はっきりと、意志を持って彼女はそれに付け加える。
「あの死霊術師のことも思い出しました」
「あいつは、どんなヤツなんだ?」
勢い込んだテーゼンの質問に、目をちゃんと合わせて答える。
「不死の道を極めようとしている、幼い女の姿をした術師で、最初、大隧道の地図を作るからと私に依頼してきた人です」
「依頼人を騙って、ミカに近づいたの…?」
「あの人は私を隧道に連れていき、ナイフで喉を刺しました。”至る道”の儀式を成功に導くため、大量の生贄がいる。そう言っていました」
「……!」
ぽろり、と再びシシリーの目から涙が零れる。
「そんな顔しないで、シシリーさん」
ミカは細い腕を伸ばして、その涙をそっと拭った。
「私は最後まで騙されてばかりだったけど…最後に、みんなと冒険できて…すごく…嬉しかった」
ミカの肩掛けがはだけ、首筋に白い傷跡が見える。
その存在すら、希薄になっているように冒険者たちは感じた。
「……ッ!ウィルバー。どうにもならないの。本当にもう、手遅れなの?」
「………」
ウィルバーは静かに、ただ目を閉じている。
「一つだけ、ミカが生き返るかもしれない可能性があるぜ」
そう切り出したのは、ウィルバーではなくテーゼンであった。
ひゅっ、と見えない巨人に喉を掴まれたかのごとく、ミカの喉が鳴る。
「っ――本当!ミカの命を取り戻せるの!?」
「かなり特殊な例だから、上手く行くかどうかは保証できねぇ。それでも……聞くか?」
頷いたのはシシリーだけではない、他の仲間たち全員であった。
仲間たちの総意を確かめると、テーゼンは何となく座り直して全員へ説明し出した。
「今、僕らがいる魔列車は生と死の境がひどく曖昧なんだ。その死霊術師がやる儀式ってのは、多分だけどこういった”場”がないと出来ないものなんだろうな。んで、儀式に捧げられた贄――この場合は」
白くほっそりとした指が、ミカを指し示す。
「ミカだが。儀式が完了するまでは、こういった生命エネルギーとして漂っている。つまり、今のミカは『殺されて吸収される前のエネルギー体』であって、完全な死体ではないんだよ。僕がさっきうっかり言っちまった狭間にいるってのは、そういう状況だってこと」
悪魔らしい小粋な様子で彼は肩を竦めた。
「儀式が完成しちまえば、吸収されることに変わりはないんだがな」
「話は分かりましたよ。つまり、儀式が完成する前が鍵なんですね?術者のところへ儀式が完成する前に乱入して、命を絶てば――」
「ああ。術者に奪われる予定だったエネルギーがミカの体に帰還し、蘇生できる…可能性はある。高くはないけどな」
「…それは、この儀式をなかったことにできる可能性があるって事なの!?」
両手をぎゅっと握り締めて問いかけるシシリーへ、テーゼンは浅く首肯した。
「儀式を妨害できて、この空間にプールされた生命力を、取り戻せれば…の話なんだけどよ」
「悪くない…悪くないよね。掠め取る感じが面白いよ」
にやりと笑ったアンジェに同意するように、他の仲間たちも各々の得物を握り締める。
怯えたように――その怯えは、自分ではなく他者の命が失われることに対して向けられたものだ――ミカは言い募った。
「でも、でも…そんな事のために、…皆に危険が――!」
「――ミカ」
「えっ?は、はい!」
「ミカは、今のままでいいの?依頼人を騙った相手に裏切られたまま……こんな理不尽な死を、受け入れられるの?」
「……でも……それは。私が、騙されて…」
ミカの声はか細く震えていた。
その肩を掴んで。
春の海の色が、同じ季節に揺れる木々の色を見据えた。
「騙された方が悪いわけじゃないわ。私は、大事な仲間に痛みを強いて――自分の望みを叶えようとする奴を、黙って見てはいられない!」
「………!」
「ミカ。僕は、逝きたくないと言いながら、血に塗れ息絶えようとした子どもを1人、知っている」
黒く鋭い双眸で、射抜くようにミカを見やったテーゼンが呟いた。
「そんな奴でも、死ぬ前に自分を殺した相手に、自らの手で刃を突き立てたいと――そう強く願った。アンタはどうだ?悔しくないのか?自分を騙し殺した術者を妨害して、もっと生きたいと願わないのか?」
「わたしは――」
少女の唇がわななく……恐怖や驚愕ではなく、強い、自らを救うための感情に。

「もっと、生きたい。もっとみんなと、一緒にいたいです……!!」
少女の目から、今まで我慢していた涙が流れ始めた。
それはきっと、これからまた生まれ変わるための彼女のための儀式なのだろう。
「……決まりだな。≪狼の隠れ家≫の大事なメンバーの命――」
「おうよ、黒蝙蝠。性悪の死霊術女から、奪い返してやろうぜ!!」
パアン!と、テーゼンとロンドが手を打ち合わせて誓った。
テアがふむ……と言って、顎に手をやる。
「そうと決まれば、相手さんの居所を探るのも良いじゃろうの。ウィルバー殿は先ほどそれが出来ると言っておらんかったか?」
「ええ。試してみましょうか?」
ウィルバーの指示によって、冒険者たちは使い魔を倒した短剣の周囲に簡単な魔法陣を敷くと、探査の儀式魔術を準備した。
深く静かな声が、染みとおるように仲間たちへ語りかける。
「いいですか――精神を集中して、短剣から流れ込んでくるイメージを拾うのです…」
敵のイメージを拾い出す役割は、悪魔であるテーゼンが担った。
彼の脳裏に、朧げな情景が流れこむ――。
「――見つけた」
テーゼンは死霊術者の位置を探り出し、禍々しい笑みを顔に浮かべた。
自分が探り当てたものを同じ空間にいる仲間たちへ、ウィルバーの魔力の波動を介して送り込む。
広い空間で儀式を進める女の姿。その周囲には、空間が揺らめくほどの魔力が集まりつつある。
わずかな”時間”、女の意識に触れた冒険者たちは、多くの情報をその接触から掴み取った。
ぽつり、とミカが呟いた。
「……この人。思い出したことがあります」
「思い出したこと?」
脳裏に映し出される死霊術師の姿を見ていたミカが、シシリーの言葉に小さく首肯した。
「この人、依頼人として私の前に現れた時に言ってました。『自分は”色のない世界”から来た』と」
「色のない世界……」
「世界には、稀に他の世界からこの世界へ”渉って”来る人たちがいて、そういう人たちは、例外なく人並み外れた魔力を持っていると、聞いたことがあるんです」
なるほど、と指のスナップ音を鳴らしたのはウィルバーである。
「久遠の闇を超え、異世界を旅する者。”プレーンズウォーカー”…」
「プレ……なんだ、それ?」
不思議そうに反復しようとして失敗したロンドへ、
「呼び名はともかく…それが本当なら、厄介な敵になるということです」
とだけ、彼は説明した。
しかし、どれだけ厄介な相手でも、その企みを潰してミカを取り返すことに変わりはない。
旗を掲げる爪は負傷を回復し、前方の車両へと移動を始めた。
通路を通り過ぎ、貨物室もさらに進むと、通路の右側にドアが見える。
「古代語だね。crew's cabin……つまり、乗務員室ってこと?」
鍵穴がないので開いているのかとノブを引っ張ってみるが、開く様子がない。
不審に思ったアンジェは、扉の横に、ちょうど手のひら大の薄い何かが入りそうなくぼみを見つけた。
「この形は……姉ちゃんのじゃない?」
「IDカード?」
薄いくぼみにカードを差し込んでみると、黒い扉の仕掛けが微かな音とともに解除されたようだ。
部屋の中に入ってみると、何を収めていたのか大きな収納庫や、事務用に使われたのであろう大きな机がある。
「な、なにこれ!?」
シシリーがひときわ大きなロッカーを開くと、そこには奇妙な鉄の武器が吊るされていた。
金属筒に取っ手がついた形状で、かなりの重量がある。
振り回して当てる……という類のものではないようだ。
それでも役に立つかもしれないと、ロンドが無理矢理、自分で背負って持ち出し始めた。
その他には、テアが壁のクローゼットから、見慣れない繊維で作られたらしい厚い外套を手際よく引っ張り出している。
重すぎて冒険の用途には使えなさそうだが、タグを読んでいた老婆いわく、防火の効果を持っているものらしい。
それらを部屋から持ち出すと、冒険者たちはまた前進を始めた。
2016/05/15 12:45 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
tb: -- cm: 0
Sun.
くろがねのファンタズマその4 
常緑樹の輝きのように美しい緑の光が満たされているキューブをつまみ上げ、
「綺麗だな」
とテーゼンは歎息した。
今は談話室と前方車両を繋ぐ通路の間に移動している。
さらさらと草原を渉る風のような音を立てて、キューブに注がれた旗を掲げる爪の冒険の思い出は、リューンの草原の色にも、≪狼の隠れ家≫近くの並木道の色にも似ているように思われた。
風に揺れる緑の景色は、懐かしい故郷のようでもあり、旅路で見慣れた日常のようでもある。
「親父さんによく使いを頼まれる道が、ちょうどこんな木立でよ」
「綺麗だな」
とテーゼンは歎息した。
今は談話室と前方車両を繋ぐ通路の間に移動している。
さらさらと草原を渉る風のような音を立てて、キューブに注がれた旗を掲げる爪の冒険の思い出は、リューンの草原の色にも、≪狼の隠れ家≫近くの並木道の色にも似ているように思われた。
風に揺れる緑の景色は、懐かしい故郷のようでもあり、旅路で見慣れた日常のようでもある。
「親父さんによく使いを頼まれる道が、ちょうどこんな木立でよ」
-- 続きを読む --
悪魔の青年が言うセリフに反応したのは、
「親父さん。娘さん。心配してるでしょうか――」
と呟いたミカであった。
目を丸くしてシシリーが言う。
「……そっか。“親父さん”の事も思い出せたのね?」
「あっ――!私…なぜ、忘れていたんだろう。大事な宿の事」
「いい傾向じゃないか。こうやってちょっとずつ思い出せば、きっと記憶を取り戻せる」
大きく分厚い掌で、ロンドはミカの頭を撫でた。
常人より力が強いことを自覚してはいるので、なるべく優しくと心がけてはいるものの、それでも並みの大人がやるよりは少々乱暴な感じになるのは否めない。
だが、ミカはそれを嫌がりもせずに受け入れていた。
何となく、ほっとした雰囲気が流れるが――その刹那、突如として激しい揺れが冒険者たちを襲った。
「――くっ、いかん!」
よろけた老婆を、慌ててシシリーが支える。
とっさに通路の部品に捕まったアンジェが警告する。
彼女の頭の中には、前の通路で読み取った路線図がくっきりと浮かび上がっていた。

「……!この先は下り坂だよ――加速で大きな揺れが来る。何かに掴まって!」
「うおおお!?」
「こっち寄るな、白髪頭!くそっ」
「テア、こっちにしがみ付いて!」
「危ない、ミカ!」
「きゃあぁぁぁ――!?」
思い思いの悲鳴が上がる中、バランス感覚のいいアンジェが冷静に言葉を発する。
「ミカ、姿勢を低くして。こっちだよ!」
「す、すいません、アンジェさん!」
「気にしない、気にしない。魔術師には魔術師の、斥候には斥候の仕事があるもんね」
「――!みんな、伏せてください!」
歪んだ魔力をいち早く察知したウィルバーが叫ぶと、空間の一部が裂けるように割れ、そこから見覚えのある蜘蛛が現れた。
憎々しげにシシリーが叫ぶ。
「――使い魔っ!」
『…あら。騒がしい鼠が、まだ五体満足でいるとは…途中の亡者に喰われて肉片になっているかと思っていたけど…外の鼠はしぶといのね』
シシリーは使い魔との距離を測りながら、
「……あなたのことは、必ず見つけ出してみせるわ」
と呟いた。
『――ふっ、人の褥(しとね)に踏み込もうなどと、悪趣味なこと』
嘲りの色が違い声に同調するように、蜘蛛がその長い脚を蠢かす。
ミカは青い顔をしながら、黙ってその様を見つめていた。
『もっとも、至る道の儀式に耐えて、ここへ来るまでに、正気を保っていればだけどね』
さらに蜘蛛の主が何を言うつもりであったのか――もっと強い嘲りか、それとも己の優位の確立を決定付ける言葉か、それは分からない。
何気なく動いた、アンジェの指が成したことによって。
「…長い解説どうも。あたしの武器が糸だけだなんて、誰も言ってないからね」
彼女の隠し場所から取り出された短剣は、狙い過たず蜘蛛の身体のど真ん中を貫いていた。
初めに動かした糸の直線の動きに対する反応を見て、これなら短剣の点の動きで射抜けるだろうと、アンジェはずっと計算していたのである。
弛緩して床に落ちた時、すでに忌まわしい虫は息絶えている。
アンジェは音もなく近寄り、短剣を振って刀身から的を落とした。
その仕草を終える直前に、ウィルバーが口を開いた。
「待ってください、武器に付いた、その蜘蛛の体液――」
「うん。分かってるよ。毒かもしれないから綺麗に洗い流して……」
「いいえ、そうではないのです」
ウィルバーはアンジェの短剣を握った腕へそっと触れた。
「使い魔は、術者と繋がりが深い…。その血を触媒に、魔術師の情報を探り出せるかもしれませんので」
「ああ、なるほど。色々出来るんだね、おっちゃんは」
いつもの調子で喋りながら、アンジェは蜘蛛の体液に触れぬよう、柄の部分をウィルバーに受け渡した。
2人の様子を眺めたシシリーはそっと首を横に振る。
(この人たち、転んでもタダでは起きないのよね…)
その時、微かに喘ぐような声が彼女の耳に届いた。
そちらに視線を走らせると、ミカが短剣を見て青ざめた顔をしている。
「あ…あぁ……あ」
「ミカ――?大丈夫、これはもう死んで…」
「い、いいえ!ち、違うんです。」
ミカは艶やかな赤毛をばさばさと音がたつくらいに激しく首を振ると、
「アンジェさんの今の攻撃を見て、思い出しました――わたし、あの魔術師に会っています」
と言い出した。
「なっ……なに?あの蜘蛛の主人に?」
目を瞠って彼女を見つめたロンドに、ミカは肯定を返して続きを話した。
「そして…そして、多分――多分、私はあの人に殺されています――」
悲痛なまでの苦しさを込めた告白は、その場に凍りつくような静寂をもたらした。
それと同時に――今回取り戻した記憶の一部は、あまりにも彼女へ刺激と驚愕が強かったのだろう、ミカはそこで意識を失った。
「ミカ!」
シシリーが崩れ落ちる彼女の身体を抱える。
目と目を見交わしたアンジェとテーゼンが先行して、彼女を休ませられる場がないかを探しに行った。
「殺されているって……どういうことなの……」
「……シリー、彼女を背負うから手伝ってくれ」
「あ、う、うん……」
シシリーが広く逞しい背中へ彼女を覆いかぶさるように乗せると、ロンドはそっと立ち上がり、ずれを直して華奢な肢体を安定させた。
そして、いつものざらついた低い声で仲間に話しかける。
「そんなことをここで今どうこう言っても、俺たちには分からないと思う。今はとにかく、こいつを休ませてやることを考えよう」
「……ロンド。ありがとう」
眠りの淵を訪れているミカ――その横顔は青白く、儚く見える。
こちらを気遣っているのだろう、わざとパタパタと足音を立てて戻ってきたアンジェとテーゼンは、口々にこの先が寝室の並ぶ寝台車であることを告げた。
そこへ気絶した少女を運び込み、野営用の外套を敷いて寝かせてみる。
「……呼吸が気に入らんな」
難しい顔でテアがミカの青白い頬に手を当てた。
彼女の髪の色、肌の色、仄かに色付いているはずの唇の色――全ての色素が、色合いを失って見える。
「これって何か、呪いにでも掛けられているの?」
「……つーか、狭間にいるんじゃねえのかな」
「狭間?」
テーゼンはそのまま口を紡ぎ、促すような視線を向けても説明をしようとしない。
困り果てたシシリーが助けを求めるようにウィルバーを見やると、年長の男はため息をついてから嫌々口を開いた。
「…敵の儀式のことですが。使い魔が…“至る道”と口走っていましたよね。」
「……そういえば」
「そうだったわね」
ロンドとシシリーが同じように首を縦に振ったのを見てから、
「“至る道”は、死霊術師の禁術。儀式で大量の生贄を捧げ――自らを、不死王――つまり、リッチに変化させる大掛かりな儀式の名です」

と途絶えがちな声で説明する。
リッチ。それは不死の頂点に立つ魔物の名である。
仲間たちに緊張が走った。
「ミカの肌の色、髪の色が、失われつつあるのは…列車内で進んでいる、“至る道”の儀式のせいなのでしょう。ミカは死霊術師に殺された。儀式の生贄に捧げられてしまったんです…」
「殺された!?何言ってるの!どう見ても、生きているでしょう!」
「おい。落ち着け、シシリー」
テーゼンがいつもは槍を掴む方の手で、リーダーの少女を制止する。
それほどの拘束がいるほど、今のシシリーは取り乱していた。
がくがくと揺さぶられたウィルバーは、彼女を止めてくれた美貌の青年に目で礼を述べると、私だってと切り出した。
「ミカが死んだなんて、信じたくない。でも、死者と負の魔力で溢れる列車内を見たでしょう――死んだ彼女が生ける屍になって、彷徨っていても…不思議は――ない」
「そんなこと――そんなこと、あっていいはずないっ――!」
憤りが。湧きおこる失望が。
シシリーの心を塗りつぶしていった。
「親父さん。娘さん。心配してるでしょうか――」
と呟いたミカであった。
目を丸くしてシシリーが言う。
「……そっか。“親父さん”の事も思い出せたのね?」
「あっ――!私…なぜ、忘れていたんだろう。大事な宿の事」
「いい傾向じゃないか。こうやってちょっとずつ思い出せば、きっと記憶を取り戻せる」
大きく分厚い掌で、ロンドはミカの頭を撫でた。
常人より力が強いことを自覚してはいるので、なるべく優しくと心がけてはいるものの、それでも並みの大人がやるよりは少々乱暴な感じになるのは否めない。
だが、ミカはそれを嫌がりもせずに受け入れていた。
何となく、ほっとした雰囲気が流れるが――その刹那、突如として激しい揺れが冒険者たちを襲った。
「――くっ、いかん!」
よろけた老婆を、慌ててシシリーが支える。
とっさに通路の部品に捕まったアンジェが警告する。
彼女の頭の中には、前の通路で読み取った路線図がくっきりと浮かび上がっていた。

「……!この先は下り坂だよ――加速で大きな揺れが来る。何かに掴まって!」
「うおおお!?」
「こっち寄るな、白髪頭!くそっ」
「テア、こっちにしがみ付いて!」
「危ない、ミカ!」
「きゃあぁぁぁ――!?」
思い思いの悲鳴が上がる中、バランス感覚のいいアンジェが冷静に言葉を発する。
「ミカ、姿勢を低くして。こっちだよ!」
「す、すいません、アンジェさん!」
「気にしない、気にしない。魔術師には魔術師の、斥候には斥候の仕事があるもんね」
「――!みんな、伏せてください!」
歪んだ魔力をいち早く察知したウィルバーが叫ぶと、空間の一部が裂けるように割れ、そこから見覚えのある蜘蛛が現れた。
憎々しげにシシリーが叫ぶ。
「――使い魔っ!」
『…あら。騒がしい鼠が、まだ五体満足でいるとは…途中の亡者に喰われて肉片になっているかと思っていたけど…外の鼠はしぶといのね』
シシリーは使い魔との距離を測りながら、
「……あなたのことは、必ず見つけ出してみせるわ」
と呟いた。
『――ふっ、人の褥(しとね)に踏み込もうなどと、悪趣味なこと』
嘲りの色が違い声に同調するように、蜘蛛がその長い脚を蠢かす。
ミカは青い顔をしながら、黙ってその様を見つめていた。
『もっとも、至る道の儀式に耐えて、ここへ来るまでに、正気を保っていればだけどね』
さらに蜘蛛の主が何を言うつもりであったのか――もっと強い嘲りか、それとも己の優位の確立を決定付ける言葉か、それは分からない。
何気なく動いた、アンジェの指が成したことによって。
「…長い解説どうも。あたしの武器が糸だけだなんて、誰も言ってないからね」
彼女の隠し場所から取り出された短剣は、狙い過たず蜘蛛の身体のど真ん中を貫いていた。
初めに動かした糸の直線の動きに対する反応を見て、これなら短剣の点の動きで射抜けるだろうと、アンジェはずっと計算していたのである。
弛緩して床に落ちた時、すでに忌まわしい虫は息絶えている。
アンジェは音もなく近寄り、短剣を振って刀身から的を落とした。
その仕草を終える直前に、ウィルバーが口を開いた。
「待ってください、武器に付いた、その蜘蛛の体液――」
「うん。分かってるよ。毒かもしれないから綺麗に洗い流して……」
「いいえ、そうではないのです」
ウィルバーはアンジェの短剣を握った腕へそっと触れた。
「使い魔は、術者と繋がりが深い…。その血を触媒に、魔術師の情報を探り出せるかもしれませんので」
「ああ、なるほど。色々出来るんだね、おっちゃんは」
いつもの調子で喋りながら、アンジェは蜘蛛の体液に触れぬよう、柄の部分をウィルバーに受け渡した。
2人の様子を眺めたシシリーはそっと首を横に振る。
(この人たち、転んでもタダでは起きないのよね…)
その時、微かに喘ぐような声が彼女の耳に届いた。
そちらに視線を走らせると、ミカが短剣を見て青ざめた顔をしている。
「あ…あぁ……あ」
「ミカ――?大丈夫、これはもう死んで…」
「い、いいえ!ち、違うんです。」
ミカは艶やかな赤毛をばさばさと音がたつくらいに激しく首を振ると、
「アンジェさんの今の攻撃を見て、思い出しました――わたし、あの魔術師に会っています」
と言い出した。
「なっ……なに?あの蜘蛛の主人に?」
目を瞠って彼女を見つめたロンドに、ミカは肯定を返して続きを話した。
「そして…そして、多分――多分、私はあの人に殺されています――」
悲痛なまでの苦しさを込めた告白は、その場に凍りつくような静寂をもたらした。
それと同時に――今回取り戻した記憶の一部は、あまりにも彼女へ刺激と驚愕が強かったのだろう、ミカはそこで意識を失った。
「ミカ!」
シシリーが崩れ落ちる彼女の身体を抱える。
目と目を見交わしたアンジェとテーゼンが先行して、彼女を休ませられる場がないかを探しに行った。
「殺されているって……どういうことなの……」
「……シリー、彼女を背負うから手伝ってくれ」
「あ、う、うん……」
シシリーが広く逞しい背中へ彼女を覆いかぶさるように乗せると、ロンドはそっと立ち上がり、ずれを直して華奢な肢体を安定させた。
そして、いつものざらついた低い声で仲間に話しかける。
「そんなことをここで今どうこう言っても、俺たちには分からないと思う。今はとにかく、こいつを休ませてやることを考えよう」
「……ロンド。ありがとう」
眠りの淵を訪れているミカ――その横顔は青白く、儚く見える。
こちらを気遣っているのだろう、わざとパタパタと足音を立てて戻ってきたアンジェとテーゼンは、口々にこの先が寝室の並ぶ寝台車であることを告げた。
そこへ気絶した少女を運び込み、野営用の外套を敷いて寝かせてみる。
「……呼吸が気に入らんな」
難しい顔でテアがミカの青白い頬に手を当てた。
彼女の髪の色、肌の色、仄かに色付いているはずの唇の色――全ての色素が、色合いを失って見える。
「これって何か、呪いにでも掛けられているの?」
「……つーか、狭間にいるんじゃねえのかな」
「狭間?」
テーゼンはそのまま口を紡ぎ、促すような視線を向けても説明をしようとしない。
困り果てたシシリーが助けを求めるようにウィルバーを見やると、年長の男はため息をついてから嫌々口を開いた。
「…敵の儀式のことですが。使い魔が…“至る道”と口走っていましたよね。」
「……そういえば」
「そうだったわね」
ロンドとシシリーが同じように首を縦に振ったのを見てから、
「“至る道”は、死霊術師の禁術。儀式で大量の生贄を捧げ――自らを、不死王――つまり、リッチに変化させる大掛かりな儀式の名です」

と途絶えがちな声で説明する。
リッチ。それは不死の頂点に立つ魔物の名である。
仲間たちに緊張が走った。
「ミカの肌の色、髪の色が、失われつつあるのは…列車内で進んでいる、“至る道”の儀式のせいなのでしょう。ミカは死霊術師に殺された。儀式の生贄に捧げられてしまったんです…」
「殺された!?何言ってるの!どう見ても、生きているでしょう!」
「おい。落ち着け、シシリー」
テーゼンがいつもは槍を掴む方の手で、リーダーの少女を制止する。
それほどの拘束がいるほど、今のシシリーは取り乱していた。
がくがくと揺さぶられたウィルバーは、彼女を止めてくれた美貌の青年に目で礼を述べると、私だってと切り出した。
「ミカが死んだなんて、信じたくない。でも、死者と負の魔力で溢れる列車内を見たでしょう――死んだ彼女が生ける屍になって、彷徨っていても…不思議は――ない」
「そんなこと――そんなこと、あっていいはずないっ――!」
憤りが。湧きおこる失望が。
シシリーの心を塗りつぶしていった。
2016/05/15 12:43 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
tb: -- cm: 0
Sun.
くろがねのファンタズマその3 
客室にわだかまっていた悪霊たちを、神聖な光を放つ聖印の力で怯ませて振り切った冒険者たちは、貨物車の中で聖水や火晶石、鉄道会社が乗務員に支給する身分保証のカードなどを見つけた。
聖水の瓶をお手玉のようにひょいっと投げ、危なげなく受け止めたアンジェがにやりと笑う。
「結構良い物あったね」
「だよなー。何とかこれで、僕らがレオランまで来た交通費くらいは元が取れる……はずだ」
「このカード……IDカード、だっけ?どこかで使えるのかしらね」
「持っておいて損はないと思いますよ。乗客側では出入りできない所に私たちが入り込む時などがあれば、これが鍵になってくれるはずです」
亡霊列車にいるというのに、賑やかな一行である。
聖水の瓶をお手玉のようにひょいっと投げ、危なげなく受け止めたアンジェがにやりと笑う。
「結構良い物あったね」
「だよなー。何とかこれで、僕らがレオランまで来た交通費くらいは元が取れる……はずだ」
「このカード……IDカード、だっけ?どこかで使えるのかしらね」
「持っておいて損はないと思いますよ。乗客側では出入りできない所に私たちが入り込む時などがあれば、これが鍵になってくれるはずです」
亡霊列車にいるというのに、賑やかな一行である。
-- 続きを読む --
通路に差し掛かると、壁にはこの大隧道のものだろうか、路線図のようなものが掛けられている。
聖水をポケットに隠したアンジェのどんぐり眼が、路線図の下方にある文字を読み上げる。

「モノクローナル号。この列車の名前か――」
路線図の説明によると、この列車はモノクローナル世界の技術供与により運行を開始し、レオラン=パラッサ間を38時間で結んでいるそうだ。
古代王国の列車がなぜ今になって復活したのか。冒険者たちは首を傾げた。
そして何より――。
「モノクローナル世界ってさ……あそこのことだよね?」
≪狼の隠れ家≫には、先輩冒険者がどこからか持ってきた水晶が地下に設置されている。
その水晶は、3日間日光に当ててから、同じ日数だけ地下に保管して触れると、異次元への移動をするゲートとなり得るのである。
白と黒の色しかない異世界の住人は、色を持った来訪者に対して非常に好意的に接してくれた。
≪狼の隠れ家≫に来て間もない頃、うっかりその水晶に触って移動したことのある(しかも技術まで習ってきた)アンジェにとって、あのモノクロの世界は視覚的に慣れないながらも、居心地の決して悪くない場所であった。
「あそこと同じ場所の技術なら、そうそう怖いことはないと思うんだけど…」
「それは早計かも知れんぞ、おちびちゃん」
諭したのは、最年長の仲間であった。
「技術と言うものは、それがどのような目的で作られたものであれ、良くも悪くも使われる可能性があるものじゃ。この列車とて、かつては便利にありがたく使っていたに違いない。それを――あの蜘蛛女が、好きに利用しとるんじゃろう」
「おっと……ばあ様、ちょっと止まって」
テーゼンが次の車両とのドアを開ける。
見たところ、ここも無人の客車のようである。
また奥の方に、前方車両へ続く出口を見つけたシシリーは、何の疑問も持たずに歩を進めようとした。
「当たり前かもしれないけど、誰の姿も見当たらないわ」
「待って!姉ちゃん、部屋に入らないで――!」
「えっ?」
シシリーの腕をぐいと掴み、アンジェが制止する。
「客室の床を見て――全面に、奴らがいる!」
生気に満ちた碧眼の前で、今まで客車の床に落ちていた影だと思っていた闇が、ぼこぼこと泡だって蠢動を始めた。
ひときわ大きく膨れた泡から、出来損ないの人の形が持ち上がる。
ゾッとしたシシリーは、一歩飛び退って柄に手をかけた。
「っ……!床が、全て――悪霊と同化している……」
客車の床は、獲物を求める漆黒の亡霊に埋め尽くされていた。
この上を通り抜けていくのは至難の業だろう。
これはもしかして、自分たちを軌条の上で束縛したあれらと同じものでは――と冒険者たちは考えた。
だとしたら、いったん捕まったら抜けようがない。
呻くようにテーゼンが言う。
「この数では、聖水も、神聖な力も気休めにしかならないだろうぜ…」
「まるで、海のように波打って――どうしてこんなに」
驚きのあまり強く打つ心臓を押さえるように、胸に手を当てたミカが呟く。
シシリーは彼女の言葉に何か引っかかるものを覚え、じっと動く床を見つめた。
(…海のように?はっ…まさか――)
蠢く床の一部が、上空を飛ぶランプさんの真下で激しく脈打っている。
自分の思いつきに確信を得たシシリーは、光の精霊たちに向かって叫んだ。
「ランプさん、スピカ!ベルトポーチに戻って!こいつら、光に反応して脈打ってる――!」
「え…?本当、姉ちゃん?」
いつもと同じ表情ながら、どことなく焦っている様子で引き返してきたランプさんを眺めやりながら、アンジェが彼らの代わりに訊ねる。
「ええ、間違いない。この亡霊たちは、はっきりとした視覚がないのよ。漠然と明るい方向に移動しているだけ」
「なるほど、そういうことかよ。なら、光を囮にして、誘導できるかもしれねえな…」
「じゃあ…姉ちゃん、どうするの?」
「……実体がないランプさんに囮を頼むわ」
彼女はそう言うなり、ポーチに帰ってきたばかりのランプさんを掬い上げるように取り出して、じっと虚ろな目を自分の双眸と合わせて頼み込んだ。
「いい、ランプさん。私の合図で、あの悪霊たちを右側の座席の方へ集めるよう、発光して欲しいの。あなたが奴らを惹きつけている間に、空いた通路を私たちが駆け抜けるわ。殿の私が手を振るのが見えたら、猛スピードでこっちに追いついてきて。分かった?」
「だが、シリー。ランプさんが俺たちに追いついてきたら、悪霊どもも追って来るんじゃないか?」
「それを防ぐ道具はあるわ――聖水よ」
シシリーの目が、アンジェの方を見た。
「聖水を通路と客車の間に撒いて、結界を張るわ。そうしてからランプさんを戻す合図をすればいい。ランプさんは精霊だから、悪霊除けの結界に弾かれることはないもの」
「結構、ギリギリの作戦かもしれませんが……無策よりはマシかもしれませんね」
「一気に走らねばならんのなら、テーゼン。わしを運んでくれるか」
「ああ、ばあ様。揺れるだろうが我慢してくれよ」
「ミカ、お前は俺が手を繋いで一緒に走るからな。途中で転んだりするなよ」
「はい……」
方針を決めた旗を掲げる爪は、シシリーがランプさんに合図したのを機に、一気に黒く波打つ客車の通路を走り出した。
「あ、あのっ、シシリーしゃ…いえ、シシリーさん」
「どうしたの!?気をつけなきゃ、舌噛むわよっ」
「冒険者って、いつもこんな感じなんですか?」
ミカの疑問に答えたのは、当人ではなく老婆を俵抱きにした美貌の悪魔である。
「大体こんな感じだぜ。シシリーが無茶を通そうとすると、もっと酷い」
「ちょっ!白紙の後輩に、嘘教えないでよ!?」
ミカは、どこか眩しそうに背後のランプさんの光を振り返り、自分の手を取るロンドの歩調に遅れないよう必死で続いた。
ガス灯が寂しく瞬く通路に飛び込むと、アンジェがポンとシシリーに聖水を放る。
それを両手でキャッチしたシシリーは、栓を開けて聖水を通路と後方車両の合間に振り撒き、自分の法力をそこに込めた。
撒かれた聖水が仄かな光を放つが、すぐに消えたために悪霊の注意を惹きつけることはない。
見事に結界を張り終わったシシリーは、大きく手を振ってランプさんを呼び戻した。
「はー……結構、危なかったね。あたしちょっと疲れた」
「でも、まだまだ車両は続きそうだ。ここで休んでる暇はないんじゃないか」
「ロンドの言うとおりかもしれませんね」
結界の向こうでがちがちと悔しげに歯を噛み鳴らす悪霊たちを冷たく見やった後、ウィルバーは振り返ってそう言った。
「夜明けまでの時間をいたずらに潰すわけにはいきません。進みましょう」
「はーい」
それ以上の我侭を言わずに1人先行したアンジェだったが、「お!?」という声を発して、急いで仲間を呼びに戻ってきた。
「ねえねえ、次は客車じゃないよ。面白そうだから、皆早くおいでよ」
「だから時間があまり無いと言ってるでしょうが……やれやれ」
「まあまあ、お若いの。違う部屋なら部屋なりに、何かこの事態を打破するものでもあるかもしれん。じっくり見ておこうぞ」
呑気な言い分にがっくり肩を落としていた魔術師は、老婆の取り成しによって、気を取り直しアンジェの呼ぶ部屋に移動した。
「ここは……」
シシリーはぐるりと首を巡らせた。
上質な空間は広々としていて、玉突き台や、小説を収めた本棚、カードゲームを楽しむテーブルが置かれている。
これまでと全く雰囲気の違う部屋だ。
「ね、凄いでしょ?娯楽室か、談話室ってところじゃないかな。ちょっとしたお屋敷みたいだよ」
鑑定に慣れたどんぐり眼が、ちろりと机上に置かれたカードを見やった。
「怪しげな敵に狙われてなければ、カードででも遊びたいよね」
「気を抜いておると、カードの負け分を自分の命で支払う羽目になるぞ?」
ピシャリと保護者の代わりに釘を刺したテアは、カードゲーム用のテーブルの奥に、用途の分からない美しい金属の箱を見つけた。
「はて――これは何じゃろうの?」
老婆が首を捻る間に、ウィルバーの鋭い目が壁に設置された本棚に並ぶ背表紙をチェックしている。
旅行案内に料理本。流行の服飾本。ゲームの指南書、恋愛小説、歴史小説などなど…。
他にも子供向け絵本や、美しい挿絵のついた幻想生物事典なども見られるが、あの蜘蛛の主に繋がるような書物はここに置いている様子がなかった。
ため息をつきながら仲間を振り返ると、アンジェが遊戯用のテーブルの上から、象牙や魔晶石の多面体ダイスを掻き分けて、古いコインを摘み上げたところだった。
「そいつはなんだ?」
「多分なんだけどさ、兄ちゃん。お婆ちゃんの前に、綺麗な箱あるじゃない?」
ピイィン、と古いコインを親指で弾く。
「あれって、古代王国で作られた旅の記念品を販売する機械みたいなんだよね」
箱の前面に、ちょうどコインが入りそうな溝を見つけたアンジェは、手の中のそれを躊躇わずに入れた。
綺麗な箱の中でコインが落ち、中の機構が動くような音がして――。
『販売中――旅のメモリ・キューブ。貴方の旅の思い出を光のキューブに刻印します』
金属の板がカシャカシャと下りて、箱の表面に文字が浮かび上がった。
箱の中に、きらきらと輝くサイコロ大の立方体が回転しているのが見える。
さらに金属板に新たな文字が浮かぶ。
『貴方の旅の記憶を、幻像魔術の作用でキューブの中に封じ込めます。現在、ご提供可能なメモリ・キューブは――』
水晶で出来た鈴をふるかのような、微妙で美しい音が鳴り響く。
「きゃ――」
シシリーたちは、背中をくすぐられているような奇妙な感覚を覚えた。
『以下の色彩です。刻印するメモリ・キューブをお選びください――』
聖水をポケットに隠したアンジェのどんぐり眼が、路線図の下方にある文字を読み上げる。

「モノクローナル号。この列車の名前か――」
路線図の説明によると、この列車はモノクローナル世界の技術供与により運行を開始し、レオラン=パラッサ間を38時間で結んでいるそうだ。
古代王国の列車がなぜ今になって復活したのか。冒険者たちは首を傾げた。
そして何より――。
「モノクローナル世界ってさ……あそこのことだよね?」
≪狼の隠れ家≫には、先輩冒険者がどこからか持ってきた水晶が地下に設置されている。
その水晶は、3日間日光に当ててから、同じ日数だけ地下に保管して触れると、異次元への移動をするゲートとなり得るのである。
白と黒の色しかない異世界の住人は、色を持った来訪者に対して非常に好意的に接してくれた。
≪狼の隠れ家≫に来て間もない頃、うっかりその水晶に触って移動したことのある(しかも技術まで習ってきた)アンジェにとって、あのモノクロの世界は視覚的に慣れないながらも、居心地の決して悪くない場所であった。
「あそこと同じ場所の技術なら、そうそう怖いことはないと思うんだけど…」
「それは早計かも知れんぞ、おちびちゃん」
諭したのは、最年長の仲間であった。
「技術と言うものは、それがどのような目的で作られたものであれ、良くも悪くも使われる可能性があるものじゃ。この列車とて、かつては便利にありがたく使っていたに違いない。それを――あの蜘蛛女が、好きに利用しとるんじゃろう」
「おっと……ばあ様、ちょっと止まって」
テーゼンが次の車両とのドアを開ける。
見たところ、ここも無人の客車のようである。
また奥の方に、前方車両へ続く出口を見つけたシシリーは、何の疑問も持たずに歩を進めようとした。
「当たり前かもしれないけど、誰の姿も見当たらないわ」
「待って!姉ちゃん、部屋に入らないで――!」
「えっ?」
シシリーの腕をぐいと掴み、アンジェが制止する。
「客室の床を見て――全面に、奴らがいる!」
生気に満ちた碧眼の前で、今まで客車の床に落ちていた影だと思っていた闇が、ぼこぼこと泡だって蠢動を始めた。
ひときわ大きく膨れた泡から、出来損ないの人の形が持ち上がる。
ゾッとしたシシリーは、一歩飛び退って柄に手をかけた。
「っ……!床が、全て――悪霊と同化している……」
客車の床は、獲物を求める漆黒の亡霊に埋め尽くされていた。
この上を通り抜けていくのは至難の業だろう。
これはもしかして、自分たちを軌条の上で束縛したあれらと同じものでは――と冒険者たちは考えた。
だとしたら、いったん捕まったら抜けようがない。
呻くようにテーゼンが言う。
「この数では、聖水も、神聖な力も気休めにしかならないだろうぜ…」
「まるで、海のように波打って――どうしてこんなに」
驚きのあまり強く打つ心臓を押さえるように、胸に手を当てたミカが呟く。
シシリーは彼女の言葉に何か引っかかるものを覚え、じっと動く床を見つめた。
(…海のように?はっ…まさか――)
蠢く床の一部が、上空を飛ぶランプさんの真下で激しく脈打っている。
自分の思いつきに確信を得たシシリーは、光の精霊たちに向かって叫んだ。
「ランプさん、スピカ!ベルトポーチに戻って!こいつら、光に反応して脈打ってる――!」
「え…?本当、姉ちゃん?」
いつもと同じ表情ながら、どことなく焦っている様子で引き返してきたランプさんを眺めやりながら、アンジェが彼らの代わりに訊ねる。
「ええ、間違いない。この亡霊たちは、はっきりとした視覚がないのよ。漠然と明るい方向に移動しているだけ」
「なるほど、そういうことかよ。なら、光を囮にして、誘導できるかもしれねえな…」
「じゃあ…姉ちゃん、どうするの?」
「……実体がないランプさんに囮を頼むわ」
彼女はそう言うなり、ポーチに帰ってきたばかりのランプさんを掬い上げるように取り出して、じっと虚ろな目を自分の双眸と合わせて頼み込んだ。
「いい、ランプさん。私の合図で、あの悪霊たちを右側の座席の方へ集めるよう、発光して欲しいの。あなたが奴らを惹きつけている間に、空いた通路を私たちが駆け抜けるわ。殿の私が手を振るのが見えたら、猛スピードでこっちに追いついてきて。分かった?」
「だが、シリー。ランプさんが俺たちに追いついてきたら、悪霊どもも追って来るんじゃないか?」
「それを防ぐ道具はあるわ――聖水よ」
シシリーの目が、アンジェの方を見た。
「聖水を通路と客車の間に撒いて、結界を張るわ。そうしてからランプさんを戻す合図をすればいい。ランプさんは精霊だから、悪霊除けの結界に弾かれることはないもの」
「結構、ギリギリの作戦かもしれませんが……無策よりはマシかもしれませんね」
「一気に走らねばならんのなら、テーゼン。わしを運んでくれるか」
「ああ、ばあ様。揺れるだろうが我慢してくれよ」
「ミカ、お前は俺が手を繋いで一緒に走るからな。途中で転んだりするなよ」
「はい……」
方針を決めた旗を掲げる爪は、シシリーがランプさんに合図したのを機に、一気に黒く波打つ客車の通路を走り出した。
「あ、あのっ、シシリーしゃ…いえ、シシリーさん」
「どうしたの!?気をつけなきゃ、舌噛むわよっ」
「冒険者って、いつもこんな感じなんですか?」
ミカの疑問に答えたのは、当人ではなく老婆を俵抱きにした美貌の悪魔である。
「大体こんな感じだぜ。シシリーが無茶を通そうとすると、もっと酷い」
「ちょっ!白紙の後輩に、嘘教えないでよ!?」
ミカは、どこか眩しそうに背後のランプさんの光を振り返り、自分の手を取るロンドの歩調に遅れないよう必死で続いた。
ガス灯が寂しく瞬く通路に飛び込むと、アンジェがポンとシシリーに聖水を放る。
それを両手でキャッチしたシシリーは、栓を開けて聖水を通路と後方車両の合間に振り撒き、自分の法力をそこに込めた。
撒かれた聖水が仄かな光を放つが、すぐに消えたために悪霊の注意を惹きつけることはない。
見事に結界を張り終わったシシリーは、大きく手を振ってランプさんを呼び戻した。
「はー……結構、危なかったね。あたしちょっと疲れた」
「でも、まだまだ車両は続きそうだ。ここで休んでる暇はないんじゃないか」
「ロンドの言うとおりかもしれませんね」
結界の向こうでがちがちと悔しげに歯を噛み鳴らす悪霊たちを冷たく見やった後、ウィルバーは振り返ってそう言った。
「夜明けまでの時間をいたずらに潰すわけにはいきません。進みましょう」
「はーい」
それ以上の我侭を言わずに1人先行したアンジェだったが、「お!?」という声を発して、急いで仲間を呼びに戻ってきた。
「ねえねえ、次は客車じゃないよ。面白そうだから、皆早くおいでよ」
「だから時間があまり無いと言ってるでしょうが……やれやれ」
「まあまあ、お若いの。違う部屋なら部屋なりに、何かこの事態を打破するものでもあるかもしれん。じっくり見ておこうぞ」
呑気な言い分にがっくり肩を落としていた魔術師は、老婆の取り成しによって、気を取り直しアンジェの呼ぶ部屋に移動した。
「ここは……」
シシリーはぐるりと首を巡らせた。
上質な空間は広々としていて、玉突き台や、小説を収めた本棚、カードゲームを楽しむテーブルが置かれている。
これまでと全く雰囲気の違う部屋だ。
「ね、凄いでしょ?娯楽室か、談話室ってところじゃないかな。ちょっとしたお屋敷みたいだよ」
鑑定に慣れたどんぐり眼が、ちろりと机上に置かれたカードを見やった。
「怪しげな敵に狙われてなければ、カードででも遊びたいよね」
「気を抜いておると、カードの負け分を自分の命で支払う羽目になるぞ?」
ピシャリと保護者の代わりに釘を刺したテアは、カードゲーム用のテーブルの奥に、用途の分からない美しい金属の箱を見つけた。
「はて――これは何じゃろうの?」
老婆が首を捻る間に、ウィルバーの鋭い目が壁に設置された本棚に並ぶ背表紙をチェックしている。
旅行案内に料理本。流行の服飾本。ゲームの指南書、恋愛小説、歴史小説などなど…。
他にも子供向け絵本や、美しい挿絵のついた幻想生物事典なども見られるが、あの蜘蛛の主に繋がるような書物はここに置いている様子がなかった。
ため息をつきながら仲間を振り返ると、アンジェが遊戯用のテーブルの上から、象牙や魔晶石の多面体ダイスを掻き分けて、古いコインを摘み上げたところだった。
「そいつはなんだ?」
「多分なんだけどさ、兄ちゃん。お婆ちゃんの前に、綺麗な箱あるじゃない?」
ピイィン、と古いコインを親指で弾く。
「あれって、古代王国で作られた旅の記念品を販売する機械みたいなんだよね」
箱の前面に、ちょうどコインが入りそうな溝を見つけたアンジェは、手の中のそれを躊躇わずに入れた。
綺麗な箱の中でコインが落ち、中の機構が動くような音がして――。
『販売中――旅のメモリ・キューブ。貴方の旅の思い出を光のキューブに刻印します』
金属の板がカシャカシャと下りて、箱の表面に文字が浮かび上がった。
箱の中に、きらきらと輝くサイコロ大の立方体が回転しているのが見える。
さらに金属板に新たな文字が浮かぶ。
『貴方の旅の記憶を、幻像魔術の作用でキューブの中に封じ込めます。現在、ご提供可能なメモリ・キューブは――』
水晶で出来た鈴をふるかのような、微妙で美しい音が鳴り響く。
「きゃ――」
シシリーたちは、背中をくすぐられているような奇妙な感覚を覚えた。
『以下の色彩です。刻印するメモリ・キューブをお選びください――』
2016/05/15 12:40 [edit]
category: くろがねのファンタズマ
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